著者
山本 政儀 Yamamoto Masayoshi
出版者
金沢大学自然計測応用研究センター
雑誌
平成15(2003)年度科学研究費補助金 基盤研究(C) 研究成果報告書 = 2003 Fiscal Year Final Research Report
巻号頁・発行日
vol.2002-2003, pp.7p., 2004-03-01

本研究は、陸上環境における放射性物質の最大のリザーバーである大地、すなわち土壌中でのPuのスピシエーション(存在状態、存在形態)を重点的に行なった。フィールドとして国内のPu汚染レベルの数〜数百倍高い旧ソ連核実験場セミパラチンスク内外の表層土壌を用いた。土壌の粒径分画、磁気分画とバイオイメージングアナライザー法を組み合わせて、種々の粒径の放射性物質を含む粒子Hot-particle(放射能の強い粒子)を定量的に探査する手法をまず確立し、それら粒子の特性を走査型電子顕微鏡(SEM)、エネルギー分散型蛍光X線分液装置(SEM-EDX)等で観察し、全体及び個々の粒子のPu測定も実施して、粒子特性とPuの関係、全体としての粒子Puの存在割合を明らかにする。また、微粒子に対しては、アルファー・トラック法を併用してPuの存在特性を考察することを目的に研究を進めてきた。 セミパラチンスク核実験場周辺のドロン村で採取した高濃度Pu汚染土壌を用いた。この地域の^<239,240>Pu及び^<137>Cs蓄積量はそれぞれ530-14,320Bq/m^2,790-10,310Bq/m^2であった。その後、試料をサイズ別に<0.45,0.45-32,32-88,88-125,125-250,250-500,500-2000μmに分画し、それぞれの分画中のPu濃度の測定を測定し、アルファー・トラック法でHot-particleの存在を確かめた。その結果、土壌の125μmを境にして<125μmで^<239,240>Pu濃度が高く更にHot-particle数が多いことが解り、土壌の再浮游からの吸入被曝経路の重要性が示唆された。Hot-particleの探査については、数-数十μmの勢多くのHot-particleの存在を確認(Pu由来)したが、定量的評価には更なる検討が必要で有り、顕微鏡下での自動測定を放医研の研究者と共同で研究を進めている。
著者
曽山 毅
雑誌
玉川大学観光学部紀要 (ISSN:21883564)
巻号頁・発行日
no.7, pp.23-35, 2020-03-30

修学旅行は,定説では明治中期に東京師範学校によって創出されたとされる。初期の修学旅行は滞在を含む教育旅行であり,行軍と呼ばれる軍事スタイルの行進と博物観察などを組み合わせたものであった。その後,全国の師範学校と中学校がこのタイプの修学旅行を採用した。やがて,行軍は鉄道旅行に置き換えられ,軍事訓練は修学旅行から分離した。その結果,修学旅行は見学を主体とする観光形態となり,大正および昭和の期間にわたって日本の学校で継続的に実施されるようになる。このように修学旅行が広範に支持された主な要因は,修学旅行が幅広い人々に観光を体験する機会を提供したことであった。
著者
境 希里子
出版者
文化学園大学
雑誌
文化学園大学紀要. 人文・社会科学研究 (ISSN:09197796)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.69-82, 2014-01-31

日本語学校では,外国人留学生に,「せい」は好ましくない結果の原因・理由を表すと説明する。実際の社会での用い方は,もっと広いのではないか。境(2000)は「せい」と,「せい」と対をなす「おかげ」について調査した。本稿は,その経年変化調査報告である。まず,辞書における説明や例文をもとに,「おかげ」は好ましい結果,「せい」は好ましくない結果の原因・理由を表すと仮定した。論文での用例を調べ,両者は文章語ではないこと,感情表現であることを確認した後で,新聞記事等の用例を分析した。その結果,「せい」は「おかげ」より実際の社会で用いられる割合が高いこと,「せい」の用例に仮定と異なるものが多数あること,中立の「せい」(文の前件と後件を漠然と繋いでおり,「せい」特有の感情も入っていない用い方)が存在することを再確認した。初出のときは基本的な用い方を教えるにとどめるのは当然だが,日本語の学習進度に合わせて,実際の社会での広い用い方も説明すべきである。日本語が母語である者は,母語であるがゆえに見過ごしていることもある。日本語を客観的に見ることも忘れてはいけない。
著者
山田 祥子
出版者
日本北方言語学会
雑誌
北方言語研究 (ISSN:21857121)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-106, 2023-03-20

The present publication aims to make available as a primary source the sound recordings of the Ewenki language (one of the Tungusic languages) taken from Ms. Ekaterina A. BORISOVA in Sakhalin Oblast, Russian Federation, during May-July 2010. Ms. BORISOVA was born in 1949 in Ayan-Maya (or Ayan-Mai) district that is located in the northern part of the Khabarovsk region. The Ewenki language she speaks is believed to be a dialect acquired in her homeland. Based on the geographical condition, it can be assumed to be the Ayan-Maya (or Ayan-Mai) dialect of the Eastern group of dialects, but linguistic features need to be closely observed for more accurate identification of the dialect. The present sound materials contain the followings: 1. Basic vocaburary 2. Numbers 3. Basic conversational expressions 4. Sample sentences based on a questionnaire 5. Text: my background 6. Text: dad, me, and our dog 7. Text: a story about wolves trying to attack reindeer 8. Text: a day in early summer 9. Text: a place, where wild animals gather 10. Text: the new horizon 11. Text: most important is the health of reindeer 12. Text: solonetz 13. Text: my reindeer 14. Text: Manchurian wapiti 15. Text: a bear and a chipmunk (from a Nanai tale) The phonetic transcription, Russian translation, Japanese translation, and (for chapters 4-14 only) the speaker’s own Russian transcription are provided as indexes to the sound materials.
著者
酒井 享平 山上 博信 上石 圭一
出版者
首都大学東京小笠原研究委員会
雑誌
小笠原研究年報 (ISSN:03879844)
巻号頁・発行日
no.36, pp.35-55, 2013-05-10

本研究を行った結果、東京都内における司法過疎問題の実態については、法テラス(日本司法支援センター)、自治体・商工会、法律専門職者・同団体等の努力の結果、司法過疎問題は決定的な破綻は免れているとは言えるが、なお、生存権、法の下の平等、裁判・弁護を受ける権利等の諸権利が最低限満たされている状況には至っておらず、一層の改善を図っていく必要があるとの結論が得られた。
著者
三浦 励一
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2001-03-23

新制・論文博士
著者
古松 丈周
出版者
関西大学経済学会
雑誌
関西大学経済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.151-170, 2022-03-10

本稿の課題は、ポール・A・バランがふたつの移行論争を乗り越える議論を示していたことを明らかにすることである。ここで、ふたつの移行論争とは、1950年代にモーリス・ドッブ、ポール・M・スウィージーを中心とした論争、そして1970年代にアンドレ・G・フランクとエルネスト・ラクラウを中心とした論争である。封建制から資本主義への移行について、ドッブはその内的矛盾に起源を求め、スウィージーは商業の復活による外的力にその起源を求めた。後にフランクはこの論争を内的矛盾と外的力の相互作用として止揚し、資本主義の進入によって資本主義となった周辺を低開発と分析した。フランクを批判したラクラウは、低開発は封建制と資本主義の両立から生まれることを指摘した。バランは『成長の政治経済学』でこれらの論点をすでに指摘し、さらに資本主義的合理性を歴史的に把握し、批判する客観的理性による批判を示していた。
著者
北村 由美
出版者
関西大学大学院心理学研究科心理臨床学専攻
雑誌
Psychologist : 関西大学臨床心理専門職大学院紀要
巻号頁・発行日
vol.11, pp.21-31, 2021-03

日本においては子ども虐待が深刻になっており、2000(H12)年に制定された「児童虐待の防止等に関する法律」(以下、児童虐待防止法)は2020(R2)年までに、児童福祉法等の関連法と合わせると8回改正されている。しかし、法律の改正がなされても児童虐待件数は減少することはなく、増加し続けている。子ども虐待が報道されるたびに児童相談所の対応のあり方が問われることが多くなっている。厚生労働省は子ども虐待については発生予防・早期発見・早期の適切な対応・被虐待児の保護・自立に向けた支援が必要と考えている。大きな事件が生じるたびに、児童相談所も国も虐待が生じてからの対応に追われているように見えるが、実は、虐待予防の仕組みを作ることが重要である。そこで、本稿では、虐待予防の仕組みを検討するにあたって必要と思われる、子ども虐待の現状について明らかにし、虐待が子どもに及ぼす影響、および、虐待に対する日本の取り組みについて述べ、子ども虐待防止に向けての課題を検討した。
著者
荻野 富士夫
出版者
新日本出版社
雑誌
治安維持法関係資料集.第4巻
巻号頁・発行日
pp.507-771, 1996-03-25

771
著者
山本 政人 Masato Yamamoto
出版者
学習院大学人文科学研究所
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.9, pp.35-54, 2011-03-28

本論文は日本におけるアタッチメント理論の受容とその後の研究の発展について検討したものである。Bowlby のアタッチメント理論は1970 年代に日本に紹介されたが、実証研究が盛んになったのは、1980 年代に入り、Strange Situation procedure(SSP)が導入されたことによってであった。しかし、SSP は日本の乳児に強いストレスを与えるため、Cタイプの出現を促進すると考えられた。また、アタッチメントのタイプと気質には明確な関連が見られなかったため、SSP による研究は衰退した。1990 年代に入り、内的ワーキングモデル概念が注目され、アタッチメント研究は再び盛んになった。特に、アタッチメントの世代間伝達に関する研究は活発に続けられてきた。世代間伝達だけでなく世代間の相互作用を明らかにすることや、児童虐待の防止につながる実践的研究を推進することが今日の重要な課題である。
著者
石原 暢 富田 有紀子 平出 耕太 水野 眞佐夫
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.122, pp.93-105, 2015-06-29

本研究は,都道府県ごとの体力・運動能力テストにおける平均点と「貧困」に関わる指標を用い,子どもの貧困と体力の関係性を小中学生男女対象に評価した. その結果,「ひとり親世帯で育つ子どもの割合」と「教育扶助を受ける世帯で育つ子どもの割合」の二つの項目と体力テスト平均点の間に負の相関関係が認められた。雇用者年間給与と体力・運動能力テストにおける平均点の間には小学生女子以外では相関関係が認められなかった。ひとり親世帯に住む子どもの割合と毎日の朝食の間に負の相関関係が認められた。教育扶助を受ける世帯で育つ子どもの割合と運動,睡眠,朝食に関わる項目の間に負相関が認められた。親の年収が直接子どもの体力に影響を与えないが,ひとり親世帯で育つ場合や教育扶助を受けなくてはならないほど世帯所得がひっ迫している家庭に育つ子どもは体力が低いことが本研究により明らかとなった。
著者
小島 浩之 Hiroyuki Kojima
出版者
学習院大学東洋文化研究所
雑誌
東洋文化研究 = Journal of Asian cultures (ISSN:13449850)
巻号頁・発行日
no.10, pp.203-228, 2008-03-31

This article mainly analyzes the formation process of the career path of elite bureaucrats in Tang Dynasty。 Moreover, from the viewpoint of the history of personnel policies, the Wu Zhou(武周)era in Tang Dynasty is discussed. In 698, an edict was issued, stating that the appointment of lower bureaucrats had to be based on their qualifications, when they entered officialdom. As a result, for the imperial examination, the career of successful candidates was distinguished from that of the lower classes. After three years, the Wu Zhou(武周)government determined that some posts in the bureaucratic system were to be able to be promoted to dignity early for the lower bureaucrat. This government decisionknown as Ge Pin Gui Ding(隔品規定)-constituted the support plans for candidates who were successful in the imperial examination. These successful candidates had a lower position in officialdom, and without the new policy, it was impossible for them to acquire a dignified position. Thus, the career paths of the elite bureaucrats in the Tang Dynasty were influenced by these personnel policies in the Wu Zhou (武周)era. A representative example of such career paths is the progression to Prime Minister by passing a selective examination eligible to candidates holding certain posts presented by the Ge Pin Gui Ding(隔品規定)policy. Such persona1 policies introduced by Empress Wu revealed one aspect of the security granted to successful candidates in the imperial examination.