著者
片方 恵子
出版者
特定非営利活動法人 組織学会
雑誌
組織学会大会論文集
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.20-25, 2017

<p>In Japan, a Chief Executive Officer (CEO) frequently announces his/her voluntary resignation or accepts punitive consequences when a company faces a crisis whether or not he/she is directly involved in the negative event. This study regards CEO resignation and other punitive actions as a form of crisis communication, and it aims to identify the factors that impact the need for this type of communication. Even though CEO resignation is a common type of crisis-related communication in Japan, few studies have focused on it, while some practitioners have claimed that this response is a unique Japanese style of apology. This study examined 88 crises that occurred in Japan over the past 10 years. It provides an explanation for the three most common ways a CEO in Japan could respond to a crisis—resigning, accepting punitive consequences, or not being subjected to any punitive consequences—by addressing locus and controllability, the success of minimizing the damage of the original crisis, and the scale of the damage. The study's results show that a CEO resigns when he/she is the locus of the event and the crisis is controllable or when he/she fails to minimize the damage of the original crisis. A CEO experiences a punitive consequence, such as a salary reduction, when someone else associated with the organization is the focal point of the crisis and the crisis is controllable or the crisis causes damages, such as casualties or health problems. A CEO does not incur any punitive consequences when the locus is outside the company, or no damage is caused, or he/she succeeds in minimizing the damage. These factors broaden our understanding of the meaning of CEO resignation and other punitive actions in times of crisis. However, the effects of a CEO's voluntary actions should be studied to obtain a deeper understanding of the consequences.</p>
著者
白石 和也 平林 弦大 高島 恵
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.48100293, 2013

【はじめに、目的】 日本理学療法士協会倫理規定基本精神第5項に「理学療法士は後進の育成に努力しなければならない」とある。これは、臨床現場における後進の育成に加えて学生に対する実習指導においても同様であると言える。しかしながら、多忙な臨床業務の中、実習指導に関する十分な教育や自己の指導に関して内省する機会は少なく、日々悩みながら実習指導にあたっている理学療法士が多いのではないだろうか。そこで本研究では、実習指導者の指導に対する評価として指導者による自己評価ならびに学生による評価をアンケート調査にて実施し、指導者と学生間における評価の相違を把握すること、また質の高い実習指導の一つの指標として学生満足度と他項目との関連を検討することで、実習指導者に特に必要となる教育スキルを明らかにすることを目的とした。【方法】 本校理学療法学科2年生(36名)ならびにその実習指導者(36名)を対象とし、6週間の臨床実習終了後にアンケート調査を実施した。アンケート内容は小林らが実施している実習指導者の指導に対する評価を参考(一部改変)に実施し、項目は1)実習要綱2)教育目標3)スケジュール4)指導体制5)態度・資質面6)知識・思考面7)技術面8)熱意9)理解10)雰囲気11)臨床実践12)専門性と論理性13)模範的14)知的好奇心15)チェック16)難易度17)満足度の17項目とした。それぞれの項目を5段階尺度にて、5を「優れている」、4を「よい」、3を「普通」、2を「やや劣る」、1を「よくない」とし点数化した。アンケート調査結果から各調査項目における指導者による自己評価と学生による評価の2群比較を実施した。また、学生による評価において学生満足度と他項目との相関を求め、相関があった項目に関して、学生満足度の高い群(4・5:21名)と低い群(3・2・1:15名)に分け、2群比較を実施した。統計処理はSPSSver16.0にて、Mann-WhitneyのU検定ならびにSpearmanの順位相関係数を用い有意水準はp<0.05未満とした。 【倫理的配慮、説明と同意】 学内承認のもと、対象者には本研究の目的、方法、プライバシー保護等について説明を行い、本研究への参加については本人の自由意思による同意を書面にて得た。 【結果】 アンケート回収率は学生100%、実習指導者75%であった。指導者による自己評価と学生による評価の各調査項目の比較に関しては、指導体制、知識・思考面、技術面、臨床実践、専門性と論理性、模範的、知的好奇心、満足度の項目において学生による評価が有意に高かった。学生による評価における学生満足度と他項目の相関に関しては、指導体制、態度・資質面、知識・思考面、技術面、熱意、臨床実践、模範的、知的好奇心、チェック、難易度の項目と有意な正の相関があり(r=0.415~0.735)、なかでも技術面の項目に関してはかなり強い相関があった。相関のあった項目における学生満足度の高い群と低い群の2群比較に関しては、全ての項目において学生満足度の高い群の評価が有意に高かった。【考察】 指導者による自己評価と学生による評価の各調査項目の比較においては、指導者と学生という立場や自己評価と他者評価の違いから、学生による評価が全般的に高くなったと考えられる。 学生満足度と他項目との相関ならびに学生満足度の高い群と低い群における各項目の評価の比較においては、質の高い実習指導の一つの指標として学生満足度を向上させる指導には、有意差のあった10項目の教育スキルが必要であり、なかでも技術面の教育スキルが特に必要であること、加えて指導者によって教育スキルに差があることが示唆された。技術面の教育スキルが学生満足度とかなり強い相関があったのは、学内教育では十分に学ぶことのできない、個々の対象者に応じて展開される臨床での理学療法技術の指導が満足度に繋がったと考えられる。これらの結果を学校から指導者にフィードバックすることや指導者が評価表を活用し継続して自己評価を実施することで、自己の指導に関して内省することができ、より教育スキルを向上させることができると考えられる。また、個々の指導者による教育スキルの差を埋めるために、実習施設と学校が協力して指導者育成の体制を構築していくことが必要であり、加えて実習要綱、学生評価表等の見直しや効果的な実習指導者会議、実習地訪問実施の為の検討が必要であると考えられた。【理学療法学研究としての意義】 実習指導における質の高い教育を検討することは、今後理学療法士として臨床にでる学生の質を高めることに繋がり、結果的に理学療法の対象者に還元できるものと考えられる。また、実習指導者としての教育スキルを高めることは、各施設における効果的な後進の育成にも繋がると考えられるとともに、教育スキルの向上が臨床力の向上に繋がることも期待できる。
著者
中園 博文
出版者
鹿児島純心女子大学大学院人間科学研究科
雑誌
鹿児島純心女子大学大学院人間科学研究科紀要 (ISSN:18809944)
巻号頁・発行日
no.13, pp.13-21, 2018-03

本研究では,保育士から「気になる子ども」として支援が必要と思われた子どもへの支援とその保護者に対する対応について,発達検査を用いた保育園での取り組みである。保育士は日ごろの保育の中で,視線が合わない,言葉でのやりとりが成立しにくい,新奇場面に弱い,集団に入れない,基本的生活習慣が身についていないなどの「気になる子ども」と認識していながらも,年齢相応の発達段階なのか,特別な発達支援を必要としている状態であるのかを判断することに日々悩み葛藤しながら保育にあたっていた。また,発達支援が必要となった場合に保護者にどのように説明したら良いのかを分からず,伝えられずに躊躇している例も多くみられていた。保護者に発達の遅れや発達支援の必要性を伝えたとき,怒りや拒否などの感情を表出したり,睨んだり,そっけない態度を示す保護者も見られ,保育士と保護者との間に亀裂が入ってしまい,なおいっそう悩みが深くなってしまうことも度々見られていた。そのような中,筆者は保育士が子どもの発達を主観的な判断ではなく,客観的な判断ができるように,発達検査を導入することにした。はじめての発達検査で検査方法や解釈などについて戸惑う保育士もいたが,検査結果と保育室での子どもの姿が重なり見えてくると,検査結果を元に日々の保育の申で子どもに対する発達課題と支援方法を考えるきっかけになったと話をする保育士もいた。保護者対応については,保護者にも発達検査をとってもらうことで納得して子どもの発達段階を受容できる可能性があることを知ることができた。発達検査をとることは保育士にも子どもにも保護者にもそれぞれにメリットがあることが感じた。保育士が発達検査を利用し,気になる子どもの支援や保護者対応した事例を振り返り,保育における発達検査の果たす役割を考察した。
著者
張 忠強 穴田 啓晃 川本 淳平 櫻井 幸一
雑誌
コンピュータセキュリティシンポジウム2014論文集 (ISSN:13440640)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.2, pp.228-235, 2014-10-15

オンラインゲームは最も人気のあるゲームの一つとなった. しかし,同時に,ボットやリアルマネートレードなどの不正行為も増加している.仮想世界におけるゲームバランスを維持するために,オンラインゲームの運営者は不正行為を行うプレーヤーに対して厳しい対応を取っている.本研究は,MMORPG を対象に不正なプレーヤー発見を支援するために,プレーヤーのゲームプレイ時間に基づくトピックモデルを生成し、潜在的な不正行動の分類を行うことを目的としている.本稿では,World of Warcraft Avatar History Dataset に対してk-means 法を主要なツールとするプレーヤーの分類を行い,特異な行動を持つプレーヤーグループを検出する.
著者
道上 勝春 大出 順
出版者
日本看護倫理学会
雑誌
日本看護倫理学会誌 (ISSN:1883244X)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.45-51, 2018

<p>A病院における精神科看護師の倫理的行動の実態を明らかにすべく、看護師と准看護師の158名に看護師の倫理的行動尺度と倫理的行動で問題に感じていることついての自由記載の欄を設けた質問紙調査を行った。その結果、役職では一般群より役職群のほうが倫理的行動尺度の得点と精神科歴では経験年数10年以下の看護師より経験年数11年以上の看護師のほうが倫理的行動尺度の得点が高く、倫理的な行動がとれるよう円熟していくのには、10年という経験年数が一つの区切りとして考えられる。また、自由記載は25のコード、10のサブカテゴリ、4のカテゴリとなり、カテゴリは【感情のコントロールとケアの質】【職場環境によるジレンマ】【時間と人員の不足によるジレンマ】【看護者自身の資質】と分類された。精神科病院という患者の行動を制限せざるを得ない療養環境において、日々悩みながらも看護師個々の倫理観を養い、職場環境作りをしていくことが重要と考える。</p>
著者
林 志修 佐々木 輝美
出版者
日本デジタルゲーム学会
雑誌
デジタルゲーム学研究 (ISSN:18820913)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.9-22, 2017

本研究では向社会的デジタルゲームに関する先行研究での課題の解決を試み、向社会的行動を 文脈によって定義づけ、その定義に基づき、人i気デジタルゲームiタiイトルの内容分析を行った。内容分析の結果、分析対象になった27個のデジタルゲームタイトルでは1時間当たり平均3.59回の向社会的行動が行われた。内容分析に基づき、デジタルゲームの中の向社会的行動とプレイヤーの向社会性の関係を明らかにするためインターネット調査を行った。その結果、向社会的行動の表現が多くみられたデジタルゲームのプレイ時間とプレイヤーの向社会性の間に有意傾向の正の相関がみられた。また、向社会的行動を文脈によって分類したとき、異なる種類の向社会的行動の持続時間はプレイヤーの向社会性と異なる関係を示すことが分かった。
著者
赤星 俊平 白水 菜々重 松下 光範
雑誌
第79回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2017, no.1, pp.1017-1018, 2017-03-16

本稿では,2016年7月に日本でサービスが開始されたPokemon GO を題材に,それが学生の勉学に支障をきたしたかについて検証する.注目されるゲームがリリースされる際には,定量的な根拠を伴わないにも関わらず,それらの勉学に対する負の影響がしばしば取りざたされ,その言説が一定の説得力を持って人々に受け入れられている.これは,ゲームに対する偏見を助長する懸念があり,検証する必要があると考える.そこで本稿では,Pokemon GO のリリース直後に行われた大学の期末試験を対象とし,受験者のPokemon GO のトレーナーレベルと試験の成績の相関を分析することで,Pokemon GO のプレイ時間が試験の成績にどのように影響したかについて定量的に検証する.
著者
林 志修 佐々木 輝美
出版者
日本デジタルゲーム学会
雑誌
デジタルゲーム学研究 (ISSN:18820913)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.53-65, 2018

本研究では向社会的デジタルゲームに関する先行研究での課題の解決を試み、向社会的行動を文脈によって定義づけ、その定義に基づき、人気デジタルゲームタイトルの内容分析を行った。内容分析の結果、分析対象になった27個のデジタルゲームタイトルでは1時間当たり平均3.59回の向社会的行動が行われた。内容分析に基づき、デジタルゲームの中の向社会的行動とプレイヤーの向社会性の関係を明らかにするためインターネット調査を行った。その結果、向社会的行動の表現が多くみられたデジタルゲームのプレイ時間とプレイヤーの向社会性の間に有意傾向の正の相関がみられた。また、向社会的行動を文脈によって分類したとき、異なる種類の向社会的行動の持続時間はプレイヤーの向社会性と異なる関係を示すことが分かった。
著者
五十嵐 由香
出版者
東洋大学人間科学総合研究所
雑誌
東洋大学人間科学総合研究所紀要 (ISSN:13492276)
巻号頁・発行日
no.21, pp.213-223, 2019-03

Upon release, a comedy film presenting Adolf Hitler in the leading role, Look Who's Back (Er ist wieder da, dir. David Wnendt, 2015), caused a worldwide sensation. The idea of featuring Hitler as a comic figure is immediately associated with Charles Chaplin's The Great Dictator (1940) produced during the World WarⅡ.While Hitler is the object of laughter, it appears that the comedic effect is induced more by the settings of each film. The goal of this paper is to examine the representation of Hitler in each film created in different periods in modern history and compare the ways in which they induce laughter.2015年にデヴィッド・ヴェンドが製作したドイツ映画『帰って来たヒトラー』は、タブー視されてきたヒトラーを喜劇映画の主人公にしたことにより、世界中で話題となった。この映画のワンカットにも挿入されているのだが、ヒトラーそっくりに、ドイツ語もどきの言葉を使って演説をする喜劇映画といえば、1940年のチャップリンの『独裁者』がすぐに思い浮かぶ。『独裁者』もまた、当時全盛期のヒトラーを扱った喜劇映画ということで公開前から話題となっていた。戦時と戦後という時代を隔てたこの二つの映画において、独裁者ヒトラーはどのように表象されているだろうか。本稿では、独裁者に対して起こる笑いが、映画に内在する二つの背景のコントラストから生じていることをそれぞれの映画の中に探りだし、笑いの中に見えてくる独裁者の表象を比較する。
著者
根来 宏明
出版者
日本醸造協会
巻号頁・発行日
vol.111, no.11, pp.694-700, 2016 (Released:2017-04-06)
著者
青山 郁子
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会論文誌 (ISSN:13498290)
巻号頁・発行日
vol.40, no.Suppl., pp.1-4, 2017-01-15 (Released:2017-03-06)
参考文献数
16

本研究は,高校生のインターネット上でのコンタクトリスク行動に関連する防御・リスク要因を特定することを目的とした. 高校生200名を対象に, ネット上でのコンタクトリスク行動, 通信機器でのフィルタリング・ペアレンタルコントロールの有無,ネット使用における保護者による統制実践, 保護者によるモニタリング, 接続自由, 保護者との信頼関係, 学校での所属感, バーチャルな人間関係への親近感を測定し,関連を検討した. 結果は,コンタクトリスク行動とフィルタリングの有無で実質的な差は見られなかった. コンタクトリスク行動の予測に関しては,学校での所属感, バーチャルな人間関係への親近感, 接続自由が有意な説明変数であった.
著者
板垣 浩正 Itagaki Hiromasa イタガキ ヒロマサ
出版者
大阪大学言語文化学会
雑誌
大阪大学言語文化学 = Journal of language and culture (ISSN:09181504)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.41-53, 2018

In Japanese writing, some expressions occur with a parenthesis like the form "X(Y),"as shown in the phrase "Tokyo Daigaku(To-dai)." This paper investigates an expression that does not contain Y and is used as Internet slang like "Tensai( )," and shows its semantic and functional characteristics(hereafter Null-Parenthesis). First, I introduce some previous research on parenthesis sentences. Research on these expressions began in the field of natural language processing, and has been carried on by theoretical linguistics, such as Relevance Theory or Cognitive Linguistics. This paper empirically shows that schematic descriptions in previous studies are not semantically adequate because of the idiosyncratic features of Null-Parenthesis. This suggests that semantic characteristics of some parenthetical expressions need a lowerlevel(individual)description, rather than an abstract description. This paper observes some behaviors of the Null-Parenthesis associated with several grammatical phenomena. It examines:(i)comparison of the Null-Parenthesis usage with a square-bracket expression;(ii)the acceptability in the interrogative sentence; and(iii) the occurrence position of the usage of the Null-Parenthesis. This examination indicates that the Null-Parenthesis conveys the cynical attitude of the writer on the word(or phrase)immediately before the parenthesis. Further, this paper points out that(iv)the Null-Parenthesis cannot appear in the specific event or action, and(v)when the verb that occurs with the Null-Parenthesis is taken as a possible form [-(rar)eru], the Null- Parenthesis can only be accepted in the attributive possible meaning of the verb. This means that the Null-Parenthesis has a constraint that it cannot express the cynical attitude toward a specific event, but instead toward a property of the thing. Based on that consideration mentioned above, this paper argues that the Null-Parenthesis can be generalized as follows; it conveys the cynical attitude of the writer to the property designated by the preceding word. In addition, this paper looks into the semantic extension of the Null-Parenthesis, such as "Mou shukudai akirameta( )." It presents that this type of usage can also be explained by assuming the semantic generalization mentioned in this paper, and Intersubjectivity proposed by Traugott(2003). In conclusion, even though the Null-Parenthesis is a type of Japanese Internet slang, often regarded as a peripheral expression, this paper argues that this usage is not a vague expression, but rather a "linguistic" phenomenon.