著者
会田 裕一 大沢 昌玄 岸井 隆幸
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D3(土木計画学)
巻号頁・発行日
vol.73, no.5, pp.I_791-I_798, 2017
被引用文献数
1

台湾初のLRTプロジェクトが高雄市において2019年の全線開業を目指して進められている.計画から全線開業まで19年間を要する一大プロジェクトである.建設に長期間を要したのは,事業化の段階で民間投資に適したプロジェクト組成ができなかったことが一因であった.そこで,本研究は高雄LRTの事業計画の資金計画に着目し,事業推進上の課題を抽出すると共に課題への対応策を解明することを目的とする.その結果,事業費増加による高雄市の財政負担増,事業収入の低下といった課題が明らかになった.このような課題に対して,中央政府による公的な補助制度,開発利益還元施策や都市政策との連携による利便性の高いまちづくり促進など日本においても学ぶべき知見が得られた.

1 0 0 0 OA 両国橋一件

出版者
巻号頁・発行日
vol.巻9,
著者
野呂 志津子 山口 智子 佐藤 奈津美 猪股 里美 成田 全 松江 聖乃 川崎 くみ子
出版者
日本看護技術学会
雑誌
日本看護技術学会誌 (ISSN:13495429)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.59-63, 2013-08-20 (Released:2016-07-08)
参考文献数
6
被引用文献数
1

本研究は,ボックスシーツのずれやしわの発生状況を従来のシーツ (以下,基準シーツ) と比較検証することにより,ボックスシーツのほうがしわやずれが少なく使用していくことができるかを明らかにすることを目的とした.健康成人女性22名 (平均年齢24.0±3.0歳) を対象に,ずれ測定部位に印をつけたボックスシーツと基準シーツを用い,60分臥床と30分ヘッドアップを行い,おのおのずれとしわを測定した.結果,両シーツともベッドに対し横方向にくらべ,縦方向のずれが大きく,シーツ中央のしわは他のエリアよりも有意に多かった (p <0.05).ヘッドアップ時はシーツ下方より上方のしわが有意に多く (p <0.05),上方より下方のずれが有意に多かった (p <0.05).臥床時のしわはシーツ中央と下方でボックスシーツが有意に少なかった (p <0.05).以上より,頭側が袋状になりベッドメーキング時足元を適度な力で牽引できるボックスシーツは基準シーツにくらべ,外観上しわが少なく,ずれは同様であり,患者が療養生活を行ううえでボックスシーツも活用できると確認できた.
著者
竹田 亮祐
出版者
一般社団法人 日本老年医学会
雑誌
日本老年医学会雑誌 (ISSN:03009173)
巻号頁・発行日
vol.30, no.3, pp.182-187, 1993
被引用文献数
1

褐色細胞腫の記載者である故村上先生の本邦第1例の業績を記念し, 内分泌性高血圧のうち, 褐色細胞腫次いで原発性アルドステロン症及び Cushing 症候群をとりあげ, わが国における「副腎ホルモン産生異常症」疫学調査成績をもとにその臨床症候や検査成績を60歳前後で比較した場合の特徴について考案を加え, さらに上記3疾患について最近話題の2, 3の事項を紹介した. また本態性高血圧症を内分泌代謝学的に亜分類しょうとする観点から, 11β-hydroxysteroid dehydrogenase (11β-HSD)部分的障害仮説についてわれわれの得つつある最近の知見を付言し, 培養動脈平滑筋細胞に11β-HSD mRNAの発現を認めること, SHRの血管 (腸間膜動脈) にいおてはWKYラットに比べ11β-HSD活性が低下していること, 同遺伝子異常の可能性を示唆する実験的事実を報告した.

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1897年10月20日, 1897-10-20
著者
バンディ イシュワル クマール 田村 幸雄 吉田 昭仁 キム ヨンチョル チングシャン ヤン
出版者
一般社団法人 日本風工学会
雑誌
風工学シンポジウム論文集
巻号頁・発行日
vol.22, pp.179-184, 2012
被引用文献数
1

6種類の高層建物の圧力模型を用いて境界層風洞内に都市部を模した気流のなかでの風圧力分布を測定する風洞実験を行なった。6体のうち5体は正三角形平面を有する、ストレート、コーナーカット、60度ヘリカル180度ヘリカル、360度ヘリカルで、残りはクローバーのような形をした平面を有するものである。得られた風圧力分布を積分して揚力と抗力を算出した。風方向と風直行方向の全体風力の平均成分と変動成分についてまず論じる。ここではねじれ角度や隅部形状の変化が空力特性に与える影響を明らかにする。さらに揚力のパワースペクトルについて論じる。
著者
黄 智暉
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.29, pp.85-99, 2006-03-01

The mutual influence in writing yomihon between Santo Kyoden and Kyokutei Bakin during the Bunka period (1804 to 1817) has already long been understood, but the influence of Kyoden’s works on Bakin’s long yomihon following Kyoden’s Souchouki, his last yomihon work published in 1813, has been left largely unexamined.The third volume of Shousen Joushi Aki no Nanakusa, printed in 1809, which represents the battle between the Northern and Southern dynasties as a fight between crows and herons, has already been shown to have taken the idea from Kyoden’s Chushin Suikoden (published 1799) wherein a battle between yellow butterflies signals danger for the Enya house. In this presentation, it will be shown that volume six of Souchouki, depicting red and white botan and blue-white butterflies, actually takes its influence from the above section in Shousen Joushi Aki no Nanakusa, as well as that Bakin’s later Kaikan Kyouki Kyoukaku Den (published 1832) uses this part of Souchouki in its plot. In turn, it will be shown that these two authors from the same era did not merely exchange ideas repeatedly, but look into the meaning of unusual happenings being omens of war in historical novels. Concretely, the depictions of these unusual happenings are not simply used in one instance to forewarn of future developments, but are attached to the theme of the work and used to present the author’s view of history. This is a feature of Bakin’s writing, which will be made clearer through comparisons with Kyoden.Also, Aro Kassen Monogatari and Hitsujigusa, two works thought to have been referred to by Bakin and Kyoden, will be included in the analysis. In particular, comparisons between the pedantic soothsaying described in Aro Kassen Monogatari will be compared with the I Ching-styled themes Bakin frequently uses in his yomihon. In Bakin’s case, he borrows from earlier fiction, but goes beyond them by looking to correct political ideas, making his novels into historical criticisms. For Bakin, describing omens and soothsaying does not merely work as a device for moving the story along, but holds an important function as representing the author's ideas, as is also seen in works of history.
著者
西山 弘泰
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.92, 2008

1.はじめに 郊外の一戸建て住宅は,住宅双六に代表されるように,終の棲家と位置付けられ,その住民の転出入については不問に付されてきた.居住遍歴の通過点として位置づけられていた公団の賃貸住宅は,1960年代を中心とした地方からの人口流入に対応するため,1960年代後半から1970年代前半にかけて大量に供給が行われた.しかし,公団の賃貸住宅はこれらの膨張した都市人口に対して十分な住宅供給ができたとは言えない.ファミリー向けの民営借家も借地借家法などの法制度によって供給は極めて少なかった.一方,公団の賃貸住宅やファミリー向け民営借家の補完的役割を担っていたのが,郊外にスプロールを伴って建設された狭小で低廉な戸建住宅である. 本報告では,主に1970年前後に開発された敷地面積100_m2_以下の戸建住宅が密集するミニ開発住宅地を事例として,住民の入れ替えとその特徴を明らかにする.2.調査概要 本報告は敷地面積100_m2_以下の戸建住宅の割合が55.1%と高い,埼玉県富士見市関沢地区の3つの番地を事例として,計151筆の土地と建物の登記簿と住宅地図の居住者表示の分析が主である.当地域では1998年に登記内容がコンピュータ化されたため,1998年以前は閉鎖登記簿の閲覧を,1998年以降は登記事項証明書を発行した.A番地は1966年に開発され総戸数は40戸,平均敷地面積40.17_m2_で現在までに約3分の2が建替えを行っている.B番地は1971年に開発され,総戸数は48戸,平均敷地面積は82.89_m2_で現在までに約半数が建替えを行っている.最後にC番地は1977年に開発されたものが主で,総戸数は63戸,平均敷地面積は98.70_m2_で現在までに約4分の1が建替えを行っている.各番地の最寄り駅は,東武東上線みずほ台駅と鶴瀬駅で,各番地から両駅へは徒歩13分程度の距離にある. なお,不動産登記簿の所有者と住宅地図の居住者表示の整合性については,住宅地図の表記に即応性がなく1,2年の表記の遅れはあるものの,ほぼ一致している.よって,関沢地区においては,所有者の変更は居住者の転出入とほぼ同義である.また,国勢調査の結果からも,ほぼすべての戸建住宅が持家であることも明らかとなっている.3.結果A番地では1966年から現在まで,計184回の所有権移転が確認できた.そのうち業者や相続・贈与に伴う所有権移転を除くと124回の所有権の移転であった.これは一筆あたり平均で3.1回の所有権移転があったということを示している.1966年の開発時から現在まで同一の所有者は1筆で,現所有者を除く,平均所有年数は約5年であった.所有者変更が活発なのは1960年代後半から1980年代前半までである. B番地では,1971年から現在まで,計126回の所有権移転が確認できた.そのうち業者や相続・贈与に伴う所有権移転を除くと107回の所有権の移転であった.一筆当たりの平均所有権移転数は2.1回であった.入居当時から現在まで同一の所有者は12筆で,A番地と比べると滞留率は高いものの,約半数で1980年までに所有者移転があった.B番地の所有権移転の特徴は1990年以降の所有権移転が16回と,A番地の7回に比べて多いことである. C番地では,1971年から現在まで,計94回の所有権移転が確認できた.そのうち業者や相続・贈与に伴う所有権移転を除くと83回の所有権の移転で,一筆当たりの平均所有権移転数は1.3回と他に比べると大幅に少ない.また,7割以上が開発時から現在まで滞留しており,所有権の移転は格段に少ない.なおC番地の居住者の前住地は4割が富士見市内であることが国勢調査より明らかになっている. 以上,各番地の所有権移転数の違いは開発時期,敷地面積,居住者の年齢などが密接にかかわっていると考えられる.また,A番地やB番地のように,1960・70年代に所有権移転が多かったのは,ファミリー向け民営借家の不足,急激な地価の高騰,低廉な価格といったことも背景としてあると考えられる.
著者
立花 希一 TACHIBANA Kiichi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学 (ISSN:1348527X)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.33-44, 2009-03-01

This paper has two aims. The first is to warn Japan against making the same mistakes made by the Israelites of ancientIsrael in their choice of government. After the Exodus, because the people were sovereign, they initially had the opportunityto choose their form of government using democratic procedures. The government they chose, however, wasanti-democratic theocracy, and they eventually abandoned their popular sovereignty. Their choice, therefore, may be describedas democratic suicide.The second aim of the paper is to integrate a desirable theory of sovereignty with Popper's theory of democracy inwhich all kinds of (unchecked) sovereignty are rejected. The integrated theory of democracy proposed in this paper willbe suitable for the idea of democracy as popular sovereignty in Japan, which is prescribed in the current Japanese constitution(Minshushugi in the sense of Kokumin-shuken or Shuken-zaimin).
著者
小林 標
出版者
大阪市立大学
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.54, no.7, pp.1-30, 2002-03