著者
谷山 太郎 高橋 健太
出版者
特定非営利活動法人 グローバルビジネスリサーチセンター
雑誌
赤門マネジメント・レビュー
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.109-136, 2014

広島県のデニム生地製造企業のカイハラは、米国リーバイ・ストラウス社との取引開始を契機として、デニム生地の製造や開発に関する能力を構築し、成長を遂げてきた。本稿では、カイハラの事業展開のプロセスを時系列で記述することで、海外顧客との取引を契機とする、事業成長の可能性について考察を加える。
著者
馬渕 俊一郎 松井 一真 清水 智子
出版者
公益社団法人 日本表面真空学会
雑誌
日本表面真空学会学術講演会要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>フォトクロミック分子の光異性化反応を利用した有機メモリバイスの実現には、均一分子膜の固体基板への展開、固体と接した分子のスイッチング機能の制御など、技術的な課題が必須である。本発表では、ジアリールエテン誘導体を貴金属に(111)表面に真空蒸着して得られる構造、気液界面で製作し基板へ転写し得られる膜構造を走査型プローブ顕微鏡で観察した結果を報告する。</p>
著者
山根 史博 大垣 英明 浅野 耕太
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会 年会・大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.30, 2009

原子力関連施設の建設は周辺地域に様々な経済的影響を及ぼす。本研究はそうした影響を定量的に評価し、地域にとっての施設建設の経済効率性を検証するものである。今回は、前回大会でのコメントを基に、むつ小川原地域を対象とした地価分析のリバイスを行った。また、分析が間に合えば、家賃の分析結果についても報告する予定である。
著者
経亀 諭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.8, 2004

1.はじめに<br><br> 都市内部および大都市圏の構造変容に関する研究の中で,小売業の分散の担い手としての大型店,特にスーパーの重要性が指摘されて久しい.地理学におけるスーパーの研究の中には,スーパーという業態そのものを固定的に捉えた上で店舗数や立地の変化を追うものや,スーパーの立地形態や販売形態の多様化を企業戦略から述べるものが多数を占めている.しかし,前者ではスーパーの店舗規模や形態(本研究では「業態類型」と総称) の多様化への言及がほとんど行われておらず,後者では都市の構造変化との関連についての言及が少ない.<br><br> そこで本研究では両者を統合し,都市内における各スーパーの店舗規模や形態の差異,またその変化の過程を明らかにすることを目的とした.<br><br><br><br>2.研究方法<br><br> 本研究では,札幌市を事例地域とし,商業統計基準の「食品スーパー」「総合スーパー」を対象店舗とした.具体的な研究方法は以下の通りである.<br><br> まず,わが国と札幌市におけるスーパーの発達史を概観し,業態類型を析出する.その際,GISを用いて1972・77・82・87・92・97・2002年の7年次の札幌市における各店舗の立地変化と,その他の社会経済的指標(おもに人口・小売業・交通に関する変数)との比較を行なう.また,より詳細な考察を行うために,2002年度の店舗データを用い,行要素を各店舗,列要素を各指標に基づいた立地特性とした因子分析を行なう.最後に,因子得点の業態類型ごとの平均値を比較し,業態類型ごと,あるいは業態類型内部における立地特性の差異を整理する.<br><br> なお,資料として,(株)商業界・『日本スーパーマーケット名鑑』『日本スーパー名鑑』各年度版,札幌市企画調整局・『札幌市の地域構造』各年度版,(財)統計情報センター・『地域メッシュ統計 平成7年度国勢調査,平成8年度事業所・企業統計調査のリンク』を用いた.<br><br><br><br>3.結果<br><br> 分析の結果,札幌市におけるスーパーの業態類型の差異に基づく棲み分けやその変化の過程は,以下のように要約できる.<br><br> 1)1960年代,主に徒歩による近隣商圏をもつ形の食品スーパー(「伝統的食品スーパー」,「ミニスーパー」)が人口分布にほぼ比例する形で分布を開始し,2)続いて1970年代には公共交通機関および徒歩によるより広い商圏をもつ総合スーパー(「伝統的総合スーパー」)が出店をはじめた.3)1970年代後半には,郊外化やモータリゼーションの進展に伴い,総合スーパーは次第に自動車による更に広い商圏をもつ大型の店舗を幹線道路沿いに立地させるようになり,4)店舗が増加するにつれて,1980年代には差異化のために商品の高級化・低価格化をはかる総合スーパー(「高級総合スーパー」「総合ディスカウントストア」)が出現しはじめた.5)大店法規制が緩和された1990年代には,食品スーパーの中にも自動車による広い商圏を特色とした大型の店舗が幹線道路沿いに立地しだし(「食品ディスカウントストア」「スーパー・スーパーマーケット」) ,6)旧来の公共交通機関や徒歩に依存する形の総合スーパーのうち品揃えが不充分であった小型のものがカテゴリーキラー等の影響からより採算の取りやすい大型の食品スーパーに置き換えられはじめるという傾向がそれを後押しした.また,7)大型の食品スーパーやコンビニエンスストアに商圏を奪われた小型の食品スーパーの一部は,24時間化等の対応で生き残りを図った(「コンビニエンスストア対策形食品スーパー」).<br><br> なお当日の発表時には,本稿で述べたスーパーの業態類型および立地展開の変化に加え,既存の小売業や人口の分布の変化との関連性についても更なる検討を加え,より詳細な結果を報告する予定である.
著者
太田 岳史 小谷 亜由美 伊藤 章吾 花村 美保 飯島 慈裕 マキシモフ トロフューム コノノフ アレキサンダー
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会大会発表データベース
巻号頁・発行日
vol.124, 2013

筆者らは,1998年よりロシア・ヤクーツクの北方,約20kmに位置するスパスカヤパッド・カラマツ実験林において,渦相関法を用いた全生態系からの蒸発散量,光合成量の観測を行ってきた.植生条件は上層植生は2007年6月に展葉していた樹木が枯れ始め,下層植生は2006年~2007年よりコケモモから湿地性の草本や低木が繁茂するようになった.気象条件は,降水量は,1998年~2000年は平年並み,2001年~2004年は渇水年,2005年~2009年は豊水年,2010年~2011年は平年並みとなった.その間に,大気側の成分(放射量,気温,飽差など)はあまり大きな経年変動をしなかったのに較べて,地表下の成分(地温,土壌水分量)は明確な経年変動を示した.そして,蒸発散量,光合成量は,この地表面下の成分により変化したと考えられた.すなわち,土壌水分量と蒸発散量は関係は2007年から低下しており,土壌水分量と光合成量は1年遅れて2008年より低下した.つまり,2005年から土壌水分量は上がりはじめ,2年の時間遅れで蒸発散量を低下し,光合成量はもう1年の時間遅れが必要であった.詳しくは,講演時に発表する.
著者
松下 義弘
出版者
社団法人 繊維学会
雑誌
繊維学会誌 (ISSN:00379875)
巻号頁・発行日
vol.77, no.9, pp.P-496-P-507, 2021-09-15 (Released:2021-10-01)
著者
伊藤 龍星
出版者
大分県農林水産研究指導センター水産研究部
雑誌
大分県農林水産研究指導センター研究報告. 水産研究部編 = Bulletin of Oita Prefectural Agriculture, Forestry and Fisheries Research Center (Fisheries Research Division) (ISSN:2186098X)
巻号頁・発行日
no.3, pp.21-56, 2013-05

褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科のヒジキSargassum fusiformeは、北海道から沖縄、海外では朝鮮半島、中国南部に分布し、主に岩礁域の潮間帯に生育している。我国の主な産地は、長崎県、千葉県、三重県、および大分県で、年間計8,000トンほどの天然藻体が採取されているが、これは国内需要の約2割に過ぎず、不足分は養殖を主体とする韓国などからの輸入に頼っている。近年、産地表示に対する消費者意識の変化や健康食志向などにより、国内生産の拡大が要望されている。このためには効率的な養殖の推進が求められる。韓国では、既に養殖が盛んに行われているが、その具体的な手法や生長経過などの詳細な報告はない。本研究では、天然藻体を種苗としたロープへの挟み込み養殖を行い、生長や生産量を明らかにするとともに、汚損生物の着生状況や収穫適期等について検討した。また、この養殖方法を本種が分布しない干潟域で試み、養殖場所の拡大の可能性を検討した。また、直立部のみを種苗とした養殖や、種首の部位別生長を調べ、栄養繁殖を利用した養殖の可能性について検討した。さらに、種苦を天然に依存しない方法として、繊維状根の細断による人工種苗生産の技術開発を行った。第1章では、海藻類の海洋環境に果たす役割や現地の状況を概説すると共に、本種の利用や生産、流通の実態、さらには増養殖研究の概要をとりまとめ、養殖と人土種苗生産の必要性について言及した。第2章では、天然種百を用いたロープ挟み込み養殖(浮き流し方式)を大分県国見町の岩礁域にて行い、詳細な生長や生産量を調べた。さらに、この養殖方法を干潟域で試みた。また、直立部のみを種苗とした養殖や、種苗を部位別に切断し再生による栄養繁殖を利用した養殖について検討した。岩礁域では、秋季に藻長約15cmで養殖を開始したところ、冬季の生長は緩慢であったが、4月以降急速に生長し、5月には藻長1mとなった。生産量は10kglm(ロープ)となり、近傍の岩礁域に生育する天然藻体に比べて、気胞や葉の数が多く重量も2倍程度となった。この理由としては、養殖施設(浮き流し方式)と天然ヒジキが生息する岩礁域との間での受光量の違いが考えられた。汚損生物としては、海藻では紅藻のイギス類や褐藻のシオミドロ類等がみられ、動物ではムラサキイガイやウミ、ンパ類等が出現した。一方、干潟域での養殖は、大分県中津市地先にて行った。干潟に支柱を建て、これに養殖ロープを取り付ける方法とした。設置地盤高により、ロープの干出時間に差が生じた。そこで干出の影響を調べたところ、干出時間が短いとヒジキの生産量は増加したが、同時にムラサキイガイなどの汚損生物も多くなった。干出時間の選定が重要であり、1日平均約2時間(潮汐表基準水面30cmに相当)の干出で、生産量は10kglmを超え、汚損生物も少ないとの結果が得られた。これより、干潟域においても十分に養殖が可能で、あると判断された。岩礁域、干潟域ともに、ムラサキイガイの汚損被害を防ぐためには、本種稚貝の成長が盛期となる以前の5月中に収穫するのが適当と考えられた。種苗の部位別の生長は、主枝先端の生長点を含む部位以外はほとんど生長しなかったことから、栄養繁殖の利用は困難であると判断された。また、直立部のみを種苗として使用するより、付着器ごと使用したほうが、生産量も約20%多くなることが判明し、付着器を含む全藻体を種苗として養殖するのが最も有効と判断された。第3章では、繊維状根の細断による人工種苗生産の技術開発を行った。これは本種の付着器を構成する繊維状根の茎形成能に注目したものであり、生殖細胞を用いない簡易で実用的な種百生産技術といえる。養殖は5月頃に終了するが、この際に残る付着器を採取したのち1本ずつの繊維状根にほぐし、低温で保存した。これらを細断し、さらに室内培養して茎を多数発生させ,幼体にまで生長させる方法である。繊維状根の低温保存には12℃,光量25 μ mol/m2/sが、茎形成と生長には23℃、120~230 μ mol/m2/sが適していた。切断から40日後には、茎形成率は85%、幼体の藻長は約5mmに達した。さらに繊維状根の適切な切断幅を検討したところ、2.5mm以下に切断することが有効であった。茎発生後シャーレ内で2~3ヵ月培養したのち、屋外水槽に移し、10月には藻長80mmを超え、11月には種苗サイズの藻長100mm以上となった。これらを養殖したところ、天然種苗と同等の生産量が得られた。以上のことから、岩礁域および干潟域でのロープ挟み込み挟み養殖が可能であり、生産量も高いことが明らかとなった。干潟域でのヒジキ養殖は、ノリ養殖にかわる新たな産業となる可能性も示された。また、人工種苗生産については、基礎研究はほぼ終了したものと考えられ、今後は種苗の量産化を検討する必要がある。
著者
小島 千枝子 横地 健治 岡田 真人
出版者
The Japan Society of Logopedics and Phoniatrics
雑誌
音声言語医学 (ISSN:00302813)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.225-234, 1983-10-25 (Released:2010-06-22)
参考文献数
22

特異な経過をとった言語発達遅滞の1例を報告した.症例は9歳男児.妊娠, 分娩, 新生児期著変なし, 運動発達は正常.幼児期前半は言語理解, 表出ともになく, 対人関係の孤立, 行動異常をあわせ持つ重度精神遅滞児の病像であった.理解は, 視覚的理解が聴覚的理解に先行して得られ, 対人関係の孤立も消失してきた.5歳10ヵ月の初診時, 発語失行が認められ, 構音訓練を中心とした言語指導を開始し, 急速な発語数の増大, さらに知的機能の上昇が得られた.8歳4カ月時にはIQ (WISC) は104となり, 現在は行動上の問題もないが, なお軽微な発語失行と失文法の問題は残されている.これらの言語, 知能を構成する各種高次機能の不均一な成熟の遅れによってもたらされた, 特異な臨床表現であろうと考えられた.
著者
林 雅子
出版者
日本建築学会
雑誌
建築雑誌 (ISSN:00038555)
巻号頁・発行日
no.1183, pp.73-74, 1981-08
著者
藤田 治彦
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.14-26, 2003-06-30 (Released:2017-05-22)

Yanagi Muneyoshi (1889-1961), leader of the Folk-Craft movement of Japan, felt sympathy for William Morris (1834-1896) as the central figure of the Arts and Crafts movement of England. Yanagi's sympathy was not for Morris' aesthetics of crafts but for his life and activities. Yanagi felt that Morris' work and idea of craft was too much art-oriented and suggested that it was Morris who divided the arts into fine arts and crafts, mainly based on his misunderstanding that the Arts and Crafts Exhibition Society was formed and named by Morris. Yanagi asserted that there was no precedent of the combination thus separation of these two words or ideas "arts and crafts" before 1888 when it was established. But, its prime movers were some of Morris' followers such as Walter Crane or W. A. S. Benson, and the term "arts and crafts" was coined by T. J. Cobden-Sanderson. "Arts" of the "arts and crafts" meant "design" rather than "fine art, " while "crafts" meant "handicraft, " judging from the catalogue of its first exhibition and some other related materials. Realizing new movements in rapidly industrializing Europe in the mid-1910's, a group of younger members of the society moved to form the Design and Industries Association. The Arts and Crafts Exhibition Society kept its name until 1959 when it was renamed the Society of Designer-Craftsmen. If it were Morris who divided the arts into fine arts and crafts in England, it was Yanagi who separated them into bijutsu (fine arts) and kogei (crafts) in Japan. The fact is that Morris was worried about the arts fallen apart from one another. Yanagi was also concerned about it. This seems to be a kind of "Oedipus effect, " a term introduced by Karl Popper to describe the influence of a theory or expectation or prediction upon the event which it predicts or describes. Lost in Europe, unity of the arts was also going to be lost in industrializing Japan. It was the time of Japan's occupation of the Korean Peninsula. As Morris had started his lectures on the decorative arts from his activities in the Eastern Question Association mainly dealing with the Balkan Peninsula issues and the Society for the Protection of Ancient Buildings, Yanagi started writing simultaneously on crafts and the protection of historic Korean buildings threatened by Japan's demolition scheme. Though different in their aesthetics, times and places they lived, Morris and Yanagi shared ethics or social ideals, rebellious and activist spirit, as well as the age of worldwide industrializaion and colonization.