著者
山川 宣大 小堀 聡
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.402-403, 1997-09-24
被引用文献数
1

学習についての研究を行うには, 人間の脳における情報処理過程の解明や, コンピュータでのシミュレーションによるモデルの妥当性の検証が必要である。そこで, 本研究では複雑な思考を要する'Calculation'というカードゲームを題材にして, 人間の情報処理過程について検討することを目的としている。Calculationを取り上げた理由は, 解法自体が確立されていないこと, 成功率が学習によって大きく改善されるということにあり, 人間の学習過程を解析するのに適当な問題であるといえるからである。Calculationというゲームは, トランプを用いて行う一人遊びである。よく切った手札を順番にめくり, ある規則の通りに台に札を並べるが, その際に作業領域として場を使うことができる。場をうまく使いながら, 手札をすべて台に並べることができれば, 成功である。このゲームは, 初心者のうちはほとんど成功しないが, プレイを重ねるうちに成功率も上がり, 熟達者にもなれば95%以上になるといわれている。つまり, 成功させるためには何か重要なキーポイントがあり, 人間はそれを経験から獲得すると予想される。Calculationに関してのこれまでの研究では, 人工知能的な研究として, ゲームをプレイするプログラムがいくつか開発されたが, 95%以上という人間の熟達者の成功率を超えるものはまだなく, 成功率の比較的高いものも人間の方略を完全にまねしたものとは異なるようである。このようにCalculationはとても興味深いゲームであるので, 認知科学, 人工知能, ヒューマンインタフェースという3つの視点からの研究が可能であると考えられる。本論文は, 特に熟達者のプレイに着目し, 分析した結果についての報告である。
著者
松浦 正孝 保城 広至 空井 護 白鳥 潤一郎 中北 浩爾 浅井 良夫 石川 健治 砂原 庸介 満薗 勇 孫 斉庸 溝口 聡 加藤 聖文 河崎 信樹 小島 庸平 軽部 謙介 小野澤 透 小堀 聡
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2018-04-01

「戦後体制」の何が戦前・戦時と異なり、どのような新たな体制を築いたのか。それはその後どのような変遷をたどり、どこでどう変わって現在に至ったのか。本研究は、その解明のために異分野(政治史、外交史、政治学、憲法学、経済史)の若手・中堅の最先端研究者を集めた多分野横断による問題発見型プロジェクトである。初めの2年度は、各メンバーの業績と学問背景をより深く理解し「戦後」についての問題を洗い出すため、毎回2名ずつの主要業績をテキストとする書評会と、その2名が それぞれ自分野における「戦後」をめぐる 時期区分論と構造について報告する研究会を、年4回開くこととした。しかるにコロナ禍の拡大により、第2年度目最後の2019年3月、京都の会議施設を何度も予約しながら対面式研究会のキャンセルを余儀なくされた。しかし20年度に入ると研究会をオンラインで再開することとし、以後、オンライン研究会を中心に共同研究を進めた。コロナ禍による遅れを取り戻すべく、20年7月・8月・9月と毎月研究会を行い、与党連立政権、貿易・為替システム、消費者金融などのテーマについてメンバーの業績を中心に討議を行った。オリジナル・メンバーの間での相互理解と共通認識が深まったため、12月にはゲスト3名をお招きして、戦犯・遺骨収集・旧軍人特権の戦後処理問題を扱うと共に、メンバーによる復員研究の書評会を行った。「家族」という重要テーマの第一人者である倉敷伸子氏にも、新たにプロジェクトに加わって頂いた。この間、メンバーの数名を中心に今後の研究方針案を調整した上で、21年3月には3日間にわたり「編集全体会議」を開催した。後半2年間に行うべき成果のとりまとめ方針を話し合うと共に、憲法・経済史・労働史・現代史の新メンバー加入を決め、各メンバーが取り組むテーマを報告し議論した。また、各メンバーは各自で本プロジェクトの成果を発表した。
著者
古川 康一 植野 研 尾崎 知伸 神里 志穂子 川本 竜史 渋谷 恒司 白鳥 成彦 諏訪 正樹 曽我 真人 瀧 寛和 藤波 努 堀 聡 本村 陽一 森田 想平
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会論文誌 (ISSN:13460714)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.117-128, 2005 (Released:2005-02-04)
参考文献数
52
被引用文献数
4 4

Physical skills and language skills are both fundamental intelligent abilities of human being. In this paper, we focus our attention to such sophisticated physical skills as playing sports and playing instruments and introduce research activities aiming at elucidating and verbalizing them. This research area has been launched recently. We introduce approaches from physical modeling, measurements and data analysis, cognitive science and human interface. We also discuss such issues as skill acquisition and its support systems. Furthermore, we consider a fundamental issue of individual differences occurring in every application of skill elucidation. Finally we introduce several attempts of skill elucidation in the fields of dancing, manufacturing, playing string instruments, sports science and medical care.
著者
岡本 宗司 久保 道也 林 智秀 堀 聡 堀 恵美子 柴田 孝 堀江 幸男 桑山 直也 黒田 敏
出版者
特定非営利活動法人 日本脳神経血管内治療学会
雑誌
Journal of Neuroendovascular Therapy (ISSN:18824072)
巻号頁・発行日
vol.8, no.3, pp.159-165, 2014
被引用文献数
3

【目的】神経線維腫症に合併した頭蓋外巨大内頚動脈瘤破裂例に対してtriple coaxial system を用いて内頚動脈トラッピング術を施行したので報告する.【症例】症例は41 歳の神経線維腫の女性.左頸部の急激な腫脹,嗄声,嚥下障害が生じ,当院に入院した.頚部CT では長径約40 mm の頭蓋外内頚動脈瘤を認め,咽喉頭部が対側に偏位していた.MRI では,動脈瘤からの出血を示唆する所見があり,再出血防止目的で緊急血管内治療を行った.血管脆弱性と術後のmass effect 増大防止の観点から動脈瘤の前後で内頚動脈をトラッピングする方針とした.バルーン付きガイディングカテーテルをproximal flow control 用に内頚動脈起始部に留置し,動脈瘤の遠位にマイクロカテーテルを誘導したが,支持性が弱く,コイル挿入時に動脈瘤内にキックバックした.そこでインナーカテーテルとして4FrセルリアンGTM を組み合わせ,triple coaxial system とした.その結果,瘤の遠位・近位ともに内頚動脈にコイルをコンパクトに留置でき,トラッピングすることができた.術後,症状は改善し,MRI では,動脈瘤の血栓化を認めた.【結論】頚部内頸動脈瘤に対して母血管のトラッピングを行う場合,バルーン付きガイディングカテーテルに4Fr インナーカテーテルを組み合わせたtriple coaxial system は有用と思われた.
著者
濱名 篤 川嶋 太津夫 山田 礼子 森 利枝 塚原 修一 深堀 聡子 齊藤 貴浩 白川 優治 合田 隆史 近田 政博 芦沢 真五
出版者
関西国際大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2023-04-01

本研究では、大学設置の「入口規制」として大学設置基準が、日本の高等教育の発展にどのように貢献してきたか、を分析するとともに、今日の規制緩和の流れの中で従来型の質保証体制がどのように変容するのかについて考察を加える。設置基準と認証評価がどのように連動して質保証システムとして機能してきたか、この両者が相互補完する体制が実質的な成果を挙げているか、についても検証する。また、比較可能な諸外国の設置基準と認証評価制度の関係を調査し、国際比較研究を通じて、日本固有の課題や将来への課題を明示する。さらに、日本の現状に見合った大学設置基準と質保証体制の在り方を模索し、将来の設置審査に関する提言を行う。
著者
小堀 聡
出版者
経営史学会
雑誌
経営史学 (ISSN:03869113)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.30-55, 2005-03-25 (Released:2010-11-18)
参考文献数
75

The purpose of this paper is to analyze how the Japanese government and private enterprises switched energy resources from domestic coal to imported crude oil during the late 1950s, in particular to focus on the electric power industry and its policies. Beginning in 1955, the government had prohibited the electric power industry from building boilers that exclusively burned heavy oil but abolished the prohibition in 1960. This paper examines when and why the electric power industry first requested the removal of the ban on exclusive heavy oil burning. Further, it also looks at how the government reacted to the industry's claims. As a result of the examination, many ideas became clear.First, in 1957, the electric power industry, especially the Committee of Modernizing Electrics, started to claim that they needed to burn heavy oil exclusively because it was becoming certain that the supply of domestic coal could not meet the rapidly increasing demand for electricity. This meant that the electric power industry would have to consume much more heavy oil, without regard to price. So it opted for the exclusive burning of heavy oil in order to consume the oil at the lowest cost.Second, the government, especially MITI and the Economic Planning Agency, took the initiative of adopting and establishing the electric power industry's claim as their energy policy. This enabled them to keep down the cost of power generation and to supply enough electricity for maximum growth. Therefore, the protection of the domestic coal industry was never in the mainstream of Japan's energy policy.
著者
堀 聡美
出版者
情報処理学会
雑誌
研究報告音楽情報科学(MUS) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.4, pp.1-4, 2009-11-28

フル CG アニメーション作品,もんちゃんのメイキングについて紹介を行う.This report introduce making and characters of animateion "mon-chan".
著者
小堀 聡
出版者
名古屋大学オープンコースウェア委員会
巻号頁・発行日
2014-10-16

現代の経済では企業が中心的な役割を果しており、市場経済や資本主義(資本制)経済などと呼ばれている。しかし、人類の誕生時から企業や市場があったわけではないし、これらが誕生してからも、その中身は時代を通じて変化してきた。また、企業や市場の発展によって多くの問題が解決されてきた半面、公害や格差のように新たに深刻化した問題もある。この講義では、企業や市場の誕生・発展プロセスを歴史的に学ぶことで、現代社会をプラスとマイナスとの両面から考察できる姿勢を養うことを目指す。
著者
藤井 翼 小堀 聡
出版者
人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集 (ISSN:13479881)
巻号頁・発行日
vol.27, 2013

人間の楽器演奏には様々な認知過程が関わっているが,本研究では,眼球運動を手掛かりにして,感覚・知覚と運動の相互作用という観点から検討する.楽譜を記憶してから演奏する場合(記憶実験)と楽譜を見ながら演奏する場合(視奏実験)について実験を行い,視線データと演奏データの解析を行った.注視率,再現率,先読み時間などの評価値を算出し,被験者による差異,課題曲による差異,試行に伴う変化などについて考察した.
著者
小堀 聡
出版者
名古屋大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-28

本研究の目的は、日本の省エネルギー・低公害的な技術革新がどのように進展したのかを社会経済史的観点から解明することである。そのために、(1)省エネルギー・低公害化に関する産業技術史、(2)低公害化に関する地方自治体史・住民運動史の2つについて、実証研究を行なった。(1)については、①資源調査会の活動、②熱管理技術から公害防止技術への移転などについて明らかにした。(2)については横浜市および北九州市の公害防止政策と住民運動について明らかにした。
著者
小堀 聡
出版者
政治経済学・経済史学会
雑誌
歴史と経済 (ISSN:13479660)
巻号頁・発行日
vol.49, no.3, pp.48-64, 2007-04-30

The purpose of this paper is to analyze how the efforts of energy-saving developed in interwar Japan, in particular focusing on the nensho shido (technical guidance for fuel burning),which encouraged improvements in factories' fuel-burning technologies. From the end of the 1910's, against a background of not only rising coal prices but also a consciousness of the limits of domestic coal reserves, the Fuel Research Laboratory of the Ministry of Agriculture and Commerce was established and engineers and researchers interested in combustion engineering organized a group called the Fuel Society of Japan. In the second half of the 1920's, activities promoting fuel economy were implemented in several prefectures among which Osaka prefecture proved most aggressive in Japan. The Osaka Prefectural Institute for Industrial Management (OPIIM) established its nensho shido division in 1929 and provided guidance to local factories in saving fuel. OPIIM guidance focused on the methods in which the factory boiler workers burned fuel, rather than building new facilities or refitting older facilities for burning fuel. Furthermore, because OPIIM thought that in order to improve the manner of burning it was necessary for boiler workers to acquire higher levels of skill, Osaka prefecture established a qualification for boiler workers and OPIIM opened a training school for them. Osaka prefecture's development of nensho shido was considered an industrial rationalization, and therefore was imitated by several municipalities and regional organizations for industrial management. Furthermore, the Ministry of Commerce and Industry, which had become more interested in fuel economy from the beginning of the 1930's, started nensho shido in 1938 as the Sino-Japanese war exacerbated the tight coal supply situation. It was technicians from Osaka being posted to or sometimes visiting the other regions that promoted the spread of nensho shido. During the interwar era, nensho shido was immature because the scope of guidance was limited to burning with a boiler. However, the groups of combustion engineering technicians formed during the interwar era would later lead the development of energy-saving technology in wartime and postwar Japan. Since the interwar era, against the background of limited domestic resources, Japanese industrial rationalization has made a point of reducing production costs rather than acquiring merits of scale.