著者
森野 友介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

「スクリーンスケイプ」はスクリーンに表示された映像から、このような現代社会を読み解いていこうという試みである。スクリーンスケイプとは狭義にはスクリーンに表示された映像そのものを意味するが、広義にはそれを通してつながったヒト、モノ、情報のフローやこれらを抑制、あるいは促進する文脈や技術との関係も含まれる。本研究では狭義のスクリーンスケイプの1つであるスクリーンの映像表現について調査する。本研究では現在のヴァーチャル空間の基礎につながっていると考えられる2Dのビデオゲームの空間を対象に調査を行う。このようなビデオゲームの空間は3DCG技術を利用した擬似3D表現が難しく、高さ、奥行き、幅の3軸のうち2軸を選択した平面で表現されている。そのため、その選択によって視点を分類することが可能であり、2Dのビデオゲームの空間をプレイヤーがみる視点の位置によって4種類に分類した。ファミリーコンピュータ(以下FCとも記す)およびスーパーファミコン(以下SFCとも記す)の2機種で発売されたタイトルを視点とゲームの内容を示すジャンルによって分類し、分析を行うことで、ビデオゲームの空間の特性を明らかにする。 FCおよびSFCで発売されたゲームタイトルを分類、分析した結果、以下のような知見が得られた。ビデオゲームのジャンルにはゲーム機の性能や普及台数による棲み分けや、ヒットタイトルによる特定のジャンルの流行などが見受けられた。視点とハードウェアの性能に注目すると、FCに比べ、性能の向上したSFCでは擬似3D表現が可能な視点の増加していた。また、ジャンルによって利用されている視点に明らかに偏りが存在することから、ゲームの内容に合わせた表現方法が選択されていることが明らかとなった。ビデオゲームの空間は技術的問題から大きく制限されているおり、効果的に視点を選択することによってゲームの空間を表視する必要がある。さらに、表示可能な情報量の少なさをインターフェースや音によって補っている。 スクリーンに表示される映像には必ず作り手が存在する。そのため、技術が進歩した今日でも表現方法の選択は行われており、依然としてヴァーチャル空間はインターフェースや音による補助なしには成り立たない。本研究ではスクリーンスケイプの一部のみを扱っており、情報化の進んだ現代を読み解くためにもより広義のスクリーンスケイプについての研究を進めていく必要がある。
著者
奈良間 千之 佐藤 隼人 山本 美奈子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>1</b><b>.はじめに</b><br>&nbsp; キルギスタン北東部に位置するテスケイ山脈では2006年~2014年にかけて氷河湖決壊洪水(GLOF)が起こっている.この地域のGLOFは数か月~数年内に出現・急拡大し,出水する短命氷河湖タイプであり,衛星画像によるモニタリングで氷河湖の出現を把握するのが極めて難しい.2008年7月の西ズンダンGLOFでは,0.04km<sup>2</sup>の氷河湖がわずか2か月半で出現し,この氷河湖からの出水により,3人が亡くなり,下流の道路や家畜への甚大な被害がでた(Narama et al., 2010).また,同山脈では2013年8月にジェル・ウイ氷河湖,2014年7月にカラ・テケ氷河湖が2年連続で出水し,下流のジェル・ウイ村で被害が出ている.この出水した2つの氷河湖はキルギスタン緊急対策省のハザードレベルでそれぞれ低・未認定となっており(MES, 2013),ハザードレベルの評価が正しくおこなわれておらず,氷河湖への理解が十分であるとは言い難い.そこで本研究では,現地調査や衛星画像解析からテスケイ山脈北側斜面に分布する氷河湖の出水と被害の特徴を明らかにすることを目的とする.<br><b>2</b><b>.研究方法</b><br>&nbsp; 衛星画像(Landsat7/ETM+,ALOS/ PRISM AVNIR-2,Landsat8/OLI)を用いて氷河湖ポリゴンを作成し,氷河湖の分布を調べた.ALOS/PRISMとASTERのDEMによる地形解析から湖盆地形を抽出し,下流域の地形,侵食域と合わせリスク評価をおこなった.現地調査では高精度GPSによる氷河湖周辺の測量,地形観察,出水トンネル確認,堆積物調査を実施した.また,2つのGLOFとその被害の詳細を知るために地元住民から聞き取り調査を実施した.調査結果をまとめ最近のGLOFの堆積物,洪水タイプ,被害を比較し,この地域のGLOFの特徴について考察した.<br><b>3</b><b>.結果と考察</b><br>&nbsp; 衛星画像を用いた氷河湖の変動解析と現地調査の結果, 2013年8月15日に出水したジェル・ウイ氷河湖は約3か月間で面積0.031km<sup>2</sup>まで拡大・出水した.2014年7月17日に出水したカラ・テケ氷河湖は前年にわずか0.002km<sup>2</sup>の水たまりが3か月程度で0.024km<sup>2</sup>まで拡大・出水した.いずれも急拡大して出水した短命氷河湖であった.氷河前面には埋没氷を含むデブリ帯が広がっており,デブリ帯内部に発達したアイストンネルからの出水であった.2つのGLOFは土石流であるが,流れのタイプや堆積構造は大きく異なる.ジェル・ウイ氷河湖のGLOFは粘性が高く土砂を多く含んだ流れで,その堆積物は小さい粒径の岩屑を多く含むマトリックスサポートで無層理の堆積構造であった.一方,カラ・テケ氷河湖のGLOFは水分を多く含む粘性の低い流れで,堆積物は巨礫からなるクラストサポートで,無淘汰・無層理の堆積構造であった.聞き取り調査からも高密流の堆積構造をもつジェル・ウイ氷河湖のGLOFの方が遅い流れであったという証言が得られている.また,両者の下流域の地形の違いにより被害の程度に違いがみられた.ジェル・ウイ氷河湖のGLOFの場合,谷出口が扇状地であったため首振り運動による河道変化が発生し,扇状地上の農地,道路,灌漑用水路,橋などが広範囲で被害を受けた.一方,カラ・テケ氷河湖のGLOFの場合,谷出口は河谷地形であったため,GLOFは河道沿いに流れ,被害は川沿いの2つの橋にとどまった.<br>&nbsp; この地域で過去に生じたGLOFの洪水タイプと侵食長を指標として,現存する,今後出現する可能性を持つ氷河湖に対して,下流域の侵食長を計測し,各谷でGLOFが発生した場合のGLOFの洪水タイプを推定した結果,この地域ではMud floodタイプになる可能性の谷が少なくとも8つあることを確認した.
著者
田上 善夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

Ⅰ 風の祭祀の背景 風の祭祀には,それが行われる周辺の景観とのかかわりがみられる。また農山漁村における生業の違いや,風の局地性による地域ごとの風の違いからも,風の祭祀の地域的な特色が形成されると考えられる。ここではまず海,平,原,山などのような景観と,風の祭祀のかかわりの解明を試みる。Ⅱ 現在の風の祭祀の特色 「風祭」に代表される風の祭祀の名称は,北九州では風鎮祭,近畿では風願済祭や除風祭とよばれる。中部から東では一般に風祭とよばれるが,一部では風神祭や風鎮祭とよぶところがみられる。東北南部でも多くは風祭で,会津や朝日山麓など局地的に風神祭とよばれる。Ⅲ 主要な祭祀の祈願古くからみられる風の祭祀での祈願の一つに,海上安全がある。祭神の神功皇后に関して,壱岐北部で風待をしたときに名付けた風本,また爾自神社の東風石など,風にまつわる地が多い。壱岐郡に応神天皇を祀るのは18社,神功皇后は14社があるが,ただし風祭は少ない。さらに,天下泰平が祈願される。宇佐付近で風止祭などが行われるが,付近は半島や南九州に向かう地でもあった。そこでの放生会の蜷流しは,養老四(720)年に隼人との戦での霊を鎮めるためといわれる。風雨順調は祈願の一つである。祭りでは,鉾や,御柱,また鎌立てなどがみられる。農耕における順調が祈願される。越中八尾のおわら風の盆で,おわらは名のごとく原とのかかわりが認められ,さらに祭りの行われる地には水とのかかわりもみられる。Ⅳ 風の祭祀の地具体的な風祭は,北九州での名称にみられるように,風止め,風除け,風鎮めなどがあり,海での航行安全にかかわるとみられる。山では,風祭にかかわる行事として,風の神送り,風塞ぎ,通せん坊,風神などがみられる。原で行われる御射山祭では,天地の安寧が祈られる。なお風の祭祀の地には、アズミの名がみられることが多い。安曇氏の名は海人津見の転訛とされ,九州から近畿,東海,伊豆から,さらに山形に広がる。長野の安曇野も同様であるが、そこにはとくに風の祭祀が集中する。風の祭祀は全国的にみられるが、海や平と山や原などでの展開の間に、それらがかかわることが考えられる。
著者
小谷 真千代
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<b>1</b><b>.本報告の背景</b><b></b> <br> 「出稼ぎ」という現象は、これまで社会学・経済学を中心に、地理学を含む幅広い学問分野で研究の対象とされてきた。その共通理解としては、主として農村から都市への労働力移動であること、就労の一時性・農村への回帰性があげられよう。換言するならば、出稼ぎとは、都市と農村という関係性の中に捉えられてきた現象である。<br> しかしながら、1980年代以降、出稼ぎの基盤である都市と農村の関係は大きく変化した。ルフェ&minus;ヴルによれば、かつて自明であった都市と農村の境界はあいまいになり、今や田舎は「都市の<周辺>、その極限でしかない」(ルフェーヴル 1974: 21)。この都市化が惑星の隅々に至るまで進行する状況を、ルフェーヴルは「都市の惑星化 plan&eacute;tarisation de l&rsquo;urbain」と呼んだ(Lefebvre 1989)。都市の惑星化、あるいは「惑星的都市化planetary urbanization」は、新自由主義的な労働市場の再編とともに進行する(Merrifield 2014)。仕事を求めて都市へと向かう労働者の移動は、今やグローバルな規模で生じているが、その先には、もはや彼らが求めるような安定した仕事など残されていない。<br> こうした状況をふまえるのであれば、農村から都市への労働力移動を指す「出稼ぎ」という語は、消えゆくもののように思われる。しかしながら、実際のところ、この語は近年になって新たな意味を獲得し、日本とブラジルを行き来する日系ブラジル人たちによって今もなお生きられている。とすれば、日系ブラジル人労働者たちの経験に注目することで、変わりゆく現在の「出稼ぎ」という現象を捉えることができるのではないだろうか。 <br> &nbsp;<br> <b>2</b><b>.出稼ぎ・</b><b>decassegui</b><b>・デカセギ<br></b><b></b> 日本国内において、「出稼ぎ」が広く注目されるようになったのは、高度経済成長期のことであった。とりわけ1970年代には、出稼ぎ労働者の数がピークに達し、1971年に出稼ぎ労働者の全国的な組織である「全国出稼組合連合会」が結成されている。このような状況下で、「出稼ぎ」は社会問題として盛んに論じられ、地方新聞社やジャーナリストによるルポルタージュも相次いで出版された。ところが、1980年代以降、出稼ぎ労働者の数は減少し、それに伴って「出稼ぎ」という語が用いられる機会も減少する。<br> 一方、日本国内の出稼ぎの減少と反比例するかのように増加したのが、ブラジルから日本への労働力移動を指す「デカセギdecassegui」という語の使用であった。1980年代後半以降、ブラジルのハイパーインフレなどを背景に、多くの日系ブラジル人が仕事を求めて来日した。その際、日本語の「出稼ぎ」が、日本での就労を意味する語として用いられはじめたのである。日本での就労が日系コミュニティ内で一般化するにつれ、この語はポルトガル語化し、彼らの語彙に定着した。そして現在でも、日系ブラジル人は自らをデカセギと名指し、日本での労働の経験を語る。 <br><br> &nbsp; <b>3</b><b>.本報告の目的<br></b><b></b> 本報告では、近年の都市研究における惑星的都市化の議論を参照しつつ、日系ブラジル人労働者の語りを通じて、現在の「出稼ぎ」がどのように意味づけられているのかを明らかにする。そのうえで、出稼ぎをとりまく労働市場の変容から、惑星的都市化の内実を捉えてみたい。<br> なお、本報告は2016年7月から9月にかけてブラジルのサンパウロおよびポルトアレグレで実施した、日本への出稼ぎ経験者に対する聞き取り調査にもとづくものである。 &nbsp; <br><br> <b>参考文献</b> <br>ルフェーヴル, H. 著. 今井成美訳 1974. 『都市革命』晶文社. Lefebvre, H. 1970. <i>La r&eacute;volution urbaine.</i> Paris: Gallimard. <br> Lefebvre, H. 1989. Quand la ville se perd dans une m&eacute;tamorphose plan&eacute;tarie. In <i>Le monde diplomatique</i><i> </i>May. Translated by L. Corroyer, M. Potvin and N. Brenner, 2014. Dissolving city, planetary metamorphosis. In <i>Implosions/ explosions: Towards a study of planetary urbanization</i>, ed. N. Brenner, 566-571. Berlin: Jovis. <br> Merrifield, A. 2014. The right to the city and beyond: Notes on a Lefebvrian Reconceptualization. In <i>Implosions / explosions: towards a study of planetary urbanization</i>, ed. N. Brenner, 523-532. Berlin: Jovis.
著者
田中 誠也 磯田 弦 桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

本報告では,観光行動を分析する手段としてSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の1つであるツイッターの位置情報付きの投稿データを用いて,アニメ作品のロケ地またはその作品・作者と関連性があり,かつファンによってその価値が認められている場所(「アニメ聖地」)と認められている地点と,アニメファンが多く参加すると考えられるイベントに注目して,聖地巡礼者の①発地と②訪問先を分析し,観光行動研究への活用を検討する.
著者
福本 拓 蘭 哲郎 氏原 理恵子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100096, 2013 (Released:2014-03-14)

Ⅰ はじめに外国人人口の急減は,「多文化共生」施策の実現だけでなく,とりわけ人口減少の進む地方都市を考えた場合,持続的な地域発展という点でも問題といえる。その意味では,むしろ「定住」を政策目標とするような方向性が求められよう。そこで本発表では,特に就業形態の側面に着目し,「定住」を促進/阻害する要因について検討する。Ⅱ 飯田市の概況とアンケート調査の概要飯田市の外国人登録人口は2,313人(2012年6月末)で,総人口の2.3%を占める。同市は,「外国人集住都市会議」の参加自治体であるが,他市とは異なり「中国」籍の割合が高い(約48%)という特徴を有しており,「中国」籍の一定割合をいわゆる中国帰国者が占める。その他,機械工業での派遣労働に従事するブラジル人,女性の比率が8割を超えるフィリピン人(日本人の配偶者が多い)がこれに次ぐエスニック集団を構成している。 本研究では,住民基本台帳を元に,同市に在住する20歳以上の外国人全てを対象としたアンケート調査を実施した。郵送による配布・回収の結果,配布数1,727通に対し回収数477通(回収率27.6%)であった。このうち,分析対象は,特別永住者が多数を占める「韓国・朝鮮」を除く453通である。本研究では,「定住」の代用指標として,特に「現在よりも良い仕事が見つかった場合に他地域へ引っ越すか」という設問の回答に着目する。Ⅲ 調査結果の概要(1)飯田市来住の経緯:「飯田市へ来た理由」について尋ねたところ,「家族との同居」が60.0%,「本人・家族の仕事」が32.7%と前者の割合が高い。この違いは,特に国籍別に顕著に表れており,中国人・フィリピン人で前者が,ブラジル人では後者の割合が高くなっている。中国人の32.5%は「祖父母または父母に日本人がいる」と回答しており,「帰国」が重要な契機になっている。また,フィリピン人は,日本人との結婚の多さが大きく影響している。(2)就業形態:既存研究において,派遣労働の不安定さが度々指摘されてきた。飯田市で実施したヒアリングでは,短期(数ヶ月)の仕事に不定期に従事する者が一定数いるという情報を得た。実際,労働力人口に該当する334人のうち,1年を通じ1箇所で就業した者は180人(53.9%)と過半数程度にとどまる。パート・アルバイトを除いても,不安定な就業形態の者が多いといえる。(3)他地域への引っ越し意志との関連:こうした就業形態が,外国人の「定住」に及ぼす影響を把握するため,二項ロジスティック回帰分析を用いた統計解析を行った(従属変数は,4区分の回答を,「引っ越す(1)」「引っ越さない(0)」の2値に割り当て)。性別・年齢階層・滞日年数・子ども有無の各変数で統制したところ,就業形態のうち,「派遣労働」が5%水準で有意なカテゴリーとして析出された一方(その他,年齢(50代以上)が5%水準,子どもの有無が1%水準で有意),飯田市移住のきっかけは有意な変数とならなかった。この結果については,国籍(4区分)変数を加えてもほとんど変化が見られなかった。従って「派遣労働」形態は,移住のきっかけの影響を統制してもなお,外国人の「定住」にとってマイナス要因になっているといえる。Ⅳ まとめ 「定住」については,就業形態以外にも,コミュニティの形成や地域社会との関係,セーフティネット等の関連が予測される。就業形態の安定化はもちろん不可欠だが,今後の分析課題として,不安定な状況下で居住を継続可能にする諸要因の検討が求められる。
著者
森永 由紀 ヤダムジャブ プレブドルジ バーサンディ エルデネツェツェグ 高槻 成紀 石井 智美 尾崎 孝宏 篠田 雅人 ツェレンプレブ バトユン
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.128, 2014 (Released:2014-10-01)

モンゴル高原では数千年来遊牧が生業として営まれるが、そこには遊牧に関する様々な伝統知識があり、寒冷・乾燥フロンティアといえる厳しい自然条件の下での土地利用を支えてきたと考えられる。牧民の伝統的な食生活には、乳の豊な夏には乳製品が、寒い冬にはカロリーの高い肉製品が主に摂取されるという季節的特徴がある。乳製品の中でも代表的といわれる馬乳酒は、馬の生乳を発酵させて作られ、アルコール度が数%と低く、産地では幼児も含めて老若男女が毎日大量に飲む。夏場は食事をとらずに馬乳酒だけで過ごす人もいるほど貴重な栄養源で、多くの薬効も語られる。今も自家生産され続け、年中行事にも用いられる馬乳酒には重要な文化遺産としての意味もあるが、その伝統的製法は保存しないとすたれる危険があり、記録、検証することには高い意義がある。本研究では、名産地の馬乳酒製造者のゲルに滞在して、製造期間である夏に製造方法を記録し、関連する要素の観察、観測を行った。馬乳酒の質は原材料となる馬乳と、それを発酵させる技術(イースト、容器、温度管理など)で決まると考えられる。そこで①馬の飼養と搾乳、②馬乳の発酵方法を調査した。 調査の概要は以下のとおりである。調査地:モンゴル国北部ボルガン県、モゴッド郡にある遊牧民N氏(52歳)と妻U氏(51歳)のゲル 期間:2013年6月15日~9月22日観測項目:上記の①に対応し馬群およびその環境の観察・観測(GPSによる馬の移動観察、体重測定、牧地の植生調査、ゲル近傍および内部の気象観測)、搾乳の記録観察、②に対応し馬乳酒の成分調査、発酵方法の聞き取り、製造過程の撮影などを、モンゴル国立気象水文環境研究所の協力のもとで行った。馬乳酒の日々の搾乳量を記録した。N氏のゲルでは7月11日に開催されるナーダムという夏祭りに首都で売るために6月25日の開始後約2週間は精力的に製造に励み、約250リットルを販売した。その後一時製造のペースが下がったが、8月下旬から再び搾乳回数を増やして、秋には作った馬乳酒のうち約1トンを冬場の自家消費のために冷凍保存した。期間中の製造量は合計5.1トンだった。今後は、データ整理をすすめ、馬乳酒製造法とそれをとりまく環境の記録を残す。また、気象データの解析により、気象条件と馬の行動、搾乳量、馬乳酒の発酵(温度、pH,、アルコール度など)の関係の解析、および冬営地の気象条件の考察などを行い、馬乳酒製造と気候の関係を明らかにしていく。
著者
山内 啓之 小口 高 村山 祐司 久保田 光一 貞広 幸雄 奥貫 圭一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

これまでにGIS教育の充実のために、科学研究費を用いた複数のプロジェクトが行われ、基本となるコアカリキュラムと講義用教材が整備された。しかし、実習に関する検討は少なかった。GISを活用できる人材の育成には、大学の学部や大学院等における実習を通じた教育が重要である。<br> そこで、GISの実習用教材を開発し、公開するプロジェクトを平成27年度より開始した(科学研究費基盤研究A「GISの標準コアカリキュラムと知識体系を踏まえた実習用オープン教材の開発」、平成27~31年度、代表者:小口 高)。本プロジェクトでは、学部3~4年生の実習授業や自主学習を対象とした教材の開発と試験公開を行い、一般公開に向けて修正と改良を重ねてきた。本報は、これまでに整備してきた教材とその公開についてまとめたものである。<br> 今回整備した教材は、日本独自の地理情報科学の知識体系を教科書として編集した『地理情報科学 GISスタンダード』(浅見ほか編, 2015)の章構成に基づいている。GISの操作手法の解説には、無償のソフトウェアとデータを用いた。ソフトウェアは、様々な実習環境に対応できるQGISを主に用いた。QGISはバージョン更新が頻繁であるため、長期的にリリースされていた安定版のQGIS2.8を基本とした。しかし、リモートセンシング・データの解析、空間データベース、ネットワーク分析などの基礎的な内容や、空間統計学的な内容を含む教材においては、QGISのみでの対応が困難なため、GRASS GIS、PostGIS、CrimeStatなど複数のソフトウェアを組み合わせて使用した。<br> 教材で用いるデータは、国土数値情報やオープンデータなどとし、背景地図が必要な場合は、地理院タイルを利用した。以上のソフトウェアやデータを活用して、『地理情報科学GISスタンダード』の中で、実習の内容を含む6章~23章と26章に対応した教材を整備した。<br> 教材は、PowerPointファイルと記述が容易なMarkdownファイルでまとめ、GitHubにアップロードし、WEBで試験公開した。その後、編集や管理のしやすいGitHub上で、修正や改良を重ねた。GitHubでの公開は、Pull Request機能やIssue機能による低コストでの教材管理を目的としたものである。教材編集に一般利用者が参加できることから、ソフトウェアのバージョン更新に対応できるソーシャルコーディング的な教材運用も期待できる。 <br> 教材は、GitHubとGitBookを連携させ、閲覧しやすいWEBページで公開する。GitBookは、Markdownファイルの表示や閲覧に特化したサービスである。GitHubリポジトリのMarkdownファイルを読み込むことで、両リポジトリ間での双方向的な編集と表示が可能になる。また、簡易なコメント投稿機能や複数のファイル形式でのダウンロードなど、利用者に便利な機能が標準で用意されている。 <br> 教材には、クリエイティブコモンズに基づいて、CC BY-SA 4.0のライセンスを付与した。表記は &copy; GIS Open Educational Contents WG, CC BY-SA 4.0とした。これは、表示-継承の条件下において、幅広い用途での自由な利活用を認めることを意味する。<br> 本プロジェクトの成果は、大学等でのGIS実習や、学生や市民の自主学習に利用できるようにインターネットで一般公開する。今後は、公開した教材の運用とともに、一般利用者からPull Requestを受けつつ教材を更新していく仕組みの構築や、インターネットを活用したWEB GIS教材の整備等について検討する予定である。
著者
松尾 宏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.107, 2013 (Released:2013-09-04)

明治43年(2010)8月に利根川、荒川などで起った洪水は、関東地方では近代以降最大の被害をもたらしたものであった。しかしながら、その洪水の特色や地域の被災状況については、まとまって整理されたものがなく、水害地や洪水の特色など不明なところが多い。また、明治43年洪水では、近世以降利根川治水史上重要な役割をもっていた堤防である「中条堤」が大きな争論の焦点となり、この洪水を契機に治水計画が変更され変化をみせていった。この大きな災害の理解と社会問題となった明治43年洪水後の中条堤についての究明も研究はなされていない。その中条堤は現在でもその姿を残している。明治43年利根川洪水・水害の大きな要因は、この中条堤の決壊であることが言われてきた。 平成21年(2009)3月皇太子殿下は第5回世界水フォーラム(トルコイスタンブール)において、利根川治水と中条堤についてとりあげられ基調講演をなされた。その講演内容の一部に誤りがあり、資料を提供したと思われる機関、研究者の認識不足でもあり、これまで明治43年洪水と中条堤の歴史的社会問題の研究がなされてこなかったことの原因が指摘できる。本研究はその証明となる研究を含むものであり、中条堤の歴史およびこれまで研究が乏しかった明治43年利根川洪水と中条堤およびその関係、中条堤の変貌についての研究である。
著者
渡辺 満久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100072, 2013 (Released:2014-03-14)

現在、我々は、原子力施設周辺で多数の活断層が存在しているという事実、原子力関連施設の耐震安全性が不十分なまま放置されてきたこという事実に向き合っている。このような事態に陥ったことに関しては、地理学界にも大きな責任がある。 活断層の認定や活動度の評価においては、高度な地形学的見識が必要とされる。しかし、安全審査の場では、「水は高い所に向かっても流れる」と発言する「専門家」や、旧汀線高度異常などに気付かない「専門家」が活断層の評価を担当してきた。また、電力との密接な関係をもつ「専門家」が評価を牛耳ってきたことも問題である。 地形研究者は、上記した問題に対して具体的に提言することができたはずである。しかし、我々がこうした役割を果たしてきたとは到底いえない。問題に気づきつつも、「純粋な研究にこそ意義があり、社会的責任は負わない、負うべきではない」、「そんな議論は大人気ないことであり、相手にしないことだ」といった理由から沈黙を続けた研究者が多かった。原子力政策に係わることを避け、問題から目を反らしてきた研究者も多いと考えている。 能登半島地震、中越沖地震に続き、東北地方太平洋沖地震によって大きな事故が発生した。これらの事故が発生した原因の一つは、耐震性安全審査において地形学の研究成果(地形学そのもの)が蔑にされてきたことにある。これらに対して地形学からの発言が無かったため、活断層の活動性は著しく過小評価され、あるいは活断層の存在自体が無視されてきた。理学は実学ではないとする主張は、一面では理解できる。しかしながら、多くの国民が関心を抱く原子力の問題に対して沈黙すると、学問の存在意義自体が問われかねない。 2012年には原子力規制委員会が発足し、原子力施設の敷地内断層に関する外部有識者として、多くの変動地形研究者が学会から推薦された。有識者会合では積極的に意見が交わされているが、それ以外の場においても変動地形研究者は自らの役割を果たす必要がある。原子力発電所に関わる議論をタブー視してきた過去とは決別すべきである。 ところで、規制委員会での議論では敷地内の断層だけが重視され、問題が矮小化されている可能性が高い。本質的な問題は、どうしてそのような断層が存在しているのかということである。周辺の活断層の性状や敷地を含む空間に起こりうる現象を正確に把握してゆくことが最も重要である。 また最近、日本列島全体を大きく変形させた東北地方太平洋沖地震と津波の発生様式について、地震学的見解とは異なる、海底活断層との関係を重視した変動地形学的新知見が得られている。地震学的に定着した見解に対しても、地形学から積極的に問題提起をしてゆく必要がある。
著者
寄藤 晶子 天野 香緒理 岡崎 綾香
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100351, 2015 (Released:2015-04-13)

1.はじめに福岡県太宰府市にある太宰府天満宮は菅原道真を祀った神社であり、江戸時代から参拝の地として知られる。近年では、天神からの西鉄バス・電車が増便されたほか、中国からのクルーズ船観光がバスで移動する際のルートに組み込まれ、国内外から多くの観光客を集める。本研究では、こうした訪問者の変化に注目し、高度経済成長期以降の参道の土地利用の変化を、とくに店舗数や業種構成の変化とその背景を中心に明らかにする。 2.研究の方法「太宰府観光案内冊子」「ゼンリン住宅地図」「住宅案内図」をもとに、1973年・1982年・1992年・2014年の参道地図を作成した。また、太宰府観光案内所・参道各店舗で聞き取り調査と参与観察を行い、店舗数や業種の変化、業種転換の経緯などを明らかにした。 3.参道の店舗数・業種構成の変化店舗数は、1973年の52店舗から2014年の61店舗と9店舗増えた。背景には、土地面積の大きい店の分割や、民家の店舗化がある。業種構成をみると、飲食店の減少が目立つ。老舗の食堂では、実質的な食事の提供をやめ、梅が枝餅などの甘味のみの販売にシフトしていた。その背景には、後継者問題や経営者の高齢化により食事の提供が難しくなったことに加えて、観光客の滞在時間の短縮化傾向と、軽食を手に持っての「食べ歩き」行動の増加があるものとみられる。1973年に見られた民家、酒屋や新聞販売店、薬局などの生活品を扱う店舗はほとんど姿を消した。代わって土産・民芸店が目立ち、なかでもチェーン店の進出も顕著である。参道が地元住民の生活に密着していた場所としての意味合いを失い、「観光地」化していったといえる。その「観光地」化の内容も興味深い。1973年当時には、高級博多人形といった博多の民芸品を扱う店が複数あったが、現在では外国人観光客向けに「日本風」を強調した安価な手ぬぐいや扇子、お香などの和雑貨を多く取り扱うものへと変化した。学会当日は地図と合わせて示したい。
著者
佐藤 裕哉 佐藤 健一 原 憲行 布施 博之 冨田 哲治 原田 結花 大瀧 慈
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100085, 2016 (Released:2016-04-08)

原爆被爆による放射線の人体へのリスクは,直接被爆のみでは十分に説明できず,間接被爆も考慮に入れる必要性がある(冨田ほか 2012).間接被爆による健康影響に関する研究としては,広島原爆において入市日の差を取り上げたものがあり(大谷ほか 2012),8月6日から8日にかけての入市者は9日以降の入市者よりもガンによる死亡リスクが高いことが示されている.しかしながら,移動経路の長さや通過した場所は考慮されていない.これらの差異によって放射線曝露の状況と健康への影響は異なると考えられるため,地理学的な研究が必要とされる.そこで,佐藤ほか(2014)では地理情報システムを用いて入市被爆者の移動経路の解析を行った. 次の段階として,本研究では移動経路の差異に注目し広島原爆入市被爆者の放射線による影響の評価を行う.具体的には,総移動距離や移動経路のうち爆心地からの最短距離と死因との関係について分析する.<BR>入市被爆者のデータについては1973~74年に広島市・広島県が実施した「被爆者とその家族の調査」(家族調査)を用いた.この調査では入市被爆者へ移動経路などが質問されており,42,355人が回答している.この調査票から入市日と移動経路,入市した目的などについてデータ化した.次に,「米軍撮影空中写真(1945年7月25日撮影)」を用いて被爆当時の道路網のデータを作成した.また,「米軍撮影空中写真(1945年8月11日撮影)」や被爆証言や市史,新聞記事などを用いて通行不可地点(バリア)のデータを作成した.移動経路(経由地)は1945(昭和20)年の町丁目の重心座標とした.家族調査では,移動経路を当時の町名で記入するように求めているからである.これらのデータをもとにArcGIS Network Analystのネットワーク解析で各人の移動経路を描画し,総移動距離,移動経路のうち爆心地からの最短距離,を計算した.なお,最短距離の計算には,ArcGISの空間結合(Spatial Join)ツールを用いた.そして,その計算結果をもとに,広島大学原爆放射線医科学研究所が管理する「広島原爆被爆者データベース(ABS)」と照合し,各人の移動距離と死因について分析した.死因は「悪性新生物」,「その他」,「未記入」で3分類し分析した.白血病は,放射線障害の代表例であるが,1例のみであったため本研究では「その他」に含めた.<BR>被爆時年齢と総移動距離をみると,性差や年齢差はみられない.5歳以下で10km以上の移動をしているものがみられたが,これは親に背負われて移動したものと考えられる.アンケートの欄外にそのように記載しているものもいた. 被爆時年齢と爆心地からの最短距離をみても,性差,年齢差はみられない.半数以上が残留放射線のリスクが高いと考えられる爆心地から500m以内に立ち入っている.佐藤ほか(2014)で指摘したが,曝露状況に関する詳細な情報(爆心地の情報や残留放射線の情報)がなかったからだと推察される.なお,2km以上が1人みられるが,これは各経由地を最短距離で描画したことの弊害であろう. 総移動距離が長く,最短距離が近いほど悪性新生物が死因となっている場合が多い.特に,最短距離に着目してみると,爆心地から500m以内に多い傾向がみられる.ただし,正確な評価のためには,今後,データ数を増やし,入市者の被爆時年齢や追跡期間の長さ(到達年齢)との関係についての多変量解析を適用した定量的評価が必要であろう. 一方で,爆心地付近での滞在時間についても放射線の暴露状況を考える際には重要だが,データがないため分析できていない.また,入力されている地名が大雑把な場合は移動経路が正確にはならず移動距離の算出精度も落ちる,など問題点も多い.今後は,証言などを用いるなどデータを補いながら実相解明を目指して行くことが重要である.
著者
川野 敬
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.000012, 2003 (Released:2003-04-29)
参考文献数
1

1.研究目的 これまでの子どもの外遊びに関する研究では,子どもの知覚環境の発達や遊び時間・遊び仲間・遊び空間(遊び場所・地域性)の変化が注目されてきた.これによって,子どもの日常生活やその周辺環境に対する関心が高まり,子どもの外遊びを促進する提言や施策がなされるようになった.そのなかで,子どもを社会の一構成要員として改めて捉え直すことで,彼らが社会のなかでどのような立場や位置にあるのかを明らかにする研究が試みられるようになった.その結果,子どもの「遊び」自体についても新たな解釈が求められるようになった. 報告者は子どもの「遊び」のなかでも,特に「外遊び」のあり方に着目し,その地理的パターンを規定する要因の一つとして想定される保護者というファクターについて関心を払う.その理由として,直接的に子どもの行動価値基準の形成にとって,保護者は最も大きな影響を及ぼしうる存在であると考えられるためである.そこで本研究では,保護者が子どもの外遊びに与える影響とその要因を明らかにする.そのため子ども自身が得る直接的な経験がどのように保護者の行動価値基準とズレを生じてさせているかを明らかにする.2.研究方法 奈良市北部にある平城ニュータウン内の2小学校区3子ども会の児童と、保護者である親に対してアンケートを配布した.まず基礎情報として,遊び場所と境界線の認識や経験について略地図をもとに両者に回答を求めた.そして各々の場所に対する評価として,子どもは遊び場所についての印象を,親は遊び場所・境界線における子どもへの注意の程度とその理由を質問した.なお,遊び場所は2小学校区全体で10地点の都市公園を対象とし,境界線はニュータウン内と外縁部にある主要な幹線道路と鉄道線路を選定した.3.研究結果 校区内の遊び場所については子ども・親ともに居住地を中心に全体的に認識しており,親はほとんどの遊び場所における子どもの外遊びを許可している.つまり校区内では親は子どもの行動に応じた比較的緩やかでかつ柔軟な対応をしている.ただし,治安に問題があると見られる場所に対する親の関心は強く,居住地からの距離に関係なく,そのような場所での外遊びの禁止割合が高い.しかし,親が禁止している遊び場所のうち居住地から近いものでは,子どもの外遊びが発生している. 校区外の場所について子どもはあまり認識しておらず,学年が進んでも遊び場所の知識量は学区内に止まっていた.他方,親についても子どもほどではないが,校区の内と外での知識量の格差は大きかった.そこで親の評価を見ると「そもそも行かない」と「禁止」の2つの判断に別れる.しかしこれは両者とも,具体的な情報よりむしろ漠然とした印象や不安といった理由によることがアンケートで分かった.このことは校区外の遊び場所で遊ぶことを禁ずる割合が距離に比例して単純に高くなっていることからも分かる.つまり,親自身が校区外についての具体的な情報を持たず,それを子どもに提供できていないためだと考えられる.4.考察 以上から,子どもの外遊びに対する親の態度や状況は校区の内と外によって大きく異なっている.そしてこの校区という基準を親から与えられ子どもは活動していることが明らかになった.このことはValentine and Mckendrick(1997)が指摘したように,親の養育態度が子どもの外遊びに影響を与えることと一致した.ただ入居後10年程度のニュータウンにおいては,親の地域に対する情報量の少なさが子どもの外遊びを決定づける要因の一つとなっている.そのため、親の養育態度も校区という境界線によって質的に大きく異なることが判明した.
著者
関根 良平 佐々木 達 小田 隆史 増田 聡
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

報告者らは2013年1~2月に本報告と同じ福島県いわき市の市民を対象に食料品の購買行動と意識に関して調査を実施し、2013年日本地理学会秋季福島大会において佐々木(2013)として報告している。そこでは①野菜の購入先は食品スーパーが主流である。震災前後で購入先に大きな変化は見られない。②野菜を購入する際に重視されているのは産地、鮮度、価格の3要素である。風評と関連する放射性物質の検査はこれに続く結果となっており、原発事故以降に新たな判断材料として加わった。③購入産地は県外産にシフトしている。ただし、産地表示や検査結果を気にする反面、判断に用いる情報ソースは二次情報、三次情報である可能性も否定できない。④購買行動において国の基準値や検査結果に対して認知されているが,信頼度という点においては低い。野菜の購買基準は,「放射性物質の検査」と答える人も多いが,風評とは関連性のない「価格」を挙げる人が多い。しかし、「価格」要因は消費者サイドに起因するのではなく現在の小売主導の流通構システムから発生している可能性がある。といった諸点を指摘した。本報告は、こうした風評被害の特性と構造の変化、もしくはその「変容しにくさ」が働くメカニズムを解明したい。これは、事故より3年を経てもなお、汚染水や除染廃棄物問題が復興の足かせとなっている福島県では、調査研究においても一過性ではない継続的な視点が不可欠と考えるからである。
著者
由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>I</b><b> 郊外開発の進展と郊外研究</b> <br>高度経済成長期以降、大都市圏郊外地域で活発に開発された住宅団地を対象とした地理学研究は開発行為に対する研究から、居住者の変容などの研究へと比重を移している(福原;1998,由井;1998,中澤ほか;2008)。本発表では,開発時期の古い郊外住宅団地における高齢化とそれに付随したさまざまな問題が表出している今日において,住宅研究の観点から都市地理学研究を振り返り,その社会貢献について再検討したい。 <b><br>Ⅱ 衰退する郊外空間</b> <b><br>1.深刻化する高齢化</b> <br>郊外住宅は「住宅双六のあがり」となる「終の棲家」と考えられ,「人生の最初で最後の高額の買い物」となることが多い。郊外住宅地において供給された住宅は、30代から40代の夫婦と子どもからなる核家族向けの住宅が大部分であり,間取りもほぼ同様で等質的な入居者に偏り、隣近所が皆同じ世代というように等質性の高いコミュニティになりがちである。30年以上経過すると居住者は加齢して高齢者となり、子どもたちの独立によって急激に人口が減少し、高齢夫婦のみが住み続ける過疎地域のような人口ピラミッドとなっている(由井ほか,2014)。 <b><br>2.</b><b>空き家の発生</b> <br>大都市郊外の住宅団地では,中古住宅の需要もあるので不動産市場で郊外住宅の取引も多く,必ずしもすべてが空き家とはならない。しかし,地方都市の郊外住宅団地のなかには公共交通機関や生活利便施設への利便性が十分ではないものも数多くあり,中古住宅として売りに出されたとしても購入者がなかなか見つからなかったり,所有者自身が売れないと判断して放置しておくために長期間にわたって空き家となることが多い。 それ以上に,居住者の高齢化と子ども世代の転出によって,郊外第一世代の死去や高齢者介護施設への入院などを契機として,郊外住宅地において空き家が大量に発生している。 <br> <b>3.</b><b>デッドストックと負の不動産</b><br>住宅団地には、空き家や空き地が数多く分布している。大部分の空き地は、売れ残りによるものではなく、売却済みの土地であるにもかかわらず住宅が建築されなかったものである。その理由は、土地購入者が将来的にそこに住む予定であったが、定年退職した時にはそこへ移動してこなかった土地であったり、土地購入者が自分の子どものために土地を購入したものの、子どもの世帯が移動してこなかった場合であったり、最初から投機目的で購入した場合など、さまざまな理由で空き地として継続していた。これらの土地は流通されることもなく、今後の売却も極めて難しい状況にあり、いわばデッドストック状態の土地であるといえる。郊外住宅地の住宅や住宅・土地の不動産価格はほとんど上昇しておらず、むしろ大幅な値下がりとなっており、住宅の維持費や固定資産税を考えると所有するだけでそのコストが販売価格を上回る「負の『不動産』」となっている。 <b><br>Ⅲ 郊外活性化への取り組み</b> <br>高齢化が進行する郊外住宅地において、空き家対策や住宅団地の活性化として住民やNPOによるさまざまな取り組みが行われており、広島県では、行政や関係団体と協力し、公有地や空き家情報、定住促進事業を紹介する「空き家バンク」(http://akiya-bank.fudohsan.jp/)が2014年11月に設置され、空き家解消のための住宅流通の活性化が図られている。 郊外地域の活性化について,都市地理学としては都市計画や都市政策の問題を指摘するとともに,地理学の社会貢献として関与できることが望まれる。
著者
佐野 浩彬 田口 仁 花島 誠人 伊勢 正 佐藤 良太 高橋 拓也 池田 真幸 鈴木 比奈子 李 泰榮 臼田 裕一郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>報告の背景と目的</b> <br>2016年4月14日21時26分に発生した震度7の地震(Mj6.5)と,4月16日1時35分に発生した地震(Mj7.3)およびそれ以降に続く余震(2016年熊本地震)に対して,防災科学技術研究所(防災科研)では災害対応の一環として,地図情報の作成・集約・共有による情報支援を実施した.防災科研が独自に行っている地震や液状化,降雨,火山,土砂災害などの観測・予測データや,熊本県庁から提供された道路規制情報や避難所情報,通水復旧のインフラ情報などをWeb-GISに統合し,俯瞰的な被害状況を把握できる仕組みを構築した.各種情報が集約された地図は,防災科研が構築した熊本地震のクライシスレスポンスサイト(http://ecom-plat.jp/nied-cr/index.php?gid=10153)において公開したほか,避難所情報などの公開が難しい一部の情報については,熊本地震災害対応にあたる特定機関向け地図を構築して提供した. 本報告では,熊本地震における地図情報の作成・集約・共有における災害対応支援のなかで,熊本県庁をはじめとする各種機関が集約・発信する情報が,どのように地図情報として一つの地理空間情報基盤上に整理されたのかについて報告する. <b><br>熊本地震における地図情報支援</b> <br>4月14日に発生した震度7の地震を受けて,防災科研では地震による被害状況把握ならびに情報集約のためのWeb-GISを構築した.当初は防災科研が観測した震度分布や推定全壊棟数分布のデータをWeb-GISに統合した.また,地震発生翌日の4月15日には,熊本県庁に防災科研研究員が派遣され,熊本県や中央省庁などと連携し,各機関から提供される災害情報を,構築したWeb-GIS上に統合した.直接Web-GIS上に取り込める形で提供された情報には,国土地理院の「被災後空中写真」やITSジャパンの「通れた道マップ」,地震推進本部の「活断層図」などが挙げられる.また,熊本県庁から提供された道路被害情報や避難所情報などはテキスト形式やExcelで整理されたもの,独自の地図で描画されたものなど,Web-GISに直接地図情報として取り込むことができなかったものもあり,それらは住所情報などを頼りにして位置情報を付与することでWeb-GIS上に統合した.各機関から集約・整備したデータは約45種類,データ数として424を数える(6月27日時点).Web-GIS上で集約されたデータは,利用者がニーズに応じて必要な情報を適宜選択して表示することができる.例えば,通水復旧状況のレイヤと避難所情報のレイヤを組み合わせることで,給水支援が必要な避難所を分析できたり,避難所と推定全壊棟数分布,道路規制情報の3レイヤを重ね合わせることで,生活支援が必要な地域と,支援に向かうためにたどり着くための最適ルートを事前に検討することが可能となる. <b><br>地図情報作成・集約・共有における課題</b> <br>被害情報をWeb-GIS上に統合することで、災害対応支援への活用が可能となるが、情報の統合化においては様々な課題が明らかとなった。例えば、避難所情報については国土交通省があらかじめ国土数値情報のなかで整備している避難所情報もあれば、DMATが独自に収集し整理している広域災害救急医療情報システム(EMIS)の避難所情報、また熊本県庁で集約されたものや熊本市で集約されたものなど、災害発生直後に各種機関が独自に情報収集を始めてしまったため、一つの情報として集約することが困難な状態だった。また、避難所情報の統合にあたっては、各機関が整理する情報の避難所名称に差異があったり、本来は指定されていない避難所が開設されているなど、単純な統合化・集約化が難しいという課題があった。こうした各種機関が独自に情報を収集、集約すると、その後の情報統合化が難しくなるため、あらかじめ共有情報の標準化(COP,Common Operational Picture)を検討しておくことが重要となる。今後の課題としては、地図情報の作成・集約・共有における自動化や高度化、災害情報におけるCOP実現に向けた検討が挙げられる。 &nbsp; <br> <b>謝辞:</b>本報告の一部には、総合科学技術・イノベーション会議のSIP(先着的イノベーション創造プログラム)「レジリエントな防災・減災機能の強化」(管理法人:科学技術振興機構)の予算を活用した。
著者
福岡 義隆 丸本 美紀
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

1.はじめに<br> 日本では福井(1933),関口(1959)の区分をはじめ,鈴木(1962)や吉野(1980)らによる種々の気候区分図が考案されているが,各種の気候図にみる瀬戸内気候の範囲は微妙に異なっている。瀬戸内沿岸はGISによる環境容量図などでも特異な位置づけにある。しかし,瀬戸内気候についての定量的な評価はいまだされてない。本研究では福井英一郎(1966)による地中海気候発達度の計算法に倣って瀬戸内気候の発達度を算出することを試みた。一方,ローマやギリシャなどの高度な文明を生んだ地中海気候のように,奈良や京都の古代文明が瀬戸内気候のたまものかどうかを再認識するために,奈良と京都の瀬戸内気候度を求めることを試みた。局地気候災害的には旱魃の奈良の方が洪水の京都よりも瀬戸内気候度が高いと予想される(丸本,2014)が,そのことを確証付けてみたい。本研究の真の目的は福井気候学の哲学を再考・再興することにもある。<br>2.&nbsp; 研究方法<br> 福井英一郎編著『日本・世界の気候図』(1985)のうち,年平均散乱比図,年降水量図,年合計流出高図,郡別干害率図の4図における瀬戸内気候区の範囲(瀬戸内海沿岸線に平行に走る等値線など)を重ね合わせてみた。次に,『The Climate of Japan』(Ed.E. Fukui, 1977)に掲載されている気候区分図(関口武による図,1959,ソーンスウエイト法による気候区分図,1957)と対照させ,瀬戸内気候区の範囲を特定してみた。それらの定性的な分布をより定量的に評価するための福井(1966)の地中海発達度における三角関数を適応させてみた。瀬戸内沿岸では夏季の降水量に対して8月降水量がかなり少ないという特性から考えて,本研究では地中海気候発達度のtan&theta;を6-8月降水量R<sub>s</sub>に対する8月降水量R<sub>8</sub>の比で表わした。対象地域については,福井,岐阜,名古屋,津,和歌山,奈良,大阪,彦根,京都,神戸,岡山,広島,米子,松江,下関,高松,松山,徳島,高知,福岡,大分の21地点を選び,各地方気象台における各月降水量の1954~2014年平均値を使用した。m=瀬戸内気候度,&nbsp;<br> 3. 研究結果<br>関口の気候区分図では奈良盆地が瀬戸内気候区内,京都盆地は区外となっている。4つの気候要素の等値線は第2図のとおり瀬戸内気候区分内に収まっている。<br>&nbsp;瀬戸内海沿岸の主要都市の瀬戸内気候度mについては,値が大きい順に松山92.3,広島91.6,大阪・岡山・神戸・下関で90.0であった。奈良のmは87.3,京都は86.4であり,瀬戸内気候度は,奈良盆地が京都盆地よりも大きく,すなわち奈良の方がやや夏乾燥であることが示された。
著者
高橋 昂輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本発表の対象は,トロントのポルトガル人街である。当該地域の出現とその空間的移動,および質的変容の過程を明らかにすることが本発表の目的である。トロントにおけるポルトガル系移民の歴史は,1950年代以降に確認される。単身男性を中心とした初期のポルトガル系移民は,トロントに定着するとポルトガルから家族を呼び寄せた。これにより1960~70年代において,トロントのポルトガル系移民は急増する。同時期におけるポルトガル系移民急増の背景には,ポルトガル国内の政治情勢が大きく関係した。1930年代以降,ポルトガルではサラザールを中心とした独裁的政権体制が執られており,ポルトガル国民は貧困に窮していた。さらに,1961年アフリカ植民地において開戦された独立戦争は74年まで続き,ポルトガルの財政および国民生活を苦しめた。また,徴兵制度により,多くの若年男性は戦地に出兵することとなった。このようなポルトガル国内の政治的・社会的問題を背景とし,貧困からの脱出,サラザール政権への反発,出兵の回避を目的としてポルトガル人は国外への移住を選択した。1950年代および60年代において,ポルトガル系移民はケンジントンマーケットに集中して居住した。ケンジントンマーケットは,移民集団の最初の居住地として著名な地区であり,ポルトガル系移民の到着以前はユダヤ人,アイルランド人,イタリア人などが居住した。1960年代後半,ポルトガル系移民の居住地域は約2Km西方に位置するリトルポルトガル周辺に移動した。現在,同地区を中心とするトロント市中西部は,ポルトガル系人の集住地区である。リトルポルトガルは商業地区であり,ポルトガル系地区の核心部として位置づけられる。1960年代末以降,同地区にはポルトガル系経営者による商店が相次いで開業した。ポルトガル系人にとって居住,商業の中心地となったリトルポルトガルは,集団内外においてポルトガル人街として認識されていった。2003年において,トロント市からBIA(Business Improvement Area)の指定を受けると,同地区はリトルポルトガルと命名された。リトルポルトガルにおける経営者の過半数は,依然ポルトガル系人である。これらの商店では,従業員としてポルトガル系人が雇用される。このことは,顧客の大半が英語を十分に解さない,ポルトガル系一世であることを示す。移住最盛期から約50年が経過した現在,一世は高齢化しており,トロントのポルトガル系コミュニティは二世または三世へと世代交代しつつある。リトルポルトガル周辺には一世が集中する一方,二世以降は郊外に居住域を拡げる。また,近年ポルトガル系経営者による商店は減少し,新たに発生した空き店舗には非ポルトガル経営者が出店している。先述したBIAは官民一体の地域経済活性化事業であり,地元経営者・土地所有者の参画が求められる。有志の経営者らはBIA委員会を組織し,月次会議において活動内容を策定する。2003年の指定以来,ポルトガル系二世の経営者Rが,BIA委員会の代表を務めてきた。しかし,2012年において代表は非ポルトガル系経営者Kに交代した。BIA委員会の人選は,地域の発展の方向を左右する重要事項である。近年における非ポルトガル系経営者の進出,および域内における権力の掌握は,リトルポルトガルの性格を変容させる要因として捉えられる。
著者
矢野 桂司 鎌田 遼
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

<br>&nbsp;本研究の目的は、国内外の図書館・博物館などが所蔵する日本で作製・出版された過去の地図・絵図などの古地図を、総合的・横断的にインターネット上で検索、閲覧、分析することができる、オープンソースによるWebGISベースでのポータルサイト『Japan Old Maps Online(仮)』を構築し、ボランタリーなクラウドソーシングを活用しながら、伝統的な人文学の「蛸壺的な」研究スタイルを、学際的・国際的な協働でのプロジェクト型研究に革新することにある。<br>&nbsp;近年、人文学で扱う紙ベースの学術資料のデジタル化と、それらのによる公開が急速に進んでいる。日本においても、『国立国会図書館デジタルコレクション』がその代表で、国立国会図書館に所蔵されている多くの学術資料がデジタル化され、インターネット上に公開されている。その学術資料の中には、本研究が対象とする日本の地図・絵図などの古地図も含まれる。例えば、『国立国会図書館デジタルコレクション』には2,644件もの絵図が含まれている。この他、国土地理院の『古地図コレクション』(300件)をはじめ、東京都立図書館、国際日本文化センター、歴史民俗博物館、各大学図書館など多くの古地図を所蔵する機関が独自に公開を積極的に進めている。しかし、それらインターネット上に公開されたデジタル古地図を総合的・横断的に検索できる効果的なWebGISベースのポータルサイトは日本に存在していない。<br>&nbsp;2000年代中葉から、伝統的な人文学においても、ICTを活用して学術資料のアーカイブ構築、文化コンテンツの分析、学術成果の公開や展示の方法などを、文系・理系の連携・融合・統合によって複数の研究者によるプロジェクト型の研究スタイルをもつデジタル・ヒューマニティーズが展開している。その中で、地理空間情報を扱う歴史GISは、人文学の空間的ターンとしての地理人文学(GeoHumanities)あるいは空間人文学(Spatial Humanities)などの人文学の新しい学問分野の形成において中心的な役割を果たしている。日本における歴史GIS、ひいては伝統的な人文学を、学際的・国際的な協働による新たなプロジェクト型の研究スタイルに飛躍的に展開させるためにも、その基礎資料となる日本の古地図を総合的に・横断的に検索し、さらにGIS分析を可能とするポータルサイトの構築が急務である。 <br>&nbsp;本研究が目標とする国内外に散在する日本の古地図のポータルサイトを構築するためには、大きく、1)ポータルサイトそのものを構築し運営するための基盤づくり(オープンソースによるシステム開発)と、2)そのポータルサイトに取り込む日本の古地図の情報収集(各機関が所蔵する地図目録とメタデータ、デジタル化、さらには権利関係の処理など)が必要となる。 まず、ポータルサイトのシステム開発に関しては、全てを新たに独自開発するのではなく、Harvard大学空間解析センター(CGA)のWorldMapを拡張したHarvard HypermapやMapWarperなどのオープンソースソフトウェアと、古地図を共有するための既存のプラットフォームであるOld Maps Online(OMO)などのコンテンツを活用し、日本の古地図に特化した多言語対応型のポータルサイトを構築する。 <br>&nbsp;本研究が対象とする日本の古地図は、基本的に、日本で作製され、日本を描いた紙地図である。時代的には、近世以前と近代のものを順に整備するが、最終的には、現在のボーンデジタルなものをも含めて運用できるものとする。<br>&nbsp;前述したOMOには、すでに多くの地図が登録されているが、日本の古地図は必ずしも多くない。さらに、OMOに地図画像を提供している機関のすべての地図がデジタル化され、公開されているわけでもない。例えば、OMOに参加している大英博物館には約600件の日本の古地図があるが、それらは未だデジタル化されていないし、Harvard大学図書館が所蔵する122の日本の古地図のうちデジタル化され公開されているものは現時点で25件に過ぎない。また、UCB東アジア図書館が所蔵する三井コレクションの中には江戸時代から明治にかけての日本の古地図2,200件余りが含まれているが、デジタル化が完了しているものは800件で、今後、残りのデジタル化が必要である。ポータルサイトの構築の過程には、図書館・博物館の地図部門のキュレータと古地図を対象あるいは活用する研究者、そしてそれらをICT技術でつなぐ3者の協働でのプロジェクト型研究が必須で、このような国際的・学際的な協働は、伝統的な人文学を革新する原動力となる。
著者
今村 友則
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2017, 2017

1. はじめに 多雪山地の自然斜面には,積雪グライドや雪崩などの雪食作用で植生が剥ぎ取られた裸地が存在する。本稿では,これらの裸地を雪食裸地と呼ぶ。雪食裸地は,多雪山地の景観を特徴づけるだけでなく,斜面侵食の影響評価を行う上でも重要である。雪食裸地の侵食プロセスについては,土砂災害防止や森林保全を目的に研究が行われてきた。侵食量を定量化する方法として,雪崩堆積物や流出水に含まれる土砂量を測定するのが一般的であるが,侵食量の直接的な算出は困難であった。本研究では,三国山脈平標山の雪食裸地について,SfMを用いて作成したDSMの標高変化値を調査し,雪食裸地に働く夏季の侵食プロセスを考察する。 2. 調査地域と研究方法 調査地域は,上越県境に位置する三国山脈平標山 (1983.3 m) の南西斜面である。対象とした雪食裸地は,地表面の粒度組成や傾斜が異なる4つの裸地 (A1, A2, B1, B2) であり,2016年の夏季に2~4回の調査を行った。 調査には,多数のステレオペア写真から被写体の3次元構造を復元するSfM (Structure from Motion) という方法を用いた。自撮り棒を用いて裸地を多方向から撮影し,高解像度DSM (Digital Surface Model) を作成した。この方法での,実際の地形とDSMの標高誤差は1 cm未満である。異なる撮影日から得たDSM同士の差分をとり,裸地の標高変化値とした。解析結果を,裸地に設置した定点カメラデータや,付近の気象データ等と比較し,雪食裸地の夏季における侵食量と,その要因について考察した。 3. 裸地A1の標高変化 裸地A1 (7月, 8月, 9月, 10月に撮影) は,全体が茶褐色の風化土層に覆われ,3~10 cmほどの亜角礫が散在する。裸地上部の傾斜は20 &deg;以上,下部は10 &deg;未満で,明瞭な傾斜変化がある。差分解析の結果,7~8月にかけて,裸地上部で2~3 cmの侵食,下部で2.5~3.5 cmの堆積が生じていた。侵食域と堆積域は,傾 斜20&deg;の線で区分される。一方,8~9月,9~10月の差分値は1 cm未満であった。山麓の新潟県湯沢町 (340 m) では,7月28日に日最大1時間降水量42.5 mmが記録されていた。定点カメラには,7月28日前後で,礫に被さっていた土壌が削り取られる様子が確認された。また,Google Earthによる2010年と2015年の空中写真を比較すると,裸地面積が2倍以上に拡大していた。 4. 裸地A2, B1, B2の標高変化 裸地A2 (6月, 10月) は,風化土層の上を3~15 cmの亜角礫が覆い,傾斜25 &deg;以上の直線型斜面を呈す。差分解析の結果,1 cm以上の侵食・堆積は見られず,礫移動による3~10 cmの断片的な標高変化が多数確認された。また,Google Earthの2010年と2015年の空中写真を比較すると,裸地面積が縮小していた。 B1 (7月, 8月, 10月) ,B2 (6月,10月) は,全体が5~20 cmの亜角礫で密に覆われる。B1は傾斜30 &deg;以上の直線型斜面である。B2は裸地上部の傾斜が25 &deg;以上,下部が5 &deg;未満であり,明瞭な遷緩線が見られる。差分解析の結果,B1, B2とも1 cm以上の侵食・堆積は見られず,礫移動による断片的な標高変化も数地点で確認されるに過ぎなかった。 5. 考察 以上の結果より,雪食裸地は夏季において,主に短時間豪雨による雨水ウォッシュで侵食されるが,その量は,地表面の粒度組成と傾斜に規定されると考えられる。裸地A1のように,雨水で削られやすい風化土層に覆われている場合,急斜面での土壌侵食と緩斜面での土砂堆積が行われ,裸地面積は拡大傾向にある。一方,裸地B1, B2のように,地表面が礫で密に覆われる場合,雨水で削られにくいため,わずかに生じる礫移動以外では,ほとんど地形変化が起きない。裸地A2では,風化土層に覆われているものの,雨水ウォッシュによる侵食は見られず,裸地面積は縮小傾向である。この要因については,礫の被覆割合や,裸地発生後の経過時間が関係すると考えられるが,現時点では不明である。