著者
松下 純子 後藤 月江 金丸 芳 遠藤 千鶴 長尾 久美子 有内 尚子 高橋 啓子
出版者
The Japan Society of Cookery Science
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.42-48, 2014

日本の調理文化の地域性の特別研究のうち,平成21年から平成22年に「行事食・儀礼食」についてアンケート調査を行った。徳島県に10年以上在住する人を対象に,正月を除く年中行事について30歳未満,30歳以上50歳未満,50歳以上の年代区分に分類し検討した。人日,端午の節句,七夕,土用の丑,盂蘭盆,重陽の節句,春分の日,秋分の日,冬至,秋祭りでは,認知率および経験率の双方に年代区分で有意差がみられた。節分「巻き寿司・のり巻き」,土用の丑「うなぎの蒲焼き」は行事食としての喫食率が高かった。春分の日,秋分の日の「ご飯・だんご」,春祭り,秋祭りの「ご飯・すし」は,若い世代への伝承が薄れていることが推察された。全ての年代区分で年末のクリスマス,大みそかは行事として定着しており,「ケーキ」や「年越しそば」を多く食べていた。多くの行事食は以前には家庭で作ったが,現在は買う入手方法へ変化しており,特に50歳以上で顕著であった。
著者
菊地 和美 菅原 久美子 木下 教子 酒向 史代 坂本 恵 高橋 セツ子 土屋 律子 芳賀 みづえ 藤本 真奈美 村上 知子 村田 まり子 山口 敦子 山塙 圭子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.24, 2012

【目的】年中行事や通過儀礼を行うハレの日には、食事も日常とは区別され、各家庭や地域で独自の習慣がみられている。食生活が多様化する中、地域における年中行事や伝統食を大切にし、次の世代への継承にむけた取り組みが推進されるようになってきた。そこで、本研究は北海道の行事食と儀礼食について、親子間(学生とその親)からみた認知状況や摂食状況などの実態把握を行い、地域性を明らかにすることを目的として検討した。【方法】調査は日本調理科学会特別研究(平成21~23年度)に基づき、北海道に居住する親181名と子181名(計362名)を対象として、調査時期は平成21年12月~22年8月に実施した。データは単純集計および親子間によってクロス集計を行い、χ2検定により分析した。【結果】親子間で認知・経験が一致する回答は、行事食が74.0%、儀礼食は49.8%であった。行事食と儀礼食を認知している割合は親が子よりも多く、親子間で有意差がみられたのは盂蘭盆、お七夜、百日祝い、初誕生、厄払いであった(p<0.01)。行事食と儀礼食の経験がある割合も親が子よりも多く、有意差がみられたのは春分の日、端午の節句、盂蘭盆、土用の丑、お月見、秋分の日、出産祝い、お七夜、百日祝い、初誕生、成人式、結納、婚礼、厄払い、長寿であった(p<0.01)。北海道の正月料理のうち、親子間で「現在、家庭で作る」という回答が一致していたのは、たこ刺身が7組(親子間一致なし12組)、くじら汁が2組(親子間一致なし3組)、いずしが2組(親子間一致なし2組)であった。今後はさらに、北海道における特徴的な行事食・儀礼食の親子間による伝承を検討する必要性が示唆された。
著者
高橋 百之
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.22, no.6, pp.228-232, 1949
被引用文献数
2 1

山間地の住家の位置は日照日射條件に密接な關係がある。飛彈小八賀川流域においては住家は春分の日に日照時數9時間以上の所に位置し,流域の上下,谷の南北兩斜面の別はほとんどなく,全體として日照の好位置にある。日射條件の方は兩斜面によつて異り,南向側が良好で北向側が劣つて居る。なお日照の條件がよい所だと日射條件はきわめてよく,日照の不備な所は日射で補う傾向が伺われる。
出版者
日経BP社
雑誌
日経エレクトロニクス (ISSN:03851680)
巻号頁・発行日
no.736, pp.125-129, 1999-02-08
被引用文献数
1

日本アイ・ビー・エム(IBM)が1998年7月に発売した音声認識ソフトウエア「ViaVoice98」。発売以来半年で出荷本数は30万本を超え,「パソコンの音声認識といえばIBM」というイメージを定着させた。従来製品と違い,単語ごとにいちいち区切って発声する必要はない。音声ワープロとして,ほぼ実用レベルに達したといえる。 「きてよかったなぁ」。
著者
中川武夫 飯田弘之 若林宏明
雑誌
第75回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2013, no.1, pp.15-16, 2013-03-06

著者ら(Iida et al. Game Information Dynamic Models based on Fluid Mechanics. Entertainment & Computing(2012) 3, 89-99 2012)により提案されたゲーム情報力学モデルを用いて将棋のプロ棋士とコンピューター(激指、習甦など)の試合経過を解析したものである。 解析結果はAdvantage,Winning Rate, そしてCertainty of Game Outcomeから成り立っており、これらの値が、それぞれの試合の時間経過に伴ってどのように変化するかが明らかにされた。 本研究を通して得られた新たな知見を要約すると以下のようになる。1.打ち合いの接戦になると、コンピューターが有利である。2.コンピューターは投了の時期を判断することが、現段階においてはできない。3.コンピューターに人間が勝ためには、人間と対局するのとは異なる戦略・戦術が求められる。 たとえば、眩惑、空かす、フェイントなど。4.人間vs.コンピューター戦を公正性と公平性が良く保たれ、かつエンタテイメント性豊か なものとするためには、適切なルールの制定が不可欠である。
著者
大宮 正寿
出版者
The Japanese Society of Printing Science and Technology
雑誌
日本印刷学会誌 (ISSN:09143319)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.199-203, 1992

1986-1990年の5年間の製本の設備・技術等の動向を考察すると, 量の生産から質の生産体制へと変りつつあることが窺われる. 製版・印刷工程に比べるとやや遅れ気味ではあるが, (1) 設備へのコンピュータの導入 (2) 省力化・省人化のための設備導入 (3) 工場内物流改善や省力化を兼ねたFA化工場への試み (4) 落乱丁防止等品質保証機器の普及等があげられる.<br>また, 生産効率アップのための諸製本機械の高速化も進められた. 雑誌の製本機では最高回転数10,000<sub>RPH</sub>前後から15,000<sub>RPH</sub>が次のステップの目安になると思われる.<br>一方, この分野での社会的背景による最大の関心事は1989年末に顕在化した人出不足による納品遅延問題や外国人の単純作業への雇用が大きな社会問題として話題となった. そして, 人出不足は「3K (きつい, きけん, きたない)」の言葉を生み作業環境と労働条件の改善を促すきっかけとなった. 日印産連の特別テーマとして「無線綴りの騒音低減研究」 (1988年), 「製本におけるマテリアルハンドリングの研究」 (1991年) が行われたが, 製本分野の昨今のニーズをよく象徴しているように思える.<br>出版製本分野を中心に設備・技術動向について昨今の変り方と将来への展望等について述べてみたい.<br><b>1.1 上製本ラインマシンのプリセットシステム</b><br>1960年代前半に米国スマイス製上製本ラインマシン, 後半に西独コルブス社の同設備が日本へ導入された. これは, 上製本生産の省人化と大量生産への革命であった. そして高度経済成長期には各種の百科事典と美術本ブームの製本の役割を十分に発揮した. しかし, 安定期に入ると上製本は並製本特に雑誌からみると本来的には小ロット, 多品種生産タイプの典型であることから作業切替の時間短縮が生産効率向上の面でまず必要となってきた.<br>1982年6月DRUPAにて西独VBF社のプリセットシステムを搭載した上製本ラインマシンがはじめて展示された. 日本へ1台目が導入されたのは1985年であった.<br>その後, 西独ゴルブス社も同種の機械を開発, 1991年現在既に約38台が日本で稼働中である. これは, 全国で現在稼働中の上製本機約120台中の32%に相当することになる. もちろんコンピュータによるプリセットの考え方は製本分野では断裁機や糸かがりの折丁フィーディングシステムに取り入れられ定着化し, 最近では高度レベルに達しているが「造本仕上げ機」としてははじめてであり, 製本機のセッティングコンピュータ化のはじまりといえよう. これらのコンピュータには生産管理機能をもたせることも進められ, 正確な記録にもとづく生産管理を行うことを可能にした.<br>1960年代のラインマシンとコンピュータ搭載の最近のラインマシンの生産性を示すデータの一例を示すとおよそ下記のような変貌をみることが出来る.<br><b>表5-1-1</b><br>したがって, 能力として139%, 切替時問1/3への短縮が'80年代後半から可能となったといえる.<br><b>1.2 その他の製本機のコンピュータ化</b><br>上製本ラインマシンのコンピュータによるプリセット化は, 並製ラインマシンや他の機械へのプリセットにも影響を及ぼした. 本製本ラインマシンが寸法決めが可能となった背景は, 本の表紙と中身が固形に近い均一な大きさであった為といえる.<br>一方, 並製本は, 表紙も中身を構成する折丁も紙質により大きく異なり, また寸法や印刷の版種により異なり, 扱いづらい. これらの点がセットの自動化をむずかしくしている. しかしながらも全工程ではないが, 可能な部分についてコンピュータセットを取り入れた設備が発表され実用化に入っている.<br>三方断裁機は, 並製ラインにおいては最終の工程であるが, 寸法設定に時間がかかっている. IGAS'87に発表されたコンピュータ寸法決め付三方断裁機は, 天地小口寸法及び罫下落としをプリセット可能とした. これによりセッティング時間40分が20分に短縮された. また, 無線綴機の丁合機折丁ホッパーの寸法決め, 表紙フィーダー及び搬送部背の断ちシロの自動セッティング, 接着剤塗布装置のローラー高さ決め等, 従来目視による手動操作を自動化及びデジタル化する試みがIGAS'87でメーカー各社より提示され, 現在実用と改善が進められている.
著者
加藤 敏幸
出版者
関西大学
雑誌
情報研究 : 関西大学総合情報学部紀要 (ISSN:1341156X)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.67-90, 2005-03-15

ネットワーク上の表現による名誉毀損と表現の自由との調整に際して,プロバイダの責任を制限するための法律が近年制定された.本法律では(1)被害者に対する賠償責任の制限と,(2)発信者に対する賠償責任の制限,さらに,(3)発信者情報の開示請求,について定められている.そこで本稿ではこれらの規定について,これまでに蓄積された判例を検討することで,その適用上の問題を検討したい.
著者
藤川 純朗 横井 輝夫 米中 幸代 高田 聖歩
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.B0720-B0720, 2008

【目的】脳血管障害後遺症者や認知症高齢者などでは,体幹や頚部が側屈した状態で食事をしている場面をみることがある。なかでも脳血管障害後遺症者では,体幹の側屈時に頚部の立ち直りがみられる場合とみられない場合がある。臨床経験として頚部の立ち直りがみられる場合には,誤嚥を疑う重要な症状であるむせや咳き込みが少ないと感じていた。そこで本研究では,誤嚥に深く関与する嚥下に要する時間に,体幹と頚部の側屈が与える影響について表面筋電図を用いて検討した。<BR>【方法】被験者は研究の目的と方法を説明し,同意が得られた学生12名(男性5名,女性7名,平均年齢21歳)である。測定の対象筋は,嚥下に伴う随意運動の開始の指標として口輪筋,嚥下反射の開始の指標として舌骨上筋群である。測定したパラメータは嚥下時の口輪筋と舌骨上筋群の活動持続時間,及び口輪筋活動開始から舌骨上筋群活動開始までの間隔である。測定条件は,安楽な椅子座位と体幹30度側屈で頚部の立ち直り有りと無しの3通りである。全ての姿勢で頚部は軽度屈曲位である。体幹側屈・頚部の立ち直り無し条件では,頭部を側屈した体幹の延長線上に保持した。体幹側屈・頚部の立ち直り有り条件では,被験者は前方に置かれた鏡をみて頭部を垂直に戻した。体幹の側屈角度である30度の設定は,ある介護老人保健施設での昼食時,最も側屈が著明であった者の角度である。実際の食事中の体幹の側屈には骨盤傾斜を伴うため,側屈角度の測定は,日本整形外科学会の基準を参考にして,軸心は第5腰椎棘突起,基本軸は第5腰椎棘突起を通る垂線,移動軸は第5腰椎棘突起と第1胸椎棘突起とを結ぶ線とした。被験食品は,中スプーン1杯量である計量された10gの市販のおかゆとした。測定手順は,測定者がディスプレイ上の筋電図の軌跡が安定することを確認した後,静かな声で"はい"の合図を出し,喉頭の挙上で嚥下を確認してディスプレイ上の軌跡が再び安定するまで記録した。測定は5回行い,その平均値を被験者の代表値とした。統計処理は,反復測定による1元配置の分散分析を行い,有意差が認められた場合は,下位検定としてDunnett法を用いた。<BR>【結果】椅子座位条件と体幹側屈・頚部の立ち直り有り条件の間では,3パラメータにおいて有意差は認められなかった。また体幹側屈・頚部の立ち直り無し条件は,椅子座位条件に比べ,口輪筋と舌骨上筋群の活動持続時間に有意な延長が認められ,2筋の活動開始間隔には有意な差は認められなかった。<BR>【考察】嚥下に要する時間は体幹の側屈のみでは延長せず,頚部の立ち直りの有無が深く関連していた。その機序は十分な検討が必要だが,体幹や頚部の側屈がみられる脳血管障害後遺症者などでは,摂食姿勢を整える際,特に頭部の正中位保持に留意する必要がある。
著者
島岡 明生 谷口 守 松中 亮治
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集 = Proceedings of JSCE (ISSN:02897806)
巻号頁・発行日
no.786, pp.135-144, 2005-04-20
被引用文献数
6 2

今後わが国は今までに経験のない人口減少状況の中で交通環境の改善, 都心部の活性化などの課題に対応することが求められる. そのための都市づくりのコンセプトとしてコンパクトシティが着目されているが, 実証的な観点にたつ都市の具体的な撤退戦略については展望がない. 本研究では, 地方中心都市を対象に, 人口減少をどのような分布と構成で受け入れる必要があるかを実データに基づき, 詳細な地区レベルで検討した. ガソリン消費量などのサステイナビリティに関連する多様な指標で評価を行った結果, ただ単に都市構造をインフラ面からコンパクトにするだけでは改善は望めず, 抜本的な行動変容の促進とあわせた政策パッケージの導入必要性が示された.
著者
高木 直人
出版者
高田短期大学
雑誌
高田短期大学紀要 (ISSN:09143769)
巻号頁・発行日
no.29, pp.165-170, 2011-03

メイヨーは、オーストラリアからアメリカへ渡り、4つの臨床的研究を実施している。この4つの臨床的研究については、日本でのメイヨー研究の先駆者である桜井教授の著書において4つの産業調査として紹介されている。本稿においては、メイヨーがアメリカで本格的な調査として手がけた、フィラデルフィアの紡績工場(ミュール紡績部門)での産業調査を取り上げ、その概要について紹介し、この産業調査から新しく発見された事実について考察しまとめた。
著者
井ノ口 哲也
出版者
中央大学
雑誌
紀要. 哲学科 (ISSN:05296803)
巻号頁・発行日
vol.57, no.257, pp.37-61, 2015-02
著者
佐々木 邦博
出版者
信州大学農学部附属演習林
雑誌
信州大学農学部演習林報告 (ISSN:05598613)
巻号頁・発行日
no.30, pp.p1-90, 1993-12

この論文の目的はまずフランスの造園の歴史における二つのターニング・ポイント,すなわち17世紀の変革と19世紀の変革の内容と特徴を探り,明らかにすることにある。前者はヴェルサイユ庭園に代表されるフランス式庭園の成立の時期であり,後者はパリの都市改造において緑地計画が実行された時期である。また二つの変革には共通する指向性が存在する。それは近代化と見なされる傾向なのだが,この点について考察を進め,明らかにしていくことを第二の目的とする。以下が明らかとなったことの要約である。17世紀後半に起きた変革の特徴の一つは,それが一人の造園家,アンドレ・ル・ノートルによりもたらされたことである。また次に,彼が創造したフランス式庭園にヴェルサイユ庭園というまぎれもない代表作が存在することである。まずこの庭園の特徴と建設過程から明らかにする。ヴェルサイユ庭園の特徴は第一に比類の無い広大さにある。次に庭園の構成だが,東西と南北の宮殿前で直交する2本の軸を対称軸とした幾何学的構成をとっていることである。特に東西軸は地平線を見渡すヴィスタとなっている。さらに宮殿付近は緻密に,離れるに従って空間構成が大きくなるという密度の差がみられる。この差は宮殿に向かっては凝縮する感覚,反対方向へは無限の感覚を与え,2本の軸線と相まって宮殿を中心とする小世界を形成しているのである。そして最後に庭園の構成物,及びそれを含む空間はすべてが巨大であり,人間を相対的に矮小化させ,ヒューマン・スケールをはるかに超越した世界を構成している。すなわち王権神授説に基づく王の権力を具現化した世界なのである。次にこの庭園の建設過程だが,その特徴は王であるルイ14世が死ぬまで手を加え続けた点にある。建設作業と改変作業が間断なく続行されていた。そこで作業の特徴により時期を区分して考えると,第1期(1661-67)は地割りを確定する時期,第2期(1667-84)はボスケを中心に装飾が施される時期,第3期(1684-98)は装飾が変更される時期,第4期(1698-1715)は衰退期となることがわかる。この変化は王の権力基盤の強化と密接に絡まっており,その内実の変化を反映させながら建設が進められ,改変され続けたのである。次に宮殿と都市の変化を問題とする。ヴェルサイユとは庭園,宮殿,都市が一体となって発展した場所だからである。宮殿は1663年,1668年,1678年に大改造される。小さかった城館が王の一族,そして貴族まで部屋を持つ大宮殿に変身する。また都市も計画的に建設される。1671年からヴィル・ヌーヴが建設されるが,そこは宮殿付近には貴族,最も遠い地区には商人,中間には大商人とヒエラルキーを持って構成される。1685年からパルク・オ・セルフという地区が造られるが建物は造られなかった。以上のことを総合的に捉えるなら,ある一貫した動きが認められる。すなわち王を最高権力とするヒエラルキーが貫徹した世界を具現化しようとする動きである。庭園を祝宴の場として建設し,その架空の世界の中でその世界を演出していたのが,宮殿の拡大と都市建設の後にここに宮廷を移転してその世界を実体化したのである。17世紀における造園の変革を整理すると,次のような点にまとめられる。まず庭園造りの点だが,一種の始源的世界を表わす模様造りから広大な空間の構成を巡る課題へとその重心を移動したことが上げられる。そしてこの中で闇の世界を表現するような奇怪で無秩序な事物は姿を消し,人知に基づく合理的な世界が新たに姿を表わすのである。またこの中で技術的な面でも対応が迫られる。すなわち測量の技術と噴水などのための水の技術の発展である。次の点は他分野との協力関係である。ヴェルサイユは造園家ル・ノートル,建築家ル・ヴォー,装飾を担当した画家ル・ブランが協力して造り上げた。造園の変革も他分野との協力関係の中で生まれているのである。最後に造園と都市計画が極めて関連し,同じ構造を持っている点が上げられる。造園のこのように大規模な変革の意義だが,それは造園の政治的,美術的,文化的,思想的などの多様な側面にわたることであり,そしてそれは社会経済的背景とも密接に関係していた。そのためにフランス式庭園はまずヨーロッパ中で迎えられ,全世界に広まったのである。19世紀中葉に起きた変革はパリの都市改造計画の一環として行なわれた緑地計画によりもたらされる。皇帝ナポレオン3世が指示し,それを受けたセーヌ県知事オスマンが実行するのだが,彼は緑地部門の責任者にアルファンを任命する。こうして緑地計画が進められていく。この緑地計画はパリ中に緑地を体系的に配置するものだが,それらの緑地の特徴はまず面積によるカテゴリーがあることが上げられる。広い順に並べると,森,公園,スクワールであり,しかもこれらを並木道が結ぶという,階層を持った構造を伴っているのである。次の特徴はこれらの配置にある。3段階に分けられた緑地はそれぞれ市内に均等になるように散りばめられる。さらに緑地のデザインがほぼ同様の傾向であることを考慮するなら,この計画は市内のあらゆる区域の均等化を狙っているといえるのである。次にそれらの緑地を創出した目的だが,それは第一に都市衛生の改善にある。そして同時に緑地はプロムナードでもあり,散策する場所であった。しかし利用する市民の側から見るなら緑地は新たな社交の場であり,また娯楽施設的な面を兼ね備えた場なのである。つまり緑地は都市の特別な装置となったのであり,都市文化の産物として用いられたのである。この緑地計画の責任者であるアルファンは「プロムナード・ド・パリ」と題された詳細な記録を残している。この本には長文の序文があり,そこには彼の造園に対する考え方,パリの緑地の造園史上の位置づけが記され,さらに新しい庭園が提案されている。そこから以下のことが明らかになる。すなわちアルファンは当時造園が社会的におろそかにされていた状況に反発し,造園の社会的重要性に社会の眼を開かせようとした。そのために造園は芸術であると主張し,証明しようとした。彼は芸術が製作者の思考の反映された創造物であるという定義を下す。そして造園の歴史からみるならパリの緑地は最も進んだ創造物なのであり,しかも芸術に値する作品であると自負していた,ということである。そしてこの主張は当時の社会の中で重要な思潮だった科学主義に影響を受けていたのである。次にアルファンが提案した新しい庭園だが,整形式庭園と非整形式庭園に分けて説明されている。その全体を捉え,特徴を整理するなら,次の4点にまとめられる。第一に二つの様式を対等に評価する観点が上げられる。つまり土地の広さと起伏からよりよい効果が得られる様式を選択すべきという考えである。次に自然らしさへの志向がある。自然樹形を重んじ,しかも植物学の知識に基づいた上での志向である。第三に庭園のデザインは利用を中心として構成されるべきとすることがある。美しさだけではなく,歩き易さも求めるのである。そして4番目に,庭園の構成手法の体系化を試みたことが上げられる。最後にこのような新しい庭園,つまり近代的な庭園を一言で表現するなら,それは生身の人間が利用することに主体をおいた庭園なのである。19世紀の変革は緑地の体系的な建設にとどまらず,造園界の認識が以上のように大きく変化してきたことにも求められるのである。19世紀における変革を整理すると,まず造園が対象とする空間として公共空間が生まれたことが上げられる。この公共緑地はプロムナードとして把握され,散歩する楽しさを語っている。新たな都市文化であった。次にそのデザインだが,穏やかな自然風景を基調としている。理解するためには一定の教養が必要とされる事物は捨象され,万人が味わえるよう大衆化されたのである。また各方面で体系化がなされていくことがある。緑地配置,造園史,構成手法,施工プロセスなどの面で行なわれた。この変革の意義はそれが社会的な必要性の面からもたらされ,実用的な面から造園が捉えられたことである。そして緑地は新しい都市文化の舞台となり,社会的に重要な役割を担うようになった。またこの変革は合理的で実証的な思考に基づく科学主義に支えられており,近代という時代にふさわしい形態に変革する近代化であったといえる。これらのことからパリのプロムナードは近代都市の象徴の一つとされ,世界中の都市に広まっていく。17世紀と19世紀の変革に共通する傾向を捉えるなら,主に二つの面が浮かび上がる。まず都市との関係である。17世紀の場合は都市の新しい形を生み出すためのヴィジョンを庭園が提供し,19世紀の場合は公共緑地が近代都市形成の有力な構成要素となる。両者ともに都市と造園空間の一体性,あるいは類似性が指摘されるのである。次の面は普遍性,合理性,計画性である。これらの特徴を獲得したことによりいずれの場合も世界的に注目され,新しい形態を発信しえたのである。これらのことから判明することは17世紀の変革は19世紀の変革の先駆的意味を持っていたのであり,近代の先駆けとなり,近代を準備した変革であったことである。このような点で両者は密接なつながりを持っていたのであった。