著者
松井 章 石黒 直隆 中村 俊夫 米田 穣 山田 仁史 南川 雅男 茂原 信生 中村 慎一
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2010-04-01

本研究では、農耕および家畜の起源とその伝播を、動物考古学と文化人類学、分子生物学といった関連諸分野との学際的研究から解明をめざすとともに、民族考古学的調査から、ヒトと家畜との文化史を東アジア各地で明らかにした。家畜飼育から利用への体系化では、日本、ベトナムや中国の遺跡から出土した動物骨の形態学的研究をすすめつつ、ラオスやベトナムの少数民族の伝統的家畜飼育技術や狩猟活動などの現地調査を実施した。東アジアの家畜伝播を知るうえで示唆に富む諸島において、先史時代や現生のイノシシ、ブタのmtDNA解析をすすめ、人の移動と密接に関係するものと、影響が見えないものとが明らかとなった。遺跡発掘試料の高精度年代測定研究では、暦年代較正の世界標準への追認、日本版の暦年代構成データの蓄積をすすめた。中国長江流域の新石器時代遺跡から出土した動物骨で炭素・窒素同位体比の測定では、ヒトによる給餌の影響から家畜化と家畜管理についての検討を行った。さらに、台湾を主体としたフィールドワークでは、犬飼育の伝播と犬肉食の世界大的な分布・展開の解明、焼畑耕作・家畜飼育と信仰・神話、また狩猟民の観念について探究した。
著者
關 雄二 井口 欣也 坂井 正人 鵜澤 和宏 米田 穣 長岡 朋人
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

本研究では、南米のアンデス文明における権力生成過程を、祭祀遺跡(ペルー国北高地パコパンパ遺跡)の発掘と出土品の分析を通して追究した。当該遺跡の利用は、I期(B.C.1200-B.C.800)とII期(B.C.800-B.C.500)に細分され、I期においては、社会的不平等性は見あたらず、構成員の自主的な参加に基づく祭祀活動(神殿建設・更新)が認められたのに対して、II期には金属生産とその分配を基盤にした権力者が登場したことが判明した。
著者
上條 信彦 宇田津 徹朗 高瀬 克範 田中 克典 米田 穣 宮田 佳樹 田崎 博之
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、環境激変に脆弱な北日本に導入されたイネの自然環境に対する適応過程および文化的な選抜過程を品種と栽培・加工技術の観点から生物学的・考古学的に解明することを目的とする。具体的には、出土イネ品種に関する本研究独自の分析技術を駆使して炭化米の形態・DNA分析、脂質・炭素窒素同位体分析、および本州最北端における水稲農耕開始期の遺跡発掘調査を通じて、これまで不明確であった本州最北端の水稲導入後の文化変容を探るとともに、品種の歴史的展開と、耕起や施肥、調理などの技術的革新の時期や内容を明らかにし、日本列島の稲作展開モデルの構築を目指す。
著者
西藤 清秀 吉村 和昭 岡崎 健治 篠田 謙一 米田 穣 吉村 和久 板橋 悠 阿部 善也
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2022-04-01

2022年度から2025年度にマカバ1号墳のできるだけ多くの石室の調査を実施し、副葬品の考古学的分析、人骨の人類学的分析や理化学分析を通して被葬者の人体的特性や集団構成、食性、出生地の同定を行う。またマカバ第1号墳の被葬者との特性の比較を行うために、1号墳の隣接地に所在するマカバ古墳群東地区の古墳を調査し、1号墳と同様の分析を実施する。最終年度の2026年には補足調査・分析を行い、結果をまとめる。
著者
本郷 一美 山田 昌久 那須 浩郎 米田 穣 姉崎 智子 茂原 信生
出版者
総合研究大学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究の目的は高精度の古環境情報を有効に抽出し、人工遺物や遺構などに関する考古学的な情報を統合する研究手法を確立することである。長野県のノンコ岩1岩陰と天狗岩岩陰遺跡において発掘調査を実施した。ノンコ岩1岩陰遺跡では、縄文晩期の遺物が出土した。天狗岩岩陰遺跡では、弥生時代前期から古墳時代前期までの文化層序が確認され、環境考古学的なデータを有効に抽出できた。人工遺物の他、多量の動・植物遺存体を採集し、C14年代測定、動植物遺存体の同定分析作業を実施した。

1 0 0 0 OA 下顎銃創の1例

著者
関 豊 乾 真登可 村田 琢 森 厚 米田 穣爾 田川 俊郎
出版者
Japanese Society of Oral and Maxillofacial Surgeons
雑誌
日本口腔外科学会雑誌 (ISSN:00215163)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.67-69, 1993-01-20 (Released:2011-07-25)
参考文献数
5

A 21-year-old male was shot with a handgun in the mandible, chest, inguinal region, and upper limbs. Upon admission to the emergency room, vital signs were relatively stable.X-ray examination of the head and neck region apparently revealed that the right side of the mandible was fractured and that the bullet-shaped radiopaque object was lodged in the tongue. However, because the radiopaque object in the tongue was found intraoperatively to be a full cast crown on the mandibular firstmolar, the initial clinical impression of the route that the bullet passed through the body proved to be mistaken. The comminuted mandibular fracture was reduced and stabilized with a miniplate under general anesthesia.Five months later, after an abscess appeared in the right submandibular region, the remaining bullet fragments were surgically removed. The postoperative course was uneventful.The unique characteristics of gunshot wounds shoud be carefully considered at initial assessment.
著者
西秋 良宏 仲田 大人 米田 穣 近藤 修 石井 理子 佐々木 智彦 カンジョ ヨーセフ ムヘイセン スルタン 赤澤 威
出版者
高知工科大学
雑誌
高知工科大学紀要 (ISSN:13484842)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.57-69, 2010-07

2009年度のシリア、デデリエ洞窟における先史人類学的調査成果について報告し、あわせて今後の研究の展望を述べる。デデリエはシリア北西部、死海地溝帯北端に位置する西アジア最大級の旧石器時代洞窟である。前期旧石器時代末から終末期旧石器時代にいたる30万年以上の人類居住層を包蔵している。2009年度は洞口部、洞奥部で発掘をおこない、それぞれ前期旧石器時代末、中期旧石器時代後半の地層に残る先史人類の活動痕跡を調査した。洞口部ではJ27区、K22/23区をそれぞれ地表下約7m、6mまで掘り下げた。いずれにおいても基盤岩が一部で露出し、当洞窟居住史の起点に近づくことができた。認定し得た最古期の文化層で最も顕著なのは前期旧石器時代末ヤブルディアンであった。より堆積状況の良好なK22/23区では前期ムステリアンと基盤岩の間に当該文化層が挟まれて検出された。数少ない層位的出土事例の一つであり、いまだ不明の点が多い前期旧石器時代末に生じた複雑な文化継起を先史学的に議論する好材料となる。一方、洞奥部では中期旧石器時代、ムステリアン後期のネアンデルタール人生活面を詳細に記録する作業を実施した。結果は、当洞窟に彼らの居住痕跡が保存よく残存していることを示した。石器、動物化石、炉跡などの空間配置を分析することでネアンデルタール人の生活構造、社会体制の考察が可能であろうとの見通しが得られた。
著者
米田 穣 向井 人史 蔡 錫圭
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.116, no.2, pp.161-170, 2008 (Released:2008-12-27)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

本研究では,国立台湾大学医学院体質人類学教室が収蔵する人骨コレクションに関する総合的研究の一環として,人骨中に残存するコラーゲンの炭素・窒素同位体比から,彼らが利用したタンパク質源を推定した。中央山地の高地に居住するブヌンの生業は,粟に特化した焼畑農耕と狩猟を主としたとされるが,骨コラーゲンの同位体比は陸上生態系およびC4植物の雑穀に依存した個体がある一方,窒素同位体比が比較的高い水産物に依存した可能性のある個体も検出されている。しかし,戦前の民俗調査では,ブヌンの漁撈活動は社によって大きく異なることが記されており,その意義についてはさらに議論が必要である。一方,台湾各地の先史時代遺跡から出土した古人骨では,非常に多様性に富んだ食生態が示された。海産物の利用やC4植物である粟などの雑穀の利用について,時代および地域間で大きな変動があったようだ。残念ながら,今回分析した古人骨資料は,帰属する文化層などの出土状況の記録が失われているので,今後放射性炭素などで,人骨の年代決定をすすめ,あわせて出土状況が明らかな古人骨資料のデータを積み重ねることで,台湾における食生態のダイナミックな変遷を明らかにできるだろう。
著者
工藤 雄一郎 米田 穣 大森 貴之
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.60.2020, (Released:2021-06-11)
参考文献数
47

本稿では,日本列島で最古段階となる縄文時代草創期の隆起線文土器群の年代的位置づけを検討するため,東京都百人町三丁目西遺跡出土土器内面付着炭化物の分析を行った.土器に付着した炭化物は少量であったが,炭素をセメンタイトに合成する微量分析による放射性炭素年代測定を実施し,12,660±50yrsBP(15,270~14,940calBP)の土器であることが分かった.また,炭素・窒素安定同位体分析により,炭化物の由来が陸上動植物であり,年代測定結果の信頼性が高いことを示した.隆起線文土器の土器付着炭化物の放射性炭素年代測定50点および最古段階の資料である長崎県福井洞窟3c層出土炭化材による隆起線文土器の年代を比較し,隆起線文土器は約16,000年前から2,000年程度続く土器型式であり,百人町三丁目西遺跡の土器はそのなかでも中段階に位置づけられることを示した.
著者
米田 穣 吉田 邦夫 吉永 淳 森田 昌敏 赤澤 威
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.293-303, 1996-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
49
被引用文献数
14 16

本研究は,縄文時代中期(4,000年前頃)から江戸時代(250年前頃)にわたる8遺跡から出土した人骨38個体を試料として,骨コラーゲンの炭素・窒素同位体分析および骨無機質における微量元素分析を行い,その結果に基づいて長野県における約4,000年間におよぶ食性の時代変遷を検討したものである.結果として第1に,同位体分析から,当地域では縄文時代中期から江戸時代に至るまで主食は基本的にC3植物であったと考えられる.縄文時代から中世にかけては,非常に強くC3植物に依存していたのに対し,江戸時代には海産物の利用の可能性が示唆された.内陸部で庶民の日常食として重要だったと論じられている雑穀類に関しては,今回の分析試料ではC4植物である雑穀を主食とした個体は検出されなかった.また,炭素同位体比から縄文時代北村遺跡出土人骨17個体について食性に性差の存在する可能性が示唆された.第2に,北村縄文人骨1個体で実施した微量元素分析からは,同位体分析で示唆されたC3植物食の内容がシイ・クリを中心とする可能性が示唆された.
著者
安達 登 梅津 和夫 米田 穣 鈴木 敏彦 奈良 貴史
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.122, no.2, pp.157-166, 2014

青森県尻労安部洞窟より出土した2本の遊離歯について,理化学分析に基づいた個人識別をおこなった。これら2本の歯は1つが下顎左第三あるいは第二大臼歯,もう1つが上顎右第二大臼歯と同定され,重複はなかった。これらの試料の炭素・窒素安定同位体比は非常に近似しており,同一人物に由来すると考えて矛盾しない結果であった。また,較正放射性炭素年代はそれぞれ4286–4080 calBP(68.2%)および4280–4080 calBP(68.2%)と測定され,同時代のものと考えて矛盾しなかった。ミトコンドアリアDNA(mtDNA)解析の結果,これらの試料は解析した範囲で塩基配列が一致し,ハプログループは北海道縄文時代人およびアムール川下流域の先住民・ウリチにみられるD4h2と判定された。mtDNA解析の成功を踏まえて,より個人識別能力の高い核DNAのShort Tandem Repeat(STR)解析をおこなったところ,解析した座位の全てで正確な判定が可能であり,その判定結果は完全に一致した。上記の分析結果から,この2本の大臼歯は同一人物に由来する可能性が極めて高いものと考えられた。本研究は,遺跡から解剖学的位置関係を保たずに出土した,相互に接合しない複数の縄文時代人骨試料が同一人物に由来することを,理化学分析によって証明した最初の事例である。
著者
佐伯 史子 萩原 康雄 奈良 貴史 安達 登 米田 穣 鈴木 敏彦 澤田 純明 角田 恒雄 増山 琴香 尾嵜 大真 大森 貴之
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.124, no.1, pp.1-17, 2016
被引用文献数
2

岩手県大船渡市野々前貝塚から出土した縄文時代晩期の熟年男性1体(1号),胎児ないし新生児1体(2号),壮年後半から熟年前半の女性1体(3号),熟年女性1体(4号),3歳程度の幼児1体(5号)の計5体について,形態人類学的および理化学的分析を実施した。人骨の年代は放射性炭素年代測定により3150~3000年前(cal BP)と推定された。形態学的検討およびDNA分析の双方から,野々前貝塚人骨が縄文時代人に一般的な形質を有することが明らかとなった。ミトコンドリアDNAのハプログループが判明した3体(1号N9b1,4号N9b*,5号M7a2)に母系の血縁関係は認められなかった。特筆すべき古病理学的所見として,出土成人3体全ての外耳道に明瞭な外耳道骨腫が確認された。これは,野々前貝塚の人々が水中(潜水)ないし水面域での漁撈活動に従事していた可能性を示唆するものである。炭素・窒素同位体比の分析では海産物を多く摂取していた食性が提示されており,外耳道骨腫の多発との関連がうかがわれた。また,出土成人3体全ての頸椎に重度の椎間関節炎が生じており,野々前貝塚の人々が頸椎に強い負荷のかかる生活環境にあったことが想起された。
著者
濱田 洋平 谷川 亘 山本 裕二 浦本 豪一郎 村山 雅史 廣瀬 丈洋 多田井 修 田中 幸記 尾嵜 大真 米田 穣 徳山 英一
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2020
巻号頁・発行日
2020-03-13

⾼知県⼟佐清⽔市⽖⽩海岸付近の海底(水深5-10m)には、数十基の大型の石柱(長さ1m)が横たわっている。しかし、石柱が人工的に作られたものなのか、自然の岩石ブロックなのか、そしてその起源ついては不明である。石柱が確認された爪白地区は、昔から南海トラフ地震による津波と台⾵・⼤⾬による⽔害に幾度も襲われているため、海底の石柱には自然災害の痕跡が残されている可能性がある。また、⾼知県各地の沿岸部には684年の⽩鳳地震で⼀夜にして沈んだとされる村(⿊田郡)の伝承が伝わっており、石柱と「黒田郡」との関係性にも期待がもたれる。そこで本研究では、石柱の幾何学的特性と岩石物理鉱物学的な特性を測定し、起源の推定につながる可能性の高い近傍の岩石および石造物についても同じ特性を測定した。各特性の類似性を評価し、海底石柱の起源の推定を行った。一連の分析の結果、海底の石柱は三崎層群竜串層(中新統)を起源とし、現在は閉鎖している三崎地区の採石場から採取、加工され、爪白地区で石段や家の基礎などの石造物として利用された可能性が高いことがわかった。さらに、爪白地区で利用されていた石柱は1707年の宝永地震による津波により海岸まで流された可能性が高いことがわかった。本研究は、破壊分析(間隙率・密度・XRD)と非破壊分析(X線CT・pXRF・帯磁率測定)の両手法を用いて実施している。将来における水中考古遺物の保存を念頭に置いた場合、水中における非破壊分析手法の確立が喫緊の課題となる。本研究ではX線CT画像解析による石柱の表面形状の特徴とpXRFによる元素濃度比の測定結果を用いたPCA解析が起源特定に大きな貢献をしたが、水中でも室内分析と同様の精度でデータを取得する必要がある。一方で、石柱が水中に水没したプロセスを知る上での重要な手がかりとなる年代評価については手法と精度に問題点があることがわかった。本研究の一部は高銀地域経済振興財団の助成金により実施された。
著者
加藤 博文 佐藤 孝雄 米田 穣 安達 登 石田 肇 蓑島 栄紀
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2016-04-01

昨年度に引き続き、礼文島に所在する浜中2遺跡の調査を継続し、アイヌ民族文化形成過程を考古学的に検証できる資料の蓄積に取り組んだ。特に調査区南側においては、遺跡上層部の堆積層が撹乱されずに良好に残されていることが判明した。層位的にオホーツク文化終末期の元地式土器、擦文式土器が出土している。その上層では、アワビ貝集積遺構が確認された。このアワビ貝集積遺構からは、人為的に変形されたマキリやマレック、船釘など鉄製品が出土している。年代的には、近世江戸期から明治初頭に遡ることが出土資料から推定される。集積されたアワビ貝には、金属製のヤスで刺突した際に開けられた断面四角形の穴が確認できる。アワビ貝の集積遺構は、層位差があることが確認でき、アワビ貝の採集がかなりの幅の持って連続的に行われたことが確認できた。2017年度に出土したオホーツク文化期初頭に属する墓から出土した女性遺体については、形質人類学的な初見が得られ、古代DNA解析も進められている。今後は、DNAの解析を進め、集団系統論からもアイヌ民族の形成過程や、オホーツク文化集団との関係を明らかにする資料の蓄積を図る予定である。民族形成過程に関する理論的考察としては、同時期のヨーロッパにおける集団移住と文化的統合がその後の民族形成に果たした影響について海外の研究者との意見交換を進め、議論を深めた。北海道においても歴史的アイヌ文化に先行するオホーツク文化や擦文文化の成立の背景に集団移住や隣接集団との接触があることが指摘されてきた。本研究では、移住・適応・文化的統合を具体的な事例に即して、理論的検証を進めている。地域集団の動態の背景には、隣接する国家などの政治社会的な動きや、経済交流の影響も大きく、今後検証していく必要がある。
著者
覚張 隆史 米田 穣
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2018年大会
巻号頁・発行日
2018-03-14

遺跡出土遺存体の動物考古学的・植物考古学的研究に基づくと、農耕牧畜以前のヒトはhunter-gathererの生業形態であったと考えられており、後期更新世末までのイヌは狩猟と採集の生業形態に深く関わる形でヒトのニッチェに近づいたと考えられる。特に、狩猟に有利な機能形態をもつ石器群の出土例の増加とともに、遺跡からイヌの出土例も増加する。西アジアのナトゥーフ文化期のAin Mallaha遺跡およびドイツの中石器時代のOberkassel遺跡から約1万4千年前~1万2千年前と比定された最古のイヌが出土しており、遊動性から半定住性社会の移行期において、イヌがヒトと移動を共にした可能性が指摘されている。一方、東アジアの後期更新世末において、遊動性から半定住性社会に移行する時期は、土器が出現し始める土器新石器時代に相当する。東アジアにおける土器新石器時代の遺跡からイヌが出土した最古の例は、日本列島の関東の夏島貝塚(神奈川県)から出土した犬骨破片である。夏島貝塚から出土した犬骨は、同遺跡から採取された貝および炭化物の放射性炭素年代測定に基づいて、12,117–9,281 BPと報告されている。また、中国のJiahu遺跡(9000 -7800 calBP)やDadiwan遺跡(7560-7160calBP)日本の上黒岩岩陰遺跡(7420–7266 calBP)が報告されており、少なくとも東アジアにおいてはこれらの時期以前からイヌが存在していた可能性が考えられる。特に、日本列島においてこれらの遺跡出土犬がヒトとどのような関係であったかを示した研究例はまだ少ないのが現状である。 そこで本研究では日本列島の遺跡出土犬の骨コラーゲンの炭素・窒素同位体比に基づいて、各時代の犬の食性の変遷を評価することを試みた。また、比較試料としてニホンオオカミと古人骨を分析し、ヒトと犬の関係について考察を試みた。 その結果、縄文犬は多量の海生魚類・貝類・海獣類も存在していたことがわかり、弥生時代以降に陸生食物資源に依存するという変化が明確に検出された。これは、縄文時代から弥生時代にかけてのヒトの生業活動の変化が、犬にも反映している可能性を示唆している。
著者
覚張 隆史 米田 穣
出版者
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
雑誌
奈良文化財研究所研究報告
巻号頁・発行日
vol.17, pp.53-62, 2016-03-31

本書の編集は、所長松村恵司のもと、石橋茂登と降幡順子の協力を得て、山崎健がおこなった。
著者
關 雄二 井口 欣也 坂井 正人 鵜澤 和宏 米田 穣 清水 正明 長岡 朋人
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本プロジェクトでは、アンデス文明初期にあたる形成期(前3000年~紀元前後)に焦点を絞り、ペルー北高地に位置するパコパンパ祭祀遺跡を調査し、遺構、出土遺物の分析を考古学のみならず理化学を含む分野横断的体制の下で進め、経済面以上に、イデオロギー面基盤を持つ社会的リーダーが紀元前800年頃に出現したことをつきとめた。またその権力形成過程や基盤に地域的多様性が認められることが判明した。この成果はアンデス以外の世界の古代文明においても適用できる可能性があり、その点で唯物史観に依存してきた文明研究に新たな視座を与えることができたと考えられる。
著者
石田 肇 弦本 敏行 分部 哲秋 増田 隆一 米田 穣 太田 博樹 深瀬 均
出版者
琉球大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

オホーツク文化人集団は 55 歳以上で亡くなる個体がかなり多い。オホーツク文化集団は、船上の活動などが腰椎の関節症性変化発症に関与した。久米島近世集団は、男女とも腰椎の関節症の頻度が高い。四肢では、オホーツク文化人骨では肘関節、膝関節で高い傾向を示した。沖縄縄文時代人は、目と目の間が平たいという特徴がある。成人男性の平均身長が約 153cm と、南低北高の傾向がみえる。北東アジア人の大腿骨骨体上部の形状が扁平形状であることを示した。四肢骨 Fst は頭蓋や歯の値より 2-3 倍大きい。SNP の解析により、アイヌ人と琉球人は一つのクラスターをなし、アイヌ・琉球同系説を支持した。