著者
齊木 千尋
出版者
同志社大学社会学会
雑誌
評論・社会科学 = Social science review (ISSN:02862840)
巻号頁・発行日
no.107, pp.21-54, 2014-01

本研究は,量的研究と質的研究を手がかりとして,子どもの学習をノートや感想文などの記録から分析し,それを量的に転換する授業分析の枠組みを提示した。事例分析によって授業分析の枠組みの検証を行なった結果,本研究の授業分析の枠組みは,授業構成等の有効性を実証するだけではなく,授業の成果から授業理論仮説の生成に利用可能であることが明らかになった。本研究の授業分析の枠組みは,質的研究要素と量的研究要素を併せ持つと言える。論文(Article)
著者
富永 真己 中西 三春
出版者
日本公衆衛生学会
雑誌
日本公衆衛生雑誌 (ISSN:05461766)
巻号頁・発行日
vol.68, no.7, pp.468-476, 2021-07-15 (Released:2021-07-20)
参考文献数
24

目的 国内では,地域包括ケアシステムにおける社会資源の要である介護施設の介護人材の不足が深刻さを増す中,介護職においては就業継続の意向の高さも報告される。本研究は質的研究により,介護職における就業継続の意向の要因について,介護の仕事に関する肯定的側面から明らかにすることを目的とした。方法 半構造化面接を用いた帰納的アプローチによる質的記述的研究法を用いた。近畿圏の11か所の介護施設のユニットリーダー計14人を研究対象者とした。うち女性は9人で,平均年齢は35.0(±6.45)歳であった。2人もしくは3人1組の共同インタビューを2018年8月~11月に計6回実施した。インタビューガイドを用いて面接を実施し,内容は対象者の許可を得て録音した後,逐語録を作成した。逐語録データから介護職における就業継続の意向について,介護の仕事に関し肯定的側面から語られた記述をコードとして抽出し,質的帰納的に分析した。結果 27コードが抽出され,さらに3カテゴリー,すなわち《高齢者への愛着と接することの楽しさ》《人生における先輩の最期の時間への思いと共感》《利用者と家族からの心理的支え》の3サブカテゴリ—から成る【介護の仕事に対する愛着】と,《理性的な職場成員の結束力》《職場内の縦横の良好なつながり》《職場外での同業種とのつながりの機会》の3サブカテゴリーから成る【職場の結束力と職場内外のつながり】,および《上司の心理的報酬と支援》《目標の共有と現場目線の職場運営》《教育体制とキャリア開発の機会》の3サブカテゴリーから成る【支援的な現場目線の職場運営と人材開発】が抽出された。語りから,介護職が抱く仕事に対する愛着と,それに影響を及ぼす人間関係を基盤とした結束力やつながり,職場運営や教育体制といった職場環境が,介護職における就業継続の意向の要因であることが確認された。需要が急速に増す国内の介護人材の確保と定着に向け,仕事への愛着を育む支援と同時に,人間関係を基盤とした職場環境の整備の必要性が示唆された。結論 介護施設のユニットリーダーを対象とした質的記述的研究法により,【介護の仕事に対する愛着】【職場の結束力と職場内外のつながり】,及び【支援的な現場目線の職場運営と人材開発】が介護職における就業継続の意向の要因として抽出され,介護人材の確保と定着の方策に向けた示唆が得られた。
著者
瀧川 幸司 佐藤 充徳 柳 麻子 浅岡 壮平 山下 伸夫 中西 良孝 萬田 正治 柳田 宏一 早川 博文
出版者
日本草地学会
雑誌
日本草地学会誌 (ISSN:04475933)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.37-41, 1997-04-30
被引用文献数
1

放牧地における糞食性コガネムシ類(以下,フン虫と略)の牛糞処理活動が牛糞消失量と不食過繁地の存続期間に及ばす影響について検討した。1994年7月に黒毛和種繁殖牛を輪換放牧しているイタリアンライグラス(Lolium multiflorum Lam.)主体の草地に新鮮放牧牛糞1kgを置き,糞塊へのフン虫飛来を人為的に妨げた無フン虫区,糞を自然状態にしたフン虫区および対照区として無糞区を設けた。糞設置日に早川式ザル法により1kgの牛糞塊に飛来したフン虫を採集し,その個体数を記録した。糞設置後1週間目の糞の消失量を求めるとともに,糞設置後の牛糞塊面積の変化を調べた。糞塊周辺の草丈を測定し,その経日変化を検討した。調査は1994年7月から1995年5月まで行った。1kgの牛糞塊には平均726.6頭のフン虫が飛来し,その中で牛糞を土中に埋め込む能力を持つゴホンダイコクコガネとカドマルエンマコガネは7.2%であった。糞設置後1週間目の糞の乾物消失率については,無フン虫区で6.9%,フン虫区で23.0%であり,フン虫区が有意に高かった(P<0.01)。糞塊面積については,無フン虫区で日間差がほとんど認められなかったものの,フン虫区では糞設置後6日目に有意に増加した(P<0.05)。しかし,いずれの糞塊とも糞設置後282日目には消失していた。糞設置後20日目における草丈はいずれの処理区とも対照区と比べて高く(P<0.01),この時期に不食過繁地の形成が認められた。糞設置後20-300日目では,各処理区間の草丈に有意差は認められず,いずれの区の草丈も漸減した。無フン虫区およびフン虫区における不食過繁地は,いずれも280日間存続した。これらのことから,フン虫は1週間で新鮮牛糞の約4分の1を消失させるものの,不食過繁地の存続期間に及ぼす影響はほとんど認められないことが示唆された。
著者
貝田 さおり 玉川 雅章 渋川 祥子
出版者
日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 = Journal of home economics of Japan (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.147-154, 1999-02-15
参考文献数
5
被引用文献数
3

The optimum frying conditions for beef were determined by heating a 20 mm×50 mm dia. piece of beef in a pan at various temperatures (120, 160, 180, 200 and 220℃). The respective heating times that were necessary to make the center temperature of a samples reach 55, 70 and 85℃ were measured. After heating, the weight loss, thickness, surface color and hardness were also measured. The results indicate that the hardness and thickness were directly related to the center temperature, regardless of the pan temperature. On the other hand, the pan temperature had strong influence on the surface color, and the range of time for good browning at various pan temperatures could be defined. The heating time calculated by applying the unsteady heat conduction in a semi-infinite plate and the surface browning time range were used to determine the optimum heating conditions for beef.
著者
池田 理香子 イケダ リカコ Rikako Ikeda
雑誌
実践女子短期大学紀要
巻号頁・発行日
vol.31, pp.119-124, 2010-03-20

中世の時代から、コンシェルジュは巡礼者が訪れる協会に常に在中し、ホスピタリティー(思いやりと暖かさ)をもってお迎えし、旅にまつわるトラブルを解決し、次の目的に正しく導くお手伝いをしていたという歴史が存在する。現在、コンシェルジュは、ホテルに於いてその地位を確立している。コンシェルジュはという職業が中世の時代、どのように誕生し、そして発展していったのかを探りながら、真のサービスについて考えてみたい。Since middle ages, Concierge already existed in the church which many pilgrims were visiting. Concierge was welcoming them with the hospitality and try to solve any problems may occur during their trip, also Concierge were escorting them to their next destination with correct advices. Now, Concierge is establishing their position as profession in Hotel industry. We would like to consider about his Ultimate Service by searching the root of Concierge Profession and its development.
著者
大谷 隆浩 菅澤 翔之助 野間 久史
出版者
日本計算機統計学会
雑誌
計算機統計学 (ISSN:09148930)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.17-33, 2018 (Released:2019-02-27)
参考文献数
41

過去十数年の間に世界中で行われたゲノムワイド関連解析 (genome-wide association study; GWAS) の成果により, 様々な形質に関連する数千の一塩基多型 (single nucleotide polymorphism; SNP) が同定されている. これまでのGWASでは, 集団内におけるマイナーアレル頻度がある程度高いSNPを対象として研究が行われてきたが, 近年のDNAシークエンシング技術の飛躍的な発展に伴い, 頻度が極めて低い希少変異 (rare variant) に注目した研究が行われるようになっている. 統計学的な観点からも, 希少変異の関連解析は頻度が高いSNPの解析に比べてより困難となることから, GWASで一般的に採用されている単一のSNPによる単変量の関連解析ではなく, 注目する遺伝子やDNA領域内にある複数の変異の情報を集約した上で, 表現型との関連を検定する手法が提案されている. 本稿では, 近年の様々な方法論的研究で提案されている, 希少変異を対象とした関連解析手法のレビューを行う.
著者
鈴木 元彬 POOPIPATTANA Chomphunut 春日 郁朗 古米 弘明
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集G(環境)
巻号頁・発行日
vol.74, no.7, pp.III_169-III_179, 2018
被引用文献数
1

東京港内にあるお台場海浜公園などの親水空間において,合流式下水道雨天時越流水(CSO)に起因した糞便汚染が問題視されている.本研究では2017年の10-11月の降雨を対象に隅田川上流部から台場周辺海域に至る水域で経日的な表層水の採水を行い,指標細菌類4種類(大腸菌,大腸菌群,糞便性大腸菌群,腸球菌),ウィルス指標2種類(F特異大腸菌ファージ,体表面吸着ファージ)の分析を行った.降雨直後に細菌類は2桁程度,大腸菌ファージは1桁程度濃度が増加した.また沿岸域においては,大腸菌の消長が高い塩分濃度の影響を受けていることが示唆された.指標微生物間の相関性は細菌類の間で非常に高く,指標微生物の消長に着目したクラスター分析の結果,指標微生物は細菌類と2種の大腸菌ファージの3グループに類型化された.
著者
野村 健太郎
出版者
公益社団法人 日本表面科学会
雑誌
表面科学 (ISSN:03885321)
巻号頁・発行日
vol.37, no.12, pp.625-630, 2016-12-10 (Released:2016-12-23)
参考文献数
38

Recent developments in the research field of Dirac and Weyl semimetals are reviewed. We introduce Weyl semimetal which has linear energy dispersion and nontrivial topology in the band structure. One of characteristic phenomena is negative magnetoresistance, which stems from three-dimensional linear dispersion. Another characteristic phenomenon is the anomalous Hall effect which occurs in Weyl semimetals with magnetic order. Fermi arc states appear as surface states localized at the boundary. Type II Weyl semimetals are also argued.
著者
崔 元哲 水上 勝義
出版者
一般社団法人 日本老年医学会
雑誌
日本老年医学会雑誌 (ISSN:03009173)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.441-449, 2020-10-25 (Released:2020-12-01)
参考文献数
29
被引用文献数
5

目的:高齢者の心身の健康増進に運動が奨励されているが,運動実施が困難な高齢者も少なくない.音波による全身振動刺激(Sonic Wave Vibration,以下SWVと略す)は,振動板の上で一定時間立位を保持することで,歩行や下肢筋力への効果が報告されている.本研究は,SWVの気分,認知機能,自律神経機能,安静時エネルギー消費量に対する効果を明らかにすることを目的とした.方法:24名の後期高齢者(平均年齢88.0±5.0歳)をSWV実施群と対照群に無作為割り付けし,SWV群は1日10分,週5日,2カ月間SWVを実施し,測定結果を対照群と比較した.結果:SWV直後に,二次元気分尺度において,安定度・快適度は有意に上昇し,同時に測定した心拍変動では副交感神経活動の指標が有意に上昇し,交感神経活動の指標が有意に低下した.また安静時エネルギー消費量は有意に増加した.2カ月後SWV群は,ストループBの遂行時間が有意に短縮し処理速度の向上が認められた.またストループ課題実施時の酸素化ヘモグロビン濃度と総ヘモグロビン濃度はSWV群に有意に上昇した.期間中特に有害事象は認めなかった.結論:SWVは高齢者に安全に実施可能なこと,実施直後に気分やストレス改善効果が得られること,継続的に実施することで認知機能や脳機能に影響する可能性が示唆された.

2 0 0 0 OA 海上危險論

著者
橋本 犀之助
出版者
彦根高等商業學校研究會
雑誌
彦根高商論叢
巻号頁・発行日
no.第七號, pp.137-205, 1930-07
著者
松浦 章
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian Cultural Interaction Studies (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.335-357, 2010-03-31

During the Edo period (1603–1868), Japan steadfastly maintained its national seclusion policy. Japan’s constant cultural interaction with foreign countries, therefore, took place mainly in the following ways: direct contacts with China and the Netherlands, centering on trade in Nagasaki; contacts with Korea through the So clan on Tsushima Island; and indirect contacts with China via the Kingdom of Ryukyu under the control of the Satsuma clan. Quantitatively, the largest number of direct contacts were made through trade by Chinese junks, called karafune in the Edo period, sailing to Nagasaki almost every year. Japan imported sugar made in China in large quantities through trade by Chinese junks almost annually. Much of the sugar imported from China was produced in coastal areas, such as Chaozhou in the eastern part of Guangdong Province, Xiamen and Quanzhou in southern Fujian Province, as well as in Taiwan. In the early part of the Edo period, China-made sugar was imported by Chinese junks sailing directly from these production areas to Japan. In the mid- and late-Edo period, however, sugar produced in China was not directly transported to Japan; it was first carried by coastal merchant vessels to Zhapu in Zhejiang Province, where the sugar was loaded onto Chinese junks sailing from Zhapu to Japan, and then transported to Nagasaki. Most of the sugar landing in Nagasaki was transported by domestic routes, mainly by Japanese-style wooden ships to Osaka, and then distributed nationwide. Meanwhile, in the early 18th century after the Kyoho era (1716–1736), cane sugar production was encouraged in Japan, following the instruction of the then shogun, Tokugawa Yoshimune( 1684–1751). This enabled Japan to increase its number of sugarproducing districts and amount of sugar production, also improving the quality of the sugar. In an attempt to determine how to establish cultural interaction studies as a field of historical research, this paper reports on sugar imports through Sino-Japan trade and on the expansion of domestic sugar consumption in the Edo period, as a way of considering the issue of cultural interaction from the perspective of physical distribution in East Asia.
著者
松浦 章
出版者
関西大学
雑誌
東アジア文化交渉研究 (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.335-357, 2010-03-31

During the Edo period (1603–1868), Japan steadfastly maintained its national seclusion policy. Japan's constant cultural interaction with foreign countries, therefore, took place mainly in the following ways: direct contacts with China and the Netherlands, centering on trade in Nagasaki; contacts with Korea through the So clan on Tsushima Island; and indirect contacts with China via the Kingdom of Ryukyu under the control of the Satsuma clan. Quantitatively, the largest number of direct contacts were made through trade by Chinese junks, called karafune in the Edo period, sailing to Nagasaki almost every year. Japan imported sugar made in China in large quantities through trade by Chinese junks almost annually. Much of the sugar imported from China was produced in coastal areas, such as Chaozhou in the eastern part of Guangdong Province, Xiamen and Quanzhou in southern Fujian Province, as well as in Taiwan. In the early part of the Edo period, China-made sugar was imported by Chinese junks sailing directly from these production areas to Japan. In the mid- and late-Edo period, however, sugar produced in China was not directly transported to Japan; it was first carried by coastal merchant vessels to Zhapu in Zhejiang Province, where the sugar was loaded onto Chinese junks sailing from Zhapu to Japan, and then transported to Nagasaki. Most of the sugar landing in Nagasaki was transported by domestic routes, mainly by Japanese-style wooden ships to Osaka, and then distributed nationwide. Meanwhile, in the early 18th century after the Kyoho era (1716–1736), cane sugar production was encouraged in Japan, following the instruction of the then shogun, Tokugawa Yoshimune( 1684–1751). This enabled Japan to increase its number of sugarproducing districts and amount of sugar production, also improving the quality of the sugar. In an attempt to determine how to establish cultural interaction studies as a field of historical research, this paper reports on sugar imports through Sino-Japan trade and on the expansion of domestic sugar consumption in the Edo period, as a way of considering the issue of cultural interaction from the perspective of physical distribution in East Asia.
著者
野村 美千江 豊田 ゆかり 中平 洋子 柴 珠実 宮内 清子
出版者
日本地域看護学会
雑誌
日本地域看護学会誌 (ISSN:13469657)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.53-59, 2007-03-30

目的:認知症者の自動車運転は,公共安全の問題であると同時に病者の自立性に関わる問題である.本研究は,初期認知症者が自動車運転を中止する過程とその関連要因を記述することを目的とする.方法:対象は大学病院を受診し車の運転中止を勧告された初期認知症者13名とその介護者.平成15年10月〜17年12月の間,病者と介護者に半構造化面接と継続的な家族相談を実施した.カルテ・面接の逐語録・相談記録から病状経過,運転行動,中止要請への反応,介護者の認識と対応,生活環境等のデータを収集し,運転中止の過程と運転中止を困難にする要因を質的に分析した.結果:研究終了時点において,8名は運転を中止し5名は運転を継続していた.中止した8名は全員が自動車事故を起こし,診断から運転を断念するまでに5年を要した事例もあった.運転中止を困難にする要因は,同居家族の無免許や生活上の必要性,代替交通確保の難しさ,家族介護者の負担の増大などで,若年発症や身体能力が高い場合は中止がより困難であった.運転中止の過程において介護者は,病者の説得に苦労し,家族内の対立や近隣との軋轢など種々のストレスを体験していた.車のない生活への適応には家族の対応が影響していた.結論:認知症ドライバーを早期に発見し,病態や家族の問題解決力に見合った介護者相談や外出援助の資源開発等を行うことによって,運転中止後の生活適応を助ける必要がある.
著者
上村 直己 Kamimura Naoki カミムラ ナオキ
出版者
熊本大学
雑誌
ラフカディオ・ハーンとその時代
巻号頁・発行日
pp.65-99, 2006-03-10

本稿は、五高の初期、つまり第五高等中学校と称していた時期のドイツ語教育の実態を明らかにしようと試みたものだが、併せてその前に、まだ十分に明らかにされていない明治前期の熊本におけるドイツ語やドイツ語教育をめぐる状況についても整理して記述しておきたい。
著者
池末 啓一
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.93-102, 2020

<p>親鸞は「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」という言葉を残している。浄土真宗では喪葬一大事を否定するような意味をもつ言葉とされてきた。親鸞は,自らを必ず水葬にするようにと言い残したのであろう。葬制には水葬・林葬・土葬・火葬などがあるが,親鸞のこの言葉を通して,日本人の河川観・葬制観などを考察した。わが国では古代・中世には水葬・林葬が,一般庶民の間では行われてきた。これらの葬制を親鸞のみならず一遍らも望んでいた。この二つの葬制は大乗仏教的には,布施の最高形態の「利他行」の実践に当たる。「利他行」が,古代(仏教伝来以後)・中世の日本人の河川観・葬制観を形成していたと考えられる。水葬・林葬は今日的な表現をすれば,生態学的循環と考えられる。さらに,わが国には別の河川観もある。それは「禊」,「祓い」と言われて罪や穢れを除き去るというものである。これは,「水に流す」という言葉に象徴されるもので,日本人の人間関係や精神構造にも深くかかわっているかもしれない。</p>