著者
岩田 博夫 雨宮 浩 阿久津 哲造
出版者
一般社団法人 日本人工臓器学会
雑誌
人工臓器 (ISSN:03000818)
巻号頁・発行日
vol.18, no.3, pp.1324-1327, 1989-06-15 (Released:2011-10-07)
参考文献数
5

直径約10mm、厚さ1-2mm程度のハイドロゲルにラ島を封入したゲルタブレットタイプのハイブリッド型人工膵臓を試作した。ゲルタブレット作製には光架橋性ポリビニルアルコール(PVA-SbQ)を用いた。PVA-SbQ水溶液とラ島の混合液に光照射することで、ラ島封入ゲルタブレットを作製した。ゲルタブレット内に封入されたラ島をin vitroで長期間培養したところ、ラ島は本来の球形の形態を保持し続け、さらに培養開始から20日すぎまではインスリン分泌量は急速に低下したが、その後はほぼ一定のインスリン分泌量を示した。さらにゲルタブレットタイプは、たとえゲルの一部が破損したとしても影響を受けるラ島は少なく、移植部位から比較的簡単に取り出せ、さらに厚さを薄くすることで、グルコース濃度変化に素早く応答してインスリンを分泌できる等々の利点があり、今後ハイブリッド型人工膵臓として有望なタイプであると考える。

1 0 0 0 OA 人工膵臓

著者
吉見 靖男
出版者
一般社団法人 日本人工臓器学会
雑誌
人工臓器 (ISSN:03000818)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.197-198, 2012-12-15 (Released:2013-03-10)
参考文献数
11
著者
清水 浩 小林 和生 岩田 博夫 雨宮 浩 阿久津 哲造
出版者
一般社団法人 日本人工臓器学会
雑誌
人工臓器 (ISSN:03000818)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.203-208, 1991-02-15 (Released:2011-10-07)
参考文献数
5
被引用文献数
1

ハイブリッド型人工膵臓では、ラ島は血管系から切り放されさらに半透膜で被われている。このためハイブリッド型人工膵臓の血糖値変化に応答したインスリン分泌は、当然自然の膵臓からのインスリン分泌とは異なるであろう。本研究では、ハイブリッド人工膵臓の形状、半透膜の膜厚や膜中の高分子濃度等がインスリン分泌に与える影響を、実験と理論の両面から検討を加えた。よく実験値を再現できる数式モデルを組み立てることができた。数式モデルによる解析より、インスリン分泌の動特性に与える影響は、ハイブリッド型人工膵臓の形状よりはラ島を包むハイドロゲル膜の膜厚が大きな影響を与えることがわかった。本研究により、ハイブリッド型人工膵臓作製のための、基礎データを得る膜透過試験評価システムまたインスリン分泌の数式モデルを構築でき、これらは今後新規な封入材料を選定したり、新たなシステムを作製する有効な手段になり得ると考えられる。

1 0 0 0 OA 人工膵臓

著者
小西 義昭 山崎 博実
出版者
一般社団法人 日本人工臓器学会
雑誌
人工臓器 (ISSN:03000818)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.153-157, 2008-12-15 (Released:2009-07-01)
参考文献数
14
被引用文献数
1
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1657, pp.30-33, 2012-09-10

売買高1億株割れ──。東京証券取引所の日々の取引では今や、こうした薄商いは珍しいものではなくなった。結果的に何が起きたか。それは株式売買高における外国人投資家の圧倒的な存在感の高まりである。その比率は今や、7割にも達する。 だが、外国人投資家も喜んで日本株に投資しているわけではない。
著者
福永 陽 柚本 玲 今井 綾乃 田中 辰明
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.238, 2004 (Released:2005-04-02)

<目的>衣類保管時に、市販防カビ・防虫剤を使用するが、それらの中にはシックハウスの原因の一つとされるパラジクロロベンゼンなどの化学物質が含まれているものも少なくない。一方、防カビ作用があるとされる天然物についての報告はあるが、居住環境中に見られる真菌に対する抗菌性の報告例は少ない。そこで本研究では衣類保管を想定し、衣類から分離した2種の真菌について、香味野菜の揮発成分による真菌の発育抑制効果を明らかにした。<方法>試料は香味野菜15種(ナガネギ・ショウガ・タマネギ・ニラ・セロリ・ミツバ・エシャロット・ローレル・サンショウ・カラシ・ワサビ・トウガラシ・シソ・パセリ・ローズマリー)。PDA培地にCladosporiumを三点培養したシャーレの蓋に、細かく砕いた試料を、培地に触れないように各1、3、5gずつ設置した。25℃で7日_から_30日間培養後、発育抑制効果により試料を以下のように分類した。_丸1_効果大;7日以上発育抑制。_丸2_効果小:7日未満で発育確認。<結果>ナガネギ・タマネギ・エシャロット・ワサビ・カラシの5種が効果大であった。今回、ニラを除くすべてのユリ科の試料で効果大となった。ニラに関しては、試料の腐敗によるコンタミが見られたので、効果が見られなかったと考えられる。
著者
清李奉翰撰
出版者
江南督河使者刊
巻号頁・発行日
vol.[2], 1779
著者
畑 弘道
出版者
公益社団法人 日本皮膚科学会
雑誌
日本皮膚科学会雑誌 (ISSN:0021499X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.11, 1958

ここに皮膚pHと呼ぶのは皮膚の表面に薄膜をなして,皮膚を掩うて存在すると考えられる物質のpHの意義である.皮膚pHの測定は,1892年Heussが比色法を用いてなしたのが初めで,其後Schadeに依り検電的測定法が考案され,最近ではBlankのガラス膜電極を以てする検電的測定法が専ら行われている.Heuss以降皮膚pHに関する研究を発表した学者とその年代及び研究成績の要点を記すると,Heuss(1892)は皮膚pHを初めて比色法で測定,皮膚表面は酸性で,皮膚はアルカリ中和能を有すとした.のちUnna-Golodetz(1910)亦表皮の賛成を確認,Michaelis-Kramsztyk(1914)は全皮膚抽出液の,Talbert(1919)は汗の夫々pHを測定,Schade-Neukirch-Halpert(1921)は検電的測定を以て血液のpHを7.35~7.4,結締織のpHを7.09~7.29,表皮細胞の夫れを6.82とした.Sharlit-Sheer(1923)は比色法で健常皮膚のpHを5.4~5.6とし,Memmesheimer(1924)これを追試,確認した.Yamasaki(1924)は皮膚酵素の研究中,表皮浸出液のpHに,Schmidtmann(1925)亦健常及び病的細胞内pHを論じて皮膚pHに触れ,Schade-Claussen(1926)はキンヒドリン法を以て皮膚pHを測定,Hayashi(1927)は兎の皮膚pHを求めた.Brill(1928)比色法で健常皮膚pH値を6.0~7.0,Marchionini(1928)は5.0~3.0としたが,Marchioniniの所謂Sauremantelの説は皮膚pH問題に1エポックを劃したものである.Levin-Silvers(1932)はキンヒドリン法で健常皮膚pH値を5.0~5.3とし,北村,馬(1933)亦同法で日本人皮膚pHを測定,Burckhardt(1935)はアルカリ感受性ある者は皮膚アルカリ中和能が弱いとした,三木(1935)は比色法に依つて皮膚疾患病変部の汗のpHを,Blank(1939)はBeckman氏型pH meterを用いて少年及び壮年男女の健常皮膚pHを測定.Koch(1939),Schmidt(1941)は何れも健常皮膚pHを5.0~6.0とした.Draize(1942) は白人男女,黒人男子の健常皮膚pHを測定,Lang(1946)は皮膚表層角層pHを5.5,顆粒層のそれをpH 7.4とした.田中(1947)は健常値をpH5.0±×とした他,松本(1950)も亦健常値を求めんとし,Klauder-Gross(1951)は職業性皮膚疾患と皮膚pHとの関係を検討,特に皮膚アルカリ中和能を問題とした.Anderson(1954)は皮膚pH健常値を4.9~5.5とし,脂漏性皮膚炎の病変皮膚pHがこれを逸脱することを指摘,Jacobi(1951)は皮膚pH健常値を5.5~6.5,Schmidt(1952)は4.8~5.8,Arbenz(1952)は5.5±0.5とした.Schirren(1953)はガラス膜電極及びキンヒドリン電極を以てする皮膚pH測定値の差異を論じ,Cornbleet(1954)は酸外套と細菌との関係を,Jacobi(1954)はアルカリ性化粧料に因る皮膚障碍時の皮膚pHを検討するところがあつた.なお又,西牟田(1954)は健常皮膚pHを求め,津田(1956)は温泉浴が皮膚pHに及ぼす影響を検討した.初めHeussが皮膚pHを測定して知り得た,皮膚表面は酸性である"事実は,それ以後多くの研究者に依つて承認されるとともに,皮膚pHの研究はこの"皮膚表面は酸性である"ことの意義ずけと,その理由の探球へと発展した.この間Marchioniniが"皮膚表面は所謂酸外套Sauremantelによつて掩われ,このことは皮膚表面に於ける細菌の発育を阻止するに役立つ"と唱えたことは,彼が初めに考えたとは稍々違つた意味に於てゞはあるが,今日なお肯定されている.皮膚表面が酸性を呈する,その理由は,Levin-Silvers等が述べたように主として表皮角層及び汗にあるもののようで,但し2者の何れに重きを置くかは研究者によつて異なり,Andersonは表皮の有するProteinを,Spierは角層物質を,又,Brillは汗を重視し,Rothmanも亦汗を重んずるもののようである.
出版者
巻号頁・発行日
vol.第1巻,
著者
高橋 俊也 渡辺 菊眞 布野 修司
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.72, no.619, pp.133-139, 2007
参考文献数
14
被引用文献数
2 1

The purpose of this study is to consider the characteristics of urban space in Kyoto based on the analysis of the distributions of Cemetery. From the ancient times, there was funeral area in the hillsides of three mountains (Higashiyama, Kitayama and Nishiyama), which surround Kyoto City. The urban periphery was very different from the inner urban area in the term of spatial and cultural quality and those two areas have long been interrelated each other. Cemeteries located in the urban periphery had been greatly changed on the process of so called modernization from Meiji Restoration. This paper clarifies the changing of distribution of cemeteries based on the analysis of historical maps. Major point of consideration is the transformation of urban space in Kyoto through the analysis. This paper concludes that the environmental change cemeteries and around cemeteries brought the fall of the relative relation between a life space and urban periphery.
著者
増田 知子 佐野 智也 佐野 智也 SANO Tomoya
出版者
名古屋大学大学院法学研究科
雑誌
名古屋大学法政論集 (ISSN:04395905)
巻号頁・発行日
no.276, pp.225-282, 2018-03

本論文については次の公的資金の一部を使わせていただいた。特別経費「電子立法支援システムを基盤とした法令情報の国際発信・共有のための法学・情報科学の融合研究の推進」(名古屋大学大学院法学研究科附属法情報研究センター)、平成29年度科学研究費補助金基盤研究(A)(研究課題番号16H01998)、平成27年度科学研究費補助金挑戦的萌芽研究(研究課題番号15K12160)
著者
杉本 容子 鳴海 邦碩
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.505-510, 2001

In the beginning of Meji Era, 'old village' was independently located on the periphery of urban area. The existence of old village has been closely related to the expansion of central urban area. Some old villages have lost their form, however some others have retained. We aim to clarify the real condition and the sustainability of urban village. Firstly, we investigated main facts that caused the disappearance of village form, and identified the urban villages that endure their form. Secondly, we analyzed the characteristics of block pattern, and considered the alteration of form. As a result, we could grasp some useful views in reconstructing urban areas.
著者
多治見 左近 三浦 要一
出版者
一般財団法人 住総研
雑誌
住宅総合研究財団研究年報 (ISSN:09161864)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.219-230, 2001

本研究は大阪都市圏を対象とし,明治期以降の住宅地形成過程を巨視的・構造的に明らかにすることを目的としている。都市発展の指標として1905~1930年の人口統計を用い,大阪市,東大阪,阪神間臨海・内陸が住宅地形成上典型的地域であることを確認し,これら地域が職業や職住関係の独特の性質をもつことを明らかにした。また宅地開発が活発な地域で農業事情を背景として地主が開発に果たした役割を明らかにした。さらに明治末期大阪近郊の土地所有を記録する『大阪地籍地図』の分析から宅地化の方面別相違を把握し,土地所有形態について江戸期新田開発の系譜をひく地主の存在や耕地整理,スプロールなどの開発への影響を明らかにした。
著者
天野 光三 前田 泰敬 二十軒 起夫
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.115-124, 1984

大阪都市圏の鉄道網の発達が、都市の発展過程と、どのような関係を持ちながら変化してきたか、また、鉄道開設に至るまで、その地域の交通事情はどうであったか、さらに、鉄道路線が計画された経緯等を調べ、鉄道開通前後より、現在に至るまでの市街地の発展情況を把握し、過去から未来に向って、時系列の中で考察し、新規路線の都市に与える効果の予測に利用出来ればと考えるところである。今回の発表は、そのうちの一部分として、比較的鉄道路線の競合性の少ない、東大阪地域での鉄道と都市の発展の関係を調査したものであり、不十分な資料ではあるが、一応この地域の交通慕情と歴史的背景を知ることができた。この地域の昔からの主要陸上交通は、大阪対奈良であり、大阪に陸揚げされた物資や、河内地方の産物を大和へ、また、大和の産物を大阪へと輸送する通路として、東西方向の道路が、古来より幾條にも開かれていた。南北の交通路は、大和川と淀川を結ぶ古くからの中小河川と、東高野街道など、生駒山麓に沿った街道がある。明治以降も東西方向の鉄道が先に開設され、南北を結ぶ鉄道は今だに実現していないが、これに代わるものとして、南北方向には、道路網が発展し、鉄道の補間的な役割をしている。
著者
仲谷 兼人 ナカタニ カネト Kaneto NAKATANI
雑誌
大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-69, 2006-01-31

絵画表現の本質は2次元の平面上に3次元の空間を再現するところにある。このことと、網膜像に基づいて立体的な空間を認知している我々の視知覚システムの機能との間には強い類似性が指摘できる。本稿では絵画に見られる各種の遠近表現法、特に線遠近法をとりあげ、ルネサンス期以降の西洋絵画と江戸期の浮世絵を比較して論じている。知覚心理学と芸術心理学の立場から、単眼性の「奥行き知覚の手がかり」が芸術表現の意図とどのように調和し、利用されているか、例を示しながら紹介した。 初期の浮世絵の中にはルネサンスの線遠近法の直接的・間接的影響を受け、紙面上に構成された奥行きのイリュージョンを楽しむものがみられた。これを浮絵と呼ぶ。浮絵はくぼみ絵の別称が示すように奥行き感の表現を重視したが、次第に線遠近法の制約、限界を意識し、最盛期には洗練された独自の空間表現が見られるようになった。葛飾北斎は伝統的な日本画の表現と線遠近法に基づいて構成される近代的な風景表現を画面上に描き分け、観察者を窮屈な幾何学的枠組みから解放した。また直線を用いず、多くの同心円で構成された画面から新たな幾何学的遠近法の可能性を示した。安藤広重は伝統的な俯瞰図を遠近法と調和させ、観察者の視線を誘導することによって空間の広がりを表現することに成功した。同時期西洋では印象派がルネサンス以来の空間表現の限界を打破すべく台頭し始めていたが、幕末の開国以降、浮世絵は西欧、とくにフランスでよく知られるようになり、ジャポニズムの流行とともにロートレック、セザンヌ、ドガ、ゴッホをはじめとする後期印象派に強い影響を与えた。