著者
西廣 淳
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.139-148, 2011-11-30 (Released:2017-08-01)
参考文献数
37
被引用文献数
5

治水や利水を目的とした湖沼水位の操作による季節的変動パターンの変化が、湖岸の植物の種子による繁殖に及ぼす影響について、霞ヶ浦(茨城県)を例に解説した。霞ヶ浦では水門による水位操作が行われるようになった1970年代以降、それまで生じていた春季における水位低下が失われた。このため、湖岸の抽水植物帯の地表面が冠水しやすくなり、植生帯面積の減少と相まって、そこに生育する植物の発芽セーフサイト(発芽と実生定着に必要な条件を備えた場所)の面積がそれ以前の約24%に減少したと推定された。さらに水位操作が強化された現在の霞ヶ浦湖岸では、湿生植物の実生更新がほとんど生じていないことが確認され、現状の方針による管理が継続されると湖岸の植物の多様性が損なわれることが示唆された。水位管理方針の変更が湖岸の植物の発芽セーフサイトの面積に及ぼす影響を単純なモデルを用いて予測した結果、現状から20cm以内で水位を低下させただけでも発芽セーフサイトの大幅な回復が見込めることが示唆された。治水・利水・環境を鼎立させた管理のためには、このような生態学的予測を活用するとともに、多様な視点からの検討を経た順応的管理が不可欠である。
著者
後藤 逸男
出版者
日本土壌微生物学会
雑誌
土と微生物 (ISSN:09122184)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.91-101, 1999
参考文献数
12

世間で注目を集めたEM資材について土壌肥料学的な評価を行った。その結果,EM液中に含まれる微生物の主体は乳酸菌と酵母で,光合成細菌は検出されなかった。また,それを用いて作成したEMボカシは油かす・魚かす・米ぬかを主体とする有機質肥料に過ぎなかった。さらにEM資材を用いて野菜を栽培した結果,有機質肥料として以上の肥効は全く認められなかった。調査を行った2軒のEM実践農家はいずれも有機農業からの移行農家で,ほ場の土壌中には可給態リン酸・窒素,交換性カリウムなど養分の蓄積が認められた。すなわち,EMは現状の多肥栽培における残効を巧みに利用した残効利用型自然農法であった。EM資材を科学的に容認することはできないが,多肥に陥りやすい現代農法に対する警鐘と見なせばそれなりに評価することもできる。EMボカシを利用した生ごみ処理を一つの契機として生ごみのリサイクルに関心が高まっている。この点,すなわち生ごみリサイクルの社会的関心を高めた点においてもEMを評価できるが,その技術的方法には同意できない。生ごみのリサイクル手段としては堆肥化処理が一般的であるが,大都会では必ずしも適切な処理法ではない。生ごみを乾燥すると炭素率が15程度の有機質資材となる。これを直接土壌に施用すると窒素の有機化に起因する窒素飢餓が起こり,植物の生育を阻害するが,尿素や汚泥などを添加混合して炭素率を8〜10に調節すると,緩効的な肥効を呈する有機質資材として利用できる。土壌病害に悩まされている地域では,その対策として微生物資材を使うことも多い。そのような地域では長年連作が続けられていること,土壌中にリン酸や塩基などが蓄積して養分過剰やアンバランス化が進んでいることなどの共通点が多い。これまで,土壌養分過剰と土壌病害との因果関係を明確にした事例はあまりなかったが,筆者らはアブラナ科野菜根こぶ病の発生と土壌中のリン酸蓄積との因果関係について検討した。発病抑止土壌である黒ボク下層土にリン酸を添加して人工的にリン酸過剰土壌を作成し,ポット試験によりハクサイ根こぶ病の発病試験を行った。その結果,リン酸添加量の増加に伴い,発病が助長された。全国各地の根こぶ病多発地域では可給態リン酸が100mg/100gにも達するような黒ボク土のほ場にも多量のリン酸資材が施用されている。このような地域では微生物資材に頼る前に根本的な施肥改善が必要である。
著者
箱崎 真隆 三宅 芙沙 佐野 雅規 木村 勝彦 中村 俊夫 奥野 充 坂本 稔 中塚 武
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

十和田カルデラ(青森県/秋田県)と白頭山(中国/北朝鮮)は、10世紀に巨大噴火を起こした。その痕跡はTo-aテフラ、B-Tmテフラとして、北日本の地層に明瞭に残されている。この2つの噴火は、それぞれ過去2000年間で日本最大級、世界最大級のものと推定されている(早川・小山1998)。しかしながら、この2つの噴火に関する直接的な文書記録は、周辺国のいずれからも見つかっていない。そのため、その年代は長らく未確定であった。また、年代が未確定であるために、人間社会や地球環境への影響評価も進んでいなかった。近年、白頭山の10世紀噴火の年代は、日本で発見された西暦775年の炭素14濃度急増イベント(Miyake et al. 2012)を年代指標とする「14C-spike matching」と、日本で実用化された「酸素同位体比年輪年代法」により、西暦946年と確定した(Oppenheimer et al. 2017, Hakozaki et al. 2018, 木村ほか 2017)。この年代は、早川・小山(1998)が日本列島と朝鮮半島のごく限られた古文書(「興福寺年代記」や「高麗史」)から読み取った「遠方で起きた大きな噴火」を示唆する記述と一致した。一方、B-Tmの年代が確定したことにより、十和田カルデラ10世紀噴火の年代に疑義が生じた。十和田カルデラ10世紀噴火は、「扶桑略記」における東北地方の噴火を示唆する記述や、ラハールに埋没する建築遺物の年輪年代をもとに西暦915年と推定されてきた。この915年を基準にTo-aとB-Tmの間に挟まる年縞堆積物をカウントし、上手ほか(2010)は白頭山の噴火年代を929年と推定していた。しかし、先のとおりB-Tmの絶対年代は946年であったため、上手ほかの推定から17年のズレがあることが明らかとなった。つまり、十和田カルデラ10世紀噴火は西暦946年から14年を差し引いて西暦932年である可能性が生じた。もし、これが正しいとすれば、扶桑略記の西暦915年の記述は、十和田カルデラ以外の火山で起きた噴火を示唆している可能性がある。最近、宮城県多賀城跡の柵木に、酸素同位体比年輪年代法が適用され、西暦917年の年輪が認められた(斎藤ほか 2018)。この柵は、考古学的調査ではTo-aテフラ(915年)の降灰前に築造されたと考えられてきた(宮城県多賀城跡調査研究所 2018)。その構造材に西暦917年の年輪が認められたことは、To-aテフラの年代と大きく矛盾する。さらにその構造材には樹皮も辺材も残存せず、伐採年は917年よりも後の年代であることが明らかである。本発表では、「14C-spike matching」と「酸素同位体比年輪年代法」という2つの新しい年輪年代法によって、白頭山や多賀城跡の木材の年代がどのようにして決定したのか、十和田カルデラ10世紀噴火の絶対年代の確定に必要な調査とは何かについて示す。
著者
瀬尾 和大
出版者
宮城教育大学附属教育復興支援センター
雑誌
教育復興支援センター紀要 = Bulletin of Support Center for Revival in Education, Miyagi University of Education (ISSN:21884080)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-6, 2015-03-11

前報では,宮城県内のいくつかの学校を訪問することによって,津波被害と津波避難行動の実態について学ぶことができた。本報では,今後における学校の津波対策を防災教育・防災計画に基づいた確固たるものにするために,学校が置かれている地域毎の津波に対する脆弱性について考察することを目的として,津波に対する死者率という指標を用いてさらなる検討を試みた。前報でも注目された石巻市立大川小学校ならびにその周辺地域における死者率は他の地域に比して突出して大きいことが判かった。このような高い死者率を低減させるためには,地震・津波対策の視点から,学校が地域社会にどのように関わることができるかとの視点が重要であり,地域社会と一体となって防災対策を構築することは当然のこととして,その中で地域社会の雰囲気に飲み込まれるのではなく,地域社会に対して適切なリーダーシップを存分に発揮できるような態勢を日頃から整えておく必要があるのではないかと考えられた。
著者
勝田 和學
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.9, pp.64-76, 1986

萩原朔太郎は大正二年に詩人としてデビューした。その時、北原白秋が大きな影響を与えたと考えられるが、従来の研究では、その過程と意義が必ずしも明確にされなかった。本稿は、白秋の歌集『桐の花』の「哀傷篇」に着目し、そこに描かれた人妻との恋とその罪に苦悩する作者の赤裸々な姿に感動した朔太郎が、それを契機に詩集『思ひ出』を再評価し、詩とは幼児の如き純真さで真実を捉えるものという詩観を確立したことを明らかにし、そこに白秋の影響の最大の意義を見ようとするものである。
著者
宮崎 朝子 志村 浩己 堀内 里枝子 岩村 洋子 志村 浩美 小林 哲郎 若林 哲也 田草川 正弘
出版者
公益社団法人 日本人間ドック学会
雑誌
人間ドック (Ningen Dock) (ISSN:18801021)
巻号頁・発行日
vol.25, no.5, pp.789-797, 2011 (Released:2013-07-31)
参考文献数
18

目的:人間ドックにおいて甲状腺腫瘤の有所見率は非常に高く,臨床的に治療の必要がある腫瘤性病変を,的確にスクリーニングするためにはエビデンスに基づく基準が求められている.そのため,今回過去5年間にわたる当院の甲状腺超音波検査結果およびその推移について検討した.方法:2004年4月から2009年3月までの人間ドック受診者全例,21,856名に甲状腺超音波検査を実施した.結果:充実性腫瘤が4,978名(22.8%)に認められた.細胞診にてクラスIまたはII(B群)が165名,クラスIII(B/M群)が20名,クラスIVまたはV(M群)が57名であった.各群間で性差や精査時平均年齢,平均腫瘤径に有意差はなかった.平均腫瘤径の年間変化を検討したところ,B群では+0.2±0.3,B/M群では+0.8±0.5,M群では +1.3±0.5 mm/yearであり, M群ではB群と比較して有意差をもって増大傾向が認められた.また,M群では腫瘍径の縮小した症例は認めなかった.さらに,M群において腫瘍径が10 mm以下の場合,腫瘍増大はほとんどみられなかったが,11 mm以上では腫瘍増大傾向が認められた.結論:本研究より,超音波健診にて多数発見される甲状腺腫瘤に対する対応において,腫瘤径分類による方針決定とその後の経過観察の重要性が示唆された.
著者
蟹瀬 智弘
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.84-92, 2013-05-01 (Released:2013-05-01)
参考文献数
1
被引用文献数
1 1

欧米をはじめとして世界中の図書館で広く使用されているAACR2は,2010年に改訂されてRDAとなった。名称が変更になったのは,図書館の所蔵目録を作成する規則から,資源にアクセスするためのツールを作成する規則へとその役割が変わったためである。内容としては昨今の資料種別の多様化に対応するため,従来の資料種別ごとの章立てから,FRBRの各実体を中心に据えた構成へと大きく変貌を遂げた。さらにその規定の対象は記録するデータそのものに限定され,データの格納や表示の仕方はそれぞれのシステムに委ねることにより,多様なシステムに対応するようになった。
著者
大貫 挙学 松木 洋人
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.68-81, 2003

本稿の目的は,いわゆる「足利事件」の法廷において,事件の理解可能性がいかなる実践を通じて成立しているのかを明らかにすることにある.1990年5月,栃木県足利市で4歳の女の子が行方不明となり,扼殺死体となって発見される.この事件で逮捕・起訴されたSさんは,一審の途中までは,犯行を認めていたが,控訴審以降は,無罪を主張するようになった.だが,一審でなされた精神鑑定によって,Sさんは「代償性小児性愛者」と診断され,これが事件の動機と認定されていた.そして,そのような成員カテゴリー化実践が,控訴審以後においても,かれを犯人として事件を理解することを可能にしている.つまり,Sさんの犯行を前提に,それに適合的なものとして構成された動機が,かれが否認した後も,その属性として脱文脈化され,かれは<動機を有する真犯人>と理解されたのである.本稿では,動機の語彙論(C.W.ミルズ)と成員カテゴリー化分析(H.サックス)を架橋することによって,犯行動機の構成と行為者への成員カテゴリー化が相互反映的な関係にあることを論じるとともに,法廷場面における精神鑑定の用法が含んでいる問題とその帰結を経験的に指摘する.
著者
中島 義一
出版者
日本地理教育学会
雑誌
新地理 (ISSN:05598362)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.1-15, 1962-09-25 (Released:2010-02-26)

以上の記述を要約すれば, 次のとおりである。1) 従来の城下町研究が中以上のものに偏っていたことにかんがみ, 一万石級の小城下町研究を企てた。2) 一万石城下町は関西・関東に最も多く, 遠ざかるほど減少する。 関東では東関東に多い。3) 小藩においては新田藩の例のように強力な領国経済は成立しなかった。4) 一万石級の大名の家臣団は80戸ぐらいが標準である。 この程度を顧客としては商工業者の成立はほとんど期待できない。5) そのため, 他の機能を兼ねない一万石級城下町においては, 商工業者は僅少で非都市的な集落であった。 他の機能を兼ねる場合, 相当数の商工業者をもつことがあるが, これは他の機能のために成立したものと考えるべきである。6) 一万石級の城下町では維新後, 士族が離散して農村に還元したものもあるが, 後年まで旧観を留めたものもある。 その差違の要因として東京への近接度, 藩の土着性の強弱, 地元での就業機会の有無を考えた。7) 小規模ながら城下町としての計画的な町割りが行なわれていた。 町屋は武家屋敷と完全に分離している場合と下級士族と混住する場合とがあった。
著者
須藤 守夫 須藤 礼子 雑賀 優
出版者
日本花粉学会
雑誌
日本花粉学会会誌 (ISSN:03871851)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.17-24, 2011-06-30 (Released:2018-03-30)
参考文献数
11

盛岡市のスギ・ヒノキ花粉飛散数を予測するために,花粉飛散数と前年夏の気象要因の関係を詳細に調べると共に,複数の気象要因を用いた重回帰分析により,より精度の高い予測式について検討した.盛岡市における25年間のスギ・ヒノキ花粉総飛散数と,盛岡地方気象台の観測値である夏季の7気象要因との関係を,7月1日から10日ずつずらした7月,真夏I,真夏II,8月のそれぞれ31日間のデータで調査した結果,年間あたり3,350個/cm^2以上の大量飛散年では真夏IIで25年間平均値より約2℃高く,同1,000個以下の小量飛散年では逆に約2℃低かった.単相関では7月21日から8月10日の真夏IIの時期に,前年-前々年の最高気温年次差との間に最も高い正の相関が認められ,相対湿度との間にも比較的高い負の相関が得られた.真夏IIで最高気温年次差,全天日射量,相対湿度を説明変数とする重回帰分析を行なった結果,R^2=0.86の高い精度の予測式が得られた.