著者
泉 浩人
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.59, no.8, pp.535-543, 2016-11-01 (Released:2016-11-01)
参考文献数
3

今日,市場には多くの商品やサービスがあふれ,消費者には多様な選択肢が与えられている。一方,インターネットやスマートフォンの普及により,消費者は,どこにいても,商品・サービスの機能や価格を,瞬時にかつ簡単に比較・検討することができるようになった。購入や利用の決定に関する主導権が「買い手」に移る中,「売り手」は機能や性能,価格といった「伝統的」な要素だけで,自らを差別化することは難しくなっている。そこで重要になるのがユーザーエクスペリエンス(UX)だ。商品やサービスの購入や利用にまつわる一連の体験を快適で便利なものにできなければ,消費者の心をつかみ続けることは難しい。それゆえ,UXデザインは,意匠や機能のデザインにとどまる問題ではなく,経営を左右する重要な課題の一つになりつつある。
著者
清水口 涼子 飯塚 敏郎 髙雄 暁成 柴田 理美 夏目 壮一郎 髙雄 美里 山口 達郎 中野 大輔 堀口 慎一郎 小泉 浩一
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会 関東支部
雑誌
Progress of Digestive Endoscopy (ISSN:13489844)
巻号頁・発行日
vol.99, no.1, pp.30-34, 2021-12-03 (Released:2022-01-17)
参考文献数
10
被引用文献数
1

閉塞性大腸癌においてBridge to surgery(BTS)を目的とした大腸ステント留置は,一期的吻合を可能にする有効な減圧処置であると同時に,閉塞解除により深部大腸を含めた全大腸内視鏡検査を可能にする.そこで当院におけるBTS目的の大腸ステント留置症例を対象として,同時性多発病変の発見を目的とした全大腸内視鏡検査の有用性および安全性を検証した.対象は,ステント留置した129例中,ステント留置後に術前の全大腸内視鏡検査を施行した94例(73%)であった.同時性多発大腸癌の合併例を30例(32%)に認め,病変数は47病変であった.ステント口側に22病変,肛門側に25病変認め,早期癌が42病変,進行癌が5病変であった.26病変は主病変と同時の外科切除,12病変は術前内視鏡治療,8病変は術後内視鏡治療を施行した.内視鏡治療施行した症例は根治切除が得られた.ステント留置に伴う偶発症は1例も認められなかった.ステント留置後の術前全大腸内視鏡検査は併存病変の診断や切除範囲の決定に有用と考えられ安全に実施することが可能であった.
著者
安 柄九 大垣 雅晴 泉 浩 竹中 温 柿原 直樹 飯塚 亮二 北村 誠
出版者
日本腹部救急医学会
雑誌
日本腹部救急医学会雑誌 (ISSN:13402242)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.837-840, 2004-05-31 (Released:2010-09-24)
参考文献数
13

今回われわれは, S状結腸捻転に対する緊急手術の術後に, 悪性症候群を発症し, 急激な経過をたどり死亡した1例を経験したので報告する. 症例は54歳男性. 18歳より統合失調症にて入院加療中, 突然の嘔吐, 腹痛を主訴に当院へ救急搬送された. 腹部単純X線検査・腹部CT検査では拡張したS状結腸を認めた. 緊急開腹手術を施行したところ, S状結腸は著明に拡張し, 時計回りに180度捻転していた. 術後5日目白血球数は正常化していたにもかかわらず40℃台の稽留熱, さらに錐体外路症状を認めたため, 悪性症候群と診断した. 大量輸液療法, および全身冷却療法にて対応したが, 心肺停止となり, 術後5日目に死亡した. 剖検では全身臓器および骨格筋には病理組織学的所見は認められなかった. 抗精神病薬, 抗うつ薬内服中の患者において解熱薬抵抗性の高熱を認めた場合, 悪性症候群を念頭におく必要があると考えられた.
著者
和泉 浩
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.127-147, 2007-07-20 (Released:2013-10-23)
参考文献数
15

本稿の目的は,ウェーバーの『音楽社会学』における西洋近代音楽についての分析の特徴と含意を,合理化のパラドクスという点から明らかにするとともに,『音楽社会学』の潜在的テーマである「音楽的聴覚」の問題の重要性を示すことにある. ウェーバーの音楽社会学の課題は,なぜ西洋近代に合理的和声音楽が誕生したのかを明らかにすることにある.ウェーバーは,都市についての研究と同様に,この課題を古代ギリシアと中世・ルネサンスの音楽の比較から探求した.そして『音楽社会学』では,古代ギリシアと異なるかたちでルネサンス以降進展した近代音楽の合理化が,結果的に古代ギリシア的なものの復活に至る合理化のパラドキシカルな展開が描き出されている. 『音楽社会学』では,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での合理化についての考察とは異なり,複数の合理化の方向の関係により生じる合理化のパラドクスが問題になっている.また合理化にアプローチする方法も異なっており,『音楽社会学』では,音楽についての理念や生活態度ではなく,音楽の「技術」に焦点があてられている.この結果,ウェーバーの音楽社会学では,音楽と社会の関係よりむしろ,音楽の合理化の自律的な過程が描き出される.しかし,音楽の技術と表裏一体をなす,社会的に形成される「音楽的聴覚」の問題が,『音楽社会学』の潜在的テーマをなしている.
著者
長谷 康二 竹腰 隆男 藤井 彰 馬場 保昌 武本 憲重 加来 幸夫 清水 宏 小泉 浩一 尾形 悦郎 太田 博俊 西 満正 柳沢 昭夫 加藤 洋
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会 関東支部
雑誌
消化器内視鏡の進歩:Progress of Digestive Endoscopy (ISSN:03899403)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.252-255, 1993-06-18 (Released:2015-07-15)
参考文献数
17

生検で十二指腸球部の腺癌と診断し,切除標本に癌巣を認めなかった症例を経験したので報告する。症例は49歳男性。上部消化管X線検査で十二指腸球部後壁に小隆起性病変を認めた。内視鏡検査で同部に発赤調の約7mmの隆起性病変を認めた。生検では正常十二指腸上皮に囲まれ,粘膜内に限局した腺癌を認めた。第2,3回の内視鏡検査時には,病変は約3mmと縮小していた。外科的に縮小手術を施行した。切除標本では術前の点墨の肛門側に接して3mmの発赤した隆起性病変を認め,病理組織学的に連続的切片を作成して検討した。粘膜筋板の乱れ,線維化を伴うBrunner腺の過形成と再生上皮を認めるのみで,癌巣は認めず,生検により摘除されたと考えた。早期十二指腸癌は1991年までに122例123病変の報告があるが,生検で癌と診断し,切除標本で癌が消失していた報告は本例が1例目である。
著者
泉 浩徳 田中 朋也*
出版者
松山東雲女子大学人文科学部紀要委員会
雑誌
松山東雲女子大学人文科学部紀要 (ISSN:2185808X)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.17-27, 2017-03-31

本研究は,幼稚園や保育所のSSW配置の有効性について,社会的認知度が充分ではないSSWの業務と, 具体的事例を紹介し,現状と課題を具体的に挙げて検証し,幼小期における専門職配置の必要性を論じた。 SSWの質を担保できるスーパービジョン体制や,保育士の業務軽減の為にも,幼少期におけるSSWの 導入及びシステムの構築が必要であることがあきらかになった。This study examines the need for the placement of school social workers (SSW) in nursery schools and kindergartens from three viewpoints: 1) the effectiveness of SSWs in promoting children's health and well-being, 2) the importance of professional recognition for SSWs, and 3) the current conditions of SSWs. The authors stipulate that it is necessary to introduce a better system of supervision for SSWs in early childhood programs in order to reduce the work of nursery teachers and guarantee the quality of SSWs.
著者
和泉 浩 IZUMI Hiroshi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学 = MEMOIRS OF FACULTY OF EDUCATION AND HUMAN STUDIES AKITA UNIVERSITY HUMANITIES & SOCIAL SCIENCES (ISSN:24334979)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.13-25, 2019-03-01

This article reconsiders relatively recent critical arguments about Raymond Murray Schafer's concept of 'soundscape', especially the arguments of two articles: Ari Y. Kelman (2010) 'Rethinking the Soundscape: A Critical Genealogy of a Key Term in Sound Studies' and Stefan Helmreich (2010) 'Listening against Soundscapes', in order to re-explore 'rich vein of scholarship of sound' (Kelman) in the concept of soundscape.Attending 'to the invention of Schafer's idea in order to wrestle with its redefinition', Kelman criticizes Schafer's bias against noise and his confusion of sound and listening, but Kelman does not consider deeply the definition of soundscape. This article reconsiders the definition of soundscape through rethinking Schafer's explanation in The Tuning the World, Helmreich's discussions of 'soundscape', 'immersion' and 'transduction', Steven Feld's 'acoustemology', Tim Ingold's 'against soundscape', and Paul Rodaway's 'aural geography', in that it situates the concept of soundscape in developments of studies on sound. This article also makes clear the concept of soundscape is not in conflicts with 'transduction', 'acoustemology' and 'immersion', and it needs to be connected with a central and traditional problem of social theories: the relationships between the individual and the social, and depending on how to make this connection, there are possibilities to develop various conceptions of soundscapes.
著者
義山 麻衣 大西 知子 前田 有紀 荒川 丈夫 飯塚 敏郎 小泉 浩一
出版者
一般社団法人 日本消化器内視鏡学会 関東支部
雑誌
Progress of Digestive Endoscopy (ISSN:13489844)
巻号頁・発行日
vol.97, no.1, pp.76-78, 2020-12-18 (Released:2021-01-08)
参考文献数
4
被引用文献数
2 1

A 73-year-old man was admitted with vomiting and left costal pain.He had undergone pylorus-preserving gastrectomy with B-1 reconstruction and was recently eating many persimmons. Physical examination revealed tenderness in the upper abdomen and left-side ribs. Abdominal CT showed a mass containing air in the gastroduodenal anastomosis. Esophagogastroduodenoscopy revealed a bezoar of about 10 cm in diameter in the remnant stomach. It was difficult to crush the bezoar with a grasping forceps and snare. Coca-Cola was locally injected, which softened the bezoar. We could then crush the bezoar with the grasping forceps and snare, and removed the bezoar. Oral administration or nasogastric lavage of Coca-Cola were reported as treatments for bezoars. In our case, the treatment time of a bezoar was significantly shortened by local injection of Coca-Cola and the bezoar could be treated with a small amount of Coca-Cola compared with that in previous reports.
著者
小泉 浩一
出版者
学校法人 敬心学園 職業教育研究開発センター
雑誌
敬心・研究ジャーナル (ISSN:24326240)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.91-99, 2019

<p> 本稿の目的は、現代における難民や労働者を含む、定住外国人の受け入れに関わる原初的な事例として、インドシナ難民の受け入れに関するわが国の対応と支援の実際について、各種文献より明らかにするものである。</p><p> インドシナ難民の受け入れは、定住受け入れ枠の拡大とともに公的支援ばかりではなく、日本赤十字社や宗教法人等を中心とした民間支援が拡大していくことになる。わが国のインドシナ難民受け入れに関わる施策等の変遷とともに、公的支援および民間支援の実際についてまとめ、考察を加えた。</p><p> 今日のわが国の難民受け入れや、国外退去処分を受けた外国人の長期収容の問題、定住外国人労働者の増加など、「人権」等に即した支援を志向するうえで、インドシナ難民受け入れに関する事例を、あらためて検討すべきであろう。</p>
著者
西本 友成 川喜田 裕之 石川 清彦 今泉 浩幸
出版者
一般社団法人 映像情報メディア学会
雑誌
映像情報メディア学会技術報告 (ISSN:13426893)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.5-8, 2008
参考文献数
7
被引用文献数
2

現在、次世代の衛星放送である高度BSデジタル放送が検討されており、4Kや8Kの映像フォーマットなど、現行放送よりさらに高品質な映像サービスの実現が期待されている。この放送を実現し、新たなビジネスモデルを展開するためには、著作権保護とアクセス制御機能を提供するCAS(Conditional Access System)が必要である。CASは、暗号技術によりコンテンツをスクランブル化し、その復号鍵である視聴ライセンスを受信契約者のみに配送することで、著作権保護とアクセス制御を実現する。高度BSデジタル放送は、高品質な映像音声を提供する基幹メディアであるため、CASに対する海賊行為が多発することが予想される。そのため、高品質な映像サービスを提供する高度BSデジタル放送用のCASにおいては、さらなるセキュリティ強度の向上を重視したCAS技術が必要不可欠である。今回、高品質な映像サービスを提供する高度BSデジタル放送用のCASの要求条件を示し、それを満足するダウンローダブルCASを開発した。試作したFPGAベースのダウンローダブルCAS機能検証装置により、その実現性を実証した。
著者
和泉 浩
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.54-69, 2002

音楽という芸術を, 合理化の視点からとらえることはできるのであろうか.もしそれが可能であるとすれば, 音楽の合理化の西欧近代における固有の特性とはいったいどのようなものなのであろうか.未完の草稿として残された『音楽社会学』においてマックス・ウェーバーが探求しようとした, この西欧近代音楽の合理化の過程を, 西欧音楽における二重の合理化という視点から読み解くことが本稿の試みである.<BR>ウェーバーが音楽を社会学の対象にしたのは, 音楽に用いられる音組織が歴史的に構築されるなかで, 理性がきわめて重要な役割をはたしてきたことを見出したためである.ウェーバーは, この音組織を歴史的に構築してきた原理を, 間隔原理と和声的分割原理という2つの原理に区別する.この2つの原理にもとづき, 音組織は間隔的に, あるいは和声的に合理化されてきたのである.この2つの合理化は互いに対立するものであり, 他方のものに非合理, 制約, 矛盾をもたらす.ウェーバーの議論は一見, 近代の西欧音楽を和声的合理化においてとらえ, それ以外の音楽を間隔的合理化において特徴づけているようにみえる.しかし, 西欧近代の音楽の合理化の特性は, この対立する2つの合理化の交錯においてかたち作られているのである.この西欧近代音楽の合理化の矛盾した関係を明らかにすることこそ, ウェーバーの音楽社会学の試みである.
著者
和泉 浩 IZUMI Hiroshi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学 (ISSN:1348527X)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.31-60, 2013-03-31

The purpose of this paper is to consider the relations between the reproduction of modern rationalized social system and its resistant, differentiating or dissimilating components through two famous authors’ two famous works of the same period. Michel de Certeau’s L’invention du quotidian: Arts de faire (published in 1980, English title: “the Practice of Everyday Life”) and Paul Willis’s Learning to Labour: How Working Class Kids get Working Class Jobs (published in 1977). In L’invention du quotidian de Certeau tries to delineate the ‘creativity’ of ‘users’ or consumers in everyday practice, who are ‘commonly assumed to be passive and guided by established rules.’ According to de Certeau, ‘users’ not only consume various products – from commodity to urban space – of modern rationalized and expansionistic technocracy and capitalism, but also bricolent(bricolage) those products in their practices of everyday life where users dissimilate or transgress the control, ‘discipline’ and plans of producers and technocrats, in which de Certeau finds out the ‘creativity’ of ‘users’ and the resistant moments with in the existing systems of dominance relationships of ‘elite’ and ‘popular culture.’ In Learning to Labour , Willis tries to identify the resistant moments in working class culture, especially ‘failed’ working class kids and their counter-school culture which oppose to authorities of school, teachers and academic carrier-based pseudo egalitarian institutions and society. He expounds on the reproductive processes of ‘working class kids get working class jobs, because of various ‘limitations’ which distort the ‘penetrations’ of working class culture which are, he thinks, ‘potential materials…for a thoroughly critical analysis of society and political action for the creation of alternatives.’ Willis situates ‘creativity’ of working class culture in their collective level of the ‘penetrations’ which exist like Freudian ‘unconsciousness’ and cannot be seized in utterance or conscious level of working class people, while de Certeau finds the creativity of resistance in everyday surface level practices like speaking, walking, cooking. This paper has scrutinized the differences between de Certeau,’s and Willis’s ideas of resistant alternative ‘creativity’ in everyday practices and popular culture, and their positions within the ‘reproduction’ of modern capitalist class society.
著者
和泉 浩 IZUMI Hiroshi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要. 人文科学・社会科学自然科学 (ISSN:1348527X)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.9-20, 2015-03-01

Despite the power of social capital and community resilience after disasters has been recognized, the postdisasterrecoveries and disaster mitigations after the Great East Japan Earthquake and Tsunami have still continuedto focus resources on physical infrastructures, based almost exclusively on data and knowledge of natural sciences.Against this backdrop or below the surface many sociological and ethnological studies on the Great East JapanEarthquake and Tsunami shed light on effective functioning of local communities and their social capital, or socialnetworks for the post-disaster recoveries and disaster mitigations; local community enhances individual andcommunity resilience. Some literatures point out the importance of local cultures and their traditional rituals orbuild environments and spaces of the rituals, and argue for the need for the “archive” of their memories because ofthe literally devastating effects of the Great East Japan Earthquake and Tsunami on local communities and theirmembers, but they mainly select the cultural masterpieces of local community – macro-memory or Memory ofcommunity, like museums and galleries select and collect the masterpieces of humankind. This paper theoreticallyexplores the relationships among social, collective memories, traditional rituals of local communities and socialcapital, and unveils the important functions of collective micro-memories of everyday life and social networks,which are too familiar to speak about, intentionally memorize – unspoken and pre-conscious, but one of the keyfactors for social capital and community resilience.
著者
泉 浩徳
出版者
松山東雲女子大学人文科学部紀要委員会
雑誌
松山東雲女子大学人文科学部紀要 (ISSN:2185808X)
巻号頁・発行日
no.25, pp.153-170, 2017-03-31

現在,保育の現場においては,「保育の質」がさかんに言われており,「保育の質」 とは具体的に何なのか,あきらかにする必要があると本研究者は感じていた。そこで本研究では,愛媛県西予市での保育士に対する研修会資料として発表した資料を基に,絵本『ガンピーさんのふなあそび』や,保育士養成校での授業での取り組みによる各事例を紹介しながら,「保育内容」における保育の本質を論じた。 子どもの年齢と発達を理解した実践の中で,家庭に子どもの育ちを伝えながら,子どもを否定的に見ず,保育の基本である遊びの楽しさを伝え,子どものすることを善意に見る視点を持って関わることが「保育の質」の原点であることがあきらかになった。
著者
松本 主之 新井 正美 岩間 達 樫田 博史 工藤 孝広 小泉 浩一 佐藤 康史 関根 茂樹 田中 信治 田中屋 宏爾 田村 和朗 平田 敬治 深堀 優 江﨑 幹宏 石川 秀樹 岩間 毅夫 岡﨑 康司 斎藤 豊 松浦 成昭 武藤 倫弘 冨田 尚裕 秋山 卓士 山本 敏樹 石田 秀行 中山 佳子
出版者
一般社団法人 日本遺伝性腫瘍学会
雑誌
遺伝性腫瘍 (ISSN:24356808)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.79-92, 2020 (Released:2020-09-25)
参考文献数
52

若年性ポリポーシス症候群は全消化管に過誤腫性ポリープである若年性ポリープが多発する,希少疾患である.SMAD4あるいはBMPR1A遺伝子の生殖細胞系列バリアントが原因として報告されている.約75%は常染色体優性遺伝形式を示すが,約25%は家族歴のない孤発例である.また,がん遺伝子パネル検査によって診断される可能性がある. ポリープの発生部位により全消化管型,大腸限局型,胃限局型に分けられ,胃限局型ではSMAD4の病的バリアントを原因とすることが多く,胃癌のリスクが高い.また,SMAD4の病的バリアントを有する症例では,遺伝性出血性毛細血管拡張症を高率に合併し,心大血管病変の定期検査も考慮する. 本診療ガイドラインでは,小児から成人にかけてシームレスに,正確な診断と適切な治療・サーベイランスが行われるよう, 基本的事項を解説し,3個のクリニカルクエスチョンと推奨を作成した.
著者
和泉 浩 IZUMI Hiroshi
出版者
秋田大学教育文化学部
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要 人文科学・社会科学 = MEMOIRS OF FACULTY OF EDUCATION AND HUMAN STUDIES AKITA UNIVERSITY HUMANITIES & SOCIAL SCIENCES (ISSN:24334979)
巻号頁・発行日
no.74, pp.13-25, 2019-03-01

This article reconsiders relatively recent critical arguments about Raymond Murray Schafer's concept of 'soundscape', especially the arguments of two articles: Ari Y. Kelman (2010) 'Rethinking the Soundscape: A Critical Genealogy of a Key Term in Sound Studies' and Stefan Helmreich (2010) 'Listening against Soundscapes', in order to re-explore 'rich vein of scholarship of sound' (Kelman) in the concept of soundscape.Attending 'to the invention of Schafer's idea in order to wrestle with its redefinition', Kelman criticizes Schafer's bias against noise and his confusion of sound and listening, but Kelman does not consider deeply the definition of soundscape. This article reconsiders the definition of soundscape through rethinking Schafer's explanation in The Tuning the World, Helmreich's discussions of 'soundscape', 'immersion' and 'transduction', Steven Feld's 'acoustemology', Tim Ingold's 'against soundscape', and Paul Rodaway's 'aural geography', in that it situates the concept of soundscape in developments of studies on sound. This article also makes clear the concept of soundscape is not in conflicts with 'transduction', 'acoustemology' and 'immersion', and it needs to be connected with a central and traditional problem of social theories: the relationships between the individual and the social, and depending on how to make this connection, there are possibilities to develop various conceptions of soundscapes.
著者
和泉 浩
出版者
秋田大学
雑誌
秋田大学教育文化学部研究紀要. 人文科学・社会科学 (ISSN:1348527X)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.31-60, 2013-03-31

The purpose of this paper is to consider the relations between the reproduction of modern rationalized social system and its resistant, differentiating or dissimilating components through two famous authors' two famous works of the same period. Michel de Certeau's L'invention du quotidian: Arts de faire (published in 1980, English title: "the Practice of Everyday Life") and Paul Willis's Learning to Labour: How Working Class Kids get Working Class Jobs (published in 1977). In L'invention du quotidian de Certeau tries to delineate the 'creativity' of 'users' or consumers in everyday practice, who are 'commonly assumed to be passive and guided by established rules.' According to de Certeau, 'users' not only consume various products – from commodity to urban space – of modern rationalized and expansionistic technocracy and capitalism, but also bricolent(bricolage) those products in their practices of everyday life where users dissimilate or transgress the control, 'discipline' and plans of producers and technocrats, in which de Certeau finds out the 'creativity' of 'users' and the resistant moments with in the existing systems of dominance relationships of 'elite' and 'popular culture.' In Learning to Labour , Willis tries to identify the resistant moments in working class culture, especially 'failed' working class kids and their counter-school culture which oppose to authorities of school, teachers and academic carrier-based pseudo egalitarian institutions and society. He expounds on the reproductive processes of 'working class kids get working class jobs, because of various 'limitations' which distort the 'penetrations' of working class culture which are, he thinks, 'potential materials…for a thoroughly critical analysis of society and political action for the creation of alternatives.' Willis situates 'creativity' of working class culture in their collective level of the 'penetrations' which exist like Freudian 'unconsciousness' and cannot be seized in utterance or conscious level of working class people, while de Certeau finds the creativity of resistance in everyday surface level practices like speaking, walking, cooking. This paper has scrutinized the differences between de Certeau,'s and Willis's ideas of resistant alternative 'creativity' in everyday practices and popular culture, and their positions within the 'reproduction' of modern capitalist class society.
著者
山口 達郎 上野 秀樹 小泉 浩一 石田 秀行 岩間 毅夫
出版者
日本大腸肛門病学会
雑誌
日本大腸肛門病学会雑誌 (ISSN:00471801)
巻号頁・発行日
vol.68, no.10, pp.878-882, 2015

まれな疾患である家族性大腸腺腫症(FAP)の特徴を明らかにするためには,全国登録や多施設共同研究が必要である.本邦におけるFAPの最初の全国調査は1961年に開始され,1972年の第2回調査へと続いた.1976年からはFAPの登録事業が始まり,FAPに関する重要な疫学的・腫瘍学的知見が数多く得られた.それらは2012年に刊行された『遺伝性大腸癌診療ガイドライン』の基礎資料となっているが,海外からの引用文献が多く,本邦からの文献も2000年以前に集積された解析報告が多く,現状に即していない可能性がある.現在,大腸癌研究会の家族性大腸癌委員会内に組織されたFAPワーキンググループによる『FAPの多施設後方視的コホート研究』は,FAPの基礎データの集積と,我が国の診療実態の把握を行っている.また,次世代シークエンサーを用いた家族性腫瘍の遺伝子診断技術の確立と,新規原因遺伝子の探索が行われている.