3 0 0 0 OA 陸軍歴史

著者
陸軍省総務局 編
出版者
陸軍省総務局
巻号頁・発行日
vol.下 巻16-30, 1889
著者
永田 憲史
出版者
関西大学法学会
雑誌
關西大學法學論集 (ISSN:0437648X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.6, pp.1057-1084, 2008-03-15
著者
立石 貴之
出版者
日本理学療法士協会(現 一般社団法人日本理学療法学会連合)
雑誌
理学療法学Supplement Vol.36 Suppl. No.2 (第44回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.D3P1539, 2009 (Released:2009-04-25)

【目的】呼吸困難感のある患者の呼吸パターンは横隔膜を中心とした腹式呼吸よりも頚部・背部筋を中心とした胸式呼吸が優位になる印象がある.腹式呼吸に比べて換気効率が悪いといわれている胸式呼吸に移行しやすい理由の詳細は不明であるが、鰓弓神経由来の顔面・三叉・舌咽・迷走神経に支配される筋がやむにやまれず優位に働かざるを得ない状況に陥るのかもしれない.また、藤田は、僧帽筋は副神経からも支配されており、水棲脊椎動物の鰓弓を動かす筋と同じ由来を持つものと考えられると述べている.そこで今回、僧帽筋のマッサージが呼吸機能に及ぼす影響について検討することを目的とした.【方法】対象は健常男性16名(平均年齢28.8±5.8歳)とした.被験者には実験の趣旨を説明し、了解を得た.呼吸機能検査として、CHESTAC-55V(CHEST社)を用い、閉鎖回路法(He希釈法)にて、機能的残気量(以下FRC)、残気量(以下RV)、全肺気量(以下TLC)を測定した.測定肢位は両手部を大腿部に置き、背もたれに依存した椅子座位とした.呼吸機能検査を3回実施し、次に僧帽筋に対して柔捻法によるマッサージを腹臥位にて10分間実施し、その後さらに呼吸機能検査を3回実施した.また、マッサージ前後の僧帽筋の筋硬度の変化を確認するため、NEUTONE TDM-N1(トライオール社)を用い、マッサージ前後に3回測定した.測定部位は肩峰と第7頚椎棘突起の中点とした.各パラメータは平均値を代表値とした.統計処理にはt検定、Pearsonの相関係数を用い、危険率5%未満を有意とした.【結果】マッサージ前のFRC(3.20±0.47L)、RV(1.61±0.25L)に比して、マッサージ後のFRC (3.06±0.50L)、RV(1.48±0.23L)は有意に低下していた.マッサージ後の僧帽筋の筋硬度はマッサージ前に比して有意に低下していたが、マッサージ前後の筋硬度とFRCの変化量の相関係数は0.40(P=0.13)であり、有意な相関関係は認められなかった.【考察】松本ら(2004)は肺気量の減少と呼吸困難感の緩和との関係は肺気腫では密接であると報告しており、今回の結果は僧帽筋のマッサージが呼吸困難感を緩和する一つの手技となりうることを示唆すると思われる.また、今回の結果は僧帽筋の筋硬度の低下により肩甲骨が下制し、胸郭がより呼気位になった要因が大きく影響していると思われるが、筋硬度とFRCの変化量に有意な相関関係が無いことを踏まえると、系統発生学的に呼吸に強く関連していた僧帽筋のマッサージが呼吸パターンにおける神経生理学的な変化を引き起こした可能性もあるかもしれない.今後、健常女性、呼吸器疾患患者を対象とした同様の研究を継続していきたい.【まとめ】健常男性において、僧帽筋のマッサージはFRC、RVを有意に低下させる.
著者
外山 紀子
出版者
一般社団法人 日本発達心理学会
雑誌
発達心理学研究 (ISSN:09159029)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.244-263, 2017 (Released:2019-12-20)
参考文献数
93

ここ10年ほどの間に,幼児の選択的信頼(あるいは選択的な社会的学習)について多くの研究が行われるようになった。選択的信頼とは情報源としての信頼性という点から他者を区別し,特定の他者から学ぼうとする傾向をいう。これらの研究は,伝統的な子ども観,すなわち子どもは他者を信じやすく(あるいは騙されやすく),たとえ自分の考えとは異なるものでも他者の言うことを信じる傾向があるという見方に異議を唱えるものである。本稿では幼児期の選択的信頼に関する研究を,他者の認識論的属性(情報の正確さや確信度,専門性など)と非認識論的属性(年齢,馴染み,話しことばの特徴,身体的魅力や社会的地位など)という点から分けて,整理を行った。これまでの研究は幼児(とりわけ3歳児)の能力をどう評価するかについて,一種の緊張状態の中にあり,幼児が他者の情報を鵜呑みにせず合理的な手がかりに基づいて情報源を選択する能力があることをアピールする研究もあれば,逆に,他者の情報に懐疑的な目を向けることがいかに困難であるかを強調した研究もある。本論文では現在までの研究の概観をふまえた上で,このまだ若い研究分野が実践的,学術的にどのような意義をもつのか,そして今後の課題について論じた。
著者
李 璟媛 山下 亜紀子 津村 美穂
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 63回大会(2011年)
巻号頁・発行日
pp.155, 2011 (Released:2011-09-03)

【目的】虐待による子どもの死亡に対して「しつけのつもりだった」「しつけが過ぎた」と言い訳をし,しつけに対する各々の家庭の方法を正当化しようとする保護者が後を絶たない.そこで,本研究では,子育て中の保護者が子どもに対して行う様々な行為をどのように認識しているのかを,しつけと虐待という視点から検討することを目的とし,分析を行った. 【方法】2010年11月から2011年1月の間に宮崎市における6保育園と5幼稚園の協力を得て,保護者を対象に1,266部配布し,832部回収した(有効回収率65.7%).調査内容は,「大声で叱る」「お尻を叩く」「一室に閉じ込める」「学校に行かせない」などの26行為に対して,(1)子育て中に実際に行ったことがあるかどうか,(2)一般的にそれらの行為は「しつけと思うのか」「虐待と思うのか」,(3)それらの行為をしつけとして認識して行ったかどうか,などの項目で構成した. 【結果】(1)子育て中に実際に行った行為について,「ときどきある」と「何度かあった」を合わせて9割を超えたのは「大声で叱る」の1行為,6割を超えたのは,「お尻を叩く」「手を叩く」「頭を叩く」の3行為である.(2)一般的に(1)の行為は「しつけと思うのか」「虐待と思うのか」について,_丸1_「大声で叱る」「お尻を叩く」「手を叩く」の3行為については,6割弱の人が「しつけとして行ってよい」と考えており,_丸2_「頭を叩く」「泣いても放っておく」「車に子どもだけを乗せたままにする」については,5割の人が「どちらともいえない」と答えた.さらに_丸3_「虐待になる」が9割を超えたのは,「やけどを負わせる」「食事を与えない」「学校に行かせない」などの7行為であった.(3)(1)の行為について,実際に保護者がしつけとして行っている行為は,「大声で叱る」が最も多く,8割弱の保護者がそう答えている.次いで「手を叩く」が続き,5割を超える結果となった.
著者
山本 啓介
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要. 文学研究篇 (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.40, pp.117-151, 2014-03

飛鳥井家は『新古今和歌集』撰者の一人である雅経を祖とする和歌・蹴鞠の家である。本稿はその飛鳥井家の当主と周辺における蹴鞠の伝授書の整理分析を中心に行った。飛鳥井家による蹴鞠伝授書は、現在確認した限りでは、早くは応永一六年(一四○九)の雅縁のものから、慶長一八年(一六一三)の雅庸まで計三七種類がある。これらの書の伝授奥書には、対象や伝授の状況なども記されていることが多く、飛鳥井家と門弟との関わりや動向について知る手がかりとなる。その分析から、飛鳥井家が室町から近世にかけての長期にわたり、公家や守護大名、地方武士に至る広い階層に伝授を行っていたことや、地方下向中の伝授や口伝を筆記したものなどの様々な伝授形式があったことが知られる。また、被伝授者の中には飛鳥井家の和歌の門弟としての事跡も残っている人物もいるため、その他の蹴鞠伝授者の場合も同様に和歌の門弟であった可能性を考えてよいものと思われる。被伝授者の中にはその詳細が判然としない人物も少なからずあったが、むしろ本資料の紹介によって明らかとなる事実もあることだろう。This report is an analysis about the Initiation books of "kemari" written by Asukai family in Muromachi and Warring States period.These Initiation books exist 37 kinds. From these, a relation and the trend with the pupil are identified as a person of Asukai family. It lasted for a long term from Muromachi to the early modern times, and the Asukai family knew various instruction forms such as the things which took notes of in a downward direction instruction and learning through the grapevine to a thing and the district which I initiated the wide hierarchy before reaching a court noble and a feudal lord, the district samurai into.
著者
林 泰資 曽我部 咲 服部 幸雄
出版者
公益社団法人 日本栄養・食糧学会
雑誌
日本栄養・食糧学会誌 (ISSN:02873516)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.323-327, 2011 (Released:2011-12-30)
参考文献数
19
被引用文献数
1 2 1

コーヒー飲用によるストレス緩和作用についてはよく知られているが, その揮発性成分の効用に着目した研究は数少ない。本研究では, 焙煎したコーヒー豆の揮発性成分とストレスとの関連性を明らかにするために, マウスを用いて種々の行動薬理学的実験を行い, コーヒー揮発性成分のストレス緩和作用について検討した。高架式十字迷路試験において, コーヒー揮発性成分は自発運動量に影響を及ぼすことなく, オープンアームへの滞在時間および進入回数を増加させた。また, ペントバルビタールによる睡眠時間は, コーヒー揮発性成分の曝露により明らかに延長した。オープンフィールド試験および強制水泳試験では, コーヒー揮発性成分の効果は見られなかった。以上より, 焙煎したコーヒー豆の揮発性成分はマウスの覚醒水準を低下させ, 抗不安様のストレス緩和作用を発揮することが示唆された。
著者
六嶋 俊太
出版者
日本マーケティング学会
雑誌
マーケティングレビュー (ISSN:24350443)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.46-52, 2022-02-28 (Released:2022-02-28)
参考文献数
16
被引用文献数
1

本論文の目的は,消費を秘密にする動機についての解釈的分析を行うことで,既存研究が注目していない動機に光を当てて,その分類枠組み再構築することにある。既存研究の知見を踏まえて,本論文では,秘密の消費を「何らかの理由により,消費者が,特定の他者に対して,製品・サービスの利用を伏せる消費」と定義する。秘密の消費の動機に関する細かなニュアンスを把握するために,18名の消費者に対して半構造化インタビューを実施した。その逐語録(テキスト・データ)に質的コーディングを施して明らかになったのは,次の2点である。第一に,消費が秘密にされるということは,必ずしも「否定的な結末を避けたい」という動機に起因するわけではないこと,第二に,秘密の消費として扱われる可能性のある製品・サービスは,既存研究で想定されているものよりも広範である可能性があることである。以上の貢献を踏まえて,本論文の最後では今後の研究の展開についての議論を行う。
著者
酒井 弘憲
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.558-559, 2014 (Released:2016-07-02)
参考文献数
1

爽やかな春も終わり,梅雨が近づいてきた.6月と言えば,ジューンブライドで結婚式の季節というイメージがあるのではないだろうか? 2012年のぐるなびウエディングのアンケート調査結果を見てみよう.まず既婚者(男性700名,女性432名)に「どの時期に結婚したか」という質問に対して,春~初夏(4~6月)が1番多く28.7%,続いて秋(10~11月)が23.9%と続く.結婚の意思のある未婚者(男性161名,女性178名)に「どの時期に結婚したいか」を尋ねると,秋が1番多く,53.1%,続いて春~初夏の41.0%となる.親族や友人など式への出席者側(男性1029名,女性703名)の意識では,「いつ出席したいか」という質問に対して,こちらも秋が41.0%で,続いて春~初夏の27.0%という回答であった.つまり,6月に結婚式が1番多いというわけではないのである.もっと詳細に示せば,未婚者の結婚希望時期は10月が1位で6月は4位なのである.既婚者の結婚時期でも1位は11月で,6月は6~7位なのである.例外的に6月に挙式が増えた年があったが,それは,1990年と1993年である.それぞれ6月に秋篠宮,皇太子のご成婚があり,それにあやかっての挙式増加であった.現実的な話をすれば,梅雨時期で稼働率の下がるホテルや式場が欧米のロマンチックな言い伝えを利用し,ジューンブライドとぶち上げて6月の集客を回復しようと画策したのが始まりらしい.ヴァレンタイン・デーを利用してチョコレートの売り上げを伸ばそうとした製菓業界とまったく同じ構図なのである.こういうキャンペーンはそのまま鵜呑みにせず,数字の裏付けを確認することが大事である.ところで,この時期になると決まって懐かしくなるのがロンドンの清々しさである.この時期のロンドンは夜も21時過ぎまで明るく,空気もカラッとしていて実に過ごしやすい.著者がロンドンを訪問する際に必ず立ち寄る場所がある.根っからのシャーロキアン(英国ではホーメジアンと呼ばれるらしい)としては,チャリングクロスのパブ・シャーロック・ホームズと言いたいところだが,同じパブでもそれはジョン・スノウ・パブなのである.と言っても読者のなかでそれを知っている人がいれば奇跡に近い話であろう.有名なエロス像のあるピカデリーサーカスからリージェント・ストリートを北に進み,ブルックス・ブラザーズの店舗の角を右手に曲がって5分ほど進み,さらに左に折れて進んだ先のブロードウィック・ストリートの左角に目指すパブは佇んでいる.別に危険な場所ではないが,普通の観光客は絶対にこんな路地裏までには入ってこないだろう.ここが生物統計学の源流の一つである疫学の“聖地”なのである.
著者
石田 修
出版者
障害科学学会
雑誌
障害科学研究 (ISSN:18815812)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.33-44, 2017-03-31 (Released:2017-10-06)
参考文献数
39

自己の発話が数百ミリ秒程度遅れて聞こえる遅延聴覚フィードバック( DAF) 下では、一部の吃音者は吃音症状が軽減するというDAF効果が現れる。しかし、DAF下で吃音が改善する要因や吃音者間でDAF効果が異なる要因は明らかにされていない。 本研究では、DAF効果と脳活動の関連を調べるため、近赤外線分光法( NIRS) を用いて、吃音者11名を対象に正常聴覚フィードバック( NAF) 条件下とDAF条件下の脳活動を検討した。その結果、吃音者はNAF条件よりもDAF条件で左中心前回と左下前頭回に相当する部位で有意なoxy-Hbの増大が認められた。また、行動指標からDAF 条件で非流暢性が悪化した吃音悪化群7 名と、改善した吃音改善群4 名の2 群に分類し、その脳活動を検討した。その結果、吃音悪化群では右上側頭回近傍に相当する部位、吃音改善群では左上側頭回近傍と左中心前回に相当する部位で活動が亢進していた。これらのことから、吃音者には聴覚情報処理特性の異なるサブタイプが存在する可能性が示唆された。
著者
大槻 奈緒子 福井 小紀子 藤田 淳子 清水 準一 林田 賢史 清崎 由美子
出版者
公益社団法人 日本看護科学学会
雑誌
日本看護科学会誌 (ISSN:02875330)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.183-192, 2019 (Released:2019-11-13)
参考文献数
32
被引用文献数
2

目的:本研究は,機能強化型訪問看護事業所での利用者特性に応じた訪問看護ケアの実施実態を明らかにした.方法:全国の機能強化型訪問看護事業所と利用者515名を対象に開発したデータ入力システムを用いた調査を行った.結果:利用者特性に関連する実施回数の多い訪問看護ケア項目は,がん末期では「疾病・治療の説明・指導(オッズ比(OR)=4.535)」,神経難病利用者への「衣生活のケア・指導(OR = 2.276)」,小児への「精神的援助(OR = 3.062)」「意思決定支援(OR = 3.701)」が特徴的であった.結論:利用者特性別での実施回数の多い特徴的な訪問看護ケアが明らかになった.訪問看護のケア実施には,利用者特性を考慮する必要がある.
著者
田野崎 隆雄 野崎 賢二 白坂 優 成島 良輔
出版者
日本コンクリート工学協会
雑誌
コンクリート工学年次論文報告集 (ISSN:13404741)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.337-342, 1995-06-01
参考文献数
4
被引用文献数
3

今後発生が増加し、有効利用が望まれている石炭火力発電所の石炭灰を、コンクリート混和材利用の面から評価した。122Lotの石炭灰ーフライアッシュを評価した結果、混和材利用に当たって問題とされている単位水量比,空気連行量の管理を、BET比表面積法で管理可能なことを見出した。BET法は、メチレンブルー吸着量等より簡単迅速な評価方法である。
著者
黒野 保三 石神 龍代 堀 茂 渡 仲三 松本 美富士
出版者
公益社団法人 全日本鍼灸学会
雑誌
全日本鍼灸学会雑誌 (ISSN:02859955)
巻号頁・発行日
vol.36, no.2, pp.95-101, 1986-06-01 (Released:2011-05-30)
参考文献数
18

鍼刺激のヒト免疫能へ与える影響を調べるため, 単クローン性抗体によるヒトの末梢血Tリンパ球サブセットの変動について検討を行った。健康成人男子10名, 女子3名の被験者に対し, 脉診法にて2穴を選穴し, 5Hz, 2V, 5min の低周波通電鍼刺激を行った。鍼刺激前および直後に採血し, 末梢血Tリンパ球サブセットの変化をOKT, Leu シリーズの単クローン性抗体を用いて Laser Flow Cytometry によるTリンパ球サブセット自動解析を全血法で行った。末梢血Tリンパ球であるOKT 3+細胞は, 一定の変動を示さないが, Eロゼット形成細胞である OKT 11+細胞は, 鍼刺激後に増加した。免疫反応に対して helper/inducer Tリンパ球となるOKT 4+細胞は, 一定の変動をみなかったが, suppressor/cytotoxic Tリンパ球となるOKT 8+細胞は鍼刺激後増加した。また, 生体の免疫学的監視機構を担う natural killer (NK) 細胞に属する Leu 7+細胞は, 増加するが, 同じくNK細胞の一部である Leu 11+細胞は, 低下を示した。単クローン性抗体による末梢血Tリンパ球サブセットの変動は, 我々がこれまで行ってきた in vitro におけるリンパ球機能の変化をより特異的に確認するとともに, NK前駆細胞をより活性化することを示している。このように, 鍼刺激によって, ヒトの免疫反応系に変化をもたらすことがさらに示された。
著者
宮永 孝
出版者
法政大学
雑誌
社会志林 (ISSN:13445952)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.81-140, 2003-07

The history of artistic anatomy has a long tradition, which dates back to the 15th century in Italy. After the Meiji Restoration our government adapted the Western arts and sciences to modernize Japan. So we engaged the service of experts from abroad in various fields. As regards the field of the fine arts, we invited guite a few specialists from Italy in the early days of the Meiji period.In this essay I deal with Kinkichiro Honda (1850~1921), who first taught art anatomy to the pupils at "Shōgido", a private art school in Tokyo. Kinkichiro Honda was originally a samurai warrior of the Hiroshima clan. In March in the 4th year of the Meiji Era ( i.e.1871 ), he came up to Tokyo to study English at Keiōgijuku, a school founded in 1868 at Mita by Yukichi Fukuzawa, where he stayed for about a year.In the following year he became a probationer surveyor at the Kōbusho. While there he studied general subjects of learning, English and painting from English teachers and so on. Later on he suffered from beriberi and was compelled to resign his post, returning to Hiroshima, his home country. In the 7th year of the Meiji Era (i.e.1874), he went up to Tokyo again.Honda had a long-cherished desire to study Western-style painting, when he heard that Shinkuro Kunisawa (1847~1877) was advertising for pupils for his newly established private art school "Shōgido" located at Hayabusacho Kōjimachi ward, Tokyo. Kunisawa returned to Japan after studying English and painting in England for 4 years as a student of the Tosa Clan.Kunisawa was not strongly built and was suffering from tuberculosis while he was still in Great Britain. In March of the 10th year of the Meiji Era (i.e.1877), he died of this chronic disease. He asked Honda to look after "Shogido" after his death.Kunisawa brought home lots of books on art from England. Since Honda had a good knowledge of English, he enjoyed reading them after work everyday. Honda taught not only drawing pictures but geometry, perspective representation, human proportion and human anatomy to his pupils by translating these books.The 13th year of the Meiji Era (i.e.1880) is remarkable for the beginning of teaching art anatomy in Japan. Honda started lecturing on art anatomy to his pupils once a week. The lecturer Yohei Tamakoshi at the school of medicine, Tokyo university started teaching the same subject at Kōbubijutsu gakko in January in the 14th year of the Meiji Era (i.e.1881).Honda's lecture was exclusively based on Artistic Anatomy of the human figure by Henry Warren (1794~1879) contained in the Winsor and Newton's series of Hand-Books on Art, with numerous illustrations, vol.Ⅱ. Winsor & Newton, London, 1856. Though what Goto taught to his pupils was nothing more than a repetition of Henry Warren's words, it was enlightening and instructive in the early art education in Japan.
著者
清野 惇
出版者
広島修道大学
雑誌
修道法学 (ISSN:03866467)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.374-349, 2009-09-30