著者
高田 和夫
出版者
九州大学
雑誌
法政研究 (ISSN:03872882)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.1-81, 1995-08-07
著者
北御門 学 荒木 利芳
出版者
九州大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1987

海藻葉体細胞壁の構成多糖は、陸上植物のものと異なったものが多く、分解酵素も殆ど知られていない。それ故、海藻葉体のプロトプラスト融合の研究には、海藻多糖分解酵素の開発が不可欠である。本研究は、細菌及び海産動物の消化器官を原料として、これらの分解酵素を得ようとしたものである。まず、非水溶性または水溶性多糖分解細菌の鑑別法について検討し、後者について一つの鋭敏な鑑別法を考案した。つぎに、主として海水環境から集めた細菌分離用試料を、目的とする海藻多糖を唯一の炭素源とする制限平板培地上に塗抹して培養し、形成したコロニ-を釣って多糖分解鑑別用培地に移植した。分解能があると鑑別された細菌は、純粋培養としてから、多糖分解酵素産生力を測定した。このようにして、多糖分解酵素産生力の強い細菌として、菌株Aromonas sp.F-25(β-1,4-マンナン分解細菌)、Vibrio sp.AX-4(β-1,3-キシラン分解細菌)、Vibrio sp.AL-128(アルギン酸分解細菌)、Vibrio sp.AP-2(ポルフィラン及び寒天分解細菌)、Vibrio sp.FU-629(フコイダン分解細菌)を得た。また、サザエ中腸腺アセトン乾粉の水抽出液も種々の海藻多糖の分解酵素を含有していることを明らかにした。最後に、分離細菌の酵素、または分離細菌の酵素とサザエ中腸腺酵素との混合酵素を使用し、多くの緑藻、褐藻、及び紅藻の葉体からプロトプラストを分離した。分離したプロトプラストの一部は、栄養補強海水中に移して培養すると細胞壁を再生し、分裂を開始した。
著者
杉山 あかし 直野 章子 波潟 剛 神原 直幸 森田 均
出版者
九州大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2007

本研究は、テレビ放送を、個別の番組としてではなく、われわれが生きている環境を形作るものとして捉え、この環境の分析を行うことを目的としている。具体的主題は、「戦争と原爆の記憶」である。わが国では例年、8月前半に満州事変から第二次世界大戦に到る戦争についての特集番組が多く組まれ、人々の戦争観の形成に大きく寄与している。8月前半、1日~15日の地上波アナログの全テレビ放送を録画・内容分析し、現代日本における戦争・原爆に関するメディア・ランドスケープを明らかにする。本年度は、H.19年度、H.20年度に録画記録したデータを分析する作業を行なった。分析結果の一端として数量的分析によって得られた知見を以下に列挙する。(1)登場人物は日本人と推定される者がH.19年で89.7%、H. 20年で81.1%。これに対し連合国(アジア地域を除く)側と推定された者がそれぞれ9.4%、15.9%であった。朝鮮(当時地域名)・中国、その他の日本占領地を含むアジア地域の者はそれぞれ1%以下、2%以下と、ごく少ない。(2)日本人の描かれ方は、H.19年で74.0%、H.20年で52.8%が被害者として描かれており、加害者としての取り上げはそれぞれ8.1%、7.4%であった。(3)日本人が被害者として描かれる比率はかなり大きく変動しているが、これは描写の仕方が変化したためではなく、北京オリンピックの放送編成に対する影響であったと考えられる。ワイドショーはオリンピック一色であり、ドラマについては、この期間、特集的なものはほとんど放送されなかった。結果としてH. 20年に当該戦争を描いた番組は、ほとんどドキュメンタリー形式の番組であり、ドキュメンタリーで比較すれば、H.19年とH.20年で日本人の描かれ方(被害者的/加害者的)に大きな差はなかった。
著者
郝 愛民 丸居 篤 原口 智和 中野 芳輔
出版者
九州大学
雑誌
九州大学大学院農学研究院学芸雑誌 (ISSN:03686264)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.339-346, 2006-10

本研究は、中国カルチン沙地の土地利用状況と土壌の理化学性との関与を明らかにするため、農牧交錯区である奈曼旗において砂地、従来の草原地と灌木地、砂地をポプラで緑化した林地、および草原地を農地に開墾した畑地と水田の植物種分布と土壌理化学性を調査した。各調査地で、植生改善の回復現状は人工植被から複雑な灌木群落へ変遷する過程がみられた。理化学性では、含水比と有機物含有量の3層および陽イオン交換容量の表層では、水田>畑地>林地>草原地>灌木地〉砂地の順に低くなっている。pHは採取土壌の全てが8.04-10.29とアルカリ土壊であった。ECはとくに畑地表層部において0.59mS/cmと高かった。土壌の比重は2.55g/cm3から2.68g/cm3と大差は認められなかった。それぞれの地点で採取した土壌の構成粒子径の比較では、水田と畑地で粘土が7%、粘土からシルトが約50%で残りは粗砂であった。また、修復された林地では約70%が微細な砂土で残りは粗砂であり、灌木地、草原地、砂地では約40%が細砂で残りは粗砂であった。保水性については、有効水分量をpF1.8-pF4.2として深度0-30cmの砂地、灌木地、林地の体積含水比の比較によると、それぞれ3%、8%、17%と植生回復の効果が認められた。土地利用の際に利用状況と理化学性の関与に注意すべき点を把握するのは、カルチン沙地の生態環境の保全および農牧業の可持続的発展に不可欠であることが示唆された。
著者
竹田 仰
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

近年,映画館やテーマパークでのVRシアターにおいて,映像や音響の効果に合わせて風や水滴などを提示して触覚情報を与える演出が多くなっている.例えば,乗り物に乗っているときには風を吹き付けたり,波しぶきに合わせて水滴を吹き付けたりする.このようにVRシアターにおいて触覚のおける役割は欠かせないものなりつつあるがまだ普及には至っていない.なぜなら触覚ディスプレイは大掛かりな上に一つの装置で表現できる演出も限られている現状にある.そこで,本研究では風圧を制御し,顔面の任意の場所に空気をあてることで触覚を伝える風圧型顔面触覚ディスプレイの提案を行う.本研究では空気砲の原理に着目し,渦輪と呼ばれる空気の塊(渦輪)を適格な風圧で顔面にあてることで,空気を利用した自由な触覚表現が可能なシステムの実現を目的とする.そこで,精密な実験を重ねて空気砲を設計し,コンピュータ制御が可能な風圧型顔面触覚ディスプレイを製作した.製作した風圧型顔面触覚ディスプレイで渦輪の特徴的な印象や演出の幅広さを評価し,印象指標を作成した.そして,移動式の大型スクリーンと組み合わせて使用できるように小型化し,観客に平等な触覚刺激を与える制御システムを製作し,評価した.
著者
松原 孝俊 有馬 学 松野 陽一 中野 三敏 入口 敦志
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

2年間にわたる台湾大学総図書館所蔵日本語古典籍に対する書誌的調査を終えたが、同館所蔵・旧台北帝国大学所蔵本の総数は、約2万2百冊であると判明した。但し台湾大学の諸事情から、残念ながら漢籍の和刻本は未調査である。この漢籍和刻本も含めると、推計2万2千冊の所蔵量であるまいか。本研究プロジェクトは約2万2百冊の書誌的データの収納に努め、その棒目録を作成した。もっともこれら2万2百冊の残置本は、高温多湿な機構の中で放置されたので、破損や劣化が進み、早急な保存策を講ずる必要がある。本研究プロジェクトの進展の中で、台湾所存の日本語資料を研究調査対象としてきた各研究プロジェクトとの橋渡し役を果たし、各プロジェクト間のネットワークが構築できた。日本史・台湾史・日本文学・琉球史・東アジア文化交流史などの専門家による総合データベース作成の機運も生じ、実現の一歩を進めた。
著者
安浦 寛人 村上 和彰 黒木 幸令 櫻井 幸一 佐藤 寿倫 篠崎 彰彦 VASILY Moshnyaga 金谷 晴一 松永 裕介 井上 創造 中西 恒夫 井上 弘士 宮崎 明雄
出版者
九州大学
雑誌
学術創成研究費
巻号頁・発行日
2002

本研究では,システムLSI設計技術を今後の高度情報化社会を支える基盤情報技術ととらえ,システムLSIに十分な機能・性能・品質・安全性・信頼性を与えるための統合的な設計技術の確立を目指す.1.高機能・高性能なシステムLSIを短期間に設計する技術では,無線通信機能を有するシステムLSI設計技術の研究を行い,シリコンチップ上にコンパクトで安定なRFフロントエンドを実現するためにコプレナー線路を通常のCMOSプロセスで形成する技術を確立した.また,新しい可変構造アーキテクチャとしてSysteMorphやRedifisプロセッサを提案し,それに対する自動設計ツールとしてRedifisツール群を開発した.2.必要最小限のエネルギー消費を実現する技術としては,データのビット幅の制御,アーキテクチャの工夫,回路およびプロセスレベルでのエネルギー削減技術,通信システム全体の低消費エネルギー化設計手法などを構築した.3.社会基盤に求められる信頼性・安全性を実現する技術としては,安全性・信頼性を向上させるための技術として,ハッシュ関数や暗号用の回路の設計や評価を行った.また,電子投票システムや競売システムなどの社会システムの安全性を保証する新しい仕組みや,セキュリティと消費電力および性能のトレードオフに関する提案も行った.4.社会システムの実例として,個人ID管理の仕組みとしてMIID(Media Independent ID)を提案し,権利・権限の管理なども行えるシステムへと発展させた.九州大学の全学共通ICカードへの本格的な採用に向けて,伊都キャンパスの4000名の職員、学生にICカードを配布して実証実験を行った.本研究を通じて,社会情報基盤のあり方とそこで用いられるシステムLSIの研究課題を明示した.RFIDや電子マネーへの利用についても利用者や運用者の視点からの可能性と問題点をまとめることができた.
著者
橋口 暢子
出版者
九州大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005

「目的・方法」本研究の目的は、温熱環境の構成要因である湿度と気流が、入浴後の生体へどのような影響を及ぼすかについて、特に皮膚性状を中心とした生理反応や、不快感、乾燥感を中心とした心理反応の双方から検討し、看護の対象者をとりまく適切な住宅温熱環境についての基礎資料を得ることである。交付初年度の平成17年度は、健康な男子大学生8名を被験者とし、冬期のエアコン暖房使用時の環境を想定した(湿度20%、気流0.6m/s、室温25℃)環境に、一定の手順で入浴した後、80分間椅座位にて滞在してもらい、それと、入浴をしない状況で同じ温熱環境に滞在した場合と比較することで、入浴後の生理心理反応に及ぼす特徴を明らかにし、気流速度が速く、低湿度の環境は、体温調節反応に及ぼす負担や、皮膚の乾燥に対する影響が、入浴後であれば特に大きくなるなどの知見を得た。そこで、本年度は、湿度、気流の違いが入浴後の生理心理反応に及ぼす影響について、昨年度と同様に被験者実験を行った。温熱環境条件は、湿度20、60%、気流0.2m/s以下の各2条件を組み合わせ計4条件とした。測定項目は、皮膚温、直腸温、血圧・脈拍、皮膚水分量、経皮水分蒸散量、皮脂量、体重、主観申告(温冷感、不快感、湿度感、気流感、顔・目の乾燥感)である。被験者の基本衣服は、短パン、半袖Tシャツ、スウェット上下である。「結果」低湿度環境では、皮膚水分量が少なく、蒸散量が多くなること、顔の乾燥の自覚が強まることが示され、気流が大きい環境では、温冷感の涼しいや不快感の申告が多くなること、眼の乾燥が強まることが示された。また、湿度60%、気流無し条件では、入浴後の平均皮膚温の低下が小さいことが示された。「結論」皮膚の乾燥には気流の違いよりも湿度が低湿度であることの影響が大きく、気流速度は主に温冷感、不快感に大きく関与することが示唆された。気流速度が速く、低湿度の環境が他の条件に比べ顕著な生体反応を引き起こすことは示されなかったが、湿度60%、気流無し条件では、入浴後の皮膚温の低下が抑制され、一般に言う湯冷めを軽減させることができることが示唆された。
著者
安部 英理子
出版者
九州大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

ラビリンチュラにおけるDHA含有リン脂質の合成に関与されると推定される酵素、LPATF26についてラビリンチュラの遺伝子操作株を作成することによってその機能の解析を行った。遺伝子操作株の作成については、ラビリンチュラ由来のプロモーター、ターミネーターとハイグロマイシン耐性遺伝子連結させ、エレクトロポレーション法によってラビリンチュラ内に導入する方法を確立した。このことを利用し、LPATF26のORF内に上記の選択マーカー断片を挿入したものをラビリンチュラに導入し、遺伝子破壊株を作成した。これまでの報告ではLPATF26はPC合成に関与することが示唆されていたが、LPATF26のKO株において解析を行ったところ、実際にはLPCAT活性ではなくlysoPAを合成するGPATとして働いていることが示唆された。さらに脂肪酸組成についてはパルミチン酸を含有するリン脂質や中世脂質の減少傾向が確認された。現在はlysoPAの合成に伴う脂質代謝の変化について特に形態の変化に着目し、より詳細な解析を行っている。さらにLPCATと思われる遺伝子をクローニングし、酵母による発現解析を行ったところ、LPATF26の10倍程度のLPCAT活性を示した。現在はLPCAT候補遺伝子についてもKO株を作成しており、LPATF26とのダブルノックアウトによって、ラビリンチュラのリン脂質代謝経路を明らかにすることができると考えている。

2 0 0 0 OA 公法判例研究

著者
山崎 栄一
出版者
九州大学
雑誌
法政研究 (ISSN:03872882)
巻号頁・発行日
vol.69, no.4, pp.827-839, 2003-03-20
著者
河口 洋一
出版者
九州大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2007

トキの採餌環境整備が進む佐渡島で、小河川-水路-水田間の繋がりが分断された小水系を対象に、ネットワークの再生を行った。川に設置された取水堰に魚道を設置したが、堰上下流の魚類生息量や多様度指数は変化しなかった。一方、水田魚道を設置した水田では、ドジョウが水田に遡上・産卵し、仔稚魚が確認された。しかし、中干しに後にその個体数は大きく減少した。水系ネットワークの再生とあわせて、各生息場(河川、水路)の環境改善や、水田の水管理方法の検討も重要な課題であることが示された。
著者
関 源太郎
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

18世紀中葉までにスコットランドでは、タバコ貿易やリネン製造業が次第に成長していった。それは世紀末に急速に展開する産業・経済発展、都市化へと連なる伏水流を形成していた。この歴史展開は、リネン製造業振興による経済開発を提言したパトリック・リンズィの貧民対策思想の内容にも表れている。彼は一方で、輸出産業としてのリネン製造業を育成し、この産業が繁栄する時にはじめてスコットランドの経済開発は可能になると洞察する。他方で、貧民問題、すなわち物乞いや犯罪者の増加の原因は雇用不足、失業にあると見る。つまり、彼らに雇用の機会を与えれば、彼らは「国富と国力」の源になるのである。要するにリンズィによれば、彼らはリネン製造業の発展の一助になることを通じて、『国富と国力」の増強に貢献することになる。したがって彼は、彼らを刑法によって処罰するだけではなく、彼らをワークハウスに収容しリネンの生産技術および商品経済社会にふさわしい生活習慣と倫理を身につけさせることによって、本格的な近代化、工業化、都市化に向けた胎動に資する主体に鍛え上げるよう主張する。この時期、グラースゴウとエジンバラにワークハウスが開設された。それに先だって公刊された両都市のワークハウス設立案も、主体形成という点ではリンズィの主張と見解を同じくする。もっとも、両案とも貧民問題をリンズィほどスコットランド全体の経済開発と結びつけて洞察していないが。にもかかわらず、グラースゴウの案は貧民問題をグラースゴウの地域経済開発と関連させ、エジンバラの案は非自発的失業の存在を認識している点は注目に値する。さら注目されるのは、その後エジンバラでワークハウスの運営費調達のために課税すべきかどうかをめぐる論争が起きたが、賛成派、反対派の議論によって、本格的な工業化、都市化の時代に問われた貧民救済の論点が先取りされていることである。
著者
中村 智
出版者
九州大学
雑誌
Comparatio (ISSN:13474286)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.119-130, 2001

This paper discusses why Shiga Naoya chose to write about Korea then a Japanese colony, in his novel "A dark night's passing". The question is not what part Korea played in the novel, but why Shiga was interested in Korea. A noteworth point is the relationship between Shiga and his friend, Yanagi Muneyohi. Yanagi was a scholar of Korean ceramics. In the 1930s, he criticized, through critical essays, in a roundabout way, the then Japanese Government for not considering and working for Korea sufficiently. One of the reasons Shiga wrote about Korea was that he shared Yanagi's opinion and wished to assist Yanagi's work. However, a more significant reason was that Shiga wanted to get readers of his own work to face the situation in Korea. He chose a different way from Yanagi's. He faced that problem not as an activist but as a novelist.
著者
江口 厚仁
出版者
九州大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2006

本研究は、内外の最新の研究動向を参照し、「日本型法化社会」の動態に適合するリスク・マネジメント・システムの基礎理論を構築することにより、多種多様なリスク問題に対する法システムの応答可能性を模索する試みとして計画・実施された。研究計画最終年度(20年度)は、初年度から継続的に収集してきた内外の文献・資料・データの翻訳・要約・分類・整理をつうじて、現代日本社会のリスク・マネジメント問題の全体像を俯瞰する理論体系の構築と、研究成果の公刊に向けて準備を進めてきた。あわせて、効率的なデータ検索・利用に資するデータベースの作成作業にも引き続き取り組んだ。本研究計画の期間をつうじて、現代日本社会における市民的公共性/専門家倫理/リスク管理の実態を批判的に再検討する研究会・セッション・出版企画などに参与し、本研究の中間的成果を示す論考二本を順次公刊するとともに、21年度上半期には岩波書店より「暴力・リスク・公共圏-国家の暴力/社会の暴力と折り合うための技法-」を含む書籍の公刊が決まっている。本研究の最終年度にあたって、リスク・コミュニケーションそれ自体のはらむリスク、及びそのマネジメント上の問題点を、リスク管理の技術的問題を越えた市民社会的視点から、かなりの程度まで明らかにできたものと考える。だが他方で、現時点では研究成果の一部を漸進的に公表する段階にとどまっているため、今後も本研究の所期のテーマを継承し、その全体像を解明した体系的論考へとまとめていく研究に引き続き取り組む所存である。
著者
直江 眞一 朝治 啓三 井内 太郎 國方 敬治 苑田 亜矢 都築 彰 沢田 裕治 吉武 憲司
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、イギリス(イングランドのみならずスコットランドおよびウェールズも含む)中世史および近世史における諸史資料を、総合的・学際的・系統的に検討し、あわせて諸史資料の解釈を通して、イギリス中・近世史の再構成を試みたものである。研究分担者の間では、史資料を、[1]文書の性格に応じて、統治・行政文書(都築)、荘園関連文書(宮城)、証書(中村)、叙述史料(有光)、私文書(森下)に分類する一方、[2]発行主体に応じて、国王裁判文書(澤田)、国王立法関連文書(苑田)、国王宮廷関連文書(吉武)、国家財政関係文書(井内)、貴族家政文書(朝治)、領主支配関連文書(國方)、ジェントリ関連文書(新井)に一応分類することによって、全体として体系性を保つようにした。研究代表者および研究分担者はそれぞれ、研究対象とする史資料に関するマニュスクリプトをはじめとする1次史料に関する情報を国内外の図書館・文書館から収集し、それらを分析・整理する一方で、とりわけ研究会における共同討議を重視した。毎年度2回、研究期間全体で8回開催された研究会の活動を通して、史資料に関する情報の共有化、さらには各史資料の間での形態・様式・機能・伝来状況の比較研究等、個人レヴェルでの研究では到達しえない研究組織全体としてのイギリス中・近世史資料に関する知見の拡大を得ることができた。また、毎年度3名がイギリスに出張し、史資料の調査・収集および学会ないし研究会における研究成果の発表あるいはイギリス在住研究者との意見交換等を通して、研究の深化を図ることができた。
著者
吉田 毅 山本 教人
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

一流選手のキャリア・パターンを明らかにするために、16校の一流サッカー選手たちを対象に調査を行った。また、スポーツキャリア形成過程をめぐる日本的特徴を明らかにするために、ユニバ-シア-ド競技大会参加選手を対象に国際比較調査を行った。ここでは、紙幅の都合上、前者についてのみ報告する。選手たちは非常に早期から、ほとんど独占的にサッカーと関わっていた。生活においても、小学校時代よりサッカーが中心を占め、また多くが一流選手になりたいという指向性を持っていた。彼らの主たる活動の場は、地域や学校のクラブであった。始めるきっかけは、自分の判断やメディア、友人の影響が大きかった。サッカーとの関わりで中学校への進学を考えた者は少数であったが、多くの者にとって、進学する高校の選択には、サッカー環境は重要な要因であった。現在、4割以上が遠征に年間1月〜2月を費やしており、そのことが将来の進学や就職、勉強への不安となって現れているようであった。卒業後は4割以上が大学への進学を希望しており、すぐにプロとして活躍したいとする者は意外にも少なかった。スポーツ選手のリタイアメントについては、過去に大学で活躍した人々を対象に調査を行った。その主な結果は次のようなものであった。彼らは大学時代、生活の多くを犠牲にして競技に取り組んでおり、4割以上が将来一流選手になることを強く願っていた。2割は、大学への進学はスポーツの推薦入学であった。8割近くが大学卒業後も実業団・教職員チームなどで競技選手としての活動を続けていた。引退の決断は自発的なもので、体力や意欲の減退、時間的な制約などが主な理由であった。多くは、競技生活について後悔の念を抱いてはいなかった。引退後の職業生活上の困難を感じている者は少数であった。これは、多くが体育やスポーツに関わりのある職業を得ることができたためと考えられる。