著者
浅川 満彦
出版者
酪農学園大学
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.185-188, 2007 (Released:2011-01-19)

日本分類連合生物種調査計画でリストアップしたカエル類寄生性線虫類について、想定されうる保全医学的な問題点について指摘した。
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
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著者
村上 真幸 中堀 義郎
出版者
日本測地学会
雑誌
測地学会誌 (ISSN:00380830)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.303-309, 1986

国土地理院では,地震予知観測の一環として,重力の経年変化を求めるための重力測量を実施している.本稿では1982年から1986年にかけて実施した4つの重力点における絶対重力測定の結果を報告する. 測定に使用した装置は佐久間式可搬型絶対重力計で投げ上げ法を採用している.この装置は,国際度量衡局(BIPM)とJaeger社により開発され,1980年に国土地理院に導入された後,改良を加えられてきたものである. 国土地理院は絶対重力測定の一方で,ラコスト重力計による相対重力測定を水準測量と同時に実施している.これにより,全国的な重力網を構成し,かつ,重力の相対変化と地殻の上下変動のデータを蓄積してきている.今回の観測により,この重力網に絶対的な基準を与えることが可能となった.今後,1年に2~3点の絶対測定を4~5年周期で繰り返し実施することにより,重力の絶対変化を検出して地震予知に貢献することが期待される. 現在までに,絶対測定は筑波,柿岡,鹿屋,新十津川の4点で行われている.絶対重力値はいずれも0.01mgalより良い精度で決定されている.絶対測定と同時期に,ラコスト重力計を使って重力の鉛直勾配も決定して,絶対重力値の補正を行っている. 筑波の絶対測定値を,中川他(1983)による相対測定の結果を利用して,米国デソバーで複数の外国の機関によって行われた絶対測定値と比較した.その結果,それぞれの値は良く一致することがわかった.また,柿岡においては,我々の測定と相前後して緯度観測所による絶対測定が行われた.これにより,国内で初めて異なる装置による絶対重力値相互の直接比較が行われたことになる.この比較の結果,両者の間には0.067mgalという有意な差が見い出された.
著者
江頭 説子
出版者
法政大学大原社会問題研究所
雑誌
大原社会問題研究所雑誌 = 大原社会問題研究所雑誌 (ISSN:09129421)
巻号頁・発行日
vol.585, pp.11-32, 2007-08-25

本研究の目的は、社会学の領域において市民権を得つつあるライフ・ヒストリーと、歴史学の領域において一定の市民権を得るまでに至っているオーラル・ヒストリーの関連性について検討することにある。ライフ・ヒストリー、オーラル・ヒストリーともに、その出自は1920年代の都市社会学におけるシカゴ学派のライフストーリーの方法論にたどることができる。ライフ・ヒストリーの歴史に目を向けると、1940年代後半以降、社会学の領域においては、統計調査を主とする量的研究や構造機能主義がより科学的な理論として主流の位置を占めるようになり、質的研究のひとつであるライフストーリー・インタビュー法によるライフ・ヒストリーは批判を受け、周辺領域に位置するようになった。しかし、1950年代の終わりに、量的研究に対して質的研究に基礎をおく社会学者たちからの最初の反発の声(Mills 1959 [1965] [1995])をきっかけとして、ヨーロッパを中心にライフ・ヒストリー法リバイバルの動きが起き始めた。その後のライフ・ヒストリーは、大きく分けて実証主義、解釈的客観主義、対話的構造主義の3つのアプローチ、調査者と被調査者の関係の捉え方による立場の違いを内包し、複雑な形で発展してきている。一方オーラル・ヒストリーは、政治史、労働史、地域史などのように、歴史研究の方法としてフィールドワークの伝統が根づいているところ、また学際的な交流がなされてきた研究領域で発展してきた。日本では特に政治史の領域において発展し、政治学においてはオーラル・ヒストリーとは「公人の、専門家による、万人のための口述記録」(御厨2002:5)であると考えられていた。このように対象を限定することは、伝統的な政治史が文書資料を重視する方法論に対して、口述が重要な資料となることを立証するために、必要な立場であった。しかしオーラル・ヒストリーの主要な提唱者の一人である御厨自身が述べているように「この十年で急速に『オーラル・ヒストリー』が市民権を得たことを考えると、公的体験を有する人のみならず、いわゆる庶民や名もなき人にまで、改めて対象とする人々の背景を広げてよい」(日本政治学会編2005:iii)と考えられはじめている。対象を「公人」から「市井の人々」に広げると、社会学の領域において蓄積のあるライフ・ヒストリー研究との関係性が高くなってくる。これらのことから、本稿では社会学におけるライフ・ヒストリー研究とオーラル・ヒストリーの関係性について主にあきらかにしていく。
著者
田中 智和
出版者
埼玉大学社会調査研究センター
雑誌
政策と調査 (ISSN:2186411X)
巻号頁・発行日
no.18, pp.31-41, 2020

勤務する高等学校3 年生の5 年間の政治知識・意識調査のデータを用い、18 歳の政治意識の動向を明らかにすべく、政治意識、政党支持・投票行動、家族(保護者)、教育そしてメディアからの影響の側面からアプローチを行った。政治への関心については、選挙時の調査では半数を上回るものの、なかなか定着せず、普段から政治への関心を持ち続ける難しさがみられる。投票義務感については、4 人のうち3 人の生徒は有権者の義務だと思っていることがわかった。他方で、半数以上の生徒が、政治や政府の政策はなかなか変わらないという無力感を持っており、政治を変えるという主権者の力に実感がないことがわかる。政党認知度では、自民党が80%をこえており、他の政党にくらべて高く、政党支持、投票行動の面でも、自民党一強傾向がみられる。政治情報への接触については、スマートフォン・テレビ・家族からの影響が大きく、特にスマートフォンの影響が大きくなってきている。This study showed trends in political consciousness among 18-year-olds with respect to political awareness, political support, voting behavior, and the influences of family (guardians), education, and media, based on data from a 5-year survey of third-year high school students. Over half the polls conducted at election times showed that students had difficulty establishing a position or maintaining their interest in politics. Three out of four students considered voting to be a duty or obligation. However, over half felt a sense of powerlessness, believing that government politics and policies were difficult to change and that the sovereign had no real power to do so. Political party awareness was highest for the Liberal Democratic Party (LDP), exceeding 80%; political support and voting behavior were also stronger for the LDP than any other political party. Smartphones, television, and family members were major sources of access to political information, with smartphones becoming particularly influential.
著者
中武 章子 佐藤 静一
出版者
久留米大学大学院心理学研究科
雑誌
久留米大学心理学研究 = Kurume University psychological research (ISSN:13481029)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.53-60, 2005-03-31

本研究では,高校生を対象として,教師への心理的距離と学校適応との関係を検討した。生徒の教師への心理的距離の測定にはLPC(Least Preferred Coworker)尺度を用いた。その結果,教師への心理的距離が小さい(LPC得点が高い)生徒の方が,心理的距離が大きい(LPC得点が低い)生徒より,「教師関係」「進路意識」「規則への態度」「学習意欲」及び「学校適応全体」において高くなる傾向が見い出された。また,関係がうまくいく教師に対して高い評価をしている(MPC得点が高い)生徒は,MPC得点が低い生徒よりも,「特別活動への態度」等,及び「学校適応全体」において高くなる結果が見い出された。
著者
黒石 裕樹 村上 真幸 海津 優
出版者
The Geodetic Society of Japan
雑誌
測地学会誌 (ISSN:00380830)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.63-74, 1992

国土地理院が構築した日本重力基準網1975(JGSN75)は,わが国における全ての重力測定の基準値を提供してきた.この網は国際重力基準網1971に準拠しているが,絶対重力測定を全く含んでいない.国内では,近年重力測定が高精度かつ高密度に行われるようになり,基準となるJGSN75の,絶対値の精度の向上が求められるようになった.そこで,国土地理院では,絶対重力計を導入して重力網の高精度化を図ることとした.筆者らは,佐久間式絶対重力計を改良し,1985年以来全国12ヶ所の基準重力点において重力絶対値を決定してきた.それらの観測結果から,絶対重力測定は精度及び再現性とも10μGalよりも高いことが確かめられた.これらの基準重力点を骨格として, 全国約300点から成る一等重力網を構築し,第一回観測を1991年末までに終了した.北海道地区の一等重力網について試験的に行われた網平均結果から,この網全般にわたり,ほぼ10,uGalの精度で重力値が決定されることを確認している. 日本列島は,地震や火山噴火などの地殻活動が極めて活発な地域に位置している.それらの活動に伴う地殻上下変動の検出は,地震や火山活動の予知の研究において極めて重要な課題である.これまで,主に験潮や精密水準といった測量によって,相対的な上下変動の検出が行われてきた.これに対し,地殻活動に伴った重力変化は,地殻上下変動の絶対的な量について重要な情報を提供することが知られている.そこで,国土地理院では,絶対重力測定と一等重力測量を,一等水準測量と併せて5ないし7年を周期として繰り返し行うことを計画している.10μGa1の重力変化は,3~5cmの地殻上下変動に相当することから,一等重力網により,全国にわたり,地殻上下変動を数Cmの精度で監視することができる.また,一等水準測量結果との比較により,地殻上下変動のプロセスを解明することが期待できる.従つて,絶対重力測定に基づいた一等重力・水準網の確立により,地殻上下変動の高精度監視網が構築されたといえる.
著者
坪川 恒也
出版者
The Geodetic Society of Japan
雑誌
測地学会誌 (ISSN:00380830)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.281-294, 2004-12-25
被引用文献数
2

佐久間式絶対重力計で有名な佐久間晃彦先生が,2004年8月19日パリ郊外セーブル市の自宅で逝去されました.享年73歳.謹んでご冥福をお祈り致します. 先生は,昭和6年宮城県仙台市にお生まれになり,昭和28年(1953)東北大学理学部物理学科卒業と同時に,当時の通産省中央計量検定所(現在の産業技術総合研究所,計量研究所)に入所され,日本で最初に自由落下方式による絶対重力計の開発を手掛けられました.その後,昭和35年にフランスに渡り,国際度量衡局(BIPM)の研究員として,平成8年までの36年間に渡って,重力加速度の絶対測定の研究に従事され,特に,佐久間式と総称される,投げ上げ方式の絶対重力測定法の確立および製品化と,絶対重力網の整備に大きな功績を残されました.まさに絶対重力測定の研究に,半生を捧げられたと言っても過言ではありません.佐久間先生がBIPMに入所された頃は,国際機関とはいえ白人主導の組織の中で,日本人が単独で乗り込んで研究することに,かなりご苦労されたのではないか,と推察致します.そのような環境の中でも,絶対重力測定をテーマとした精密計測に対する佐久間先生の熱いお気持ちが,あのように独創的な絶対重力計として実を結び,まさに日本人の優秀さを世界に認あさせたのではないでしょうか. 佐久間先生には,緯度観測所の固定局型の佐久間式絶対重力測定装置の導入当時から,ご指導頂きました.穏やかな物腰ながら信念を持った,古き良き時代の典型的な日本人との印象を受けました.図1は1989年の第3回絶対重力計国際比較測定をBIPMで主催された時のスナップショットです.ここでは,佐久間先生という偉大な大先輩を偲んで,絶対重力計の開発に携わってきた一人として先生を偲びつつ,絶対重力計開発の経緯と現状について述べたいと思います.
著者
中前 博久
出版者
一般社団法人 日本造血・免疫細胞療法学会
雑誌
日本造血細胞移植学会雑誌 (ISSN:21865612)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.48-57, 2021 (Released:2021-01-15)
参考文献数
48

移植後大量シクロホスファミドを用いたHLA半合致血縁間移植(PTCy-haplo)は,HLA半合致移植のプラットホームとなりつつある。しかしながら,近年の一連のメタ解析にはHLA適合移植と比較して,慢性GVHDのリスクは低いものの,HLA適合非血縁と比べると再発が多いとする報告がある。再発率の低減のためには,PTCy-haploによるgraft-versus-leukemia(GVL)効果の機序に関する分析が重要である。PTCy-haploにおいてはGVL効果には,NK細胞による同種反応が大きな役割を果たしていることを示唆するいくつかの報告がある。しかしながら,PTCyがNK細胞の回復に影響を与えるという報告もある。今後さらなる成績改善のために,ドナー選択方法,移植片の細胞輸注量,PTCyの至適用量やタイミング,および免疫抑制剤の投与方法など,さまざまな角度からの検討の必要があると考える。
著者
山口 夏希 長田 茉莉 新谷 愛佳 吉田 真歩子
出版者
公益社団法人 日本農芸化学会
雑誌
化学と生物 (ISSN:0453073X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.11, pp.777-779, 2013-11-01 (Released:2014-11-01)

本研究は,日本農芸化学会2013年度大会(開催地:東北大学)での「ジュニア農芸化学会」において発表され,銅賞を表彰された.レインボー植物は,白い花の花弁を染料で着色して虹色に染め分けた一種の造花であるが,花弁ごとに異なる色で均一に染め分けることは難しいとされる.発表者たちは,植物の吸水・蒸散と花弁の染まり方との関係を調べるとともに,花茎から花につながる維管束構造を丹念に観察することで,花弁が均一に染色される条件および花弁ごとに染め分ける方法を追求しており,得られた結果は非常に興味深いものとなっている.
著者
保母 敏行 山田 正昭 鈴木 喬繁 荒木 峻 下山 晃 PONNAMPERUMA Cyril
出版者
公益社団法人日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.30, no.6, pp.T71-T76, 1981-06-05

アミノ酸光学異性体の同定を信頼性高く行う方法として固定相が互いに光学異性体である2本のカラムを用いる方法について検討した.まず,固定相としてN-ラウロイル-D-バリン-Z-ブチルアミドあるいはN-ラウロイル-L-バリン-t-ブチルアミドをウィスカーウォール型毛管に塗布したカラムを作り,各種アミノ酸の保持指標とその再現性,D体とL体の分離係数などを調べた.更に,両カラムを使い,両固定相の光学活性度決定及び抗生物質グラミシジンJを構成する一部アミノ酸のキラリティー決定を試みた.キラリティーの異なる2本のカラムを使用することの有効性が確かめられた.
著者
片岡 厚
出版者
日本木材保存協会
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.58-68, 2017 (Released:2017-07-28)
著者
鈴木 淳
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of The National Institute of Japanese Literature (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.21, pp.213-255, 1995-03-25

本稿は、前稿を引継いで、好古の学芸家謙亭小宮山昌世の後半生すなわち代官罷免後から死没までを年譜形式で考察したもの。その間、師太宰春台と交際を深め、賀茂真淵の弟子でもあった河津長夫の碑銘を撰し、関鳳岡門下の『篆書唐詩選』の刊行のために周旋、さらには自著『発蒙書柬式』を出版するなど、漢学に傾注した。またその前後、甲斐の加賀美光章に慕われ、その文庫設立に助力、ついで『名賢和歌秘説』など歌書の繕写に親んだ頃には、後の山手連の狂歌師山手白人との交際も推知される。晩年は居を小石川隆慶橋畔に卜して、昌世の真骨頂とも言うべき雑史『竜渓小説』を編み、さらにその別巻として、英一蝶らの流刑事件に生々しく迫った『民蝶半記事伝』を共謀の仏師民部からの聞書としてまとめるが、当該書は山東京山の『英一蝶流論考』による紹介を経て、今日まで一蝶伝の第一級資料としての価値を失わない。 This article was succeeded a previous one to consider the latter life of Kentei Komiyama Masayo who was an antiquarian and a man of arts and sciences in a chronological history form from after his dismissal of Daikan to his death. During those years, he became intimate with his master Dazai Shundai, selected inscription of Kawazu Nagao who was a pupil of Kamono Mabuchi, procured for publishing “Tensho To-shisen”(篆書唐詩選)by disciples of Seki Shikyo, also he concentrated the Chinese classics and published his book “Hatsumoshokanshiki”(発蒙書柬式). Before and after that, since he endeared himself to Kagami Mitsuaki of Kai, he helped the establishment of library for Kagami Mitsuaki. When he got close to a repaired book “Meikenwakahisetsu”(名賢和歌秘説), it was inferred that he was also an acquaintance with a writer of comic tanka of Yamate-ren(山手連) Yamateno Shirohito. He edited a miscellaneous facts “Ryukei-shosetsu”(竜渓小説)which should be called the true worth of Masayo’s works living at the ridge of Ryukei bridge in Koishikawa in his later years. Moreover as an extra issue, he gathered “Minchohankijiden”(民蝶半記事伝)which was vividly described banishment of Hanabusa Icho and others as Kikigaki(聞書)from accomplice Minbe who was a sculptor of Buddhist statues . This book has been of value as the primary document until today after an introduction of “Hanabusa Iccho-ryu Ronko”(英一蝶流論考)by Santo Kyozan.