著者
中山 晴代 (山口 晴代)
出版者
筑波大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2008

いくつかの原生生物において、捕食した藻類を短期間細胞内に保持し、一時的な葉緑体として使うことが知られている。この一時的な葉緑体のことを盗葉緑体と呼ぶ。この盗葉緑体を持つ状態は葉緑体獲得へ至る中間段階であると考えられており、盗葉緑体を持つ生物を研究することは細胞内共生による葉緑体獲得過程を理解する上で重要である。私は盗葉緑体を持つ無殻渦鞭毛藻Amphidinium sp.を研究対象にその共生体の起源を解明するとともに、分類がきちんとされていないAmphdinium sp.共生体であるクリプト藻Chroomonas属/Hemiselmis属の分類学的研究を行うことにした。本年度は、1.クリプト藻Chroomonas属藻類の系統分類学的研究を行い、Chroomonas属/Hemiselmis属の分子系統解析をし、その分類体系を検討した結果、Chroomonas属/Hemiselmis属藻類すべてをChroomonas属に所属させ、属内でさらに7つの亜属にわけるのが妥当であるとの結論を得た。また、2.渦鞭毛藻Amphidinim sp.の新種記載の論文執筆をした。分子系統解析や外部形態の情報を元に、本種はAmphdinium属ではなく、Gymnodinium属の新種とすることが妥当だと考えられ、G.myriopyrenoidesと命名した。論文の中で、本種と同様に盗葉緑体を持つ種の宿主と共生体の共生段階を比較し、その共生段階に更なるバラエティーがあることを示した。さらに3.クリブト藻Chroomonas属/Hemiselmis属藻類の系統分類に関する論文執筆に取りかかったが、これに関しては追加でHemiselmis属藻類の微細構造データを取りつつ進める必要がある。
著者
北川 宏
出版者
筑波大学
雑誌
筑波フォーラム (ISSN:03851850)
巻号頁・発行日
no.62, pp.125-127, 2002-06

筑波大学に異動してはや2年になる。大学を卒業してから、国立研究所、大学院大学に在職していた関係で、講義と学生実験を担当するのは初めてで準備が大変である。その一方で、学部学生と接するのは久しぶりで気持ちが若返ったような気がする。 …
著者
中井 滋 政金 生人 秋葉 隆 井関 邦敏 渡邊 有三 伊丹 儀友 木全 直樹 重松 隆 篠田 俊雄 勝二 達也 庄司 哲雄 鈴木 一之 土田 健司 中元 秀友 濱野 高行 丸林 誠二 守田 治 両角 國男 山縣 邦弘 山下 明泰 若井 建志 和田 篤志 椿原 美治
出版者
The Japanese Society for Dialysis Therapy
雑誌
日本透析医学会雑誌 = Journal of Japanese Society for Dialysis Therapy (ISSN:13403451)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.1-30, 2007-01-28
被引用文献数
19 7

2005年末の統計調査は全国の3,985施設を対象に実施され, 3,940施設 (98.87%) から回答を回収した. 2005年末のわが国の透析人口は257,765人であり, 昨年末に比べて9,599名 (3.87%) の増加であった. 人口百万人あたりの患者数は2,017.6人である. 2004年末から2005年末までの1年間の粗死亡率は9.5%であった. 透析導入症例の平均年齢は66.2歳, 透析人口全体の平均年齢は63.9歳であった. 透析導入症例の原疾患毎のパーセンテージでは, 糖尿病性腎症が42.0%, 慢性糸球体腎炎は27.3%であった.<br>透析患者全体の血清フェリチン濃度の平均 (±S.D.) は191 (±329) ng/mLであった. 血液透析患者の各種降圧薬の使用状況では, カルシウム拮抗薬が50.3%に, アンギオテンシン変換酵素阻害薬が11.5%に, アンギオテンシンII受容体拮抗薬が33.9%に投与されていた. 腹膜透析患者の33.4%が自動腹膜灌流装置を使用していた. また7.3%の患者は日中のみ, 15.0%の患者が夜間のみの治療を行っていた. 腹膜透析患者の37.2%がイコデキストリン液を使用していた. 腹膜透析患者の透析液総使用量の平均は7.43 (±2.52) リットル/日, 除水量の平均は0.81 (±0.60) リットル/日であった. 腹膜平衡試験は67%の患者において実施されており, D/P比の平均は0.65 (±0.13) であった. 腹膜透析患者の年間腹膜炎発症率は19.7%であった. 腹膜透析治療状況に回答のあった126,040人中, 676人 (0.7%) に被嚢性腹膜硬化症の既往があり, 66人 (0.1%) は被嚢性腹膜硬化症を現在治療中であった.<br>2003年の透析人口の平均余命を, 男女の各年齢毎に算定した. その結果, 透析人口の平均余命は, 同性同年齢の一般人口平均余命のおよそ4割から6割であることが示された.
著者
野口 恵美子
出版者
筑波大学
雑誌
特定領域研究
巻号頁・発行日
2008

小児アトピー性喘息患者942名vs成人コントロール2370名の55万SNPの全ゲノム関連解析を行った。55万SNPのうち、常染色体に存在し、かつminor allele frequencyが0.01以上のSNPは453,047個であった。さらに、コントロールにおけるHardy Weinberg平衡がP<0.0001である1,170SNPを除外し、最終的な解析データとした。一次解析におけるGenomic Inflation factorは1.053であった。アレル頻度の比較では、6番染色体短腕のHLA領域で強い関連が認められた(P=7.7×10-9)。そのほかにも2番染色領域、12番染色体領域にP<1×10-7が存在した。HLA領域のSNPと小児アトピー性喘息との関連については独立した症例対照サンプルおよび家系サンプルにおいても追認されている(P<0.05)さらに健康成人76名を対象としてHuman 610Quadを使用してタイピングを行い、別の研究成果として得られているCD4陽性T細胞およびCD14陽性モノサイトの網羅的遺伝子発現データ(イルミナHuman Ref8)と遺伝子型データを統合したデータベースの構築を情報支援班の支援を受けて作成しており、今後公開予定としている。
著者
澤尻 昌彦 野村 雄二 滝波 修一 谷本 啓二
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

放射線生物学や環境変異原の研究にメダカが利用され,咽頭歯骨には破骨細胞の存在するため放射線照射後の破骨細胞性骨吸収における変化の解析を試みた。放射線照射メダカの破骨細胞の活性を経時的に計測した。炭素線照射メダカでは抑制され炭素線照射によって破骨細胞の活性は低下することが示された。免疫染色によって破骨細胞誘導因子を確認すると炭素線照射メダカの咽頭歯周辺では破骨細胞誘導因子が阻害されることが示された。
著者
山田 和志
出版者
京都工芸繊維大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

研究代表者は、金ナノ粒子をガラス基板上に固定化し、そこへポリマーコーティングを行いナノ加工ターゲット基板を作製した。その基板に対して波長532 nmの可視光レーザーを大気中下で照射することにより、レーザーアブレーションを誘起させ、ポリマーコーティング膜およびガラス基板上へ世界最小のナノ加工(加工サイズ10~30 nm)を行うことに成功した。また、金ナノ粒子のサイズまたはコーティング薄膜の厚みや種類等を変えることにより、ナノ加工サイズや形状を制御できることを見いだした。
著者
Tatsuro Ishizaki Taketo Furuna Yuko Yoshida Hajime Iwasa Hiroyuki Shimada Hideyo Yoshida Shu Kumagai Takao Suzuki
出版者
日本疫学会
雑誌
Journal of Epidemiology (ISSN:09175040)
巻号頁・発行日
vol.21, no.3, pp.176-183, 2011-05-05 (Released:2011-05-05)
参考文献数
33
被引用文献数
11 27

Background: Few studies have examined whether declines over time in hand-grip strength (HGS) and fast walking speed (FWS) differ by sex and age among non-Western community-dwelling older adults. This study aimed to quantify changes in HGS and FWS over the 6-year period from 1994 to 2000 and examine whether these changes differed by sex and baseline age among older individuals in a Japanese community.Methods: We conducted a community-based prospective cohort study. The participants were 513 nondisabled men and women aged 67 to 91 years at the 1994 survey. Independent variables regarding time since baseline, in addition to various time-dependent and time-independent covariates, were obtained in 1994, 1996, 1998, and 2000. The outcome variables were HGS and FWS assessed at each survey. All data on independent and dependent variables that were collected at each survey were simultaneously analyzed using a linear mixed-effects model.Results: The linear mixed-effects model revealed significant declines in both HGS (−0.70 kg/year, P < 0.001) and FWS (−0.027 m/sec/year, P < 0.001) among nondisabled older participants who had analyzable data in any survey during the 6-year period. Sex was significantly associated with the rate of decline in HGS (P < 0.001), but not FWS (P = 0.211).Conclusions: In this analysis of nondisabled older Japanese, a mixed-effects model confirmed a significant effect of aging on declines in HGS and FWS and showed that men had a significantly steeper decline in HGS than did women during a 6-year period.
著者
高濱 節子 海生 直人 廣光 清次郎
出版者
広島修道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010-04-01

「集団に基づく最適化手法」に対して,探索効率と頑健性を向上させる(1)動的パラメータ調整法の提案と(2)比較推定法を用いた効率的制約付き最適化法の提案,を行い,有効性を示した.(1)では,目的関数形状に基づく調整(①直線に沿った関数値のサンプリングを用いる方法②近接構造と近接グラフを用いる方法),探索点の分布推定に基づく調整,探索点のランク情報に基づく調整を提案した.(2)では,複数の低精度近似モデルについて比較実験し,ポテンシャルモデルを用いた比較推定法とε制約法による制約付き最適化法が効率的であることを示した.
著者
須田 千里
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

日本近代文学館所蔵の芥川龍之介文庫の和漢書465点1822冊と、葛巻義敏寄贈本4点の書き込みを調査した結果、芥川によると考えられる書き込み36点、その他何らかの書き込みのあるもの93点、頁の折られた箇所(または折り跡)のあるもの290点があることをを明らかにした。芥川の書き込みや判明した材源については論文として発表、または紹介した。また、『破邪叢書』第一集が『るしへる』の、『日本に於ける公教会の復活前篇』が『じゆりあの・吉助』『おぎん』『黒衣聖母』の、それぞれ材源となっていることを明らかにした。
著者
岡本 健 藤原 美津穂 青柳 祥子 小林 なつみ 中根 宏樹
巻号頁・発行日
2011-02-23

北見工業大学ピア・サポーター来室記念「ピア・サポート交流会」. 2011年2月23日. 北海道大学ピア・サポート室. 札幌市.
著者
山口 彌一郎
出版者
社会経済史学会
雑誌
社會經濟史學 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.221-227, 1942-05-15
著者
池田 喬
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究「オントロジカルな環境内行為論-ハイデガーの<行為>概念に基づく展開と構築」の最終年度にあたる平成二一年度には、本研究の三つの主要課題である(1)初期ハイデガー研究、(2)フッサールをはじめとする現象学研究、(3)認知科学の動向調査のそれぞれについて以下のような成果を挙げた。(1)初期ハイデガー研究についてはまず、本研究計画の柱であった本国での新資料整備という目的達成に向けて、初期講義録の一冊を翻訳・出版することができた(ハイデッガー全集58巻『現象学の根本問題』虫明茂との共訳)。また、初期ハイデガー研究の成果を活かした二本の論文が公刊された。まず、『存在と時間』の発話作用や言語行為の分析がもつ哲学的含蓄をアリストテレスの「声(フォネー)」の概念との比較検討の上で明らかにした論文が「現象学年報」に掲載された。この論文は本研究の目指す環境内行為論を特に言語行為論の面から展開したものである。さらに、行為者にとっての環境世界の実在性をめぐって、『存在と時間』第一篇の道具的存在性の議論を「存在者的実在論」として提示、その妥当性をハイデガーによるアリストテレス『自然学』の解釈から跡づける論文が「哲学・科学史論叢」に掲載された。この論文は、ハイデガーの環境内行為論がもつ存在論的主張を、ドレイファスやカーマンらの先行するハイデガー実在論研究への批判的取組みの中から最大限に引き出したものである。(2)フッサールをはじめとする現象学研究については、まず、日本現象学会第三一回大会にて英語で行われたシンポジウム「今日の世界の哲学状況におけるフッサール現象学の射程(邦題)」において、Sodertorns大学(スウェーデン)教授ハンス・ルイン氏と東洋大学講師武内大氏の発表に対するコメンテーターという立場で、フッサール現象学の今日的意義について発表・討議した。この発表では、ハイデガーの環境世界との関連の深い後期フッサールの生活世界論がもちうる反自然主義としての哲学的射程を主に論じた(その内容は次号「現象学年報」に掲載される)。また、フッサールに関する国内唯一の専門的研究機関である「フッサール研究会」の年報に、初期ハイデガーが環境世界体験や事実的生経験と呼んだものと『イデーンII』におけるフッサールの環境世界論の関係を明らかにする論文が掲載される。(3)最後に、認知科学の動向調査については、S.ギャラガーとD.ザハヴィという現在最も注目されている、現象学派の「心の哲学」論者による共著(The Phenomenological Mind : an Introduction to Philosophy of Mind and Cognitive Science)の翻訳に従事した(石原孝二監訳で勁草書房から出版予定)。
著者
稲田 利徳
出版者
岡山大学教育学部
雑誌
岡山大学教育学部研究集録 (ISSN:04714008)
巻号頁・発行日
no.113, pp.7-14, 2000-03

尊経閣文庫蔵「和歌御会中殿御会部類」に収められていた新資料の「永徳二年三月二十八日内裏和歌御会」は、巻頭の五首だけの残欠であったが、その三十一首からなる完本が清水文庫に見出された。本稿は、その新資料の内容を検討して、和歌史的意義を述べるとともに、全文の翻刻を行ったものである。
著者
和田 琢磨
出版者
立教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、西源院本・神田本『太平記』を中心に南北朝時代から室町時代にかけての軍記の成立、本文異同の問題などについて考察することにある。本年度の目標は、公的機関でもマイクロフィルムを披見できない『太平記』や『難太平記』をはじめとする関係作品の基礎調査と、古態本『太平記』の本文の問題について考察することにあった。その成果は以下の三点に大略まとめられる。(1)『太平記』伝本の調査古態本の前田尊経閣蔵相承院本『太平記』を調査し紙焼き写真をとった。この伝本調査も踏まえ、古態本『太平記』の研究、本文の校合・調査を進めている。また、古態本ではないが、永青文庫蔵の絵入り『太平記』を一部調査した。この伝本の調査は今後も続けていく予定である。(2)『難太平記』ほか他作品の調査『太平記』の成立過程について具体的に語っている、室町時代初期の唯一の資料である『難太平記』の調査を行った。その過程で、新出伝本を発見した。この伝本についての報告は、次年度にする予定である。本年度は、香川県の多和文庫や長崎県の島原松平文庫にも調査に行き、軍記や中世の作品の原本を調査し、写真に撮った。中には、軍記の享受の問題を考える上で興味深い資料もあり、この資料についても報告する予定である。(3)阪本龍門文庫蔵豪精本『太平記』の調査興味深い伝本であるといわれながら、その内容が知られていない豪精本『太平記』の調査を行った。この調査は今年で6年目になるが、今後も継続していく予定である。
著者
島村 潤一郎
出版者
金沢大学
雑誌
高校教育研究 (ISSN:02875233)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.1-12, 2000-10

四月から三月まで,春夏秋冬,その季節に応じた詩歌を各週,古文の授業の頭に紹介するという「折々の歌」というコーナーを設けてみたことがある。その応用編として生まれた企画の一つがこの企画である。第二弾ということで,今回は「名言」の類をとり扱うことにしてみたが,ただ羅列するだけでは芸がない。というわけで古代エジプトから二十世紀まで,人間の歴史という時系列に沿ってそれらを並べてみた。今回は,ギリシア・ローマ編,アジア編,近代ヨーロッパ編と続くシリーズの第二部である。また「名言をつくろう」というコーナーも途中で設けてみた。以下の記録はここ何年か現代文の授業で行ってきたその企画の授業実践報告である。
著者
池田 十吾
出版者
日本法政学会
雑誌
日本法政学会法政論叢 (ISSN:03865266)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.150-156, 1989-05-20

As the year 1941 wore on, it become obvious that war was inevitable. The decision on the part of the militarists, who were now definitely in the sadle, was cool and calculated. But, the Japanese miscalculated. In this delusion the Japanese showed themselves to be so blinded by their own nationalistic and militaristic propagand. The Japanese started the war with a successful attack on Peal Harbor at dawn on Sunday, December 8, 1941. The Japanese attitude was no more surprising than the resolution and skill with which the Americans started about the task of turning the page for the Japanese. All too often in recent years the United States has not been prepared for the responsibilities which world leadership has forced upon her, but she was ready for the task in Japan. For years the State Department had been preparing for the problems of post-war Japan, and in the months preceding the surrender an over-all American policy had been agreed upon through the State-War-Navy Coordinating Committee. Drawn up by experts, especially Dr. Hugh Borton, unhampered by external political pressures, this policy showed the mark of true statemanship. It was based on the realization that a policy of revenge would only breed harted and unrest. The most important reform of occupational policy was theory concerned the position of the emperor. Many Americans had advocated the trial of the reigning emperor as the major war criminal and the abolition of the monarchy by force. However, Dr. Borton would have thought neither wise nor just. The Potsdom proclamation had promised that the future government of Japan would be "established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people", the vast majority of the Japanese continued to venerate the emperor. Moreover, they were aware that the he personally should not be held responsible for the war.