著者
五十嵐 陽介 田窪 行則 林 由華 ペラール トマ 久保 智之
出版者
日本音声学会
雑誌
音声研究 (ISSN:13428675)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.134-148, 2012-04-30

聴覚印象に基づいて分類した3種類のアクセント型にそれぞれ所属するテスト語は,音響的にも互いに有意に異なっていることが,分散分析の結果によって確認された。また,あらかじめ分類を行わずに音響特徴のみを与えてテスト語を分類させるクラスター分析の結果,3種類のクラスターが得られた上,各クラスターの成員が,聴覚印象に基づいて分類したアクセント型の成員とほぼ完全に一致した。以上の結果から,池間方言のアクセント体系は三型であって二型ではないということは,動かしがたい事実であると断言することができる。本節の分析により,池間方言と多良間方言の間にはそれぞれのアクセント型に所属する語彙に規則的な対応があることが示されたが,同時に池間方言のA型の語彙数が極端に少ないことも明らかにされた。A型の語彙が極めて少ない事実もまた,池間方言のアクセント体系が二型であるとする誤った記述の原因のひとつであると考えられる。方言間の対応については次節でも触れる。
著者
松田 秀人
出版者
名古屋文理大学短期大学部
雑誌
名古屋文理短期大学紀要 (ISSN:09146474)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.125-129, 1998-04-01
被引用文献数
1

女子大生263名を対象に, 食品の咀嚼を考慮して食品嗜好調査を実施した.被検者をBody Mass Index(BMI)により肥満群(BMI 26.4以上, 17名)と非肥満群に分類した.その結果, 肥満群は, ピザ, ナポリタン, チャーハン, フランスパン, コーンフレーク, ヒレカツ, ひじき, ショートケーキ, かりんとうの摂取頻度が低かった.これらの食品のなかでピザやショートケーキはカロリーが比較的高いので, 肥満群のほうが非肥満群に比べて肥満を気にする傾向が強いために, 摂取頻度が低かったと考えられる.ピザやショートケーキ以外の食品は, 概して咀嚼回数が多く, なかでも, フランスパン(可食部10gあたりの咀嚼回数108回), コーンフレーク(同243回), かりんとう(同98回)は咀嚼回数が特に多く, しかも噛みごたえのある食品である.したがって, 肥満群は非肥満群に比べて, 噛みごたえがあり咀嚼回数が特に多い食品の摂取頻度が低かった.
著者
平江 遼 西 隆司
出版者
一般社団法人日本音響学会
雑誌
日本音響学会誌 (ISSN:03694232)
巻号頁・発行日
vol.64, no.10, pp.607-615, 2008-10-01
被引用文献数
4

クラシック音楽を聴いて受ける印象の主因子を明らかにし,個人の感性に合わせた印象の自動推定システムを提案する。人間が音楽を聴いて受ける印象に対し,因子分析を行うことによって,印象空間の次元数と意味付けを検討する。音の大きさ,音色,リズムに対応した物理量を抽出し,印象の自動推定を行うシステムとして印象ごとにニューラルネットワークを構築する。構築したシステムに対して,未知のクラシック音楽を与え,印象の自動推定を行う。印象空間全体を用いて楽曲の印象推定を行うことにより,連続的に音楽の印象が推定できることを示す。
著者
山本 晃輔
出版者
The Japanese Society for Cognitive Psychology
雑誌
認知心理学研究 (ISSN:13487264)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.65-73, 2008
被引用文献数
2

本研究では日誌法を用い,"プルースト現象"——におい手がかりによって自伝的記憶が無意図的に想起される現象——の調査を行った.30名の参加者は1カ月間,プルースト現象が生起したときに記憶の内容およびその想起状況について記録するように求められた.その結果,ほとんどの記憶が古く,快でかつ情動性が高く,特定的で追体験感覚を伴った出来事であることが示された.加えて,手がかりとなったにおいは快でかつ感情喚起度が高く,命名が容易であった.また,想起状況の分析から,想起時の活動が副次的な手がかりとして作用することはまれであった.さらに,感情一致効果が見られた.これらの結果はにおい手がかりによって喚起された感情がプルースト現象の生起に影響することを示唆している.
著者
藤波 伸嘉
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.124, no.8, pp.1383-1420, 2015-08-20

Unlike other Islamic polities that were colonized by the Western powers, the Ottoman Empire remained independent until the very end. Therefore, the relationship between Islamic law and the Empire's public law became an important topic in Ottoman jurisprudence, especially after the Young Turk Revolution of 1908, when the principle of national sovereignty (hakimiyet-i milliye) was proclaimed as a basis of the state's new constitution. This article addresses the views of Ottoman jurists regarding national sovereignty by analyzing Babanzade Ismail Hakki's Hukuk-i Esasiye, one of the first textbooks on Ottoman constitutional law. While continuing his predecessors' endeavors to defend Ottoman sovereignty, Ismail Hakki introduced a new approach to understanding the character of the Ottoman Caliphate. To wit, sovereignty derives solely from the nation which is one and indivisible. The state is a juridical person representing the nation's natural sovereignty. Consequently, the monarch, namely, the Sultan-Caliph, was no more than an organ of the state. Ismail Hakki discussed the development of parliamentarism in a way that enabled him to construct an alternative approach to world legal history. While in the West parliaments were the product of feudal privilege, in the East there was no such privilege, due to the fact that Islamic law dictated that all men were equal and also that the Caliphate was, in essence, nothing but a form of universal suffrage, through which the nation's will was expressed in the form of bay'a (oath of allegiance). Therefore, for Ismail Hakki, there was no reason to respect the three "privileges" that had been introduced into the Ottoman state governance since the late eighteenth century-the Capitulations (imtiyazat-i ecnebiye), autonomous provinces (eyalat-i mumtaze), and the religious privileges of non-Muslims (imtiyazat-i mezhebiye)-because they were contrary to the principle of equality among Ottomans and formed exceptions to the rules of a sovereign state system. While he took it for granted that the Ottoman nation was composed of various ethnic and religious groups, Ismail Hakki kept silent on the question of how to legally define the multi-ethnic and multi-religious character of the Ottoman constitution. He condemned the religious/ethnic quota system because, according to him, the Ottoman parliament represented the will of the one and indivisible nation as a whole. Religious/ethnic quotas contradict this fundamental basis of constitutional law. This attitude of Babanzade Ismail Hakki foreshadowed the subsequent legal tradition of the Turks to legitimize their Republic, which they alleged was ethnically homogenous.
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.103-117, 2015-03-31

本稿は、J・バトラーの一九八〇年代における身体論を考察する。バトラーの代名詞といえる『ジェンダー・トラブル』における理論的観点は一挙に形成されたわけではない。それは八〇年代における思索を通じて、ゆっくりと形成されたのである。八〇年代のバトラーにとって、第一義的な問題は身体であり、ジェンダーもそのような思索の延長にある。身体とは何か、身体の問題にいかにアプローチすべきかという問題は、八〇年代のバトラーを悩ませた大きな問題であった。この問題へのアプローチは八〇年代を通じて、「現象学からフーコーへ」の移行として描くことができる。逆にいえば、現象学との対決は『ジェンダー・トラブル』におけるバトラーの理論を生み出すうえでひじょうに重要な契機だった。本稿では、私たちはバトラーの思索において現象学が果たした役割を明らかにし、それがいかにフーコーの系譜学へと移行するかを示したい。This paper examines Judith Butler's thought regarding the body in the 1980s. Her theoretical perspective in Gender Trouble (1990) which has become a synonym for Butler, was not created at once. It was gradually formed thorough her speculations during the 1980s. In this paper, we show how her theory in Gender Trouble had been created through her thought in the 1980s. For Butler in the 1980s, the primary problem is the body, where gender is a facet of the problem. What is the body? How should we approach the body? These questions are the problems Butler engages in the 1980s. We can trace her approach to the body in the 1980s as the turn "from phenomenology to genealogy." In turn, her confrontation with phenomenology played a very important part in the establishment of her theory in Gender Trouble. Butler fi rst found phenomenology a method for approaching the body, redefining genealogy as theorized by Foucault, thorough her later critique of phenomenology, at least in 1989. In this paper, we illustrate the role played by phenomenology in Butler's thought in the 1980s, and how she shifts from phenomenology to genealogy.
著者
伊藤 博
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.12, pp.17-32, 2011

明治維新前後において、福沢諭吉ら洋学者達が近代科学を子どもにまで広めようとした。なかでも江戸末期の1868年(明治元年)に福沢諭吉が発行した『訓蒙窮理圖解 初編 上(中・下)』(上巻は表裏表紙含め全52葉)は、すべての漢字にルビを付し、所々にその頁の内容に沿った図などを挿入するなどはじめて子どもを対象とした科学読み物であったと考えられる。その後、この書物に触発されて明治五年から明治七年にかけて「窮理熱」と呼ばれる科学読み物がさかんに出版されるようになり、科学入門書の一大ブームが起きた。これは科学入門書が一般庶民の読み物として広がりつつあった事を裏付けるものである。こういった科学書が一般庶民の読み物として成立するためには、読者層において高いレベルの識字率が必要とされるのが前提である。さらに、各種の研究から明治維新前後の一般庶民の識字率は相当に高かったことが知られている。そこで本稿では、一般庶民にまで教育が施されるのはいつのことからであり、その教授法はどのようなものであったのかについて明治維新前後の当時の資料をもとにして考察していきたい。
著者
阪井 裕一郎
出版者
三田哲學會
雑誌
哲学 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.125, pp.105-141, 2011-03

特集 : 人間科学投稿論文The purpose of this paper is to clarity the axis of confrontation regarding the freedom of marital surname choice and to seek for the standpoint for justifying the freedom. From analyzing the discourses on the discussion of allowing marital couples to choose separate surnames (Fuufu-bessei) and my interview research for couples with separate surnames, I attempt to show the axis of confrontation and to examine the validity of legislation of this right.We can largely identify the different and opposite positions as four types: (A) those who insist that marital couples should have the same surnames, (B) those who support the legislation of the right for choosing separate marital surnames, (C) those who criticize the present family register (koseki) and support an ideal society based on the individuals, and (D) those who criticize the family resister but also require the legislation of the right for marital surname choice.With this classification, this study suggests the follows. Firstly, we can not take history or tradition as the grounds for the argument. Secondly, we should not regard the freedom for choosing separate surnames in the same light as requirement for equality of sexes, feminist ideals or individualism. In effect, some feminists or individualists continue to criticize the legislation of the right for choosing separate surnames.This study also suggests that the freedom of marital surname choice should be required in terms of not individualism but 'individual freedom'.
著者
長田 悠 檀辻 雅広
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.Bf0856-Bf0856, 2012

【はじめに】 重度な意識障害を呈した両側片麻痺患者に対し意識レベルの向上を目的とした言語刺激入力,関節可動域(以下ROM)運動,端座位練習を行ったが意識レベルに変化は得られなかった。そこで,意識の調節を司る脳幹網様体への入力をさらに増加させるため,長下肢装具(以下LLB)を装着した立位で積極的な抗重力刺激や体性感覚入力を行った。その結果,意識レベルが向上し,表情や手の動きによる非言語的な意思表出が可能となった。また頚部・体幹や股関節周囲筋が賦活されたことで車椅子座位保持が可能となり,家族ニーズが達成されたので報告する。【症例紹介】 症例は80歳代,男性。右視床出血発症後,保存療法を経て49病日目に当院回復期病棟へ入院となった。出血巣はCT上直径2.5cm大で視床から内外側に伸展し,内包後脚,中脳に及んでいた。また,両側脳室,第3脳室に穿破していた。既往は4年前に左被殻梗塞があるが,後遺症なくADLは自立であった。前院理学療法(以下PT)ではROM運動,端座位練習を実施され,わずかに頷きや手の動きを認めていたが,反応には日内・日差変動が見られていた。家族ニーズは意志疎通を図りたい,車椅子で移動可能となりたいであった。【説明と同意】 家族に口頭で説明し同意を得ている。【経過】 初期評価(49病日目)時は意識レベルJCS II-20,GCS E3V1M6であり,コミュニケーションは理解表出共に困難であった。Brunnstrom Stageは左上・下肢,手指共にI,右上・下肢,手指共にIV,ADLは全介助,食事は経鼻経管栄養,排泄は膀胱留置カテーテルであった。 PT開始当初は言語刺激入力,ROM運動,端座位練習を行い,意識レベルの改善を試みたが,血圧や血中酸素飽和度などの全身状態に変動を認めた。PT開始30日頃より徐々に全身状態が安定したため,起立テーブルを用いた立位訓練による抗重力刺激入力を開始したが,意識レベルに変化はみられなかった。また,標準型車椅子座位姿勢は頚部・体幹が大きく崩れるため保持不可であった。 そこでPT開始75日目から,より豊富な体性感覚を入力するために左下肢にLLB,右下肢に膝装具を装着した腰掛立位を行なったところ,開眼持続可能となるなど覚醒レベルの改善が見られ始めた。立位練習開始当初は介助量が多く,立位保持だけに留まっていたが,徐々に体幹・下肢の抗重力筋の活動がみられ,右下肢の支持性が向上した。開始100日目より,自動介助にて右下肢ステップ練習,右上肢のリーチ練習,左下肢を軸にして方向転換をする移動練習などを取り入れ,より積極的に体性感覚入力を継続して行った。その結果,PT開始143日頃に標準型車椅子座位姿勢の崩れが軽減し自力での保持が可能となった。意識レベルは日内変動がなくなり,JCS I-3,GCS E4V1M6となった。また,問い掛けに対して表情変化や頷き,手の動きで応答することが可能となり,さらに鼻を掻く,ピースサインを出すなどの目的を持った右上肢の動作がみられるようになった。【考察】 Magounらの提唱した上行性網様体賦活系は,中脳から延髄にわたる網様構造をした神経組織である脳幹網様体の興奮を視床の非特殊核を中継し,大脳皮質に広く投射することで意識の保持に関与すると考えられている。また,意識障害は大脳皮質の広範な障害による活動低下か脳幹網様体の障害によって生じるといわれており,本症例は広範な出血により中脳も損傷されたため脳幹網様体の機能低下を生じ,重度意識障害を呈したと考えられる。 意識障害に対するPTは端座位や立位などの抗重力位をとることが有効であるとされている。当初は本症例にも同様に実施したが,意識レベルに著明な変化は得られなかった。そこで,抗重力位でより積極的な体性感覚による感覚刺激入力を行なった結果,意識レベルが向上し日内変動が見られなくなった。これは脳幹を上行する感覚の求心性路は脳幹網様体に側枝を出すと言われていることから,本症例に対し積極的に体性感覚入力を行ったことが上行性網様体賦活系の活性化に繋がり,意識レベルが向上したと考えられる。また,意識は注意・行為・言語などの高位機能の基盤であるといわれていることから,本症例が意思表出可能となったのは意識レベルが向上した結果であると考えられる。【理学療法研究としての意義】 重度意識障害の症例に対して,積極的に体性感覚入力を行うことで意識レベルの向上が得られた。理学療法士として運動機能の回復のみならず,意識レベルを向上させることでコミュニケーション能力の回復にも寄与することが出来ることを学んだ。
著者
松岡 英子
出版者
信州大学教育学部
雑誌
信州大学教育学部紀要 (ISSN:03737381)
巻号頁・発行日
no.68, pp.p33-45, 1990-02