著者
森 玲奈
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.445-455, 2008-03-10 (Released:2016-08-04)
参考文献数
47
被引用文献数
3

研究の目的は,ワークショップのデザイン過程におけるベテラン実践家の特徴的思考を明らかにすることである.本研究では,ベテラン実践家とその集団に属する初心者2組を選定し,発話思考法を用いた実験を行った.分析は,まずベテラン-初心者間における発話の流れを比較し,その上で2人のベテランに共通する特徴を検討した.その結果,ベテランにおけるデザイン時の発話には,依頼内容の確認・解釈の後,コンセプトの立案を行うという共通の流れがあることが明らかになった.また,ベテランの特徴として,(1)依頼内容に対する幅広い確認を行うこと,(2)デザインの仮枠となるデザインモデルを使用すること,(3)保留や選択の余地を残した「やわらかな決定」を行うこと,(4)スタッフの育成に対する意識とデザイン力を持つこと,(5)過去の実践体験の想起や経験から構築された慣習を用いてデザインを行うこと,が明らかになった.さらに,ベテランには経験に裏づけられた「個人レベルの実践論」があることが示唆された.
著者
津田 誠
出版者
九州大学
雑誌
若手研究(A)
巻号頁・発行日
2005

正常動物の脊髄腔内ヘインターフェロンγ(IFNγ)を投与することで,脊髄ミクログリアの活性化および持続的なアロディニア(難治性疼痛様の痛み行動)が発現した.脊髄におけるIFN γ受容体(IFN γ R)の発現細胞をin situ hybridization法により検討したところ, IFN γ R mRNAはミクログリアに特異的に検出された.さらに,IFN γによるアロディニアは,ミクログリアの活性化を抑制するミノサイクリンによりほぼ完全に抑制された.したがって,IFN γはミクログリアに発現するIFN γ Rを刺激して,ミクログリアを活性化し,持続的なアロディニアを誘導することが示唆された.そこで,実際の難治性疼痛モデル(Chungモデル)におけるIFNγの役割を, IFN γ R欠損マウス(IFN γ R-KO)を用いて検討した.野生型マウスでは神経損傷後にアロディニアの発症およびミクログリア活性化が認められたが,IFNγR-KOでは両者とも著明に抑制されていた.以上の結果は,IFN γが難治性疼痛時におけるミクログリアの活性化因子として重要な役割を果たしている可能性を示唆している.P2×4受容体発現増加因子としてfibronectin(FN)を同定した.本年度は, FNによるP2×4発現増加分子メカニズムを明らかにすべく,Srcファミリーキナーゼ(SFK)に注目した.ミクログリア培養細胞において,Lynキナーゼが主なSFK分子であること,さらに脊髄における発現細胞もミクログリアに特異的であることを明らかにした.さらに,Chungモデルの脊髄では, Lynの発現がミクログリア特異的に増加した.Lynの役割を検討するため, Lyn欠損マウス(Lyn-KO)を用いた.野生型マウスでは神経損傷後にアロディニアの発症およびP2×4の発現増加が認められたがLyn-KOでは両者とも有意に抑制されていた.さらに,Lyn-KOミクログリア培養細胞では, FNによるP2×4発現増加が完全に抑制されていた.以上の結果から,Lynは難治性疼痛時のP2×4発現増加に必須な細胞内シグナル分子であることが示唆された.
著者
宮城 磯治 圦本 尚義
出版者
The Volcanological Society of Japan
雑誌
火山 (ISSN:04534360)
巻号頁・発行日
vol.40, no.5, pp.349-355, 1995-10-31 (Released:2017-03-20)
参考文献数
32
被引用文献数
4

日本を含む島弧の火山では,しばしば爆発的な噴火が見られる.マグマ中の揮発性成分(主に水)の飽和・発泡・膨張にともなうマグマの急激な放出が,それらの要因である.火山噴火の理解の為には,マグマ含水量,マグマヘの水の溶解度,そして噴火時の脱水過程を理解する必要がある.しかし,噴出時の脱水のため,噴出前の含水量を火山岩から読みとることはきわめて困難である.これまでのところ,斑晶中のガラス包有物の含水量を分析することが,マグマ含水量を見積もるための最も有効な手段であると考えられる.ただし,斑晶中のガラス包有物の大きさは通常直径100μm以下であるため,微小領域の正確な含水量測定法が必要である.そこで本研究では,二次イオン質量分析計を用いた含水量分析の手法を開発した.これまでの研究により,ガラスの組成が異なると水素の二次イオン生成率も変化することが知られており,この手法の問題点であった.しかし本研究では,ガラスのシリカ濃度を用いてその生成率が補正できることを示し,この問題点を克服した.これにより玄武岩質〜流紋岩質ガラスの微小部分(半径約5μm)の含水量を正確(約±0.5wt.%)に分析する手法が確立された.この手法の応用として姶良カルデラの約2万2千年前の噴出物から取り出した斑晶メルト包有物の分析を行ったところ,5~7wt.%の含水量が示された.これはAramaki(1971)の水熱合成実験により得られている水分圧と水の溶解度から推定される含水量と良く一致する.
著者
市川 徳和 江口 寿栄夫
出版者
The Japanese Association of Rehabilitation Medicine
雑誌
リハビリテーション医学 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.3, pp.163-167, 1987-05-18 (Released:2009-10-28)
参考文献数
12

広い意味での脳損傷児という概念に立って水頭症を合併せる二分脊椎児と脳性麻痺痙直型両麻痺児に対して,認知・知覚-運動障害を心理学的検査にて調査した.二分脊椎児9例,脳性麻痺児19例で年齢は6~15歳である.検査は田研・田中Binet知能検査,WISC-R知能検査,Frostig視知覚発達検査,Bender-Gestalt検査の4種類を全例に施行した.精神発達遅滞を思わす症例を除いても高頻度に認知・知覚-運動障害を両者に合併していたが,脳損傷児の小児リハビリテーションを進める上で重要な点と考える.
著者
佐々木 愛 宮野 素子
出版者
秋田大学教育文化学部附属教育実践研究支援センター臨床心理相談室
雑誌
秋田大学臨床心理相談研究
巻号頁・発行日
no.18, pp.21-25, 2019-03-25

内的な感覚を他者が理解することは難しく,観察可能な行動に支援の焦点が当たりやすい。行動への対処は社会生活を送る上で重要だが,変容が難しい場合もある。行動の背景にある感覚処理を視野に入れると,本人の困り感に沿いながら支援ができ,認知や感情が影響を受けた結果,行動が変容しやすくするのではないか。そこで本研究では,認知,情動の2側面があり,社会適応に必要とされる共感性との関連を明らかにすることを目的とし,中学生を対象に質問紙調査を行った。結果,感覚有意・回避群,刺激探求群,低関心群の3群が得られた。3群それぞれで共感性について分散分析を行ったところ,共感的関心では低関心群のみ男子より女子の得点が高く,個人的苦痛では感覚有意・回避群が他の群よりも高くなった。今回の結果から,感覚回避の強さが個人的苦痛や共感的関心といった共感性の情動的側面へ影響すること,感覚探求が強いほど,他者指向的な感情を抱きやすいことが示唆された。
著者
井坂 吉宏 森脇 恵美子 沼口 隆太郎 日浦 義和
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.277-283, 2021-04-30 (Released:2021-04-30)
参考文献数
14

通院加療中の2型糖尿病患者の長期的な血糖コントロール不良に関連する因子を明らかにするために後ろ向き観察研究を行った.1年以上通院しているHbA1c 8 %以上の患者62例を抽出し,主治医にアンケート調査を行い不良要因の項目を作成,HbA1cの推移を予測する因子について解析を行った.2年間通院を継続していた53例のうち,2年後HbA1cが8 %未満に改善したのは23例(43 %)で,ロジスティック回帰分析にて調査開始時HbA1c高値,通院年数が長い,若年が2年後HbA1cの非改善に,独立して有意に関連していた.また通院しているが血糖コントロール不十分な患者の多くは心理行動面の問題を抱えており,複数以上の問題を有する患者では,そうでない患者と比べて有意に年齢が若く,HbA1cの改善も乏しかった.こういった患者に対してどのような援助ができるのか,議論が必要である.

1 0 0 0 OA 鉄道法規類抄

著者
鉄道院総裁官房 編
出版者
大谷仁兵衛
巻号頁・発行日
vol.第2編, 1913
著者
深澤 芳樹
出版者
独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

日本列島にタタキ技法が初めて現れるのは、弥生土器においてである。その技法は、すでに高い水準にあったことから、自生したとは考えられず、その由来を海外に求めざるをえない状況にあった。その候補にはこれまで、灰陶系統の瓦質・陶質土器があったが、これは本研究の3つの視点、つまり道具・製作工程・身体技法から、とても肯首できるものではないことが明らかである。最近、朝鮮半島の無文土器のうち、松菊里式土器にタタキメとおぼしき凹凸痕が、発見されることが増えてきた。本研究経費を用いて、大韓民国で忠清南道寛倉里遺跡や忠清南道古南里貝塚の資料を詳細に観察した。そしてこれらの凹凸痕に揺れや振れなどがなく、器具を圧着してできた痕跡であることを確認し、5〜6cmごとで不連続部分があり、その圧着は円弧状タタキメのパターンを描くことを確かめた。この結果、これら松菊里式土器の平行条線は、平行タタキメそのものであり、さきの3つの視点からみて、この松菊里式土器製作にかかわった技法こそが、日本列島の弥生土器が習得したそのものであるとの結論に達した。現在、このタタキメをもつ松菊里式土器は、朝鮮半島の南西部に偏在する。このタタキ技法は、楽浪土器のそれとは異系統であることから、その伝播経路は、海を越えて山東半島に求めることになる。中国大陸海洋沿岸部には、縄タタキによらない印紋硬陶文化があるので、その起源地にこれを据えることが最も蓋然性の高い理解であると考える。つまり弥生土器のタタキ技法は、大陸沿岸から朝鮮半島西南部に伝わり、これが日本列島に達したものである、との仮説を提起する。今後は、これらの技法と楽浪・三韓土器の技法を比較検討し、研究対象地域を広げたい。
著者
保柳 睦美
出版者
Tokyo Geographical Society
雑誌
地学雑誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.193-222, 1968-08-25 (Released:2009-11-12)
被引用文献数
2 4

The name of Tadataka INÔ (1745-1818), who carried out the survey of the almost entire islands of Japan and made excellent maps of Japan in the end of Edo period, became popular all over the country since the Tokyo Geographical Society erected a bronze memorial monument in the Shiba Park, Tokyo in 1889, which was re-established in the same site with a newly designed beautiful stone monument in 1965.INÔ's Map officially presented to the Takugawa Government in 1821 compiled after his death by his pupils consisted of those of three scales : large scale (1 : 36, 000, 214 sheets), middle-scale (1 : 216, 000, 8 sheets) and small-scale (1 : 432, 000, 3 sheets). Despite its excellency, they were stored in the Library of the Tokugawa Government, only a few limited number of people were allowed to see them, and INÔ's Map proved its usefulness since the Meiji Restoration. These maps served as the basis and the most important data to meet the urgent needs of accurate maps, charts and statistical figures of the Japanese Islands.However, INÔ's Map has an unfortunate history behind it. After it was handed over from the Tokugawa to the Meiji Government, a fire broke out in part of the Imperial Palace in 1873 and destroyed all the maps. INÔ's descendants presented the preserved copies to the Government and they were kept in the Library of the Tokyo Imperial University, while the fire caused by the Kantô Earthquake in 1923 destroyed the Library. In consequence, the number of INÔ's Map which are extant is very small and fragmental today and yet careful studies of these maps, INÔ's books and documents revealed some points which have never been fully appreciated in his achievements, and the followings are the abstracts of these main points.(1) INO's motive for undertaking the survey of Japan was the determination of the length of one degree of latitude, which he carefully determined as 28.2 ri (110.85 km) with extraordinary accuracy at that time. However, “Map of the Eastern Part of Japan” presented to the Tokuwawa Government in 1804 was so elaborate, so accurate, so detailed and so beautiful and gave even an impression of a work of art that the Government appointed him as an official and ordered him to continue the survey, which he carried out with extraordinary persistence and skill. Fig. 2 shows the distribution of INÔ's routes of survey, which was carefully drawn from the maps of middle-scale and his records and the total distances of surveyed lines amounted to 33, 724 km. In addition he traveled several times between Edo and Kyôto (Tôkaidô) as well as Kyôtô and Shimonoseki (Sanyô-dô), so that the total distances of his travel were more than 40, 000 km, which he accomplished when he was fifty-six to seventy-two years of age.The mapped areas are strictly restricted to those of the actually surveyed and certainly known. Therefore, many parts far distant from the roads and the coast left unmapped because the surveys were not conducted. These are some of evidences of INÔ's scientific mind underlying his map-drawing.(2) The Tokugawa Government's needs to the maps were the accurate drawing of configuration of the coastline of the Japanese Islands as well as the detailed distances of important towns along the Tôkai-dô, the Sanyô-dô, and along the northern part of Kyûshû. INÔ's main aims were the determination of latitudes and, if possible the longitudes, of important towns along the most important zone of Japan at that time, that was along the Tôkai-dô and the Sanyô-dô. INÔ's Map met these needs quite well, following basically what is called the method of traverse with great care, and he also adopted astronomical observations.
著者
中原 好冶
出版者
広島大学
雑誌
広島大学マネジメント研究 (ISSN:13464086)
巻号頁・発行日
vol.2, 2002-03-20

本論文は, 「こんなに経済的に豊かな日本で, どうして「終わり良ければすべて良し」という福祉が実現できないのであろうか」という問題意識からスタートしている。自ら祖母の介護を通じてみた在宅介護・家族介護・特別養護老人ホームで暮す人達・老人病院の現状は今の日本がこの分野において, 決して豊かになっていないということを示していた。むしろ私たちは, 人生のまさに最終局面で大きな不安を抱えている, というのが現実ではなかろうか。このような中で, 2000(平成12年)年4月から高齢者福祉の分野で介護保険制度が導入された。この制度は果たして日本の高齢者福祉をもっと充実させ, 本当に人生の幸せを実感できる老後を保障できるのであろうか。我が国の高齢者福祉政策は, 家族介護を中心とした日本型福祉社会論と, 1980年代半ば以降の福祉費抑制政策によって特徴づけられる。介護保険制度もその延長線上にあると考えられ, そのことは広島県におけるサービス需給の状況や, 将来計画である「ひろしま高齢者プラン2000」を見てもわかる。また, 保険者である広島市の介護保険財政の状況も, 公費負担という観点から見ると43億円の減である。実際に広島県の施設サービスの現状分析を, 老人福祉施設指導台帳・老人保健施設台帳をもとに行っていった。特別養護老人ホームでは, 職員一人当たりの入所者数で2.5倍, おむつ交換の回数で6倍, 食費で2倍, 職員給与で3倍の格差がみられた。また老人保健施設においては, 職員一人当たりの入所者数で3倍, おむつ利用者の割合で14倍, 食費で1.6倍の格差がみられ, 1年以上の入所者数や家庭への退所率においても施設ごとに大きな格差がみられた。本来はこうした施設間の格差の解消や, サービスの質の向上に努め, どこの施設に入居しても安心して暮せることや, 家族の満足度を高めていくことが求められていたはずである。介護保険導入後もサービスの質の向上についての取り組みは遅れており, 第3者評価の促進や実地指導の強化が求められている。次に, 在宅サービスについてである。(財)広島市福祉サービス公社の分析を通じて明らかになったことは, 介護保険が導入されて, 在宅サービス特に訪問介護の分野で実際に起こっている現象は, 訪問介護だけでは採算が合わないということである(福祉サービス公社の場合は1.6億円の公費投入でしのいでいる)。収益を目的としない公的な福祉サービス公社においてすらこのような状況であり, ましてや新たに進出した民間企業の状況はよくない。その結果, ホームヘルパーのパート化がおこり, 「1回あたりの派遣時間」の低下によるサービスの質の低下も心配される。こういった高齢者福祉の問題は日本固有の問題ではない。福祉先進国と考えられるスウェーデンとドイツの場合, 在宅サービスを充実させることによって, 問題に対応している。スウェーデンにおいては, 痴呆性老人グループホームの大量増設やケア付き住宅の整備によって昔は施設と呼ばれたものがグレードアップされた結果, 理想的な在宅介護が可能になった。これらの国の例をみても, これからの高齢者福祉は在宅サービスの充実と痴呆性高齢者対策といっても過言ではない。痴呆性高齢者については, 広島県内における介護サービス利用者は57,033人なのに対して, 痴呆性高齢者は約38,000人いるものと推計される。痴呆の進行度にもよるが, この数字は2020年には倍増するものと予想されている。痴呆性高齢者に対するケア, サービスの質を高めていくことは今後の大きな課題である。そのため, 広島市内のグループホームを中心に実地調査を行った。さまざまな形態のグループホームがあり, 設置主体も多様であるが, 基本的に数が少なすぎる。グループホームの実地調査を通じて得られた課題は, 介護保険の不公平(介護報酬の低さ), 増設に向けた政策補助のあり方, グループホーム入居者の自己負担が施設サービスの倍である, 入居者の重度化の問題, 等である。これらの解決に向け, また増設に向けた政策が必要である。
著者
高橋 淑子
出版者
京都大学
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2020-07-30

これまでに発生中の胚を用いることで、腸がもつ内在的な蠕動運動ポテンシャルとその遺伝プログラム制御の可能性を見出しつつある。また腸由来細胞を用いた長期培養法を可能にすることで、「腸収縮オーガノイド」の作製に世界で初めて成功した。これらの独自解析系を用いることで、特に蠕動運動のペースメーカーと考えられていたがその実体が謎であった「カハール介在細胞」の理解が一気に進み始めた。カハール介在細胞が腸平滑筋や腸神経系とネットワークを作る機構を明らかにし、蠕動運動を可能にする細胞-組織ー器官の協調的制御の全容に迫りたい。
著者
梅谷 陽二 伊能 教夫
出版者
The Society of Instrument and Control Engineers
雑誌
計測自動制御学会論文集 (ISSN:04534654)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.133-138, 1981-02-28 (Released:2009-03-27)
参考文献数
9
被引用文献数
1 2

Peristalsis can generally be seen in the digestive organs of animals, and serves various purposes such as transporting or mixing the contents of the digestive tracts. Although this peristaltic movement has been studied by many physiologists, its neural controlling mechanisms have not yet been made clear.This paper describes a biomechanical study on the peristaltic transport mechanism of gastrointestines. First of all, referring to the physiological knowledge established so far, the authors made an assumption about the structure of a neural network which should exist in the intestine itself to control a peristaltic motion (as shown in Fig. 2). Secondly, in order to examine the functional property of receptors, a simulation was carried out on a digital computer, and it was found that the receptors had to hold such a property as are responding to the inside pressure caused by the stuffed contents to be transported. Finally, referring to the above mentioned results a mechanical model for peristalsis was made, and its performances of simulation was examined. It resulted that this model expressed physiological phenomena on the intestinal movement very well, and was able to transport solid stuffs in the various shape.Thus the authors believe that the neural network model proposed by them is valid and represents a principal a neural controlling mechanism to transport contents in the intestine.