著者
森 正人 Mori Masato
出版者
日本地理学会
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.1-27, 2005-01-01

本稿は,「節合」という概念を手掛かりとして,1934年の弘法大師1100年御遠忌で開催された「弘法大師文化展覧会」を中心として,弘法大師が日本文化と節合され,展示を通して人々に広められる過程を追う.この展覧会は,戦時体制に協力する大阪朝日新聞と御遠忌を迎えた真言宗による「弘法大師文化宣揚会」が開催したものであった.この展示には天皇制イデオロギーを表象する国宝や重要文化財が,弘法大師にも関係するとして展示された.また展示会場は近畿圏の会館や百貨店であり,特に百貨店では都市に居住する広い階層の人々に対して,わかりやすい展示が試みられた.このような種別的な場所での諸実践を通して国民国家の維持が図られた.ただし会場を訪れた人々は,イデオロギーの中に完全に取り込まれてしまうのではなく,それを「見物」したり,娯楽としてみなしたりする可能性も胚胎していた.
著者
大澤 隆将
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.567-585, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
28

本論は、スマトラ島東部に暮らすかつての狩猟採集民、スク・アスリの民族誌的記述を通して、部族社会における権力に対する態度についての考察を行うものである。近年、部族社会における国家体制からの逃避の歴史、すなわち「アナキストの歴史」に関する研究が進められている。しかしながら、彼らの周縁化されてきた歴史と現状における国家権力の拒絶と受容のアンビバレンスについては、明確な説明がなされていない。彼らが日常生活の中で行ってきた国家に対するコミュニケーションの忌避を「小さな逃避」と定義し、部族の国家に対する態度に関する分析を行う。 スマトラ東岸部に暮らすスク・アスリは、国家の支配者・従属者たる「マレー人」の概念のアンチテーゼとして周縁化されてきた歴史を持つ。結果、彼らは階層制の中で強い権力を持つ人々に対して怖れと気後れの感情を抱いており、日常生活においての接触を避ける。この「小さな逃避」は、国家支配内部での部族としてのポジションを再生産している。一方、過去のスルタンとの交流、現在の政府との交渉、そしてシャーマニズムのコスモロジーには、階層システムの中で強い権力を 持った存在への積極的な働きかけが認められる。このような働きかけは、相対的に権力を持つ存在との関係を調整・改善する役割を果たす一方、政府への働きかけはごく一部のリーダーによっての み行われている。 描写を通して明らかとなるのは、彼らの世界における権力の外在性である。彼らは、国家の階層的な権力構造を理解し、時として積極的に働きかける一方、その権力や階層制を内在化させることはない。したがって、周縁化されてきた部族社会におけるアナキズムは、国家の階層的な権力に対する拒絶や抵抗の実践ではなく、その権力を外部に認めながら、一定の距離を保つ態度として捉えることができる。
著者
佐久間 美羊
出版者
千葉経大学短期大学部
雑誌
千葉経済大学短期大学部研究紀要 = Bulletin of Chiba Keizai College (ISSN:2189034X)
巻号頁・発行日
no.16, pp.23-32, 2020-03-31

This paper re-examines the propaganda activities at the Bunka Camp. The Bunka Camp was set-up by the Japanese Army during the Second World War with the aim of creating propaganda programs by engaging the POWs in the process. Post war memoirs and narratives about the Camp were told from the Japanese side and their focus was on the programs called“ Zero Hour” and“ Hinomaru Hour”. However, it is impossible to understand the whole picture of the Camp activities from these narratives because none of these authors, either civilian or military, were involved in the making of the programs across the entire period of the camp's existence. This paper pays attention to the last three POWs who were brought into the camp three months before the end of the war. They were not documented in the official Japanese records. By disclosing the stories of the three POWs, new programs other than the ones previously mentioned will be brought to light. In addition, the attitudes of the POWs towards the propaganda activities will be revealed. This research is essential in order to understand the Bunka Camp, not only from the Japanese perspective, but also from the perspectives of the POWs'.
著者
鈴木 康司
出版者
Brewing Society of Japan
雑誌
日本醸造協会誌 (ISSN:09147314)
巻号頁・発行日
vol.109, no.8, pp.568-575, 2014 (Released:2018-03-15)
参考文献数
37
被引用文献数
1 1

免疫力を高められるなどの機能性ヨーグルトの販売が今冬も好調だった。ヨーグルトにおいては,乳酸菌は善玉菌である。一方,同じ乳酸菌でもアルコール飲料に生育すると,腐敗や混濁を引き起こし,悪玉菌になる。グラム陽性菌に対して抗菌活性を示すホップ成分を含んでいるなど,ビールは微生物が生育しにくい飲料である。そのビール中で生育できるビール混濁乳酸菌について,長いビール醸造の歴史の中でどのように適応進化してきたか,また,その耐性機構はどのようなものかについて,解説いただいた。
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.1-34, 2020-03-06

長州戦争とは、元治元年から慶応二年まで、幕府が二次にわたって「朝敵」となった長州藩の征討を試み、幕府軍の敗北に終わった内戦である。日向延岡藩は譜代藩としてこの長州戦争に二度とも出陣しており、藩政および藩財政に与えた影響は極めて大きいものがある。 本稿では藩主内藤政挙が出陣した第二次征長をとりあげ、旗本後備の拝命から大坂出陣・滞坂、広島出陣について「御用部屋日記」から検討を加えた。滞坂中の下陣や巡邏出役のあり方、続出する病死人への対処、長引く滞在で風紀紊乱に陥った家臣・人夫たちをどのように統制したかなどを明らかにした。 また慶応二年六月、延岡藩は芸州口討手応援を命じられるが、広島に到着したのは大幅に遅れた七月である。その背景には病人の増加と在所から登坂する人夫不足があった。小倉城自焼の知らせを受けた藩は、幕命より自領守衛を優先し、着芸わずか一週間で大半の兵士・人夫を帰国させる。延岡藩にとって長州戦争は、莫大な財政支出と多数の病死人を招いただけであったが、延岡藩はこの後も鳥羽伏見戦争まで、譜代藩として幕府との封建的主従関係を維持することになる。
著者
森津 千尋 Chihiro MORITSU 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.233-243, 2020-03-06

本稿では、婦人雑誌における新婚旅行記事を資料として、大正から昭和初期にかけての新中間層における新婚旅行の普及について検討を行った。新中間層が主な読者層とされる婦人雑誌においては、まず理念的な新婚旅行の提唱や検討から始まり、次第に実践を前提とした具体的なアドバイスや携帯品の紹介等の実用記事へと内容が変化していく。そして著名人や読者の新婚旅行体験記が掲載されるようになり、新婚旅行はいくつかの誤解や失敗がありつつも「よい思い出」として語られることで、肯定的に再生産されていく。このように婦人雑誌で取り上げられるようになり、明治後期にはまだ「憧れ」であった新婚旅行は、大正末期から昭和初期にかけて新中間層の間で普及し、婚礼儀式の一部として実践されていく。そしてその結果、この時期には、同じ場所へ同じスタイルの新婚旅行夫婦を運ぶ「新婚列車」が登場し、新婚旅行の大衆化・画一化がさらに進んでいく。
著者
永松 敦 足立 泰二 陳 蘭庄 篠原 久枝 宮崎公立大学民俗学演習 Atsushi NAGAMATSU Taiji ADACHI Lanzhuan CHEN Hisae SHINOHARA SEMINAR-MMU FOLKLORE 宮崎公立大学人文学部 宮崎大学 南九州大学 宮崎大学 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities Miyazaki University Minami Kyushu University Miyazaki University Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.121-200, 2020-03-06

現在、伝統野菜・在来野菜のブームが地域創生との関連で湧き上がっている。特定の地域に根差した食材としての野菜を地域づくりに活用する試みが、全国各地で展開している。ただ、伝統野菜・在来野菜の定義が曖昧なまま広範囲に利用だけが促進されると、逆に、地域文化の改変、及び、損失につながりかねない状況も起こりうる危険性も孕んでいる。本稿では、従来の見解を一度、整理しなおし、宮崎、鹿児島(種子島)の事例を中心に、理想的な伝統野菜・在来野菜利用のあるべき姿を探ってみたい。 末尾に、在来野菜に関する助成事業の報告書3種を添付する。