- 著者
-
川村 光
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.72, no.7, pp.492-502, 2017-07-05 (Released:2018-07-01)
- 参考文献数
- 54
ここ10数年,「スピン液体」あるいは「量子スピン液体」という言葉がよく話題に上る.スピン系を舞台に出現する「液体的な」状態というイメージである.実のところ,そもそもの状態の定義が必ずしも明確にされてきた訳でもないのだが,理論的に期待される磁性体の新たな状態として,実験的にも長く探し求められてきた.強い磁気的相互作用を持ちながら,スピングラス的な磁気凍結現象も含めて極低温まで何の磁気秩序化も示さない,磁性体の低温量子状態という辺りが,大方のイメージであろう.その意味で,スピン系が作る「液体状態」である.言葉の対応上は,高温での無秩序状態―常磁性状態―が「スピン気体状態」,低温で通常形成される強磁性や反強磁性等の磁気秩序状態が「スピン固体状態」というアナロジーになろうか.もちろん,強いスピン間相互作用を持つ磁性体は,通常は低温で強磁性,反強磁性等の何らかの磁気秩序を形成するので,液体的な低温量子状態が本当に可能かどうかは,そう自明なことではない.量子スピン液体状態を実現するには,強い量子効果とともに,磁気秩序を不安定化する,いわゆる「フラストレーション」効果―競合の効果―が重要と広く考えられている.スピン液体状態を作る磁性体の物質探査は現在も続けられているが,ここ10年くらいの間に,有力な候補物質が次々と報告され,多くの実験的情報が集積されている.目下,これらの実験データの解釈を巡って,自然界で現実にも実現しているらしい「スピン液体」(「量子スピン液体」)状態とはどのような状態なのかに関して,色々議論がなされており,大変興味深い状況にある.筆者らのグループは,これら自然界で実現している「量子スピン液体」状態(のおそらく大部分のもの)に関しては,実は,系に内在している「乱れ」ないしは「不均一性」―ランダムネス―がフラストレーションと並んで本質的に重要な役割を果たしているのではないかという説を提唱してきた.その際,「ランダムネス」の概念を通常より広く捉え,適当な条件下で系に自発的に生成される不均一性も含めて考えることで,より統一的な視点が得られる.元々がクリーンな系であっても,多自由度間のカップリング等を通して不均一性が自発的に生成され,重要な役割を果たす場合がある.スピン液体に関するこれまでのほとんどの理論においては,量子スピン液体性は乱れのないピュアな規則系の属性とされ,乱れや不均一性の役割は重要ではないとされてきた.しかし,近年次々と見出されてきた量子スピン液体物質は,それが外因的のものであれ,自己生成された内因性のものであれ,系に乱れや不均一性を顕著に持つ傾向がある.乱れや非均一性がクリーンな系の興味深い物理を“汚染する”余計者なのでは決してなく,興味深い新奇な物理現象を生み出す重要なプレイヤーであることを強調したい.