著者
王 尚可 安本 雅典 許 経明
出版者
横浜国立大学技術マネジメント研究学会
雑誌
技術マネジメント研究 (ISSN:13473042)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.31-45, 2018-03-31

本研究では、後発企業が技術スピルオーバーによって、どのように知識を獲得し蓄積するのかを検討する。より具体的には、既存の有力な標準化の推進企業から後発企業への技術的リーダーシップの移転のプロセスを検討することによって、標準化にともなう技術のスピルオーバーにおいて、後発企業がいかに知識の獲得・強化できるのかを明らかにする。本研究では、技術仕様に関して宣言される必須特許(SEP:standard essential patent)と独自特許(Non-SEP)の分析を行った。その結果、補完的企業である、ある後発の半導体サプライヤーは、既存の有力な標準化の推進者からの必須特許の引用を通じて、システム知識を構築・強化し、それによって先発企業を圧倒してきたことが明らかとなった。この発見は、標準化の推進企業の知識マネジメントについての議論を拡張するとともに、実践的な示唆を提供すると期待される。
出版者
巻号頁・発行日
vol.[41] 呉服、木綿、糸、真綿、繰綿、藍玉、紫根、紫染,
出版者
巻号頁・発行日
vol.[151],
著者
エディリシンハ チャトリカ 和田 勉
雑誌
研究報告コンピュータと教育(CE) (ISSN:21888930)
巻号頁・発行日
vol.2018-CE-144, no.13, pp.1-5, 2018-03-10

登壇発表者の出身国であるスリランカの教育制度,情報教育特に初中等情報教育,および情報分野の入学試験 ・ 検定について調査した結果と考察を報告する.文献やインターネットを通じた予備調査により明らかになった,スリランカの教育制度,初中等情報教育,および情報分野の入試 ・ 検定を報告する.あわせて日本の情報教育制度との違いを考察する.なお発表時には,本予稿執筆のあとで行った現地調査から得られた結果もあわせて報告する予定である.
著者
日詰 正樹 水澤 英洋
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.95, no.7, pp.1279-1285, 2006-07-10 (Released:2009-03-27)
参考文献数
5

人獣共通致死性感染症のプリオン病は, ヒトでは特発性, 感染性, 遺伝性に大別される. 中でも変異型Creutzfeldt-Jacob病 (vCJD) は他のプリオン病と異なり, 脳だけでなく末梢組織でも異常プリオン蛋白 (PrPSC) が検出され, 輸血や手術による二次感染が問題となる. 治療としてキナクリンなどの薬剤が試されているが, 十分な効果はない. Protein misfolding cyclic amplification (PMCA) の応用などによる早期診断や画期的な治療法の開発が急務である.
著者
曺 在順
出版者
日本図書館情報学会
雑誌
日本図書館情報学会誌 (ISSN:13448668)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.43-57, 2004

本稿では, 1950年代米国教育援助の中で展開された韓国への図書館学教育の導入について,文献分析とインタビューによって,その背景を明らかにした。1955年までの米国教育援助政策は現職教員の再教育に止まっていたが, 1956年から養成へと変わった。図書館援助の面でも養成が重視され,ピーボディ大学の援助を受けて1957年に延世大学図書館学科が創設された。ピーボディ大学は優秀な図書館学校を持っており,これは同大学が米国務省国際協力庁により米国対韓教育使節団として選定される一因であった。ピーボディ大学プロジェクトには最初から図書館学科の設立計画が含まれており,その背景には1955年段階での韓国図書館界の強い働きかけがあった。延世大学が図書館学科創設の適地として選定された理由には,キリスト教系大学であったこと,総長の図書館への関心,副館長エルロドによる米国型図書館サービスの導入,韓国初の現代的図書館の新築などが考えられる。

1 0 0 0 山と渓谷

出版者
山と渓谷社
巻号頁・発行日
1930
著者
名護 博
出版者
瀬戸内短期大学
雑誌
瀬戸内短期大学紀要
巻号頁・発行日
vol.35, pp.11-19, 2004-12-30

A group of chants sung about the red bowl revolution that came down to Okinawa islands from Yamato (the main land of Japan) was described previously, and emphasized it contained the key subject to understand the ancient history of Japan, especially the formation process of genesis Yamato nation. I would describe here that the chants of the revolution was flowed into the "Omorosoushi" which was edited in the era of Ryukyu kingdom, although the old fixed-form phrases that existed in the old chants as described previously were disappeared. Although no one pays attention to these chants, appearance of the revolutionary phrase may mean that the revolution was one of the central thought in the Omorosousi. The other significance of these chants would be that they had widely spread in the Ryukyu Islands such as Miyako, Yaeyama archipelagos.
著者
春田 英律 山内 栄五郎 細谷 好則 倉科 憲太郎 斎藤 心 瑞木 亨 宇井 崇 平嶋 勇希 佐田 尚宏 安田 是和
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会
雑誌
日本消化器内視鏡学会雑誌 (ISSN:03871207)
巻号頁・発行日
vol.53, no.8, pp.2001-2005, 2011 (Released:2011-09-15)
参考文献数
12
被引用文献数
1

症例は19歳男性.先天性食道閉鎖症Gross C型で日齢1日目に食道気管瘻結紮切離と胃瘻造設術,生後6カ月目に食道再建術を受けた.術後より吻合部狭窄を併発し,内視鏡的バルーン拡張術などを行うも,再狭窄を繰り返し難治性であった.内視鏡検査では門歯より約27cmに著明な全周性狭窄を認め,食道造影では狭窄距離は約2cmであった.今回,経胃瘻孔的内視鏡と経口内視鏡を併用して磁石圧迫吻合術による狭窄解除術を施行.術後3病日目に磁石同士は接着し,18病日目に落下・排泄された.現在術後2年が経過したが再狭窄なく経過している.磁石圧迫吻合術は難知性吻合部狭窄症例に対して有効な治療法であると考えられる.
著者
北村 嘉恵 山本 和行 樋浦 郷子
出版者
北海道大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

本年度は、「研究実施計画」に即して、以下のとおり進めた。1.台湾南部(台南、嘉義)において、国民小学や個人・団体の所蔵する文書・写真・奉安庫等の調査を進めるとともに、関係者に聞き取り調査を行った(8月、3月)。所蔵者の逝去により一時中断していた元教員旧蔵資料群については、遺族の了解を得て作業を再開することができ、出版物(書籍)を除く全資料のデジタル撮影を終えることができた。現在その悉皆的な目録の作成を進行中である。これまでの調査の成果と課題を共有するため、国立台湾歴史博物館研究組組長と協議を行い、同館における調査・整理の方針について情報を得るとともに、今後の協力方法についても検討した。2.韓国・国家記録院のデータベース等により学校資料の残存状況および内容を把握したうえで、韓国南部の数カ所(昌原、釜山)に調査地を絞りこみ、初等学校や韓国長老教会の所蔵する文書・写真等の閲覧および関係者への聞き取り調査を行った(8月)。実地調査において学校沿革誌の原本を確認することはできなかったが、とくに、学校創立以来の通時的な集合写真や学籍簿、普通学校生徒の帳面のほか、教会の牧師・長老会議の記録である「堂会録」(1900年代初頭~1960年代末)などの所蔵を確認し閲覧できた点で大きな進展が見られた。このうち許可の得られた資料についてはデジタルカメラにて撮影を行うとともに、仮目録を作成した。3.主要資料のうち公刊許可の得られた学校沿革誌については、全文の翻刻を行い、解題を付して紙媒体および電子媒体で順次公刊し、幅広い共有化をはかるとともに調査地への成果還元につとめている。また、調査・分析より得られた知見は教育史学会等にて個別研究として発表し、論文として公刊を進めている。
著者
長坂 幸吉 日本 典秀 上杉 龍士 勾坂 晶 光永 貴之
出版者
関東東山病害虫研究会
雑誌
関東東山病害虫研究会報 (ISSN:13471899)
巻号頁・発行日
vol.2016, no.63, pp.81-86, 2016-12-01 (Released:2017-12-26)
参考文献数
11

コレマンアブラバチ (以下コレマンとする) とナケルクロアブラバチ (以下ナケルとする) の併用によるアブラムシ防除効果を施設イチゴにおいて検証した。2014年作では発生初期のワタアブラムシ (以下ワタとする) に対して,両アブラバチを各1頭/m2で放飼した放飼区と無放飼区とでワタの個体数を比較したところ,放飼区では有意に個体数増加が抑制された。2015年作では,各アブラバチを0.5頭/m2で放飼した放飼区と無放飼区との間で接種したチューリップヒゲナガアブラムシ (以下チューリップとする) の個体数を比較したところ,放飼区での個体数は無放飼区に比べて有意に少なかった。また,同時に発生したワタに対しても,有意に個体数増加を抑制した。コレマンはワタのみにマミーを形成したが,ナケルはワタとチューリップの両方にマミーを形成した。これら2事例の結果から,コレマンとナケルの併用により両アブラムシが同時発生しても密度を抑制できる可能性が示唆された。
著者
黒岩 千尋 中川 武 溝口 明則
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.81, no.719, pp.195-202, 2016

One of the greatest characteristics of Preah Vihear Temple is the repeatedly pairs of "口-shape" "田-shape" building. These buildings called "annexed building" are almost limited to guideline on research, and they were not deemed about functions and features. Originally in Khmer temple architecture, architectural styles and functions of the main constituent building like main tower and library are not particularly changed, in contrast, vigorous emergence of "田-shape" architectural style is remarkable. This paper focuses on "annexed building" especially "口-shape" and "田-shape" buildings in Preah Vihear Temple, to consider the significance of these buildings and its transition process by comparison of spatial characteristics, temple layout, and functions, "annexed building" shows the transition tendency of whole picture of Khmer architecture. Through the analysises, this paper points out the characteristics of Preah Vihear Temple as "vertically-oriented" layout temple and the provincial city in flourishing ages of Khmer empire.
著者
宮村 攝三
出版者
東京帝国大学地震研究所
雑誌
東京帝國大學地震研究所彙報 = Bulletin of the Earthquake Research Institute, Tokyo Imperial University (ISSN:00408972)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.49-59, 1945-03-15

昭和18年9月10日の鳥取(トツトリ)市及びその西方一帶の烈震で,市の南西氣高(ケダカ)郡鹿野(シカノ)町,同吉岡(ヨシヲカ)村内をほゞ東西に雁行する二條の斷層があらはれた.一つは鹿野町南西方の山中にはじまり,大體東北東へ走り,同町末用(スエモチ),法樂寺(ホウラクジ)をへて,赤阪(アカサカ)峠をこえ,吉岡村洞谷(ホラダニ)の奥より雙六原(ソウオクハラ)と矢矯(ヤハギ)との中間に出で,明治村口細見(クチホソミ)にをはるもので,延長約8km.も一つはその北にこれとほゞ雁行して,吉岡村長柄から同村新町(シンマチ),三山口(ミヤマグチ)をへて,豊實(トヨミ)村大塚(オオツカ)附近にいたる延長約5kmのものである.前者を鹿野斷層,後者を吉岡斷層とよぶ.(第1圖参照)これらの斷層についてのくはしい記述は,いづれこの地方の地質調査の結果とともに津屋教授によつて發表せられるはずであるが,さしあたつて簡單に自分の觀察したかぎりを記載して参考に供しておきたいと思ふ・なほこれらの斷層は地質上の斷層と一致し,それがこの地震で地表にあらはれたものであるといふことを一言つけくはへておきたい.Am 10. Sept. 1943 wurden die Provinz Tottori und ihre Umgebungen von einem zerstorendcn Erbdeben heimgcsucht und dabei kamen im Schuttergebiet, sudwestlich von der Stadt Tottori, zwei parallele sich uber viele Kilometer erstreckende Verwerfungen an den Tag. Dic eine sudliche lauft von Sikano bis Kutihosomi in der Richtung SWW-NOO und man nennt sie Sikano-verwerfung nach dem Namen der Ortschaft, wo die Verschiebung am deutlichsten erkannt ist. Die andere liegt einige Kilometer nordostlich der ersteren, zwischen Nagaye und Otuka, gerade in derselben Richtung und sic heisst Yosiokaverwerfung, da die Verschiebung quer auf der Strasse, ein wenig sudlich von dem Kurort Yosioka, am grossten ist.(s. Fig.1) Nach der Beobachtung auf der Stelle stellt es sich heraus, dass die erstere eine sogenannte ""Scharnierverwerfung"" ist, deren ostliche Halfte auf der Nordseite erhoben ist und deren westliche auf derselbem Seite gesunken ist, indem sich die Nordseite uberall langs deriganzen Bruchlinie nach Osten gegen die Sildseite verschoben hat. Es stutzt vielleicht die Meinung vom seligen Prof. M. Ishimoto uber die Zusammenhang zwischen der geographischen Verbreitung der Richtung der ersten Schwingung eines Erdbebens, namlich vom Stoss oder Zug des ersten Einsatzes des Bebens und der dieses Bebens bezuglichen Erdkrustenverschiebung im Schuttergebiet.(s. Fig.8) Dagegen ist die letztere aber eine einfach nordvertiefte Verwerfung und auch uebrall zeigt sie die selbe horizontale Verschiebung. Zwar im vorliegenden Berichte stehen ja einige Gelandebeobachtungen und Bemerkungen daruber, mussten doch die Einzelheiten dem anderen uberlassen werden.(s. z. B. den Artikel von Prof. H. Tsuya in diesem Hefte.) Ausserdem, wie die Verschiebung nach dem Beben sich verlauft, ist wissenschaftlich sehr interessant und die exakten Nivellierungen wurden dart dreimal vom Verfasser (zwischen 24-27 u. 28-30 Sept. 1943 und 14-17 Juni 1944) und einmal von Prof. K. Sassa u. a., Kyoto kaiserliche Universitat(Dez. 1943) durchgefuhrt. Die Ergebnisse dieser Vermessungen sind in Tabelle I und II gebracht und in Fig.9 und 10 kann man gute raumliche und zeitliche Darstellung der Veranderurigen. Der zeitliche Verlauf zeigt ungefahr die in den fruheren Zustand zuruckkehrende Tendenz ; das ist gerade das Gegenteil der Bewegung der Ver werfungen nach dem Nobi-beben, Tango-beben und Idu-beben und vielmehr ahnlich der der Krustenverschiebung nach dem Kwanto-beben. Noch dazu kommt es ein auffallendes, dass die Gegeneinanderschleppung der beiden Seiten der Bruchlinie klar in Fig.9 erkannt wird und es ist schon von, einigen Autoren bei den genannten Erdbeben uber die nachseismischen Bewegungen der Verwerfungen bemerkt worden.
著者
麻生 将
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b> </b>本報告では、国指定文化財となっているキリスト教関連施設の観光地化の可能性について、都道府県ごとの立地係数を求めて検討を試みた。その理由は以下のとおりである。<br> 1. キリスト教関連施設を含むある施設や場所は、文化財指定を受けることが観光地化のアドヴァンテージになる可能性が考えられるため。 <br> 2. 文化財指定を受ける際、当該施設または事物の真正性や文化的・歴史的な価値が重要な要素となるが、それは観光地化の主要な要素でもあるため。 <br> 3. キリスト教関連施設の観光に関する統一的な統計資料がほとんど存在しないため。 <br><b></b> 本報告では2014年9月時点での国宝・重文・登録の各有形文化財(建造物)を対象とする。その中でキリスト教関連施設は159件に上ることが明らかになった。内訳は国宝が1件、重要文化財が26件、登録文化財が132件となっている。重要文化財の半数に当たる13件が長崎県に存在するが、これらは幕末から明治・大正期にかけて建設されたカトリック教会の建物である。また、登録文化財が10件以上の都府県は東京都、愛知県、滋賀県、京都府であるが、このうち愛知県については、犬山市の明治村に全国各地から移築された近代期のキリスト教関連施設が存在するためである。滋賀県については、近江兄弟社を設立したヴォーリズによって設計された複数のキリスト教関連施設が指定されたことも大きく関係すると考えられる。なお、東京都と京都府については、ミッションスクールの複数の校舎が登録文化財指定を受けたため、このような件数となった。 <br> 国指定文化財のキリスト教関連施設の立地係数を都道府県ごとに求めて地図化した結果、幕末から明治前期の比較的早い時期にキリスト教が伝わった都道府県で立地係数が2.0以上と高い値を示していることが明らかになった。こうした都道府県では現在もキリスト教関連施設が観光地として観光ガイドなどでも紹介されることが多い。他方、立地係数が低い(0~0.5)複数の県では明治期にキリスト教への排撃運動がたびたび見られたが、こうした歴史的経緯も現在のキリスト教関連施設の観光地化の状況を規定する要因の一つと考えられる。すなわち、立地係数による観光地化の可能性の検討を通して、地域の近代化または近代史に関わる社会的・文化的文脈を捉える材料の一つとなり得る。<br> &nbsp;&nbsp;キリスト教関連施設の観光地化の指標として、国指定文化財の立地係数がある程度有効であることと、立地係数が地域の近代化の歴史的背景や社会的文脈を読み解く際の指標としても少なからず有用であることが確認された。今後はデータのより精密な分析とともに、本発表で用いたデータを活用して都道府県ごとのキリスト教関連施設の観光地化の調査を進めていきたい。また、国指定のみならず各都道府県によって文化財指定を受けたキリスト教関連施設の調査・検討も行っていきたい。 <br>(参考文献)<br>&nbsp;麻生将2015.現代日本におけるキリスト教関連施設の分布状況と観光地化の可能性に関する試論.立命館大学地理学教室編『観光の地理学』259-280. 文理閣. <br> 福本拓2004.1920年代から1950年代初頭の大阪市における在日朝鮮人集住地の変遷. 人文地理56-2:42-57. <br> 松井圭介2012. ヘリテージ化される聖地と場所の商品化.山中弘編『宗教とツーリズム―聖なるものの変容と持続―』192-214. 世界思想社.

1 0 0 0 OA 京阪名所図絵

著者
野村芳国 画
出版者
池田房治郎
巻号頁・発行日
vol.[6], 1885
著者
藤原 暹 平野 尚也
出版者
岩手大学
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.13-24, 1996-06
著者
朽津 信明
出版者
Japan Association of Mineralogical Sciences
雑誌
岩鉱 (ISSN:09149783)
巻号頁・発行日
vol.87, no.9, pp.388-391, 1992
被引用文献数
7 2

Evaporites were observed on a surface of the historical brick in the Museum Meiji-Mura. Aphthitalite (K<sub>3</sub>Na(SO<sub>4</sub>)<sub>2</sub>), thenardite (Na<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>), trona (Na<sub>3</sub>H (CO<sub>3</sub>)2•2H<sub>2</sub>O), and thermonatrite (Na<sub>2</sub>CO3•H<sub>2</sub>O) were identified as the main component minerals of the evaporites. These evaporates are considered to be formed in these less than a few decades under the humid climate of Japan. Because no sulfur-containing minerals can be found in the plaster nor in the bricks, it is thought that aphthitalite and thenardite were formed by the interaction between bricks and acid rain water with SO<sub>4</sub><sup>2-</sup>ion. Experimental results support this idea; rain water-brick interaction has produced sulfate, whereas distilled water-brick interaction has not produced sulfate. To conserve this brick cultural property, it is desirable that roofs and gutters would be improved to prevent bricks from impregnation of rain water.