著者
梁 青
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.36, pp.171-184, 2013-03-31

Waka gradually became popular at the end of the 9th century. Japanese people composed nihon kanshi which were not just an imitation of Chinese poetry and with the development of a national identity, started searching for their own sense of expression. In this presentation, I am going to compare Chinese poems, waka and nihon kanshi and examine the expression of the spider’s thread in “Shinsen manyōshū” (the first volume, koi 108) as well as the ‘Gyōgetsu’ poem by Sugawara no Michizane. The purpose of this presentation is to throw the light to the development of the kanshi before the “Kokinshū” was published.The poem ‘keichū sekibakutoshite chirin midare (I am sleeping by myself. A spider’s thread is entangled)’ (893, the first volume, koi 108) and Michizane’s poem ‘aki no omoi wa kumo no itosujiyorimo nannari kidakida funfun tachitsukushite kaeru (A lonely meditation in autumn is severed into shreds like a spider’s thread)’ (891) were composed under the context of the vogue of spider’s thread as a motif in the latter of the 9th century. There is no distance between the spider’s thread and the composer’s feelings and this kind of expression is rare. This unique expression is based on the six dynasties poetry ‘shinsho midarete ito no gotoshi (My mind is disturbed like entangled thread)’ (Zui, Sonbanju, tōkukōnannimamorite keiyū no shinyū ni yosu) and hakushi ‘ryūshi hiki taete chō hikitayu hishi masani tsunagi eru toki nakaru beshi (My heart is broken like the branch from a willow. My sorrow is never healed)’ (3145, yōryūshishi 8) and created the semantically related word ‘o, dan, ran, nan’. They created this unique expression by dint of skillfully replacing the old conventional expression ‘aoyagi no ito, seni no ito’ with ‘spider’s thread’. When we think about how ouchō kanshi accepted the Chinese poems of spider’s thread, we will be able to understand that it did not contain a moral hidden meaning. If anything, it tends to draw a cobweb beautifully and minutely. The poem koi 108 and the Michizane’s poem especially draw the scholars’ attention as there are few examples in Chinese poems which write about the severed spider’s thread. It seems that this expression reflect Japan’s own aesthetic sense. The motif of the severed spider’s thread can be seen in the Henjō uta but not in the “Kokinshū”. The motif had been fixed as the conventional expression of koi uta (love poems) after the latter 10th century. In that respect, it may safely be said that the poem koi 108 and the Michizane’s poem are pioneering works.
著者
中村 一基
出版者
武庫川女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

冬虫夏草は古来より中国において滋養強壮薬として用いられており、また、その特有の成分としてコーディセピン(3' -deoxyadenosine)を含有している。平成18年度は、コーディセピンの生体内分解酵素であるアデノシンデアミナーゼの阻害剤である2' -deoxycoformycin(DCF)を併用することによりWECS及びコーディセピンの抗がん作用がどの程度増強されるかをin vitroにおいて検討した。その結果、WECS及びコーディセピンの抗がん作用はDCFの併用により著しく増強され、WECSで約3倍、コーディセピンで約300倍有意な活性亢進が認められた。平成19年度は、マウスメラノーマ細胞をC57BL/6Crマウスの足蹠皮下に接種するin vivo自然がん転移モデルを用いて、WECSのがん転移抑制作用をモデルマウスの生存日数延長により検討した。その結果、in vitroにおいてWECSの抗がん作用を3倍増強させたDCFは、腹腔内投与により単独あるいはWECSとの併用のいずれにおいてもがん転移抑制作用を示さなかった。一方、WECS 10mg/kgをがん細胞接種日から7日間連続1日1回及び原発巣切除翌日から7日間連続1日1回腹腔内投与したマウスの生存日数は、がん細胞接種後53日以内に全例が死亡した対照マウスと比べて有意に延長された。また、WECS 10mg/kg投与マウスの6匹中3匹はがん細胞接種後110日以上生存し、さらに、体重減少や脱毛などの副作用は観察されなかった。なお、WECS3mg/kgの投与量では、有意ながん転移抑制効果は認められず、WECS 100mg/kgの投与量では、対照マウスに比べて有意な体重減少が認められた。従って、WECSを臨床応用するためには、有効成分を出来るだけ絞り込み、抗原性を押さえ込んだ注射剤として開発することが、最も有力な方法であると結論付けられた。
著者
吉村 浩一
雑誌
科学研究費補助金研究成果報告書
巻号頁・発行日
pp.1-5, 2011-05

研究成果の概要 (和文) : 左右逆さめがねを2週間着用した女性が、正常視のときの生活と同じようなスタイルを獲得するという、きわめて知覚順応の進んだ状態を示した。これにより、逆さめがねの世界に順応することがどのような変化を引き起こすかを捉えることができた。この研究成果を踏まえ、子どもたちに人間の知覚の不思議さを体験してもらい、逆さめがねを通してものを見たり行動したりする際に起こることを予想し実際に体験することにより、その予想がどのように間違っているかを論理的に考えてもらうための科学イベントを構築した。
著者
加藤 直孝 中條雅庸 國藤 進
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.38, no.12, pp.2629-2639, 1997-12-15

本システムは,主観的評価に基づく代替案選沢問題の解決を対象としたグループ意思決定支援システムである.グループの合意形成プロセスの支援を重視しており,以下の特徴を持つ.(1)グループを構成する意思決定者に意思決定に有益な情報をマルチウインドウ形式で随時表示する対話型システムである.(2)意思決定者個人の価値観に基づく視点を共有することで調整すべきコンフリクト部分の抽出が容易である.(3)感度分析の手法によるトレードオフ分析を用いてコンフリクトの解消に向けた交渉プロセスを支援し,合意への収束度を高める.(4)意思決定者にグループの合意度および各参加者の妥協の度合を提示し意思決定プロセスの変遷を明確に把握できる.本論文では,まず合意形成プロセスを重視したグループ意思決定支援の方針と手順について述べ,次に実際に開発したシステムの機能について説明する.また例題を用いて本システムの利用方法を示し,さらに評価実験に基づいて本システムの有効性を評価する.実験結果からは,本システムとの対話操作を繰り返すことでグループの合意形成の支援に有効であることが確認された.
著者
竹沢 尚一郎 Shoichiro Takezawa
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.1-55, 2005-09-30

19 世紀なかばのフランスでは,ブロカに率いられた人類学派が発展し,学界を超えて強い社会的影響をもった。それは,人間の頭蓋や身体各部位を計測し,一連の数字にまで還元することで,人びとを絶対的な人種の境界のあいだに分割することをめざした人種主義的性格の強い人類学であった。この人類学が当時のフランスで広く成功した理由は,産業革命が進行し,教会の権威が失墜した19 世紀なかばのフランスで,新しい自己認識と世界理解を求める個が大量に出現したことに求められる。こうした要求に対し,ブロカ派人類学は数字にまで還元/単純化された世界観と,白人を頂点におくナルシスティックな自己像/国民像の提出によって応えたのであった。 1871 年にはじまるフランス第三共和制において,この人類学は,共和派代議士,新興ブルジョワジー,海軍軍人などと結びつくことで,共和主義的帝国主義と呼ぶことのできる新しい制度をつくり出した。この帝国主義は,法と同意によって維持される国民国家の原則に立つ本国と,法と同意の適用を除外された植民地とのあいだの不平等を前提とするものであったが,ブロカ派人類学は植民地の有色人種を劣等人種とみなす理論的枠組みを提供することで,この制度の不可欠の要素となっていた。 1890 年以降,新しい社会学を築きつつあったデュルケームは,ユダヤ人排斥の人種主義を批判し,人種主義と関連しがちな進化論的方法の社会研究への導入を批判した。かれが構築した社会の概念は,社会に独自の実在性と法則性を与えるものであり,当時の支配的潮流としての人種主義とは無縁なところに社会研究・文化研究の領域をつくりだした。しかし,ナショナリスティックに構築されたがゆえに社会の統合を重視するその社会学は,社会と人びとを境界づけ,序列化するものとしての人種主義を乗りこえる言説をつくりだすことはできなかった。 人種,国民国家,民族,文化,共同体,性などの諸境界が,人びとの意識のなかに生み出している諸形象の力学を明らかにし,その布置を描きなおしていく可能性を,文化/社会人類学のなかに認めていきたい。
著者
宮原 浩二郎
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.46-59,114, 1989-06-30 (Released:2010-05-07)
参考文献数
33

一九七〇年代に注目を浴びた「社会学の社会学」は、社会的世界に関する知の獲得における社会学の役割について深刻な懐疑をもたらすとともに、「イデオロギー」や「知識人」の概念の根本的な見直しを促した。本稿は、「社会学の社会学」を代表した論者であるA・W・グールドナーの知識社会学と知識人論を手がかりとして、ハーバーマスとフーコーに代表されるような「イデオロギー」と「知識人」をめぐる議論の今日的状況に接近してみたい。グールドナーによる社会理論のリフレクシヴィティー (自己回帰性) の研究は、マンハイム流の「存在被拘束性」の理論の徹底化という経路を通って、社会理論におけるイデオロギー性の遍在と知識人の階級性を主題化した。それは、「イデオロギー」概念を、コミュニケーション合理性を鍵概念として再構築する試み (ハーバーマス) と、「真理」概念の実定化を通じて脱構築する試み (フーコー) という、二つの対照的な方向の分水嶺に位置する立場をよく示している。グールドナーの「リフレクシヴ・プロジェクト」を「補助線」として導入することで、「イデオロギー」と「知識人」をめぐる現段階での様々な議論の問題点が浮き彫りになると思われる。
著者
森 銑三
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkyu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.89, pp.6-14, 1939-05-25
著者
長井 超慧 大竹 豊 鈴木 宏正
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.2308-2317, 2011-07-15

コンピュータグラフィクスやCADを代表とする多くの分野で,表面メッシュは,実在する3次元物体(実物体)の形状を表現する目的で多用され重要な役割を果たしている.実物体から表面メッシュを得る手法の1つに,物体表面のスキャンなどで得られる点群データを入力として,その形状を等値面として持つスカラー場を構築し,その等値面を近似するポリゴンメッシュを生成するものがある.この手法はスキャンデータに一般的に含まれるノイズに比較的頑健であるものの,異常値や大きいノイズを含むデータに対し適用すると過剰な面を含むなど,元の物体形状とまったく異なる表面メッシュが生成されることがある.本稿では,等値面による近似手法の代表的な方法であるPartition of Unity(PU)に大域的手法であるグラフカットを組み合わせることで,異常値を含むデータに対する頑健性を高めた表面メッシュ生成法を提案する.
著者
丸山 峻 島貫 智行
出版者
特定非営利活動法人 組織学会
雑誌
組織科学 (ISSN:02869713)
巻号頁・発行日
pp.20210201-4, (Released:2021-02-01)
参考文献数
31

障害者の職場定着を促すうえで、障害者の特別な人事管理の要否に関する先行研究の見解は一致していない。本稿は、社会的アイデンティティの考慮の有無に注目したアイデンティティ・コンシャス人事管理とアイデンティティ・ブラインド人事管理の枠組みからその境界条件を検討した。事例研究により、職場で共有されている障害者の能力観と障害者活用におけるライン管理者の裁量が境界条件として機能することを例証した。
著者
福川 英司 高濱 雅幹 地子 立 江原 清 八木 亮治
出版者
北海道立総合研究機構農業研究本部
巻号頁・発行日
no.99, pp.107-113, 2015 (Released:2015-07-06)

近年育成された黒皮系カボチャの新品種について,貯蔵性を含めた露地早熟移植栽培における特性を調査した。果皮色は濃緑色の品種が多かった。収量性では一部に対照の「えびす」と比べてやや優れる品種もあったが,多くの品種は同等~やや劣った。貯蔵性では「黒皮味マロン」が優れ,「くりほまれ」および「MSJ-1043」がやや優れた。貯蔵後の食味は「No. 571」,「くりゆたか7」,「くりほまれ」および「SB3018」で有意に優れた。収量性,貯蔵性,貯蔵後の食味等で特徴がある品種が見出されたことから,出荷時期別に品種を選択することで特色ある産地づくりに寄与できると考えられる。
著者
森下 涼子 Ryoko MORISHITA
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 (ISSN:09171762)
巻号頁・発行日
no.24, pp.61-77, 2014-03-20

これまでの『山の音』研究では、伝統的な分野においては『源氏物語』ばかりに焦点があてられ、能や謡曲について触れたものは少ない。『山の音』には、能面や謡曲「卒都婆小町」に関する記述が多くみられるにも関わらず、これまであまり研究が進んでこなかったのはなぜだろうか。管見のかぎり、それは『山の音』に研究者による注釈がないからだと考える。また、能に触れられているものでも、謡曲「卒都婆小町」からの引用がみられる、との指摘に留まるものが多く、菊慈童や面に関しても表面的に論じられているだけである。しかし、『山の音』と能の関わりを論じる際、表面をさらうだけでは見えてこないものがあるのではないか。『山の音』の深層に潜むものを読み解くには、能または謡曲が有効なカギとなってくるに違いない。なぜなら、言葉では描き切れない世界を表現するために、川端が能を用いたと考えられるからだ。そこで本論文では、「春の鐘」を中心に、『山の音』に表象された能に注目し、『山の音』は <血の繋がり> に願いを込めた信吾が、<血の繋がり> を持たない菊子によって救われる物語であることを明らかにしたい。