著者
金子 健彦
出版者
公益社団法人 日本薬理学会
雑誌
日本薬理学雑誌 (ISSN:00155691)
巻号頁・発行日
vol.151, no.3, pp.117-121, 2018

<p>サンバイオ株式会社は現在,再生細胞薬SB623の開発を行っている.このSB623には神経栄養因子や成長因子を分泌する働きがあり,脳の虚血や外傷等による損傷後の神経修復に寄与できると考えられる.SB623の安全性および有効性を評価するため,18例の慢性期脳梗塞患者を対象とした第Ⅰ/Ⅱa相臨床試験を米国にて実施した.移植1年後までの効果を評価したところ,European Stroke Scale,National Institute of Health Stroke Scale,Fugl-Meyer Assessmentのいずれにおいても有意な機能改善が認められた.安全性においても,SB623に起因する副作用や重篤な有害事象は認められなかった.これらの結果から,SB623は慢性期脳梗塞に対し,安全かつ有効であることが示唆された.現在は米国および日本で臨床試験を実施しており,特に日本では再生医療等製品に対する新たな枠組みの中で,いち早く患者様に届けられるよう,臨床開発を加速させている.</p>
著者
孫 昊 金 明哲
出版者
情報知識学会
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.3-14, 2018
被引用文献数
2

<p> 川端康成の少女小説における代筆問題は昔から指摘されており,中でも『花日記』は中里恒子の代筆という疑いが強い.本研究では計量文体学の方法を用いて,この小説の代筆問題に新たな解決策を提示する.本研究では,文章から抽出した文字・記号のbigram,形態素タグのbigram,文節パターンを特徴量とし,アダブースト(AdaBoost),高次元判別分析(HDDA),ロジスティックモデルツリー (LMT),サポートべクターマシン(SVM)とランダムフォレスト(RF)を用いて判別分析を行った.分析の結果,『花日記』は川端康成と中里恒子の共同執筆という結論に至った.</p>
著者
金 承革
出版者
バイオメカニズム学会
雑誌
バイオメカニズム学会誌 (ISSN:02850885)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.149-156, 2010 (Released:2016-04-15)
参考文献数
30
被引用文献数
1

正常足と外反母趾足の形状特性を抽出することを目的として,70歳以上の高齢者937名の足部表面形状を測定した.そのうち489名分のデータ分析の結果を報告する.機器は3次元足部形状測定装置INFOOT(アイウェアラボラトリー)を使用した.得られた足部表面形状の点群データから足相同モデルを構築し,相同モデル間の違いを表す形態間距離を算出して,多次元尺度構成法で形状特性を分析した.高齢者の外反母趾足の形状特性に関して,母趾外反と踵外反,アーチ扁平の型だけではなく,正常足並みのアーチ高さを持つ母趾外反型も存在した.外反母趾足の形状型に性別特有の型は無いが,女性には扁平が強くなる足が多かった.外反母趾足には2通りの形状タイプが存在し,それぞれ異なる変形メカニズムが存在する可能性が示唆される.
著者
吉田 憲司 松尾 直子 金子 道生 深谷 昌彦
出版者
特定非営利活動法人 日本顎変形症学会
雑誌
日本顎変形症学会雑誌 (ISSN:09167048)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.42-44, 1994-04-30 (Released:2011-02-09)
参考文献数
4

We developed the convenient measuring device of spine curvature from a lateral aspect to evaluate general symptoms of mandibular prognathism patients who apparently need surgical correction.The device enabled convenient measurement of the spine curvature of patients from a lateral aspect without affections the patients.
著者
酒本 勝之 金子 和真 江崎 光裕 藤井 麻美子 金井 寛 浅野 次義
出版者
一般社団法人 日本生体医工学会
雑誌
医用電子と生体工学 (ISSN:00213292)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.184-191, 1995 (Released:2011-10-14)
参考文献数
14
被引用文献数
2

A new method (BIM) by bioelectrical impedance for the estimation of human whole body or local part fat volume is described. This method is based upon that the resistivity of adipose tissue is much greater than that of fat-free mass of which frequency characteristics shows β dispersion phenomenon. It is well known that the admittance locus of fat-free mass provides the semicircle. Because the impedance value of trunk is only 10 or 20% of the whole body impedance (Zall) between arm and leg used by the commercialized impedance fat meter, if the fat volume in the trunk increase, the estimation error in the fat volume estimated from Zall would increase. Therefore, instead of Zall, BIM adopts the impedances measured at 5 local parts which are antebrachium, brachium, trunk, femoral part and cruralis. We measured the impedance of each parts for the frequency range from 3kHz to 300kHz and calculate the admittance locus in order to obtain the conductance at much lower frequency (Ge) and much higher frequency (Ginf) than β dispersion frequency. Arms, trunk and legs are represented by parallel models which are cone shape and consists of fat layer and fat-free mass layer. And then we calculate the equivalent conductivity σ of parallel models from Ge or Ginf. From σ, fat volumes of local parts which are arm, trunk and leg and whole body are estimated. When we estimate the fat volume of trunk, in order to take into consideration the adipose tissue which distributes around organs in trunk like liver, stomach, and etc., the weighting function K which is statistically given is multiplied to the equivalent conductivity of trunk. The reference fat volume can be measured by hydrometry. We can conclude that (1) the impedance at the trunk must be measured to consider the fat volume in the trunk, (2) Ge or Ginf must be used instead of impedance at about 50kHz to estimate the fat volume, and (3) correlation coefficients between the whole fat volume measured by hydrometry and that by BIM with Ge and Ginf are about 0.77 and 0.94, respectively.
著者
小川 卓良 金井 正博 福田 文彦 山口 智 真柄 俊一 津嘉山 洋 幸崎 裕次郎
出版者
社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.587-599, 2007-11-01
参考文献数
26
被引用文献数
1

第53回大会において初めて『癌と鍼灸』をテーマにしたシンポジウムが本学会において開催され、がん (及びがん患者) に対する鍼灸の有用性や可能性が示唆され、本セミナーはその続編である。近年本邦及び世界中でがんの鍼灸治療の関心は高まりその有用性や適応などについて多数報告されているが、エビデンスのある適応範囲は限られており、治癒並びに予防、再発予防などの分野ではまだまだ信頼性に乏しい報告しかなく、症例集積を積み上げていく必要がある。病院内で医療との併療では鍼灸は症状緩和や延命に有用性があり、なるべく早期に頻回治療を行う方が有効性は高く、リンパ球数は鍼治療継続中には上昇するが、治療終了後には元に戻る傾向という報告があった。自律神経免疫療法を行った報告では、長期的に見ると治療継続によりリンパ球数には変化はないものの、リンパ球機能が活性化されIL12, IFN&gamma;, TNF&alpha;等のサイトカイン産生能力が高まると同時に、Th1、Th1/Th2値が上昇し、免疫機能が賦活され、かつ腫瘍マーカーも正常になるか正常に近づき、未手術例においてもがんの縮小 (中には消失) や再発が防止され、症状が緩和しQOLも改善して延命になるとのことであった。本セミナーでは前回以上にがん (及びがん患者) に対する鍼灸治療の有用性や治療の可能性が示唆され、益々この方面での研究が必要との認識が高まった。
著者
鹿毛 勇太 磯田 祐士 大川 智子 渡邉 裕子 金岡 美和 相原 道子
出版者
医学書院
雑誌
臨床皮膚科 (ISSN:00214973)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.31-35, 2017-01-01

要約 70歳,男性.右上顎洞悪性黒色腫術後に全身の紅斑が出現した.皮疹出現より4日目に発熱と皮疹が急速に増悪し,Stevens-Johnson症候群と診断した.被疑薬はすべて中止し,ベタメタゾン8mg/日の点滴を開始し,翌日よりステロイドパルス療法を施行したが病勢が進行し,表皮剝離が進行したため,中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis:TEN)と診断した.集中治療室に転棟し,全身処置を行いながら血漿交換療法,大量免疫グロブリン静注療法を併用した.最大表皮剝離面積は80%に及んだが,16日目より皮疹の改善がみられ,32日目には完全に上皮化し,後遺症を残さず治癒した.TENの急速進行期では,各種の免疫調整効果を組み合わせた治療が有効であると考えた.

1 0 0 0 OA 四生譜

著者
清金文錦撰
巻号頁・発行日
vol.1集, 1715
著者
金森 博雄
出版者
中央公論社
雑誌
自然 (ISSN:03870014)
巻号頁・発行日
vol.25, no.5, pp.42-47, 1970-05
著者
金井 景子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.32, no.10, pp.57-66, 1983

I made an attempt to pursue the significance of the problem of the "unemployed", which the literature in the beginning of Showa Era was motivated upon, by taking examples from the literary works around 1930's focussing upon the unemployed proletariats as a motive. Yokomitsu Riichi tried to go further than "Neo-sensationalism School" by writing Shanghai. Kawabata Yasunari wrote Asakusa Kurenaidan. The works of Shimomura Chiaki made the "Rumpen (the unemployed) literature" popular in the literary world. Hotta Shoichi's Slave Fair also concerns the problem.
著者
de Guerin Maurice 金澤 哲夫
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.43, pp.78-65, 2006

モーリス・ド・ゲランGeorges-Pierre-Maurice de Guérin は一八一〇年八月四日タルヌ県アンディヤックの近く、ル・ケイラ(ル・カイラとも)Le Cayla の館に生まれ、同地で一八三九年七月一九日に死んでいる。二九年に満たない人生において残した作品は数少く(自ら焚書も行っている)、特に二篇の散文詩『ル・サントール』Le Centaureと『ラ・バカント』La Bacchante の作者として知られているが、他に著作として、『グロキュス』Glaucus を始めとする韻文詩、『緑のノート』Le Cahier vert(一八三二年から一八三五年にかけての日記)、『書簡』(家族や友人たち、特に姉ウージェニー宛の、そしてバルベー・ドールヴィイ宛の手紙)、そしてここに訳出を試みた『マリーの死についての瞑想』Méditation sur la mort de Marie がある。 この作品が捧げられているイポリット・ド・ラ・モルヴォネーHippolyte de la Morvonnais はマリーの夫で、モーリスが彼と知り合ったのは、ブルターニュ地方のラ・シェネーにおいてであった。﹁サン・ピエールの修道会﹂を主宰していたラムネーLamennais の許をモーリスが訪れたのは一八三二年一二月、そこでイポリットに出会ったのが翌年四月。その後アルグノンの谷にあるモルヴォネー宅を、八月、一一月(一週間)、一二月から一八三四年一月にかけて(四五日間)、と三回訪ねている。妻のマリーとも親しくなり、彼女に一篇の詩『アルグノンの周縁』Lesbords de L'Arguenon(一八三三年一一月一五日作)を捧げている。この間の一八三三年九月にラムネーは修道会を解散。一八三四年一月モーリスはモルヴォネー家を辞し(別れの場面と抑制された悲しみが『緑のノート』に一月二四日付で書き留められている)、パリに赴く。そこで一八三五年一月二六日、ある友人からの手紙によって、四日前の一月二二日にマリーが死んだことを知る。二月一杯、『緑のノート』にこの死について凝らした心の内の思いを繰返し綴っている(二月二日、九日、一二日、二七日)。そしてモーリスは『マリーの死についての瞑想』を書き、イポリット宛三月二一日付の手紙に同封した。彼はこの手紙を次のように書き始めている。 ﹁私はあなたに、友よ、私の思考の生のように脈絡を欠き、混乱して、表題のない数ページを送ります。大きな苦悩のように何か単純で静かなものを作りたかったのですが、私は自分を制御できずに、不吉な混乱に気が動転し、頭はある考えの激しさに酔い、色々とわけのわからない想像の中を駆け巡っています。私の知性の構成に深い欠陥を認めずにはいられないのは、特にこのような試練においてなのです。落ち着いた考えは知性の力を示します。ところがここでは、そして更に私がするすべてのことにおいては、これは、狂人の言葉のように、一貫性のない、痙攣して、いつでも突然中断する一つの創作以外の何でしょう。﹂ この手紙は『マリーの死についての瞑想』を著者自身がどのようにとらえていたかを明快に言い表していて興味深いが、それとともにこの作品には彼自身題をつけなかったことを語っている。そのため、これは一九一〇年にアナトル・ル・ブラーズAnatole le Braz によって『表題のないページ』Pages sans titre という題のもとに公表されたが、一九三〇年のアンリ・クルアールHenri Clouard 版で『マリーの死についての瞑想』と題され、以後、ベルナール・ダルクール編の全集(一九四七年)を含めて、後者を表題とすることが多かった。最近ではマルク・フュマロリ編の詩集を始めとして、前者の表題を用いる傾向にある。ここに訳出するに当って、表題は『マリーの死についての瞑想』とした。これはゲラン自身が与えた題ではないが、他方﹁表題のない数ページ﹂は手紙の中の一語句であり、これもまた著者が題として考えたものではない。ここでは、内容を卒直にわかりやすく伝えていると思われる方を選んだ。 アルベール・ベガンが『ロマン的魂と夢』の中で(Albert Béguin, L'Âme romantique et le rêve)、『マリーの死についての瞑想』をゲランの傑作としていることは知られている。一方、ゲランの全集を編纂したベルナール・ダルクールはこれを失敗作とみなし、翻訳できない詩を、詩人でもある翻訳者が翻訳しようとした一つの試みであると考えている。先に引用したゲランの手紙にある通り、著者自身これを完成した作品とはみなしていない。それどころか、自分の構成力の欠如を告白している。思いを寄せた女性の死という辛い経験が引き起した心の乱れも影響しているだろうが、錯綜する思い、抽象化へと赴く思考の歩みを手探りするかのようにして積み重ねる言葉やイメージが文章を時に不明瞭にしている。 翻訳に当ってできる限りテクストのシンタックスを尊重するべく努めたがなかなか首尾よくいかず、またそのために訳文が時として回りくどく、生硬になった。訳者の力不足にもよるが、もともと翻訳不能なものをフランス語で詩として書いたと言われ得るようなテクストを、更に日本語に翻訳しようとした困難さにもよる。 『マリーの死についての瞑想』の第一行からモーリスは、かつてイポリットとともに辿ったブルターニュの森の小径へと読者を導く。それは自然の小径であり、記憶の小径であり、夢想の小径であり、魂の小径であって、自然のそして心の風景の記述が追憶への巡礼に、抽象的な思考に、精神世界に通じる。テクストの歩みとともに言葉がイメージが絡み合い、いつしか言い難いものの回りを巡る―表現できない何かに到達しようとする試みのようである。語るのが本質的に難しいことがある。死をめぐって、不在をめぐって、生の根源をめぐって、魂の在り処をめぐって、言葉がもつれ暗中模索し、文章は錯綜し、不明の域をさ迷い始める。だがそこにこそこのテクストの陰翳や深みがあり、そして密かな香気が漂っているようにも思う。訳文の拙さが原文の姿を損なっていないことを願うのだが⋮⋮ 翻訳はマルク・フュマロリ版(Maurice de Guérin, Poésie, édition présentée, établie et annotée par Marc Fumaroli,Gallimard, «Poésie», 1984)に拠ったが、ベルナール・ダルクール編の全集(OEuvres complètes de Maurice deGuérin, texte étabi et présenté par Bernard d'Harcourt, Les Belles Lettres, 1947, 2 vol.)を適宜参照した。
著者
金子 文夫
出版者
土地制度史学会(現 政治経済学・経済史学会)
雑誌
土地制度史学 (ISSN:04933567)
巻号頁・発行日
vol.19, no.2, pp.28-52, 1977

This article attempts to analyze monetary expansion of Japanese imperialism into Manchuria in the period from the Russo-Japanese War up to the First World War. After the Russo-Japanese War, Japanese imperialism began to invade Manchuria, but was unable to maintain its military presence there because of the check by British and American imperialism and Chinese nationalism, and thus chose instead to proceed with economic invasion. The two most important vehicles for this program were the South Manchuria Railway Company, which controlled railway traffic, and the Yokohama Specie Bank, which was in charge of monetary system. This paper aims to clarify the role played by the Yokohama Specie Bank. The bank with many offices in Manchuria was assigned the role of the central bank in the colony-i.e., the role to unify the money system of Manchuria as an integral part of the Japanese money system. The Specie Bank virtually controlled financing for trade of Japanese cotton fabric and Manchurian soy-bean, which were the two major trade items. But due to the complex distribution system within Manchuria, it fell short of penetrating deep into village communities. As for the supply of public loans for the sake of control over public finance of Manchuria-another important means of colonial administration--the Specie Bank, and for that matter Japanese imperialism, was unable to accomplish much due to the lack of capital fund at its disposal. Besides these, there were two additional factors that decisively prevented the Bank from accomplishing its desired money policy. First, on the Japanese side, there was a conflict between the South Manchuria Railway and the Specie Bank over the choice between the gold and the silver standards. The South Manchuria Railway, as an importer of capital fund from the European money market which was on the gold standard, preferred the gold to the silver standard. Japanese traders were also in favor of the gold standard as they wanted to avoid losses caused by fluctuations of the exchange rate between gold and silver. The Specie Bank, on the other hand, found the silver standard more convenient for its planned penetration into the Manchurian silver money market. The second factor was the establishment of a new bank system in Manchuria-e.g., the Mukden Provincial Bank-which issued silver bank notes and obstructed Japan's monetary expansion. After all, Japanese traders preferred gold standard-bank notes issued by the Bank of Japan, whereas Chinese traders used silver standard bank notes issued by provincial banks, with the result that the Yokohama Specie Bank's silver bank notes failed to hold sway over the Manchurian economy as they were expected. Japan was far from successful in unifying the Manchurian money system. It added new kinds of currency to the pre-existing system, only to throw it into a greater confusion.
著者
金子 真司 後藤 義明 田淵 隆一 赤間 亮夫 池田 重人 篠宮 佳樹 今村 直広
出版者
国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所
雑誌
森林総合研究所研究報告 (ISSN:09164405)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.259-264, 2018

福島県十万山(浪江町・双葉町)の森林火災(2017年4月29日~ 5月10日)の延焼地において、火災直後に山頂部のアカマツ林と谷部のスギ林で樹木と土壌の試料を採取して放射性セシウム(RCs: <sup>134</sup>Cs+<sup>137</sup>Cs)濃度を測定して火災の影響を調べた。樹木については、同一木の幹の燃焼側と非燃焼側から樹皮を採取した。土壌は燃焼地と隣接する非燃焼地から堆積有機物層と表層土壌を採取した。アカマツでは燃焼樹皮が非燃焼樹皮に比べて現存量とRCs 濃度とRCs 蓄積量が小さかった個体が存在した。また、アカマツ林、スギ林で調査したすべての堆積有機物層のRCs 濃度が燃焼箇所に比べて非燃焼箇所で高かった。
著者
菅沼 一男 平林 茂 金子 千香 高田 治実 江口 英範
出版者
理学療法科学学会
雑誌
理学療法科学 (ISSN:13411667)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.163-167, 2016 (Released:2016-03-05)
参考文献数
16
被引用文献数
3

〔目的〕理学療法学科1学年女子学生における精神的健康度と大学生活不安との関連を調査すること.〔対象〕平成27年2月に1学年に在籍する4年制大学の理学療法学科女子学生44名であった.〔方法〕コーネル・メディカル・インデックスによる精神的健康度と大学生活不安尺度を調査した.〔結果〕CMIにて32%の学生が神経症またはその可能性ありと分類され,これらの学生は,CLASの日常生活不安,評価不安,大学不適応感,総合点のすべてにおいて正常群と比べて有意に高値であった.〔結語〕神経症傾向の学生は,対人関係,学業成績,大学への適合感,就職について不安感を持つ学生が多い.このため,早期に良好な対人関係を作られる援助,職業意識を高める指導など不安を軽減させるための対策が必要である.
著者
浅川 満彦 坂田 金正 ネベドンスカヤ イリーナ A. 近藤 憲久 長谷川 英男
出版者
根室市歴史と自然の資料館
雑誌
根室市歴史と自然の資料館紀要 (ISSN:18806279)
巻号頁・発行日
no.24, pp.45-48, 2012-03

Two mammalian species including Myodes rufocanus (abbreviated to ruf) and M. rex (rex) (Microtidae: Rodentia) were collected on Habomai Is. including Shikotan I. (abbreviated to Sk), Shibotsu I. (Sb) and Taraku I. (Tr) , and they were examined helminthologically. Up to now, 4 nematode species including Rhabditis orbitalis (Locality/host abbrev.: Tr/ruf) , Heligmosomum .yamagutii (Sk/ruf, Sk/rex) , Syphacia montana (Sk/ruf) and Heterakis spumosa (Sb/ruf, Tr/ruf) , and 2 cestode species Hymenolepis horrida (Sk/ruf, Sk/rex, Tr/ruf) and Anoplocephaloides sp. (Sk/ruf). This seems to be the first report of the parasitic helmitnhs from the mammalian species in the islands.
著者
金子 雄介 長田 繁幸 安土 茂亨 岡田 仁志 山崎 重一郎
雑誌
研究報告コンピュータセキュリティ(CSEC) (ISSN:21888655)
巻号頁・発行日
vol.2018-CSEC-82, no.24, pp.1-6, 2018-07-18

ブロックチェーン技術による分散台帳を利用する仮想通貨は,二重使用を防止するために,すべての取引で入金額の和と出金額の和が一致すること,すなわち,通貨価値の総量保存則が成り立つことを監査している.仮想通貨を金融業務で用いるには,利息による負債額の時間的増加や返済による負債額の減少を表現できる必要があるが,仮想通貨の安全な運用とは両立しない.本稿は,通貨価値の総量保存則を維持しつつ,利息や返済などの処理を合理的に記述する方法を提案する.提案法では,利息を考慮した融資額を意味する正の仮想通貨と,対となる同量の負債額を意味する負の仮想通貨を同時に発行し,これら 2 種類の仮想通貨の発行者のみが正負の仮想通貨を相殺する.
著者
金井 英一
出版者
東海大学
雑誌
東海大学紀要. 外国語教育センター (ISSN:03893081)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.33-50, 2005-03-30

クライストの最後の戯曲『公子ホンブルク』Prinz Friedrich von Homburg (1811)ほど,毀誉褒貶に曝されてきた作品は珍しい。今でこそドイツ悲劇の規範(カノン),ドイツ演劇の定番(レバートリー)としての地位はいささかも揺がないが,評価の変遷を逐一辿ろうとすると(半ば史実に基づかれていることもあって),それはドイツ近現代史を裏側からなぞるに等しいという由々しい事態を伴っている。受容と反発,賞賛と非難の歴史的経緯は,全集の解説や注釈に詳しいところだが,その契機の軸になってきたのは,第四幕の死の恐怖Todesangstと,第一幕冒頭の主人公によって見られた夢の場面Traumwandlungであった。騎兵隊を率いて選帝侯Friedrich Wilhelmの麾下にある一人の公子が,翌日に大きな戦いを控えながらブランデンブルクの城を背景にした夜の庭園にさ迷い込んで,夢に耽けってしまう-その現場を選帝侯以下宮中の面々に目撃される。舞台はそこから幕が上がり,ドラマの一切はこの時主人公によって微睡(まどろ)まれた夢をめぐって展開してゆく。その意味で夢は作劇上の一つの重要なモチーフとなっているが,それだけに終らず後述するように最終場において当の夢がそっくり舞台(現実)に再現されることで,ドラマの主題そのものに深く関わってゆくのである。そこでここでは劇作家クライストに置ける<夢>の問題を考えつつ,いわゆる夢遊Somnambulismusにライトを当て,そうした方向からあらためて作品のテーマを考察してみたい。もっぱら夢という視点から当作品を照射・分析してみようというこの新しい試みは,それなりに作品解読の一つのヒントになり得ると考えるからだ。