著者
渡部 幹 山本 洋紀 清水 和巳 番 浩志 山本 洋紀 清水 和巳
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

制度の維持と変容を司る心理変数について、それらがどのような役割を果たしているか、そしてそれが制度とどのように関係しているかについて、3つの実験シリーズを行った。それぞれ、公共財における懲罰行動の分類とその行動に対する評価、他者の信頼性を判断する際の脳の賦活動、公正分配の規定要因、についての研究を行った。その結果、交換ネットワークの流動性や懲罰についての共有理解がそれらに影響を及ぼし、制度の生成基盤になる可能性が示された。
著者
林 直保子
出版者
関西大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

平成19年度には、平成18年度に引き続き、他者一般に対する信頼の生成プロセスを検証するための、全国調査を行った。平成18年度調査では、全国の満20歳以上の男女とし、各市町の住民基本台帳より、層化二段無作為抽出法を用いて2000サンプルを抽出し、66.3%の回収を得た。このデータを用いた分析により、一般的信頼の高低は、制度への信頼により大きく規定されていること、また制度への信頼は、格差感により強く影響されていることが明らかにされた。平成19年度には、電子住宅地図を用いた層化3段無作為抽出法を用いて全国調査を行った。社会調査を取り巻く環境の変化により、住民基本台帳等を用いたサンプリングが年々困難になっており、今後の調査の展開を見据えて、サンプリング方法の違いによるデータの偏りについて検討することも目的の一つとした。19年度調査に関しては、現在データ分析の途中ではあるが、18年度調査の結論と一貫した結果が得られている。2つの調査のデータは、今後国勢調査のメッシュ統計とマッチングした上で、個々人の社会経済的背景だけでなく、所得の地域間をも考慮に入れた上で、信頼の生成プロセスの総合的な検証に用いられる。また、平成19年度には、上記全国調査と平行して、特定の地域内における信頼と社会的ネットワークの連関構造を分析するために、兵庫県有馬町において留め置き調査を行った。その結果、強い社会的ネットワークが信頼を高めるというこれまでの知見と一貫する結果が得られたが、社会関係資本の構成要素のひとつである互酬性の規範と信頼との間には相関関係がみられなかった。
著者
増田 周子
出版者
関西大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

近現代の関西文壇や出版の状況は、まだ全貌が分からないことが多い。本研究では、関西の出版や文壇の状況を把握することを目的とし、海外文壇が関西の作家や出版状況に与えた相互影響関係や、関西の作家と中央文壇(東京)とのつながりについて研究した。明治、大正、昭和期における関西文壇や関西の出版文化が、どのような文化的背景の中で生まれ、東京などの中央文壇や、海外の文学状況と相互に関わりながら、成立し、発展していったのかを調査研究した。関西の作家は、東京の文壇にも進出し、多大な影響を及ぼした。また、海外の中でも、本研究では、とりわけ中国、台湾における関西の作家の役割が一部明らかとなったことは成果といえる。
著者
片岡 崇 TOLA EIKamil TOLA ElKamil
出版者
北海道大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は,不耕起播種のための精密播種方法の確立である。平成19年度も,ロータリ耕うん機で耕うんしたほ場と2通りの硬さで締め固めた不耕起相当の計3ほ場を準備し,各ほ場における作物生育状況を観察,計測した。栽培した作物は,大豆(品種:テイスティ)とビート(品種:スコーネ)である。また,不耕起栽培に適した播種溝の形状を検討した。播種深さをアクティブ制御できる機構を播種機に取り付けた。1.作物栽培大豆について,1個体当たりの莢数と豆数は,耕起ほ場と比べて,不耕起ほ場の方では少なかった。しかし,単位面積当たりの収穫量(質量)には,ほ場間の統計的な有意差は認められなかった。ビートについて,根部の重量は,平均値では耕起ほ場が良かった。しかし,ほ揚間に重量,長さ,糖度に統計的な有意差は認められなかった。生育状況の視覚的観察では,明らかに両作物とも耕起ほ場の方が生育が良かった。平成19年は,暑い夏であり,作物の生長が良い年であった。このため,収穫量に差が現れなかったと考えられる。この観察と統計処理の結果の違いに関しては,今後検討する。2.不耕起用播種溝形成機構の評価供試した溝切り機は,ディスク型,ホー型,タイン型の3種類である。土壌を不耕起状態のように調整して,溝切り実験を行った。形成された溝の形状を,レーザーラインスキャナーで計測し,3次元表示した。結果,タイン型の溝切り機が,土壌硬度,溝切り深さに関係なく安定した溝の形を形成した。3.播種深さ制御システムの開発不耕起ほ場に播種をする際,ほ場表面の凹凸が作業性能に影響する。このために播種機構部分に油圧シリンダーを取り付け,ほ場表面の凹凸に対してアクティブに高さ方向の位置制御を行う機構を構築した。
著者
菊池 韶彦 廣瀬 忠明 井村 伸正
出版者
公益社団法人日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.17, no.8, pp.687-692, 1981-08-01

現代科学の花形の一つである遺伝子工学は人類にとってどのような利益を約束し, また反面どのような危険性をはらんでいるのか.諸外国の事情にも詳しい専門家に期待と問題点を指摘していただき, この手法の主要な応用分野である薬学の関係者が倫理的な面をも含めてこの問題を考える際の参考にしたい.
著者
谷口 郁雄 田中 英和
出版者
東京医科歯科大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1988

聴覚中枢損傷後の機能的な回復に関する基礎的な情報を得ることを目的として、脳の中でも再生した神経線維が再びシナップスを形成するかどうか、もしシナップスが再形成された場合には、その機能的性質は正常なシナップスと比べてどのような違いがあるのかという点について、マウスの下丘交連を矢状断し、その後の神経線維の再生の現象を利用して形態学的および生理学的な方法により検討した。その結果、次のことが明らかとなった。(1)金属およびガラス電極を用いた微小電極法による実験から、切断された交連線維は再生し、タ-ゲットである下丘で再びシナップスを形成することが確認され、再形成されたシナップスの機能的性質については、音刺激に対する応答を抑制するものが主で、加算的なものも少数認められた。(2)抑制性シナップスが認められることは再生した交連線維が下丘に対して抑制性の介在ニュ-ロンにも結合することを示している。(3)再形成されたシナップスは正常群と比べると下丘の比較的表層に分布する。(4)再生した下丘交連の神経細胞をペロキシダ-ゼでラベルすると、正常群に比べて軸索の走行はかなり乱れていた。(5)以上の結果は下丘において再形成されたニュ-ロン・ネットワ-クが多様であることを示唆する。シナップスの機能に関しては正常群と比べて大きな違いは統計学的にはないと思われるが、再生した軸索は走行が乱れるので、下丘のシステムとしての機能には微妙な変化が起こっていると考えられる。
著者
宮下 克也
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.119, pp.233-256, 2008-03

特集文化人類学の現代的課題II特集文化人類学の現代的課題II第1部 空間の表象投稿論文I. はじめにII. 字・公民館 1. 沖縄県A町C字 2. 「中心」としての字公民館III. 場所の記憶の覚醒 1. 字誌づくり 2. 青年会の再結成 3. 道ジュネーによる記憶の覚醒・再創造 4. 屋取集落と新興住宅地 5. 意識を覚醒する音 6. 没場所性と始原志向IV. 結語In order to address the needs of a low birthrate and an aging population, we need to reconstruct communities that are declining. The purpose of this paper is to analyze, through concepts, such as memory, space and placeless which is coined by Edward Relph, the process of reconstruction of a community in the suburb of Naha City in Okinawa, where there are longtime residents and newcomers. At first, I will analyze on the community the effect of Azashi-making which means the residents compiling historical data into a book by themselves. Secondly, I will treat the young men's association. The association, which temporarily had suspended its activities, started again a few years ago. They revived an old custom, Eisa, which is the dance devoted to their ancestors. The revival involved both longtime residents and newcomers in the reconstruction of a community. They evoked the community's memories by Azashi-making and the revival of Eisa and began to have a special attachment to their community. Put simply, to reconstruct communities, they instilled their memory into the place which has been mixed by both longtime residents and newcomers.

1 0 0 0 OA 再結成

著者
岡島 行一
出版者
東邦大学
雑誌
東邦醫學會雜誌 (ISSN:00408670)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, 2005-01-01
著者
福嶋 正純
出版者
広島大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

18世紀後半における大道歌の語りの部分と歌の中には未婚の母による嬰児殺人を主題とするものが多数みられる。嬰児が無残な殺され方をすることも少なくないが、罪は専ら女性の性的ふしだら、官能的快楽の追求にあるとされて誘惑する男性の罪を咎めることは殆んどない。大道歌の公演は当局の厳しい検閲を受けるため庶民の困窮の基盤となる政治体制批判、差別問題は全くとりあげられず、批判の的は専ら弱者に向けられる。一方時代思潮を先どりしているシュトルム・ウント・ドラング時代の文学作品は、誘惑する男性の罪が弾がいされ同時に貧困に苦しむ民衆を描いて社会批判を鋭く行なっている。大道歌においては事件や犯罪の原因を厳しく追求する事は稀で悲惨な事件の描写に終止する。苦難の生活を強いられている庶民は、罪を厳しく問われて処刑される犯人の物語、鉱山事故、大災害の描写を耳にし、災難をまぬがれている自分を幸せと感じ、自分は人生をもっと幸せに送っていると考えて自己満足に浸る。大道芸人の語りは庶民に安っぽい同情と満足感を呼び起こし、処刑される犯人への同情などは焔情的な事件を垣間みたいと言った残忍な気持と表裏一体をなしている。大惨事の描写においては事故や災害の原因は追求されず全ては運命の糸の導きとして諦められる。神を恨んだり神の仕業に疑念を抱くことはなく、神は常に善行を報い正義を許えてくれるものとなる。この世の罪悪が神の所業とされることはなく事件や犯罪行為は神の責任の範囲外にある。神はこの世の運命、摂理の良い面だけを代表するのであって人間世界を支配する最高神とはならない。大道歌で語られるのは基本的にキリスト教徒の倫理であって善行、誠実、慈悲はキリスト教徒の備えている属性であり、悪行、邪悪、残忍は非キリスト教徒、とり分けイスラム教徒の属性に仕立てあげられていて、トルコ人の非人道的行為を描写する大道歌も数多くみられる。
著者
荻野 綱男
出版者
筑波大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1990

現代日本語の名詞シソーラスを作成しながら、語彙の意味分類の多様性についての研究を行った。現在までに、シソーラスを通して現代日本語の名詞の意味分類ができあがりつつあるが、こうして似た意味の単語をまとめてみると、全体が不整号になる現象が発生する。そこで、ある単語のグループを取り出して、そのグループが確かにグループになっているかどうかを検討することにした。シソーラスに関するさまざまな処理はパソコンを用いて行っているが、プログラムなどの整備が進み、シソーラスの効率的な検索を行うプログラムができあがった。このプログラムの完成によって、パソコン上でわかりやすい形でシソーラスが検索でき、またそれを利用してシソーラスのチャックができるというような態勢ができあがった。また、シソーラス全体を圧縮してフロッピーに格納するコマンド、およびフロッピーからハードディスクに圧縮を解除しながら格納するコマンドも作成した。以上の結果、シソーラスをフロッピー版で公開する用意が整った。
著者
藤原 静雄
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は、民間部門を包括的に規律するわが国個人情報保護法の次なる課題(第2世代の個人情報保護法の立法課題)を探ることである。研究期間内に実施した研究の成果は大要以下のとおりである。1.比較法研究(1)個人情報保護をめぐる、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、EU、APECの動向を一通り展望することができた。とくにドイツ、EUについては、現地調査をもとに、運用実態にまで立ち入った分析ができた。(2)諸外国の動向調査は、今後のわが国の立法資料となると考えるし、個人信用情報機関、犯罪と個人情報保護、外国人問題と個人情報保護、マーク制度などの研究は、今後のわが国の個別法制を考える上で参考となると思われる。 '(3)外国の実態調査をもとにしたイギリス・ドイツでの過剰反応問題の分析は、新聞等でも紹介したように、わが国の過剰反応問題を客観的にみることに貢献したと思う。2.国内法制の研究(1)個人情報保護法の各種ガイドライン等の検討を通じて、法の運用実態を分析した。第2世代の立法課題の主要なものは把握できた。(2)安全管理(セキュリティ)についても実態を調査等することで、民間部門を規制する法の在り方を探ることができた。(3)個別法制として重要な、教育、医療、金融についても調査を進めた。とくに、教育分野については、従来の判例答申などを網羅的に検討した。(4)公的分野・私的分野を問わず、法施行後の判例・審査会答申・苦情相談等をできる限り多く収集した。今後の法制の在り方を考える上での基礎作業としての意義は大きいと考える。(5)地方公共団体の個人情報保護条例も主要なもの、特徴のあるものはほぼ検討した。
著者
石積 勝 Ishizumi Masaru
出版者
国際大学大学院国際関係学研究科
雑誌
国際大学大学院国際関係学研究科研究紀要 (ISSN:09103643)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.135-146, 1984-12

Japan is no longer viewed abroad as a rising sun. She is increasingly perceived as a risen sun. This is evident from the extensive coverage of the country in the foreign mass media and from the number of scholary publications devoted to the study of Japan. In recent years, much foreign literature on Japan has fbcused on the alleged collective nature of Japanese society (Japan Incorporated) and on the growing economic friction between Japan and several of its major trading partners. In this context, the way in which Japan is portrayed has considerable economic and political importance. The major purpose of this paper is to examine the ideological assumptions hidden in some major fbreign works on Japan and to consider alternative and, possibly, more valid ways of looking at Japanese society. The paper is devided into fbur parts. The first part discusses the recent research into Japanese Studies undertaken by such scholars as YSugimoto, M.Ikeda, and C.D.Lummis. Here, I indicate my general agreement with the views (strongly held by these scholars) that the emphasis on Japan's uniqueness, hitherto characteristic of most Japanese and fbreign research, needs to the thoroughly reexamined. In this connection, however, the recent appearance of a small body of literature which rej ects the unconscious re-production and reconfitmation of the unique and exotic streotypes should be noted. Part two reviews the arguments presented by C.D.Lummis in his New Look at the Chrysanthemum and the Sword. The Chrysantemum and the Sword is still regarded by many as an unchallenged classic among both writers and the students of Japanese studies. Following his argument, I attempt to lay bare the ideological assumptions of Ruth Benedict's famous work. These assumptions continue to form the basis for the perceptions of Japan as a unique, collective and, to enlightened Americans and even to some Japanese, ultimately unacceptable culture. Part three discusses possible new approaches to the description and analysis of Japanese society. Here I argue that to simply place Japan within the universalistic framework of global socio-anthoropological studies, will not in itself solve all our problems. This is in no way to deny the important contributions made by the students of the literature on Japanese society. Methodologies, however, tend to be value laden and it is by no means clear that the cognitive frameworks of the modern western social sciences can be applied with equal effectiveness to the study of all peoples at all times and in all places. Rather, the task of the serious social scientists is to understand the inherent characteristics of these complex societies using cognitive frameworks that can be derived from within. In this context, I find the political scientist J.Kamishima's dynamic approach to the study of Japanese society highly suggestive, although Ido not discuss in this paper his key concepts such as hard rule and soft rule, familiarization process and strangerization, status democracy and opinion democracy, first village and second Village. Finally, reflecting on my own personal experience of international society, particulary at the U.N., I stress the urgent importance first, of reconstructing the frameworks for the analysis of Japanese society, and second, of portraying Japan to non-Japanese audiences in such a way as to avoid possible psychological isolationism on the part of the Japanese people themselves.
著者
安部 秀雄 神前 芳信
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物学会四国支部紀事 (ISSN:0915230X)
巻号頁・発行日
no.7, pp.10-14, 1969-12-25

ウシオコムギを用いて播種量と追肥時期の差異が倒伏と玄麦収量にいかに影響するかを検討した。1)追肥時期と玄麦収量との関係は全量元肥と2月28日の早い追肥のものが多収を示した。2)追肥時期と倒伏との関係は2月28日〜3月20日の間の追肥が最も大であり,窒素の追肥量が4kgよりも8kgの多肥が倒伏に影響が大であつた。3)倒伏と節間長との関係は全量元肥区と4月20日追肥区は第5節間長が短くなり倒伏も少なくなるが,追肥量,追肥時期と節間長の関係は明らかでなかつた。4)倒伏と止葉葉面積との関係はr=0.73,r=0.83の有意な正の稲側か認められた。5)倒伏と止葉生葉重の関係は4月20日の調査ではr=0.77,5月20日ではr=0.79の有意な正の相関が認められ,止葉生葉重の重いものが倒伏が大であつた。以上総括すると小麦の全面全層播栽培では止葉の大きさが倒伏に影響するので,収量を増加させて止葉を小さくするには全量元肥の施肥方法が安全であると思われた。
著者
阿江 茂
出版者
日本鱗翅学会
雑誌
蝶と蛾 (ISSN:00240974)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.227-235, 1978-12-01

1977年5月20日より7月20日まで,国立科学博物館によるフィリピン動物調査に参加し,主としてアゲハチョウ科の卵・幼虫を採集,飼育したので,その結果について報告する.1.フィリピンモンキアゲハの卵・幼虫は,ルソン島北部山岳においてはサルカケミカン類,ハマセンダン類,およびミカン類のカラマンシー,ポメロから,ミンダナオ島のアポ山ではミカン類から得た.4齢幼虫はすべて黒色の部分が著しく,5齢幼虫の斜帯は両方とも連続であった.2.フィリピンシロオビアゲハの卵・幼虫はルソン,ミンダナオ,パラワン各島においてカラマンシーその他のミカン類から得た.3.オナジアゲハの卵・幼虫は,上記3島で同じくミカン類から採集したが,パラワン島では,マメザンショウMicromelium minutumより幼虫を得,産卵も目撃した.4.アカネアゲハの幼虫は,北部ルソンで野生のミカンAtlantia spinosaより得たが,ミンダナオ島スリガオ地方ではカラマンシーより多数の5齢幼虫と蛹を採集した.5.べンゲットアゲハの古い1♀をパオアイで採集して,ミカン類に数卵を産ませたが,1卵が発生したのみで,それも孵化しなかった.6.パラワンアゲハの幼虫は,パラワン島においてレモンより採集した.7.キべリアゲハの幼虫は,北部ルソンでLitsea sp.より採集した.8.フィリピンキシタアゲハ(マニラ産)は成虫よりArstolockia tagalaで採卵に成功し,南山大で全期間,日本産のウマノスズクサで飼育することに成功した.9.パラワン島産のペニモンアゲハも,成虫よりA. tagalaで採卵に成功し,若齢より南山大で飼育し,中齢より日本産ウマノスズクサに移したが,成虫を得ることができた.10.ルソン島北部山岳では,今回の調査で到達した最北部のボントク付近まで,キャべツ畠が多く,どの畠でもタイワンモンシロチョウが見られたが,野生又は半野生の食草としては,夕ネツケバナ,オランダガラジを発見した.11.パラワン島の原生林で,カキ科植物のDiospyros discolorからユー夕リアの幼虫1頭を発見し,その植物でしばらく飼育したが,蛹化にいたらず死亡した.12.フィリピンシロオビアゲハ,アカネアゲハ,パラワンアゲハ,オナジアゲハを南山大学の23℃,1日11.5時間照明の飼育室で飼育し,非常に低い割合ではあるが,休眠蛹が生じることを確認した.また北部ルソンで幼虫を採集し,現地し蛹化したキべリアゲハ1頭が休眠蛹となったことを確認した.フィリピンでは乾期にこれらの蝶は,成虫の個体数は少なくなるが,全く見られなくなることはない.したがって恐らくこの休眠は乾期に適応して,集団の中の一部の個体が休眠に入る部分的な蛹休眠であろうと推定される.