著者
針原 素子
出版者
東京女子大学比較文化研究所
雑誌
東京女子大学比較文化研究所紀要 (ISSN:05638186)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.1-13, 2019

Does the experience of connecting with strangers make us happy? To answer this question, Epley & Schroeder (2014) instructed American commuters on trains and buses to have a conversation with a stranger, to remain disconnected, or to commute as normal. They showed that participants reported a more positive experience when they connected with strangers than when they did not.Given some cross-cultural evidence that Japanese people are less likely to interact with strangers than Americans (e.g., Patterson et al., 2007), this study aims to investigate whether the consequence of connecting with strangers is the same in Japan as in the U.S.We instructed Japanese university students to connect with strangers during their commute (connection condition), to remain disconnected (solitude condition), or to commute as normal (control condition). The results showed that participants in the connection condition experienced a relatively more positive mood than those in the other conditions, but the difference was not significant. Further analyses showed that the more responses the participants received from others when they talked to them, the more positive a mood they experienced.The results indicate that the Japanese often fail to have positive interactions with strangers due to their implicit norm that they should not disturb others, but they also have positive experiences when they are successfully able to interact.
著者
先山 徹
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2020
巻号頁・発行日
2020-03-13

兵庫県南部の六甲山地の大部分は花崗岩からなり,それらは古くから石材として利用され,「御影石」として各地に流通していた.この段階で「御影石」は六甲山地の花崗岩を示す用語であったが,現在では他地域のものであっても花崗岩石材を一般的に「御影石」と呼ばれようになっている.「御影石」がいつ,どのようにして六甲山の花崗岩から花崗岩石材の代名詞となったのか.そしてその理由はなぜなのか.その詳細は分かっていない.本発表では,筆者がこれまで続けてきた花崗岩の石材産地同定研究と名所図会の記述および六甲山地の地質から,その過程を考察する.これまで,六甲花崗岩で製作された石造物は中世から西日本各地に分布していることが,その岩相と帯磁率の研究から明らかにされてきた(先山,2014).一方,瀬戸内海沿岸や島嶼部には17世紀初頭の徳川大坂城築城をきっかけに多くの採石場が開かれ,特に北前船の時代には日本海側をはじめ全国各地にこの地域の花崗岩石材が広まった.それに対して六甲山地の花崗岩の流通範囲は縮小されていく傾向がみられる.一方,六甲山地の御影石については江戸時代後期の名所や名産を既述した絵図「摂津名所図会(1798年発行)や「日本山海名産図会(1799年発行)」にも記載されている.それらの「御影石」の項目では,「もともと御影村の浜から出荷されたことによって命名された」ことが記されている.この段階での「御影石」は六甲山地に由来する岩石のことを指している.さらに読み解くと,「山口(山麓)の石は取りつくされて,今は奥山の住吉村で採石したものを海岸まで運んでいる」という旨の記述がある.このことは,この図会が作成された時点では山地内の岩石が採石されているが,もともとは海岸近くの平地に転がっていた石を利用していたということを示唆している.さらに石材の品質についての項目があり,「御影石」についての項目であるにもかかわらず,その石質は「京都の白川石が硬くて良く,大きな鳥居などにも利用されている」旨の内容が書かれている.地理的にみてこの岩石が御影の浜から積み出されることは考えられない.このことから,その当時にはすでに六甲山地以外の花崗岩についても「御影石」と称されるようになっていたと推察される.前述のように,六甲山地は大部分が花崗岩からなり,その主体は淡紅色のカリ長石が特徴的な六甲花崗岩である.六甲山地では大名の刻印が刻まれた岩塊が多く存在し,その集中域は徳川大坂城築城のための採石場として知られている.その刻印集中域を地質図と重ね合わせた場合,花崗岩域だけでなく周辺の第四紀層中にも分布している.六甲山地山麓ではしばしば江戸時代の採石遺跡が発掘され,その多くは土石流堆積物である.なかには土石流堆積物上に鍜治場があり,堆積物中の岩塊に矢穴が見られることもある.つまり,そのころには過去の土石流堆積物中の岩塊を利用していたことになる.海浜に近い平野部は現在市街地となっているため不明であるが,六甲山麓ではこれまでに土石流の記録が多く残されていることから,江戸時代以前にも頻繁に土石流が発生していたと考えられる.それによって当時は海岸近くまで土石流による岩塊が多く存在していた可能性がある.以上のような情報を総合すると,以下のようになる.(1)頻繁に発生する土石流により,六甲山南麓では海岸近くまで岩塊が存在していた.(2)他地域に先駆け,それらの岩塊を加工し御影の浜から積み出した.その結果この岩石を御影石と呼ぶようになった.(3)この時点ではまだ大量に石材を出荷するところがなく,六甲花崗岩が各地に大量に広まったことから,次第に類似の花崗岩も御影石と呼ぶようになっていった.(4)大坂城築城にともなって瀬戸内各地の良質の石材が利用されるようになった.(5)六甲山南麓に転がっていた岩塊も取りつくされ,その後第四紀層の礫を利用し,さらに山地の岩石を使用するようになっていった.(6)江戸時代後半には石材産地の主体は瀬戸内海の各地に移っていったが,「御影石」という名称は他の花崗岩石材の俗称として残された. 現在,六甲山地に採石場は存在しない.しかし土石流の石材を利用してきた歴史は現在の建造物の石垣に見られる.それは人々が災害と関わりながら暮らし,現在の街を作ってきたあかしでもある.文献先山 徹(2013)花崗岩の識別と帯磁率による産地同定.御影石と中世の流通-石材識別と石造物の形態・分布-(市村高男編),高志書院,45-58.
著者
上野 綾 小林 国之
雑誌
北海道大学農經論叢 (ISSN:03855961)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.87-97, 2020-12-31

In recent years, the labor shortage in agriculture has become more serious, and it has become difficult to secure the temporary labor force that has been procured in the region. On the other hand, young people are becoming more interested in rural areas, and the temporary labor force may be an opportunity for exchange between urban and rural areas. In this article, we analyze the acquisition of agricultural part-time workers not only as a means of securing a labor force but also from the perspective of exchange between urban and rural areas in order to discuss a new solution to the problem of securing a labor force in agriculture. This study (1) considers the possibility for agricultural part-time workers to attract people with diverse interests to the region, (2) analyzes the cooperation implementation system between agriculture and other efforts and the host entity, (3) and clarifies the establishment of relationships with the region by people who visit the region through agricultural part-time jobs. When considering an agricultural part-time job as a form of urban-rural exchange, it is necessary for the area that provides the agricultural part-time job to be aware of the interests of employees and to build a business that makes the best use of the characteristics of the area. In addition to farm work hours, it is also important for the employer side to provide opportunities for exchange, such as exchange time and participation in local events.
著者
前田 将吾 髙畑 晴行 原田 麻未 中川 佑美 森 公彦 金 光浩 長谷 公隆
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.46, pp.J-52_1-J-52_1, 2019

<p>【はじめに】</p><p> 近年,脳性麻痺症例の運動機能と筋力の関連性を示した報告が散見され,運動による筋力維持・向上の重要性が示唆されている.一方で,歩行や移動に制限がある粗大運動能力分類システム(Gross Motor Function Classification System:GMFCS)Ⅳ~Ⅴレベルの症例では,随意的な運動による筋力維持・向上が困難である.今回,低運動機能に分類される脳性麻痺児に対する他動的歩行練習が下肢筋活動に及ぼす影響を評価し,運動量を増加させる方法を検討したため,運動学的考察を加えて報告する.</p><p>【症例紹介】</p><p> 症例は9歳男児,身長124.0cm,体重14.6kgである.在胎26週663gで出生し,脳室内出血に起因する水頭症を発症したため,脳室-腹腔シャント術を施行された.今回,シャント機能不全に対するシャント入れ替え術のため当院入院された.入院前に自力歩行が困難で,屋内移動を5m程度肘這いで行っていた.術後にイレウスによる嘔吐や食思不振のため低栄養状態となり,長期的入院や多数のルート類によるストレスによって運動意欲は低下した.術後1か月で全身状態が安定し立位や歩行練習を開始した.歩行練習開始時の身体的特徴は,GMFCS:Ⅴ,粗大運動能力尺度(Gross Motor Function Measure)-66 Score:20.5,Modified Ashworth Scale:膝関節伸展両側1,足関節背屈両側1+であった.歩行条件は,両腋窩介助での歩行と歩行補助具(ファイアフライ社製,アップシー小児用歩行補助具)を使用した歩行(補助具歩行)の2条件とした.アップシーの特徴は、児の体幹と介助者の腰部がベルトで連結され,体幹直立位保持が可能になることである.また足部も介助者と連結され,介助者の下肢支持と振り出しに連動する機構となっている.筋電図評価を行うために表面筋電計(Noraxon社製Clinical DTS)を用いて,左右の大腿直筋,半腱様筋,前脛骨筋,腓腹筋外側頭の計8筋を計測した.</p><p>【経過】</p><p> 両腋窩介助歩行では下肢の振り出しが困難であり,下肢筋活動は持続的であった.補助具歩行では,リズミカルな下肢屈曲-伸展運動が可能であり,大腿直筋は左右とも立脚期に活動し,半腱様筋は左右とも遊脚中期から立脚初期に活動していた.前脛骨筋と腓腹筋外側頭は立脚期を通して同時活動していた.またアップシーを用いると嫌がることなく1時間以上連続して立位および歩行が可能であった.</p><p>【考察】</p><p> 低運動機能に分類される症例において,用手的な介助による運動または歩行が困難な場合でも,アップシーを用いた歩行は,体幹直立位での下肢屈曲-伸展運動を可能にした.立脚期の足関節背屈運動や股関節伸展の誘導によってCentral Pattern Generatorが賦活され,下肢の相動性な筋活動が出現したと考えられた.また筋力低下に対しても体幹・下肢への負荷量を調整することが可能であるため,運動量の確保や運動意欲の向上に関与したと示唆された.今後,歩行練習による介入効果を検証する必要がある.</p><p>【倫理的配慮,説明と同意】</p><p> ヘルシンキ宣言に基づき,家族に口頭にて十分な説明を行い実施した.また個人情報の取り扱いにおいては,個人が特定できる情報は用いずに実施した.</p>
著者
高木 優也 綱川 孝俊
出版者
[栃木県水産試験場]
雑誌
栃木県水産試験場研究報告 (ISSN:13408585)
巻号頁・発行日
no.59, pp.40-41, 2016-02

県北部の渓流漁場をモデルとして,アンケートにより釣獲と釣り人の実態について調査しました。その結果,年間で延べ11,099人の釣り人が,88,001尾のヤマメ・イワナ・ニジマスを釣獲し,42,645尾を持ち帰ったと推定されました。県外からの釣り人が多く(日券者の72%,年券者の52%),ルアー・フライなどのエサ釣り以外の釣り方の釣り人が多い(日券者で47%,年券者で49%)という特徴が見られました。また,40歳未満の釣り人が少なく,渓流釣り歴が長い釣り人が多い(85%が渓流釣り歴5年以上)という傾向が見られました。

1 0 0 0 佛教學雜誌

著者
佛教文學會
出版者
佛教文學會
巻号頁・発行日
1920
著者
日野 幹雄 グェン・ソン・フン 中村 健一
出版者
泌尿器科紀要刊行会
雑誌
流れの可視化 (ISSN:02873605)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.203-206, 1981
被引用文献数
3

Lithting with stroboscopes are used for the hydrogen bubble technique to determine the instantaneous velocity field of the two-layered flow. The stroboscopes light simultanously, at constant frequency, 2 or 3 times while the camera shutter is opened. Such, 2 or 3 images of the same moving time lines of hydrogen bubbles are taken on each photograph. During the measurement of the velocities the interfacial waves of the flow are visualized with fluorescin dye. This method is recognized to be useful to detemine the relation between the spatial distribution of the velocities and their turbulent fluctuations and the interfacial waves of the two-layered flow.
著者
辻 直人
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.12, pp.31-46, 2019-03

本稿は、森有正の思想において「生活」という用語がどのように用いられているのか、森有正の生活概念を検討することを目的とする。森有正にとって、1950年以降亡くなるまでの約26年間パリで生活をすることが、思索の深まりと変貌を促した。森の言う生活は決意を伴うもの、自覚的に選び取るものであった。決意が出発を促す。出発から経験を深めていく場所として「生活」が捉えられていた。経験の基礎となるのが生活であり、森有正にとって、「生活」は思索の源泉であった。森はパリでそのような経験をしたが、日本から送られてきた雑誌に載っていた庶民の手記に、国籍や文明の違いに関係ない1人の人間としての姿を、日本人庶民にも見出した。森は、自分の仕事に徹することができれば、そこが自分にとってのパリである、とも語っている。経験の成熟と共に、もはや固有の場所としてのパリではなく、象徴的な場所と変わっていった。また、森はパリの生活に秘められた潜在的力を、フランスの学校教育に見出した。
著者
小泉 正太郎 三国 政勝
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
vol.312, pp.123-132, 1982
被引用文献数
6 2

この研究は, ここでの目的にそって, 近代的思潮を背景として住居における個性化が進む中で, 近隣関係などを通じてどのような集性としての居住現象が生じているかを明らかにし, この漁業地区における住生活の実態の中にこれからの方向性をさぐり, 不備への対応などの解析を行なったものである。住居内における個性化の動向としては, 行為の機能分化のみによる個室化ではなく, 家族関係的な面をもちながら, 近隣関係としての接客性をも含めた住行為の集約の中に得られることを知る。ここでは間取りや住居規模などについて, それぞれの類型を介しての解析を行なった。このような近隣関係をもつ中において, ともすれば閉鎖的になりがちな漁業地区ではそれぞれの個性を伸ばすための空間形成の必要なことが窺われ, 前にみた部落集会所の解析や日常の余暇的施設への無関心の事情から更にこの面の深い追求が必要とされる。また, 過密居住のこの地において, 住居が個別に更新されていくとき, その歪ともみられる面を, 近隣空間の共同利用や新築, 増改築にあたっての, それぞれの室構成の相互理解によって克服している。地縁性といい, 共同体というも, このような施設の在り方を媒介として成立するものであることを, この漁業地区においても指摘することができる。