著者
池田 哲郎
出版者
日本英学史学会
雑誌
英学史研究 (ISSN:03869490)
巻号頁・発行日
vol.1976, no.8, pp.159-173, 1975-09-30 (Released:2009-09-16)
参考文献数
15
著者
河阪 雅之 中本 和宏 横内 恭人 渡辺 慎二 杉山 和雄
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.52, pp.177, 2005

携帯電話を製造する際、メーカーはデザイン戦略に応じてコンセプトを立ち上げ、コンセプトに基づきアピアランス・インタフェースのデザイン作業を行う。アピアランスのデザインと比較して、インタフェースデザインに関してコンセプトとの適合度を議論されることは非常に少ない。しかし、メインメニュー画面は操作時に最も頻繁に目にする画面であり、他メーカーとの差別化を図る上でも重要な要素である。そこで本研究では、AHPを用いたメニュー画面のアイコンに対してコンセプトがどの程度適合しているかを評価する評価方法を提案することを目的とした。
出版者
日経BP社
雑誌
日経Linux (ISSN:13450182)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.52-63, 2004-02

ネットワークの設定には,「ネットワークの設定」を用いる(図A-1)。起動するには,[メイン・メニュー]-[システム設定]-[ネットワーク]を選択するか,GNOME端末などで,/usr/bin/redhat-config-networkと入力する。
著者
高橋 義浩 小西 公巳 岡田 仙三 井上 慶三 野村 皓夫 上羽 捷之
出版者
近畿産科婦人科学会
雑誌
産婦人科の進歩 (ISSN:03708446)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.42-48, 1972-01-01 (Released:2011-10-11)
参考文献数
11

免疫学的妊娠反応は産婦人科臨床に日常広く使われているが, 最近HAIRについでlatex粒子にHCG, または抗HCG(γ-グロブリン)をcoatingしたLAIR, LARのスライドテストが, その判定迅速性にすぐれ, 臨床応用されるようになった.われわれは, これらの市販免疫学的妊娠反応の正診率について比較, 検討を加えた.また絨毛性腫瘍の診断, 予後判定に高濃度および低濃度HCGの定量的測定が必要であるが, それぞれの目的にHAIRを用いたmicrotitration法およびvisking tubeによるサンプルの減圧濃縮法を行なったので, その臨床成績について報告した.
著者
重枝 未玲 寺町 賢一 碇 正敬 高崎 秀一 松木 洋忠 秋山 壽一郎 中山 比佐雄 田邉 武司
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
水工学論文集 (ISSN:09167374)
巻号頁・発行日
no.52, pp.829-834, 2008
被引用文献数
1

An analysis of behavior of over-land flows based on geophysical characteristics using geographic information system (GIS) was conducted. Firstly, the digital surface model (DSM), which is the data of the surface of ground, was verified against the data of bed elevation in the map of the city planning whose scale is 1/2500. Secondary, using digital surface model, a behavior of over-land flow was analyzed. Finally, the analyzed behavior of over-land flow was compared with the flood process examined in the field study and numerical simulation. It shows that the GIS and DSM are useful tool and data for examining the behavior of the inundation flows.
著者
奥田 和明 伊藤 秋男
出版者
公益社団法人 日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.40, no.11, pp.691-696, 1991
被引用文献数
2 1

薄い金属酸化膜試料の膜厚をX線光電子分光法により測定した.試料としてAl<SUB>2</SUB>O<SUB>3</SUB>/Al,PbO/Pb,MgO/Mg,SiO<SUB>2</SUB>/Siを用いた.光電子スペクトルは酸化物と金属成分に対応したダブルピーク構造を示す.各々のピーク強度を光電子取り出し角度を変えて測定し角度ごとに膜厚を求めた.又光電子平均自由行程の違いによる影響を見るためX線源としてマグネシウムK<SUB>α</SUB>線及びアルミニウムK<SUB>α</SUB>線を用いた.各X線源に対して得られた膜厚は6%の誤差範囲で一致した.表面粗さが無視できる平滑な試料に対してはあるひとつの光電子取り出し角度(θ)の測定で十分であることが確かめられた.しかし鉛試料の場合膜厚はθとともに系統的に変化しており表面粗さの影響を受けていることが分かった.この様な試料に対しては複数のθについて測定を行い膜厚を決める必要があることが確認された.大気中に長期間放置したAl<SUB>2</SUB>O<SUB>3</SUB>/Al及びSiO<SUB>2</SUB>/Si試料の膜厚は各々約33Å,11Åと導出された.
著者
鵜飼 建志 林 典雄 細居 雅敏 田中 幸彦 篠田 光俊 笠井 勉
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.C1331, 2007

【目的】<BR> 内側型野球肘における尺骨神経症状があるものは上腕三頭筋内側頭(以下MHTBとする)の圧痛やspasmを有するものが多く、MHTBのrelaxationやtransverse方向への柔軟性改善を主体とした運動療法により、順調な改善を示す例を数多く経験している。本報告の目的は、このような臨床経験から、MHTBが尺骨神経症状に対しどのような影響を及ぼしているのか、その発症メカニズムを考察することである。<BR><BR>【方法】<BR> 平成14年7月から平成18年10月までに当院を受診し、野球肘と診断されたケースの内、尺骨神経症状が主体であった16例を対象とした。<BR> 尺骨神経症状の判断基準は(1)Tinel sign陽性(2)尺骨神経の腫瘤(3)左右差のある尺骨神経の圧痛(4)尺骨神経領域におけるしびれ(5)尺骨神経伸張肢位での症状の再現(6)屈曲角度増大に伴う外反ストレス時痛増強(7)尺骨神経脱臼、の7項目の内3つ以上認めるものとし、その割合を検討した。<BR> またMHTBの尺骨神経症状への直接的な関与を確認する目的で、我々が考案したMHTB shifting test(以下MSTとする)を実施した。これはMHTBを徒手的に後外側へよけた際の外反ストレス時痛の変化をみるものである。<BR><BR>【結果】<BR> 尺骨神経症状判断基準(1)は16例(100%)、(2)は4例(25%)、(3)は16例(100%)、(4)は4例(25%)、(5)は6例(37.5%)、(6)は14例(87.5%)、(7)は9例(56.3%)であった。<BR> MSTでは13例で陰性化し、2例で軽減した。1例は変化がなかった。軽減にとどまった2例は改善に時間を要する傾向にあった。変化のなかった1例は初診時所見でMHTBの圧痛、spasmを認めなかった。<BR><BR>【考察】<BR> 投球時、肘は外反・屈曲強制を受けるが、MHTBはその制動に働くdynamic stabilizerとして重要である。投球動作の繰り返しによりMHTBに負荷がかかり、圧痛やspasmが生じる。その結果、MHTBの過緊張は尺骨神経を深部より押し上げ、浅層を走行するStruthers' arcadeに圧迫を生じさせる。加えて上腕内側を走行する尺骨神経はMHTBにより前方(腹側)に押し上げることで神経自体の緊張が高まり、尺骨神経溝との摩擦力も増大する。また、神経の緊張増大は尺骨神経脱臼の誘因となり、friction stressの増大を招く。また尺骨神経脱臼例では肘部管での尺骨神経過屈曲が生じ、肘部管症候群の引き金となる。以上のように、MHTBのspasmは尺骨神経に対し、圧迫、伸張などといった、神経症状誘発の根底となるrisk factorである可能性が高い。また、我々が考案したMSTは、MHTBによる尺骨神経への押し上げstressを、筋腹全体を後外側へshiftさせることで軽減させるテストである。尺骨神経症状におけるMHTBの関与を知る上で有用なテストであると思われた。
著者
松沢 弘陽
出版者
JAPANESE POLITICAL SCIENCE ASSOCIATION
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.5-62,230, 1968-09-30 (Released:2009-12-21)

Most of the socialists in the Meiji era were born in the 1860s, at the dawn of a new era, and grew up along with the new regime. Thus they were devoted to and were proud of the Meiji regime. When they later began to perceive social evils, they sought to reform but not to reject the regime.The early 1890s saw the modern beaureaucracy and higher education system prematurely established, which were followed by the rapid industrialization after the Sino-Japanese war. What resulted was a rigid social differentiation and opportunities to climb the ladders narrowed, at least this seemed so to ambitious young people. Moral sentiments declined. “Social problems” began to be conceptualized and given great weight. Many idealistic young intellectuals, inspired by democratic sentiments but prevented from climbing the ladder to success, approached “social problems” from the viewpoint of Wstern social and socialist theories which were learned mostly from American socialist literature. By introducing socialist reform they tried to dissipate the threat to the Meiji regime, particularly its constitutional aspect. They followed the German social democratic party which was the object of their deep admiration and almost the same with “International Socialism” itself to them. Nevertheless, the Japanese socialists were too deeply rooted in the native soil for them to be swallowed up by Western social and socialist theories. They interpreted and, though unconsciously, modified them, in terms of their own ways of thinking.Moreover we must remember that each socialist had a different social and cultural background from those of others. This resulted in different interpretations and modifications of western theories. On the one hand there was a “middle class” socialism of political journalists, “middle class” members themselves, who had been immersed in the ethos of the Restoration loyalist warrior (“shishi”) and of the literati (“bunjin”), and they laid much stress on the parliamentary side of an “elite socialism”. On the other hand there was a socialism of a trade union organizer, who tried to rely on the ethos of the “independent peasant” (“tokuno”) and of the skilled craftsman (“shokunin”), working by the sweat of their brows. He sought in his reform activities to improve people's way of life, not only their standard of living but their civic spirit and organizational efforts through their own participation.The Russo-Japanese war spelled the end of their efforts. Standing firm in their belief in international peace and justice they rejected the war aim of the Meiji government. The result was severe oppression by the government and castigation by public opinion. Faced with these difficulties, the dissension already creeping in became serious. In addition the socialists as a whole began to be isolated from the people. The plot of the “High-Treason Incident” finally put an end to the short life of the “Meiji socialists”.
著者
寺本 明子 Akiko TERAMOTO
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.163-171, 2010-09

ヴィクトリア時代の上層中流階級の子どもとして育ったビアトリクス・ポターは,家庭教師がその教育を受け持ち,学校に行かなかった為,同年代の友達もいない生活であった。その様な寂しい暮らしの中で,絵を描き,小動物と触れ合い,ロンドン郊外の祖父母の家や,家族で行く避暑地の自然に心惹かれ,後に動物が主人公のファンタジーを生み出すこととなる。独立心旺盛なピーター・ラビット等,数々の動物を童話の主人公として描き出した。ピーターには,制限された実生活で彼女が成し得なかったことを託したものと思われる。ポターの絵は,博物学者の正確な観察力を見せ,動物達があたかも人間模様を描くかの様な文章と補い合って,珠玉の名品を生み出した。1890年にポターは,ウサギを描いた自分の絵を出版社に売ることに成功し,自信を得て,童話を出版することを思い付いた。その後,次々成功する出版の利益は,彼女が愛した湖水地方の土地を買うことに充てられ,ナショナル・トラスト運動の創始者の一人,ハードウィック・ローンズリーの影響もあり,自然保護運動の協力者として大いに貢献した。47歳で結婚してからは,作家活動から遠のき,羊を育てながら,農民として暮らした。動物や周囲の自然を描く作家としての生涯を経て,彼女は,農民として,自然保護者として生きる理想を実現した。
著者
こまたん
出版者
日本野鳥の会 神奈川支部
雑誌
BINOS (ISSN:13451227)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.13-29, 2019

<p>多摩動物公園野生生物保全センターで飼育されているオス1羽、メス2羽の計3羽の飼育下のアオバトの繁殖期における鳴き声をICレコーダーのタイマー録音機能を利用し録音した記録から分かったことを報告する。</p><p>1)繁殖の欲求が高まっていく2 週間ほどは頻繁に鳴くが、その欲求も徐々に薄れてピーク後56日間(8週間)程度でほとんど鳴かなくなったと考えられる。</p><p>日長時間の変化による季節周期と既日リズムに従って鳴いていたことがわかった。</p><p>2)1日に鳴いたオアオ鳴きの最大鳴き声回数(ピーク)でさえ僅か8回であることは、よく鳴く他の鳥とは鳴き声の機能が違う可能性がわかった。</p><p>3)3個体が全期間を通じて鳴いた95日で、朝最初に鳴いた個体は、L0686(オス)が83回で87%と突出している。1日(日の出前~日の入り頃)の連続録音した結果ではL0686(オス)の鳴くピークが早朝(日の出前)と夕方にあり、昼間はL0685(メス)の比率が高くなっている。このことからオスは早朝と夕方に、メスは昼間に鳴く欲求が高まるといえる。 これはアオバトの営巣中のオス、メスの分業形態(オスは昼間に抱卵育雛を、メスは夜間に抱卵育雛を担当)により、巣の外にいる時間帯に鳴く欲求が高まると考えられる。野外の繁殖調査(こまたん 2003)において、親鳥が巣の中で鳴いたことが無かったことと一致する。</p><p>4)今回の分析では降雨の有無や晴れ曇りによる照度 の違いは考慮しなかったが、少なくとも鳴き声の回数推移や鳴き出し時刻には一定の傾向が見られたことから、影響は小さいことがわかった。 </p><p>5)L0686(オス)は、今まではL0685(メス)の鳴き声に反応は見られなかったが野生のアオバトの鳴 き声に対して1分以内で鳴いた。また、7月中頃以 降は次第に鳴く回数が減少して、朝の5時間で多くても3回以下の時期にこの日の朝は5回鳴き、2日後も5回鳴いた、そしてその後は回数を減らした。これらのことから、一般的に鳴き声には求愛の機 能があるとされているが、求愛など一定の興奮を引き起こす要因となっている可能性もわかった。</p><p>6)調査期間を通した鳴き声の中で、唯一野生のアオバトと鳴き交わした際の鳴き声は、各句の周波数範囲の中に納まっていて、特異な鳴き声ではなかった。鳴禽類と異なり、個体が持っている固有の鳴き声はやはり一つだった。これは、アオバトは一つの鳴き声で複数の意味を持たせているのか、あるいは鳴き 声以外の方法によって必要な情報を交換していることがわかった。</p><p>7)オアオ鳴きの中に句10以降続けて鳴く(追加タイプ)ものがあった。追加タイプの個体はL0686(オス)で孵化後8年以上とも考えられる個体でオアオ鳴き151回のうち8回(5.3%)あった。他の2個 体については追加・復唱することは無かった。追加・復唱する鳴き方は性別には関係なく歳をとったアオバトがたまに発声するものであると言える。</p>
著者
高山 佳樹 山本 翼 戸田 龍樹 Yoshiki Takayama Tsubasa Yamamoto Tatsuki Toda
出版者
創価大学プランクトン工学研究所
雑誌
プランクトン工学研究 (ISSN:24364878)
巻号頁・発行日
no.1, pp.22-31, 2021-06-28

In aquaculture and ornamental industries, copepods are recognized as preferred live feeds for marine fish larvae over commonly used organisms such as Artemia and rotifers. Marine fish larvae fed with copepods show better survival and growth. Despite obvious advantages of copepods as live feed, their use is still limited owing to low productivity and cost-efficiency when mass cultured. Copepods can be divided into free-spawner and sac-spawner (egg-carrying) according to their spawning style. In cultivation of egg-carrying copepod, a simple nauplii collection/harvesting method with low labor has not been established, because females carry the egg-sac until hatching. Manual collection of nauplii using a siphon hose and mesh-filters is a common method in copepod cultivation, but automation is necessary to reduce labor costs if copepods are to be viably cultured at a commercial scale. Recently, we devised a zooplankton bioreactor for rapid separation of free-spawner copepod eggs from adults in a tank. The automation collects eggs on a mesh filter in a water flow system which can also function as water exchange device. In the present study, we apply this bioreactor to egg-carrying copepod, and report the results from cultivation at laboratory-scale for 45 days. Species of Oithona are good candidates for live feed because their body size and biochemical composition are suitable for many marine fish larvae which have small gapes. Oithona oculata is widely distributed and a typical dominant species in coastal waters, and was chosen as target species of egg-carrying copepod in present study. 150 adult individuals of O. oculata were placed into a culture chamber which were immersed in a reproduction tank containing 3 L seawater. The culture chamber to retain the copepods has a 100-μm nylon mesh placed 5 mm above the bottom, while allowing passage of nauplii. The copepods were fed daily with a sufficient amount of Thalassiosira weissflogii and Isochrysis galbana and incubated at 28°C for 45 days. Produced nauplii in the reproduction tank were collected daily using water flow of 1.5 L min-1. The species abundance in each development, ovigerous rate and collected number of nauplii were measured daily. In the semi-continuous culture, the collected nauplii were cultured in maturation vessels and returned to the production tank after their maturation, and 45 days cultivation (four generations) was achieved. Total abundance was gradually increased from day 4 to day 20 and reached at 500 inds. L-1. Ovigerous rate varied from 0 to 88% during the incubation period. The maximum number of collected nauplii was 380 nauplii L-1 at day 5. The results obtained in present study suggest that the bioreactor can also be applied to egg-carrying copepod by optimization of the mesh size and the water flow velocity.
著者
小宮 孟
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological science. Japanese series : journal of the Anthropological Society of Nippon : 人類學雜誌 (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.113, no.2, pp.119-137, 2005-12-01
参考文献数
125

縄文時代の内湾漁撈は,スズキとタイを主な漁獲対象に展開したと考えられている。しかし,東関東の内湾沿岸部にある9ケ所の中後期貝塚から任意に採取した104本の柱状貝層サンプルを水洗したところ,アジ,イワシ,ウナギ,フナなどの小型魚類遺存体が高い頻度で分離された。内湾貝塚産魚類の主体は,従来の発掘で見落とされたこれらの小型魚が構成すると考えられる。ただし,魚種構成は地域差が顕著で,臨海部の遺跡では沿岸性小型魚が,内陸の遺跡では淡水魚が,そして,それらの中間域の遺跡では汽水魚が優占する。遺跡産魚類相を決定する1次要因が縄文人の漁撈にあるとすれば,この地域の内湾漁撈の主体は想定領域内に出現する小型魚の漁獲と消費に適応したシステムだったと推定される。しかし,想定領域内に海が存在しない遺跡からも大量の小型海魚のほか,タイなどの高級魚がしばしば出土することから,特定の海産物が経済的な取引をつうじて集団間を頻繁に移動した可能性がある。したがって,今回のデータは漁撈だけにとどまらず,魚類資源利用にかかわる当時の経済や社会のしくみを再検討する材料としても重要と思われる。<br>

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著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1886年07月12日, 1886-07-12
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.891, pp.84-86, 1997-05-19

洋楽ディレクター草分けのヒットメーカー。ヒットは,直観と最新技術の組み合わせから生まれる,と言う。音楽の次に挑んでいるのが,マルチメディアによる仮想空間づくり。ヒットの条件である「心の揺れ」を解明するために最先端のコンピューター技術を駆使している。ソニー・ミュージックエンタテインメントが初めて発売したゲームソフト「クーロンズ・ゲート」。