著者
内山 貞三郎
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
1956

博士論文
著者
梅田 知季 宮崎 肇 山本 愛 彌冨 道男 山口 雅篤 松添 直隆
出版者
日本生物環境工学会
雑誌
植物環境工学 (ISSN:18802028)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.193-199, 2006 (Released:2007-10-05)
参考文献数
20
被引用文献数
1 3

ナス(Solanum melongena L.)果皮の色素細胞の分布およびアントシアニンの存在様式と果実の光環境との関係を調べるために,暗黒処理を施した果実を顕微鏡で観察した.ナス果実の着色と光環境との関係は品種・系統間で異なり,果実に暗黒処理を行うと全く着色しない光感受型,着色への影響が少ない非光感受型,着色は低下するがある程度の着色がみられる中間型の3タイプに分類できた.光感受型の品種では,対照区(無被覆)で果皮に色素細胞がみられたが,暗黒区では全くみられなかった.非光感受型の品種では対照区,暗黒区とも色素細胞がみられた.中間型の品種では,対照区で色素細胞がみられたが,暗黒区では色素細胞と全く着色がみられない細胞が混在していた.このことから,光感受型では全ての細胞,中間型では一部の細胞において,アントシアニン生成経路に光が必要であることが明らかになった.従って,ナスの果色は,細胞内のアントシアニン量と果皮組織の色素細胞の分布(密度)量に影響すると考えられた.果皮の色素細胞中のアントシアニン様液胞内含有物(AVIs)は主要色素がナスニン(delphinidin 3 -p-coumaroylrhamnosylglucoside-5-glucoside)である品種・系統に特異的に観察された.また,AVIsの存在は果色に大きく影響することが示された.

2 0 0 0 冥王代地球

著者
丸山 茂徳 横山 哲也 澤木 佑介 大森 聡一 鳴海 一成 ドーム ジェームズ 丹下 慶範
出版者
東京工業大学
雑誌
新学術領域研究(研究領域提案型)
巻号頁・発行日
2014-07-10

本計画研究班では、地球史研究から導かれる「生命誕生の器」としての原始地球表層環境を定量的に復元し、冥王代地球表層環境進化の過程を具体的に解明することを目的としている。H29年度の研究は主に5つのテーマで実施された。[1]生命誕生場と生命誕生のプロセスの解明:生命が誕生するためには、水があるだけでは不十分で、それ以外にも複数の環境条件が満たされることが必要である。そこで、諸条件の中から生命誕生場に必要な9つの条件を抽出してまとめた。[2]白馬地域の地質の継続調査と古環境の分類:冥王代類似環境としての白馬地域の特殊な水環境について比較分析し、水環境場を4つのタイプに分類した。白馬で特徴的な蛇紋岩熱水系温泉水は、高アルカリかつ水素ガスを大量に含んでおり、特に、H2を含むため貧酸素水であり、そのため冥王代型の微生物生態系が形成されていることが明らかになった。[3]オクロの自然原子炉の研究:ガボン国内の数地域で露頭周辺の調査を集中的に行い、最適と思われる掘削地点を三か所抽出した。[4]地球の起源と新たな太陽系惑星形成論の展開:太陽系進化の初期条件を決めるうえで、太陽系組成ガスから凝縮した最古の物質であるCAIの理解を深めることが重要である。そこで、始原的隕石ALLENDEに含まれる3種類のCAIに注目し、それらの核合成起源Sr同位体異常(μ84Sr)を高精度で測定した。その結果、μ84Sr値の大きさはFTA > Type B > FSの順であることが判明した。[5]継続的なブレインストーミングの実施:2件の国際ワークショップと4件の国内向けワークショップ実施した。
著者
村上 健太郎 前中 久行 森本 幸裕
出版者
日本緑化工学会
雑誌
日本緑化工学会誌 (ISSN:09167439)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.15-20, 2003 (Released:2005-09-16)
参考文献数
21
被引用文献数
4 4

京都市内の孤立林22箇所および京都盆地周辺にある山林内において, 生殖様式や受精様式,染色体の倍数性の異なるシダ植物の種数,優占度を調べた。山林と孤立林における二倍体種,高倍数体種の種数および被度を比較した場合,孤立林において二倍体種の種数,被度は減少した。孤立林の林床では,山林に比べて,高倍数体無配生殖種の割合が高かった。これは無配生殖種が,必ずしも水分を必要としない,より簡便な生殖法を持っていることが影響していると考えられた。自家受精ができない二倍体種は,十分な湿度と他の個体から生じた複数の胞子がある場所でしか更新することができないので,孤立距離の増大や林床の乾燥化とともに移入率が低下すると考えられ,高倍数体無配生殖種や林床性の二倍体種の割合は都市化の指標となりえることが考察された。
著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.175, pp.77-128, 2013-01-31

縄文後期末~弥生前期の三河地方には,4I系と2C系に区別して施した抜歯,一部の男性がつける腰飾り,一部の男女に施した叉状研歯,複数個体の人骨を集積した再葬墓など特色のある習俗が広がっていた。渥美半島~豊川流域の東三河を代表する吉胡貝塚と伊川津貝塚の墓地で埋葬してある人のうち,L型式の腰飾りをつけた人の抜歯は4I系,Y型式の腰飾りとV型式の腰飾りをつけた人の抜歯は2C系に多い。両貝塚で叉状研歯を施した人の抜歯はすべて4I系である。保美貝塚に多いJ型式の腰飾りと抜歯系列との関係は明らかでない。合葬は4I系同士,2C系同士はあるが,4I系と2C系との間には存在しない。吉胡,伊川津,保美貝塚では再葬は2C系の人に顕著であり,合葬した2C系の人同士で血縁関係が考えられる例もある。これらの現象を総合して,4I系はL氏族(仮称)を含むグループ,2C系はY氏族とV氏族(仮称)を含むグループ,L,Y,V,J型式の腰飾りはそれぞれの氏族の長が身につける標章であって,4I系グループと2C系グループとの間には上下の格差があり,腰飾りをつけた人が多いL氏族は,吉胡集団さらには東三河の諸氏族のなかで最上位を占めていたと推定する。すなわち,東三河は二つのグループ,四つ以上の氏族によって構成される社会であり,吉胡集団,なかでもL氏族は東三河で部族的結合の中心的な役割をはたしていたと考える。4I系グループと2C系グループの数はほぼ1対1である。しかし,それぞれのグループ内の男女の割合は,吉胡貝塚と伊川津貝塚ではほぼ1対1であるのに対して,保美貝塚では4I系では女が多く,2C系では男が多い。これを二つのグループへの帰属になんらかの規制が加わった結果とみるならば,それぞれを半族とみて東三河に双分組織の存在を想定することが可能である。
著者
前田 慶明 浦辺 幸夫 藤井 絵里 森山 信彰 岩田 昌 堤 省吾 沼野 崇平
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2015, 2016

【はじめに,目的】近年,全身振動刺激(Whole Body Vibration:WBV)の効果は下肢筋力の増強のみならず,成長ホルモンの上昇や骨代謝および骨密度の増加が報告されている。しかしながら,WBVを併用したトレーニングが体幹筋力や動的バランスに与える効果を示した報告は渉猟し得た限りでは見当たらない。本研究の目的は健常男性を対象に,WBVを併用したトレーニング(WBV群)を8週間実施し,WBVを使用しない群(非WBV群)に比べて体幹筋力や動的バランスに相違があるかを明らかにすることである。仮説は非WBV群に比べて,WBV群の方が体幹筋力や動的バランスが向上するとした。【方法】対象は健常男性20名(年齢26.5±4.7歳,身長170.0±5.3 cm,体重63.9±7.1 kg)とし,無作為にWBV群(10名)と非WBV群(10群)に群分けした。なお,研究デザインは無作為化比較試験とし,3回/週で8週間の介入を各群で実施した。トレーニングのプロトコールは1セット6項目で構成された体幹筋トレーニングを以下の順序で実施した。種目は左右サイドブリッジ,プランク,シットアップ,左右ツイストを各30秒間ずつ実施し,各項目間には30秒間の休憩を挟んだ。介入前後でのトレーニング効果を判定する指標は,体幹屈曲・伸展の最大等尺性筋力,スクワットジャンプとカウンタームーブメントジャンプの跳躍高,動的バランス指標の一つである下肢最大リーチ距離を測定するY Balance Test(前方,後外方,後内方),機能的な動きを評価するためのスクリーニングテストであるFunctional Movement Screen(FMS)を測定した。統計解析には二元配置分散分析を行い,その後に多重比較にはBonferroni法を用いた。統計学的解析は統計ソフトウェアSPSS Ver. 21.0 for Windows(IBM社)を使用した。有意水準は5%未満とした。【結果】WBV群の平均体幹屈曲筋力は8週間後に34%増加し,有意な交互作用を示した(F=6.79,p<0.01)。Y Balance Testの前方リーチ距離は17%増加し,介入効果を示す有意な相互作用を示した(F=11.00,p<0.01)。その他の項目では有意な差を認めなかった。【結論】本研究はWBVを併用した群と併用しない群でトレーニングを8週間実施し,体幹筋力や動的バランスに効果に相違があるかを検討した。その結果,WBV群が非WBVに比べて有意に体幹筋力や動的バランスが向上した。全身振動が不随意的かつ持続的に筋収縮を促し,それを継続的に実施した結果,体幹筋力や動的バランスをより効果的に向上させたと考える。この結果は理学療法やスポーツ現場で行うトレーニング方法として有用な情報であり,理学療法研究として意義があると考える。本研究では介入後フォローアップを実施しておらず,今後は長期的な介入効果を検証する必要がある。
著者
稲松 敏夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.353-362, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
3

筆者は先に第1回~第11回にわたって、電力土木の変遷と、電力土木に活躍した人々を中心に各河川の水力開発について述べ、その中で電力土木に一生を捧げた人々のうちの代表的人物60名を発掘して、その成果をまとめ得た。さらに一昨年から、その中25名の人々の業績を詳述し、第2編・電力土木人物史として6名 (知久清之助、伊藤令二、北松友義、目黒雄平、高桑鋼一郎、久保田豊) について発表し、今回はその3として数名を発表する。
著者
中川 明博
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.9, pp.73-96, 2011-03-28

「三宅剛一差出・田辺元宛書簡」は、昭和期を代表する哲学者三宅剛一(1895 ~ 1982 年)が、母校京都大学の恩師田辺元(1885 ~ 1962 年)に宛てた書簡を、ご遺族の了解の上翻刻し、必要な校訂を加えたものである。書簡は1924 年から田辺の死の3 年前の1959 年までの間に投函されたもので、それは三宅の東北帝国大学助教授時代から、ドイツ留学、戦後の京都大学教授時代を経て、昭和30 年代の学習院大学教授時代に及ぶ。 これらの書簡は、東京教育大学教授、学習院大学教授を歴任した哲学者下村寅太郎博士(1902 ~ 1995 年)が生前保管していたものである。下村の膨大な遺品に含まれていた多数の田辺元宛書簡類のうち、三宅剛一差出の全15 通が本書簡である。 本書簡を通じて、私たちは日本を代表する二人の哲学者の間に育まれた知的交流の一端を伺い知ることができるだけでなく、時に率直に師の意見を求め、忌憚なく師の思想を批判する文面から、三宅剛一における哲学的態度のあり方を見て取ることができるだろう。
著者
横串 算敏 成田 寛志 瀧内 敏郎 山下 敏彦 野坂 利也
出版者
社団法人日本リハビリテーション医学会
雑誌
リハビリテーション医学 : 日本リハビリテーション医学会誌 (ISSN:0034351X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.7, pp.488-491, 1996-07-18
被引用文献数
3

5例の下腿切断者を対象に, ICEROSSを使用したTSB義足とPTB義足の比較検討を行った.歩行時の安定感, 総合評価の点では, 全例がTSB義足はPTB義足より優れていると評価した.運動学的評価では, TSB義足歩行時の遊脚後期と立脚初期での加速度垂直成分は, PTB義足歩行時に比べ有意に減少していた.歩行時の膝関節屈曲角度は, 両義足間で差はなかった.
著者
山川 路代 JIVACATE Therdchai 藤井 一幸 飛松 好子
出版者
日本国際保健医療学会
雑誌
国際保健医療
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.281-290, 2008

<b>目的</b><br>&nbsp;開発途上国では感染症など緊急性の高い疾患ばかりが注目され、その対応に追われているため、リハビリテーションを積極的に展開するまでには至っておらず、障害者がリハビリテーションを受けにくい現状にある。リハビリテーションのアプローチのうち、アウトリーチ型は都市部の施設で働くリハビリテーション専門職が施設から出向いて障害者の家を訪問したり、設備のない村を巡回してサービスを提供するものであり、医療基盤の乏しい国や地域では有効な方法の一つとされる。タイでは足部切断を含めて下肢切断者は約 5、6万人おり、障害者全体の 8%を占めている。義足製作は病院や医療施設のワークショップで主に行われているが、ワークショップやそこに勤務するテクニシャンの数が少ないため、国内では幅広く義足を提供するために、アウトリーチ型アプローチであるモバイルユニットが実施されている。そこで、義足提供モバイルユニットのフィールド調査により現状把握を行い、その活動の有効性について検討することを目的とした。<br><b>方法</b><br>&nbsp;2006年 10月、タイ北部の都市チェンライで開催されたタイ義肢財団による義足提供モバイルユニットに同行し、活動の参与観察を行った。また、活動に参加したスタッフから財団の概要や活動内容、参加スタッフ数やその所属などについてヒアリングを実施した。参加した切断患者の受付台帳からは職業や切断原因、製作する義足の種類、義足使用状況などに関する情報を入手した。<br><b>結果</b><br>&nbsp;調査した義足提供モバイルユニットは、医師やテクニシャンを含む総勢 75人のスタッフが現地に赴き、義足製作機材を全て現地に持ち込んで実施された大規模な活動だった。活動中にテクニシャン 54人が製作した義足総数は製作期間 4日間で 177人分 204本だった。参加した切断患者に農民など安定収入のない者や無職者が 8割、地雷を切断原因とする者が 2割含まれていた。また、全体の 3割が義足を初めて製作し、その 2割は切断してから義足を入手するまでに 6年以上を要していた。この結果、義足が地方の貧しい切断患者に提供されていることが分かった。また、テクニシャンはタイ国内各地から集結し、都市部の専門家から義足製作技術を学んでいた。<br><b>結論</b><br>&nbsp;義足提供モバイルユニットはタイの現状を考慮し、地方の技術者を養成し、切断患者に義足を幅広く提供するために有効なアプローチであると思われた。
著者
鈴木 悦子 長谷 公隆 小林 賢 東海林 淳一 祝 広香
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.BcOF1045, 2011

【目的】片麻痺患者の歩行は、立脚時間・単脚支持時間・歩幅などの運動学的パラメータおよび床反力などの運動力学的パラメータにおいて非対称性を認める。その非対称性は、非麻痺側下肢を優位に使用した歩行パターンとなっている。我々は、片麻痺歩行訓練において、非麻痺側下肢からの感覚入力を減らし、非麻痺側下肢による代償を制限した歩行を実現するために、非麻痺側下肢に模擬義足を適用した理学療法介入を試みている。本研究の目的は、片麻痺患者における模擬義足歩行訓練が歩行パラメータに及ぼす変化を、トレッドミル等による歩行訓練と比較することで検証することである。<BR><BR>【方法】脳卒中発症から6か月以上経過し、独歩可能で明らかな感覚障害・高次脳機能障害を有さない慢性期脳卒中片麻痺患者22名を対象とし、模擬義足歩行訓練群11名(義足群;平均61.8±9.0歳)と対照群11名(平均61.5±11.0歳)に振り分けた。対照群への介入はトレッドミル等を用いたPTの介助による歩行訓練とし、当院での麻痺手治療プログラムのために入院した患者および歩行能力改善を目的に理学療法が処方された患者とした。模擬義足は、膝関節屈曲90度にて装着し、膝継ぎ手は0度固定、足部はロッカーボトムを用いて各患者に作製した。両群ともに、5分間を1セッションとして1日3セッションの歩行訓練を10日前後施行した。評価は、訓練前および最終訓練後24時間以上間隔を開けて歩行分析を行った。歩行分析は、杖を使用せずに、2枚の床反力計(アニマ社製, MG-1090)上を歩行させて10歩行周期以上を記録し、麻痺側および非麻痺側の床反力前後成分、立脚時間、歩幅を計測した。また、10m歩行における最大歩行速度を測定した。床反力前後成分は、立脚期前半の制動期と後半の駆動期に分けて、ピーク値を有する各成分の単位時間当たりの値を体重補正して算出した。また、歩行パターンの変化を同定するために1歩行周期に占める単脚支持時間の割合を算出した。患者特性の差に関する両群間の比較は、Mann-Whitney U検定とX<SUP>2乗検定を用いて行った。各群における訓練前後の各パラメータの変化については、Wilcoxonの符号付き順位和検定を使用し、訓練前後の各パラメータの変化量における義足群と対照群の差についてはMann-Whitney U検定を用い、有意水準をP<0.05にて検定した。<BR><BR>【説明と同意】対象は、理学療法開始前のリハビリテーション医の診察において研究の主旨・目的・方法を十分に説明し、同意が得られた方とした。本研究は当施設倫理審査会の承認を得て実施した。<BR><BR>【結果】年齢・性別・麻痺側および最大歩行速度などの患者特性は両群間に差はなかった。歩行訓練のセッション数は、義足群30.6±1.9回、対照群32.3±3.2回であった(P=0.211)。義足群では、1歩行周期に占める麻痺側単脚支持時間の割合が23.5±7.3%から26.7±4.9%(P<0.01)へ、床反力前後成分の麻痺側推進力が2.61±1.35%BWから3.36±1.27%BW(P<0.005)へ有意に増加した。対照群では麻痺側歩幅が37.7±14.6cmから41.2±4.4cm(P<0.05)へ有意に延長したが、運動力学的パラメータに変化はみられなかった。両群間の変化量については、麻痺側推進力が義足群:0.75±0.44%BW、対照群:0.16±0.76%BWで、義足群で有意に増加した(P<0.05)。また、麻痺側単脚支持時間の割合の変化量は、対照群に比べて義足群で延長する傾向を認めた(P=0.076)。<BR><BR>【考察】義足群では、麻痺側下肢の推進力の増大したことにより運動力学的変化が得られた。この麻痺側下肢の運動力学的変化は、麻痺側下肢単脚支持時間の割合が延長したことからも裏付けられる。一方、対照群でみられた麻痺側歩幅の延長という運動学的な非対称性の改善は、床反力前後成分の有意な変化が認められなかったことから、運動力学的変化を伴っていないと言える。本研究の結果より片麻痺患者における模擬義足歩行訓練はトレッドミル等による歩行訓練とは異なる訓練効果をもたらすことが示唆された。<BR><BR>【理学療法学研究としての意義】片麻痺患者の歩行訓練法についての研究報告では、運動学的変化については多数みられるものの、運動力学的変化が得られるという研究報告は少ない。その意味で模擬義足歩行訓練は、新たな歩行訓練方法として効果および適応についての検討を継続する必要があると考える。
著者
守内 匡 高田 加寿代 浅野 聡美 田中 治 金本 郁男
出版者
日本臨床薬理学会
雑誌
臨床薬理 (ISSN:03881601)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.43-47, 2003-03-31 (Released:2010-06-28)
参考文献数
26
被引用文献数
1

A family history of diabetes and genetic predisposition are established as risk factors for diabetes mellitus, lifestyle factors also play an important role in the etiology of diabetes. Alcohol consumption may be related to risk for type 2 diabetes mellitus (type 2 DM) through effects on insulin secretion and sensitivity. Several large-scale epidemiological studies have suggested an inverse association between moderate alcohol consumption and reduced risk for type 2 DM. We assessed whether or not moderate alcohol consumption is associated with DM.Among 2, 338 men, 150 cases of incident DM were newly identified by means of an oral 75 g glucose tolerance test. The newly diagnosed DM percentages of drinking 0 g/day, 1-9.9 g/day, 10-29.9 g/day, 30-49.9 g/day and ≥50 g/day were 8 .3, 6.3, 5 .1, 5.2, 7.2, respectively. The newly diagnosed DM percentage of drinking 1-9.9 g/day had a significantly lower risk than 0 g/day. The frequency of alcohol consumption was significantly inversely associated with diabetes ; a frequency of greater than 6 times per week showed a significantly lower risk than 0 times per week. HbA1c of drinking 10-29.9 g/day, 30-49.9 g/day, and 5≥0g/day were significantly lower than that of 0 g/day.These data suggest that light moderate and frequent alcohol consumption have a decreased subsequent risk of diabetes mellitus.
著者
東中野 多聞
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.108, no.9, pp.1619-1638,1713-, 1999-09-20 (Released:2017-11-30)

In 1960, Prime Minister Kishi Nobusuke revised the Japan-U.S. Security Treaty. He was a well known politician, having been Minister of Commerce and Industry in the Tojo wartime cabinet. When Tojo requested Kishi to resign in order to reshuffle the Cabinet, Kishi declined, causing Tojo to yield and dissolve his Cabinet on July 18,1944. After the war, Kishi explained that his anti-Tojo actions were aimed at avoiding accusation as a war criminal after the War. There are only a few studies about his wartime politics. Kishi said that he spent his days in idleness after the resignation of the Tojo Cabinet and every study so far acccepts this explanation. The author of the present article doubts this point. After resignation of the Tojo Cabinet, Kishi and 32 others organized a political club called the "Gokoku Doshikai" within the House of Representatives. It consisted of socialists, generals, admirals, and nationalists. They adopted a committee system, established an office, and held study group once a week. Kishi was the virtual leader of this club. They carried out a nationwide campaign called the "National Defence Movement". Kishi also established an ultranationalist association, the "Bocho Sonjo Doshikai", in his hometown of Yamaguchi city. Author also investigates this group, and concludes that both Kishi and the Bocho Sonjo Doshikai were opposed to the end of war. The Gokoku Doshikai was based on one concept of national defence, a "productive Army", (seisan-gun), which aimed at strengthen the economic control. By unifying the munitions industries, Japan could use the materials more efficiently, in preparation for the decisive battle of the Japanese mainland through self-sufficiency. The Gokoku Doshikai was opposed to the Japanese government, because then Prime Minister Suzuki was aiming at ending the war, they denounced the government's policy vehemently; and when Suzuki decided to surrender, the Gokoku Doshikai and the Japanese army resisted. The author concludes that while Kishi contributed to the anti-Tojo movement, he was opposed to surrender. We can see the root of the Kishi's postwar faction in the "Gokoku Doshikai". After the war, two of its members entered the Kishi Cabinet, and five socialist members became the leaders of the Socialist Party. Here we see another point of continuity and discontinuity between prewar and postwar politics.