著者
今井 邦子
出版者
コロムビア(戦前)
巻号頁・発行日
1935-02
著者
森 大輔
出版者
熊本大学
雑誌
熊本法学 (ISSN:04528204)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.348-388, 2017-12-07

前回の森(2017)で取り上げたQCAの分析では、各変数は0か1のみだった。QCAでは各変数は集合を表し、1が集合への帰属、0が非帰属を表す。しかし、0と1の2つのみに分けるのではなく、もっと微妙な差異も表現したい場合があるかもしれない。そのような場合に、通常の集合(クリスプ集合crisp set)を拡張したファジィ集合(fuzzy set)を利用する。今回は、このファジィ集合を用いたQCA(ファジィ集合QCA)の、fs/QCAと、RのQCAパッケージ(およびSetMethodsパッケージ、vennパッケージ)での行い方を主に扱う。
著者
三谷 恭之
出版者
京都大学東南アジア研究センター
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.15, no.3, pp.421-429, 1977

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。
著者
千野 明日香
出版者
法政大学文学部
雑誌
法政大学文学部紀要 (ISSN:04412486)
巻号頁・発行日
no.56, pp.13-25, 2007

Asao Hara (1888-1969) was a female tanka poet who was active during the Taisho and Showa periods. Her first anthology of tanka poems, Ruikon, which was published in 1913, brought her into the limelight. It has been believed that Ruikon was published with the support of Akiko Yosano, Asao's mentor. It was later found that an unknown young man named Yoshino Nishino (1891-1973)actually planned and managed to publish Ruikon. There are a total of 45 letters written by Nishino in the Asao Hara Museum in Miyagi prefecture and the National Diet Library. These letters show the background of the publication of Ruikon and witness the situation of local publishing in the early Taisho period. Yoshio Nishino was a young literary enthusiast in Hiroshima. For some unknown reason,he suddenly decided to leave Japan and set out on a journey around the sping of 1913. He wanted to bring a tanka anthology of his own compilation whit him in memory of Japan. Since Nishino loved Asao's tanka poems,he wrote to Asao and offered to publish an anthology of her poems. Asao accepted the offer and wrote back to him. However,the publication conditions in Hiroshima at that time were poor and the anthology,wicth was printed in May of 1913, turned out to be a complete failure due to the poor type and paper quality. Greatly disappointed, Nishino discarded most of the printed books. Later in July,he republished the anthology after changing the paper and re-editing it. Thus, there are two different versions of the first edition of Ruikon. In the middle of July, Nishino left Hiroshima to visit Asao in Miyagi to say goodbye to her. In August, Nishino departed from the port of Yokohama on the emigrant ship Kiyo-Maru. After landing at Can ete, Peru, he went to Argentina through Chile. Early in the Showa period, he returned to Japan. He would later return to Argentina where he died in 1973. He spent his entire life as a wanderer and never had a regular job. While he cherished the memory of Asao all his life, he never had a chance to meet her again. For Asao, Nishino was an unforgettable benefactor. In her second anthology Shiromukuge, she dedicated a series of poems to Nishino. The model for this series was only recently identified.
著者
岡 隆史
出版者
公益社団法人 高分子学会
雑誌
高分子 (ISSN:04541138)
巻号頁・発行日
vol.55, no.10, pp.802-805, 2006-10-01 (Released:2011-10-14)
参考文献数
29
被引用文献数
1

天然由来の優れた保湿剤であるヒアルロン酸ナトリウム(HA)に新規機能性を賦与することを目的として,種々のHA誘導体を合成し有用性の評価を試みた.その結果,HAの水酸基にアセチル基を導入したスーパーヒアルロン酸(S-HA)が,優れた角質柔軟効果を有する保湿剤であることを見いだした.本稿では,両親媒性高分子保湿剤S-HAについて紹介する.

1 0 0 0 OA 舩路圖

巻号頁・発行日
1794
著者
ゴルシコフ ビクトル
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
開智国際大学紀要
巻号頁・発行日
vol.18, pp.67-85, 2019

欧米による経済制裁やウクライナ危機などの負の外的影響を受け、ロシアの銀行は資金調達のために、アジアなどの新しい資本市場へのアクセスを図っている。本論文では、ロシア政府がスローガンとして掲げているアジアへのシフトが、銀行部門においてどの程度まで見られるか検討した。本論文はロシアにおける中国・日本・韓国を含むアジアからの外国銀行の行動様式(business activities)を研究対象とし、とりわけ、その活動内容を分析している。著者は、アジアの銀行の世界ランキングが高いにも関わらず、ロシアにおけるその活動が非常に限定的であると指摘した。ロシア銀行部門対内外直接投資におけるアジアの銀行の割合が少なく、短期資本が大きな割合を占めている。アジアの銀行の多くはロシアが世界市場の原油価格の高騰によりもたらされた高度経済成長を経験した2000年代に参入している。中国の銀行は先発者として参入しているが、日本からの銀行は国内子銀行支店数において首位を占めている。概して、アジアの銀行の現地法人の財務諸表を用いて貸出残高及び預金残高の分析を行い、その主な活動はホーム国の顧客へのサポート、ロシア大手企業及び外資系企業への融資、ロシアの銀行への貸出業務であり、一部の銀行はロシア中小企業向けの融資とロシア政府の国債を購入していることが明らかとなった。リテール業務は主に自動車ローンで構成され、自動車ビジネス関連の日本の銀行がこのニッチ市場を積極的に展開している。加えて、本論文では、アジアの銀行の貸出残高構成が少数顧客へ集中していること、融資は特定産業へ傾斜していること、短期的な融資が圧倒的であることを指摘した。したがって、アジアの銀行はロシアが極めて重要としている製造業への海外直接投資の資金調達を積極的に行なっているとは言い難い。対ロシア制裁の中で、ロシアはアジアへのシフト、とりわけ、中国との政治経済の協力強化を余儀無くされているが、短期的にこのような政策が新たな機会を生み出すかどうかは不明である。
著者
小柳 弘恵 金城 やす子 八田 早恵子 島袋 尚美 長嶺 絵里子 鯉淵 乙登女 鶴巻 陽子 大浦 早智 松田 めぐみ
出版者
名桜大学
雑誌
名桜大学紀要 = The Meio University bulletin (ISSN:18824412)
巻号頁・発行日
no.23, pp.131-138, 2018

少子化や核家族化に伴い、妊娠から出産、育児に不安を抱える母親は多く、適切なサポート体制の整備が求められている。私たちは保健師・助産師・看護師の資格を持った教員が、母子の健康に関わってきた経験を活かし、昨年度から、屋部に開設されている子育て支援センター『子育て広場・ヤッホーハウス』で育児相談のボランティア活動を行ってきた。1年間で受けた相談数はのべ86件だった。最も多かった相談内容は【子どもの身体症状】で、次に【子どもの皮膚症状・スキンケア】について、【卒乳・断乳】という結果だった。皮膚症状や卒乳に関しては時期や季節によって多くなる傾向があった。また,母親自身や上の子に関する相談内容もあり、病院を受診して医師に相談するほどではないことを、ちょっと相談する母親が多いことが推察された。"ちょっとしたこと"がすぐに解決することに、この活動の意義があるといえる。この活動が新しいエビデンスを基に変化する育児情報を母親たちに伝えていく機会になるとよいと考える。また、出産後~育児中の女性は、母親自身より子どもについての気になる事が優先される傾向にあるため、「ここにくれば自分のことも聞くことが出来る」と、母親自身の健康への関心やセルフケア行動に繋がっていくことが期待される。
著者
飯島 慈裕 会田 健太郎 浅沼 順 石川 守 岩崎 博之 太田 岳史 小谷 亜由美 佐藤 友徳 篠田 雅人 杉浦 幸之助 朴 昊澤 檜山 哲哉 平沢 尚彦 金子 有紀 堀 雅裕 GOMBOLUUDEV Purevjav OYUNBAATAR Dambaravjaa IIJIMA Yoshihiro AIDA Kentaro ASANUMA Jun ISHIKAWA Mamoru IWASAKI Hiroyuki OHTA Takeshi KOTANI Ayumi SATO Tomonori SHINODA Masato SUGIURA Konosuke PARK Hotaek HIYAMA Tetsuya HIRASAWA Naohiko KANEKO Yuki HORI Masahiro
出版者
三重大学大学院生物資源学研究科
雑誌
三重大学大学院生物資源学研究科紀要
巻号頁・発行日
no.43, pp.15-25, 2017-09

宇宙航空研究開発機構によって2014年2月に打ち上げられた全球降水観測計画(GPM: Global Precipitation Measurement)の主衛星は高緯度地域の降水量が新規に得られる。このデータの検証は,今後の寒冷圏陸域の水循環・水資源研究等への利用促進に向けた観測精度の向上を図るうえで必要不可欠である。本研究プロジェクトでは,観測研究を実施してきた国内外の機関が協働して,北東ユーラシア(主としてモンゴル・東シベリア)で既設の観測システムを改良し,他の衛星データ解析と合わせて,夏季降水(降雨),冬季降水(降積雪)およびそれらの空間分布に関する地上検証を行う。また,今後の応用研究に向けて,陸面モデル・分布型河川流出モデル,メソ気象モデルを利用した,地域規模のGPM観測データの利用可能性を検討する。
著者
小川 勇二郎 黒澤 正紀 平野 直人 森 良太
出版者
一般社団法人日本地球化学会
雑誌
日本地球化学会年会要旨集 2008年度日本地球化学会第55回年会講演要旨集
巻号頁・発行日
pp.303, 2008 (Released:2008-09-06)

陸上のオフィオライト・スイーツには島弧のシグネチャーを持つものが含まれ、また現在の島弧前弧域にもオフィオリティックな岩石が現出することから、オフィオライトの多くは島弧で形成されたものと信じられている。ある条件下で島弧の前弧域がスプレッディングを起こし、そこに拡大軸ができていわゆる拡大海嶺的なまた島弧的なセッティングが生じる、とのモデルは多いが、その実体に関しては推測の域を出ない。SSZ ophiolite, forearc ophioliteなどとされるものは次のどれかに属するか、その組み合わせである。1)沈み込みが開始した部分のかつての大洋プレートのリムナント(つまり島弧のできる前の大洋プレート)、2)島弧がその火山フロントから裂けて発達するときに、前弧へ押しやられた古い島弧部分、3)島弧そのもの、特にその発達初期に活動を停止したもの、4)別の場所にあったものが、島弧の発達とともに前弧域にもたらされたもの、5)島弧とは全く無関係の大洋側のプレートが、沈み込み帯へトラップされたもの(オブダクションを含む)、6)拡大海嶺の沈み込みやロールバックによって前島弧その場所に、in situで噴出・エンプレイスしたもの。7)背弧のもの。これらにエンプレイスメントのプロセスやメカニズム、発達順序などを組み合わせると、さまざまなセッティングがありうる。たとえば、島弧の火山フロントからはかけ離れた場所にある例(タイタオ;Espinosa et al., 2005 Island Arc)や、拡大海嶺近傍から次の沈み込みが始まって、結果的に拡大軸に島弧のものが重なった例(オマーンなど)もあり、改変(あるいは改編)という用語は適当だろう。われわれは房総半島嶺岡帯の例について以下のような知見を得たので、伊豆島弧の発達史からのアナロジーを展開したい(Hirano et al., 2003 GSLondonSpecPub; Ogawa & Takahashi, 2004 Tectonophysics; Mori et al., 2008 GSASpecPap, submitted)。房総沖には世界的にもまれなTTT-type triple junction(房総三重点)が存在し、それに関連した島弧-島弧の衝突が生じていると考えられる。このセッティングは”trinity clastics”(オフィオリティック、島弧、大陸由来の三者混合の砕屑岩)(Mori et al., 2008 GSASpecPap, submitted)の存在から、中期中新世からのものであろう。それはまた、四国海盆の拡大末期における日本海の観音開き、南部フォッサマグナの火山活動、伊豆弧の衝突開始などに符号することから、日本列島が現在の形となった時期に一致する。嶺岡帯は、基本的には四万十帯の延長であろうが、そのオフィオリティックな岩石と付随する地層・岩石群は、西南日本の一般の四万十帯に現れるものとは、産状などが根本的に異なっている。玄武岩はtholeiiteを主とし(MORBを主とするが、IATもある。すなわちフラットなスパイダーグラムで特徴的ないわゆるMORBタイプが多いが、一部にNb-Taがネガティブなアノマリーを示す島弧的なものが含まれる)、またwithin plate (A)のドメインに入るalkali basalt(petit spotかもしれない)もある。玄武岩は枕状溶岩からなり白亜紀(80Ma)から中新世(20Ma)までにわたる。斑レイ岩の大半は島弧的であるがMORB的なものもあり、ほかの玄武岩質岩類とともに熱水変質、マイロナイト化、ブレッチャ化など、拡大軸やトランスフォーム(コアコンプレックス)などに類似する変形・変質を受けている。時代的変化としては、明らかに島弧的な岩石は40Maころから普通になり(トーナライト、安山岩、ボニニティック(28.6+/-5.1Ma)など)、最後は15Maころののフォッサマグナ・グリーンタフと共通の安山岩のパミスフォールで終了し、相前後して形成される付加体である中新世前期(23Ma)以降の保田・江見層群には伊豆島弧由来の火山岩が顕著となる。以上のような状況からは、嶺岡帯のオフィオリティックな岩石は白亜紀から古第三紀のある時期までの大洋プレート(Ogawa & Taniguchi, 1988 Modern Geology; 佐藤暢ほか, 1999地学雑らの「嶺岡プレート」)と、40Ma以降の島弧的な玄武岩ほかの混合したものである蓋然性が高い。また、結晶片岩ブロック(4個)の存在も見逃せない。現在の伊豆・マリアナ弧には、1)30Ma以前のトランスフォーム断層(四国・パレセベラベイスンの最初の境界)に沿う大町海山には片状アンチゴライト蛇紋岩に伴って角閃岩相の結晶片岩が産する(Ueda et al., 2004 Geology)。2)島弧最前縁には、蛇紋岩ダイアピルが多産し、ブルーシスト、チャート(白亜紀)などが産する(Maekawa et al., 1995 AGUGeophMonog)、3)母島海山には、蛇紋岩、斑レイ岩、玄武岩などいわゆるforearc ophioliteが産する(Ishiwatari et al., 2006 Island Arc)。以上のような現在の産状をすべて組み合わせると、嶺岡帯の岩石を説明可能かもしれない。今後、すべての岩石の徹底的なケミストリー(同位体を含む)、年代測定、産状の考察が必要である。