著者
網谷 益典
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

思想家ミハイル・バフチン(1895-1975)の『フランソワ・ラブレー論言(1940,65年)に関して報告を行った。1920年代前半の初期パフチンと新カント派の関係は以前からよく指摘されてきた。だが,バフチンは,初期だけではなく,後期においても新カント派から決定的な影響を受けていた。パフチンのノート 新カント派のエルンスト・カッシーラー(1874-1945)の『シンボル形式の哲学(2)』(1925年)と『個と宇宙』(1927年)の要約ノートや友人マトヴェイ・カガン(1888-1937)の仕事が示唆するように,後期の『ラブレー論』はカッシーラーに近い立場から構想されていたのだ。バフチンは,カッシーラーを下敷きにして,祝祭を労働と休息,公式文化と非公式文化,生活と芸術といった一連の2項対立の中間領域=抜け穴にあるものとして,言い換えれば,それらの2項対立そのものを不確定にする場にあるものとして捉えていた。かつて浅田彰は『構造と力』(1983年)で,『道化の民俗学』(1975年)において『ラブレー論』と『個と宇宙』の類似性を直感的にだがいち早く指摘し,バフチンをヒントに道化論を展開した山口昌男の「《可能性の中心》を,「道化とは人間がメタ・レベルとオブジェクト・レベルの両方に足をかけているという事実をやすやすと受けいれ,それを笑いとともに生きる存在なのだ,という命題に」,「真の遊戯への誘惑者としてのニーチェ」「などと同じ側に求めるべきであり,また求めることができると思われる」と述べた。文献学的研究が進んだ今日,浅田のようなアクロバット的な読みに頼らずとも,かつての山口=バフチンの「《可能性の中心》」を高次のレベルでより容易にかつ精微にバフチンの(コン)テクストから読み取ることが可能となった。だが,中間領域=抜け穴での遊戯という祝祭論も前衛主義の全体主義への逆転というボリス・グロイスが指摘するアポリアから決して自由ではない。グロイスの『全体芸術様式スターリン』(1993年)の主張を敷衍すれば,中間領域=抜け穴での祝祭的遊戯の徹底化は,「アヴァンギャルド」な実験が残した「裂孔」を「未来に属する諸要素」である「民衆との内臓的な絆」で塞ぎ,過去から「自由に」引用された「諸様式」を「民衆性」の「単一性」をかすがいにして「内的に結びつけ」る「スターリン美学」=「社会主義リアリズム」に帰結する危険性をはらんでいる。とはいえ,バフチンは,散文的今において,差異をはらんで反復してくる糞尿的イメージたちにいかなる未来の美的な救済にも冷めた真面目さで陽気なあだ名を与え続けていくラブレーをこそ評価する。それは前衛主義の全体主義への逆転という20世紀文化のアポリアからの逃走の線を引くための1つのあり得べき批評的な態度であると言わなくてはならない。
著者
青木 重明
出版者
大東文化大学
雑誌
環境創造 (ISSN:13468758)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.45-65, 2002-10-27

現在、様々な危機を作り出している産業文明を乗り越えるべく新しい文明(エコソフィア文明と仮称)を構想する時、それはトランスパーソナルな経験を中核に考えられるべきである。トランスパーソナルな経験を、新しい文明の経験様式としてみるならば、相互連関性の形式を取り出すことができる。相互連関性には、科学・日常意識に経験される浅い(普通の意味での)相互連関性と、トランスパーソナルに経験される深い相互連関性とがある。ここで問題とする後者は、空間的には、存在者が相互浸透的である事態(とも存在およびポエティックな本質)として、時間的には、全時間がその中にふくまれる瞬間として経験される。時間性の変容によって、自己目的的な活動形式としての遊戯が、自己においても世界においても(世界遊戯)現れる。さらに、深い相互連関性の論理として、「同一性と差異性の相即的成立」を、自己のあり方として相互連関的自己(脱存)を考える。
著者
JASON Roussos
出版者
上智大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

最終年度を迎えた「ラマ4世マハ・モングット王の治世下における思想史」の研究は、研究開始当初から国内外からの関係文献・資料の収集に多くの時間を要した。しかし、本年度は収集した文献・資料の比較分析、特に比較文化的な観点からの再検討を加え、それらがラマ4世の治世下における神話と現実を明確に区別し得る史料的価値の高いものである結論に至った。また、今年度、Constantine Gerigrakisの生誕の地、ケファリニア島およびRoyal Academy London, Burlington Houseで行った研究発表では、ラマ4世治世下の思想形成とその傾向を、文学、芸術、哲学の分野からの考察を試みるにあたり、多くの示唆的な意見や助言を得られたことは幸運であった。残念ながら現時点では本研究はまだ進化の過程にあり、最終的に纏まったものは完成できていない。

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出版者
京都大学哲学論叢刊行会
雑誌
哲学論叢 (ISSN:0914143X)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.112-121, 2005-09-01
著者
澄川 喜一 長澤 市郎 小野寺 久幸 岡 興造 寺内 洪 小町谷 朝生 田淵 俊雄 坂本 一道 佐藤 一郎 大西 長利 増村 紀一郎 稲葉 政満 前野 尭 BEACH Milo C FEINBERG Rob 杉下 龍一郎 新山 榮 馬淵 久夫 中里 寿克 ROSENFIELD J 原 正樹 小松 大秀 中野 正樹 手塚 登久夫 浅井 和春 水野 敬三郎 海老根 聰郎 辻 茂 山川 武 福井 爽人 清水 義明 平山 郁夫
出版者
東京芸術大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1991

本研究プロジェクトは、広く海外所在の日本・東洋美術品の保存修復に係る調査研究の一環として、在米日本・東洋美術品の日米保存修復研究者による共同研究である。我が国の美術品は、固有の材料・技法をもって制作されるが、異なる風土的環境下でどのような特質的被害を生ずるかは従来研究されていなかった。たまたま米国フリーア美術館所有品に修理すべき必要が生じ、本学を含む我が国の工房で修復処置を行った。その機会に保存修復に関する調査研究が実施された。本プロジェクトの目的は、とくに絵画、彫刻、工芸についての保存修復の実情を調査することにあった。具体的には、本学側においては米国の美術館等の保存修復の方法、哲学、施設的・人員的規模等を調査し、フリーア美術館側は我が国の最高レベルの修復技術(装こう)とその工房の実態、すなわち施設、用具、手法、人員等を調査し、相互の研究結果を共同討議した。3年度間の研究成果概要を以下箇条書きで示す。1)フリーア美術館付属保存修復施設をはじめ6美術館(ナショナルギャラリー、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ゲティー美術館、ロード・アイランド・スクール・オブデザイン付属美術館)の保存修復施設、及び3大学の保存修復教育課程(ニューヨーク大学保存修復センター、デェラウェア大学保存修復プログラム、ニューヨーク州立大学バッファロ-校)を調査した。2)美術館及び収蔵庫並びに付属の研究室、工房は、一定範囲の温湿度(フリーア美術館の場合は温度68〜70゜F、湿度50〜55%、ただし日本の美術品に対しては湿度65%で管理する等、その数値は美術館により若干変化の幅がある)にコントロールされる。我が国の修復は自然な環境下で行われるから、そのような点に経験度の関与が必要となる一つの理由が見いだされる。しかし、完全な人工管理環境下での修復が特質的な材料・技法を満足させるものであるか否かの解明は、今後の研究課題である。3)CAL(保存修復分析研究所)やGCI(ゲティー保存修復研究所)のような高度精密分析専門機関は我が国にも必要である。4)米国の美術館は保存修復施設並びに専門研究者を必備のものと考え、展示部門ときわめて密接な関係をもって管理運営し、コンサバタ-の権威が確立されている。その点での我が国の現状は、当事者の間での関心は高いが、配備としては皆無に近い。5)大学院の教育課程は科学な計測・分析修得を主としながら、同時に物に対する経験を重視する姿勢を基本としており、その点で本学の実技教育に共通するところがある。米国の保存修復高等教育機関のシステムを知り得たことは、本学で予定している保存修復分野の拡充計画立案に大変参考になった。6)保存修復に対する考え方は米国内においても研究者による異同があり、修復対象作品に良いと判断される方向で多少の現状変更を認める(従来の我が国の修理の考え方)立場と、現状維持を絶対視する立場とがある。現状維持は、将来さらに良い修復方法が発見された場合に備える、修復箇所の除去可能を前提とする考え方である。保存修復の理想的なあるべき姿の探求は、今後の重要な国際的な研究課題である。7)それは漆工芸等においてはとくに慎重に検討されるべき課題であり、彼らには漆工芸の基礎的知識不足が目立つ。そのような我が国固有の材料、技法面についての情報提供、技法指導などの面での積極的交流が今後とくに必要であろう。逆に建築分野は彼らが先進している。8)米国研究者は我が国の工房修復を実地に体験し、深く感銘した。それは装こう技術が脳手術のようだという称賛の言葉となって表れた。9)ミーティングにおける主要話題は、保存修復は現地で行われるべきであり、それを可能とする人材養成が必要である。保存修復教育には時間がかかることはやむを得ない、期間として6年位が目安となろう。科学教育は大学で行われるべきだが、日本画に限れば工房教育がよい、などであった。
著者
ヴヰクトル・カウシン 著
出版者
丸善
巻号頁・発行日
vol.第1巻(総論), 1884
著者
北山 研二 川上 善郎 村瀬 鋼 木村 建哉
出版者
成城大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

課題研究「なぜ人々は物語なしに生きていけないのか------多メディアの中の物語の発生・展開・終焉------」を遂行するための本研究会は、理論的研究部門と事例調査研究部門とに分けて、それぞれに必要な多種多様なレクチャー・研究会(21回)、国際シンポジウム(1回)、現地調査(2回)・討論会(6回)等を3年間実施した。理論的研究としては、物語の定義、物語の成立条件、物語の存在論などが研究され、狭義の物語よりは多分野横断の物語の再定義、物語の存在論的可能性が提起された。事例調査研究では、既存の特定の分野には限定できず複数分野横断の研究となったが、あえて分類すれば、文学(4件)、メディア(5件)、映画(3件)、美術(2件)、文化制度(2件)、哲学(1件)、消費社会(1件)、演劇・オペラ(1件)、経済(1件)、心理(1件)であった。そこで論点となったのは、どの分野でも物語が大きな役割を果たし、「大きな物語」(国家論、革命改革論、資本主義、社会正義、会社至上主義、大義名分、文化制度、新旧論争、モダニスムとポストモダニスム、成功物語、共同体神話、良妻賢母、女性差別等々)とその細部にはそれとは矛盾するような無数の「小さな物語」(失権復活、隠れた天才、娯楽優先、事実優先、対象固執、恋愛至上主義、個人利益優先、個性尊重、怨恨復讐、青春回顧、年功序列、伝統墨守、自分探し等々)がせめぎ合っている、あるいは現代特有の現象として「大きな物語」に回収されない「小さな物語」の集合などが確認された。しかし、「大きな物語」の復権の可能性があることも確認された。今回の課題研究では、こうした理論的研究と事例調査研究を相互に連携させて研究会・レクチャー・討論会を組織したので、新しい視点と論点が交錯し研究に奥行きを与えることができ、多分野への総括的問題提起型の内容豊かで刺激的な報告書が作成できた。
著者
小林 正弥 金原 恭子 一ノ瀬 佳也
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究においては、ハーバード大学のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授のDemocracy's Discontents-America in search of a Public Philosophy(Belknap Press, 1996)の翻訳プロジェクトを進めると共に、マイケル・サンデル教授を招聘した国際シンポジウムを開催し、「憲政政治」についての世界的な水準での理論的検討を行なった。
著者
向山 雅夫 ROY Larke 崔 相鐵 田村 正紀
出版者
流通科学大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2001

平成13年度および平成14年度においては、1.小売企業のグローバル化を分析するための独自のフレームワークを作成した上で、2.欧州企業はどのような戦略によってグローバル化を実現しているのか、3.なにゆえにそのような戦略展開が可能になるのか、その際の鍵概念は何か、を明らかにした。明らかになったことはおよそ以下のごとくである。1.小売企業のグローバル化を、従来のように「参入動機分析・参入手段・参入状況に関する構造分析・その成果」をばらばらに分析するのではなく、グローバル化行動をプロセスとしてとらえる必要性を提示し、そのための分析枠組みを構築した。2.この枠組みにしたがって、欧州を代表する企業のグローバル戦略を分析し、主としてケーススタディによって、各企業がグローバル展開できた鍵要因を抽出した。それらは次のような要因であった。(1)戦略哲学の変更(2)ブランド管理(3)生産性概念の拡張(4)付加価値チェーン重視(5)新市場への参入(6)業態革新平成15年および16年度においては、1.業態は各国市場間でどのように変容しているのか、2.技術移転の視点から業態変容を分析するための枠組みはどのようなものか、を明らかにすることを目的として、業態実態調査を実施した。明らかになったことはおよそ以下のごとくである。1.調査対象2企業、対象国6カ国での実態調査の結果、業態には各国間および各企業間で大きな差異が存在することが明らかになった。従来の業態概念は、これらの市場間差異を説明する概念としては不完全であり、新たな概念として「Formula」を提起した。2.Formulaは、小売企業による「事前適応-事後適応」行動によって生み出される。グローバル経験を元にして海外進出に先立って市場適応し、さらに現地での知見を加えてさらなる適応行動を繰り返し、それが結果的にFormula差異を生むことになる。流通技術は、この事前適応および事後適応プロセスにおいて移転される。
著者
吉原 直毅
出版者
北海道大学
雑誌
經濟學研究 (ISSN:04516265)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.373-401, 2003-12-16

経済的資源配分の公正性の問題(分配的正義論)に関する、社会的選択理論と厚生経済学を軸とした理論経済学的なアプローチの近年の展開を概観する。分配的正義に関する従来の支配的見解は、人々の主観的効用の達成度の均等性を要請する「厚生の平等」論であった。対して、人々の主体的責任の問われ得る選択の結果とは見なし得ないような、天賦の才能や資質の格差に起因する、配分上の社会的格差への是正を動機とする「資源の平等」論を提起したのが、ロナルド・ドゥウォーキン(1981b)である。本論は、ドゥウォーキンの「資源の平等」論を、ミクロ経済理論と公理的交渉ゲーム理論の分析装置を用いて公理体系として定式化し、かつ批判したジョン・E・ローマーの研究、ドゥウォーキンの「資源の平等」論以降の政治哲学における分配的正義論の一潮流となった「責任と補償」アプローチを、ミクロ経済理論の分析装置を用いて公理体系として定式化し、その隠れた含意を明示化する事に貢献したマーク・フローベイやウォルター・ボッサール等の研究を概観し、その意義についてコメントする。
著者
服部 裕幸 美濃 正 大沢 秀介 横山 輝雄 戸田山 和久 柴田 正良
出版者
南山大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

われわれはコネクショニズムと古典的計算主義の対比を行ないつつ、コネクショニズムの哲学的意味の解明を行なった。美濃は、ホーガン&ティーンソンのアイディアを援用し、古典的計算主義を超えつつも、いくつかの点で古典的計算主義と前提を共有する立場の可能性を模索した。服部と金子はコネクショニズムにおける表象概念(すなわち分散表象)がはたして「表象」と呼ぶに値するかということを研究し、その有効性の度合を明らかにした。金子はどちらかといえば、分散表象を肯定的に評価し、服部は否定的に評価しているので、この点についてはさらに具体的な事例に即した研究が必要であることが明らかとなった。柴田と柏端は、「等効力性」議論を検討することを通じて、「素朴心理学」的説明による人間の行為の説明が真ではないとする主張の意義を研究し、柏端は、コネクショニズムが素朴心理学の消滅よりはむしろその補強に役立ついう評価をするに至った。他方、柴田は、条件つきではあるものの、素朴心理学は科学的心理学を取り込んだ形で生き残るか、道具主義的な意味で残るであろう、と結論するに至った。戸田山と横山はコネクショニズムが認知の新しい理論であると言われるときに正確には何が言われているのかということを研究した。特に横山は、コネクショニズムを科学についてのより広いパースペクティヴから見なければならないと結論した。大沢は、古典的計算主義における古典的表象のみならずコネクショニズムにおける分散表象もともにある種の限界をもつと論じ、それに代えて新たに像的表象の概念を提案し、そこでの論理を具体的に提案した。しかし、この点はまだ十分に展開しきれてはいないので、今後も引き続き研究する必要のあることが判明した。
著者
小川 眞里子 片倉 望 山岡 悦郎 伊東 祐之 久間 泰賢 遠山 敦 秋元 ひろと 斎藤 明
出版者
三重大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究は平成11年度から13年度の3年間のプログラムによって、「物語としての思想-東西の思想を物語の観点から読み直す-」をテーマに総勢10名を超えるメンバーの参加をもって始められた。参加者の専門は西洋、日本、インド、中国の思想分野にわたり、比較思想的探求を行う際の共通の切り口として「物語」という切り口は面白いのではないかと考えた。たしかに、物語は文字をもつ以前から口承の形で受け継がれてきており、人間存在と切り離しがたく普遍的に存在する。それにもかかわらず従来の哲学からは「物語」への取り組みの糸口が見出しにくく分担者は苦闘を強いられた。そうした中で、東北大学の野家啓一氏を招き講演会を開き、その成果を文字に起こして研究分担者がきちんと共有できたことは、各自の研究を進める上で大きな助けとなった。とくに今回の講演で示された科学的実在と物語の関係は大変示唆的であった。また東洋思想の観点からお話をしていただいた田辺和子氏の「原始仏教聖典の中の物語」は、先に述べたごとく「物語」がいかに本質的に人間存在と結び合ってきたものであるかを納得させるものであった。こうした経緯をへて各自が報告の作成に取り掛かり、桑原は野家氏の中心的テーマであった歴史の反実在論から説き起こしそれとキリスト教徒の問題に切り込み、武村は物語と哲学との比較という非常に興味深いテーマに行き着ついた。その他各自がこのユニークな研究の端緒をいかに完結させるかが今後の課題である。
著者
今井 知正 村田 純一 黒住 真 門脇 俊介 信原 幸弘 野矢 茂樹 宮本 久雄 山本 巍
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

自然主義をめぐる哲学的思考の歴史的遺産を再検討したうえで、現代の哲学的自然主義をめぐる論争状況を直接に主題化し、根本的な論点について、各研究者がそれぞれの立場から検証作業を行なった。その結果、現代的な自然主義と反自然主義の対立を一挙に解消することはできないとしても、いくつかの重要な成果が得られた。(1)認識論的自然主義はアプリオリな知識を説明し得ないとされてきたが、暗黙的概念了解と想像による概念連結を根拠として、自然主義的立場においてもそうした知識が説明可能であるという見解が得られた。(2)色彩概念は長らく物理的説明に委ねられ哲学的アプローチに乏しかったが、現象学やウィトゲンシュタインの知見を参照することで、色彩概念が自然主義的還元を許さない多次元性をもつことが示された。(3)自然主義批判の立場はまた、哲学の基礎付け主義や強い意味での正当化要求と、極端な自然主義や懐疑論が裏腹の関係にあり、それらのいずれもが、人間の実践的世界における自由や合理性、真理や正・不正の経験の「内在性」に基づくことを示すことによっても展開できる。(4)ウィトゲンシュタインの後期哲学にも、通常の自然主義とは異なる、人間の「自然誌的」過程における実践に意味や規範の前提を求める「超越論的自然主義」が見られる。(5)日本思想史における「倫理」の位置づけ、現代世界における「公共哲学」の可能性などを問う中で、自然主義の限界を明らかにする作業も行なった。