著者
宇野 昌明 里見 淳一郎 鈴江 淳彦 中嶌 教夫 佐藤 浩一 永廣 信治 米田 和英 森田 奈緒美 原田 雅史
出版者
日本脳卒中の外科学会
雑誌
脳卒中の外科 (ISSN:09145508)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.262-266, 2004-07-31
被引用文献数
1 1

米国では脳卒中は心臓発作と同様にbrain attackとして認識され, 発症からできるだけ早く脳卒中専門の施設に搬送することを国民に啓蒙し, かつ国をあげてのキャンペーンを展開している. 本邦では必ずしも脳卒中の診断から治療までがスムーズに施行されているとはいえず, 急性期治療の遅れが指摘されてきた. われわれは脳卒中急性期の診断と治療を迅速かつ正確に行うために1999年11月よりstroke care unit(SCU)を開設した. 今回SCUに入院した急性期脳卒中患者に対して, 24時間体制でstroke MRIを施行し, 脳卒中, 特に脳梗塞の診断と治療成績について分析したので報告する. 対象と方法 1999年11月より2002年9月までに当院のSCUに入院した急性期脳卒中患者295例のうち, 脳虚血と診断した175例(59.3%)を対象とした. 175例の脳梗塞の病態別症例数はアテローム血栓性脳梗塞44例(25.1%), 心原性脳梗塞70例(40%), ラクナ梗塞57例(32.6%), その他4例(2.3%)であった.
著者
阿部 健志 渡邊 敏正
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告システムLSI設計技術(SLDM)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.10, pp.41-48, 1998-01-30

矩形双対グラフを用いたプリント基板レイアウト設計では,各部品矩形内に部品を配置し,部品端子間の配線として,まず,対応する端子矩形間を配線矩形を通るパスで結ぶことを行う.配線を完了するためには,端子矩形まで到達している配線を更に部品矩形内部におかれている部品の実端子まで延長しなければならない.各部品矩形は対応する部品がその内部に配置可能となるような大きさ以上であることは必要である.しかし,前述の配線延長がその内部で可能である形状まで部品矩形の拡大が生じるかもしれない.その際には最小の拡大に抑えることが望まれる.本研究では,いま述べた意味での部品矩形サイズの下界値を求めるために,非交差道を用いた配線領域の見積り手法を提案し,その有効性を実験により評価する.In designing layouts of printed wiring boards with rectangular dualization, layouts are produced by placing elements within corresponding element-rectangles and by routing among terminals. Routing is separated into two stages. The first stage is to obtain wiring among terminal-rectangles. The second stage is done within each element-rectangle and is to find paths, each connecting arm actual pin of the element in this rectangle and the corresponding auxiliary terminal in each terminal-rectangle. The size of each element-rectangle has to be. large enough to make the second stage rotting possible, while this size should be kept as small as possible so that the total size of the board may be minimized. The subject of the paper is to propose a method' of estimating the smallest possible size of a given element-rectangle in which the second stage routing can be completed. Experimental results are provided to show capability of the proposed method.
著者
山崎 篤 田中 和夫 吉田 澪 三浦 周行
出版者
園芸学会
雑誌
園芸学会雑誌 (ISSN:00137626)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.40-46, 2000-01-15
被引用文献数
4 18

ネギの花芽分化に及ぼす温度条件を明らかにすることを目的として, 中生品種の'金長'と'浅黄九条', 晩生品種の'長悦'を用いて, 昼温と夜温の影響を調べた.昼温を20℃として夜温を3∿15℃と変えて20∿60日間の低温処理を行った結果, いずれの品種においても花芽分化は7℃で最も促進され, 次いで3℃で促進された.また, 15℃という比較的高い夜温下でも処理期間を60日まで延長すると, '金長'と'浅黄九条'では50%以上の個体で花芽分化したが, '長悦'では10%の個体でしか分化しなかった.夜温を7.0℃として昼温を7.0∿26.5℃と変えて20∿75日間の低温処理を行った結果, '金長'と'浅黄九条'において, 抽台率は昼温13.5℃と20℃で高く, 昼温7.0℃と26.5℃でわずかに低かった.'長悦'の抽台率はいずれの昼温と処理日数においても'金長'と'浅黄九条'に比べ低かった.それでも, '長悦'の抽台率は昼温7.0℃と13.5℃では75日後に60%以上に達したが, 昼温20.0℃と26.5℃では著しく低く, 特に昼温26.5℃ではほとんど抽台しなかった.したがって, '長悦'では20℃前後で脱春化が起きていると考えられた.以上の結果, ネギの花芽分化最適夜温は, 昼温20℃の場合7℃であること, また'長悦'では20℃前後で脱春化が起こるが, '金長'と'浅黄九条'では26.5℃以下の温度ではほとんど脱春化は起こらないことが明らかとなった.
著者
笠原 多恵子
出版者
福知山公立大学
雑誌
京都創成大学紀要
巻号頁・発行日
vol.3, pp.41-46, 2003-01-31
著者
水原 紹
出版者
同志社大学
雑誌
社会科学 (ISSN:04196759)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.1-21, 2007

今日普及している携帯オーディオ機器の原点はソニーのウォークマンであり、その社会生活への影響は大きい。ソニーのウォークマンは独自の技術から生まれた物ではなく、それに先行する技術として開発されたテープレコーダーやステレオ音声技術の組み合わせによるアイディア商品である。また若者の間で十分に普及しているウォークマンであるが、若者は常に感性が鋭く、最新の物に敏感に反応する。そういった若者の心を見事に掴むことに成功した商品であるばかりか世界中の音楽を聴くスタイルそのものを変えてしまった画期的商品である。その特徴は聴く場所を選ばない、つまりかつてのステレオセットのようにリスニングルームを固定することがない。またカーオーディオやラジカセよりも移動が自由である点がランドマーク商品として大きな意味を持つ。しかし携帯オーディオ機器は次の段階を迎え、携帯電話との融合が図られている。携帯にその機能が吸収され複合化商品の時代へと突入したのである。将来携帯オーディオ=携帯電話が当たり前の時代が来る日も近い。
著者
田中 裕巳
出版者
名古屋大学
雑誌
名古屋大学教育学部附属中高等学校紀要 (ISSN:03874761)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.70-71, 1974-03-25

「今の教育は主体性をなくささせておいて,倫社の時間に主体性をもって生きろといっている」(高2・男子)という生徒からの告発に,はたして答えることができるだろうか。
出版者
公益社団法人日本船舶海洋工学会
雑誌
造船協会誌 (ISSN:03861597)
巻号頁・発行日
no.429, pp.155-160, 1965-04-25

60mまでの小型沿岸船の復原能力はある種の荷重状態のもとで, あるいはまた甲板上に氷結を起こしたとき, 不十分なものとなる。多くの小型船が未知の条件のもとで遭難を起こしたため, この問題について1950年から60年にかけて多くの理論的, 実験的な研究が行なわれて来ている。Manleyの指摘するところによると, 60mまでの小型船は復原能力の立場から見ると大型船よりも危険状態にある。さらに船舶の全遭難数のうち, これら小型船の遭難が占める割合は増加の傾向を示し, 1899年から1913年の間の36%が第2次大戦後は66%に達している。一方全船舶数に対して小型の占める割合は20%から30%を保っている。また小型船の遭難の70%は冬期に起こり特に乾玄の低いこと, 甲板上に貨物を搭載していたことが共通している。これらの小型船の遭難を防止するためには, 遭難機構を解明し, 現実的な規則をもうけて復原能力の欠陥を改善しなければならず, また国際安全規則に対するトン数制限を500登録トン以下に引き下げることが望ましいものと思われる。
著者
土肥 浩 石塚 満
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告音声言語情報処理(SLP)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.95, pp.25-30, 1998-10-16

本論文では,Webページの作者がマルチメディア・コンテンツの一部としてインタフェースエージェントを記述し,Webページと連動して実用的な時間内でネットワークからダウンロードした擬人化エージェントを次々と切り替えることができるインタフェース,ビジュアル・ページエージェントVPA(Visual Page Agent)について述べる.VPAのエージェント・キャラクタは1枚の顔写真をもとにして生成される.VSAエディタを用いることにより,誰でも容易に動きのある顔画像キャラクタを作ることができる.このエージェントをWebページと関連づけることにより,ユーザがWebページを移動するたびに,そのページに関係するエージェントが画面上に現われてガイドしてくれる.エージェントはメッセージを伝えたり,またユーザと簡単な音声対話ができる.クライアント側のユーザにとっては,情報発信者の顔が見えるというメリットがある.This paper describes a network-downloadable anthropomorphic interface agent with a realistic face, called VPA(Visual Page Agent). An author can assign the facial image and some properties of the interface agent to own web page as the part of the multimedia contents. Whenever a user opens the web page, the agent with assigned face is downloaded and then appears on a display. The agent equips a simple speech dialog function, therefore it delivers author's messages to the user and can reply simple question.
著者
伊藤 充男 杉村 貴士 島 和之 松本 健一 鳥居 宏次
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告.IM, [情報メディア]
巻号頁・発行日
vol.98, no.9, pp.13-18, 1998-01-29

WWW ぺージの記述が HTML 規格に準拠していない場合, その解釈は WWW ブラウザに依存して異なる. このため, その WWW ぺージの作者が使用しているブラウザと異なるブラウザを使用した場合, 作者が意図している表示と異なることが多い. WWW ぺージを作成するときは, HTML 規格に準拠して, 特定のブラウザに依存しないように作成することが重要である. しかし, 現実にほとんどの WWW ぺージはブラウザに依存している. 本研究では, HTML 規格に準拠した WWW ぺージの記述を支援する HTML エディタを作成した.このエディタを用いることにより, WWWぺージの作者が HTML 規格を習得しなくても, ブラウザに依存しない WWW ぺージを記述することができる.
著者
バスタンファルド アザム カラム ホッセン 高橋 裕樹 中嶋 正之
出版者
一般社団法人映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会技術報告 (ISSN:13426893)
巻号頁・発行日
vol.25, no.64, pp.65-70, 2001-10-18

フェイシャルエージングは歳月の経過による顔の老化の様子をシミュレーションしたものであり, アニメーション, 自動顔認識, エンターテーメント, 失踪者の捜索, そして医療分野における顔の再構成など幅広い分野において応用される技術である.本論文ではリアルなフェイシャルエイジングを実現するために医療情報に基づく手法を提案する.そのため, 人体測定学に基づき, 顔の老化の様子を再現し, また顔のリアルな老化を表現するために照明を考慮した皺の表現手法を提案する.本提案手法では入力画像として一枚の画像のみを必要とし, また老化の様子を再現するための処理を局所的に施しているため, 計算時間を短縮することが可能である.
著者
菅藤 哲 平松 正義 竹内 晃 大山 力 佐藤 信 斎藤 誠一 福崎 篤 遠藤 希之 荒井 陽一
出版者
社団法人日本泌尿器科学会
雑誌
日本泌尿器科學會雜誌 (ISSN:00215287)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.35-41, 2004-01-20
被引用文献数
1

(目的)精巣腫瘍55症例に対し高位精巣摘出術と同時に対側精巣生検を行った.その結果精巣CISと診断された症例はなかったが,そのうち2症例において後に対側精巣に精巣腫瘍を発生した.そこで我々は生検の感度に問題がなかったかどうか,そして我々の結果がスキャケベクの理論に整合性を認めるかどうかを検証した.(症例と方法)後に精巣腫瘍を発生した2症例の生検標本のパラフィンブロックを再度切り出しし,ヘマトキシリン・エオジン染色とPLAP抗体(クローン番号:8A9)を用いて免疫染色を行い,再度評価しなおした.他の53症例の標本も再度評価しなおし,その結果精巣CISが認められた症例の対側精巣の転帰を追跡調査した.(結果)後に精巣腫瘍を発生した2症例の標本うち1症例の標本において精巣CISが認められた.又,残りの53症例の内1標本において精巣CISが認められた.この症例は本人の失踪により対側精巣の転帰は確認できなかった.CISは3.6% (55症例中2症例)に確認され,2症例において偽陰性となったことが確認された.(結論)精巣CISに対する精巣生検の感度を上げるには泌尿器科医及び病理医が精巣CISについて知識を深め,スキャケベクのガイダンスに従った方法で行われるごとが重要と考えられる.
著者
東條 哲郎
出版者
公益財団法人史学会
雑誌
史學雜誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.117, no.4, pp.481-514, 2008-04-20

The purpose of this article is to examine the influence of the developing tin mining industry in Perak, Malaysia on the industrial structure and community formed by Chinese immigrants during the second half of the 19th century. Due to a significant increase in the demand for tin from mid-century on, in Larut, where from the 1840s the Malay peninsula's "Straits tin" are had been mined and exported to markets in the West, increased production from the 1870s on, after being made into a British protectorate. Mining operations there were managed by the heads of influential Chinese families hiring Chinese immigrant labor. A comparison of labor and tariff expenses with the price of tin at the time suggests that the are deposit mining business was not always profitable. However, the mine operators were able to reap large profits through wages paid by issuing credit to poor immigrant workers for expenses and necessities and such side businesses as selling opium. Consequently, mine workers became personally dependent on the mining enterprises for their livelihoods. These conditions began to change after the "tin rush" that broke out from the 1870s on, which was fueled by a rapid jump in international prices and led to the opening of mining operations farther inland, in Kinta, which had been considered unprofitable up to that time. Kinta became the region for small scale, short term extraction by Chinese prospectors, and with the rising demand for labor there, these operators lured workers by offering such incentives as profit-sharing deals. Attractive by such offers, mine workers in Larut began absconding their employers and heading for Kinta. Those Larut operators who could not match or better the incentives offered by their counterparts in Kinta tried and failed to persuade the British authorities to prevent their workers from leaving the region. It was such changes in management style and hiring practices that hindered the exploitative patronage exercised by influential Chinese families over immigrant Chinese labor. As a result, a more modernized labor market situation arose, in which immigrant workers ended their personal dependence on the mining companies and were free to shop around for the best employment opportunities available, while operators could obtain sufficient supplies of labor by offering workers attractive employment packages.