著者
福田 充宏 熊田 恵介 山根 一和 青木 光広 小濱 啓次 竹ノ内 陽子 市原 清志
出版者
日本集中治療医学会
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.29-33, 2002-01-01 (Released:2009-03-27)
参考文献数
8

脳障害患者427例を対象に来院時の3種の病態パラメータ(バイタルサイン,緊急血液検査値,年齢・性別)から多変量解析で生死の判別(生命予後の予測)を行い,それにどのパラメータが関連しているか,その判別度がAPACHE IIスコアやGCSに比べてどうか,緊急血液検査値がどの程度有用かについて検討した。その結果,全脳障害患者を対象とした場合は,GCS,血中の尿素窒素(BUN),カリウム(K),白血球数(WBC),動脈血ガス分析によるPaCO2,BEが生死の判別に有意に関連していた。また,3種のパラメータによる生死判別度が最も鋭敏であったが,緊急血液検査値のみでもAPACHE IIスコアやGCSと同程度の判別精度が得られた。脳血管障害患者を対象にした場合には,緊急血液検査値のみによる判別度がGCSより良好であり,頭部外傷患者を対象にした場合には,GCSによる生死の判別度が最も優れていた。各患者群の同一患者においては,ICU収容時と比べて第7ICU病日のデータを用いたほうが生死の判別度が良かった。これらの統計学的手法によって,脳血管障害患者群と頭部外傷患者群において,生死の予測に対するGCSや緊急血液検査値の寄与度が異なることが明らかとなった。
著者
青木 恵美
出版者
日経BP社
雑誌
日経パソコン (ISSN:02879506)
巻号頁・発行日
no.609, pp.105-108, 2010-09-13

歴史好きなら幕末風に/トリミングしてフチ加工/リアルな合成で遊ぶ
著者
青木 義和
出版者
Japan Association of Mineralogical Sciences
雑誌
岩石鉱物鉱床学会誌 (ISSN:00214825)
巻号頁・発行日
vol.77, no.Special3, pp.123-128, 1982 (Released:2012-08-03)
参考文献数
10

Large numbers of [100], [110] and [111] penetration twins are formed during growth of KC1 crystals from solution. All of them are interpenetrating octahedrons with rotation of some angles about [100], [110] and [111] common axis of two individuals, respectively. Twin formation appeared to be favored by Pb2+ and relatively high supersaturation. The maximum yield of twins is obtained at the region of 0.4-0.6 g Pb2+/l H2Oand σ=0.1-0.4. The formation is discussed in terms of rotation twinning, on the basis of the concept of coincidence-site lattices. Good agreement is obtained between the angles of some crystallographic directions observed in the twins and those expected from this concept.
著者
両角 淳平 青木 啓成 村上 成道
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.42 Suppl. No.2 (第50回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.1037, 2015 (Released:2015-04-30)

【はじめに,目的】Jones骨折は難治性の骨折であり,TorgやKavanaughは保存療法において22-67%が遷延治癒もしくは偽関節になると報告していた。現在の治療方針は,競技への早期復帰のために髄内固定による手術が中心となっており,手術治療の実績に関する報告が多い。その一方で,術後の再発例における報告も散見され,三河らは遷延治癒や術後の再骨折を来した症例に対して,スクリューの適合性を高めるために再手術を優先すると報告している。当センターでは,遷延治癒の傾向にあるJones骨折に対し,セーフス(SAFHS4000J,TEIJIN)による超音波治療と継続的な理学療法の介入を行っている。本研究は,Jones骨折を発症した選手の身体特性を詳細に検討する事,また改善させる事を目的とした理学療法が,競技復帰と再発予防へ与える影響について検証した。【方法】当院を受診した高校サッカー選手4例を対象とした。3例は,保存療法を行っていたが4週経過し仮骨が出現しない症例であり,1例は,他院での内固定術後に2回の再骨折を繰り返し,約1年間の遷延治癒を来していた。セーフスによる治療と理学療法を,競技復帰1ヶ月後まで継続した。理学療法では,第5中足骨近位骨幹部へストレスを与える要因として,足部・足関節及び股関節機能における身体機能因子と,姿勢や動作パターンの運動因子を挙げ,特有の障害パターンを検討し,その改善に努めた。介入頻度は,仮骨が出現するまでは週に1回,骨癒合が得られた以降は2週に1回とした。介入時は医師と協議し,運動負荷量を確認した。セーフス開始にあたり,骨折部へ的確に照射するよう透視下のマーキングを行った。4例の治療経過として,再発の有無と免荷期間,ランニング開始,競技全復帰,仮骨形成,骨癒合までの日数を集計した。【結果】4例全てにおいて,再骨折や遷延治癒を認めず競技復帰が可能であった。免荷期間は発症から平均24.3日(3-4週),ランニング開始は82.5日(10-14週),競技全復帰は126日(13-23週)であった。また仮骨形成を認めたのは64日(7-11週),完全骨癒合は113.8日(11-21週)であった。特有の障害パターンにおいて,身体機能因子のうち足部・足関節では,内反足(内側縦アーチの増強と前足部内転,後足部回外位)と,第5趾の可動性低下(足根中足関節や第4,5趾の中足間関節の拘縮)を認め,股関節では屈曲及び内旋制限が生じていた。運動因子は,片脚立位とスクワット,ランジ動作で評価し,いずれも股関節の外旋位をとり,小趾側が支点となり,重心は外側かつ後方への崩れが生じていた。筋力は,腸腰筋と内転筋,腓骨筋で低下を認めた。足部への具体的なアプローチは,第5中足骨へ付着し,かつ距骨下関節の可動性低下にも影響する長・短腓骨筋の短縮や,内反接地の反応により過活動が生じる前脛骨筋腱鞘や長母趾屈筋の軟部組織の柔軟性低下を徒手的に改善させた。足関節,股関節の可動域の改善後,姿勢・動作で重心の補正を行った。低下していた筋力に対して,単独での筋力強化は行わず,姿勢・動作練習を通して意識的に筋力の発揮を促した。【考察】治療過程において,運動強度の拡大については,X線による骨の状態を確認しながら検討し,仮骨形成後にランニングを開始し,骨癒合後に競技全復帰を許可した。しかし,X線上の問題がなく,圧痛や荷重時痛が一時的に減少しても,骨折部周囲の違和感や痛みの訴えは変動するため,継続的に運動強度の調整を行った。運動負荷の段階的な拡大に伴い,特有の障害パターンが再燃するため,骨癒合が得られるまでの期間は,早期に発見し修正するための頻回な介入が必要であると考えられた。術後の復帰過程において,横江らは,術後1週で部分荷重,3週で全荷重,2ヵ月でジョギング,3ヵ月で専門種目復帰としている。今回の4例の平均値と比較すると,ジョギング開始と競技全復帰までの期間は,約1ヶ月程度の遅れに留まった。理学療法により骨折部へのストレスを軽減させ,症状の変動に応じて運動負荷の調整を継続的に行う事は,骨癒合を阻害せず,保存療法であっても競技復帰に繋げられると考えられる。【理学療法学研究としての意義】手術及び保存のどちらを選択しても,骨折部の治療だけでは再発予防としては不十分である。身体特性から発生要因を検討し,その改善に向けたアプローチを充実させる事は,スポーツ障害における理学療法の捉え方として重要であると考えられる。
著者
武藤 桃太郎 武藤 瑞恵 石川 千里 井上 充貴 升田 晃生 高橋 裕之 萩原 正弘 青木 貴徳 橋本 道紀 稲葉 聡 矢吹 英彦
出版者
THE JAPANESE ASSOCIATION OF RURAL MEDICINE
雑誌
日本農村医学会雑誌 (ISSN:04682513)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.49-56, 2014

症例1は85歳, 女性。近医にてCEA9.2ng/mlと高値を指摘され当科紹介となった。CT検査, 超音波検査で虫垂部に嚢胞状腫瘤を認めた。注腸造影検査では盲腸下端に半球状の表面平滑な隆起性病変を認め, 虫垂は造影されなかった。虫垂粘液嚢腫の診断で盲腸部分切除術を施行し, 術後CEAは4.7ng/mlと正常化した。 症例2は74歳, 女性。高血圧, 高脂血症で当科通院中にCEA12.3ng/mlと高値を示し, CT検査, 超音波検査で虫垂部に嚢胞状腫瘤を認めた。注腸造影検査では盲腸に粘膜下腫瘍様隆起を認め, 虫垂は造影されなかった。虫垂粘液嚢腫の診断で盲腸部分切除術を施行し, 術後CEAは1.5ng/mlと正常化した。 いずれも病理検査で虫垂粘液嚢胞腺腫と診断され, 免疫染色ではCEA陽性であった。
著者
青木 みのり
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.31-39, 1993-03-30 (Released:2013-02-19)
参考文献数
15
被引用文献数
3

The purpose of this study was to explore the influences of double-bind communication on human information processing system and emotion, and to examine how vocal information with incongruence of tone of voice and verbal content would be perceived and memorized. The experiment was carried out with 2-2 design of (tone of voice: positive vs negative), and (verbal content: positive vs negative). The subjects (80 female undergraduates) were derived into 4 groups of 20 persons each. Subjects while presented tape-recorded passages were asked to rate some scales about the passages, and to reproduce the passages as close to the original as possible. The results were as follows: 1) passages perceived as incongruent by subjects were recalled less than those perceived congruent; 2) recall errors were induced by the tone of voice; 3) subjects with high trait anxiety recalled less than those with low trait anxiety when perceiving incongruence, and 4) the passages with negative tone of voice and positive verbal content were perceived incongruent, while the opposite (positive tone of voice and negative verbal content) was not.
著者
安田 敏夫 今田 直登 沖 誠一 青木 茂
出版者
公益社団法人日本コンクリート工学会
雑誌
コンクリート工学年次論文集 (ISSN:13477560)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.1237-1242, 2001-06-08
参考文献数
7

広島ガス(株)廿日市工場において建設を行っているピットイン式(地中式)のNo.2LNGタンク(85,000kl)では,土留め支保として高強度の連続地中壁(以降,連壁と称す)を採用した。この連壁の設計基準強度は60N/mm^2,配合強度80N/mm^2であり,骨材事情が特に厳しい西日本の連壁としては,最も高強度の領域である。この報文では,この連壁に用いた高強度コンクリートの施工時の品質管理結果および施工結果について報告する。
著者
青木 隆浩
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.197, pp.321-361, 2016-02

本稿では,明治時代から1980年代までの長期にわたり,日本における美容観の変遷とその原因をおもに化粧品産業の動向から明らかにしたものである。そのおもな論点は,明治時代以降の美容観が欧米化の影響を受けながらも,実際に変化するには長い時間がかかっており,欧米化が進んだ後でも揺り戻しがあって,日本独自の美容観が形成されたということであった。まず,明治時代といえば,白粉による白塗りと化粧品の工業製品化による一般家庭への普及がイメージされるが,実際には石鹸や化粧水,クリームといった基礎化粧の方がまず発達していったのであり,メイク方法は白粉をさらっと薄く伸ばす程度のシンプルなものだった。口紅やアイメイクに対する抵抗感は,現在から考えられないほど強かったため,欧米の美容観はなかなか受容されなかった。1930年代に入ってから,クリームや歯磨,香油などの出荷額が伸びていくが,第二次世界大戦による節制と物品税の大増税によって,すぐに化粧をしない時代に戻っていった。その後,1960年前後までの日本の女性は,クリームや化粧水による基礎化粧はするものの,メイクはほとんどしなかった。欧米型のメイク方法は,1959(昭和34)年におけるマックスファクターの「ローマンピンク」キャンペーンと1960(昭和35)年におけるカラーテレビの放送開始を契機として,普及し始めたと考えてよい。とくに1966(昭和41)年からそのキャンペーンにハーフモデルを起用して成功を収めたことが,ハーフモデルの日焼けした肌と大きな目に憧れる結果となって,欧米型のメイクが普及する大きな要因となった。ところが,1970年代の初めにハーフモデルを起用した日焼けの提唱がいったん終わり,その後,日本の美が見直されていくことになる。さらに,1980年代に入ると自然派志向やソフト志向が顕著となり,その中でアイドルタレントが化粧品のプロモーションに起用されるようになると,日本独自の自然でソフトな女性像,つまり1980年代の「かわいらしさ」のイメージが形成されていった。This article examines the trends of the Japanese cosmetics industry from the 1870s to the 1980s to reveal the changes in the Japanese sense of beauty and their causes. The results consist of two main findings: (i) after the Meiji period (1868-1912), the Japanese sense of beauty was affected by westernization but changed very slowly; and (ii) the westernization was followed by a backlash, resulting in the creation of a new sense of beauty unique to the Japanese.It is generally considered that in the Meiji period, cosmetics were commercialized and became popular among ordinary women and they started to powder their faces. In actual fact, however, skin care products such as soap, skin lotion and cream were developed earlier. Japanese women preferred simple makeup and thought light powdering was enough. Their reluctance to wear lipstick and eyeshadow in those days was much stronger than we can imagine today; therefore, it was difficult for them to accept the western sense of beauty.In the 1930s, the sales of skin cream, toothpaste, and scented oil products expanded; however, soon all the cosmetics products disappeared from the market due to the frugal habits and drastic commodity tax hikes during the Second World War. From after the war until around 1960, Japanese women used skin care products such as skin lotion and cream but hardly wore makeup.Western-style makeup techniques began to penetrate into Japan through the Roman Pink Campaign of Max Factor starting in 1959, also receiving a nice tailwind from the start of color TV broadcasting in 1960. In 1966, the advertising campaign starred a half-Japanese model, which resulted in a huge success. Many women admired her light suntanned skin and big eyes. This served as a great impetus for the spread of western-style makeup techniques.However, once the campaign starring the half-Japanese model with light suntanned skin finished in the early 1970s, Japanese women reviewed their sense of beauty once again. In the 1980s, when a desire for the soft, natural look became prominent and pop stars started to appear in cosmetics advertisements, the Japanese shaped their own unique image of female beauty that was soft and natural by emphasizing "cuteness" in the 1980s.
著者
宮城 悦子 沼崎 令子 中西 透 片岡 史夫 猿木 信裕 井畑 穰 伊藤 則雄 吉田 憲生 新原 温子 村松 孝彦 今泉 明 山本 浩史 高須 万里子 光島 徹 杤久保 修 山門 實 青木 大輔 平原 史樹
出版者
公益社団法人 日本人間ドック学会
雑誌
人間ドック (Ningen Dock) (ISSN:18801021)
巻号頁・発行日
vol.26, no.5, pp.749-755, 2012 (Released:2012-07-13)
参考文献数
17

目的:血漿中アミノ酸濃度はがんを含む各種疾患により変化する.血漿中アミノ酸プロファイルから健康状態や疾病の可能性を把握する「アミノインデックス技術」は複数がんのスクリーニング法として臨床実用化されている.本研究は多施設共同試験により3種の婦人科がん(子宮頸がん,子宮体がん,卵巣がん)の判別を行う指標式を「アミノインデックス技術」を用いて導出し,その有用性を検討することを目的とした.方法:複数施設で子宮頸がん患者208例,子宮体がん患者186例,卵巣がん患者102例,婦人科良性疾患患者305例,健康人1,631例を対象として採血し,血漿中アミノ酸濃度をLC-MSにより測定した.結果:3種の婦人科がん患者の血漿中アミノ酸濃度変化は共通性が高く,婦人科がんのいずれかに罹患している可能性を判別する一つの指標式を「アミノインデックス技術」を用いて導出し,その判別性能評価を行った.導出された指標式の特異度95%での感度は子宮頸がん52%,子宮体がん58%,卵巣がん77%であり,いずれもⅠ期症例から高い感度を示した.また,子宮頸がんでは腺癌も高い感度を示す,子宮体がんではCA125より有意に感度が高い,卵巣がんではCA125と同程度の感度を示すなどの特徴を有していた.結論:「アミノインデックス技術」により導出された,3種の婦人科がんのいずれかに罹患している可能性を評価する一つの指標式は,3種の婦人科がんの簡便な血液検査のスクリーニング法として有用であることが示唆された.