著者
大久保 光 坪井 涼 田所 千治 佐々木 信也
出版者
一般社団法人 日本機械学会
雑誌
日本機械学会論文集 (ISSN:21879761)
巻号頁・発行日
vol.81, no.824, pp.14-00656-14-00656, 2015 (Released:2015-04-25)
参考文献数
12
被引用文献数
1 5

This research studied the effects of Zinc Dialkyldithiophosphate (ZnDTP) additives on the tribological properties of a H-free Diamond-like Carbon (DLC) film under boundary lubrication with oils that contained organic friction modifiers (FMs). The tribological properties were evaluated using the reciprocating type cylinder-on-disk tribo-tester. ZnDTP and three types of organic additives (GMO, glycerol mono-oleoyl ether (GME), and tallow diethanol amine (TDEA)) were added to poly-alpha olefin (PAO). Friction tests were carried out for the DLC/Steel tribo-pair under lubrication with PAO and PAO-based oils containing GMO, GME, TDEA, ZnDTP, GMO + ZnDTP, GME + ZnDTP, and TDEA + ZnDTP additives. Raman spectroscopy, Scanning Electron Microscopy (SEM), energy-dispersive X-ray analysis (EDX) and X-ray photoelectron spectroscopy (XPS) were used for analyses of worn surface on the H-free DLC film. The H-free DLC film lubricated with PAO + FMs reached an ultralow friction coefficient of 0.02 - 0.03. On the other hand, The H-free DLC film lubricated with PAO + FMs + ZnDTP had increased friction coefficients compared to the PAO + FMs oils. For the lubrication added ZnDTP additive, the surface analyses demonstrated that the chemical composition of the ZnDTP-derived tribofilm depended on the combination of ZnDTP and each FM. It was concluded that the chemical composition of the ZnDTP-derived tribofilm played an important role in the friction behavior of the H-free DLC films that were lubricated with PAO + ZnDTP and PAO + FMs + ZnDTP.
著者
山口 実里
出版者
大妻女子大学
雑誌
Otsuma review (ISSN:09160469)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.259-265, 2012-07
著者
細見 正明
出版者
Japan Society of Material Cycles and Waste Management
雑誌
廃棄物学会誌 (ISSN:09170855)
巻号頁・発行日
vol.11, no.3, pp.197-209, 2000-05-31
参考文献数
14
被引用文献数
8 3

PCBの製造および輸入の禁止, 開放系での使用禁止, 回収などの措置を受けてからすでに28年が経過した。使用中あるいは保管されているPCBを含む電気機器から環境への放出が懸念されている。一方で, 廃棄物処理法では, 焼却法だけではなく, 脱塩素化分解法と超臨界水酸化分解法がPCB処理法として認められた。<BR>本文では, PCB汚染問題の経緯と化学処理技術の概要をまとめた上で, 今後の課題として, PCB問題をダイオキシンの観点から見直す必要性を示すとともに, PCB汚染物の処理技術として溶媒洗浄法や真空加熱分離法などの実用化に向けて課題を抽出した。
著者
Shepard John W. Meyer Katherine A.
出版者
The Ichthyological Society of Japan
雑誌
魚類学雑誌 (ISSN:18847374)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.159-164, 1978

伊豆諸島の三宅島から得られたべラ科の1新種ウスバノドグロベラ<I>Macropharyngodon moyeri</I>を記載した.本種は<I>M. kuiteri</I>以外の同属の既知種とは, 歯が扁平であることと, 背鰭と臀鰭の条数が12本といずれも1本多いことで識別できる.<I>M. kuiteri</I>万とは色彩および各側線鱗の各部開孔数で区別される.
著者
貴志 浩久 不破 輝彦 久保村 大樹 杉浦 敏文
出版者
日本補完代替医療学会
雑誌
日本補完代替医療学会誌 (ISSN:13487922)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.75-80, 2014 (Released:2014-11-07)
参考文献数
25

機能性食品における抗疲労効果に関してはアンケートによる主観評価法が主として用いられており,簡便,且つ直接的に疲労を評価している報告は少ない.本研究では筋電図を用いたアンセリンの抗疲労効果を検証する方法を提案するとともに,健康な成人男性 17 名(平均年齢 35.5 ± 5 歳 体重 75.5 ± 5 kg)に対して臨床試験を行い,その効果を検証した.試験プロトコールとして 1 回の試験につき 2 度足上げ運動を行い,筋電図周波数中央値の変化を算出,二回の運動中のその一次回帰直線の傾きの回転角を疲労指標 (AFI) とすることにより変動による差を低減させた.さらに,周波数解析区間を分けることにより,アンセリンの筋肉疲労軽減効果を確認した.

2 0 0 0 OA 法制小典

著者
古本大学出版部 編
出版者
古本大学
巻号頁・発行日
1922
著者
堀江 聡
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
人文科学 (ISSN:09117210)
巻号頁・発行日
no.18, pp.29-45, 2003

プラトンによって創設されたアカデメイアの最後の学頭ダマスキオス(紀元後460年頃生れ,538年以降没)の主著『第一の諸始原についてのアポリアと解』の第I巻第2部(R.I, 30-41)を以下に訳出する。底本には,ビュデ版を用いたが,リュエル版も参考にした。翻訳としては,上記ビュデ版の対訳の他,ガルペリヌの仏訳を参照した。< >内はギリシア語原文上の補足箇所の訳出であり,{ }内は,文意を掴むための訳者による補いである。改行および章分けは,ビュデ版のギリシア語テキストにしたがった。ギリシア語原文にはないが,ビュデ版訳者の章ごとの小見出しを採録し,各章の冒頭にゴチック体で附加した。[R+数字]により,リュエル版のページを併記した。
著者
TM 福岡 安則 黒坂 愛衣
出版者
埼玉大学大学院文化科学研究科
雑誌
日本アジア研究 (ISSN:13490028)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.31-63[含 英語文要旨], 2009

この調査ノートは,「らい予防法」による「隔離政策」が貫徹していた時代に,ハンセン病を発症しながら,「ハンセン病療養所」に入所することなく生涯を終えた女性を母親にもつある男性のライフストーリーである。TM さんは1945 年生まれ。1956 年ごろ,母親がハンセン病だとの噂が地域社会に広がり始める。1959 年4 月,TM が中学2 年のはじめ,母親は「親戚会議」の決定に従って,「ハンセン病療養所」への入所を回避して,鳥取県から大阪に移住。阪大病院の「らい部門」での外来診療に通院することとなる。4 人の兄と1 人の姉が「逃げて」しまったあと,TM はひとりで母親の面倒をみる。9 年間の大阪暮らしのあと,阪大病院の外来治療に見切りをつけて,母とTM は鳥取県に戻る。TM は出稼ぎをしながら母親の生活を支える。1985年,母親が脳梗塞で倒れ,老人ホームに入所。ここで露骨な差別的扱いを受ける。この時点で,TM は,母親に「よかれ」と思って,「非入所」の生活を支えつづけてきたが,むしろ,ハンセン病療養所に入所させていたほうが母親の老後は幸せだったのではないかと,価値判断の大転換を体験する。このときから,そして,母親が1994 年に亡くなった後も,保健所や県庁を相手に,「らい予防法」に従った適切な対応を怠ってきた責任を執拗に問いつづける。まともに相手にされず,けっきょくは,2003 年,「こまい鉈」で県職員を殴打し,「殺人未遂事件」として刑事事件の被告とされ,「懲役3 年の実刑判決」に服した。TM の"非入所よりはハンセン病療養所に入所していたほうが,母は幸せだったにちがいない"という言説,"行政職員が「らい予防法」に従って適切な対応をしなかったのは問題だ"という言説,そして,"阪大病院のハンセン病治療は,患者家族の経済的立場を十分に考えておらず,治療内容も患者とその家族に十分な説明のないままの診療実験にすぎなかったのではないか"という言説は,2001 年の熊本地裁判決,その後の「ハンセン病問題に関する検証会議」の『最終報告書』(2005年)などによって積み上げられてきたハンセン病問題をめぐる現在の共通理解とは,一見対立するかのようである。しかし,わたしたちの理解によれば,TM の語りは,「らい予防法」体制下の「強制隔離政策」というものは,たんに,当事者の意思にかまわず強制的にハンセン病療養所へと患者を引っ張ってきて閉じ込める《収容・隔離の力》だけでなく,社会のなかに患者とその家族の居場所を徹底的になくして,ときに,患者みずからに,あるいは,患者の家族に,療養所への入所を望ませさえする《抑圧・排除の力》をもつくりだすことによって,はじめて機能していたということ。非入所を貫いたということは,この後者の《抑圧・排除の力》を長年にわたって浴びつづけたことにほかならないこと。それへの憤りが,母親の老人ホームでの差別的扱いで一挙に噴出したことをこそ,雄弁に物語っていると読み取れる。TM の語りは,ハンセン病療養所に「強制隔離された生活」が人権を根こそぎ剥奪された生活だったとすれば,「非入所者」としてハンセン病療養所に入所せずに社会のなかで暮らしつづけることも徹頭徹尾心のやすらぎを奪われた生活であったことを,鮮明に物語っているのだ。