著者
芹川 博通 Hiromichi SERIKAWA
雑誌
淑徳短期大学研究紀要 = Bulletin of Junior College of Shukutoku (ISSN:02886758)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.107-144, 2004-02-25

国家 (政治) と宗教 (団体) のかかわりは、人間の歴史や文明と共に古い。文明の草創期においては、宗教的価値規範が統治者の意志決定を支配し、聖俗の社会組織の分化が明確でなかったので、国家と宗教との関係が問題となることはなかった。しかし、普遍的な理念や価値をもつ世界宗教が成立する一方で、固有の主権を主張し、国境を設け、独自の統治組織をもつ国家が確立していくにつれ、宗教と国家との関係が拮抗し、これらの間に、種々の形態を生みだした。国家と宗教との関係には、大別して、国家と宗教が合一している政教一致型と、その間が分離している政教分離型がある。さらに前者のなかにも、宗教が国家を支配するときは、神権政治や祭政一致制度を生み、国家が宗教を支配する状況では、国家は宗教を政治的に利用し、国教制や宗教の公認制をつくった。後者の政教分離型は、おおくが近代思想のもとに発生したもので、国家と宗教は法律や制度のうえで分離される。この場合にも、さまざまなものがある。ここでは、国家 (政治) 権力と仏教とのかかわりの一例を、中国晋代の慧遠 (三三四~四一六) と沙門不敬王者の問題を中心に考察するものである。
著者
藤田 真一
出版者
関西大学国文学会
雑誌
國文學 (ISSN:03898628)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.159-177, 2016-03-31
著者
伊藤 操子
出版者
日本雑草学会
雑誌
雑草研究 (ISSN:0372798X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.82-88, 1988-08-29 (Released:2009-12-17)
参考文献数
18
著者
呂,清夫
出版者
日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌
巻号頁・発行日
vol.15, no.3, 1992-01-01

文字の海の中に, 伝統色名セツ卜をどのように選定すれば, 代表性や普遍性のあるものになるのか。本研究では, 「中国色名綜覧」^<1)>および「中国の伝統色」^<2)>を, 英語の「色の標準と命名法」および「色彩辞典」と比較研究を行い, 調べた数字でその相違をはっきり比較させると共に, その色名選定の基準についての相違までも比較をする。そして, 英語の2種類の権威的な著作の間には, その選定の基準が比較的近いため, それぞれの選定した色名が重なるものが多いのに対して, 中国色名に関する2種類の著作の間には, その基準ががなり離れているため, それぞれの選定した色名が, 全く別なもののように見える。そればかりでなく, 中国語並びに英語の色名が代表する色彩についても, ほぼ同じ現象が存在している。つまり, 中国語と英語のそれぞれの両種類の著作にある色名の代表色を, 別々にNickersonの退色指数で表示すると, 英語の二つの著作にある色名の代表色は, 中国色名の二つの著作にある色彩より, その安定性が比較的高い。以上の現象の探求とその原因の究明とが本研究の要旨である。それは伝統色名セットの選定のキー・ポイントであろう。
著者
山本 真緒 浦西 克維 菊谷 有希 菅田 誠治
出版者
公益社団法人 大気環境学会
雑誌
大気環境学会誌 (ISSN:13414178)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.43-56, 2021-03-31 (Released:2021-03-31)
参考文献数
44

奈良県内でおこなわれた花火イベントが大気中のPM2.5濃度に及ぼした影響を評価するため、2014–2017年度のPM2.5の成分分析測定データの解析をおこなった。解析には特定のPM2.5固定発生源が付近に存在せず、濃度変動が類似している奈良盆地内2地点の測定結果を用いた。この2地点での同一測定日のPM2.5成分濃度の相関係数は、Srのみ著しく低い値を示した。Srが特に高濃度であった4測定日を除外し、各化学成分の相関係数を求めたところ、Srは0.14から0.65に、K+、Ba、Cu、Mg2+についても上昇した。これらは花火の薬剤含有成分であり、Srの高濃度日は花火の影響を受けたと考えられた。また、Sr/Ti比を用いることで花火の影響を受けた日を推定できることを明らかにした。次に、花火イベントによる大気中のPM2.5濃度への寄与を推定するため、PMFモデルによる発生源寄与解析を実施した。その結果、Sr、Ba、Cu、K+等を構成成分とする花火由来と解釈される因子が抽出された。観測期間中で花火因子の影響が最大となった2017/10/26では、PM2.5日平均値に対する寄与割合が17.8%(寄与濃度3.8 µg/m3)と推算された。花火からの大気汚染物質の放出は一日のごく短時間に集中することから、PM2.5成分濃度の一時間値に対する影響についても今後、検証していく必要がある。
出版者
日経BP社
雑誌
日経ものづくり (ISSN:13492772)
巻号頁・発行日
no.790, pp.46-49, 2020-07

「既に英国やドイツ、日本の顧客を相手に十数件実施した。予想以上にうまくいっている」。森氏は「デジタル立ち会い」の手応えをこう述べ、新型コロナ収束後も積極的に適用範囲を広げる姿勢をみせた。
著者
木本 晴夫
出版者
一般社団法人 日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌 (ISSN:03899357)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3+, pp.104, 2018-05-01 (Released:2018-07-17)
参考文献数
9

中国の色譜としては代表的なものとして,「色譜」(中国科学院,1957年)と,「中国の伝統色」(大日本インキ化学,1986年)とがある.「中国の伝統色」の応用は主に美術・デザイン方面にある.「色譜」の応用は「(動物,植物などの)生物学,鉱物学,印刷染色,絵画などの各領域」であり,「中国の伝統色」に比べてその応用分野は幅広い.「色譜」はその成立過程や編集関係資料などは明らかでないとされている.近年,インターネットの普及によって,世界中の種々様々な情報がアクセス可能となった.このことは中国においても同様である.本研究では,「色譜」の編集委員達について調査を行い,それを通して「色譜」の成立背景を考察した.併せて,関係資料として,特に,「色譜」が参考とした「ロシアのボンダルツェフ色譜」を入手して「色譜」との対比を行った.その結果,「色譜」と「ロシアのボンダルツェフ色譜」はその色と色名において顕著な類似性は見られなかった.「色譜」は中国の自然,文化を反映して,色,色名などを幅広い分野にわたって独自に作られたものと考える.色名造語も自由闊達で,多種多様である.
著者
加賀美 雅弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

日本語文献における外国地名の表記方法は,現地語による表記方法が重視されつつも,実際には内生地名endonymと外来地名exodymが混在し,現地語とは異なる表記が慣用化しているケースも少なくない。また,同じ地名が異なる表記なるなど表記のブレもあらわれている。このように外国地名の表記方法は,一定の規定がないために混乱しているといえる。しかし,国際的な情報交流を推進する上でも,地名表記方法の標準化は不可欠である。内生地名と外来地名それぞれの意義と問題点に関する議論が国連地名標準化会議と,その下部組織である国連地名専門家グループUNGEGNで活発に議論されているが,日本の地理学においても,地名の表記方法についての関心を高める必要がある。一方,ドイツ語圏では地名表記に関する議論が積極的になされており,地名の表記が,そこに住んできた人々の歴史や伝統文化を想起させる点で,彼らのアイデンティティと深くかかわっていることが指摘されている。以上を踏まえて,ドイツの地理学文献における東ヨーロッパの地名の表記方法を整理し,日本における外国地名表記のあり方について検討した。その結果として,ドイツ語圏において外国地名の表記方法が過渡的な時期にあることを明示し,日本の外国地名表記にもアイデンティティの問題が考慮されるべきである点に言及した。
著者
遠藤 総史 川口 敬義 渋谷 武弘 永山 愛 村上 広大
出版者
大阪大学歴史教育研究会
雑誌
大阪大学歴史教育研究会 成果報告書シリーズ (ISSN:21869308)
巻号頁・発行日
no.10, pp.46-67, 2014-03-15

2013年度大阪大学歴史教育研究会院生グループ報告(3)最新の研究成果にもとづく大学教養課程用世界史教科書の作成(平成23-25年度科学研究費補助金・基盤研究(A)・課題番号23242034)研究代表者 桃木至朗(大阪大学大学院文学研究科教授)
著者
柿原 浩明 馬 欣欣
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2014-04-01

少子高齢化が進んでいる日本社会で、国民医療費が年々上昇している。1990年代以降、政府は患者負担の軽減や医療保険財政の改善の観点から後発薬の使用を促進している。しかしながら、臨床現場では新薬および先発薬が依然として多く使用されている。本研究では、経済学の視点から、独自な調査を行い、ミクロデータを取集したうえで、新薬・先発薬の使用に関する要因を個人属性、情報要因、代理人要因、個人選好要因の4つに分けて分析し、医師が医薬品の選択行動のメカニズムを考察し、新薬・先発薬・後発薬の棲み分けのあり方に関する政策立案を行う際に、科学的根拠の一つとして提供した。
著者
藤江 敬子
出版者
筑波大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2016-04-01

対象期間に調剤薬局12店舗で取り扱った処方箋のうち、75歳以上の8080名(39252剤)について患者毎の薬剤数を調査するとともに、高齢者の安全な薬物療法 ガイドライン2015の「特に慎重な投与を要する薬物のリスト」に基づき潜在的不適切処方(PIMs)を抽出した。患者の43.1%が5剤以上の処方を受けているポリファーマシー状態にあり、26.7%は少なくとも1剤以上のPIMsが認められた。PIMsの中では睡眠薬が50.3%と最も多かった。ポリファーマシーと複数の診療科の受診は、PIMs処方の可能性を高めることがわかった。ROC解析においてPIMsのカットオフ値は総薬剤数では5剤と求められた。
著者
緒方,康二
出版者
日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, 1987-09-01

1873年に登場した「色図」は, 日本における色彩教育のはじめての試みである。「色図」は, 当時アメリカで盛んであったオブジェクト・レッスンのためのウイルソン掛図を, 直接的に取り入れたものであった。この「色図」教育は1881年頃に終わり, 以後長いあいだ, 色彩教育は空白のままとなった。1900年代の初頭にいたり, 海外留学から帰国した白浜徴によって, 再びアメリカにおける色彩教育システムが導入されることになる。白浜がアメリカに留学の途についた1900年代の初頭は, アメリカでさまざまな色彩教育システムが登場した頃でもあった。『新定画帖』(1910)にみられる白浜の色彩教育システムは, フローリッヒとスノーによる『美術教育テキスト』(1904)に準拠したものといわれるが, プラングの『カラー・インストラクション』(1893)の影響も認められよう。白浜の色彩教育法は, 明治時代をこえて長く適用されている。
著者
原 昭壽 中島 義仁 浅野 博 味岡 正純 酒井 和好 長内 宏之 桑山 輔 石濱 総太 坂本 裕資 大高 直也 小川 隼人 坂口 輝洋 村瀬 洋介
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.468-474, 2014

78歳男性. 2004年10月に洞不全症候群に対して左前胸部にAAIペースメーカを留置された. 2005年11月に植え込み部位の発赤を認めたため当院外来を受診した. ペースメーカ感染がまず考慮されたがバイタルサインや血液検査上は感染兆候認めず, 腕時計装着部の皮膚発赤から金属アレルギーを疑われた. ペースメーカ本体による接触テストを施行したところ接触部位の発赤が出現し, ペースメーカアレルギーと診断された. 対側への再植え込みに際し, 組織との接触防止のためリード・本体をpolytetrafluoroethylene (PTFE) シートで被覆して植え込みを行った. その後7年間発赤・腫脹などのトラブルなく経過した. バッテリー消耗により, 平成24年11月に電池交換を施行した. 術中所見としては, PTFE周囲は繊維性被膜に覆われおり, 滲出液などの感染やアレルギー反応を示す所見は認めなかった. 洗浄後にPTFE内に新規本体を収納し, 不足分を新規PTFEで被覆して閉創した. ペースメーカアレルギーへの対策として有効であったが, 感染リスクが今後の課題と考えられた.
著者
スバルナキッチ クンティニ 江前 敏晴 磯貝 明
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.325-335, 2008
被引用文献数
1

紙のマクロな構造は,いろいろな意味での紙の挙動に影響する。本研究では,紙のマクロな構造と吸水挙動の関係を検討した。坪量,叩解の程度及びウェットプレス条件を変えることにより,マクロな構造の異なる市販広葉樹クラフトパルプの試験用手すき紙を調製した。これらの試料について構造的な特性及び吸水特性を調べた。水との接触角を測定した結果は,自動走査吸液計の結果と同様の傾向を示した。吸水挙動は紙の表面構造に対する高い依存性を示した。平滑な表面ほど,水滴は横に広がりやすく,接触面積が増加する傾向があった。紙の表面構造を変えるどのような調製条件の場合でも,紙の表面平滑性の変化で一貫して説明できるような吸水特性を示した。表面化学的には,坪量の増加はサイズ剤であるAKDの歩留まりを向上させ,水との接触角は大きくなった。
著者
豊山 義明 長谷川 博
出版者
日経BP社
雑誌
日経ニューメディア (ISSN:02885026)
巻号頁・発行日
no.1610, pp.6-7, 2018-05-28

総務省は2018年5月11日、4月開催の電波監理審議会からの答申を踏まえ、東経110度CS放送(右旋)に関する衛星基幹放送業務の認定を行った。認定先には、名古屋テレビ放送(メ〜テレ)の子会社で、「エンタメ〜テレHD☆シネドラバラエティ」の東経110度CSでの放送に…
著者
坂口 慶治
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.18, no.6, pp.603-642, 1966-12-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
67
被引用文献数
7 5

Tango Peninsula is situated in the northwest corner of Kyoto prefecture. There were 100 rural settlements in the area more than 100 meters above sea level, in the early period of the Meiji Era. They consist of four types: in-valley, head-valley, top-valley and plateau settlements. The heighest level where the settlements were established was about 500 meters above the sea. The number of houses in one of these rural settlements varied according to the nature of soil and landform; in short, the space of arable land was the chief factor. In the case of 86 rural settlements, the number of houses has decreased, and in the case of the other six was the same until 1965. 18 out of the 86 settlements are now total “Ortswüstung” or absolute “Wüstung”, and 14 out of more than 50% of the houses which existed before 1872 have been lost.The rate of the loss of houses is influenced by the landform also and especially by the altitude. And then, top-valley and plateau settlements located more than 320 meters above sea level, and the in-valley settlements located below 280 meters above sea level have lost houses in the manner shown in the fig. 4. The gragh indicates the rate of loss in a straight line (the rate of loss=1/5 height). The head-valley and top-valley settlements below 280 meters above sea level have lost houses in a parabola (R=1/700h2).The loss of houses here began about 1880. The number of lost houses was remarkably large in the following 3 periods; 1907-21, 1928-33 and 1952-.A long distance movement (outside Tango region) of the people from these rural settlements began about 1897. More people moved with the opening of local railway in 1928. However, as a whole, it was small-scaled. Especially since 1952 fewer people move, relatively speaking. A short distance movement has been also small-scaled, but we can notice a large-scaled migration of this sort in 1928-33, which the writer should like to name ‘the first period of deserted villages’. A middle distance movement (toward the rural settlements on lower levels and local centers in the Tango region) has always been greater than the other two, except during the first period of deserted villages. About half of the middle distance migrators went mainly to nine local-towns (local centers) in Tango, especially to Amino (a textile manufacturing town) and Iwataki (a town with refined nickel industry, rubber shoes and texiles).In Tango Peninsula, total “Ortswüstung” or absolute “Wüstung” counted 18, and relative “Wüstung” 11 in 1965. The numbers mean about 30% of the rural settlements located more than 100 meters above the sea. Four of these appeared in ‘the first period of deserted villages’, and the other deserted villages appeared after 1956, which the writer should like to name ‘the second period of deserted villages’.A dominant factor of the deserted villages here was the difficulty of enjoying facilities for life until 1956, and after 1957 the lack of economic power to meat the gradually modenized ways of life.As for land utilization, there are three types-- (1) total “Ortswüstung” followed by no arable land abandonment, (2) total “Ortswüstung” followed by arable land aban-donment, (3) absolute “Wüstung”. Men are apt to abandon their homes before their cultivated land. Abandoned arable land is either left uncultivated or afforested. We can observe very few pastures made in the deserted arable land in Tango Peninsula.As for the new occupations of the migrators, those who lived in other places and came to work in their former farms could be found until about 1958.