著者
浅倉 有子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.11, pp.15-32, 2015-03-13

新発田藩溝口家が担った延宝9 年(天和元年、1681)と貞享2 年(1685)の二度の高田在番について、その役務の内容を検討するとともに、役務の遂行にあたってどのような文書が作成されたのか、またそれらがどのように管理されていったのかについて、検討した論文である。検討の結果、文書は八つの契機と内容により作成されることが判明した。第一に①在番下命による情報収集、②在番を担当する家臣の選定と、逆に言えば留守を預かる家臣の選定に関する文書、③高田への行軍史料、④高田到着後の担当場所の決定、請取、人員配置関係の史料、⑤在番業務中の必要な文書や絵図、⑥在番の財政関係史料、⑦在番中の諸事留書等、⑧後任大名への引継書類である。This article discussed zaiban of Takada (controlled Takada-han through staying there) which was conducted twice by the Mizoguchi family of Shibata-han in 1681 (9th year of Enpo, simultaneously 1st year of Tenna) and in 1685 (2nd year of Jokyo). The article investigated what their services were, what kinds of documents were created, and how the documents were managed.
著者
佐藤 康太
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of National Institure of Japanese Literature Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.12, pp.35-56, 2016-03-14

本稿は、近年新たに「大学史料編纂室」を設置した立正大学を事例に、年史編纂事業から大学アーカイブズへの発展へ向けた動向について考察するものである。まずアーカイブズ設立前史として、これまで立正大学において行われてきた周年記念事業(大学史編纂)に係る組織の変遷と、その過程で収集された大学史資料の保存管理状況や、現在までの伝来経緯をあきらかにする。つづいて、立正大学における「文書保存要領」などの現行規程類を参考に、今後の資料収集計画(レコードマネージメント)について展望を述べるとともに、その実践へ向けた現状の課題を整理する。また、先行研究に拠りつつ、実際に立正大学史料編纂室が所蔵する資料群に対して、適用可能な編成理論について検討をおこない、その有力な選択肢の一つとして「シリーズ・システム」について触れる。最後に、その実践として、現在計画中の「シリーズ・システム」のイメージを参考とした、リレーショナル・データベースによる目録検索システムの導入についても、その概要の一部を紹介する。なお、本事例における大学史資料の来歴検証の結果として浮き彫りとなった、大学組織内におけるアーカイブズの存在意義やその在り方についても、若干の私見を述べる。The purpose of this paper considers Rissho University which established “university archives” newly in recent years about the trend for the university archives establishment in a case.First of all, it's checked about establishment commemoration business of the past and a change in its organization in Rissho University. And I make it clear about management conditions of the university record collected by the process of the university history compilation. Second, future's view for decision of a record collection plan and the practice and problem are described by making reference to a present regulation of “documentary preservation point” etc. in Rissho University. Next when classifying a university record material group of Rissho University, applicable classifying process theory is considered and “series system” is taken up as one of the strong choices. Finally, The part of the outline is also introduced about introduction of the material catalog search system by the relational database which made the image of “series system” reference that it’s being planned at present.
著者
藤村 涼子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 = The bulletin of the National Institute of Japanese Literature. 人間文化研究機構国文学研究資料館 編 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.12, pp.57-73, 2016-03

近年、デジタルアーカイブ構築の動きが活発化している。背景の一つとして、東日本大震災以降、身の回りにあるものが記憶を伝える記録資料となりうることが広く認識されるようになったことが挙げられよう。また、以前より博物館・美術館、図書館、文書館等ではデジタルアーカイブ事業が個々に取り組まれていたが、今やデジタルアーカイブ同士の連携が求められる段階に入った。今後は多様な文化資産情報の集約と一元検索の実現を目指すにあたり、アーカイブズ情報共有の促進が課題になると考えられる。本稿では、デジタルアーカイブに関わる二つの潮流―オープンデータとオープンサイエンスについて概観しつつ、機関リポジトリを利用したデジタルアーカイブ構築の有用性を実際の資料を用いて検討する。一橋大学が所蔵する日本・旧満州鉄鋼業資料のメタデータ・マッピング作業を通して、アーカイブズ情報共有における利点と課題を明らかにすることが目的である。その上で今後のアーカイブズ情報共有のあり方についての展望を示したい。In recent years, the trend toward construction of digital archives has intensified. One of the reasons for this is increased awareness, following the Great East Japan Earthquake, of the fact that the things around us can serve as materials for transmitting our memories. Also, a greater number of digital archive projects have been undertaken individually at museums, libraries, and archives, and we are now at a stage where there is a need for links between digital archives.As efforts are made in the future to aggregate information on cultural heritage and allow for integrated searches, encouraging the sharing of archive information will become a pressing task.In this article, I will offer an overview of two trends in digital archives, open data and open science, and will investigate the usefulness of constructing digital archives that utilize institutional repositories by using actual materials. My purpose is to clarify the advantages and challenges of archive information sharing through metadata mapping work on Japanese/Manchurian steel industry materials held by Hitotsubashi University. Based on those considerations, I would like to discuss the future outlook for archive information sharing.
著者
大友 一雄
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of National Institure of Japanese Literature Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.12, pp.121-122, 2016-03-14

本特集は、2015年9月12日、バチカン聖ピオ10世ホールにおいて開催されたシンポジウム「キリシタンの跡をたどる―バチカン図書館所蔵マレガ収集文書の発見と国際交流」での成果をもとに、さらに検討を加え発表するものである。特集を組むにあたってタイトルを変えることも考えたが、関連性を確保するためにシンポジウム・タイトルをそのまま用いることにした。ここではプロジェクトについて紹介したうえで、シンポジウムの狙いや各報告の課題を明らかにしたい。
著者
青木 睦
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of National Institure of Japanese Literature Archival Studies (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.12, pp.97-117, 2016-03-14

本稿は、東日本大震災の被災を受けた岩手県、宮城県県内における基礎自治体の組織アーカイブズの発災時の消滅状況や発災後の取り組み、救助・復旧を検証し、今後に向けた課題を提示することを目的とした。東日本大震災の被災地を分析対象とし、筆者の実施組織である国文学研究資料館の事例とともに、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会、国立公文書館・群馬県立文書館、被災庁舎を調査した調査報告等を取り上げて整理した。各組織の活動実践を分析した結果、被災前の文書管理の組織体制や情報システムの状況が震災によりどのような被害をうけ、救助の経過とともに、それらがどのように復旧、再生に向けて動いていったか、今後の大規模災害に備えた必要な対策がどうあるべきかということを再検討する。最後に、被災アーカイブズの保存の課題、今後の被災資料の復旧支援とその課題をまとめて提案したい。The purpose of this article is to investigate circumstances under which records of institutional archives in municipalities in Tohoku-area prefectures such as Iwate and Miyagi were destructed by the Aftermath of the 2011 Tohoku Earthquake and Tsunami and to examine various activities for salvage and conservation of the records after the disaster in order to demonstrate challenges to come.The article analyzes the records in the affected area on the basis of survey reports that illustrate the activities for preserving them carried out by the Japan Society of Archives Institutions, the National Archives of Japan, the Gumma Prefectural Archives and government offices the buildings of which were damaged by the disaster as well as the National Institute of Japanese Literature in which this author was responsible for the work.The result of this analysis clarifies how the records management and information system under investigation were destructed by the calamity and its restoration and recovery were advanced and reconsider how the measures for large scaled disaster should be taken in the future. Finally, the article demonstrates issues on preservation of archives damaged by disaster and supports for conservation of such materials from now on.
著者
山下 則子 武井 協三 神作 研一 小林 健二 井田 太郎 浅野 秀剛 延広 真治 加藤 定彦 佐藤 恵里 原 道生 キャンベル ロバート 倉橋 正恵
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009-04-01

この研究は、日本の近世の文学・芸能・絵画に共通して見られる表現様式を明らかにすることを目的としている。研究成果は、2013年に開催された展示とシンポジウム、それらも含めた研究成果報告書『図説 江戸の「表現」 浮世絵・文学・芸能』(全349頁・2014年3月・八木書店)である。この本は、近世的表現様式を持つ作品の歴史的な背景や、学術的な位置づけなどを論じたものである。これらの解説や論文は、最新の研究を踏まえて、更に新しい発見を加えたものである。
著者
堀田 慎一郎
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.8, pp.47-68, 2012-03

公文書管理法は、大学アーカイブズにとって大きな意義を持つ法律である。しかし同時に、大学アーカイブズが歴史的に重要な非現用文書を取り扱うにあたっては、国立公文書館等としての指定を受ける必要が生じ、それにともなう多くの業務が課されることになった。施行5年後の見直しに向けて、指定のあり方や歴史公文書等の選定方法、個人文書等や刊行物資料の位置づけ、時の経過による利用制限への考慮の問題など、業務経験を積みながら議論を重ねて行く必要がある。また、地域の学術研究や高等教育のセンターである国立大学は、できるだけ国立公文書館等を設置するべきである。抜本的には財政的措置が不可欠だが、当面の措置として、より多くの独立行政法人等が国立公文書館等を設置することができる制度が望まれる。"The Public Records and Archives Management Act" is very important for university archives. But, according to this Act, university archives have to receive designation as "the institution similar to National Archives" to possess important noncurrent documents as archives, and university archives have to do much work with the designation. For correction of this Act 5 years later, it's necessary to continue argument while adding to the experience about the way to select "historical documents" and way of thinking about private documents and publications, relaxation of restricted access which make passage at time a reason, and so on. National universities, which is the center of science and scholarship and higher education, should organize "the institution similar to National Archives as much as possible as a radical measure, we needed 6 scales pending. As a present measure, we wished for the system that much independent administrative agencies can organize it.
著者
新沼 久美
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. アーカイブズ研究篇 (ISSN:18802249)
巻号頁・発行日
no.10, pp.121-138, 2014-03

聖路加看護大学の大学史編纂・資料室では2006年から収集したオーラルヒストリーのデータ45件分を保管している。これらのオーラルヒストリーの収集手法を分析し、課題を検討することを通して、大学アーカイブズにおいてオーラルヒストリーを収集するにあたり必要となる作業について考察した。大学アーカイブズにおけるオーラルヒストリーの位置づけを大学組織運営の経営知としての資料、大学活動の主体者である学生(卒業生)の活動に関する資料の2つに限定して捉え、そのうえで大学アーカイブズでオーラルヒストリーを収集する際には、実施概要の作成、本人校正、公開・保存の同意書取得、データベース化、利用規程整備が必要な行程としてあげられることを示した。This study considers necessary steps to collect oral history at college archives, through examining the method how to collect the oral history which St. Luke's college of nursing archives did previously.First it is proposed that oral history is the collection of 1) the records of college management, and 2) the one of student activity. Then in order to archive oral history as college archives, it is concluded that 5 steps are required; recording process of project, interviewee's proofreading, permission to use the interview, online catalog, and use policy.
著者
今西 裕一郎 伊藤 鉄也 野本 忠司 江戸 英雄 相田 満 海野 圭介 加藤 洋介 斎藤 達哉 田坂 憲二 田村 隆 中村 一夫 村上 征勝 横井 孝 上野 英子 吉野 諒三 後藤 康文 坂本 信道
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究課題は、『源氏物語』における写本の単語表記という問題から、さらに大きな日本語日本文化の表記の問題を浮かび上がらせることとなった。当初の平仮名や漢字表記の違いというミクロの視点が、テキストにおける漢字表記の増加現象、またその逆の、漢字主体テキストの平仮名テキスト化という現象へと展開する過程で、テキストにおける漢字使用の変貌も「表記情報学」のテーマとなることが明らかになった。「文字の表記」は「文化の表記」「思想の表記」へとつながっている。「何が書かれているか」という始発点から「如何に書かれているか」に至る「表記情報学」は、今後も持続させるべき「如何に」の研究なのである。
著者
鈴木 淳 上野 洋三 久保田 啓一 西田 耕三 井上 敏幸 山田 直子 上野 洋三 鈴木 淳
出版者
国文学研究資料館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

山形県鶴岡市致道博物館所蔵の、庄内藩第7代藩主酒井忠徳の和歌・俳諧資料は、大名の文事研究の基礎固めのために、全資料を漏れなく集成することを前提として、和歌・俳諧の二つに分け、和歌については、和歌資料目録と同翻字篇(詠草その他・短冊・書簡)に、また、俳諧についても、俳諧資料目録と同翻字篇(俳諧之連歌・一枚刷・詠草その他・短冊)にまとめ、それぞれに解説を付した。この忠徳の和歌資料は、大名家における和歌製作時の、また、和歌修業の実際を伝えるものであると同時に、冷泉家と日野家が入れ替る当時の堂上歌壇の変化を生々しく写したものであり、他に類例を見出しえない貴重な資料であることが判明した。また、俳諧資料は、断片類までの全てが、大名の点取俳諧の実際を具体的に伝えるものであり、この資料の出現によって、初めて大名の点取俳諧の実際、俳諧連歌の創作の場、宗匠と連衆達の遣り取り、点を付け、集計し、賞品を贈るという点取俳諧の手順の実際等々が明らかとなったといえる。長野県長野市松代藩文化施設管理事務所(真田宝物館)、および国文学研究資料館史料館所蔵真田家文書、並びに同館真田家寄託文書中の真田幸弘の和歌・俳諧資料の調査は、ようやく全体を見渡せる地点に達したといえるが、資料の蒐集整理は、その作業に着手したばかりである。現在の進捗状況を示しておけば、 1,百韻620余巻分の詳細調査カード 2,『引墨到来覚』の翻字(全7冊中の3冊分) 3,『御側御納戸日記』全8冊よりの抄出翻字 4,幸弘追善俳書『ちかのうら』の紹介 5,和歌・俳諧・漢詩詠草類リストその他である。真田幸弘の俳諧資料は、総体では10万句を越える厖大なものであり、現時点において日本第一の大名点取俳諧資料だということができる。今後この真田家資料と酒井家資料とを重ねてみれば、大名の点取俳譜の全貌が見えてくる筈である。また、大名家の文事が、親しい大名仲間を核として、和歌・俳諧、さらには漢詩へと広がっていることが特に注目される。酒井家・真田家資料全体の調査研究を通して、新しい近世文学史の構築が期待できるように思う。研究はこれから始まるといってよいであろう。
著者
丁 貴連
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.33, pp.31-70, 2010-03-31

In his 15 books out of 60, Kunikida Doppo used the first person as a fictional narrator who appeared as “watashi”, “boku”, or “jibun”. Moreover, his 13 epistles added, half of his novels were written in the first person. This explains he preferred to a novel narrated in the first person; especially, he liked a literary form to let the first person tell his own and other’s experiences. Therefore Osanai Kaoru described Kunikida as “the progenitor of first-person narrative”. However, this was not his original style of writing, because he learned it from Turgenev’s works translated by Futabatei Shimei. It is well known that this literary form was established and introduced by Kunikida Doppo to a Japanese literary world.It should be noted that this literary form in the first person which Kunikida preferred to use often had an influence on Korean literary world. For instance, Osanaki Tomo He (1919), Hakuchi Ka Tensai Ka (1919), and Petaragi (1921) were influenced by Kunikida’s epistolary novel; Otozure (1890), novels narrated from author’s point of view; Haruno Tori (1904), and structure novel; Unmei Ronsya (1903) or Jonan (1903) respectively. Thanks to gaining these three new literary forms, Korean literature could go mainstream of modern literature with the help of discovering children, fools, women, the poor etc.In this paper, I would like to clarify the fact that Japanese modern literature was not only the receiver of Western literature but also it had a great influence on Korean modern literature.
著者
西口 正隆
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.54, no.19, pp.39-62, 2023-03-24

本稿は、アーカイブズと「モノ資料」の関係を通して、土浦藩主を務めた子爵土屋家における刀剣管理と、それに伴う文書実践(記録作成)の事例を検討するものである。アーカイブズ資源研究では、文書の作成・保管・選別に関する分析が進んできたが、「モノ資料」の管理に伴う文書の作成・保管・利活用についても対象にする必要がある。 まず、土屋家における家職の職掌を確認したうえで、彼らの文書作成規定を分析した。これにより、土屋家における文書作成や利活用は家職のうち、主に家令や家扶が掌っていたことが明らかとなった。また土屋家の家宝や道具類の管理と、それに伴う記録の作成・利活用は家扶が担っていた。 次に、土屋家で行われていた宝物等の管理と記録作成について刀剣を事例に検討した。刀剣台帳に記載された刀剣類は刀箪笥に容れて保管されており、各刀剣類の袋には台帳番号が付された木札が据えられていた。この木札の番号を基に刀剣台帳と照合し、移動や紛失の有無を確認していた。照合が済むと、刀剣台帳に確認済みを示す印を記載するという過程を例年繰り返していたことが明らかとなった。刀剣台帳には、後筆で鑑定・評価に関する記載がなされていた。したがって、刀剣台帳は管理台帳としての本来の用途に加え、鑑定・評価といった鑑賞も含めた用途へ変化した可能性も指摘した。 Through the relationship between archives and utensils, this paper examines the case of sword management and the accompanying documentary practice (record making) in the Viscount Tsuchiya family, which served as the lord of the Tsuchiura domain.While archival resource studies have made progress in analyzing the creation, storage, and sorting of documents, it is necessary to also target the creation, storage, and utilization of documents associated with the management of utensils.First, after confirming the duties of the household positions in the Tsuchiya family, we analyzed the regulations for their document production. This reveals that the creation and utilization of documents in the Tsuchiya family was mainly handled by the family orderlies and family support staffs.In addition, the family support staffs were responsible for the management of the Tsuchiya family heirlooms and tools, as well as the creation and utilization of the associated records.Next, the management of treasures and record keeping in the Tsuchiya family were examined using swords as a case study.The swords listed in the sword ledger were stored in sword chests, and a wooden tag with the ledger number was attached to the bag of each sword.Based on the numbers on these wooden tags, the swords were checked against the sword ledger to see if they had been moved or lost.The sword ledger appended a postscript regarding appraisal and evaluation.Therefore, in addition to its original use as a management ledger, the sword ledger may have changed its use to include appreciation, such as appraisal and evaluation.
著者
安江 範泰
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.53, no.18, pp.149-158, 2022-03-18

本論文は、国重要文化財「京都府行政文書」を検討素材として、地方自治体が残す歴史的行政文書の史料学的な分析方法を提起する。 まず、京都府行政文書を個別文書別・時代別・事務別に分節化し、観点ごとにその構成を把握した。次いで、各府県が保有する同様の文書群との比較を通じて、明治期文書や農林・商工関係文書の構成比が小さい、残存する郡役所文書が少ない、昭和戦前期の文書の残存状況が良好、といった特徴が照射された。その上で、明治から太平洋戦争敗戦に至る京都府における行政活動や行政文書の蓄積・廃棄の歴史的経験を参照すると、以上にみた、京都府行政文書の構成上の諸特徴が形成される経緯を特定することがある程度まで可能であることが判明した。また各府県の事例の比較から、文書管理上の経験の共通性と差異、そしてそれが各府県の行政文書の現状にどのような影響を与えたのかも示唆された。 こうした検討事例を踏まえ、文書の内容構成の分析結果、文書の伝来に関する歴史的情報、文書間の比較から判明する情報を有機的かつ効果的に組み合わせるという方法をとることが、当該歴史的行政文書に対する史料学的理解を深め、従来の見解を乗り越える上で必要であることを問題提起する。 This paper proposes an approach to analysis historical documents of local governments, dealing withKyoto Prefectural Administrative Documents, a national important cultural property as example.First, we grasp the construction of the documents from plural viewpoins of kinds of includeddocuments, era and affairs. Secondly, by comparison with documents of other governments, the feature hasbecome clear that a rate of existing documents made in Meiji period, ones related to affairs of commerce,industry, agriculture and forestry, and ones of the Gun-offices is low, on the other hand a rate of ones made inShowa period is high. In addition, referring to the administrative activities and the record of management ofthe documents from Meiji to the defeat in WW2, we can guess to a certain extent how the above feature hasformed. And we can know community and difference of experiences of the management of documents, andwhat effect they had on present condition of each document.Through the above examination, we can say that it is necessary to effectively combine pieces ofinformation gained from analysis of the construction and transmission about the documents and comparisonwith others in order to develop an understanding on historical materials study.
著者
Robert Jean-Noël
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-15, 2003-03-01

When it comes to the important question of religion and language in Buddhism, the importance of the Japanese language is wont to be underestimated. By comparison with medieval Chinese or Tibetan, Japanese obviously cannot boast of the same feats in translating the Buddhist Scriptures. Even in the case of Mongolian or Manchu, that former scholars tended to neglect, both these languages produced translations of the Buddhist Canon (albeit a partial one for the latter), which are to be taken, although they are secondary translations, as a landmark in the cultural history of East Asia.Japanese is prima facie different; there was no organized translations of the Canon in that language before modern times, and, in that respect, it would be closer to the situation of Siam or Cambodia. But there was indeed a field in which Japanese monk-scholars engaged in an enterprise that could be deemed akin to the achievements of their Tibetan counterparts, and that was the Japanese poetry (waka) on Buddhist themes, that I will here cover by the general term of “exegetical” poetry or shakkyou kaei.We may for our purpose propose here a broad division of those poems in two, namely those that make use of Chinese Buddhist vocabulary tel quel, and those that endeavor to rely exclusively on ‘pure’ Japanese poetical language.Taking the example of two corpuses of Buddhist waka poems on the theme of the Lotus Sutra by Jien and Sonen, I will consider three points:a) How the scholastic and religious vocabulary of Buddhism has been translated in original Japanese idioms.b) How the poetical expression of the Lotus tenets enhanced and developed the doctrinal interpretation.c) In what way this interpretation or exegesis fits into a precise pattern of religious practice. I hope, through these points, to make a step towards assessing this poetical genre as a full-fledged category of religious literature.
著者
福田 秀一
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of The National Institute of Japanese Literature
巻号頁・発行日
no.02, pp.115-164, 1976-03-25

鎌倉中期に関東の好士後藤壱岐守基政が撰んだ「東撰和歌六帖」といふ私撰類題和歌集があり、実朝や北条氏一門をはじめ関東武士の詠も多く見えるため、早くから一部では注目されてゐる。しかるに従来知られてゐた「東撰和歌六帖」の諸本は、続類従本以下すべて、題目録は六帖分を有しながら、本文は第一帖(春部)のみであった。ところが表記の中川文庫本は、抄出本ながら第四帖(冬部)の途中までを有し、例へば新出の実朝の歌を含むなど注目されるので、ここに祐徳稲荷神社および所蔵者鍋島家の許可を得て同本の本文を翻刻し、索引および略解題を付した。 There is Shisen ruidai wakashu (Personal collection of a thematic grouping of Japanese poems) called “Tosen-Wakarokujo” (東撰和歌六帖)which was selected by a person of refined in the Kanto region, Goto Ikinokami Motomasa in the mid Kamakura period, since many poetries of Sanetomo and the Hojo clan including the Kanto samurai were selected, it attracts attention in certain part from an early period. As for the transcription of “Tosen-Wakarokujo” including all Zoku- ruiju, there was only the first chapter (Spring) in the text while having six quires of title records. However the mentioned Nakagawa Bunkobon has it to the middle of the fourth chapter (Winter) in spite of being an excerpting book, for example, it attracts attention because it includes newly found Sanetomo’s waka, the text of the book with permission of Yutoku Inari-jinja and owner Nabeshima family was reprinted here and referred an index and a brief bibliography.
著者
高松 亮太
出版者
国文学研究資料館
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2012-08-31

本研究では、近世期を代表する和学者賀茂真淵が評注を加えた系統の『金槐和歌集』諸本について網羅的な調査を行い、系統分類を試みるとともに、その伝播状況を考察し、近世後期から明治初期までの真淵学受容の実態を把握する足掛かりとした。その結果、真淵の評注が数度に亘るものであったこと、また伝播の過程で書き換えや加注が行われたこと、注が変容していくさま、加注に関与した人物、茂吉の実朝研究における諸本の位置付けなどについて新たな知見を加えることができた。また、その作業を通して、真淵の孫弟子上田秋成やその周辺の万葉学などの諸活動を跡付けられたことも重要な成果であった。
著者
藤實 久美子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.52, no.17, pp.1-42, 2021-03-29

徳川幕府・藩のアーカイブズ研究は、幕府の寺社奉行所研究などに牽引されて大きく進 展してきた。そのうえで、今後に期待されるのは、奉行所内部の各部局の実務者レベルの アーカイブズ研究ではないか。もっともそこには公文書と「家」で作成・蓄積された文書・ 記録との関係という複雑さが含まれているのだが、本論文では開国後に新設された江戸の 町奉行所の外国掛下役(同心)および詰所を中心に据えて考える。 まず、旧幕引継書類の請求番号808-23「日記」を分析する。所蔵館(国立国会図書館) はこれをひとつの「かたまり」とする。だが組織体にもとづいて分析すると、各国総領事 館・公使館・仮旅宿・接遇所詰(宿寺詰)が作成した詰所日記20冊をその階層構造から「ア イテム(単体)の集合体」として捉えることができる。 詰所日記の分析からは宿寺詰の勤務体制が明らかになる。また詰所日記は記主が日々替 わるという近世社会の日記の1類型の特徴をもつことに加えて、修正の痕跡が多くみられ る。修正の痕跡は勤務状況を反映している。 つぎに請求番号808-26「外国人買物」ほかを分析する。宿寺の機能と外国掛下役の職 務は多岐にわたったが、そのうち外国人への江戸での商品売渡管理制度を明らかにする。 また綴り帳「外国人買物」の内的秩序を推察し、届書の出所を各宿寺・町奉行所に大きく 分類する。基礎データとして外国人への商品売渡販売者などを一覧表にまとめて示す。 The structural analysis of the documents and records prepared and stored by the departments of Edo Machi Bugyo’s offices still requires much elucidation. This paper analyzes the documents and records prepared and stored by minor officials in charge of foreign affairs at magistrate’s offices, examining papers inherited from the Tokugawa shogunate that are now held by the National Diet Library. The National Diet Library views call number 808-23 “Diaries” as a single series, but from the perspective of archival science, we found 20 tsumesho nikki for various countries’ consulates general, legations, provisional inns, and reception venues for Ansei 6 (1859)–Mannen 1 (1860). By analyzing the contents of the tsumesho nikki, this paper considers the documents and records in the manner of restoration, and discusses the nature of the duties of minor officials in charge of foreign affairs at shuku-tera-tsume from the tsumesho nikki’s “sense of noise.” Subsequently, in relation to the nature of “Foreigners’ purchases” (call number 808-26) and other documents, we confirm the obligation to submit a “toritsuketou shinasho, regular custom list” (todokesho, notification) borne by the headman of the town where the seller and seller’s store were located and analyze the contents.
著者
Kabat Adam
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:03877280)
巻号頁・発行日
no.20, pp.73-92, 1997-10-01

In the summer of 1778, oni musume (literally, "demon-girl") enjoyed a brief popularity as a sideshow attraction in an Edo religious festival. While records of the day attest to oni musume's acclaim with the general public, descriptions of the "demon" itself seem rather bland. In fact, oni musume soon found herself with at least one competitor, a flashy "fake" incorporating all the typical characteristics of a demon.Kibyōshi dealing with oni musume from that period are an interesting mixture of fact and fiction. The illustrations portray the woman probably much as she really was, while the stories reflect contemporary trends. At the same time, elements of oni folklore and literature are worked into the texts. These broader cultural aspects come to the fore in later kibyōshi in which both pictures and text place oni musume firmly within the context of the traditional oni stereotype. The jealous woman who changes into a demon establishes itself as one of the prevailing motifs in oni musume literature.
著者
中島 和歌子
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulltein of The National Institute of Japanese Literature (ISSN:03873447)
巻号頁・発行日
no.28, pp.1-40, 2002-02-20

『枕草子』には陰陽道に関する記事が少なく、仏教関係のそれの多さ、多様さと対照的である。一方『栄花物語』正篇は、『枕草子』と重なる時代・人物を描く部分を含めて、陰陽道に関する記述が多く、禁忌を重視し陰陽師を信頼する様子が描かれている。『枕草子』には、官人の陰陽師は固有名詞が見えないだけでなく、ほとんど描かれていない。その理由としては、視野の問題もあるが、出産を含む定子の危機そのものを一切記していない為に登場の機会がなかった、実際に道隆が兼家や道長・頼通ほどに禁忌を遵守し陰陽師を重用していなかった、験者や法師ほどには身近でなかった、といったことが考えられる。但し、記事は少ないものの、陰陽師に従う小童部や法師陰陽師、更には式神まで、陰陽師の周辺にいるものは取り上げられていた。これらは院政期の説話などには散見するが、陰陽道関係の記事が多様である『字津保物語』を含め、仮名にはあまり見られない。何かの理由で文学作品に取り上げられなかった風俗や言葉が、『枕草子』によって垣間見える一例である。また、『呪詛』の明記も珍しいが、伊周や高階氏による道長方呪詛の史実を考慮すると、記したことに挑発的意味あいが感じられる。物忌・方違については風俗としてそのまま受け入れる様子が見え、口実として利用することもない。しかし、呪誼、凶会日、物忌札や物忌の描き方においては、禁忌意識は薄い。また、これらの記事は連続して出てくることが多い。特定の物忌は、一条天皇四例、村上天皇・伊周・繁子・清少納言各一例で、定子の物忌は無い。伊周や清少納言の物忌は、定子との心の繋がりの確認の契機となっている。『蜻蛉日記』や『和泉式部日記』と愛情の種類は異なるが、表現方法は同じだと言える。 Not a lot of articles regarding Onmyodo in ”Makura-no-soshi”(枕草子) exist. It is in contrast to the varieties of Buddhism ones. On the other hand, in the main part of “Eiga-monogatari”(栄花物語), there were many descriptions about Onmyodo that taboo was taken very seriously and Onmyoji was trusted, included the part which overlaps with the era and the characters of “Makura-no-soshi”. Onmyoji who worked for government official were not only seen but also rarely written in “Makura-no-soshi”. Possible reasons for it were, the crisis of Teishi including her delivery were not written down at all, therefore there was no opportunity of the appearance, actually compared to Kaneie, Michinaga and Yorimichi, Michitaka had not complied with taboo and had not given Onmyoji to the important position, it was not closer than trained Buddhist Priests and Hoshi. However there were few articles about Kowarawabe who served Onmyoji, Hoshi-onmyoji, furthermore, also Shiki-gami around them were taken up. These occasionally appeared in Setsuwa in Insei period, it was uncommon in kana including “Utsuhomonogatari(うつほ物語)” which had various Onmyodo-related articles in it. This is one example to catch a glimpse of the customs and words which were not referred in some reason by “Makurano-soshi”. And specifying imprecation of ‘Juso’ is also rare and when the historical evidence of cursing Michinaga by Korechika or Takashina-uji were considered, it is possible to feel the provocative implications from there. In regards to Monoimi, Katagae, they were accepted as customs as they were, no use for excuse. However, regarding the way of describe Juso, Kuenichi, Monoimi-fuda, or Monoimi, there was less conscious of the taboos. Also these articles were often written repeatedly. As special Monoimi, four examples for Ichijo-tenno, one for Murakami-tenno, Korechika, Shigeko, Sei-shonagon each of them and none of Teishi’s. Monoimi for Krechika or Sei-shonagon became the opportunity to connect with the heart of Teishi. Although the kind of love varied from “Kagero Nikki”, (蜻蛉日記)“Izumishikibu Nikki”(和泉式部日記), this might be the same way of expression.
著者
岩淵 令治
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies (ISSN:24363340)
巻号頁・発行日
vol.53, no.18, pp.49-69, 2022-03-18

前近代の日本において、最も都市が発達したのは江戸時代であり、人々は大規模な火災を頻繁に体験した時代だった。 従来の研究は、火災の頻度と、防火設備や消防の体制を検討してきた。たとえば、政治的な中心都市で、最大の城下町であった江戸については、火災の頻度が非常に高い「火災都市」と名付け、とくに防災政策と町人の消防組織を検討している。しかし、都市住民については、被災することに馴れており、「宵越しの金は持たない」ことなどが美徳とされたというイメージが定着している。 そこで、本稿では、江戸時代に刊行された消防に関する教訓書・マニュアル〈消防教訓書〉に注目し、当時の都市民の消防意識を検討した。まず〈消防教訓書〉の概要をみる。その上で、江戸で刊行された『鎮火用心集』(享保16年〈1731〉初板)を検討し、中心を占めるのは火災の予防と出火後の待避であったことを明らかにした。読者の関心は自身の家財と生命をいかに守るか、という点にあったのである。 さらに、曲亭馬琴の火事体験の叙述を検討し、自身を含む家族の生命と家財の保全にかかわる記載がほとんどであることが確認できた。 支配側からの指導やインフラ整備ではなく、こうした民衆知の蓄積を通して、火災による被災に対応できていたことが、日本の江戸時代の都市住民の達成だと評価したい。 In Edo period saw the development of cities and also numerous city fires. However, while we knowrelatively well about the shogunate’s firefighting measures and also urban firefighting organizations whichdeveloped rapidly in this period, historians have paid little attention to how ordinary urban citizens dealtwith fires. And historians have argued only that Edo citizens (commonly called Edokko) had the habit of notkeeping many household belongings because they were very used to being affected by fires. However, suchcharacterization of Edokko was based on fictional characters in novels to be used to idealize the Edo period.Therefore it requires serious reconsideration.The firefighting textbooks demonstrated that what was most important for Edo citizens was toprotect their lives and household belongings. Furthermore, it was confirmed that most of the descriptionsof Kyokutei Bakin's fire experience were related to the protect his and his famiiys their lives and householdbelongings.Thus, if Edo citizens should get credit for accumulating firefighting knowledge, and achieving a formof ‘self-protection’, they were also displaying much more selfishness than what the idealized vision of Edokkohas suggested so far.