著者
長岡 利
出版者
岐阜大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

大変興味深いことに、HepG2細胞において、3、6、12、18時間のEGCG処理は、劇的な細胞外PCSK9 mRNAレベルの低下を誘導した。24時間のEGCG処理はLDL受容体の活性化を伴って、細胞外PCSK9レベルの有意な低下を誘導した。EGCGによるLDL受容体mRNAレベルの増加はERKまたはp38経路を介して起こる。我々は初めて、EGCGはLDL受容体の増加に伴って、PCSK9の減少を誘導することを発見した。EGCGによるLDL受容体の活性化やPCSK9レベルの低下はアネキシンA2と一部関連する。
著者
朝鮮総督府 編
出版者
朝鮮総督府
巻号頁・発行日
vol.昭和10年 全鮮編 結果表及記述報文, 1939
著者
樋町 美華
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.57, no.12, pp.1245-1251, 2017 (Released:2017-12-01)
参考文献数
36

皮膚科における心理士の役割はさまざま考えられるが, 通常行われなければならない皮膚科治療や日常生活の妨げになりうる心理的問題へのサポートが重要と考えられる. 皮膚科において心理面からのサポートが必要な疾患は種々あるとされているが, 心身医学の側面からみた場合, 心身相関を伴う皮膚疾患に対する心理的サポートについて考える必要があるだろう. そこで本稿では, 最初に心と身体のつながりが密接であるとされているアトピー性皮膚炎およびざ瘡患者が抱える心理的問題について概観する. そして, 心理士の立場からアトピー性皮膚炎およびざ瘡患者への心理的サポートの必要性および具体的内容について解説する.

7 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1922年08月09日, 1922-08-09
著者
西端 律子
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.52, no.7, pp.868-873, 2011-06-15
著者
湯川 進太郎 吉田 富二雄
出版者
公益社団法人 日本心理学会
雑誌
心理学研究 (ISSN:00215236)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.94-103, 1999-06-25 (Released:2010-07-16)
参考文献数
29

This study investigated whether cognitions and emotions elicited by media violence mediate aggressive behavior. Eighty undergraduates, 40 men and 40 women, participated in the experiment. First, subjects were exposed to one of four violent videos which varied in levels of violence and entertainment. Subjects' heart rate and eyeblink rate were continuously recorded while they watched the video. After watching it, subjects described their thoughts which occurred while watching it and rated their affective reactions to it. Finally, their aggressive behavior was measured. Results showed that (1) videos high in violence elicited more aggressive thoughts, more thoughts of negative affect, stronger negative affects, and stronger empty-powerless affects, whereas videos high in entertainment elicited stronger positive affects; (2) no significant differences were found among the videos in terms of physiological reactions and aggressive behavior; and (3) cognitions and emotions elicited by media violence did not mediate aggressive behavior.
著者
貫井 万里
出版者
Japan Association for Middle East Studies (JAMES)
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-34, 2012-07-15 (Released:2018-03-30)

1951年にイラン政府は、20世紀初頭以来、イギリス系アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)の支配下にあった石油産業の国有化を宣言した。石油国有化を目指して一般民衆をも巻き込んでイラン全土で展開した、このナショナリズム運動は、石油国有化運動と呼ばれている。運動を率いたモサッデク博士をリーダーとする国民戦線は、石油産業の国有化を通して、外国の影響力を排除し、国家の独立と民主主義制度の確立の実現を主張し、多くの一般民衆を惹きつけ、運動に動員することに成功した。中でも、バーザーリーと呼ばれる、イランの伝統的商業区域、バーザールで働く商人や職人たちが、この運動に積極的に係わったことが多くの先行研究で指摘されてきた。先行研究を分類すると、バーザーリーの石油国有化運動参加の動機として、宗教指導者との密接な関係やバーザーリーの敬虔さを理由に宗教的要因を重視する説(宗教要因説)と、功利主義的な立場からバーザーリー自身による経済的利益の追求に注目する説(経済要因説)の二つに分けることができる。しかし、従来の説は、バーザール内の多様性を十分に考慮しておらず、また、バーザーリーの政治活動に関する具体的なデータに基づいて分析されていないという問題点を指摘することができる。従って、本稿は、バーザールの中でも、経済的にも政治的にも重要性の高いテヘラン・バーザールで働く人々(バーザーリー)に焦点をあて、上記の二説を実証的に検討することを目的とする。具体的には、ペルシア語紙『エッテラーアートEṭṭelā‘āt』新聞及び『バーフタレ・エムルーズBākhtar-e Emrūz』新聞から、モサッデク政権期(1951年4月~1953年8月)中にバーザーリーの参加した抗議活動を収集し、抗議活動の主催者及び共催者、クレイム(抗議イベントの中で唱えられた主張)に類型化した。収集された二つのデータセット、(1)バーザールの閉鎖(24件)、(2)バーザーリーの参加した抗議活動(321件)は、それぞれ第2節と第3節で考察し、クレイムと抗議活動が生じた際のイランの政治・社会状況を手掛かりに、バーザーリーによる抗議活動参加の動機を探究した。データ分析の結果、テヘラン・バーザールの多数派を構成する「商人・アスナーフ・職人連盟 Jāme‘e-ye Bāzargānān va Aṣnāf va Pīshevarān、アスナーフ連盟と略」は、テヘラン・バーザール閉鎖の権限を持ち、自律的な政治アクターであったことが判明した。同組織は、目的実現のための一手段として、宗教的権威を使用することもあったが、石油国有化運動の二大リーダー、世俗的政治家のモサッデク首相と宗教指導者のカーシャーニー師の対立が深まると、国民戦線の世俗政党と協力してモサッデク政権を最後まで支援し続けた。また、バーザーリーの参加した抗議活動の背景には、第二次世界大戦後の貿易自由化策及びパフラヴィー朝の経済政策によって富裕化した貿易商や企業家からなる「アスナーフ連合Etteḥādīya-ye Bāzargānān」と、伝統産業に携わる中小商人・職人からなるアスナーフ連盟の対立関係が浮かびあった。モサッデク政権は、国内産業の保護育成政策によって、中下層のバーザーリーに経済的恩恵のみならず、国政参加の機会をもたらした。政治・経済権益を巡るアスナーフ連盟とアスナーフ連合の主導権争いは、既得権の復活を目指すアスナーフ連合の王党派商人をモサッデク政権打倒工作に深く関与させる結果となった。本研究を通して、これまでの研究では、充分に明らかにされてこなかった石油国有化運動におけるバーザーリーの政治参加の実態を実証的に解明することが可能となろう。
著者
堀 智久
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.257-274, 2013 (Released:2014-09-30)
参考文献数
36

本稿の目的は, 日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的展開を追い, そのなかでクリニカルサイコロジスト (clinical psychologist) が, いかにして自らの専門性のもつ抑圧性を認識しながらも, その否定し難さと向き合ってきたのかを明らかにすることである.1970年代以降, 日本臨床心理学会は, 臨床心理学および臨床心理業務の総点検を行う. 彼らは, 心理テストや心理治療のもつ抑圧性を告発し, また自らの専門性を全否定することから, 専門職としての関わりを超えて, 「共に悩み, 共に考え合える」関わりを模索する.だが, 1970年代を通して徹底されるに至る専門性の解体の志向は, 日常的に専門性に依拠し職務を遂行するクリニカルサイコロジストにとって, 自身の立場を危うくもする. 専門性の否定だけでは, 日常の臨床心理業務は成り立たないからである. 1980年代以降, 日本臨床心理学会では, 日常の臨床行為に立脚し, 現場で活用できる知識や技術, 方法論等を模索する専門性を再評価する動きが見られる. その具体的な現れが, 事例=実践相互研修会の開催である. 一方で, 1980年代後半には, 医療現場の会員から資格の必要性が主張される. とりわけ, 厚生省による医療心理職の国家資格化に協力するか否かをめぐっては, 学会内でも激しく意見が対立する.本稿では, こうした日本臨床心理学会の学会改革運動の歴史的変容から, 1970年代および1980年代における運動の質の相違を浮き彫りにする.

7 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1945年12月05日, 1945-12-05
著者
中西 大輔 ナカニシ ダイスケ Daisuke Nakanishi
雑誌
広島修大論集. 人文編
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.193-207, 2004-02-27

This study explored confusion between liking and loving. Rubin (1970) showed that males do not distinguish liking and loving toward their partner in a romantic relationship, while females do. The adaptationist perspective, however, predicts the opposite pattern for males and females who are not yet involved in a romantic relationship. To test the prediction, in this experiment, mutually unknown opposite sex dyads jointly engaged in a problem solving task and then assessed their partner with Rubin's love/like scale. The results indicated that the correlation between liking and loving was higher among females than males. Therefore, the adaptationist prediction was supported. Implications of the present study and possible future research topics are discussed.
著者
サバットリィ ラウラ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.57, pp.96-123, 2007-10-20

イタリア、1930年4月から5月にかけてローマのパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ・ディ・ベッレ・アルティの展示場にて大規模な日本美術展覧会が開催された。企画は大倉喜七郎男爵(1882-1963)によるもので、融資的な後援は男爵自身が全面負担した。ムッソリーニ政権の組織的な支援によって実現されたこの展覧会は、西洋において初の大規模な日本美術展であり、日本では後に「ローマ展」という名で知られるようになった。展示作品は日本美術院及び帝国芸術院所属の画家たちによる絵画で、その多くは近代日本画の傑作として知られるようになった。展覧会の具体的な準備は、日本画壇の代表者として日本芸術使節の役を担った横山大観(1868-1958)が担当した。大倉男爵・大観両方の希望でパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニの展示場は日本人の職人達の手によって改装され、展示空間は本格的な日本様式へと変更された。このローマ展は当時の日本・イタリア両側のマスコミに大きく取り上げられ、評論界においても来客数においても大成功を収めた。イタリアのインテリ界に日本美学の解釈法及び日本画の本質を理解してもらうために、当時の在日イタリア大使、ポンペーオ・アロイージ男爵(1875-1949)は1929年にArs Nipponica(『アルス・ニッポニカ』、日本の美術)という本を500冊限定部数で発表した。この本は、日本美術の様々な表現を紹介したもので、当時の日本美術界の主な研究者及び芸術家による日本美術の特徴を解説したエッセイがイタリア語で掲載されていた。日本の代表的な建築物と芸術作品のきれいな写真及び日本人専門家のエッセイを集めたこの本こそは、イタリア側の評論家に不可欠な参考書になった。エッセイの中でも「日本絵画の本質に関する考察」と題する、画家・川合玉堂(1873-1957)によって執筆されたものは特に参考になったように思われる。そこには、日本美学の基本的な要素として《余韻》、《余白》などのような概念が述べられており、イタリア人記者・批評家の批評はそのコンセプトをしばしば借用した。本論文はその批評の中でより興味深いものを中心に議論することとした。イタリア側の多くの批評は〈繊細さ〉、〈優美さ〉、〈理想主義〉、〈鮮やかなポリコロミー〉及び〈様式性・本質性〉という日本絵画の独特な性質を特に評価した。その批評を書いた人物の中に作家及び語学者、ピエトロ・シルヴィオ・リヴェッタ氏(1886-1952)及び建築美術史家・評論家、ロベルト・パピーニ氏(1883-1957)がいた。前者は普及者として重要な役目をもち、後者は日本絵画に対する独自の評価が美術評論上興味深い意義を持った。リヴェッタはもともと美術評論家ではなかったこともあり、当時の定期刊行物に掲載された日本絵画に関する彼の批評は『アルス・ニッポニカ』からの借用が特に目立ち、美術評論上オリジナリティーがあまりないように思われる。しかし、1930年に出版された彼の本、La pittura moderna giapponese(『日本の近代絵画』)は、一般のイタリア人に日本文化に対する知識を普及させた。この普及者としての役割は重要である。この日本美術展に関するコメントを執筆した評論家の中で日本画の"gusto primitivo"、即ち"ルネサンス前派の芸術家たちらしい美的センス"を指摘し、意義深い批評を書き残したものもいた。ロベルト・パピーニはその批評家の一人である。彼は日本画には《無邪気さ》、《謙虚さ》、《盛大さ》及び《壮大さ》という独特な要素が見られると指摘し、日本の伝統的な絵画は"プリミティーヴィ(Primitivi)"と呼ばれる(特に13世紀と14世紀の)イタリアの中世後期・ルネサンス前派の画家たちの絵画に似たような特徴をもつと強調し、日本絵画を評価した。パピーニのような批評は実はローマ展以前にもすでに行われていた。1911年にローマで開催された博覧会にて日本絵画が展示され、日本画はルネサンス前派、"プリミティーヴィ"を連想させると、文学評論家エミリオ・チェッキ(1884-1966)がすでに指摘していた。ルネサンス前派と日本画・中国画との両絵画に形式上・技法上の類似点が実際存在し、自然と対峙されがちなところがあるが、イタリアのファシスト政権時代における芸術界の事情を考えると、パピーニの批評は新たな意義をもつようになると思われる。20世紀初頭、ヨーロッパ中に様々なアバンギャルドの芸術が風靡した後、20年代から30年代にかけてイタリアにおいても、そして欧州全体の芸術界においても、伝統の形像的な表現法への回復傾向が表れた。当時のイタリアにおける文化・芸術討論はジョット、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、マサッチョのようなルネサンス前派及びルネサンス前期の芸術家たちの遺産が高く評価され、その伝統様式への復興の呼びかけが強まると同時に、ファシスト政権は芸術界において新古典主義を強調していったのである。実際、日本画に対するパピーニの評価、即ち近代日本画の中で見られる、東洋の古典より着想を得た《本質的で堂々とした雄大さ》という彼の批評には当時のイタリアの美術史・美術評論界の思想・傾向及びファシスト政権の独自の理想が反映されていたと考えられる。その理想は国家の土着の伝統に見られる、その古典の"聖なる"、単純で高貴な性質であり、その復興への呼びかけ及び称賛が独特で、ファシスト政権の国粋主義の一面と重なった。ローマ展は様々な局面において重要なイベントであった。それまで非常に限られた小数の評論家の中に留まっていた日本美術への関心はこのローマ展で広まり、日本絵画の美学はようやくイタリアのインテリ界にて幅広く取り上げられるようになり、体系的に分析されることになった。ただ、日本美術がイタリアのマスコミによって大きく取り上げられたのは、このローマ展へのファシスト政権の組織的な関わり及び支持があったからだと思われる。この際に作成された参考書『アルス・ニッポニカ』の重要性も大きいと言っても過言ではない。そこに掲載された日本人専門家によるエッセイはイタリア側の批評に非常に参考になったものであり、この点に関しても、日本美術史上その歴史的な意義は極めて重要だと考えられる。また、イタリア側の批評に関して、日本美学の特徴が当時のイタリアの美術史・美術評論の傾向に従って評価され、その評価にファシスト政権の理想も反映されていたという点は特に意義深いことである。