著者
石井田 恵 Megumi Ishiida
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.65-89, 2021-03-31

近年、アメリカにおけるキリスト教シオニストの影響力に注目が集まっている。しかし、キリスト教シオニズムは1990 年代以降、東アジアでも影響力を拡大しつつある。このうち、一部の国や地域における特定の団体についての研究は存在するが、それらを体系的に扱った研究はない。そのため、一部の団体に特徴的な--いわば個別的事例を、キリスト教シオニズムに普遍的な事柄と見なし、この運動の実像を見誤る結果を招来しかねない。そこで、本稿では韓国、中文圏、日本におけるキリスト教シオニズムの歴史的展開を辿り、様々な団体による宣教活動、政治活動について概観する。そして、それぞれの組織に共通する特徴が見られる一方で、宣教活動や政治に対する積極性に関しては、差が認められること--多様性が見られることを、指摘する。また、その違いは各国のキリスト教シオニストが置かれている社会的状況や文化的違いを反映している可能性を示唆する。
著者
白鳥 嘉勇
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.35, no.10, pp.2180-2188, 1994-10-15

左右対称形キーボードの打鍵特性を明らかにするため、形状が異なる3種の左右勉称形キーボードと現用形キーボードをキーピッチ、キーサイズおよびキー種を同一にして試作した。キーボード形状の効果を明らかにするため、上記4種のキーボードについて打鍵位置指示後の単打鍵実験を行った(被験者10名)。各キーの平均入カ時間およびエラー率を多変量解析により分析した結果、現用形キーボードに比ぺ、いずれも平均キー入力時間は約10%、平均エラー率は約40%低く、形状効果があることが分かった。次に連続打鍵特性について、現用形キーボード操作者(英文タイビスト9名)が3種の左右対称形キーボードを用いて同一英文の繰返し入カ実験を行った。この結果、4蒔間後に現用形キーボードの操作レベルと同等以上に達し、短期間に左右対称形キーボードに習熟できることが分かった。また、高遠打鍵特性について、英文タイビスト4名(現用形キーボードの入力速度:410ストローク/分)が同一種の左右魅称形キーボードを用いて毎回異なる英文入力実験を行った。この緒果、32時間後には、平均キー入力時間は最高117msec(515ストローク/分)の高いレベルに達した。また、各キーの入力時間は左右手および指間でバランスしており形状効果が認められた。以上の結果、左右対称形キーボードは、打鍵特性を向上する形状効果を有し、習熟しやすく、高速打鍵が可能であることが分かった。
著者
初宿 成彦
雑誌
大阪市立自然史博物館研究報告 = Bulletin of the Osaka Museum of Natural History (ISSN:00786675)
巻号頁・発行日
vol.75, pp.53-77, 2021-03-31

外来甲虫3種の分布について,主にインターネットを用いた市民調査として行なった.ムネア カオオクロテントウ(テントウムシ科)は2014年から2020年まで東京および大阪周辺で分布を徐々に 拡大させていく様相を緻密に記録できた.3大都市圏におけるユーカリハムシ(ハムシ科)の,近畿 周辺でのヨツモンカメノコハムシ(ハムシ科)の,それぞれ分布の現況を記録し,これらがまだ到達 していない地域についても,注目すべき寄主植物の位置について記述し,将来的に分布拡大速度を計 算できるようにした.インターネット時代において市民調査を行なう際の留意点にも言及した.
著者
松浦 智之 當仲 寛哲 大野 浩之
雑誌
デジタルプラクティス (ISSN:21884390)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.173-190, 2020-01-15

短文投稿SNS“Twitter”は今や多くの人々に認知され,NHKを始めとした日々のニュース番組等においても,もはやTwitterやツイート(Twitterに投稿される文章)が何かという説明が省略されながら,世論を反映した情報源として引用あるいは分析されている.しかしながら,社会現象のような膨大な量のツイートを発生させる話題を分析しようとなると,すでによく知られている方法では費用的にも技術的にも個人には敷居が高い.本稿では,一定の制約はある中でも,個人による大量ツイートデータの収集・分析を実現し得る手法を提案し,実際に,日本国内で社会現象を起こして大量のツイートを発生させた2つの話題に関するツイートの収集・分析を行うことで,提案手法の実用性を示している.
著者
堀田 幸義
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education
巻号頁・発行日
vol.54, pp.493-506, 2020-01-30

18世紀半ば、宝暦初年の頃、仙台藩₆代藩主伊達宗村をして蔵米制への移行を不可能だと思わしめた「自分下中」による「手作」の広汎な広がりは、如何なる歴史的事情によってもたらされたものなのか。通説的理解では、天正19年(1591)の国替えによって藩祖政宗が多くの所領を失い、それが家臣知行地の削減に繋がり、膨大な数の家臣たちを抱える政宗は、彼らに対して減知の補填を行い、かつ、荒蕪地を多く含む新領地の開拓を推し進めるために荒れ地や野谷地を与え、これを家臣たちが自らの家中(陪臣)に下し与え耕作開発せしめたことから、かくも広汎な「下中手作」をみるに至ったとされている。 本論文は、大筋ではこの流れを認めつつも、これまでの通説に一定の修正を加えんとするものである。家臣知行地の削減が天正の国替え以後も何度も実施されていること、荒れ地や野谷地の付与政策は、初めから家臣知行地の補填、ないし、家臣救済策として実施されたものではなかったが、その政策的意図が時代の推移とともに変化し、通説がいうような家臣知行地の補填や救済策としての意味合いが強くなっていくものの、実際には、新田開発に乗り出さなかった者たちも多かったことについて明らかにしている。なお、紙幅の関係で内容を上・下に分けてあり、本稿はその前半部分である。
著者
堀田 幸義
雑誌
宮城教育大学紀要
巻号頁・発行日
vol.55, pp.359-380, 2021-01-29

18世紀半ば、宝暦初年の頃、仙台藩₆代藩主伊達宗村をして蔵米制への移行を不可能だと思わしめた「自分下中」による「手作」の広汎な広がりは、如何なる歴史的事情によってもたらされたものなのか。通説的理解では、天正19年(1591)の国替えによって藩祖政宗が多くの所領を失い、それが家臣知行地の削減に繋がり、膨大な数の家臣たちを抱える政宗は、彼らに対して減知の補填を行い、かつ、荒蕪地を多く含む新領地の開拓を推し進めるために荒れ地や野谷地を与え、これを家臣たちが自らの家中(陪臣)に下し与え耕作開発せしめたことから、かくも広汎な「下中手作」をみるに至ったとされている。本論文は、大筋ではこの流れを認めつつも、これまでの通説に一定の修正を加えんとするものである。家臣知行地の削減が天正の国替え以後も何度も実施されていること、荒れ地や野谷地の付与政策は、初めから家臣知行地の補填、ないし、家臣救済策として実施されたものではなかったが、その政策的意図が時代の推移とともに変化し、通説がいうような家臣知行地の補填や救済策としての意味合いが強くなっていくものの、実際には、新田開発に乗り出さなかった者たちも多かったことについて明らかにしている。なお、紙幅の関係で内容を上・下に分けてあり、本稿はその後半部分にあたるが、予定していた論文の構成を一部変更したことを予めお断りしておく。
著者
井出 文紀
出版者
近畿大学商経学会
雑誌
商経学叢 = Shokei-gakuso: Journal of Business Studies (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.247-276, 2017-12-31

[概要]森下仁丹の創業者森下博は,「毒滅」「仁丹」等のヒット商品により日本の売薬業界を牽引するとともに,その積極的な広告戦略から,「日本の売薬王」「日本の広告王」などと呼ばれた。森下はまた,事業の基本方針に「原料の精選を生命とし,優良品の製造供給 進みては,外貨の獲得を実現し,広告に依る薫化益世を使命とする。」 を掲げ,広告を通じた社会貢献の実践,いわゆる「広告益世」も重視した。本稿では,とりわけ大正初期から京都を皮切りに設置が進められた仁丹の町名表示板に焦点を当て,森下が町名表示板の設置を進めた背景として,大規模な屋外広告への反発と取締があるなかでの「広告益世」の模索と実践,町名表示板の持つ「公益性」に着目した。[Abstract] Hiroshi Morishita, founder of the patent medicine company“ Morishita Jintan”, was called“ the king of Japanese patent medicine” and“ the king of advertising” in the early 20th century. His unique advertising strategy was called“ kokoku-ekisei”,based on his company’s corporate philosophy,“ selection of the best material, delivery of high quality products, acquisition of foreign currency and social contribution through advertisement”. This paper examines his advertising strategy, focusing on the utility of“ Jintan’s address boards”.
著者
和田 勉
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.61, no.8, pp.858-861, 2020-07-15

第2回中高生情報学研究コンテストにおいて上位入賞をした5チームを紹介する.事前提出されたポスター原稿および400字の説明文に加え,受賞しての感想をあわせ掲載する.
著者
坂田 晃一
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Informatics for Arts, Shobi University (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.145-156, 2004-03-31

我々の生活の中には音楽が溢れている。音楽はひとにどのように受けとめられているのであろうか。そこには実に多くの要因が関与しているように思われる。今回、私がかつて作曲した「NHK連続テレビ小説『おしん』」のテーマ音楽を取り上げ、聴き手がそれをどのように受けとめるのかを半構成的インタビューによって調査した。半構成的インタビューという方法をとったのは、連想の内容に一切の制限を加えない「自由連想法」による分析を行うためである。本稿では一般的な法則を引き出すのではなく、作曲上の意図が視聴者にどのように伝わっているのかに主点を置いている。聴き手がテレビドラマのテーマ音楽をタイトル・バックの映像と共に聴くことにより、ドラマの内容についてどのようなイメージを持つのか、テーマ音楽の役割がどのように機能しているのか、個々の受けとめ方の違いを調査し、分析、統合した。聴き手として、本学の学生10名(いずれも芸術情報学部音楽表現学科)を選び、個別にタイトル・バックの映像と共にテーマ音楽を聴かせ、その後インタビューを行った。
著者
岩田 祐美 田島 明子
雑誌
リハビリテーション科学ジャーナル = Journal of Rehabilitation Sciences
巻号頁・発行日
vol.12, pp.135-146, 2017-03-31

背景:1993 年より促進された社会的公正の理論の作業療法への適応と,その後概念化された作業的公正について,どちらも日本で広まりつつあるが,文献は少なく,日本での作業的公正に関する概念は議論途上である. 目的:国外の作業療法士が作業的公正という概念のもと行なっている調査研究を経年的に調べ介入と規範の具体例と傾向を明らかにすること. 方法:PubMed にてOccupational Justice で検索した.検索された論文のうち調査研究を分析対象とし,作業的公正,不公正の実例を抜き出した.さらに調査研究の目的・方法・OT の介入や規範についてレビューマトリックスを用いてまとめた. 結果と考察:作業的公正,作業的不公正の実例は日本の作業療法で対象とならない事例が多かった.作業的公正についての調査研究で述べられた作業療法士の規範をまとめると,対象者個人の作業を通した社会参加の支援に加え,作業療法士の社会への関わりの必要性が示された.国外文献の調査と,それらを障害の社会モデルの視点を取り入れて慎重かつ丁寧に分析すること,そして国内での発展が望まれる.
著者
瀧川 裕貴 定松 淳
出版者
総合研究大学院大学葉山高等研究センター / [葉山]
巻号頁・発行日
2009-10-19

太田朋子先生 (以下敬称略) は、1967年に木村資生の助手として国立遺伝学研究所に赴任された。 直後の1968年に、木村が「分子進化の中立説」を発表。太田は木村の共同研究者として中立説の洗練に努める一方で、自らの独自の説として「分子進化のほぼ中立説」を Nature誌に発表した (1973年)。その後も研究を続け、2002年には全米科学アカデミー外国人会員に選ばれている。 本インタビューは定松淳と瀧川裕貴が総合研究大学院大学の葉山高等研究センタープロジェクト「人間と科学」の課題「大学共同利用機関の成立に関する歴史資料の蒐集と我が国における巨大科学の成立史に関する研究(大学共同利用機関の歴史とアーカイブズ)」の一環として企画・実行した。 インタビューの狙いは二つある。第一に、「分子進化の中立説」および「ほぼ中立説」という生物学上きわめて重要な業績の成立過程を、その社会的背景や研究者の個人史とも関連させつつ、検討すること、そして第二に、共同利用機関としての国立遺伝学研究所の当時の状況および変遷を明らかにすること、である。 インタビューにおいては、太田と木村の間に存在する遺伝学理論に対する立場の違いや60年代後半から70年代にかけての遺伝研におけるインフォーマルな研究環境が明らかになった他、多くの興味深いエピソードが語られている。