著者
吉田 ゆか子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.11-32, 2011-06-30

モノやモノと人の関わりに注目する人類学では、人とモノの関係を主体-客体と位置づける一元的な視点に疑問を呈してきた。一方、仮面劇の世界では、演者は仮面というモノに導かれながら自分ではない何者かになろうとし、そこでは自己-他者(仮面)、人-モノ、主体-客体といった対立は常に揺るがされる。本論では、バリ島の仮面舞踊劇トペンに注目する。トペン上演を、具体的な人とモノとの相互作用によってたちあがるアッサンブラージュと位置づけその特徴を指摘し、またその中で演者と仮面の主-客の関係がどのように撹乱されるのかを考察する。くわえて仮面の物としての多様な性質(=物性)が、そのアッサンブラージュにいかに作用するのかを考察する。台本も大掛かりな舞台装置もなく即興的に演じられるトペンは、演者、仮面、伴奏楽器、伴奏者、観客が集うことから上演がたちあがる。先行研究によれば、上演中の演者は仮面を操りつつ仮面に操られるという二重の意識を有する。しかし、演技のモードによって、演者は仮面と一体化するよりも、むしろ仮面の物性を暴露するなど、両者の関係性は可変的である。また伴奏者や伴奏音楽との駆け引きや、移り気な観客たちの態度によって、仮面と演者のみならず、その他の人やモノの間の関係性もダイナミックに変化する。ここに発生的で移ろいやすく、脆さをも含むトペン上演というアッサンブラージュの特徴をみてとれる。本論では、その中で仮面が物理的に演者の身体に作用することや、不動で命なきモノであるという仮面の物性が、トペンの多様な表現と実践を生むことなどを指摘する。加えて、一定時間存在し続けるという物性をもつ仮面は、演技後も演者宅に持ち帰られて人々と関わる。この長期的に維持される仮面と人々とのもう一つのアッサンブラージュが、トペン上演というアッサンブラージュといかなる関係にあるのかを考察する。
著者
銭谷 真人
出版者
鎌倉女子大学
雑誌
鎌倉女子大学紀要 = The Journal of Kamakura Women's University (ISSN:09199780)
巻号頁・発行日
no.28, pp.13-24, 2021-03-31

以前の論文で人情本の序文と本文の仮名字体について比較を行ったところ、人情本においては実用的な字体と装飾的な字体の分化が既に完成されていた。本稿では洒落本について同じように比較を行った。その結果、洒落本においては分化の途上であったことが判明した。さらに人情本と洒落本の仮名字体の比較を行ったところ、以下に述べることが分かった。①洒落本の本文で使用されていた仮名字体の一部は、人情本では序文にだけ見られた。②標準的な字体と字母が同じで字形が異なる仮名字体が、装飾的な字体として用いられた。③複雑な字形の仮名字体が本文では用いられなくなった。 つまり、仮名字体の収斂の傾向は、字体の消滅ではなく立ち位置の変化であると考えられるのである。
著者
渡辺 久子 三田 雅敏
出版者
帝京短期大学
雑誌
帝京短期大学紀要 (ISSN:02871076)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.27-31, 2001-09-28

胎児期に形成される脳の性差がヒトの行動や思考パターンに影響を与えているらしい。私達はヒトの考え方に男女の違いがあるのか確しかめるため、帝京短期大学に在籍する学生(女子)の思考パターンを分析した。調査の結果、約45%の学生が女性っぽい考え方(女脳)を持っていて、男性的考え方(男脳)を示したものは約25%で、残りは中間型であった。この割合は学年や学科の専攻やコースで統計的に有意な違いはみられなかった。一方、対照として調査したW大学の男子学生では、70%が男脳の持ち主で、女脳はわずか12%に過ぎなかった。結論として、男子学生と女子学生では、思考パターンが異なるといえる。また、女子学生において、男性的思考をもつものがやや多い傾向がみられたが、現代社会における女性の高学歴化や社会進出と関連している可能性がある。
著者
小宮 友根
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.134-149, 2018-06-30

<p>本稿の目的は, 「概念分析の社会学」の立場から構築主義社会問題論を再解釈することである. 構築主義社会問題論は, OG問題を乗り越え, 経験的研究に取り組むだけの段階にあると言われて久しい. けれど, 「クレイム申し立て活動」を調べることが社会学方法論上どのような意義をもつのかについては, これまで決して十分に注意が払われてこなかったと本稿は考える.</p><p>本稿はまず, OG問題をめぐる議論がもっぱら哲学的立場の選択をめぐるものであり, 「クレイム申し立て活動」の調査から引き出せる知見の身分に関するものではなかったことを指摘する. 次いで, 社会問題の構築主義のもともとの関心が, 犯罪や児童虐待といった問題を, 社会問題として研究するための方法にあったこと, そしてその関心の中に, 社会のメンバーが社会の状態を評価する仕方への着目が含まれていたことを確認する. その上で, 「概念分析の社会学」という方針が, そうした関心のもとで社会問題研究をおこなうための明確な方法論となることをあきらかにする.</p><p>「概念分析の社会学」は, 私たちが何者で何をしているのかについて理解するために私たちが用いている概念を, 実践の記述をとおして解明しようとするものである. この観点からすれば, 構築主義社会問題論は, 「クレイム申し立て活動」をほかならぬ「社会問題」の訴えとして理解可能にするような人々の方法論に関する概念的探究として解釈することができるだろう.</p>
著者
村上 幸史
出版者
日本社会心理学会
雑誌
社会心理学研究 (ISSN:09161503)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.133-146, 2005

It has been said that the reason why fortune telling in popular magazines (for women) is seen to "come true" derives from the authoritarian personality of the reader combined with the Barnum effect given by the text. However, past research had focused mostly on fortune telling of a personal character, and very few studies have been carried out which investigate matters of luck or fortune itself. The aim of this research is to investigate how people come to believe that a particular instance of fortune telling has actually "come true", focusing on the use of a "determination view of fate" as a descriptive style of text, and paying attention to both the presentation of material and the reader's cognition process, in four different studies. The "determination view of fate" is described as not varying no matter how readers act; it is something that readers accept as a set of values. For the purposes of this research, using the fortune telling descriptions in women's magazines, a line was drawn between cases in which the reader actually judged the contents as "likely to come true" (predictions) and those that actually "come true"(results), and the contents were analyzed. Consequently, among those who believed the prophecy at the stage of prediction and later judged it to have "come true, " certain structures of a self-fulfilling nature were seen to be held in common. In the light of the contents of the text, both negative and other contents described as nonvariable "fortune" contents were judged to have "come true." Although it can be concluded that, based on such results, fortune telling was recognized as actually dealing in "fortune, " it is conjectured that it evokes in the reader a feeling of hitting the mark through a revelation of fate. The reason why negative contents "come true" is discussed from the viewpoints of memory and content evaluation. The study indicates that those who believe in fortune telling do not do so because of authoritarianism, but rather because of flexible interpretation.
著者
小森 義峯
出版者
関西法政治学研究会
雑誌
憲法論叢
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-11, 1994

The 17 Articles Constitution by established Prince Shotoku has been neglected as one of no value by many constitutionalists of Japan. But such a tendancy is not right. In this essay, I emphasized (1) importance as the first written constitution of Japan, (2) importance as a national essential polity of Japan, (3) importance as the first written constitution all the world, (4) importance as a useful constitution for the future on this subject.
著者
片岡 良治 遠藤 斉
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会論文誌データベース(TOD) (ISSN:18827799)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.37-45, 2000-05-15
参考文献数
11
被引用文献数
8

本論文では,MPEG符号化情報から直接的に求められる映像の特徴情報を用いて,映像に含まれる類似シーンを精度良く検出する方式について述べる.ここでいう類似シーンとは,例えば野球中継の映像に含まれる個々のホームランシーンのように,理論的に同じ意味を持つが物理的な構成が異なるシーンを指す.類似シーンを精度良く検出できれば,それらに一括して同じタグ情報を付与できるようになり,映像データベースのインデクシング作業の効率化が図れる.提案法は,特にスポーツ映像へのタグ付け処理の効率化を狙いとしており,スポーツ映像の類似シーン共通するカメラワークの存在に着目してシーン検出を行う.また,音声認識の分野で提案された連続DPマッチングをカメラワーク情報の照合処理に適用することで,類似シーン毎のシーン長の違いに柔軟に対応する.実際の野球中継の映像を用いて実験した結果,提案法は従来法よりも高い適合率と再現率を提供できることが明らかとなった.This paper describes a similar detection method using feature information directly obtained from MPEG encoded video data. Scenes are regarded as similar ones when they have the same logical meaning while each of them conteins sifferent physical data. For instance, all home run scenes in a baseball program have the same logical meaning of "home run"while each of them contains different image data. Similar scene detection is effective for eliminating trouble in making an index of a video databese since it makes it possible to assign the same keyword to all derected scenes at once. The proposed method derects similar scenes based on their camera work similarity. Its main application is sports scene detection since similar sports scenes are generelly captured with the same camera work. To cope with the difference of scene length among similar scence, it adopts the continuous DP matching algorithm to compare camera work features obtained from MPEG encoded video data. It is evaluated using a broadcastung baseball prigram. The results show that it can provide higher precision and recall rates than traditional methods.
著者
山下 壮起 ヤマシタ ソウキ Yamashita Soki
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.39-60, 2014-12

論文(Article)ヒップホップでは反社会的な事柄が歌われる一方で、宗教的な表現が多く見られる。アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代が、政治的に保守化したアフリカ系アメリカ人教会と対峙するなかで救済を教会の外に求め、その結果、ヒップホップが救済について論じる言説空間としての側面を持つようになっていったと考えられる。本論文では、公民権運動以降のアフリカ系アメリカ人教会の変遷を紐解きながら、ヒップホップの宗教的機能の分析を通して、アフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代の救済観について考察した。
著者
内藤 正典
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.134-163, 1987
被引用文献数
1

クフレイン村は,ダマスカスの近郊に広がるオアシスの東端,シリア沙漠との境に位置する人口約1,600人の農村である.年間降水量100mmのこの村では,灌漑による夏季の疏菜と降雨による冬季の小麦栽培がおこなわれてきた.しかし1960年代以降,灌漑用水の不足と農地改革による経営規模の縮小とによって農家経営は行き詰まり,耕作放棄が進んでいる.この傾向は,オアシスの東半分を占めるステップ地帯の諸村に共通にみられる.数千年にわたって,都市民に食糧を供給してきた灌漑農業の歴史は,独立後の40年というわずかな問に崩壊の危機を迎えた.危機を招来した直接の原因は,首都への人口集中に伴う周辺農村の急速な都市化と,経済効果の伴わない農地改革の2点にある.そしてこれらの問題は,国家統合のために不可欠の政策が実現される過程で顕在化した.オスマン帝国時代から都市権力の中枢にあった名望家地主層の追放,およびマイノリティー・グループによるセクタリアニズムの解消という2つの政策がそれである.本稿は,2つの国家統合政策が,その実現過程で,近郊農村をどのように空間的に編成し,結果として農村の崩壊をもたらしたのかを分析した.第1の政策は,エジプトとの連合が成立した1958年に農地改革を実施し,名望家地主を追放することよって実現した.しかし農地改革は,都市権力の交代の副産物にすぎなかった.その後1963年のバアス革命をへて,1970年まで続く政権抗争では,-社会主義を標榜するバアス党内の権力抗争であったにもかかわらず-農民が革命の主体となることはなかった.1970年に成立した地方山村出身のアラウィー派政権も,農民組合員に対する特権の供与を通じて,上からの組織化を進めているが,農村全体の基盤整備には消極的である.第2のセクタリアニズムの解消は,アラウィー派政権の樹立によって一層困難となった.国家権力の中枢が位置する首都で,多数を占めるスンニー派住民に対抗するために,少数民族・宗派集団のオアシス農村への定住は黙認されている.このため,水需要の増大から灌漑用水は極度に不足し,既存の灌漑設備はオアシス内への集落の展開によって破壊された.農地改革によって村落の社会・経済構造が一変し,しかも灌漑農業の限界地に位置するクフレイン村では,権力による空間編成の過程で発生したさまざまな矛盾が,最も明示的なかたちで農村自体の存立を脅かすことになったのである.