著者
池田 隆一
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告デジタルドキュメント(DD) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.1998, no.59, pp.9-16, 1998-07-17

当社は,HTML言語の知識を持たないユーザーがHTMLを利用した文書(そのほとんどはいわゆる「ホームページ」と呼ばれるもの)を作成するためのHTMLエディタ「こざいく」を開発した.本稿では主にHTML文書のブロック構造,文書間・文書内のリンクの張り方に関して1.HTML言語をユーザーが意識しなくても良い.2.ブラウザ時のイメージと編集イメージの間に違和感を生じさせないの2点を両立させるために「こざいく」で採用した編集形態について述べる.We developed HTML editor "COSAIC" for the user who did not have knowledge of HTML language to make the document which utilized HTML. This report describes the editing form that was adopted with "COSAIC" in order to let next two characteristic be compatible: 1. not need knowledge of HTML language. 2. does not produce a difference on appearance in browsing and editing.
著者
藤原 聖子
出版者
東京大学文学部宗教学研究室
雑誌
東京大学宗教学年報 (ISSN:02896400)
巻号頁・発行日
no.29, pp.1-16, 2011

論文/ArticlesIn a review of the 10-volume Iwanami Kōza: Religion (2003-4) Richard Gardner said, "I must admit some surprise at the Western scholars of religion not referred to in these volumes. I count two references to Jonathan Z. Smith, who has probably done more than any other scholar to alter the study of religion in the United States in the last thirty years or so." This article would be the first attempt in Japanese to discuss and evaluate Smith's works by contextualizing them in the history of religious studies in North America, instead of merely portraying him as a critic of Eliade. Smith could aptly be called a scholar of religion who initiated what would later be called constructivist (anti-essentialist)/Orientalist critique from within the History of Religions (or, the so-called Chicago School). As such, his works cannot be univocally categorized by "-isms" or schools. What is most intriguing is that, while labeling the Eliadian phenomenology of religion as "antihistorical," he often shows sympathy for Lévi-Strauss and admits the influence of his structuralism upon himself. I analyze how he has combined typology with history, and then bring to light his own "humanism," which underlies not only his works but also those of some other Marxist and Freudian scholars of religion in North America.
著者
海老澤 哲雄
雑誌
帝京史学
巻号頁・発行日
no.19, 2004-02-17
著者
鄭 敬珍
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.151-181, 2016-03

1764年の通信使行は、使行のすべてを尽くしたと評価されるほど、苦難に満ちた使行であったが、日本人との詩文や筆談の唱和を通した文化交流は、どの使行よりも盛んに行われたといわれている。本稿は、この1764年の朝鮮通信使の日本来聘の際に、大坂で行われた朝鮮の製述官・書記と木村蒹葭堂をはじめとする蒹葭堂会の人々の交遊を再考察するものである。この交遊については、すでに高橋博巳をはじめ、先行研究において論じられてきたが、その交遊を可能にした背景や、朝鮮側の人々については、十分な考察が行われてこなかった。一方で、朝鮮の書記・成大中が依頼したとされる「蒹葭雅集図」の製作過程についても再考察の余地があると考えられる。 本稿では、まず、朝鮮側からの視点に寄り添って、蒹葭堂会の人々と交遊した製述官や書記たちが「庶孼」という庶子の身分であったことに注目した。庶孼身分と朝鮮通信使との関連性について分析すると同時に、彼らが朝鮮通信使に参加する前からすでに、詩社などを通し、文人との交遊を持っていたことも明らかにした。 本稿は、使行録の記録を分析材料として取り上げ、日本ではほとんど注目されてこなかった、製述官・南玉の『日観記』を中心に、江戸に向かう前と帰路の大坂での記録を時系列で追うことを試みた。このような考察を通して明らかになったのは、朝鮮側の製述官や書記たちは、通信使として派遣される前から文人詩社に集い、文人としての経験を培っていた、ということである。そして、そのようなことが、1764年の交遊を可能にした一因になっていたのである。多様な階層の文人による蒹葭堂会と、朝鮮社会の特殊な身分の「庶孼文人」たちの間に、文人として認識が共有されていた可能性は、交遊の産物である「蒹葭雅集図」の製作意図を考える上でも重要な意味を持つ。「蒹葭雅集図」の意味合いについては、今後の課題として、「蒹葭雅集図」と朝鮮後期の雅集図との比較分析を行うなど、さらなる考察を加えていきたい。本稿が、朝鮮通信使に関する研究だけでなく、近世日本と朝鮮社会における多様な「文人」の有様を考察する上でも、有効な手がかりとなることを期待したい。
著者
鈴木 みどり
出版者
一般社団法人 情報科学技術協会
雑誌
情報の科学と技術 (ISSN:09133801)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.388-395, 1998
参考文献数
15

メディア・リテラシーとは何かについて, 理論と実践の両面から概観する。多様な領域で行われてきたメディア研究を3つの流れに整理して振り返ると, それらの流れの接近と交差が顕著になる1980年代に, メディア・リテラシー研究という独自の研究領域が形成されてきたことがわかる。本稿では, このような理論的位置づけを行う一方で, メディア・リテラシー研究の基本的枠組みについて述べる。さらに, メディア・リテラシーの実践として, 学校教育, 市民講座, メディアによる取り組み, パブリック・アクセス活動, の4側面からその展開を概観する。
著者
山下 光
出版者
JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.175, pp.175_144-175_157, 2014

This article examines new/neo humanitarianism in a wider context of post-Cold War international relations and argues that its emergence corresponds to an important shift in the meaning of the political in today's international relations. It describes the shift in terms of the contrast between two logics of politics: the conventional "logic of distinction," whereby political processes take place between territorially separated, sovereign entities, and the newer "logic of translucency" in which new values (and risks) are generated by the actor's ability and will to extend beyond its material and ideational boundaries. The logic of translucency has been adopted by many actors who thereby aim to generate new values and extend the reach of their own activities. From this perspective, new humanitarianism, which seeks linkage to the activities that were once off limits to traditional humanitarianism (military intervention, development and governance), can be seen as another example of the ideational and practical socialization to a new political landscape. However, as political actors acting on the logic of translucency each try to extend themselves beyond their traditional realms, dilemmas, contradictions, clashes and conundrums tend to occur: the logic of translucency ironically thus generates diverse forms of "murkiness," creating in turn a new desire for translucency.<br>The current crisis in humanitarian assistance (kidnappings, killings and obstructions against humanitarian personnel) can be seen as part of the murky consequences of new humanitarianism and politics and, as such, cannot be blamed solely on the post-911 tendency of the humanitarianization of politics, i.e., the utilization by state authorities and militaries of humanitarian arguments and programs to serve their ends. This article also suggests that new humanitarianism as well as its murky consequences cannot be wished away by insisting that humanitarianism should go back to the basics, because the changing nature of humanitarianism has deeper roots in the changing nature of politics in general.
著者
尾崎 耕司
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.43-64, 2012

本稿は、日本の西洋医学導入の過程について、特に明治維新の開始から明治三年に政府がドイツ人医師招聘に踏み切るまでの過程を再検討しようとするものである。西洋医学採用の過程については、従来から分厚い研究蓄積がある。しかし、従来の研究はやや安易に聞き取り史料に頼る傾向があり、実証の面で不十分さが否めなかった。本稿も、史料の乏しさからこれをすべて覆せるものではないが、新たに発見された史料を用いて、少しでも事実関係を明らかにしていこうとするものである。具体的には、『松岡時敏関係文書』や東京大学医学部図書館所蔵文書、関寛斎の『家日記抄』などを手がかりに、日本の西洋医学導入が、まずドイツ人医師招聘ありきではなかったこと。そうではなく、当初学校権判事の松岡時敏や、医学校取調御用掛及権判事の岩佐純、相良知安らが模索したのは、医学校兼病院でのイギリス人医師とオランダ人医師との併用であったこと。この併用計画をイギリス側が拒んだ明治2年5月頃からむしろ相良らによるそれへの排斥が起こり、ドイツ人医師招聘への転換が図られたこと、等があきらかになる。
著者
片岡 祥 園田 直子
出版者
久留米大学
雑誌
久留米大学心理学研究 (ISSN:13481029)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.11-18, 2008

本研究は,恋人に対する「依存」のしやすさとアタッチメントスタイルとの関連を検討したものである。被験者は大学生123名(男性53名,女性70名)であった。25項目からなる恋人依存尺度を因子分析したところ,"恋愛不安"と"恋人中心"の2因子が見出された。そして,恋人版に修正した30項目からなる一般他者を対象としたアタッチメントスタイル尺度(ECR-GO)を用いて参加者を4群に分類し,"恋愛不安"と"恋人中心"の2因子の得点の違いについて比較したところ,恋人にもっとも依存するのはとらわれ型,もっとも依存しないのは拒絶型であった。また,恐れ型と安定型を比較すると,両型とも"恋人中心"に差はなかったが,恐れ型は"恋愛不安"が高く,安定型は"恋愛不安"が低かった。その結果,恋人に対する"依存"には関係に対する不安と恋人を中心に考える程度という2次元があり,アタッチメントスタイルの違いが恋人に対する"依存"の程度を予測できることが示唆された。
著者
大河内 泰樹
出版者
一橋大学
雑誌
一橋社会科学 (ISSN:18814956)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.217-241, 2008-06

ハーバーマスは六八年の「認識と関心」と題された論文と単著で、カント及びドイツ観念論から取り入れた「関心」の概念を用いて、イデオロギー批判としての認識論を展開した。そこでは、三〇年代のホルクハイマーの議論に依拠しながら、理論は特殊な関心によって導かれているとし、技術的関心が経験的分析的科学、実践的関心が歴史的解釈的科学を基礎付けていること、そして解放的関心に基づく自己反省によって批判的科学がもたらされることを主張していた。ハーバーマスは後に認識論による批判理論の基礎付けというこの路線を放棄することになるが、彼がまだこの段階で人類の類的な発展としてのヘーゲル/マルクス的発想を保持していることを見ることができる。しかし他方でハーバーマスが「批判理論」の継承者とみなされるきっかけとなったこの著作においてすでに、彼が狭いと考えていたホルクハイマー/アドルノらの理性概念を乗り越えようとしているのも明らかである。本稿では、ハーバーマスがこれらの著作で取り上げる「関心」概念が、カントおよびその後のドイツ観念論においていかに位置づけられ、ドイツ観念論そのものの展開にどのような意義を持っていたのかを再検討する。これを通じて、「関心」の概念がそもそもドイツ観念論では理性に対する懐疑という問題系において導入されているにもかかわらず、ハーバーマスが意図的に理性批判としてのこの概念のポテンシャルを切り詰め、積極的な理性概念を展開する戦略をとっていることを明らかにする。