著者
山川 烈 鈴木 倫保 山川 俊貴 粟生 修司 石塚 智 堀尾 恵一 藤井 正美 野村 貞宏 大和田 祐二 グレゴリエビッチ ジミン・レフ 常盤 達司 井上 貴雄 丸田 雄一 藤岡 裕士
出版者
九州工業大学
雑誌
特別推進研究
巻号頁・発行日
2008

抗てんかん薬が全く効かず,いつ発現するかわからない発作の恐怖におびえているてんかん患者が国内外に全人口の約0. 2%いる.これらの患者を救う道は,外科手術である.現在の外科手術では,「てんかん原性域」と呼ばれる発作の震源地の位置を脳波から推定し,それを切除しているが,後遺障害のリスクが大きい.本研究では,その「てんかん原性域」を精度よく推定し,頭蓋骨にあけた小さな穴から凍結プローブやレーザー焼灼プローブを刺入し,「てんかん原性域」を限定して破壊する後遺障害リスクの少ない外科手術法を考案した.
著者
立岡 裕士
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.57, 2009 (Released:2009-06-22)

「日本総国風土記」(以下「総国風土記」)は、近世初頭に古風土記を模造して作られた偽書とされる。しかし「総国風土記」は単一の文献と見なすことが困難なほどに多様な形式・内容の写本群として残存している(「総国風土記」という名称を冠した一群の文献が伝えられる一方、それと類似した内容をもちながら「(某国)風土記残篇」といった名称をもつものがあり、また外題的に「総国風土記」として一括されながら内題的には「総国風土記」という名称をもたない文献もある。報告者は当面、「総国風土記」を一群の文献に対する総称として最広義に用いることにする。すなわち、和銅~延長に撰進された古風土記、近世以降に古風土記とは異なるものであることを明示しながら編纂された「新風土記」、のいずれにも属さない「風土記」を「総国風土記」と呼ぶ)。 「総国風土記」の検討は早川(1987)の提起にもかかわらずほとんど進んでいない。「総国風土記」について検討することは、それが受容されたことを通して近世初頭の地誌的知識希求の風潮について考えるための基礎作業である。さらに「総国風土記」作成の原資料について検討することにより、存在が推定される「失われた中世日本地誌」について考えるよすがとなろう。本報告はその端緒として「総国風土記」の分類を試みる。 現存する「総国風土記」は『日本古典籍総合目録』(国文学研究資料館)に収録されただけでも44機関に164部の写本が存在する。近世に地方史誌類などに翻刻収録されたものもある。年代の確実な写本のなかで古いのは18C初頭のもののようである。しかし山崎闇斎の『会津風土記』序文からは17C半ばにはすでに幾つかが流通していたことが考えられる。 「総国風土記」は風土記の残篇として、「虫喰」「落丁」などが織り込まれた形で伝えられている。一つの国の全郡の記事がそろっているのは駿河のみとされる。しかし何らかの記事がある国は45に及ぶ。同一国・同一郡について内容の全く異なるものが存在する場合があり、しかもそれが(異本という形で)同じ写本のなかに併存していることもある。 報告者は当面、下記の観点から「総国風土記」を分類することができるのではないかと考える: ・構成の形式:国単位で巻をなすものと郡単位で巻をなすものとがある。 ・空間的単位:郷・荘(庄)・里・村などが明記されたものと、そうした単位名がついていないものとがある(後者の場合、『和名抄』郷名と一致するものも多いが、そうでないものも多い)。 ・内容:大きくは貢租・物産・説話に分けられる。貢租記事は「公(土)穀○○仮粟○○貢○○」、物産記事は「土地○○民用○○出○○」という形式をとる。説話は地名・寺社の由来などである。特に前2者が混在することは少ない。 ・表記:和風諡号と漢風諡号との違い ・書写奥書:鎌倉~南北朝期(元亨・文和・嘉慶)・戦国末~近世初(大永・弘治・天正・寛永・寛文)のものが多く共通に見られる。
著者
立岡 裕士
出版者
鳴門教育大学
雑誌
鳴門教育大学研究紀要 (ISSN:18807194)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.348-448, 2017-03-10

Hudoki, chorographies compiled in each provances in ancient Japan, is regarded as compilation of tales in modern Japan. Hudoki has been rewritten for children since the eraly 20th Century. Hudoki has low reputation as literary classics, those juvenile works usually hold only a part of tale−books named such as Japanese old tales, seldom having the word Hudoki in their title. This author tried to compile a list of those juvenile works and clarified the original articles in Hudoki for each work.
著者
木原 資裕 皆川 直凡 立岡 裕士 藪下 克彦 内藤 隆 田村 隆宏 南 隆尚 町田 哲 久米 禎子 眞野 美穂 畠山 輝雄 小倉 正義 Motohiro KIHARA Naohiro MINAGAWA Yuuzi TATUOKA Katsuhiko YABUSHITA Takashi NAITO Takahiro TAMURA Takahisa MINAMI Tetsu MACHIDA Teiko KUME Miho MANO Teruo HATAKEYAMA Masayoshi OGURA
出版者
鳴門教育大学
雑誌
鳴門教育大学研究紀要 = Research bulletin of Naruto University of Education (ISSN:18807194)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.334-348, 2021-03-10

Naruto University of Education offers an undergraduate class called "Awa (Tokushima) Studies", which is taught by twelve instructors whose specialties span history, geography, psychology, art, physical education, and linguistics. In this class, after studying the background and history of Ohenro, a pilgrimage route in Shikoku, in classroom lectures, the students and the instructors walk a part of the pilgrimage route on a one-night-two-day trip, in which interdisciplinary studies are practiced. This class is an ideal opportunity for teacher training and therefore can serve to strategically promote Naruto University of Education as a unique university in offering such a class.
著者
西川 秀一郎 東野 秀紀 岡 裕士 渡辺 文 齊藤 祐貴 山口 早紀 福井 直樹 村上 仁志(MD)
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.48100721, 2013

【目的】当院では,二分脊椎症児の筋の未発達,及び発達筋の不均等によって生じる筋出力低下に対し,日頃から筋力トレーニングを積極的に行っている.しかし,小学生以下に対して筋力増強効果が期待できる負荷量では,疲労感や嫌悪感などから継続した筋力トレーニングが困難である場合が多く,適切な負荷量をかけられないのが現状である.近年,脊髄損傷患者に対する電気刺激(Electrical stimulation:ES)は有効なリハビリテーションとして期待されている.現に,Glinskyらは筋力トレーニングに電気刺激を併用することで,筋力増強効果を高める可能性があると報告している.また,小児脊髄損傷患者にESを実施した研究では,大腿四頭筋トルクの有意な増加を認めている(Karmel,1992).しかし,二分脊椎症患児に対し,電気刺激と筋力トレーニングを併用させた筋力増強効果の報告は散見される程度であり,本研究は二分脊椎症児に対して筋力トレーニングと大腿四頭筋へのESを併用した運動による筋力増強効果とそれに伴う運動機能への影響を調査した.【方法】対象者はKAFOを装用し独歩可能な外来通院している二分脊椎症児.脊髄運動最下髄節L4.(7歳,女児,110.8cm,体重17.9kg)であった.研究デザインはABデザインを採用した.(A)基礎水準期は端坐位にて徒手筋力計(OE-210)を用いた結果の50%の重錘を大腿四頭筋求心性・等張性収縮にて反復回数13回,週2日,4週間施行した. (B)操作導入期(ES期)はAの方法にESを併用した.電気刺激には伊藤超短波社製低周波治療器Torio300を用い,刺激部位は大腿四頭筋とした.刺激電極は,大腿伸側の正中面上で鼠径部から膝蓋骨上縁を4等分した上1/4と下2/4に刺激電極を貼付した.電極設置の際,皮膚のインピーダンスを減少させる為、アルコール綿にて前処置を行った.刺激パラメーターは,パルス幅0.2ms,周波数50Hzの双極性矩形波とし,通電時間10秒,休止時間20秒にて10分,電流強度は疼痛や不快感が出現しない最大強度とした.測定項目は,膝関節伸展筋力(伊藤超短波社製徒手筋力計OE-210),片脚立位時間,10m最大歩行時間,10m走行時間,歩幅,Time Up and Go test(TUG)とし,評価の時期は,基礎水準期前後,ES期終了時に測定した.膝伸展筋力(膝関節屈曲90°)の測定方法は,徳久らが開発したH固定法を採用した.歩幅の測定は,矢状面からデジタルビデオカメラで撮影し,imageJにて計測した.【倫理的配慮、説明と同意】参加者にはヘルシンキ宣言に基づき本研究の概要、公表の有無と形式、個人情報の取り扱いについて患児と患児の保護者に対して紙面と口頭にて説明を行い、研究参加同意書をもって同意を得る.【結果】ES期前後で全ての項目で改善がみられた.膝関節伸展筋力は(膝関節屈曲0°)右6.5kgから7.4kg、左3.7kgから4.1kg、(膝関節屈曲90°)右7.8kgから8.5kg、左3.2kgから5.0kg、に増大し、片脚立位時間は右20.45秒から23.02秒、左3.18秒から6.58秒に増大した。10m最大歩行速度は8.44秒から7.54秒に、10m走行時間は7.22秒から6.86秒に短縮した。歩幅は95.1cmから105.7cmに増大し、TUGは7.14秒から6.65秒に短縮した。【考察】DelittoらによるとESは過負荷と選択性というメカニズムから筋力を増強させると述べており、選択性の原則では、ESはタイプI線維よりもタイプⅡ線維を収縮させるため、同程度の収縮力の設定では生理的筋収縮よりもESの方が強い筋力増強効果が得られると報告している.本研究の結果からもESと筋力トレーニングを併用させることによりタイプI線維とタイプⅡ線維が同時に収縮したことで、筋力トレーニングのみより筋力増強効果が得られたと推測される.また,Daubneyらは膝伸展筋力が片脚立位時間に影響を与えると報告しており、膝伸展筋力が増強したことにより下肢の支持性が向上したことが片脚立位時間の延長につながったと考えられる。TUGについてBsichoffらは,下肢伸展筋力との有意な相関が認められたと報告しており、立ち上がり時に必要な膝伸展筋力が増強したことにより,立ち上がり時間の短縮が考えられる。歩行また走行時間について,膝伸展筋力の増強によりイニシャルコンタクト後の衝撃吸収を大腿四頭筋が円滑に遂行し、立脚中期の間の下肢支持性が向上したことが考えられる。【理学療法学研究としての意義】ESを併用した運動による筋力増強効果とそれに伴う運動機能への影響を調査し,理学療法介入において二分脊椎症児に対しESが筋力増強と運動機能への介入の有効性につながると考えられる。
著者
立岡 裕士
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.193-214, 1985-06-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
167
被引用文献数
2

The purpose of this study is twofold; (1) to clarify the problems of introducing the method of neo-Kuhnian history of science into the history of geography, pointing out the defects of earlier arguments about the validity of paradigm concept in geography by some methodologists, and (2) to throw new light on a theme not so well studied so far, diffusion (i. e. advocacy, acceptance, transformation) of theories, with a case study of the Hartshornian paradigm.Although some critics have considered ‘paradigm’ in geography as a model of scientific development, paradigm is a device for grasping both social and intellectual aspects of science together. Actually such critics have paid attention to the social aspect of geography, but they identify it with external influences as though it were separable from its intellectual aspect. Scientific knowledge is dependent on the context of scientific community, which has become apparent after institutionalization.Obtained from studying natural sciences, the methods of the history of science must be modified in some degree so that they are applicable to geography. Institutionalized geography has two different aspects from academic science; one is that the codification in geography is less developed, and the other is that the circle of the profession is not closed. However, geography is not so deprived of autonomy as industrialised science. So, with alterations on some items which result from the above differences, such as social relevance and the undefined nature of groups of geographers, we could apply the framework used to analyze academic science to institutionalized geography.Under the condition of less developed codification, a theory with little concreteness has much room for various interpretation. And frequently this is the case with geography. Therefore, diffusion of a theory in geography always involves some transformation of its meaning. Nevertheless historians of geography have shown little interest in this aspect except in the transfer of a theory beyond the boundaries of disciplines or of nations. This is probably because they have seen the transformation as external and contingent noise, unconsciously assuming communication of a shared code. Yet we should view this process adopting a communication model in which sender and receiver have their own codes, respectively, which are dependent on their past experiences and present situations. At this point we can study such transformation and fixation of theories as social and essential phenomena, not as personal nor accidental. In sum, diffusion of theories should be examined in the following respects: the context of advocate, his intent, the context of accepters, and the condition of the medium.The context in which The Nature of Geography (NG) was brought forth consisted of two parts: 1) Hartshorne's career of study leading to NG, 2) the group into which he had been socialised and with which he had common experiences.Hartshorne was incorporated into the ‘invisible college’ of the field conferences (FC) which was organized by W. D. Jones and Sauer for studying methods of land-use survey. At the outset they treated this theme from the viewpoint of environmentalism, but with the expansion of the study they had gotten off environmentalism into regionalism by the early thirties. The central problem in their methodological debates was the conventionalisation of procedures for regional study. And with it there were theoretical problems, such as the necessity for and means of generalization and synthesis, visibility as the criterion for research, and treatment of the time-dimension. Some alternative sets of answers to these questions were presented.From 1924 to 1939 Hartshorne had changed his subjects of inquiry but nevertheless some traits were consistent
著者
立岡 裕士
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.60, no.8, pp.516-539, 1987-08
被引用文献数
3

日本のアカデミズム地理学の初期段階において日本地理学会が負わされた主たる役割は,コミュニケーションの場を提供することにより地理学の知的・社会的制度化を促進することであった。そこで戦前期の日本地理学会が社会的制度化の進展にどの程度貢献したかという点を明らかにするために,研究者に対する本学会の包摂性と本学会に対する研究者の依存性とを検討した。その結果,次の3点が明らかになった. 1) 会員の構成では当会は1930年代半ばにはある程度全国的な組織となっていた. 2) これに積極的に参加していた者はほとんど東大または文理大の出身者で,東京近在ないしはたかだか東日本の居住者であるが,その一方で全国化の傾向も認められる. 3) 当会が提供した発表の機会は学界全体を覆うほどのものではなく,それに対する会員の依存度も必ずしも高くない.<br> 以上のことから,戦前期の日本地理学会は地理学の社会的制度化にとって一応の貢献はしたが,研究者の相互依存性を著しく高めるにはいたらなかった,と考えられる.
著者
立岡 裕士
出版者
鳴門教育大学地域連携センター
雑誌
鳴門教育大学学校教育研究紀要 (ISSN:18806864)
巻号頁・発行日
no.31, pp.103-113, 2016

早鳥/はやとりという作品は,戦前・戦後を通じて約40年間,小学校国語教科書に教材として利用された。この作品には国定教科書系と光村出版系との二つの種類があるが,構成には大きな差はない。いずれの作品でも主題となっているのは,子どもと重ね合わされる楠の伸びる力とそれが障害となった時の人々の対応とである。人々の対応をどれほど重視するかは教科書によって同じではないが,この二つの近代的価値がこの教材を長く採用させることになった要素であろう。Hayatori is a tale adapted as a textbook material of elementary school. It was adopted nearly for 40 years in spite of great social change in Japan. This author enquired the value laden for the tale as the background of the preference for thie tale. The growth power of a camphor tree identified as those of children, and the decisiveness of people who were compelled to confront the tree, are the main element for the preference.
著者
立岡 裕士
出版者
鳴門教育大学
雑誌
鳴門教育大学研究紀要 (ISSN:18807194)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.326-340, 2015-03-13

In 1936-1948, Koyama−shoten published 8 books under the title of Sin−Hudoki Sosyo(New Chorography Series). Koyama had confidence that this series aiming at Heimatdichtung would gain popularity. Finally this series suffered a setback by the War. It is said that the series succeeded to a certain extent. This author survey the posession of public libraries to make clear whether the books of this series were read everywhere in Japan. The survey reveals that the distribution of the books has spatial partiality, but that the partiality is not so keen.
著者
平井 松午 溝口 常俊 出田 和久 南出 眞助 小野寺 淳 立岡 裕士 礒永 和貴 鳴海 邦匡 田中 耕市 渡辺 誠 水田 義一 野積 正吉 渡辺 理絵 塚本 章宏 安里 進
出版者
徳島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

本研究は、各地に所蔵される近世後期に作成された実測図もしくは実測図系絵図の作成法とその記載内容・精度の比較検討を行い、その上で近世実測図を用いたGIS 解析法の確立を目指したものである。その結果、徳島藩・金沢藩・鳥取藩では藩領全域をカバーする測量図がそれぞれ独自の手法によって作成されていたこと,また近世後期の城下絵図についても測量精度が向上して,これらの測量絵図が GIS 分析に適した古地図であると判断した。