著者
岸田 克己 酒井 和男 渡部 智樹 丸山 剛一
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.55, pp.753-754, 1997-09-24
被引用文献数
2

我々は, 今までにテレビ新潟放送網(TNN)他と共同で, JoiNet参加型インタラクティブTVの実験番組を2回実施してきた。実験番組の企画段階において, 番組のコンテンツとして実現可能なインタラクションを多数検討した。本稿では, その中から参加型番組における早押しクイズを例に, 放送と通信の2種類のパスを結合した中でエージェント制御を行うJoiNetアーキテクチャの特徴を活かした早押し判定手法を述べる。
著者
黒山 政一 熊野 和雄 村瀬 勢津子 朝長 文弥 酒井 糾
出版者
The Japanese Society for Dialysis Therapy
雑誌
日本透析療法学会雑誌 (ISSN:09115889)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.525-532, 1993

血液透析時の抗血液凝固剤としてヘパリン, 低分子ヘパリン, メシル酸ナファモスタットを使用しているHD施行患者の血清を用いて, 代表的なセフェム系抗生剤であるCPM・CET・LMOXの蛋白結合率を血液透析開始直前から透析終了6時間後まで検討した.<br>抗血液凝固剤としてヘパリンおよび低分子ヘパリンを使用したHD施行患者におけるCPMおよびLMOXの蛋白結合率は透析終了直後に低下し, その後, 経時的に透析前値にまで復した. CETの蛋白結合率は透析終了直後に増加し, その後, 前値にまで復した. CPMおよびLMOXの蛋白結合率は血清中のNEFAと負の相関を, CETの蛋白結合率は正の相関を示した. 一方, メシル酸ナファモスタットを使用した場合の蛋白結合率は, いずれの抗生剤においても, 透析前後で殆ど変動しなかった. HD施行患者における透析前後の経時的なセフェム系抗生剤の蛋白結合率の変動は, 透析施行時の抗血液凝固剤として使用されるヘパリンおよび低分子ヘパリンによりリパーゼが活性化され, 血液中のNEFA濃度が変化したことに関連するものと思われる.<br>セフェム系抗生剤のHD施行患者における透析後の蛋白結合率は, 使用するセフェム系抗生剤の種類, 抗血液凝固剤の種類により大きく変化し, その体内動態に大きな影響を与える可能性がある. HD施行患者へのセフェム系抗生剤の投与に際しては, このような蛋白結合率の変化にも十分考慮した投与設計が必要であろう.
著者
酒井 哲哉
出版者
財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2004, no.139, pp.144-158,L15, 2004-11-29 (Released:2010-09-01)
参考文献数
63

In the midst of the Pacific War, SHINOBU Junpei, international lawyer and diplomatic historian, provided a bold speech at the general assembly of the Japan Association of International Law. Reflecting his experiences in studying and teaching international law of war for more than thirty years, Shinobu cautioned the audience about the rapid decline of obedience to international law after the Sino-Japanese War amongst Japanese. Although making the least reservation for fear of censorship during the wartime, Shinobu undeniably had presented his keen anxiety about the decreasing effectiveness of international law of war as restrainer to the total war. Did practices and norms of the classical diplomacy including international law of war remain relevant to international order during the interwar years? If they still had relevance, how could they be applied to Japanese diplomacy in the different situation from the pre-W. W. I era? This article intends to shed lights on the ambivalent attitude of Japanese intellectuals toward international order during the interwar years who had still believed in the classical diplomacy even after W. W. I with special reference to the case of Shinobu Junpei.In the historiography of Japanese studies of international politics, Shinobu is known for his pioneering works, “International Politics” published in the mid-1920's. Investigating those works, the first chapter analyzes how Shinobu perceived the trend of the “New Diplomacy.” While skeptical about the Wilsonian idealism, Shinobu regarded the “democratization of diplomacy” as the trend of “national diplomacy” which had increasingly gained currency in Japan after the Russo-Japanese War. In this sense, like H. Nicolson's classical work on diplomacy, Shinobu's works tried to tame the “New Diplomacy.”Given those perceptions, Shinobu had published a series of essays arguing how Japanese foreign policies were and should be. The second chapter therefore tries to delineate Shinobu's diagnosis of Japanese foreign policies around the Manchurian Incident and evaluate the significance and limits of his legalist approach toward the Manchurian problems with comparison to the cases of ROYAMA Masamichi and KAMIKAWA Hikomatsu, younger political scientists emerging after W. W. I.The third chapter surveys the trend of Japanese studies on international law of war after the Manchurian Incident. Shinobu's persistence in international law of war will be discussed here with comparison to the case of TAOKA Ryoichi who had shared the realist sentiments to international politics in the 1930's. Finally, on the basis of the post-W. W. II recollections, this article depicts how Shinobu viewed the Pacific War manly focusing on his understanding of the relationship between the Renunciation of War Treaty and the Pacific War.
著者
酒井 秀夫 澤本 吉貴 酒井 聖花 阿野 仁志
出版者
動物臨床医学会
雑誌
動物臨床医学 (ISSN:13446991)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.180-184, 2015-12-25 (Released:2016-12-25)
参考文献数
11

1頭は歯肉出血,1頭は排便障害を主訴に来院した2頭の未去勢雄に停留精巣,雌性化,血中エストラジオール濃度増加を認めた。病理組織検査でセルトリ細胞腫と診断された。症例1は汎血球減少症と骨髄重度低形成を認めた。炭酸リチウム,ダルベポエチン, 組換え人顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF),蛋白同化ステロイドによる治療に対して無効で,トロンボポエチン受容体作動薬のロミプロスチムを投与したところ,血球減少症の改善が認められ,骨髄造血の回復も確認された。症例2は血小板減少症と軽度の貧血がみられ,骨髄は正~過形成髄で巨核球系細胞は低形成であった。その後好中球減少症も認められたため,ロミプロスチムやG-CSFを投与したところ血球減少は改善し,骨髄では巨核球の回復も確認した。ロミプロスチムは犬のセルトリ細胞腫に起因する骨髄抑制に対し有効な治療となることが示唆された。
著者
渡邉 卓弥 森 達哉 酒井 哲也
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告 = IEICE technical report : 信学技報 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.113, no.502, pp.119-124, 2014-03-27

オーナーの関知しないところでカメラを秘密裏に濫用し,盗撮・盗聴や情報漏洩を試みる可能性があるAndroidアプリを自動的に検出する方法を提案する.主要なアイディアはアプリケーションパッケージファイルを逆アセンブルしたコードの解析とアプリの詳細を自然言語で記述したdescriptionのテキスト解析を組み合わせることである.サードパーティマーケットで収集した10,885のアプリケーションを対象に提案手法を適用したところ,カメラを秘密裏に濫用する可能性が高い43個の検体を自動的に検出した.手動による動的解析の結果, 43検体中少なくとも28検体はユーザに開示された正当な方法でカメラを利用していること,および2検体は内容と動作が不自然であり,かつユーザがカメラを利用する画面が認められないことからコードの詳細な静的解析が必要な検体であることがわかった.また43検体中18検体がマルウェアと判定されており,提案手法で抽出した記述と動作に齟齬があるアプリケーションは高い確率でマルウェアであることが示された.
著者
才川 勇 桃井 海秀 酒井 広志 高下 寛 大橋 俊則 南 尚 山本 芳子 福岡 義和
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
YAKUGAKU ZASSHI (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.99, no.12, pp.1207-1218, 1979-12-25 (Released:2008-05-30)
参考文献数
16
被引用文献数
3 3

The stability, degradation pattern and structure of degradation products of sodium 7-[D (-)-α-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-α-(4-hydroxyphenyl) acetamido]-3-[(1-methyl-1H-tetrazol-5-yl) thiomethyl]-3-cephem-4-carboxylate (T-1551) in aqueous solution were investigated. T-1551 was kept in various solutions in pH and μ=0.5 at 35°, its degradation was followed by HPLC. T-1551 was stable at the range of pH 4.0-7.0, slightly unstable at acid and markedly unstable at alkaline. It was confirmed that in alkaline solution, 7-[D (-)-α-[3-[2-(N-ethyl-N-oxaloamino)-ethyl] ureido]-α-(4-hydroxyphenyl) acetamido]-3-(1-methyl-1H-tetrazol-5-yl) thiomethyl-3-cephem-4-carboxylic acid (T-1551A) was produced, and that in acidic solution, 7-[D (-)-α-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-α-(4-hydroxyphenyl) acetamido]-3-hydroxy-methyl-3-cephem-4-carboxylic acid γ-lactone (T-1551B), 7-[D (-)-α-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-α-(4-hydroxyphenyl) acetamido]-3-hydroxymethyl-3-cephem-4-carboxylic acid (T-1551C), 5-mercapto-1-methyl-1H-tetrazole (T-1551F), 2-[2-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-2-(4-hydroxyphenyl) acetamido]-2-[1, 2, 5, 7-tetrahydro-7-oxo-4H-furo [3, 4-d] [1, 3] thiazin-2-yl] acetic acid (T-1551G), 2-[α-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-α-(4-hydroxyphenyl) acetamidomethyl]-2, 3-dihydro-5-hydroxy-methyl-6H-thiazine-4-carboxylic acid γ-lactone (T-1551H) and N-formylmethyl-D-(-)-α-(4-ethyl-2, 3-dioxo-1-piperazinecarboxamido)-α-(4-hydroxyphenyl) acetamide (T-1551D) were produced, respectively.
著者
高橋 英幸 金田 邦彦 酒井 哲也 原田 直樹 堀井 進一 岡村 明治 土師 守
出版者
Japan Surgical Association
雑誌
日本臨床外科学会雑誌 (ISSN:13452843)
巻号頁・発行日
vol.75, no.5, pp.1423-1427, 2014

症例は68歳,男性.平成24年12月に骨盤内を占める大きな腫瘍(φ90mm×140mm×100mm)に対し,腫瘍摘出術を施行.病理組織学的にperivascular epithelioid cell tumor (以下PEComa)でS状結腸に癒着があったため,一部S状結腸も合併切除した.粘膜面は正常であり,病理学的にS状結腸間膜から発生したものと診断した.核分裂像は1/10HPF以下であったが,腫瘍径は5cm以上で,腫瘍の中心部は広汎な壊死に陥っていたことより,悪性のポテンシャルを持った腫瘍の可能性を否定できないと考え,定期的に当院外来にて経過観察を行っていた.平成25年10月に約1年ぶりのfollow upの腹部CTで,下腹部に約55mm大の腫瘤を認めた.また,骨盤腔内右前部の腫瘍に一致してFDGの集積を認めた.(SUVmax 5.828)以上より,PEComaの腹膜再発と考え,摘出術を施行した.病理学的にも基本的に前回と同様の所見を認めた.術後の経過は良好であり,第7病日に軽快退院した.再々発の危険性があるため,今後,3~4カ月ごとの腹部PET-CT検査を予定している.
著者
酒井 明
出版者
千葉科学大学
雑誌
千葉科学大学紀要 (ISSN:18823505)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.89-97, 2008-02-29

我が国の総人口が予想より早く2006年から減少し始めた。生産年齢人口については減少に転じてから12年近くが経過している。我が国を少子化と高齢化という二重の負担が覆っている。日本人労働力の減少を補うために、毎年約60万人の外国人労働者を受け入れなければ、日本は現在の経済水準を維持出来ないと言われている。しかし、受け入れの拡大は犯罪、社会保障、教育などで社会秩序リスクを伴う。一方、国際的な労働移動をめぐる環境も大きく変化している。グローバル社会の到来に対応すべく21世紀において日本はこの外国人労働者受け入れ問題をどの様に考え、実践すればよいのか。本論においては方法論として、まず、なぜ、今、外国人労働者問題なのか、問題の背景に触れ、次に現行の制度の概要と変遷、それをめぐる議論について検証し、どの様な問題が生じ、また、なにが課題となっているかを考察する。その後、それを踏まえて諸外国の例を参考としつつ、新しい21世紀日本の外国人労働者受け入れ政策について提示する。
著者
小松 孝昭 谷口 勲 小林 さゆき 酒井 良彦 高柳 寛
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.308-311, 2009 (Released:2013-05-15)
参考文献数
4

症例は75歳, 男性. 1970年僧帽弁狭窄症にて僧帽弁交連切開術施行. 1982年人工弁置換術(Björk-Shiley弁)を施行し, 以後外来通院中. 2003年9月より黄疸が出現し, 10月下旬外来受診. RBC 193万/mm3, Hgb 6.1g/dL, Ht 18.8%, LDH 15,058 U/L, I-Bil 8.38mg/dLにて入院. 溶血性貧血を呈していたが, 諸検査で肝胆道系, 血液疾患は否定した. 心エコー図検査で人工弁周囲より逆流を認め, 人工弁機能不全が貧血の原因と考えた. 11月下旬再度弁置換術を施行. 弁周囲は脆弱で, 後交連近傍の縫合線の3分の1が弁輪部組織と離開しており, この部分の異常血流が赤血球破砕をきたし, 溶血性貧血が生じたと診断した. 人工弁の可動性異常はなかった. 術後貧血は改善を認めた. 人工弁置換による溶血性貧血を認めた症例を経験したので報告する.
著者
酒井 俊典
出版者
日本学術会議 「機械工学委員会・土木工学・建築学委員会合同IUTAM分科会」
雑誌
理論応用力学講演会 講演論文集
巻号頁・発行日
vol.61, pp.109-109, 2012

本研究は1gモデル試験と解析の両面から,密詰め砂における浅いアンカーの形状効果について検討を行ったものである.試験には矩形アンカーではアンカー引き抜き試験機を,ストリップアンカーではトラップドア試験機を使用した.矩形アンカーのL/Bは1,2,3,4,5を使用した.トラップドア装置は両面ガラスでできており,トラップドア部の幅は5cmである.3次元有限要素解析は,せん断帯,ひずみ軟化を考慮し,非関連流れ則を適用した弾塑性モデルである.矩形アンカーとストリップアンカーの破壊メカニズムを比較することで形状効果について検討を行った.その結果,形状効果に進行性破壊が影響することが明らかとなった.ピーク後ひずみ軟化が認められ,最大の無次元引き抜き抵抗値は,L/Bの増加により小さくなった.
著者
酒井 昭四郎 大蔵 律子
出版者
公益社団法人 日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.15, no.5, pp.507-509, 1966-05-05 (Released:2009-06-30)
参考文献数
3

Since condensed chain phosphoric acids have a titratable strong-acid hydrogen for each phosphorus atom and a titratable weak-acid hydrogen corresponding only to terminal phosphorus atoms, the average number of phosphorous atoms per chain (polymerization degree) can be calculated from titrant volume consumed for two inflexion points on pH titration curve.In the determination of polymerization degree of chain polyphosphates, pH titration was carried out after phosphates had been changed to acid type by ion exchange resin. The values obtained by this method showed a good agreement with those calculated from chemical analysis of Na/P.The method will be applicable to routine analysis for production control of chain polyphosphates.
著者
清水 賢巳 元田 憲 多賀 邦章 神川 繁 炭谷 哲二 布田 伸一 酒井 泰征 竹田 亮祐
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.15, no.7, pp.759-766, 1983-07-25 (Released:2013-05-24)
参考文献数
16

重症筋無力症の心電図所見を検討した.対象は8~65歳の男女16例で,男女比は5:3,罹病期間は1ヵ月~17年,平均5.6年であった.病型はOsserman分類にて型3例,IIA型8例,IIB型3例,III型1例,IV型1I例であった.胸腺腫は4例(良性2例,悪性2例)に認めた.抗コリンエステラーゼ剤投与歴は0~7年,2例に60Co照射歴があった.心電図所見では,(1)正常例は16例中4例(25%)であり,異常所見として伝導障害1例(6%),ST・T変化8例(50%),不整脈6例(38%)を認め,高電位差,QRS群のterminal notchingは5例(31%)と高率に認められた.(2)心電図異常は臨床所見のうち,年齢,罹病期間,抗コリンエステラーゼ剤服用歴とは関係がなく,重症例,呼吸機能低下例で多彩であった.(3)経過中に巨大陰性T波の出現を認めた1例を経験した.本例の陰性T波の成因として自律神経系の関与が推定された.
著者
酒井 茂幸
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.42, pp.119-149, 2016-03-12

稿者はこれまで、中世から近世に至る、禁裏・仙洞御文庫における蔵書形成の歴史を明らかにする目録学的研究を行ってきた。本稿では宮内庁書陵部蔵『歌書目録』収載の定数歌・歌会の蔵書群を主に取り上げ、霊元院の仙洞の読書を支えた歌書の書写や収蔵について考察する。宮内庁書陵部蔵『歌書目録』収載の定数歌・歌会の中には、久保木秀夫によって万治四年(一六六一)の禁裏火災により焼失した伝本の副本と認定された三四点が含まれる。今回の調査ではこれを上回る五一点が該当することが確認された。すると、霊元院の仙洞御所の御文庫は、後西天皇の禁裏文庫をそのまま引き継いでいることになる。そして、同目録収載の定数歌・歌会には、『新類題和歌集』の編纂時に霊元院とその近臣により歌頭に付された藍色菱形不審紙が三五点に見出される。目録収載の一群の蔵書は、享保年間(一七一六~一七三六) (正確には崩御の一七年)まで霊元院仙洞の御文庫に所蔵されていたことが判明する。院の側近であった烏丸光栄の日記『光栄卿記』に拠ると、享保期には霊元院の仙洞御所において、『新類題和歌集』編纂に際しての「抜書」や「校合」の作業とは関わりのない場面で歌書の献上や書写が行われている。それらの記事からは、院がより書写が古く由来が確かな伝本を探求し、また近世写本の校合による本文研究を行っていたことが知られる。The catalog scholarly study by which a draft person makes the history of ownership formation in an imperial court senhorao library to the modernized world clear from the Middle Ages up to now, I went visit. An ownership group of a fixed number song tanka party of the Imperial Household Agency note Sasakibe warehouse "Utakaki catalog" listing is taken up mainly by writing and it's considered about a copying and keeping of Utakaki who supported reading of senhora in Reigen in.Fixed number song of the Imperial Household Agency note Sasakibe warehouse "Utagaki catalog" listing A duplicate of the handed-down manuscript burned away by imperial court fire in 1661 (1661) and authorized 34 points are included by Mr. Hideo Kuboki in the tanka party. It was confirmed that 51 points which exceed this in this investigation are relevant. Then a library in Sento-gosho in Reigen in will take an imperial court library of Gosai emperor over just as it is. And fixed number song of the said catalog listing The blue rhombic doubtful paper put by the trusted vassal to Kato with Reigen in at the time of compilation of "new similar problem anthology of waka poems" is found by 35 points in a tanka party. It's revealed that you possessed ownership of a group of catalog listing in a library in Reigen insenhora to the Kyoho year (1716-1736) (correctly, 17 years of demise).When it depends on diary of Karasuma Koei which was a staff of in "honor Lord account", extraction on the occasion of "a new similar problem, anthology of waka poems" compilation and work of proofreading are the situation which has no concerning in Sento-gosho in Reigen in in a Kyoho period, and Utakaki's presentation and copying are performed. It's learned from those articles a copying was older and origin searched for a certain handed-down manuscript, and that in was doing a body study by proofreading of a modern period manuscript again.