著者
神川 康子
出版者
富山大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

本研究では、子ども達の心身の健全な発達のために、睡眠が果たす役割は重要であると考え、生活実態調査と、実験観察をおこなった。1996年から1998年にかけて実施した小学生から大学生までの児童・生徒の生活実態調査の結果と、実験観察の結果を整理し、つぎのようなことを明らかにした。1.小学生から大学生まで、学年段階が進むにつれて就寝時刻が遅くなり、それに伴って起床時刻も遅れがちになる。2.睡眠・覚醒リズムが著しく夜型に移行するのは、中学生の時期である。3.生活が夜型になると、睡眠評価も低下し、日常生活においても「だるさ」や「疲労感」を感じ、「イライラする」頻度も高くなる。4.生活リズムの乱れはつぎのような悪循環となりやすい。「夜更かし→自立起床ができない→朝食が食べられない→排便不規則→朝からでも疲れている→疲れたが口癖→学校であくび・居眠り→忘れ物→些細なことやわけもなくイライラ→昼間の活動量が低下→夜寝付きが悪い→夜更かし→」。この循環を断ち切るための生活の見直しが必要であると考えられる。5.これまでの研究の成果を踏まえて、つぎのような提案を行い、こども達の生活改善を促したい。提案1:成長期におけるこどもの心身の成長に睡眠は重要な役割を果たすことを、こども自身はもとより、親、教師も知ることが必要である。提案2:夜更かしは小学校高学年頃から徐々に始まり、中学生頃に顕著になっていく傾向とともに、情緒の安定性にも影響がみられるので、親や教師の生活指導にもこれらの観点が必要である。提案3:生活リズムの乱れを修正するために(1)少しずつでも就寝時刻を早める(2)休日でも起床時刻だけは大幅に変動させない(3)朝目覚めたらできるだけ自然の光を浴びる(4)毎日、少し汗ばみ体温が上昇するような運動をすること等が有効である。提案4:こどもの生活リズムを修正するためには、こどもの発達段階に合わせて、就寝時における親や家族の配慮と協力が必要である。

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著者
伊藤永之介 著
出版者
版画荘
巻号頁・発行日
1937

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1913年11月08日, 1913-11-08
著者
佐々木 明
出版者
信州大学
雑誌
人文科学論集. 人間情報学科編 (ISSN:13422782)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.115-140, 2000-03

The purpose of this paper is to establish the global outline of the Boreal and the Early Atlantic culture-temprature correlation. 5. The early and middle Boreal (7.9-7.1kaBC) was under fluctuant amelioration toward the B. hypsithermal (7.1-6.6kaBC). Polarward shifted midlatitude high pressure began to dessicate northern Sahara, but newly rained warm grassland in the southern part attracted immigrants. Preceramic meditteranean farmers climbed the gorge of the overwarming Lift Valley to diffuse over the cool Fertile Crescent and a part of their descendants further emmigrated in B.H. to cooler upland steppes, especially to central Anatolia whose copper resource accelerated the Crescent's chalcolithization. Monsoon development moistened continental South Asia to accomodate microlithic Iranians, eastern Central Asia to allow the East Asian ceramic-neolithic penetration, and central and northern China to initiate oryza agriculture. 6. The Early Antlantic opened with short but rapid deterioration which was followed by persistent fluctuation (E.A. interhypsithermal : 6.6-6.2kaBC), and by the E.A. hypsithermal (6.2-5.6kaBC). Midlatitude desiccation transferred the Saharan economy from fishery to nomadic stock rising, forced the Mesopotamian craftsmen to produce the painted wares of higher exchange value to meet their own subsistence demand, and began to force the Mesopotamian population to concentrate into the lower and irrigated areas. Ameriolation gave impetus to ceramic-neolithization both in the Black Sea-Donau areas (their copper resource drawing mediterranean migrants) and in lran-southwestern Central Asia, and to incipient setaria agriculture in northern China. Discussion is summarized as ; (i) 'migration' in this paper is the time-area bound sum total of individuals' movement, is motivating factor for acculturation and is critical countermeasure against fatal crises, (ii) the earliest microlithic industries were technological response to the glacial reduction of pebbled riverbeds, the main suppliers of stone tool materials, and (iii) in the early Holocene the natural size reduction and species diversification of ameliorating faunas paralleled the 'archaic' hunting strategy, nonexistent was the coastal. fishery dependency for which archaeological evidences were eustatic incidents (older and lower sites having been demolished), the polarward migration of the species of intensive gathering, when human-assisted, evolved itself to the incipient agricuture, an achievement having experienced an intermediate millenium, and several mammal species of fitted ethology were polygenetically domesticated as husbandry livestocks.
著者
黒柳 恒男
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.7, no.3-4, pp.95-110,144, 1964 (Released:2010-03-12)
参考文献数
19

Sufism played a great role in the classical Persian literature which flourished from the tenth century to the fifteenth century. We may regard a poet to be a Sufi by nature and a Sufi is incomplete without ecstacies of a poet.The first Persian Sufi poet was Abu Said Abi'l Khair who employed ruba'i form as a mode of Sufi expression. Sanai, Attar, Rumi and Jami expressed Sufism chiefly in mathnavi form.Persian Sufism found its highest expression in ghazal, the greatest exponent of which was Hafiz.The conventional symbolic language is characteristic of Sufi poetry. It is said that every object mentioned by Sufi poets is typal of some philosophic or Sufi conception.In this article I divided Sufi symbolic terms into the following five categories chiefly based on the great Sufi poet Iraqi's work.(A) Terms on the parts of human body.(B) Terms on wine(C) Terms on religion.(D) Terms on plants.(E) Terms on nature.(F) Terms on love.
著者
畔上 泰治
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

1. 本年度においては,「第三帝国」期における「保護教育」の実態を中心に研究し、研究報告書(約200頁)の作成を中心に作業を進めた。2. ナチ政権下で「保護教育」の名の下に行なわれた、「非社会的」少年・少女に対する取り組みは、「問題のある」少年・少女を教育・福祉施設から追放し、強制的に収容所に隔離することを中心に進められた。この時代の社会・福祉教育は、当該者自身にとっての福利・厚生という観点以上に、治安・警察的観点が前面に出されて行なわれた。「少年保護収容所」という名の下に、モーリンゲン及びウッカーマルクに少年強制収容所が造られた。そこでは、少年・少女たちに対して犯罪生物学的選別や遺伝状況に関する検査が行なわれ、「教育」という言葉の下に、過酷な労働が強いられていた。3. ナチ政権下でのこうした手段には、既に伏線があった。ヴァイマル共和国時代から既に、取り分け世界恐慌による経済危機の中で、経済性・効率性の追求は社会・福祉教育にも及んでいた。教育理念・方法への反省には触れることなく、それまでのこの分野における大きな成果の欠如の原因は、「問題のある」少年・少女自身へと還元された。彼らを強制的に施設に収容するための法整備を求める運動が進められていた。また他方において、ナチ時代のこの思想・方法は、戦後ドイツの少年政策の領域においても唱えられていた。ナチ政権下で大きな影響力を持っていた人間が、戦後もこの分野において活動しつづけていたのである。4. ドイツの少年「保護」政策における連続性という観点からは、ナチ政権下での「強制保護」思想は、過去からの流れの中に位置付けられ、また、戦後も、部分的とはいえ、引き継がれて行く。ネオ・ナチ問題が深刻となっている現在、その対策として講じられる少年政策が、いかなる思想・理念に基づき講じられているのか、今後詳しく研究する必要がある。
著者
林田 新
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.97-108, 2011-06-30

INA Nobuo is known as the photo critic who emphasized the medium specificity of photography in his essay "Return to the Photography" in 1932 and who theorized and encouraged the reportage-photography. So researchers regarded his concept of reportage-photography as the consequence of pursuing the nature of photography. But it's a little known fact that he edited the graph-montage entitled "Scoping out the Crisis" on the magazine Hanzai-Kagaku in 1932. Interestingly, he used not only photographs but also some illustrations in his work. The aim of this paper is to re-examine his concept of reportage-photography through discussing the reason why he used some illustrations. In the era of "Ero-Gro-Nonsense" not a few books insert some erotic and exotic images to gratify the reader's desire. In response, rendering the exploring, consuming or looking people by caricatures, and the explored, consumed or looked people by photographs, his graph-montage represents class confrontation and the photography as spectacle negatively, because he assumed that photographs has to be used to convey "thought and emotion" clearly through the printed media. In this way he valued the editing on the printed media more than the property of automatic recording.
著者
松田 康子 松本 仲子
出版者
一般社団法人日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.249-256, 2000-05-20
参考文献数
6
被引用文献数
1

調理素材の変化や新しい調理器具の出現によって、従来の調理法とは異なる、より望ましい方法があるものと考えられる。そこで日常の料理をもとに、簡便化を主目的に、各料理をいくつかの器具や操作で調理し、官能評価して、それらの間に差がみられるか否かについて検討した。あじの塩焼き、さけのムニエルでは、降り塩の時間を変えて比較したが、時間の間に有意差はみられず、またみそ漬け前の降り塩の時間の違いについても有意な差は認められなかった。ハンバーグについては、パン粉を牛乳に浸すものと浸さないもの、タマネギを炒めるのと炒めないものとを比較したところ、パン粉を牛乳につけるか否かについては有意差はみれなかったが、タマネギについては嗜好が二分した。厚焼き卵については、卵液を濾したものと漉さないものを比較した結果、有意差はみられなかった。ソテーに用いるホウレンソウの下処理については、適当な長さに切ってから茹でたものが有意に良いと評価された。かぼちゃのコロッケでは、かぼちゃを裏漉す、すりこ木で潰す、フードプロセサーで潰すの三方法に好みが分散した。豚カツについては肉叩きで叩く、叩かないの間には有意差は認められなかった。こんぶとかつお節のだし汁のとりかたについては、こんぶを沸騰直前に取り出さず、かつお節とともに加熱してから濾し取る方法が有意に高く評価された。みそ汁に用いる油揚げについて油ぬきしたものと、しないものについて比較した結果は、両者間に有意差はみられなかった。
著者
山邊 信一 小原 繁 松下 叔夫 鷹野 景子 長嶋 雲兵 細矢 治夫
出版者
奈良教育大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1995

3年間にわたりデータチェックプログラムの改良を行い、データの追加における標準化、定式化をすすめた。また、データの誤り検出に活用するQCLDB辞書とそれを作成・充実するプログラムを改良したこの誤り検出プログラムは、収集済みの全文献データを対象として辞書を作成することと、粗データ中の全単語と辞書中の単語を高速に比較し、粗データ近傍に誤り内容を出力する機能を有する。このプログラムを利用して、1996年の収集粗データをある程度精製し、その後の本研究の班員が目の子作業による再精製を行ったところ、年号の間違いなど新しいミスを見つけだし、本検出プログラムの有効性を確認した。平成9年度加えたデータは、4005件で、全データ数36856件に上り、データ増大に対応できる新しい検索システムの構築が急務である。そこで次期データ検索システムのデザイン検討のため、市販のデータベースソフトを試験的に購入し、検索システムとしての評価をおこなった。さらにインターネットに対応したデータベース配布と検索支援システムの構築に関し、現在持っている検索プログラムをcgiとして利用して、分子科学研究所電子計算機センターのWWWで試験公開し、本格的な公開に向け、リレーショナルデータベースとの連係を中心にデータ内容と管理・運用の技術的な問題点の検討をすすめた。また海外のミラーサーバー構築のため、スイス、アメリカの研究グループと交渉をはじめた。この他、粗データの質的向上を目的に収集・査読者を対象とした講習会を分子構造総合討論会期間中に行った。またQCLDBを量子化学者のみならず実験家にもより広く利用してもらうため、ICQC(アトランタ)及び国際会議(福岡カンファレンス)でデモンストレーションを行った。研究成果として、1996年分QCLDBを冊子として学術雑誌THEOCHEMに掲載し、別に磁気デ-プ版を作成、配布した。
著者
下邑政弥, 古屋厚一 編
出版者
高田クラブ
巻号頁・発行日
vol.1965年版, 1965
著者
木村 克美 小倉 尚志 阿知波 洋次 佐藤 直樹 長嶋 雲兵 春日 俊夫 長倉 三郎 中村 宏樹 谷本 能文 北川 禎三 大野 公一 吉原 經太郎 OGURA Haruo
出版者
岡崎国立共同研究機構
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1988

わが国とスウェ-デンとが共通に関心をもち,かつ共に高いレベルを保持している分子科学の諸分野において相互に研究者を派遣し,国際共同研究の態勢をつくり,研究の発展に貢献しようとする目的で本研究課題がとりあげられた.昭和63年3月分子研長倉所長とウプサラ大学シ-グバ-ン教授の間で共同研究の合意書が取り交わされ,これが今回の三年間の共同研究のベ-スになっている.とくに光電子分光及び光化学磁場効果の分野をはじめ,時間分割分光,シンクロトロン放射光科学,理論化学の分野も含められた。ウプサラ大学はESCAのメッカであり,K.シ-グバ-ン教授(昭和56年ノ-ベル物理学賞受賞)の開拓的な仕事が今も受けつがれている.同教授は現在レ-ザ-ESCA計画を遂進中で,新しい装置の開発に取り組んでいる.とくにレ-ザ-技術を導入するESCAとトロイダル回折格子を用いる高分解能光電子分光において,分子科学研究所の協力を求めている.分子研木村らはすでにレ-ザ-光電子分光で進んだ技術をもっており,シ-グバ-ン教授に協力することができた.木村の協力研究者であった阿知波洋次都立大助教授をウプサラに派遣し,レ-ザ-光電子装置の立上げに協力し,ウプサラで最初の光電子スペクトル(レ-ザ-による)が得られた.一方,共鳴線(NeI,HeII)用のトロイダル回折格子は日立の原田達男博士の協力を得て,実現し,高分解能実験の成果を期待している。ウプサラ大物理学研究所C.ノ-ドリング教授はESCAの初期に活躍した人であるが,現在はX線分光の研究を行っているが,ルント大学のシンクロトロン放射光施設でも新しい装置を製作しており,本研究課題の二年目に分子研に招へいすることができ,今後のシンクロトロン放射光研究における共同研究についても意見交換を行い有益であった。光化学反応の磁場効果の研究では長倉三郎総合研究大学院大学学長が開拓的な業績をあげているが,今回のスウェ-デンとの共同研究では,第一年次にウプサラ大学を訪問し,アルムグレン教授と光化学磁場効果について討議をかわした.谷本助教授(広島大)も光化学反応の磁場効果の研究でウプサラ大を訪れ,アルムグレン教授とミセル溶液に代表される微視的不均一溶液系の物理化学過程のダイナミックについて討議した.それぞれ今後の協力関係の基礎がきづかれた。時間分解分光では,カロリンスカ研究所のリグラ-教授は生体系のピコ秒時間分解蛍光分光法およびピコ秒光応答反応について,シンクロトロン放射光による研究と合せて,わが国との協力を希望しており,今後の協力関係が期待できる分野であることがわかった.生体分子構造の分野では分子研北川教授と小倉助手がイェテボリ大学及びシャルマ-ス大学のマルムストロ-ム教授を訪れ,チトクロ-ム酸化酵素に関して密接な協力研究を行った.今後の共同研究の基礎づくりができた。とくに小倉助手はニケ月の滞在で,マルムストロ-ム教授の研究室で,チトクロ-ム酸化酵素の時間分解吸収分光の研究とプロトン輪送の分子機構の理論的研究を行った。東大佐藤助教授はリンシェ-ピン大学の表面物理化学研究室のサラネック教授を訪れ,二ヵ月滞在し,この間に電子分光法による導電性高分子(とくに共役系高分子)とその表面の電子構造の研究で大きな成果をあげ,今回の日本-スウェ-デン共同研究の一つのハイライトでもあった。分子研長嶋助手はストックホルム大学シ-グバ-ン教授を訪れ,ニヵ月滞在して遷移金属錯体の電子構造の理論的計算を行うための計算機プログラムの開発について協力研究を行った。さらに分子研春日助教授は一年目にルント大学マツクス研究所(放射光実験施設)を訪れ,ストレッジリングの加速電子の不安性に関する種々のテスト実験を共同で行い,両者の放射光施設の発展のために有益な実験デ-タが得られた。三年目にはウプサラ大学で,分子科学第一シンポジュ-ムを開催することができ,日本から6名がスウェ-デンから12名の講演者がでて,全部で50名ほどのシンポジュ-ムであったが,極めて有意義なものであった.スウェ-デンとの交流のパイプは少しづつ太くなっており,今後の協力関係が期待できる.