著者
高橋 信二
出版者
バイオメカニズム学会
雑誌
バイオメカニズム学会誌 (ISSN:02850885)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.53-58, 2018 (Released:2019-02-01)
参考文献数
7

体育・スポーツ科学では,トップアスリートなどの特徴的な個人を対象とする研究報告も少なくなく,単一の個人を複数回測定したデータを分析することも多い.同一個人から複数回測定したデータから,個人特性(個人差)を考慮しつつ,一般的な傾向を見いだすための統計解析法として「対応のあるt 検定」や「反復測定の分散分析」がある.しかし,これらの統計解析は厳密には個人差を十分に反映したモデルとは言い難い.本稿では,反復測定の分散分析を例に,どのように個人差が処理されているのかを解説し,個人差を反映した統計モデルとその結果の有用な活用方法を紹介する.
著者
高橋 登
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-10, 2001-03-30 (Released:2013-02-19)
参考文献数
23
被引用文献数
10 15

本研究の目的は, 学童期の読解能力の発達過程を縦断的に分析することであった。被験児は大阪府内の公立小学校に通う, 高橋 (1996a) の就学前後の縦断研究に参加した子ども達であった。本報告では1・3・5年生の冬に行われた読解能力と, 関連する諸能力との間の関係が分析された。その結果, 以下の諸点が明らかになった。かな単語の命名速度は1年生の段階ではひらがなの読みの習得時期によって異なり, しかもこの時期の読解能力を規定していたが, 学年が上昇するに従い習得時期による違いはなくなり, しかも読解能力への影響力も少なくなっていった。一方漢字の符号化も5年生の読解能力を規定するものではなかった。従って符号化レベルでの処理の効率性は, 小学校高学年段階では読解能力を規定するものとはならないと考えられた。それに対して語彙は低学年から高学年まで読解を規定するものであり続けた。しかも学童期の語彙は, 前の調査時期の読解能力によっても説明されるものであった。このことはこの時期の子ども達が読むこと, すなわち読書を通じて語彙を増やし, それがまた読解の能力を高めるという相互的な関係にあるものであることを示すものと考えられた。
著者
杉本 厚子 堀越 政孝 高橋 真紀子 齋藤 やよい
出版者
北関東医学会
雑誌
The KITAKANTO medical journal (ISSN:13432826)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.123-131, 2005-05-01
被引用文献数
2 6

【目的】患者の異常を察知した時に, 看護師が捉えた事象と臨床判断の特徴を明らかにすることである.【方法】外科系病棟に勤務する看護師15名の患者の異常を察知したエピソードを, グループディスカッションを通して抽出し, 内容分析した.【結果】看護師が捉えた事象は, 異常な眠気, 表情の変化, 反応の鈍さ, 活動の低下, 予測外の症状, つじつまの合わない会話, 違和感のある臭気であり, 多くの看護観察にもとづく非言語的サインであった.異常を察知した臨床判断には, 【今までとは違う感覚】, 【通常とは違うという感覚】, 【情報に矛盾があるという感覚】であり, 「その患者」のデータや経験の分析的判断と, 「そのような患者」の看護経験にもとづく非分析的判断の両者を活用していた.【結語】看護師は患者の微妙な非言語的サインにより異常を察知し, 論理的分析と経験によって培われた直観的分析を駆使して臨床判断を行っていた.
著者
越智 沙織 寺前 彩子 進藤 翔子 田原 真由子 高橋 彩 深井 和吉 鶴田 大輔 片山 一朗
出版者
日本皮膚科学会大阪地方会・日本皮膚科学会京滋地方会
雑誌
皮膚の科学 (ISSN:13471813)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.266-273, 2017 (Released:2018-01-06)
参考文献数
14

乾燥性皮膚疾患に対して,肌着が皮膚病変・自覚症状・生活の質に与える影響を主観・客観的に解析した。乾燥性皮膚疾患を有する20歳以上の患者33名を対象とし,被験試料はグンゼ株式会社が販売している完全無縫製の肌着(メディキュア®)を使用し,開始後14日後および28日後に評価した。紅斑・乾燥・掻破痕は14日および28日後共に有意な改善が認められた。結節・苔癬化は28日後に有意な改善が認められた。経表皮水分蒸散量は28日後に有意に減少した。そう痒による VAS score は14日および28日後に,疼痛による VAS score は28日後に有意に減少した。DLQI score は14日後・28日後に有意に減少した。研究終了まで明らかな有害事象は認められなかった。本研究品の肌着を着用後,各皮膚病変はいずれも有意に改善し,また,経表皮水分蒸散量・VAS・DLQI score も有意に低下した。以上の結果より,本研究品の肌着が,皮膚との摩擦を軽減することで,バリア機能を改善させ,その結果,乾燥によるそう痒や疼痛・皮膚病変も軽快し,患者の日常生活の満足度が高くなったと考える。よって,乾燥を有する皮膚には,日常のスキンケアに加え,縫い目や肌着の素材などを考慮し,刺激の少ない肌着を選ぶことが重要であることが示唆された。(皮膚の科学,16: 266-273, 2017)
著者
金子 健太郎 進藤 斉 佐藤 和夫 高橋 康次郎
出版者
Brewing Society of Japan
雑誌
日本醸造協会誌 (ISSN:09147314)
巻号頁・発行日
vol.108, no.7, pp.539-549, 2013 (Released:2018-01-15)
参考文献数
25
被引用文献数
1

不飽和脂肪酸の水和化能の高い乳酸菌を用いて,焼酎もろみ中でγ-ラクトン類を生成させるための諸条件を検討した。1.水和化能の高い乳酸菌をどぶろくから分離し,その中から能力の高い乳酸菌26-a株,26-d株及び41-d株 の3株を分離した。同定の結果,26-a株及び26-d株はLb.brevisと同定されたが,41-d株は同定に至らなかった。2.焼酎もろみでの不飽和脂肪酸の供給源として麹エキスや酵母の自己消化物,90%精白米よりは玄米が好ましいことがわかった。3.玄米を掛け原料として黒麹(90%精白)を用いた焼酎仕込条件を検討した結果,酵母は,清酒酵母K701より焼酎酵母SH4,泡盛酵母AW101が優れていた。また,乳酸菌の添加時期は2次仕込の1日目に,添加菌数は106cfu/mlが好ましかった。4.この条件で仕込んだ焼酎には0.070~0.15ppmのγ-nonalactone,0.16~0.35ppmのγ-dodecalactoneが生成された。また,乳酸菌26-d株のみに0.09~0.12ppmのγ-decalactoneが検出された。5.官能評価では,対照に比べ乳酸菌を添加して醸造した焼酎は,γ-ラクトン類の香りが高く味が濃いというコメントが見られた。また,低沸点香気成分の量が多いこと等から,香りの評価がいずれも高く,また,味及び総合評価でも26-d株及び41-d株で醸造した焼酎が対照よりもかなり良い結果であった。
著者
高橋 洋成 永崎 研宣 本間 淳
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:21888957)
巻号頁・発行日
vol.2022-CH-129, no.3, pp.1-7, 2022-05-14

動画アノテーションツール ELAN で作成された「注釈付き動画」を言語教育の教材として活用するため,本研究は IIIF ビューワ「Mirador 動画アノテーション対応版」を改良し,注釈テキストの自動スクロール機能や字幕表示機能を追加した.また,ELAN の注釈データを IIIF 記述へ変換するにあたり,副産物として様々な形式のデータを得ることができ,多様なプラットフォームを見据えた注釈テキストの「エコシステム」構築の可能性が示された.
著者
金子 文成 大西 秀明 大畑 光司 高橋 容子 松田 雅弘 森岡 周
出版者
一般社団法人日本理学療法学会連合
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.95-98, 2022 (Released:2022-04-20)
参考文献数
10

経頭蓋磁気刺激(以下,TMS)に関して,Baker らの報告以来,これまでに多くの研究が報告されてきた。 非観血的な方法であることから理学療法に関連する学術大会や学術誌においてこの方法を用いた研究が報告される例は多く,患者を対象とする臨床研究も散見されるようになってきた。このような状況を鑑み,当該刺激方法に関する安全性を検討する委員会を有する国内学会や,国際的な指針からの情報を簡潔にまとめ,理学療法領域の研究に従事する方々に情報共有することが肝要との判断から,声明を発出するに至った。TMS を用いた研究にかかわる場合には,必要な知識の習得と十分なトレーニングが重要であり,今後,大学院カリキュラムのレベル,あるいは卒後教育のレベルで,トレーニングの標準化を検討するべきであろう。現時点では個々人の技術と知識の習熟状況,および実施環境などから慎重に行われつつ,さらに知見が蓄積されていくことを望む。
著者
森沢 知之 岩田 健太郎 上野 勝弘 北井 豪 福田 優子 高橋 哲也
出版者
日本理学療法士学会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.10-17, 2016 (Released:2016-02-20)
参考文献数
14
被引用文献数
4

【目的】回復期リハビリテーション(リハ)病院における心臓リハ実施状況および実施にかかわる問題点を明らかにすること。【方法】全国の回復期リハ病院194施設に対し郵送法にてアンケート調査を実施した。【結果】アンケートの回収率は61.9%で,心臓リハ実施率は7.5%(9施設)であった。心臓リハ非実施の理由は「循環器専門医の不在」や「心臓リハ経験者の不在」など人的要因が半数以上を占めた。今後の心臓リハ拡大には「回復期リハ病棟入院対象者患者の基準緩和」,「心臓リハに関する卒後教育体制の充実」,「心臓リハ施設基準の緩和」が必要とする意見が多かった。【結論】回復期リハ病院での心臓リハ実施施設の増加のためには急性期-回復期病院の連携システムの構築,心臓リハにかかわるスタッフの教育体制の充実などが今後の課題であると思われた。
著者
高橋 直也 橋本 周司
雑誌
第69回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2007, no.1, pp.213-214, 2007-03-06
著者
高橋 秀直
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.76, no.5, pp.p673-709, 1993-09

個人情報保護のため削除部分あり本稿は、最近研究が活発化している征韓論政変について、その実態と歴史的意義の解明を試みるものである。 留守政府期において、急速な近代化を目饗し野放図に開化政策を拡大しようとする諸省と、それを一定の枠内に抑えようとする大蔵省(これは木戸派が支配していた) との間で、激しい対立が生じた。さらに明治五年後半になると、木戸派を除く政府の大勢は対外強硬論に傾き、台湾への出兵を主張するようになり、これを阻止しようとする木戸派大蔵省と厳しく対立した。大蔵省は征台の阻止には成功した。しかし明治六年五月の政府改革で江藤新平らにより木戸派の大蔵省支配が打倒されると、対外強硬論への政府内の歯止めは失われてしまう。こうした中で朝鮮より広津報告が到着すると、留守政府の対外強硬志向は朝鮮に向けて噴出し、八月一七日、戦争につながる可能性の極めて高い、西郷隆盛の朝鮮への使節派遣が「内決」された。 一方外遊より帰国してきた岩倉使節団のメンバー、岩倉具視・大久保利通・木戸孝允らは、江藤ら留守政府に反発し、政府改造を期した。また岩倉ら使節団派は、内治優先の立場より戦争は避けるべきと考えており、西郷の派遣に反対であった。このように権力闘争・朝鮮政策の両次元で使節団派と留守政府は対立した。しかし一〇月一一日西郷が自らの派遣の正式決定について強硬な意向を表明すると、逆に、朝鮮問題での政府の分裂を避けようとする妥協的な動きが、両者の間に生まれることになる。しかし一四、一五日閣議で西郷の固執により妥協は成立せず、両者は朝鮮政策について決定的に対立することになった。そして結局、三条実美の決断で西郷遣使が決定した。 敗北した使節団派は、閣議直後より逆転に向けて動き三条に圧力をかけた。このため一八日、三条は発病した。一九日、留守政府派を中心とする閣議は、岩倉の太政大臣代理就任と朝鮮問題再評議のための閣議開催を決定する。しかし天皇側近に対する工作により秘密のうちに天皇の支持をとりつけていた、岩倉らは、再評議を行わずこのまま先の閣議決定に反対する上奏を行うことを決めた。これに対し留守政府派は二二日岩倉を訪れ詰問するが、彼の意見を変えることはできなかった。二二日岩倉は上奏を行い、翌日裁可、使節団派は勝利をしめたのである。明治五年後半以降の留守政府内の対外強硬論の高まりは、開化政策の強行により生じた社会各層の不満をそらそうとする意図をもつものであり、明治四年以降の開化への競合の帰結と言えるものであった。 明治六年の一連の政変の結果、政府の中枢は大久保派がしめることになったが、これは明治二年以降続いていた行政における木戸派の優位の終焉、木戸派から大久保派への主導権の移行を示すものであった。This article attempts to elucidate the actual conditions and historical significance of the political changes surrounding the debates on the Expedition to Korea, an issue which has recently been the object of much research. During the fifth and sixth years of the Meiji period, fierce opposition developed between those ministries which attempted to enlarge haphazardly an "enlightened policy (開化政策)" in order to modernize rapidly and the Ministry of Finance, controlled by the Kido group, which tried to restrict This policy. During the latter of the fifth year of the Meiji, except for the Kido group, most people in government tended towards a hard line towards foreign countries and came to advocate an expedition to Taiwan. The Ministry of Finance firmly opposed this tendency and prevented the expedition. In the governmental reform of May, the sixth year of the Meiji period, the Kido group's control over the Ministry of Finance was broken by Eto Shinpei. As a result, this brake on taking a hard line towards foreign countries was lost. It was under these conditions that the Korean issue came to a head, and the government decided to dispatch Takamori Saigo, a man extremely likely to escalate matters to war, to Korea on August 17th. Members of the Iwakura Mission such as Iwakura Tomomi, Okubo Toshimichi, and Kido Takayoshi who returned from abroad opposed the Eto group and hoped to reform the government. The Iwakura group did not approve of sending Saigo, believing that domestic affairs should be given first priority and that war should be avoided. In this way, the opposition between the two groups took form on two levels of a struggle for power and a policy towards Korea. Thus, in August, whether or not to approve dispatching Saigo, who had been''decided upon informally (内決), " became a critical issue for the government. When Iwakura had returned in September, the government was faced with a number of outstading problems, the Korean issue being only one of them. However on October 11, Saigo demanded a formal decision as to whether ha was to be dispatched. The Korean issue having become so prominent, there arose a movement towards compromise between the groups to avoid splitting the party. Because of Saigo's intransigence in the cabinet session of October 14th and 15th, compromise was not possible and opposition between the two groups became absolute. By the decision of Sanjo Sanetomi, Saigo was dispatched to Korea. Immediately afetr the cabinet session, the defeated group began work to reverse the situation, applying pressure to Sanjo. On October 18th, Sanjo fell ill. On October 19th, the Eto group-led cabinent session decided to hold a cabinent session in order to appoint Iwakura to acting Prime Minister and to discuss the Korean issue once more. However, the Iwakura group secretly gained the Emperor's support, maneuvering matters to the close advisors of the Emperor. Iwakura decided not to discuss the issue and instead addressed a memorial directly to the throne in which he objected to the previous decision reached by the cabinet. In response, on October 22nd, the Eto groups cross-examined Iwakura, but he did not change his opinion. The same day, Iwakura addressed a memorial to the throne which was approved the next day, and the victory of the Iwakura group was clear. The rise of a hard-line stance towards foreign countries within the government from the latter half of the fifth year of the Meiji period onwards was to divert the discontent of various social strata which had emerged from the forced implementation of the enlightned policy. In a sense, it was the end of the competition for enlightenment begun in the fourth year of the Meiji era. As a result of a series of political changes in the sixth year of the Meiji era, the Okubo group occupied the heart of the government. This brought an end to the control of the Kido group in the administration which had lasted from the second year of the Meiji era and ushered in a shift in political initiative from the Okubo group to that of the Kido group.
著者
藤森 大輔 本村 友一 山本 晃之 原 義明 西本 哲也 高橋 希 柄澤 智史 高橋 功
出版者
一般社団法人 日本外傷学会
雑誌
日本外傷学会雑誌 (ISSN:13406264)
巻号頁・発行日
pp.36.3_06, (Released:2022-03-30)
参考文献数
8

74歳男性. シートベルトを着用し軽乗用車運転中に意識を失い前方の車両に追突し, フロントエアバッグが作動した. ドクターヘリで当院へ搬送され, CT検査で胸骨骨折・内胸動脈損傷・多発腰椎圧迫骨折の診断となり, 経カテーテル的内胸動脈塞栓術を施行した. 入院後より経時的に血中CPK値が上昇し, 代謝性アシドーシスと高乳酸血症も進行した後, 心停止・自己心拍再開を経て腸管虚血に至り, 第4病日に死亡した. 経過中のCT検査より胸部大動脈原性の両下肢の筋梗塞を含む多発塞栓症が疑われた. 安全装置であるエアバッグとシートベルトによる鈍的胸部外傷に起因した二次的な大動脈原性塞栓症で広範な筋梗塞を認めた例は稀有であり報告する.
著者
高橋 有里
雑誌
岩手県立大学看護学部紀要 = Journal of the Faculty of Nursing, Iwate Prefectural University (ISSN:13449745)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.31-41, 2007-01-01

本研究の目的は,乳児の母親の育児ストレス状況とその関連要因を明らかにすることである.対象は,岩手の2村に住む乳児の母親199人である.6つの尺度,育児ストレス,対児感情,母性意識,夫との関係性のストレス,特性不安,そして特性怒りについて調査した.その結果,育児ストレスは,パーソナリティとしての不安になりやすさをベースに,夫との関係性のストレスや子どもへの否定的感情,母親役割の非受容感が影響していた.しかし,怒りやすさや子どもに対する肯定的感情は影響していなかった.乳児期の育児ストレスは怒りよりも不安や抑うつ感が主となっていると考えられた.また子どもに対して肯定的感情を持っていても育児ストレスが低いとは言えないことが明らかとなった.また出産直後からの人的支援は子どもの肯定的受容を促進すると考えられるが,それだけでは育児ストレス軽減には充分ではないことが分かった.また,生後6ヵ月頃からの子どもの発達の特徴は,母親の育児困難感を高める要因となり乳児期の育児ストレスに影響していると推測された.さらに,専業主婦や働いている母親よりも産休中・育休中の母親のほうが積極的・肯定的な母性意識が低く,逆に消極的・否定的な母性意識が高く,子どもに関連した育児ストレスが高いことが明らかとなり,産休・育休中の母親への支援が重要であると考えられた.
著者
齋藤 泉 大西 浩次 安藤 享平 大川 拓也 小野 智子 篠原 秀雄 高橋 淳 松尾 厚 奥野 勉
出版者
長野工業高等専門学校
雑誌
長野工業高等専門学校紀要 = Memoirs of Nagano National College of Technology (ISSN:02861909)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.1-11, 2014-06-30

We measured the transmittance of filters and the substitutes for direct observation of the sun, from 2009 to 2012. In this paper, we report the results of the measurements in detail. This paper gives fundamental data for observing solar eclipses safely.
著者
高橋 春成
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.18, pp.87-99, 2010

シシ垣は、漢字で「猪垣」、「鹿垣」、「猪鹿垣」と書く。遺構といえば、これまで貴族や豪族、武士などの遺構1が注目され、農民の遺構であるシシ垣の多くは等閑視されてきた。平成17年施行の文化財保護i法の一部改正により、「文化的景観」が新たに文化財に位置づけられ、シシ垣も「農林水産業に関連する文化的景観」として注目されるようになったことは意義深い。これを機に、今後さらに、全国のシシ垣のデータベース作り、シシ垣の文化財指定、シシ垣の保存と有効活用についての取り組みを推進する必要がある。