1 0 0 0 OA 量地指南 3巻

著者
村井昌弘
出版者
野田太兵衛[ほか]
巻号頁・発行日
vol.三, 1733
著者
村井, 量令
出版者
巻号頁・発行日
vol.[3],
著者
織井 弘道 森谷 良智 難波 幸一 海老原 直樹 川本 和弘 伊藤 公一 村井 正大
出版者
特定非営利活動法人日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.495-502, 1997-12-28
参考文献数
23
被引用文献数
1

本研究は,チタン製インプラントにプラークや歯石が付着した場合を想定し,日常臨床で用いられている種々の清掃法によってチタン表面を処理し,それが培養細胞の初期付着に対してどのような影響を及ぼすのかについて検討したものである。実験材料として,チタンを99.5%以上含むチタン板を実験に供試した。チタン表面にプラークや歯石が付着したことを想定し油性マジックを塗り,それを手用キュレット型スケーラー(HSc),超音波スケーラー(USc),歯面研磨装置(QJ),ラバーカップ(RC:歯面研磨剤を併用),プラスチックスケーラー(PSc)で除去した後の表面粗さ(中心線平均粗さ)を計測した。なお,未処理のチタン板をコントロール(C)とした。次に,そのチタン板を滅菌後,チタン表面にヒト歯槽骨由来骨芽細胞およびヒト歯肉線維芽細胞を播種し,通法に従い3, 6, 12および24時間培養を行い,走査電子顕微鏡により付着細胞数のカウント,細胞形態の観察を行った。その結果,チタン板の表面粗さには,HSc-QJ, HSc-RC, HSc-PSc, HSc-C, USc-QJ, USc-RC, USc-PSc,およびUSc-C間において統計学的有意差が認められた(p<0.05)。走査電子顕微鏡観察によると,HSc, UScによって処理したチタン板上の細胞はCと比較して発育が悪く,付着細胞数も減少傾向にあった。QJでは付着細胞数において減少傾向が見られたが,細胞形態自体にはさほど影響は見られなかった。RC, PScでは細胞形態,付着細胞数ともに良好な結果が得られた。よって,in vitroにおいて,培養細胞の付着様相は粗いチタン表面よりも,平滑なチタン表面のほうが良好であることから,チタン表面がプラークで汚染された場合の清掃法として,プロフィーペーストとラバーカップの併用あるいはプラスチックスケーラーによる方法は,有効であることが示唆された。
著者
難波 幸一 織井 弘道 森谷 良智 内山 寿夫 吉沼 直人 伊藤 公一 村井 正大
出版者
特定非営利活動法人日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.477-483, 1996-12-28
参考文献数
32
被引用文献数
2

本研究は,チタン表面に形成されたプラークを安全でかつ効果的に除去することのできる清掃法を確立することを目的とし,ラバーカップ,ポリッシングブラシに,各種ポリッシングペースト,浮石沫,水をそれぞれ組み合わせた清掃法が,チタン表面に対してどのような影響を及ぼすのかについて比較検討した基礎的実験である。実験材料として,チタン99.5%以上のチタン板を実験に供試した。チタン表面に油性マジックを塗り,各種清掃法でこれを除去した後の表面粗さを計測した。次に,チタン板を保持装置に固定し,口腔内に装着しプラークを付着させた。このプラークを各種清掃法で除去し,走査型電子顕微鏡を用いてチタン表面性状およびプラークの除去状態を観察し,プラーク付着スコアで評価した。チタンの表面粗さは,全ての清掃法とコントロールの間に統計学的に有意差は認められなかった。また,チタン表面性状およびプラークの除去状態は,48時間口腔内に装着しプラークを蓄積したコントロールと比較し,全ての組み合わせにおいて統計学的に有意差が認められた。この研究結果から各種清掃法は,全ての組み合わせにおいてチタン表面性状を変えることなく短時間でプラーク除去が可能であり,またラバーカップよりもポリッシングブラシを使用した清掃法がプラーク除去効果の高いことが示された。
著者
村井 誠人
出版者
東欧史研究会
雑誌
東欧史研究
巻号頁・発行日
vol.3, pp.60-75, 1980
著者
竹下 文雄 村井 実
出版者
熊本大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

ハクセンシオマネキのオスにおける複数の求愛シグナルの適応的意義について研究を実施した。メスは時間あたりの求愛音の発音回数が多いオスを好んだ。餌の利用可能性が高いオスではattraction waveの頻度および血漿ラクトース濃度が増加した。近隣オスの妨害行動によりペア形成率は低下した。物理的な障害物によりメスの配偶者選択に要する時間は増加した。オスの甲と大鉗脚における色の変化パターンは異なった。これらの結果より、オスの各シグナルはメスの配偶者選択の基準として用いられる可能性が高いが、その機能は異なり、それぞれの個体が置かれた社会的・物理的環境下で各シグナルの有効性は異なる可能性が示唆された。
著者
村井 妙 金地 裕美 代田 欣二
出版者
日本獣医皮膚科学会
雑誌
獣医臨床皮膚科 (ISSN:13476416)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.95-95, 2006 (Released:2006-10-11)
参考文献数
2
著者
山﨑 真大 加納 塁 原田 和記 村山 信雄 佐々木 崇 折戸 謙介 近藤 広孝 村井 妙 山岸 建太郎 西藤 公司 永田 雅彦
出版者
日本獣医皮膚科学会
雑誌
獣医臨床皮膚科 (ISSN:13476416)
巻号頁・発行日
vol.23, no.3, pp.127-134, 2017 (Released:2017-09-28)
参考文献数
20
被引用文献数
2

犬の表在性膿皮症は,皮膚表面に常在するブドウ球菌(Staphylococcus pseudintermedius,S. schleiferiなど)が表皮や毛包に存在,あるいは侵入して発症する。近年では薬剤耐性菌が病変部から分離される症例が増加しており,治療に苦慮することも多い。そこで,日本獣医皮膚科学会では犬の表在性膿皮症の治療ガイドラインの作成を試みた。近年,海外では複数のシステマティックレビューや,ガイドラインが報告されていることから,これらを参考にしつつ日本独自のガイドラインの作成を目指したが,エビデンスとなる論文が十分でなく,現時点では困難であることが明らかになった。この中で,現時点で有効であると考えられるいくつかの知見が得られたので治療指針として提示したい。また,現時点での問題点についても述べる。
著者
村井 章介
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.201, pp.81-96, 2016-03

本誌第一九〇集に掲載された宇田川武久氏の論文「ふたたび鉄炮伝来論―村井章介氏の批判に応える―」に対する反論を目的に、「鉄砲は倭寇が西日本各地に分散波状的に伝えた」とする宇田川説の論拠を史料に即して検証して、つぎの三点を確認した。①「村井が鉄砲伝来をヨーロッパ世界との直接のであいだと述べている」と反復する宇田川氏の言明は事実誤認である。②〈一五四二年(または四三年)・種子島〉を唯一の鉄砲伝来シーンと考える必要はなく、倭寇がそれ以外のシーンでも鉄砲伝来に関わった可能性はあるが、宇田川氏はそのオールタナティブを実証的に示していない。③一五四〇~五〇年代の朝鮮・明史料に見える「火砲(炮)」の語を鉄砲と解する宇田川説は誤りであり、それゆえこれらを根拠に鉄砲伝来を論ずることはできない。以上をふまえて、一六世紀なかば以降倭寇勢力が保有していた鉄砲と、一六世紀末の東アジア世界戦争(壬辰倭乱)において日本軍が駆使した鉄砲ないし鉄砲戦術との関係を、どのように捉えるべきかを考察した。壬辰倭乱直前まで、朝鮮は倭寇勢力が保有する鉄砲を見かけていたかもしれないが、軍事的脅威と感じられるほどのインパクトはなかったので、それに焦点をあわせた用語も生まれなかった。朝鮮が危惧していたのは、中国起源の従来型火器である火砲が、明や朝鮮の国家による占有を破って、倭寇勢力や日本へ流出することであった。しかしその間、戦国動乱さなかの日本列島に伝来した新兵器鉄砲が、軍事に特化した社会のなかで、技術改良が重ねられ、また組織的利用法が鍛えあげられ、やがて壬辰倭乱において明や朝鮮にとって恐るべき軍事的脅威となった。両国は鉄砲を「鳥銃」と呼び、鹵獲した鳥銃や日本軍の捕虜から、鉄砲を駆使した軍事技術をけんめいに摂取しようとした。The purpose of my present article is to reply to the article of Udagawa Takehisa that appeared in issue 190 of this journal with the title "Another Study of the Introduction of Guns to Japan: As a Counter-argument to the Criticism of Dr. Shōsuke Murai". In my article I examined Udagawa's theory that says, "wakō-pirates introduced and gradually distributed muskets to several places in Western Japan". During my examination of his arguments based on the historical sources I came to the following three conclusions.First, the often repeated statement of the author that says, "Murai states that the introduction of muskets was a direct encounter with the European world", is a misunderstanding of that what I stated in fact in my article. Second, I agree with the author that it is not necessary to think about the year 1542 (or 1543) and the island Tanegashima as the only possible time and place for the introduction of muskets, and that it is possible that wakō-pirates also played a part in the introduction of muskets in other different ways. Still, the problem is that the author does not provide concrete examples or evidences for possible alternatives based on the historical sources that would support this argument. Third, the author's theory, according to which he is interpreting "huopao / hwap'o 火砲(炮) (cannon)" - a word that can be seen in the Chinese and Korean sources in the 1540-50s- as "musket", is a mistake. Therefore, it is not possible to discuss the introduction of musket based on this theory.Based on these conclusions, I examined the following question: What was the relationship between those muskets possessed by wakō-pirates after the middle of the 16th century and the muskets used by the Japanese army during the war in the East Asian world at the end of the 16th century (the so called Imjin war)?It is possible that Koreans saw the muskets of wakō-pirates before the Imjin war, but these muskets had probably no impact on them, and the Koreans did not feel yet the threat of muskets at that time. Therefore they did not create a special word for musket. Rather, Koreans felt apprehension that "huopao / hwap'o (cannon)", the conventional firearms of Chinese origin would flow out from Korea or China into the hand of wakō-pirates or Japanese.But during the following years, musket, the new weapon introduced to Japan in the midst of the disturbances of the Warring States period, underwent several technical improvements in the Japanese society that was characterized by continuous wars. Further, with the time Japanese soldiers became also perfectly trained in the use of musket in organized groups. Thus, musket soon became a fearful military menace to Ming China and Chosŏn Korea during the Imjin war. Both countries called musket "niaochong / choch'ong 鳥銃 (fowling piece)" and both of them eagerly tried to learn the military technique of muskets from captured Japanese soldiers and the confiscated "fowling pieces".
著者
目 武雄 藤野 明 村井 不二男
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
日本化學雜誌 (ISSN:03695387)
巻号頁・発行日
vol.81, no.9, pp.1444-1445, 1960-09-10 (Released:2011-05-30)
参考文献数
2
被引用文献数
1

マタタビラクトンの酸化によって得られたネぺタリン酸からアクチニジンを誘導し,両者を関係づけた。
著者
村井 俊雄
出版者
慶應義塾経済学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.46, no.10, pp.817(61)-837(81), 1953-10

論説
著者
鴻野弘明 山本知典 上原雄貴 武田圭史 村井純
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2012, no.1, pp.645-647, 2012-03-06

近年の情報爆発に伴い,多様な情報から適切な情報を解析抽出することにより新しい情報の価値を見出す研究が行われ ている.しかし大学などの教育機関においては,生徒の目的に応じて効率的な授業の履修選択ができないなど,未だ十分に活用できていないことが問題となっている.そこで本研究では,協調フィルタリングとコンテンツベースフィルタリングを組み合わせることで,ユーザに応じた効率的な授業履修を実現する手法およびシステムを提案する.本システムは大学の学事システムと連携することによって,履修履歴データを取得解析することで,科目の分類,難易度により,授業のレコメンドを行う.本手法を実際にユーザに提供することによって効率的に授業をレコメンドできることを示した.