著者
興野悠太郎 米澤拓郎 野崎大幹 小川正幹 伊藤友隆 中澤仁 高汐一紀 徳田英幸
雑誌
研究報告モバイルコンピューティングとユビキタス通信(MBL)
巻号頁・発行日
vol.2014-MBL-70, no.26, pp.1-7, 2014-03-07

本論文では,着脱可能な電線によって充電,給電しながら上空をセンシングするプラットフォームである EverCopter を提案する.バッテリー駆動による UAV(Unmanned Aerial Vehicle) は,地上の障害物を気にする事無く,広大な範囲をセンシングできる事が最大のメリットであるが,バッテリー容量による制限を受けてしまう.EverCopter は以下の 2 つの特徴により,長時間かつ広範囲なセンシングを可能とする.まず,複数に接続された EverCopter の一方は,地上の電源装置に接続され,給電されている.このことで,それぞれの EverCopter はバッテリー無しで飛行する事ができるため,半永久的な飛行が可能となる.また,末端の EverCopter はバッテリーを備えており,任意のタイミングで着脱が可能である.よって,UAV 本来の自由なセンシングも可能である.
著者
小川 正人
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.309-321, 2013-09-30 (Released:2018-04-04)

本論文は、1875年に北海道に強制的に移住させられた樺太アイヌの児童を対象として設置された小学校「対雁学校」の歴史を検討したものである。先ず同校の設立・維持に関する行政の施策をあとづけ、学校設置当初のごく一時期を除けば、行政は樺太アイヌの教育に積極的ではなかったことを明らかにした。また、児童の就学状況を捉え直すことを通して、樺太アイヌは、それまでの生活基盤から切り離された暮らしを強いられた中での余儀の無い選択として、子どもに教育を受けさせることを強く求めていたと考えられることを指摘した。樺太アイヌは、自分たちの暮らしを築くこと、そのための子どもの教育の機会と場を求めたのであり、行政がそれに応えなかったのである。
著者
小川 正賢
出版者
一般社団法人 日本科学教育学会
雑誌
日本科学教育学会研究会研究報告 (ISSN:18824684)
巻号頁・発行日
vol.25, no.5, pp.27-30, 2018 (Released:2018-04-07)
参考文献数
7

国際比較調査の結果が公表されると東アジア地域に混じって北欧フィンランドの好成績が注目をあびてきた.ところで,その影に隠れてはいるが,継続して理科で好成績を挙げている国にバルト三国の小国エストニアがある.旧ソ連の崩壊によって 1990 年代に独立したバルト三国(エストニア,ラトビア,リトアニア)の中で,エストニアだけがとびぬけて理科の成績が良好である.いったいその原因はどこにあるのだろうか.そのような問題意識から,本論では,従来あまり紹介されてこなかったエストニアの理科教育事情,理科教師教育事情を概観する.
著者
木村 優里 小川 正賢
出版者
一般社団法人 日本科学教育学会
雑誌
日本科学教育学会研究会研究報告 (ISSN:18824684)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.171-176, 2018-12-08 (Released:2018-12-05)
参考文献数
20

本研究の目的は,「科学実践に関わる市民」を捉える新しい理論枠組みの検討である.先行研究を参考に検討し,「科学者」と「市民」の間に「科学アマチュア群」を定位し,その中を,知識・技能のレベル,活動に対する積極性,関与している期間の3軸を指標として区分することで,多様な「科学実践に関わる市民」を捉える枠組みを提案した.
著者
小川 正広
出版者
京都大学
雑誌
西洋古典論集 (ISSN:02897113)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.89-117, 1989-09-30

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。
著者
小川 正行 永田 稔 辻 達彦
出版者
The Japanese Society of Health and Human Ecology
雑誌
民族衛生 (ISSN:03689395)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.153-161, 1979 (Released:2011-02-25)
参考文献数
31
被引用文献数
1 1

A device for underwater weighing by utilizing a swimming pool was tentatively made, and with it, the weights in water of 111 male students were measured. And from the thus obtained weights in water, the body density was calculated to be compared, for its justification, with those already reported by other workers in the literature. This study aimed at the examination of the body composition of boys in the developing stage. And the points to pay attention in this case were discussed. The principal findings were as follows: 1) The body density obtained by this method from the above mentioned subjects was 1.0724 ± 0.0092 (mean ± standard deviation). This approximately agrees with 1.07, the normal (general) value for the Japanese adolescent males, estimated from the reports in the literature. 2) The residual volume (RV), an important factor determining the body density needs to be measured exactly. The maximal expiratory level which affects RV, is relatively easy to determine in case of the underwater weighing thanks to water pressure. When elementary school children are the subjects of weighing, however, sufficient attention must be paid to avoid danger, because breething needs to be arrested during a time from the attainment of the maximal expiratory level until the end of the weighing. 3) The underwater weighing can be made within 5 seconds after the attainment of the maximal expiratory level of the subject. The body weights in water of the subjects of the present study averaged 3.03±0.578kg (range, 4.25 to 1.60kg.).
著者
木村 優里 小川 正賢
出版者
一般社団法人 日本科学教育学会
雑誌
科学教育研究 (ISSN:03864553)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.324-334, 2018 (Released:2019-02-02)
参考文献数
7

The current study is one of the hypothesis verification studies of previous work (Kimura, 2017), in which a hypothetical model, explaining why amateur scientists could continue their scientific practices, was generated through a qualitative research method, the Modified Grounded Theory Approach (M-GTA). The present study examined common elements enabling Japanese amateur entomological scientists to continue their scientific practices in the hypothetical model, by using a quantitative research method. A total of 70 amateur entomological scientists voluntarily participated in a questionnaire survey, consisting of 3 attribute questions and 19 main questions, which identified a total of 21 essential elements (‘categories,’ ‘concepts,’ and ‘processes’) of the model. The data obtained was analyzed quantitatively. The findings revealed that the 21 elements could be divided into three groups: Thirteen elements were shared among the Japanese amateur entomological scientists, whereas 5 elements were not, while the remaining 3 elements were in-between.
著者
小川 正人
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.309-321, 2013

本論文は、1875年に北海道に強制的に移住させられた樺太アイヌの児童を対象として設置された小学校「対雁学校」の歴史を検討したものである。先ず同校の設立・維持に関する行政の施策をあとづけ、学校設置当初のごく一時期を除けば、行政は樺太アイヌの教育に積極的ではなかったことを明らかにした。また、児童の就学状況を捉え直すことを通して、樺太アイヌは、それまでの生活基盤から切り離された暮らしを強いられた中での余儀の無い選択として、子どもに教育を受けさせることを強く求めていたと考えられることを指摘した。樺太アイヌは、自分たちの暮らしを築くこと、そのための子どもの教育の機会と場を求めたのであり、行政がそれに応えなかったのである。
著者
小川 正 相原 茂夫 森山 達哉 佐藤 文彦
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

1,食物アレルギー患者が血清中に保有するIgE抗体の認識する食品素材中のタンパク質成分を、網羅的にイムノブロット法を用いて検出、特定すると共に、Nー末端アミノ酸配列の分析を行って得られた情報を基に、コンピューターデータベースに基づく解析を行い、既知タンパク質成分に帰属し、同定した。これらの情報を基に、植物に特有の感染特異的タンパク質(PR-P)ファミリーに属するものを選択した。(1)患者血清の認識するタンパク質成分として、ニンジンより20kDaアレルゲンとして、cyclophilin(cyclospolin A binding protein)を同定した。(2)ジャガイモより、18kDaアレルゲンとして、シラカバ花粉症の主要アレルゲンBet v 1 homologueを同定した。患者血清は、ピーマンやリンゴ由来の18kDaと交差する。(3)トマトより45kDaアレルゲンとして、コルク質形成関連酸性ペルオキシダーゼを同定した。(4)二十日大根より、37kDaアレルゲンとしてGlutathione S-transferase,25kDaアレルゲンとして,feredoxine/NADH oxidoreductaseを同定した。(5)リコンビナントPR-5dを用いて患者血清をスクリニングしたが、認識抗体を保有する患者は確認することが出来なかった。この事実は、PR-5ファミリーに関しては感作能が低い(アレルゲン性が低い)と考えられる。以上のアレルゲンタンパク質にはPR-Pに分類される物が多いことが判明した。その他の帰属不明なタンパク質も,PR-Pである可能性は高い。これらの事実は、PR-Pがヒトの食物アレルギーの罹患、発症に関わる感作、即ちIgE抗体の産生を特異的に誘導していることを強く示唆するものである。また、これらのアレルゲンは植物界に広く分布し、互いに相同性が70-80%以上あることからパンアレルゲンとして交差反応性が問題となることが示唆された。一方、これらは素材をストレス下で栽培することにより、その含量が変化する事実を確認に下。従って、生産条件の管理が植物性食品のアレルゲン性を大きく左右することを立証した。2,植物性食品素材毎に抽出調製したタンパク質画分を二次元電気泳動を行って、一次元目の情報、等電点、二次元目の情報、分子量をセットとする画タンパク質の戸籍簿を作成する。更に、二次元のイムノブロットにより患者血清の認識するタンパク質成分をマッチングさせ、アレルゲンのとなるタンパク質成分を特定する。この特定成分上に、各種属性を三次元の情報として蓄積し、一食品素材一データベースシートを構築する。日本標準食品成分表と対比出来るようにする。更に、情報として、PR-Pの特徴であるストレス負荷によるアレルゲン性の増減をデータベース上に搭載し、食物アレルギー患者の治療、栄養指導における有効かつ緻密な情報源として提供することが可能である。又、低アレルゲン化の程度、加工食品における混合素材アレルゲンの網羅的解析が可能となるであろう。
著者
猪谷 富雄 小川 正巳
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物学会紀事 (ISSN:00111848)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.137-147, 2004 (Released:2004-09-29)
参考文献数
110
被引用文献数
14 26

赤米とは, 糠層にタンニン系赤色色素を持つイネの種類であり, わが国においては日本型とインド型の2種の赤米が栽培されてきた. 日本型の赤米は古くから日本に渡来し, 7~8世紀には全国各地で栽培されたことが平城京跡などから出土する木簡から推測されている. 14~15世紀には中国からインド型の赤米もわが国へ渡来し, 「大唐米」などと呼ばれ, 近世に至るまでかなりの規模で栽培されていた. 早熟で不良環境や病害虫に強い大唐米は, 最盛期の江戸時代には関東から北陸地方以西において広く栽培され, 特に低湿地や新たに開発された新田などに適していた. 明治時代に入るとこれらの赤米は徐々に駆除され, わが国の水田から姿を消す道を辿った. 例外として, 日本型の赤米の一部が神聖視され, 神社の神田などで連綿と栽培されてきたもの, 雑草化して栽培品種に混生してきたものなどがある. 約20年前から, 赤米は小規模ながら栽培が復活し, 日本各地で歴史や環境を考える教育や地域起こしの素材として利用されている. また, 赤米は抗酸化活性を持つポリフェノールを含む機能性食品としても注目されている. わが国における赤米栽培の歴史と赤米を取り巻く最近の研究状況などについて, 以下の順に概要を述べる. (1)赤米を含む有色米の定義と分類, (2)赤米の赤色系色素, (3)赤米の栽培の歴史, (4)残存した赤米, (5)赤米など有色米が有する新機能, (6)赤米の育種などに関する最近の情勢.
著者
小川 正廣 OGAWA Masahiro
出版者
名古屋大学文学部
雑誌
名古屋大学文学部研究論集. 文学 (ISSN:04694716)
巻号頁・発行日
no.61, pp.9-28, 2015-03-31

Since the beginning of the 20th century the Homeric epics have been the main focus of historical discussions on "the Trojan War" in the Mycenaean Age and the actual societies and cultures of the later periods. In this paper I envisage the Iliad as not so much a historical document as a fictional work and propose to make clear the poet's social vision which should have appealed to his contemporary audience near the end of the Dark Age. The literary world of the Iliad, as J. Goold has pointed out, is made up of the four model societies: those of the Greeks at Troy, Troy itself, the gods on Olympus and the Greeks at the age of Homer, of which the last one is described briefly on the Shield of Achilles and in similes. From this general view I proceed to put in the foreground the depiction of the city at war - a secularized and reduced Iliad - on the Shield (Il. l8.509-540) and to look from there into 'the vanishing point' on which the 'parallel lines' of the other three societies should converge in a poetic perspective. At the end of this dynamic structure the victorious Achilles, who insults the defeated Hector's dead body and has become a helpless victim of physical force, is saved from this fatal mechanism of perpetual violence by the divine familial affection and the old king Priam's action of paternal love for his son. And just after the reconciliation, the entire narrative concludes with Hector's funeral which symbolizes the continuation of Troy's social life. Thus Homer seems to show his original view in which the type of his Trojan society, an urban civilization with the great potentialities of mediating social conflicts and resolving mental crises, can repair the grave defects inherent to such an excessively competitive organization as his Greek army and provide good guidance for the people of many emerging city-states of his time.
著者
小川 正廣 OGAWA Masahiro
出版者
名古屋大学文学部
雑誌
名古屋大学文学部研究論集. 文学 (ISSN:04694716)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.1-36, 2014-03-31

There has been a long discussion since antiquity about the abrupt ending of the Aeneid which leaves the readers with a very disturbing impression: at the decisive duel in the twelfth book Aeneas, after having hesitated for a moment and inclined to spare Turnus' life, kills him, suddenly driven by fury and anger. On this unusual last scene the ancient commentary of Servius has presented a typical "optimistic" view, attributing the glory of pietas both to the hero's hesitation and his killing for revenge. The present paper attempts to offer another interpretation, which will acknowledge his hesitation as showing a great desire to be relieved of the burden of sorrowful and useless war and his vengeance for the death of Pallas as revealing his deep sense of guilt and his innermost longing to punish himself. Thus the death of Turnus would be foreshadowing Aeneas' own dying in the near future which is predicted repeatedly in the epic. We shall arrive at this conclusion after the detailed consideration of how the hero reacts to the deaths of Dido, Pallas, Lausus and others.
著者
小川 正樹
出版者
函館ラ・サール高等学校
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2008

本研究では、北海道における華僑社会の形成と発展について、その概略をまとめた。幕末開港以来、函館に海産商が移住し、現在ではほぼ全道で華僑が生活している。しかし、道内への移住経緯やその後の華僑社会の推移についても不明なところが多い。北海道は明治維新後「内地」に編入されながらも、「外地」としての性格ももつ、国内でも異質な地域であり、1910年から1941年までの間に、華僑人口が88人から299人に増加し、居住地域も函館、札幌、旭川、浦河から、ほぼ北海道全域へと拡大した。道内主要都市の華僑の出身地を調査すると、福建省福清県出身者が中心であり、職業も呉服行商のほか、料理人や商店員、毛皮商などであった。非常に小規模ではあるが、しかし、確実に華僑社会は北海道に形成されていったことがわかる。道内の都市を比較してみると、各都市はそれぞれ異なる性格を有している。函館は幕末以来の外国人居留地や貿易港として発展した。函館華僑は、幕末には、広東省出身者が中心であつたが、明治初期には、三江地方出身者が主流となり、日清戦争の勃発により海産商が帰国し始めると、福建省出身者の移住が本格化し、函館を拠点に呉服行商として道内各地に移住していった。札幌は道都として開発が進み、開拓使に雇われたお雇外国人の中に10名の中国人農夫が含まれていた。こうして札幌華僑は農業移民から始まり、戦前の一時期、函館や旭川をおさえて華僑人口が全道最大となった。しかし、戦後になると、北大の留学生が中心となって北海道札幌華僑総会が設立されるなど、戦前と戦後に大きな断絶が存在する。旭川は、1899年に内地開放されてから外国人が居住するようになり、この時期に道内に移住してきた福建省出身者が中心となって華僑総会を設立し、旭川華僑は現在まで続いている。この三都市の華僑は移住開始時期、性格も異なり、一つとしてまとめることは不可能である。福建省出身者以外に、札幌と小樽では山東省出身者の存在が確認でき、この華僑の進出の経緯は未だ明らかにされていない。この山東省出身者のネットワークについて、今後は中国東北地方や沿海地方との関連についても検討していく必要がある。北海道華僑を日本国内の華僑だけではなく、北東アジア全域の華僑の動きと関連して考えていくことが今後の大きな課題である。