- 著者
-
鈴木 睦
堀井 郁夫
- 出版者
- 日本毒性学会
- 雑誌
- 日本トキシコロジー学会学術年会 第37回日本トキシコロジー学会学術年会
- 巻号頁・発行日
- pp.75, 2010 (Released:2010-08-18)
医薬品の評価で,「腎臓の近位直尿細管上皮の好酸球性腫大は,中及び高用量群では全例で認められたが,生理学的変動の範囲内の
組織像と判断された。本所見の発現頻度が増加した原因は不明であるが,高用量群でも組織所見の増悪は認められず,障害性もないこ
とから,これらの所見の毒性学的意義は低いと考えられる」などと言う評価は良く見受けられる一節である。その一方で,「サルで認め
られた腎臓の鉱質沈着所見は対照群の動物でも観察されることから,自然発生病変と考えられる」としながらも「このような腎所見がヒ
トに生じていても見落とされている可能性があり,同様の所見がヒトで生じている可能性について考察し,長期投与により当該所見が
進行して腎機能に影響を与える可能性の有無を考察するべき」と指摘されるケースもある。このように「対照群で認められているから自
然発症病変」と考え毒性評価から除外することは,臨床試験の安全性を保証するには適切では無いケースもあり,所見の発生頻度とそ
の時期を含めて十分に考察し,ヒトの有害事象発現を抑制することにできるだけの努力が払われるべきである。
上記のようなケースは一例に過ぎないが,「XXで変化が認められたが,器質的な変化が認められなかったので毒性学的意義は少ない」
とする常套句は,よく見かけられるものである。しかし,ここ数年の間で毒性の評価対象となる化合物は,分子標的やバイオ医薬品へ
と変遷し,その非臨床試験評価系の特徴から器質的変化のみに比重を置いた評価には限界も見え隠れする。また,分子毒性学的な手法
や新規バイオマーカーによる毒性評価も広がりつつあるが,試験責任者にとっては従来の評価方法との関係をどう捉え,統合し解釈す
るのか戸惑いがあるかもしれない。“器質学的な変化が認められなければ毒性学的意義は低い”という紋切り型の常套句に,更なる新し
い概念を加えて整理する必要性があると考えられる。