著者
宗近 功 田中 洋之 田中 美希子 川本 芳
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.25, pp.60, 2009

[目的]絶滅危惧種であるクロキツネザル(<i>Eulemur macaco macaco</i>)において,その飼育個体群を対象に,父子判定を含む遺伝的管理を実施するためにマイクロサテライトDNAの多型調査を行っている。前回の日本霊長類学会第24回大会にて,近縁他種で開発されたマイクロサテライトDNAのうち,10遺伝子座が対象の個体群で多型的であることを報告した。本研究では,これらのマイクロサテライトDNAを用いて親子判定を行い,その結果,飼育群の血縁構造に関して興味深い知見を見いだしたので報告する。<br>[方法]対象としたのは(財)進化生物学研究所で飼育している群れで,父親候補3頭,母親3頭,その間の子供5頭および血縁の無い成体オス1頭が含まれる計12頭である。分析には,多型が認められた10遺伝子座(<i>Efr09</i>, <i>Efr30</i>, <i>Em2</i>, <i>Em4</i>, <i>Em5</i>, <i>Em9</i>, <i>Lc1</i>, <i>Lc7</i>, <i>47HDZ268</i>)を用いた。マイクロサテライトの遺伝子型を比較し,父子関係および母子関係を明らかにし,当研究所の飼育管理記録と比較した。<br>[結果]マイクロサテライトの遺伝子型から,5頭全ての子供の父親を解明する事が出来た。また,母子関係についても確認したところ,子供をもつ成体メス2頭は,それぞれ異なる父親の子供を産んでいた事が判明した。一方,我々の記録の上で母親としていた個体がマイクロサテライト分析から否定される結果が得られた。<br>[考察]今回,飼育記録上の母親と子供の組み合わせに誤りがあったことが指摘された。その2例とは,出産日が互いに近い2頭の子供とその母親を取り違えて記録していたことである。最初は単なるミスと考えてられたが,クロキツネザルの子供は生後1週間を過ぎると群れ内の個体とよく遊ぶことや,メス間で子供を奪い合うことも観察されているため,飼育下のクロキツネザルにおいてswappingによる子育てが起きている可能性もあると考えられた。その後,群れ内で闘争が起こり,メス3頭のグループが1頭の繁殖可能なメスを攻撃し,死に至らしめた。マイクロサテライトの分析から,死亡したメスは実の子を含むメスグループから攻撃を受けた事が判明した。また,例数が少ないので断定は出来ないが,群内の繁殖可能なメス2頭から生まれる子供の父親が毎年変わっていることから,クロキツネザルの繁殖は「雑婚」の形態を取っている可能性が考えられた。
著者
宗近 功 田中 洋之 田中 美希子 川本 芳
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.24, pp.62, 2008

[目的] 霊長類はワシントン条約や防疫上の問題から輸入が厳しく規制され、新しい系統の入手が難しくなっている。マダガスカルに生息するキツネザル類も同様で、国内の動物園・研究機関は、現存の群を維持してゆくほかない。本研究は、絶滅危惧種であるクロキツネザル(<i>Eulemur macaco macaco</i>)において、繁殖群の遺伝的管理法確立の為の基礎情報を得る目的で、マイクロサテライトDNAの分子標識の開発と父子判定を行った。<br>[方法] クロキツネザル(<i>Eulemur m. macaco</i>)を対象とし、父親候補3頭、母親3頭、その間の子供5頭および血縁の無い成体♂1頭が含まれる計12頭である。マイクロサテライト遺伝子座は近縁種において報告されている15種類(<i>Eulemur fulvus</i> 用5座位、<i>E. mongoza</i>用7座位、<i>Lemur catta</i>用2座位、<i>Propithecus verreauxi</i>用1座位) を用いてPCR増幅を試みた。<br>[結果]調査したプライマー15種類中14種類が増幅し、1種類(Em1座)は増幅しなかった。増幅した14種類中4種類(Efr04座、Efr26座、Efr56座、Em11座)では変異が認められず、変異が確認されたのは残りの10種類であった(Lc1座、Lc7座、47HDZ268座、Em2座、Em4座、Em5座、Em7座、Em9座、Efr09座、Efr30座)。変異の見られたマイクロサテライト遺伝子座の遺伝子型から、5頭全ての子供の父親を解明する事が出来た。<br>[考察]近縁種のプライマー15を使い10遺伝子座位がクロキツネザル(<i>Eulemur m. macaco</i>)の父子判定に使用可能であることが判明したのでこれらのマイクロサテライト遺伝子座を使用して父子判定を行い、血統登録を行うとともに遺伝的管理の精度を上げることが可能と考えられる。
著者
井上 英治 井上-村山 美穂 高崎 浩幸 西田 利貞
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.25, pp.50, 2009

チンパンジーの第1位オスは,在位期間に受胎した3割以上の子供の父性を確保していることが多くの調査地で知られている。タンザニア,マハレ山塊国立公園の第1位オスの在位期間は平均5年強であるが,M集団のNTは,1979-91年,1992-95年の計15年間第1位オスであった。在位期間が長いと残した子供の総数も多いと考えられる。そこで,NTの繁殖成功を解明するため,父子判定を行なった。1995年以前に採取されたNTを含む21頭のワッジおよび毛からDNA抽出を行ない,マイクロサテライト8領域の遺伝子型を決定した。すでにM集団で1999年以降に採取された試料をもとに決定していた54頭の遺伝子型と合わせ,1981-96年に生まれた15頭の父子判定を行なった。このうち,NTの子供は1頭のみであり,他の14頭の父親であることは否定された。同集団で1999-2005年に生まれた子供の父子判定では,第1位オスが45%の子供の父親であったので,第1位オスの繁殖成功が低いことはこの集団の特徴とは言えない。NTの繁殖成功が低かった理由として,2つの可能性が考えられる。1つは,NTが第1位であるときM集団の個体数が90頭前後と多く,発情するメスの数およびライバルとなるオスの数が多かったために,交尾を独占できなかったと考えられる。もう1つは,NTは推定24歳で第1位になり,1981年ですでに26歳になっていたことである。他集団において,20歳以下の繁殖成功が高いことが知られているため,年齢が影響したことも考えられる。過去に保存していた貴重な試料を解析することにより,長期間第1位であったオスが在位期間中に多くの子供を残していなかったことが示された。
著者
丸橋 珠樹 岡崎 祥子 小川 秀司 Nilpaung Warayut 浜田 穣 Malaivijitnond Suchinda
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.28, 2012

2007年12月5日から2008年2月10日までの乾季66日間、158時間の観察時間のデータから、樹上活動時間割合は3%で、ほとんどすべての時間を地上で過ごし、移動は地上移動である。採食部位別時間構成は、果実50%、葉25%、種子24%である。昆虫食は頻繁にみられる。なお、石をひっくり返してカタツムリを採食しようとする行動がみられるが、実際に採食したのは観察158時間で4回に過ぎなかった。また、カエル(未同定)採食も1度観察され、内臓の一部を食べて遺棄した。<br> このような採食生態をもっているベニガオザルの、ウサギの捕獲、肉食が観察された。ウサギ捕食あるいは試みの3例の事例を報告する。2008年1月9日に、何か振り回して捨てていった所に近づいたところ、背中の皮を剥がれたウサギが残され、ウサギは飛び跳ねて森へ逃げていった(丸橋)。2011年10月14日、5歳雄のウサギ捕獲・肉食のVIDEO撮影に成功した(岡崎)。また、2011年12月29日にオトナ雌のウサギ肉食が観察され短時間のVIDEO撮影に成功した(小川)。<br> ベニガオザルのウサギ肉食行動観察の特徴として以下の点を指摘できる。1)肉食対象種はビルマノウサギ (<i>Lepus peguensis</i>) Blyth. 1855 (from Mammals of Thailand) である。2)ウサギが生きている状態で肉食が始まり、つまり捕獲し、その時点でウサギは断末魔の悲鳴を上げていた。3)ウサギの大部分、内臓も含めて消費され、観察時間内では、毛皮は食べられなかった。4)捕獲した個体がだけが継続して、移動しながら肉食し、最低7分半は継続していた。5)他個体の近接や近接個体の追随は見られるが、他の優位個体による奪取や残渣の拾い食いなどは見られなかった。議論では、同じ程度の大きさであるロリスとベニガオザルとの異種間行動についても報告し、反撃を行うロリス<i>Nycticebus coucang</i> (from Mammals of Thailand) では捕食にいたらなかった事例観察(丸橋)との比較を行う。<br> ベニガオザルにとって、ウサギ肉食行動は頻度が低い行動であると考えられ、群のなかで肉食経験のある個体は少なく、食物としての共有認識は低いと考えられ、その影響は個体間での競争や追随はほとんどみられなかったことにも現れている。
著者
田代 靖子 伊谷 原一 ボンゴリ リンゴモ 木村 大治
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.21, pp.67, 2005

コンゴ民主共和国ルオー学術保護区ワンバ地区におけるボノボの研究は、1996年から続いた内戦後、2002年に再開された。内戦の前後でワンバにおけるボノボの生息状況に変化が生じたか、またもし変化したならその原因は何かを明らかにすることを目的として調査をおこなった。<br> 2005年1月から2月(約40日間)ワンバにおいて現地調査をおこなった。内戦前にワンバ地区に生息していた6集団の生息状況を調べるとともに、森林における人間活動について資料を収集した。また、ランドサットデータを用いて、内戦前後の二次林の分布を比較した。その結果、以下のようなことが明らかになった。(1)主な調査対象集団であるE1群は依然村に近いところを遊動しているが、個体数は変化していないのにも関わらずその遊動域が拡大し、過去に利用しなかった場所も利用している。(2)E2集団、P集団は遊動域を大きく変え、ワンバ地区とは異なる地域を主な遊動域としている。(3)他のB, K, Sといった3集団の生息状況は不明。(4)多くの一次林が伐採されて畑になっている。<br> 1973年の調査開始時から内戦開始前まで、各集団の遊動域が大きく変化することはなかったことを考えると、内戦による人為的な影響によってボノボの遊動域が大きく変化した可能性が高い。銃や罠を用いた密猟という直接的な影響以外にも、戦争中村人の多くが森に逃げ込んで生活したことや、戦後の貧困から一次林を伐採した焼畑が急速に拡大したことなどによる植生の変化が、ボノボの生息数を減少させ、各集団の遊動域に影響を与えたと考えられる。ワンバの村人はボノボを食べないが、他の地域からの密猟者の侵入という直接的影響に加え、生息環境の変化という間接的な影響によって、ボノボの生息数が急激に減少していることが予想される。コンゴ民主共和国全体のボノボの詳しい生息状況は不明だが、かなり危機的な状況にあると考えられる。
著者
藤野 健
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.23, pp.117, 2007

【はじめに】立位を安定的に取り得る哺乳類が知られるが、殆どは極く短時間を除き自発的な歩行はしない。ヒトの祖先が如何に二足歩行を開始したのか、どの様なlocomotor habitat 或いはpositional behavior がその前適応として必要だったのかを考察する場では、この様な「立つ」と「歩く」の違いは何か、そしてこの違いをもたらす形態・機能的要因は何かを解明する事は有意義と考えられるが、この視点での研究は進んでいない。今回、シロテテナガザル及びレッサーパンダの動作をビデオ撮影し、骨格形状と併せ、ヒトの二足歩行能獲得に関するブラキエーション仮説を再検討したので報告する。<br>【材料と方法】高知県下の或る動物園にて2種をハイビジョン撮影し、レッサーの立位及び懸垂動作についてはTV放映された映像を参考にした。また2種の全身骨格像を参考にした。<br>【結果】テナガザルは活発なブラキエーション(腕渡り)の合間、時々地面に降り立って二足歩行を行う。ロープ渡りでは、姿勢を立てて前肢を交互に進めて上のロープをたぐり、後肢で二足歩行をして下のロープを渡る。一方レッサーは滑らかな動作で木登りを頻繁に行い、自発的に立位を取るが歩かない。懸垂(静的ぶら下がり)も行い、前肢の伸展度は高いが腕渡りは観察されない。<br>【考察】2つの動物の樹上並びに平坦地での動作性状の比較から、腕渡りvs.懸垂姿勢、二足歩行vs. 静止立位なる対位的、動静の組み合わせで1つの理解が可能である。この対比概念と骨格像の比較から、ヒト型 bipedalism がそもそも「前肢の歩行」であるまさに腕渡りに同期しての「下半身」の運動様式に由来することが強く示唆され、腕渡りに伴う胸郭並びに骨盤の、他に類例のない、体長軸周囲に関する左右交互の回転運動、並びに胸郭と骨盤の横幅の拡大こそがヒト型「歩く」の前適応条件であると考えた。
著者
井上 英治 河村 正二
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.34, pp.12, 2018

<p>日時:2018年7月15日(日) 13:30-16:30<br>場所:1号館地下1階1002教室<br><br>霊長類学はチンパンジーなどを対象にした野外での生態学的研究と実験室での認知能力研究が著名である一方で,遺伝子,発生,疾患モデル,進化などをテーマにした研究も長い歴史がある。従来これらの様々な領域の融合研究は試みられ続けているものの,実質的な成果を上げるのは困難であった。しかし,この状況が大きく変わろうとしている。大規模並列塩基配列決定(次世代シーケンス)技術による全ゲノム配列決定や誘導多能性幹細胞(iPS細胞)化と分化誘導の開発などの近年の目を見張るような技術革新は,大きなうねりとなって霊長類のゲノム,発生,生態,そして進化の研究を繋ぎ,変革している。<br>本シンポジウムは,このムーブメントを広く市民に伝えることを目的として,最新のゲノム・細胞研究テクノロジーを用いた,腸内細菌,採食生態,種分化,医科学発生モデル,脳の進化といった幅広い研究を高校生でもわかるように紹介する。<br><br>講演プログラム<br>司会 河村正二(東京大学・大学院新領域創成科学研究科)<br>13:30-13:35 趣旨説明<br>13:35-14:00 「先端技術とフィールド調査―面白い研究ってなんだろう?―」<br>松田 一希 (中部大学・創発学術院)<br>14:00-14:25 「霊長類の味覚―味覚に関わる遺伝子とその多様性―」<br>今井 啓雄 (京都大学・霊長類研究所)<br>14:25-14:50 「ゲノム解析が明かす種分化の謎―スラウェシ島のマカクの種分化と二次的接触―」<br>寺井 洋平 (総合研究大学院大学・先導科学研究科)<br>14:50-15:00 休憩<br>15:00-15:25 「最新医科学に貢献する霊長類―霊長類だから知り得たこと―」<br>中村 紳一朗 (滋賀医科大学・動物生命科学研究センター)<br>15:25-15:50 「ゲノムを通して我が身を知る―ヒトとサルの間にあるもの―」<br>郷 康広 (自然科学研究機構・生理学研究所)<br>15:50-16:00 休憩<br>16:00-16:30 パネルディスカッション<br><br>企画:井上英治(東邦大学・理学部),河村正二(東京大学・大学院新領域創成科学研究科)</p>
著者
大久保 直美 近藤 紫 平川 歩
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.34, pp.79, 2018

<p>一部の霊長類では,他個体の生んだアカンボウに接触する行動(infant handling: 以下IH)がみられる。私たちはボリビアリスザルのアカンボウの成長にともなう他個体との関わりの変化,特にIHについて明らかにするため本研究を行った。公益財団法人日本モンキーセンター内「リスザルの島」は広さ1500m2,シイ・カシ類などの常緑高木の森で,ボリビアリスザル(2018年5月現在16頭)が放飼されている。4家系あり,石垣島から来園した20才を超える個体から0才までさまざまな年齢の個体がいる。0才の個体,ハス(2016/7/18出生),オルガ(2017/6/16出生)について個体追跡を行い,接触個体,50cm以内の近接個体,授乳を連続記録,島内の位置(2m格子)を1分毎に記録した(10日間,計340分)。結果,アカンボウが乗っている個体は母から2~5才の個体へ移行していくこと,IHは家系に関わらず行うことがわかった。また,複数の0才個体がいる状況での他個体との関わりを明らかにするため,2017年生まれの3頭目が生まれた秋にハミル(2017/9/6出生)の個体追跡を行った(生後60日目,2017/11/5,計49分間)。結果,近接個体はハニワ(2017/8/13出生)が最も多く[観察時間の42.9%],ハニワとの近接時はハミルもハニワも他個体に乗っていなかったため,自発的に近接したと考えられる。乗っている個体はハロが最多であった[1分毎記録で16/49,他はハル・オメガ各1/49]。ハロはハス生後71日目の調査,オルガ生後59日目の調査でも最多だった個体である。ハロは2014年出生♂,ハミルと兄弟,ハス・ハニワといとこ,オルガとは別家系である。そこで,ハロの社会関係(成長したアカンボウやその母との関係)を明らかにするためハロの個体追跡調査を行っている(2018/5/3~)。5/6の調査の結果は,さまざまな個体と近接し,特に関係の多い個体はなかった。本研究はJST中高生の科学研究実践活動推進プログラム(~2017年度)の支援を受けた。</p>
著者
桜木 敬子
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.32, pp.52, 2016

<p>母親以外の個体がアカンボウの世話をすることを、アロマザリング(allomothering)と呼ぶ。霊長類の中にも、アロマザリングを行う種は多く存在する。アロマザリングは多くの場合、父親、叔母、兄・姉等の、血縁個体によって行われる。すなわち、アロマザリングの進化においては、血縁選択が大きな役割を果たしたと考えられる。アロマザリングの程度や量は種ごとに大きく異なるが、チンパンジー(<i>Pan troglodytes</i>)は、あまりアロマザリングを行わない種である(Nishida, 1983)。チンパンジーは複雄複雌の集団を形成し、メスが集団を移籍する。メスは移籍先の集団で子を産むので、血縁個体としてアカンボウの世話を手伝うことができるのは、一般に子の父親、(いれば)兄・姉に限られる。ただ、チンパンジーは乱婚制であるから、父親が実子を認知することは容易ではないと考えられる。したがって、チンパンジーにおいて、血縁個体による投資としてのアロマザリングがあまり見られないことは、不思議なことではない。とはいえ、機会さえあれば、アカンボウが非母親個体と関わる場面は少なくない。前述の先行研究では、アカンボウと非母親とのほぼすべての相互交渉がアロマザリングに含まれている。しかし、実際、どのような行動および交渉が、チンパンジーにおけるアロマザリング、すなわち「母親以外の個体による、アカンボウの世話」と呼ばれるべきだろうか。本研究では、約7か月にわたって、タンザニア・マハレ山塊国立公園に生息するおよそ65頭のチンパンジーの集団における、0歳から3歳までのアカンボウ10頭を個体追跡した。ここでは、アカンボウと、非血縁個体、兄・姉等の母親以外の血縁個体、そして母親との間の相互交渉を(その有無を含め)比較しつつ、予備的な結果を発表する。</p>
著者
西村 剛 ヘルブスト クリスチャン 香田 啓貴 國枝 匠 鈴木 樹理 兼子 明久 ガルシア マキシム 徳田 功 フィッチ W・テカムセ
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.34, pp.53, 2018

<p>ニホンザルを含むマカクザルでは,音声行動の研究が精力的に行われており,多様な音声レパートリーが知られている。しかし,その発声メカニズムに関する知見は技術的限界により限られていた。本研究は,声帯振動の様態を声帯を通過する電流の変化により非侵襲的に観測する声門電図(EGG)を用いて,生体の音声条件付けおよび摘出喉頭の吹鳴実験により,音声の多様性をうむ発声メカニズムを明らかにした。生体からは,coo,glow,chirp発声中の計測に成功し,それぞれのEGG信号の特徴を明らかにした。摘出喉頭による実験により,その特徴を生じさせる発声運動を明らかにした。これら3つの音声の声帯振動は,声帯の内外転および呼気流の強弱により調整されており,ごくわずかな変化によって異なる音声タイプへと遷移することを示した。また,その声帯振動は,おおよそヒトの7歳児でみられるものに類似した。これらの結果は,ヒトを含む霊長類における発声メカニズムの共通性を示すとともに,サル類でも発声運動をわずかに変化させるだけで,大きく異なる音声タイプを作り出せることを示した。一方,ヒトとの相異もみられた。吹鳴実験では,マカクザルでは,声帯と同時に仮声帯も振動させている可能性を示した。それにより,音声の基本周波数を大きく下げる効果があることが示された。ヒトと異なり,喉頭室が発達したサル類では,前庭ヒダの自由度が高く,仮声帯も容易に振動し得ると考えられる。本研究は,科研費(#16H04848,西村; #17H06380, #18H03503,香田),APART(Herbst)の支援を受けた。</p>
著者
三谷 曜子 V Burkanov R Andrews
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.29, 2013

&nbsp;ロシアの北千島列島で繁殖するキタオットセイ(<i>Callorhinus ursinus</i>)成熟メスは,育子期間中に数日間の採餌トリップを繰り返す.トリップ中は,主に夜に採餌潜水を行うことが明らかになっている.日中は,海面で休息や移動,毛繕いなどを行っていると考えられるが,潜水深度データからのみでは,これらの行動を区別できない.そこで,採餌トリップ中の行動シークエンスを明らかにすることを目的とし,育子中のメス 6個体に加速度データロガーを装着した.加速度データロガーから,個体の姿勢変化に伴う低周波成分の加速度,また,ヒレを動かすことによる高周波成分の加速度,および体を震わせて水気を飛ばしたり,毛繕いの際に毛をこすることによる,より細かい動きを抽出し,個体の行動に伴う動きの構成要素を分解した.その後,動きを組み合わせて行動に再構築し,行動シークエンスを明らかにした.この結果,長時間の休息においても,初期と後期では動きの構成が異なっていることが明らかとなった.この手法により,採餌トリップ中のエネルギー収支を詳細に明らかにすることができると考えられる.
著者
松田 一希 Chua Ying Shi Physilia John Chih Mun Sha Clauss Marcus
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.31, pp.69, 2015

コロブス類は、一日の活動時間割合の半分以上を休息に費やすことが知られているが、彼らが休息するときの姿勢に着目した研究例はほとんどない。そこで演者らは、シンガポール動物園の霊長類8種(コロブス類2種:テングザル、アンゴラコロブス;他の霊長類6種:パタスモンキー、クロザル、ホエザル、クモザル、オランウータン、チンパンジー)を対象に、休息時の姿勢を調査した。また同時に、野生霊長類の休息姿勢が記されている文献調査も実施した。その結果、飼育、野生ともに、コロブス類は他の霊長類種に比べて、日中の休息時間の中で頻繁に垂直姿勢をとることが明らかとなった(飼育:73% vs. 23.2%;野生:83.0% vs. 60.9%)。これらの行動観察に加えて、演者らはシンガポール動物園においてコロブス類を対象とした消化実験も行った。この消化実験より明らかになった、コロブス類の消化管内での詳細な消化機構の特性と合わせて、なぜコロブス類が垂直姿勢を好むのかを議論する。
著者
古賀 彩音 本間 由香里 伊吾田 宏正 吉田 剛司 赤坂 猛 金子 正美 松浦 友紀子
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.29, 2013

&nbsp;北海道西部でも個体数が増加しているエゾシカ(<i>Cervus nippon yesoensis</i>)は,近年札幌都市部にも出没し,自動車事故や列車との衝突事故などその被害は年々拡大している.しかし,都市部に出没したエゾシカは銃器を用いた対策などが難しく,未だ管理の有効な手立ては見つかっていない.更に,都市部に生息するエゾシカの生態に関する先行研究も極めて少なく,対策を講じるための基礎情報が不足しているのが現状である.<br>&nbsp;本研究では,都市部に出没するエゾシカの季節移動パターンと生息地利用を把握する為,札幌市に隣接する北広島市及び江別市においてテレメトリー調査とライトセンサス調査を行った.テレメトリー調査は,2012年 1月~ 2013年 3月にかけて北広島市の国有林内で生体捕獲を実施し 4頭(雄 2頭,雌 2頭)を捕獲した.捕獲した雄には VHF発信機を,雌 1頭には VHF発信機及び GPS首輪を,もう 1頭の雌には VHF発信機及び GPS首輪と膣挿入型電波発信機を装着した.放獣後,VHF発信機は三角法を用いて週 2回の頻度で位置を特定した.GPS首輪は 3~ 6時間毎に測位するよう設定し,月1回の頻度で位置データの遠隔回収を行った.ライトセンサス調査は,2008年 5月~ 2012年 12月の期間で北広島市(23.4km)と江別市(26.5km)において実施した.<br>&nbsp;結果,テレメトリー調査では 4頭全てに季節移動がみられ,そのうちの 3頭が JR千歳線と国道 274号線を横断した.また 1頭の雌は昨年利用した越冬地には戻らず,夏に利用した道立野幌自然公園内で越冬し,その後約 7km離れた札幌市厚別区に一時的に移動した.また,ライトセンサス調査では,目撃個体数は両市で増加傾向が見られ特に農地での観察割合が最も高くなった.<br>&nbsp;以上から,捕獲個体が江別市や札幌市に移動している事と,両市でエゾシカの増加傾向が示唆された事から,今後も都市部でのエゾシカによる様々な軋轢の多発が懸念される為,市の垣根を越えた「広域管理」が必要とされる.
著者
杉山 幸丸
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.27, pp.27, 2011

&nbsp;餌付けされた高崎山のニホンザルが寄せ場で投与される餌にどれほど依存しているか。Soumah & Yokota (Folia Primatol, 1991) および横田直人(「霊長類生態学」2002)の資料を基に分析した。原調査は1987、1988年に実施したものであり、この頃、餌投与量は300Kcal/頭/日以下に減量していた。調査は4回にわたり(7-10月と2-3月)各4-5頭のメスを終日追跡してその採食内容を詳細に記録したものである。優位メスがより高い採食量を、高い人工食依存度を示していたのは予想されたとおりだった。人工食率は優位で63.7%、劣位で37.9%だった(平均57.3%)。しかし夏冬ともに、優位・劣位ともに必要エネルギー以上を摂取していた。ただしこの計算には通常の運動量は考慮してあるが成長、妊娠、出産、育児に要するエネルギーは含まれていない。高崎山では出産率の年変動が激しいが、これは森の生産量の年変動に強い影響を受けていると考えられる。
著者
古川 竜司 嶌本 樹 鈴木 圭 柳川 久
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.29, 2013

&nbsp;気温が低い冬季にひとつの巣場所に複数の個体が営巣する集団営巣という行動はタイリクモモンガ <i>Pteromys volans</i>やアメリカハタネズミ <i>Microtus pennsylvanicus</i>といった齧歯類の仲間で知られている.これまでヒメネズミ <i>Apodemus argenteus</i>も巣箱で 3頭から 9頭の集団営巣が観察されているが,その詳しい生態は調べられていない.また,タイリクモモンガとヒメネズミは両種とも樹洞を繁殖や休息の場として利用する.しかし樹洞は数少ない資源であるため,これら 2種間で樹洞をめぐる競合が生じる可能性がある.本発表ではヒメネズミの集団営巣とタイリクモモンガとの樹洞を介した干渉について,ビデオカメラによる撮影で確認した事例を報告する.2013年 4月上旬に北海道十勝地方にある6林分(合計 26.3 ha)でヒメネズミの営巣が 3個の樹洞で確認された.それらの樹洞ではそれぞれ,10頭と 5頭の集団営巣と単独営巣が確認された.ヒメネズミの出巣開始時刻は平均で日没後 53分だった.出巣開始時刻が最も早いもので日没前 4分,もっとも遅いもので日没後 93分だった.統計解析の結果,集団営巣を行っている樹洞では,遅くに出巣する個体のほうが出巣前に顔を出して外の様子をうかがっている時間が長かった.出巣順番が臆病さや慎重さに関わっているのかもしれない.4月の間は出巣開始時刻は日没時刻が遅くなるのに同調して遅くなっていたが,5月以降はその傾向が弱まり出巣開始時刻が日没時刻に近づく傾向が見られた.本発表では,さらに出巣開始時刻に関わる環境要因について調べた内容を報告する.また,ヒメネズミが営巣している樹洞を 47回観察した結果,タイリクモモンガによる樹洞への接近が 13回,そのうち樹洞を覗き込む様子が 8回観察された.しかし撮影時間内では樹洞の中に入り込んでヒメネズミを追い出す直接的な排除行動は観察されなかった.
著者
高井 正成 河野 礼子 金 昌柱 張 穎奇
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.29, 2013

&nbsp;現在東アジア南部の大陸地域には,オランウータン,テナガザル(3属),コロブス亜科(6-7属)オナガザル亜科のマカク,メガネザル,そして原猿類のスローロリスなどが生息している.一方,中,国科学院古脊椎動物・古人類研究所の金昌柱教授が中心となって進めてきた広西壮族自治区崇左地域の更新世の洞窟堆積物の発掘調査では,これまで <i>Homo</i>,<i>Gigantopithecus</i>(ギガントピテクス), <i>Pongo</i>,<i>Hylobates</i>,<i>Macaca</i>,<i>Rhinopithecus</i>,<i>Trachypithecus</i>が確認されていた.その後更に霊長類化石の同定作業を進めた結果,大型オナガザル亜科である <i>Procynocephalus</i>と中型コロブス亜科の <i>Pygathrix</i>らしき化石が含まれていることが分かってきた.本発表では,こういった複数の洞窟から見つかっている霊長類化石の産出パターンの経時的な変化について報告する.<br>&nbsp;扱っている化石標本は 14の洞窟から発掘したものであるが,最も古い百孔洞が後期更新世(約 220万年前),新しいものは後期更新世(約 10万年前以降)と考えられている.霊長類化石の種類は,最古の百孔洞の時点ですでにヒト以外の属が全て出現している可能性が高い.巨大な化石類人猿であるギガントピテクスの標本は後期更新世以降の洞窟からは発見されていないので,おそらく同属は中期更新世の末期から後期更新世の初頭にかけて絶滅したらしい.一方,現生の大型類人猿であるオランウータンは全ての洞窟から化石標本が見つかっているので,中国南部では完新世まで生き残っていたらしい.テナガザル化石の標本比率は非常に少ないのであるが,百孔洞以降ほぼ全ての洞窟から出土していることから,他のホミノイド類(ギガントピテクスとオランウータン)の絶滅とは対照的に現生まで同地域で生き残ることができたらしい.
著者
田多 英興 大森 慈子 廣川 空美 大平 英樹 友永 雅己
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.20, pp.57, 2004

ヒトにおける瞬目の行動研究はある程度知見が蓄積されており、発達的変化や、認知情報処理過程、さらにはストレスとの関連なども検討されている轣Aヒト以外の霊長類ではその知見は極めて限られている。そこで本研究では、瞬目行動の諸側面の比較研究の端緒として、まずヒト以外の霊長類における自発性瞬目の諸指標の系統比較を行なった。日本モンキーセンターで、ケージの中で自由に行動している個体を外からデジタルカメラ(30フレーム/秒)で撮影した。ビデオ記録をおこなった種は計84種であった。個体を特定できる種もあったが、集団で行動する小型の種では個体識別が困難であった。このような場合は複数の個体からのデータをプールした。瞬目が計数できる総観察時間が最低5分間になるように記録した。本発表では、予備的解析の終了した54種について報告する。瞬目率の平均については、最大でボンネットモンキーの20回/分であった。この値はヒトとほぼ同じであった。ついでトクモンキー(17.0)、ニホンザル(15.1)と続いた齦似宗5分間一度も瞬目をしなかったポト(0)、ついでレッサースローロリス(0.2)、オオギャラゴ(0.3)、ショウギャラゴ(0.3)、ワオキツネザル(0.4)と続いた。これらの種では数分間に1回という極めて少ない瞬目頻度を示した。興味深いことに、ヒト以外の霊長類では、瞬目が眼球運動または頭部運動と連動して生じることが非常に多く、54種の平均でみると、眼球/頭部運動なしで生起した瞬目はわずかに27.1%で、残りの多くは水平または垂直の頭部運動と連動して生じた。特に水平の運動と連動する瞬目は全体の50%に達した。さらに、眼瞼の運動速度もまたヒトと比べて非常に速いことが明らかとなった。平均すると194.2ms±44.6となり、ヒトの約半分の時間で眼瞼の開閉が行われている。最長でも323.4ms(エリマキキツネザル)で、ヒト (約400ms) に比べても速いことがわかる。最短は138.6ms(トクモンキー)で、これはヒトの閉瞼の時間に相当する。今後は、種間比較をさらに進めるとともに、上記の結果の成立要因について検討していく予定である。
著者
中川 尚史 後藤 俊二 清野 紘典 森光 由樹 和 秀雄 大沢 秀行 川本 芳 室山 泰之 岡野 美佐夫 奥村 忠誠 吉田 敦久 横山 典子 鳥居 春己 前川 慎吾 他和歌山タイワンザルワーキンググループ メンバー
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.21, pp.22, 2005

本発表では,和歌山市周辺タイワンザル交雑群の第5回個体数調査の際に試みた無人ビデオ撮影による群れの個体数カウントの成功例について報告する。<br> カウントの対象となった沖野々2群は,オトナ雄1頭,オトナ雌2頭に発信器が装着され群れの追跡が可能であった。またこれまでの調査からこの群れは,小池峠のやや東よりの車道を南北に横切ることが分かっていた。<br> 今回の調査3日目の2004年9月22日にも,一部の個体が道を横切るのを確認できた。しかし,カウントの体制を整えると道のすぐ脇まで来ていてもなかなか渡らない個体が大勢おり,フルカウントは叶わなかった。この警戒性の高まりは,2003年3月から始まった大量捕獲によるものと考えられる。翌23日も夕刻になって群れが同じ場所に接近しつつあったのでカウントの体制をとり,最後は道の北側から群れを追い落として強制的に道を渡らせようと試みたが,失敗に終わった。<br> そこで,24日には無人ビデオ撮影によるカウントを試みることにした。無人といってもテープの巻き戻しやバッテリー交換をせねばならない。また,群れが道を横切る場所はほぼ決まっているとはいえ,群れの動きに合わせてある程度のカメラ設置場所の移動は必要であった。そして,最終的に同日16時から35分間に渡って27頭の個体が道を横切る様子が撮影できた。映像からもサルの警戒性が非常に高いことがうかがわれた。<br> こうした成功例から,無人ビデオ撮影は,目視によるカウントが困難なほど警戒性の高い群れの個体数を数えるための有効な手段となりうることが分かる。ただし,比較的見通しのよい特定の場所を頻繁に群れが通過することがわかっており,かつテレメーター等を利用して群れ位置のモニタリングができる,という条件が備わっていることがその成功率を高める必要条件である。
著者
齋藤 亜矢
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.31, pp.102, 2015

飼育下のチンパンジーでは、穴にゴミをつめるなどの自発的な物の操作がよくみられる。採食や繁殖、攻撃などの特定の目的とは結びつかない自己報酬的な行動である。では、かれらは物の操作のどこにおもしろさを感じているのだろうか。本研究では、新奇物に対する自発的な行動のなかから、物遊びが発生するプロセスに着目した。京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリのチンパンジー58個体(5~44歳、11群)を対象とし、各運動場に長靴、デッキブラシ、鈴のおもちゃ、布などの18個の新奇物を設置し、通常どおり群れ毎に放飼した。各群2時間の観察をおこない、新奇物に対する行動を随時記録した。その結果、チンパンジーの物の操作は、(1)物の形状に依存しない探索的な操作(例:触る、匂いを嗅ぐ)から、(2)物の形状に依存した探索的な操作(a:変形、b:身体への定位、c:他の物への定位をともなうもの)に進むことが多かった。(2)において、同じ行動の繰り返しや、長時間の持ち運びが見られたケースも多く、これらのケースでは、よりおもしろさを感じていることが示唆された。また、頭に物をかぶったり、ホースを天井の格子にかけてぶら下がるなどの非日常的な身体感覚が生じる場合に、プレイフェイスやプレイパントが観察された。さらには、ベッド作りなどの実用的な使用のほか、デッキブラシで地面をこするなどの模倣的な物の操作、ブラシを筆に見立てて紙の上をこするなどのふり遊びも観察された。物を持ち歩きながらの追いかけっこなど、社会的な遊びに発展するケースもあった。これらの観察から、チンパンジーが、新奇物に対して、物がアフォードする行動を自己強化的に試そうとすることが明らかになった。また別の物を使って同じ操作を試すケースもあり、操作のなかで物の特性を理解する過程におもしろさがあることが示唆された。
著者
齋藤 亜矢
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.32, pp.44-45, 2016

<p>チンパンジーは、採食などの特定の目的と結びつかない自発的な物の操作をおこなうことがある。この一見無駄にも思える行動の背景を明らかにするため、新奇物に対する物の操作を分析した。対象は、京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリのチンパンジー58個体(5~44歳、11群)とした。各運動場に長靴、デッキブラシ、鈴、布などの18個の新奇物を設置して、群れごとに放飼し、120分の観察のなかでの新奇物に対する行動を随時記録した。その結果、物の形状に依存しない単純な探索的操作(例:触る、匂いを嗅ぐ)にはじまり、物の形状に依存した探索的操作(変形、身体への定位、他の物への定位をともなうもの)が多く観察された。繰り返しの操作も多く、たとえば「長靴を倒して起こす」繰り返しのなかでも、微妙に力加減を変えて倒し方を変えるなど「シェマの調節」がされていた。また「ホースを天井格子にかけてぶら下がった後に、長靴を天井格子にかける」など、同じシェマを別の物に試みる「シェマの同化」もおこなわれていた。さらに「長靴のなかに鈴を入れて、上下にふって音を出す」など、一度に複数の物や動作シェマ(行動の枠組み)を組み合わせた複雑な操作も観察された。したがって、チンパンジーが既存のシェマの調節や同化を自己強化的におこなうことで、多様なシェマを獲得し、物の操作の可能性を把握していることが示唆された。このことは「〇〇するもの」というカテゴリーの生成にもつながり、道具使用や、物の表象的な理解の土台にもなるのではないかと考える。実際に、より表象的な操作とされる「ふり」遊びも観察された。たとえば「ホースの先をバケツの中に入れたまま持ち、水をためるような操作」や「ブラシを紙の上に定位するおえかきのような操作」などである。物を見て、一連の操作のイメージが想起されていることが示唆される。実際の観察場面を紹介しながら、これらの考察について論じたい。</p>