著者
三森 甲宇 中川 照彦 古屋 光太郎 信原 克哉
出版者
Japan Shoulder Society
雑誌
肩関節 (ISSN:09104461)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.313-317, 1994
被引用文献数
2

(Purpose) Voluntary dislocation of the tendon of the long head of the biceps is extremely rare. Here we will report on this dislocation in one patient.<br>(Patient) The Patient, a 37-year-old male fell down with his arm extended. Since then, he had a click and pain of the shoulder when he elevated his arm. When he had contracted his biceps with his arm extended and internally rotated, the tendon of the long head of the biceps dislocated from the bicipital groove. By elevating the arm 135 degrees from that position, the tendon reposited with a click and pain. Arthrography showed a dislocation of the tendon of the long head of the biceps. Arthroscopy and a tenodesis of the biceps tendon were performed.<br>(Conclusion) When observing the shoulder joint of a cadaver, the insertion of the subscapularis tendon was separated into two layers. One was a superficial layer, the other a deep one. Some parts of the superficial layer formed the transverse ligament. So we believe that the tendon of the long head of the biceps is often dislocated accompanying with a tear of the subscapularis tendon.
著者
森本 佑子 田辺 雄一 堀 天明 宮内 勇貴 佐藤 麻紀 工藤 道誠 菅屋 潤壹
出版者
一般社団法人 日本温泉気候物理医学会
雑誌
日本温泉気候物理医学会雑誌 (ISSN:00290343)
巻号頁・発行日
pp.2314, (Released:2019-10-25)
参考文献数
23

健康なボランティアの前腕浴における皮膚血流に対する炭酸ガスおよび乳化油剤の影響を測定した.浴湯中に炭酸ガス(60ppm)のみ,乳化油剤(10ppm)のみ,炭酸ガスおよび乳化油剤を溶解させた前腕浴において,炭酸ガスと乳化油剤の併用は,炭酸ガス単独にくらべて皮膚血流量を有意に上昇させた.乳化油剤が炭酸ガスの経皮吸収を高めた結果,炭酸ガスの皮膚血管に対する実効濃度が高くなった可能性が考えられた.  さらに,炭酸ガスと乳化油剤を組み合わせた入浴剤を作製し,健常成人を対象に,2週間の連用が発汗に及ぼす影響を調べた.連用後,入浴剤群では,安静時の鼓膜温が低下傾向を示した.発汗テストによる体温変化は連用前と同等であったが,発汗量は有意に増加した.鼓膜温および発汗量,発汗波頻度を用いた解析から,発汗量の増加は,発汗中枢を介したものであることが示された.コントロール群では,これらの変化は認められなかった.以上の結果から,乳化油剤を配合した炭酸入浴剤が発汗機能に有益な効果を有する可能性があることが示された.
著者
谷口 晋 生山 祥一郎 安田 幹彦 森 正樹 西村 純二
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.341-346, 2005 (Released:2008-04-11)
参考文献数
36
被引用文献数
2

症例1は48歳, 男性. 急性〓桃炎罹患後, 顎下部の腫脹・疼痛・熱感が出現. CTにて顎下部にガスを多量に含む顎下隙膿瘍を認め, 切開排膿後ドレナージ, 抗菌薬にて治癒した. Prevotella 属, Streptococcus milleri 属を検出した. 症例2は75歳, 女性. 関節リウマチ (RA) の増悪を疑われて入院後, 突然ショック状態となり, 上腹部の筋性防御と肝胆道系酵素の上昇を認めた. CTにて肝左葉に大量のガスが貯留する肝膿瘍を認め, ドレナージ, 抗菌薬にて治癒した. Klebsiella pneumoniae, Enterococcus raffinosus を検出した. 症例3は45歳, 女性. RAの経過中に両下腿後面の疼痛・熱感・緊満感を訴えた. MRIにて両側腓腹筋部皮下にガスを混在した蜂窩織炎を認め, 抗菌薬にて治癒した. これら3症例は糖尿病患者に発症したガス産生性感染症で, 非Clostridium 属が起因菌となることが多いことがあらためて示唆された.
著者
松任 麗華 森下 郁子 菅原 正孝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
環境工学研究論文集 (ISSN:13415115)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.109-114, 2002-11-14 (Released:2010-06-15)
参考文献数
7

The collaboration among administrator, citizens and specialists is needed to approach stream environmental management in Japan. The society's attitude towards streams has changed from flood control and effective utilization of water resources to restoration of biological conditions. In this study, we conclude that biomonitoring based on indicator biology and habitat diversity index such as MILFm97 and HIMm98 effectively assesses the whole aspects of stream environment.
著者
森迫 祥吾 山下 誠
出版者
錯体化学会
雑誌
Bulletin of Japan Society of Coordination Chemistry (ISSN:18826954)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.29-45, 2019-11-30 (Released:2020-03-12)
参考文献数
100
被引用文献数
1

In this article, recent developments regarding the organometallic chemistry of boron-containing pincer ligands, especially in which a boron coordinated to transition metal center as an anionic σ-donor ligand, are reviewed. Boron-based pincer ligands can be subdivided into three main classes; diazaborole-, carborane-, and diarylboryl-ligand. All the papers relevant to such boron-based pincer ligands that have been published since 2009 are included in this review, which also summarizes applications of transitionmetal complexes bearing such boron-containing pincer ligands in catalytic and/or bond-cleavage reactions.
著者
森川 均一 鮫島 宗堅
出版者
日本森林学会
雑誌
林學會雑誌 (ISSN:21858187)
巻号頁・発行日
vol.12, no.12, pp.711-732, 1930-12-10 (Released:2009-02-13)
参考文献数
31

(一) 概して毬果の縦の方向に於ては、中部の種子は其體積、氣乾重量及絶對乾量の何れも最大にして、先端部之に亞ぎ、基部は最も輕小にして、從來既に知られ居る如くなるも、此毬果の縦の方向に於ける種子大小の差異は甚だ少く、返つて之よりも毬果の周圍に於ける種子の大小變異の力が著しく大にして、種子の良否に對し重大なる意義の存するを認めらる。即ち此原因は毬果の周圍の各鱗片が、總て同一の強度又は時間の光線を受ける事は有得ない爲に、日光に強く又は長く照射される部分の鱗片は、然らざる鱗片よりも水分の蒸散作用が著しく盛となり、其水分の不足を補給する爲に、特に其部分の鱗片に水分が多く上昇し來り、次第に其鱗片に向へる維管束も發達して太くなり、益々水分の供給が大となる故、此水分と共に營養も多く供給され、又之と同時に日光に良く照射される部分の鱗片には、より多くの同化作用行はれ、植物の營養となる炭水化物も増加する故、此部分の種子は良く充實した重き大粒種子となる。 (二) 毬果上の着生部位に依る授精率は、毬果の先端部最大にして中部之に亞ぎ、基部は最も少い。然し此授精率の大小よりも、毬果の鱗片の大小の方が直接蒸散作用並に同化作用に影響するを以て、種子の大小に關係する事大である。 (三) 一〇-三〇年生の母樹に生じた種子は、八〇年生の如き老齡に達したものより産した種子よりも大である。 (四) 種子の發芽率は毬果の中部最大にして、先端部之に亞ぎ基部最も不良にして、之又從來知られたる結果と同様なるも、然し此の毬果の縦の方向の發芽率の變異よりも、毬果の周圍に於ける發芽率の變異の方が著しく大である。即ち發芽率は種子の大小と常に並行せるを見る。然し毬果の周圍に於ける種子の體積、重量の變異は非常に大なりしも、發芽率の變異は右の如き傾向存するも、其差は甚だ少い。之は劣等なる小粒種子にも、比較的多く發芽するに依る。 (五) 赤、黒松稚苗の子葉數は四-一〇枚なるも、一〇本の子葉を有するものは極めて稀にして、通常四-九本である。而して兩樹種共に子葉六枚を有するものが最も多きに拘らず、赤松大粒種子にては其五〇-七〇%が子葉七枚以上を有するも、同小粒種子は子葉七枚以上のもの一〇%以下にして、甚だしきは一%に過ぎないものもある。 黒松に於ては、大粒種子は其六〇-八三%が子葉七枚以上を有すれども、同小粒種子にては、之を一〇-三五%産するに過ぎない。 即ち母樹の老幼を問はず、大粒種子は小粒のものよりも、子葉の多き苗木を著しく多く生ずる。 (六) 黒松の大粒種子よりも赤松の大粒種子の方が子葉の多き苗木(子葉七枚以上のもの)を生ずる割合の劣るは、黒松にては種子の長さ六-七粍のもの比較的多きも、赤松にては之の甚だ少きに依り、又黒松小粒種子より赤松小粒種子の方が、子葉多き苗木を生ずる割合の著しく劣る事は、赤松では長さ三-四粍の種子多きも、黒松では之の甚だ少きに依るものと思考せられる。 (七) 母樹の年齡に就ては、赤、黒松共に約三〇年生の母樹より産せし種子は最も子葉多く、約一〇年生の母樹所産種子之に亞ぎ、約八〇年生の老齡に達せる母樹より採取せる種子は、發芽率は可なり大なるも子葉數の多きもの最も少い。即ち子葉數の多少は母樹の老幼に就ても、其種子の大小と並行せるを示し、而して壯齡に達せる約三〇年生の母樹に生じたる種子は、一〇年生又は八〇年生の母樹所産種子よりも最も多くの營養を母樹より供給され居るを實證して居る。 (八) 斯くの如く種子の大小と子葉數との間に、相當密接なる關係を有する生理的理由は、松の子葉は一見輪生せる如く見ゆるも、實際は螺旋状に配列し居るものにして、母樹より供給される營養が多き程胚は肥大し、從つて子葉の分化も發達して、子葉が長く又は數多くなるものにして、種子に供給される營養の多き程内容充實して、重く大なる優良種子となる事と並行し、而して一般に重大なる種子は、生長旺盛な優良苗を多く産すると云はれ居るは、赤、黒松の如きものにありては、充實せる重大な種子には子葉多く、子葉多き稚苗は、樹木の主成分が炭水化物なるを以て、子葉の少きものよりも同化作用盛である事が、早く生長せしめる主因となり、順次發生し來る初生葉や、通常葉の發生、發達も加速度的に早くなり、其結果益々早くより同化作用が旺盛となり、其生長量に大なる差異を生ぜしめ、健全なる優良苗になるのである。 (九) 樹木が幼齡にて開花結實すると云ふ事は、多くの場合母樹の遺傳性に依るよりも、其立地の良否に基く事大にして、立地良好なれば幼母樹産林木にても、其遺傳性表れず生長宜しきも、立地良好ならざれば老母樹産林木にても、幼齡にて開花、結實して生長衰へる。故に此樹木の開花、結實の年齡に關する遺傳性に拘泥するよりも、母樹の生育せし立地並に現存林木の立地に注意する方が重要である
著者
徳永 晋一 棚町 宏人 井上 滋登 森岡 智紀 辻村 久 丹治 範文 波部 太一 山下 修
出版者
日本化粧品技術者会
雑誌
日本化粧品技術者会誌 (ISSN:03875253)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.190-198, 2011-09-20 (Released:2013-09-20)
参考文献数
9
被引用文献数
1

毛髪表面は18-MEA (18-メチルエイコサン酸) に覆われ,疎水的かつ低摩擦に保たれている。しかし,18-MEAはヘアカラーなどのアルカリ処理で容易に失われ,毛髪表面は親水化し摩擦は増大する。それは,毛髪の指通りや櫛通り,感触の悪化に影響すると考えられる。そこで,前述のようなダメージ実感を改善するため,18-MEAを表面に高吸着させることによる疎水性・低摩擦などの表面物性を回復させる技術開発を行い,18-MEAと特定の長鎖3級アミン (ステアロキシプロピルジメチルアミン:SPDA) の組み合わせにより,それが可能であることを見出した。その高吸着性のメカニズムを明らかにするため,18-MEAとSPDAから形成される吸着膜の解析を行った。その結果,その吸着膜はアルキルを外側に向けた状態で,表面を均一に覆い,18-MEAの末端の分子運動により最表面に液体状の相を形成することで,耐摩擦性を有することを見出した。さらに,18-MEAとSPDAを含有するコンディショナーの使用テストでは,滑らかな感触に加え,浮き毛や跳ね毛を減少させるなど,ヘアスタイルのまとまりをも向上する効果をもつことを見出した。
著者
横田 知樹 近藤 亮磨 渡邊 慎一 森川 博之 岩井 将行
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.59, no.10, pp.1794-1801, 2018-10-15

紫外線(以下UV)は皮膚がんの発症や白内障などの重大な疾病につながるにもかかわらず,その健康影響の評価・予防は国内の労働現場ではあまり知られていない.さらに,反射率の高い建材の普及から過度なUVに暴露する潜在的なリスクは年々増大している.しかし,既存のUVセンシング手法は,天空面などの1方向のみの計測を行うものばかりであり,太陽の動きや地物のUV反射による影響を十分に考慮できていない.既存研究ではウェアラブルデバイスを用いて個人単位でのUV暴露を評価する試みがなされているが,作業者全員にUVセンサを装着することはコストの観点から現実的でない.そのため,作業者の周辺環境において瞬間ごとのUV暴露をより正確に計測することができれば,急性障害のリスクを認識することができ,繰り返し日々計測することで,反覆暴露によって積み重ねられる慢性傷害のリスクを認識することができる.そこで我々は,温熱環境分野で用いられる6方向からの日射と熱放射の計測により人体が受け取る熱量を推定する手法に着目してUVに応用し,地物および壁面からの反射を含めた,6方向からの紅斑紫外線量を計測するセンシングシステムとしてUV-Cubeを提案・設計・実装・評価した.本論文ではUV-Cubeを用いて,直接天方向から光が当たらない屋外作業現場などのUV暴露が軽視されてきた環境にも,太陽高度や反射が作用し複数方向から入射するUVによる潜在的な暴露があることを明らかにした.
著者
中川 眞 平田 オリザ 藤野 一夫 岩澤 孝子 梅田 英春 雨森 信
出版者
大阪市立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

本研究は、アートを媒介として社会的課題を解決・克服しながらコミュニティを再構築あるいは再生する試みに焦点を当て、アジア特に東南アジアをフィールドとして社会包摂型アーツマネジメントの手法、思想を明らかにするものである。本研究においては、共助・互恵といった集団福利志向型の社会関係資本〔共助組織〕、検閲を熟知したダブルバインド的手法〔パワーバランス〕、プロセス途次での大胆で即興的な変更〔遂行モデル〕などに大きな特徴が看取できた。
著者
葭森 健介
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.38-61,142-144, 1986-01-20 (Released:2017-11-29)

This paper suggests that the government of Tsao-Shuang, the last one of the Tsao dynasty, can be seen as a transitional stage leading from the nepotistic rule of the Han (漢) dynasty to the aristocracy of the Wei-Chin Nan-Pei (魏晉南北) dynasties. However, due to the Tsao-Shuang government's radical policy of centralization, opposition from local powers arose resulting in its overthrow by Ssu ma-I (司馬懿). Consequently, Ssu ma-I, recognizing the reason's for the failure of the Tsao-Shuang, government, implemented a revision of the Chung Cheng system, which respected local power. In A.D. 249 the imperial government of the Wei (魏) State at Loyang (洛陽) was overthrown by Ssu ma-I, a general under the Tsao dynasty. This incident would ultimately lead to the establishment of the Western Chin (西晉) dynasty in A.D. 265. At the time of Ssu ma-I's revolt, de facto political power was held by Tsao-Shuang, an imperial prince who was adviser to the young emperor Tsao-Fang (曹芳). This arrangement, which was in accordance with the last wishes of the previous Emperor Tsao-Jui (曹叡), involved a situation in which political power was shared by royalty according to kinship ties and co-provincial (common birthplace) ties with the Emperor. A pattern of nepotistic rule was also apparent during the reign of the Han dynasty ruler Weich'i (外戚). Another aspect of political power under Tsao-Shuang concerns the careers of those in the upper echelons of the political structure. Most were noted literati, famed for their literary works and general scholastic ability. They had gained positions of great influence by cultivating ties with the scions of distinguished families in the court of Emperor Tsao-Jui. The Emperor, suspecting these literati of stirring public opinion against Confucianism, instituted various represive measures to counteract their allegedly destructive influence. The literati found the young nobles to be sympathetic to their plight and, following the Emperor's demise, were able to use their connections to attain prominent positions under the new ruler, Tsao-Shuang. Later, He-An (何晏), a head of the Lipu (吏部), the government office, placed members of the literati and the notables in positions of power in an attempt to establish an effective political base. It is believed that the Wei-Chin Nan-Pei dynastic Period was characterized by a largely aristocratic polity consisting of the notables and literati. Scholars believe that the notables and literati had great influence on public opinion and their status was recognized in return by the general public. If this point of view is accepted, the government of Tsao-Shuang, can be seen as a transitional stage leading from the nepotistic rule, which characterized the Han dynasty, to the aristocracy of the Wei-Chin Nan-Pei dynasties, despite the fact that the overly centralized power wielded by the government of Tsao-Shuang was effectively counteracted by local public opinion. Ssu ma-I overthrew the government of Tsao-Shuang with the backing of local public opinion and attempted to reform the aristocratic basis of government by instituting the Chiu P'in Chung Cheng (九品中正) system, whereby public officials were assigned on the basis of public opinion. The Chou Ta Chung Cheng (州大中正) system was later established to expand the Chung Cheng system by instituting the Chou Ta Chung Cheng, which was positioned above the existing Ch'un Chung Cheng (郡中正) and insured local rights in governmental personnel affairs. Prior to Ssu ma-I's revolt this policy had not been implemented due to the opposition of these close to Tsao-Shuang, who had established the right of the Lipu to handle civil service personnel affairs. The implementation of the Chou Ta Chung Cheng system is usually regarded as an instance of centralization of administiative power. However, in view of the historical trend described in this paper, it is seen more as an(View PDF for the rest of the abstract.)
著者
森山 清徹
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.80, pp.15-34, 1996-03

本稿は,Santideva(c.650-700) のBodhicaryavatara(BCA)及びそれに対するPrajnakaramati(11c)の注釈(panjika)(BCAP)より,唯識派の自己認識(svasamvedana)の理論に対する批判部分の検証と和訳である。Santidevaの自己認識批判は, Candrakirti(c.600-650)の自己認識批判の単なる反復ではなく,彼独自の新理論の展開をも示すものである。つまり, Candrakirtiは,ミーマーンサ一学派のKumarliaによるDignagaの自己認識の理論一量,所量,量果の同体論―に対する批判を受けDignagaを批判したのであるが,Santidevaは,Dharrnakirti(c.600-650) の自己認識の理論をも批判している。自己認識批判シャーンティデーヴァプラジュニャーカラマティディグナーガダルマキールティ
著者
乾 亮介 福島 隆久 斎藤 弦 森 里美 出井 智子 森 貴大 原田 美友紀 森 清子 中島 敏貴
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.42 Suppl. No.2 (第50回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.0792, 2015 (Released:2015-04-30)

【はじめに,目的】近年日本では高齢化がすすみ,理学療法の対象患者の中には腰椎後彎変形を呈するものが少なくない。胸腰椎後彎変形は呼吸機能低下や体幹の伸展制限といった機能障害を引き起こし,日常生活能力(ADL)を低下させると報告されている。これら胸腰椎後彎変形の治療において整形外科的な手術による報告はあるが理学療法による報告はみられない。本研究の目的は胸腰椎後彎変形を呈する患者に対して腹部周囲筋である外腹斜筋,内腹斜筋ストレッチを実施し,その効果を検証することである。【方法】急性期病院入院中に理学療法依頼のあった患者で胸腰椎後彎変形によりADLが低下していると考えられた13名(85.5±6.8歳,男性:6名 女性:7名)を対象とした。疾患は誤嚥性肺炎6名,人工膝関節置換術3名,脳梗塞1名,腱板断裂の術後1名,出血性膀胱炎1名,肝性脳症1名であった。Minimal Mental State Examination(MMSE)の平均は17.9±8.0と多くの患者において認知機能の低下を認めた。患者には椅子座位が可能になった時点で,両足足底接地,膝関節,股関節90°になるようにして端座位となり,できる限り体幹を伸展した状態で正面を直視してもらうよう指示した。その後,自在曲線定規を患者の脊柱にあて,患者の脊柱の彎曲変形を定規に形状記憶させた後,彎曲を形状記憶した定規ですぐに紙面上にトレースし,Milneらの方法に従い,円背指数を求めた。計測後以降は各疾患別の標準的な理学療法に加え,週5回の頻度で約10分間Ylinenの方法に従い側臥位にて左右の外腹斜筋,内腹斜筋のストレッチを施行し,約4週後,同様の方法で再度円背指数を求めた。統計処理は介入前後の円背指数に対して対応のあるt検定を用い,Functional Independence Major(FIM)の運動項目についてはWilcoxon符号付順位検定を用いた。有意水準は5%未満とした。【結果】円背指数は介入前の17.4±5.1に対して,介入後15.5±4.7と有意に減少し(p<0.01),ADLではFIMの運動項目において介入前35.3±26.6に対し45.3±28.0と有意な改善を認めた(p<0.01)。【考察】外腹斜筋,内腹斜筋は肋骨から起こり,骨盤に付着し,体幹を屈曲させる作用がある。高齢者は習慣的な姿勢や脊柱起立筋群の低下により,これらの筋群を伸張する機会が少なくなり,結果として脊柱の器質的変化に加えて胸腰椎後彎変形を増悪させていると考える。そのため高齢者への外腹斜筋,内腹斜筋ストレッチは脊柱の器質的な変形等には影響を与えなくても,それらを増悪させる因子である体幹屈曲作用のある筋群の伸長により,骨盤の後傾や体幹の屈曲モーメントを軽減させ,より脊柱起立筋群の筋力発揮をしやすくすることで体幹伸展がしやすくなったと考える。そして各患者に残存している脊柱の可動範囲内で脊柱後彎変形を軽減させたと考える。【理学療法学研究としての意義】外腹斜筋,内腹斜筋を中心とした腹部周囲筋ストレッチにより胸腰椎後彎変形を軽減できる可能性が示唆された。腰椎後彎変形が要因となって下肢の可動性や筋力低下,或は呼吸機能の低下によりADLが低下している高齢患者は多く存在し,これからもさらに増えていくと予想される。従来,高齢患者の腰椎後彎変形の改善は困難であると考えられていたが,症例によっては改善できる可能性があり,胸腰椎後彎変形が原因でADL制限をきたしている患者にはその評価と介入の重要性が示唆された。また,今回の検証において疾患や男女差なく改善を認めたことより,今後検討を重ねることにより,高齢に伴う胸腰椎後彎変形に対する予防法を考案できる可能性があると考えられる。
著者
森 正人 Mori Masato
出版者
日本地理学会
雑誌
地理学評論 = Geographical review of Japan (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.1-27, 2005-01-01

本稿は,「節合」という概念を手掛かりとして,1934年の弘法大師1100年御遠忌で開催された「弘法大師文化展覧会」を中心として,弘法大師が日本文化と節合され,展示を通して人々に広められる過程を追う.この展覧会は,戦時体制に協力する大阪朝日新聞と御遠忌を迎えた真言宗による「弘法大師文化宣揚会」が開催したものであった.この展示には天皇制イデオロギーを表象する国宝や重要文化財が,弘法大師にも関係するとして展示された.また展示会場は近畿圏の会館や百貨店であり,特に百貨店では都市に居住する広い階層の人々に対して,わかりやすい展示が試みられた.このような種別的な場所での諸実践を通して国民国家の維持が図られた.ただし会場を訪れた人々は,イデオロギーの中に完全に取り込まれてしまうのではなく,それを「見物」したり,娯楽としてみなしたりする可能性も胚胎していた.