著者
岡野 一郎
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.37-51, 2016 (Released:2017-02-03)
参考文献数
26

本稿の目的は, 情報化と呼ばれる現象を, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」という観点から捉え直すことである。Websterが批判しているように, 情報化という要因によって社会に何か質的な変化が生じたことを示すのは困難であるし, そもそもBellらの言う物質中心の社会から情報中心の社会へという変化自体が疑わしい。むしろ検討するべきなのは, 情報に関して何が変化したのかである。本稿ではそのような変化として, 「情報の消費化」及び「情報の個人化」を検討する。まず, 情報の消費化とは, 資本主義市場がますます情報関連に広がっていくことを指す。製造業中心からサービス産業中心の社会への移行は, 市場が覆う生活の範囲の拡大として理解できる。しかし, 情報化と見える現象のすべてが「情報の消費化」で説明できるわけではない。Castellsらの言う「ネットワークされた個人主義」は, 「ネットワークの個人化」ないし「情報の個人化」として捉えることができる。Beckらは個人化を, リスク管理の責任がますます個人に課せられるようになる現象として描き出している。情報という観点からは, これは期待効用の最大化を目指すゲーム理論的人間観となる。これは「情報の消費化」と「情報の個人化」が重なることで生じたと言えるが, 進化ゲームの知見は, 私たちがゲーム理論的人間観になじまないことを示している。Beckらの示唆するシステム理論的観点からすれば, 私たちは市場のみに巻き込まれるのではなく, 多元的自己を持った存在として, 個人化の時代を生きていく必要がある。
著者
黒田 長礼
出版者
日本鳥学会
雑誌
(ISSN:00409480)
巻号頁・発行日
vol.3, no.11, pp.30, 1921-04-30 (Released:2010-03-01)
著者
酒井 義朗 三輪 涼子 光岡 正浩 渡邊 浩
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
YAKUGAKU ZASSHI (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.140, no.5, pp.751-754, 2020-05-01 (Released:2020-05-01)
参考文献数
20
被引用文献数
1 2

In the hospital, antibiotics are widely used to treat infections. We report a case of acute kidney injury (AKI) caused by an antibiotic drug combination. A 30-year-old Japanese male presented with lung metastases, pneumothorax, empyema, and methicillin-resistant Staphylococcus aureus (MRSA) infection. The patient received a combination of vancomycin and piperacillin/tazobactam, which resulted in elevated vancomycin trough concentration and subsequently in AKI. Renal function was restored upon vancomycin and piperacillin/tazobactam cessation. Though this patient had AKI most likely due to the combined use of two agents as has been reported in many cases, vancomycin trough concentration showed an unexpected abnormal increase when halting vancomycin treatment. This is the first report indicating a drug-drug interaction between vancomycin and piperacillin/tazobactam with unexpected abnormal vancomycin trough concentration, leading to AKI, additionally we think that there was a situation that he stressed against the kidney by a history of medications caused renal dysfunction and co-administration. We suggest that when using vancomycin in combination with piperacillin/tazobactam, the trough concentration of vancomycin must be confirmed simultaneously with renal function and evaluation, and that the combination of these two drugs should be minimized.
著者
阿部 眞理子 伊藤 裕之 尾本 貴志 篠﨑 正浩 西尾 真也 安徳 進一 三船 瑞夫 当金 美智子 新海 泰久
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.11, pp.843-847, 2014-11-30 (Released:2014-12-01)
参考文献数
9
被引用文献数
1

症例は71歳女性.40歳で糖尿病と診断され,近医で経口血糖降下薬による治療を受けていたが血糖コントロールは不良で,2014年4月よりイプラグリフロジン50 mgが追加された.以後,強い口渇を自覚し,投与後9日目に小脳・脳幹梗塞を発症して入院した.血糖値は219 mg/dl, HbA1c 9.8 %であり,ヘモグロビン13.4 g/dl(3月には,11.0 g/dl),ヘマトクリット40.6 %(同35.3 %)より,脱水が示唆された.心電図では虚血所見があり,ABIは0.85/0.76と低値で,超音波検査で両側の前脛骨~後脛骨動脈に狭窄・閉塞がみられた.同薬を中止し,エダラボンと濃グリセリンの投与,インスリン治療を行い,軽快退院した.本例は高齢,非肥満,利尿薬併用の糖尿病で,脱水により脳梗塞を発症したと推察された.同薬の投与前に,動脈硬化のスクリーニングを行うことが望ましい.
著者
仲西 康顕 面川 庄平 河村 健二 清水 隆昌 倉田 慎平 田中 康仁
出版者
中部日本整形外科災害外科学会
雑誌
中部日本整形外科災害外科学会雑誌 (ISSN:00089443)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.1-9, 2021

<p>肩や上腕部での筋肉注射による局所の運動器の合併症として,腋窩神経や橈骨神経の障害が報告されている.さらに筋肉注射としてワクチンが従来投与されてきた海外では,三角筋下滑液包内への不適切な注入によると考えられるSIRVA(Shoulder Injury Related to Vaccine Administration)が2010年頃より問題となっている.新型コロナワクチンの接種のため筋肉注射の機会が増えるに従い,これらの問題が国内でも増加することが危惧される.不適切な部位への投与を避けるために理解すべき解剖構造と,我々が適切と考える三角筋内への筋肉注射部位について述べる.</p>
著者
桂川 光正
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.355-380, 2008-03-31

発足当初の関東州の阿片制度には、容易には理解し難い奇妙な事柄が三点見られる。これを一つ一つ、現地中国人阿片商の動向との関わりに留意しながら考察すると、関東州を台湾産煙膏の独占市場に仕立て上げるのが、この時の特許専売制導入の目的だったこと、しかしその企てが成功しなかった事実が明らかになった。更に、関東州に張り巡らされていた在来の経済的・人的・社会的ネットワークから関東州を切り離し、台湾と繋げることで、日本を頂点としたネットワークを新たに作り上げようとするのが、日本のこの時期の関東州統治の基本方策、ないしはこの時点での日本の帝国形成の基本戦略であったことも明らかとなった。関東都督府はその後、阿片制度の手直しを行なうのだが、それは、日本による関東州統治の進捗ないし安定化のために重要な柱を構築する意味があった。阿片・麻薬問題の歴史的研究は、このように、帝国史研究の一環として大きな意味を持っている。
著者
佐古 仁志
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
vol.31, pp.291-299, 2021-03-15

本稿の目的は,科学の方法におけるアブダクションの位置づけを確認し,発見の方法とも呼ばれるアブダクションが,たんなる偶然のひらめきによりなされているのではなく,あらたな発見(の驚き)に対する心構えとしての習慣を必要とすると論じることにある。日本において「科学」という言葉は,理系,特に,自然科学をさすものと考えられがちであるが,「科学」を意味する英語のscience は「知る」を意味するラテン語に由来するものであり,疑念を解消するために知ろうとする探求の営みは,社会科学や人文科学(人文学)にも共通している。本稿では,まず科学の方法について確認したうえで,科学の成立と現在における様々な科学の営みを確認する。そのうえで,そのような科学の方法を駆動させる推論としてのアブダクションに注目し,広い意味での科学的な発見がどのようになされるのかを自然科学,社会科学,人文科学(人文学)それぞれについて検討する。 それらの検討を通じて,本稿では,一般にセレンディピティやひらめきとよばれるものが単なる偶然によるものではなく,そもそもそのような機会をつかみ取る心構えとしての習慣,つまり,何かをあらたに知る,あるいは発見するためには,日頃からあらたなものに対する予測と,そのような予測が裏切られることに対して驚く準備ができている必要があると論じる。
著者
大野 恭秀 前橋 兼三 松本 和彦
出版者
公益社団法人 日本表面科学会
雑誌
表面科学 (ISSN:03885321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.8, pp.426-431, 2013-08-10 (Released:2013-08-17)
参考文献数
9
被引用文献数
1

Chemical and biological sensors based on graphene field-effect transistors (FETs) were described. The transfer characteristics of the graphene FET were changed by the solution pH and the protein adsorption. Especially, the detection limit of the solution pH was 0.03, indicating the high sensitivity. In order to achieve the specific biomolecule sensing, aptamers were used as a receptor material. The aptamer was the single-stranded DNA binding to the specific molecules. The aptamer-modified graphene FET can detect only the target molecule while the graphene FET with the bare graphene channel detects all proteins with charges. These sensing results show that the graphene FET has high potential for the high sensitive biological sensors.
著者
Akiyoshi TANI Hirotaka TOMIYASU Hajime ASADA Chen-Si LIN Yuko GOTO-KOSHINO Koichi OHNO Hajime TSUJIMOTO
出版者
JAPANESE SOCIETY OF VETERINARY SCIENCE
雑誌
Journal of Veterinary Medical Science (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
pp.21-0506, (Released:2022-04-06)
被引用文献数
3

Interactions between tumor and immune cells within the tumor microenvironment play an important role in tumor progression, and small extracellular vesicles (EVs) derived from these tumor cells have been shown to exert immunomodulatory effects on various immune cells, including macrophages and lymphocytes. Although the immunomodulatory effects of small EVs derived from human cancer cells have been intensively investigated, few studies have investigated the effects of lymphoma-derived small EVs on macrophages in both human and veterinary medicine. Here, we evaluated the effects of canine lymphoma-derived small EVs on canine primary monocytes, which are the major source of macrophages in neoplastic tissues. Comprehensive gene expression analysis of these treated monocytes revealed their distinct activation via the Toll-like receptor (TLR) and NF-κβ signaling pathways. In addition, treatment with lymphoma small EVs increased the secretion of MCP-1, which induces the infiltration and migration of monocytes and lymphocytes in neoplastic and cancer tissues. The results of this study indicate that canine lymphoma small EVs activate monocytes, possibly through the activation of TLR and NF-κβ signaling pathways, and induce monocytes to secrete of MCP-1, which might contribute to immune cell infiltration within the tumor microenvironment.
著者
種村 剛
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.147-172,

本稿は「自己責任」についての考察として、特に1991年の新聞上の「自己責任」概念について焦点をあてて分析をおこない、次のことを明らかにした。第一に、1991年の新聞メディアにおいて、「自己責任」概念の使用頻度が上昇していることを確認した。そして、証券不祥事問題が、1991年に「自己責任」概念の使用増加の主な要因であると推測できることを示した。第二に、1991年の証券不祥事--証券会社の損失補てん--が、新聞メディアにおいて社会問題化する理由を整理した。1)1989年末に出された大蔵省通達が無視されていたこと。2)日本の経済のしくみにおいて、投資家および金融機関の自己責任原則が機能していないこと。3)証券会社が大口投資家に対してのみ損失補てんをおこなっていたことが、人びとの不公正感を喚起したこと。以上の三点を指摘した。第三に、新聞メディアの「自己責任」概念の使用法について確認し、次のことを示した。1)新聞メディアは「自己責任」概念を、「個人的な不公正感」を「社会的な不公正感」に転換する鍵概念として用いたのではなかろうか。2)新聞メディアは、「社会的な不公正感」を「自己責任の徹底」へ水路づけ(canalization)するために、「自己責任」概念を用いていたのではなかろうか。
著者
伊藤 公雄
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.3-12, 2009-03-20 (Released:2016-10-05)
参考文献数
20
被引用文献数
1

「日本人の特異な国民性は、彼らが自らの国民性に強い関心をもっていることだ」とは、しばしば指摘されるところである。日本人の特徴という点で、戦後日本社会においてほぼ例外なく共有されているイメージに「集団主義」がある。「個人より集団を優先する傾向」としての「集団主義」という視点から、(日本人は)「個人というものが確立していない」「和を尊び、つねに集団として行動する」とする見方は、海外においても、強固なイメージとして定着している。 スポーツを通じた「日本的集団主義」論として、よく知られた著書に、ロバート・ホワイテイングによる『和をもって日本となすYou Gotta Have Wa』(初出は1989年)がある。ホワイテイングは、こうはっきりと書いている。「集団的調和、すなわち和の概念は、アメリカ野球と日本のそれとをもっとも劇的に区分するものだ。和は、すべての日本人の生活とスポーツを貫いて作用している。『他人にかまわず思い切りやれ』とか『自分の思うことをやれ』は、現代のアメリカ社会のモットーだが、日本人の信条は、よく知られた次のようなことわざに示されている。『出る釘は叩かれる』。これは、実際、国民的なスローガンなのだ」(Whiting,1989:70 伊藤訳、翻訳書ホワイティング=玉木訳、1990:115頁相当箇所)。しかし、戦前期に書かれた比較スポーツ文化論には、「剣道、柔道にしても、二人の対抗勝負であるが、西洋の競技は多人数合同して、協同的動作を要する。…一体我が国の生活は従来は個人的であり、階級的であったから、勝負事までもそうであった」(下田、1928年)といった記述もみられる。 本稿では、こうした近代日本における集団スポーツの構図を、歴史的・文化的文脈に沿いながら、現在議論されつつある社会心理学分野での研究成果などを参照しつつ、「日本的集団主義」の問題について考察を加える。その上で、1990年代のJリーグ誕生以後の日本のスポーツ・シーンにおける「集団性」の変容の兆を、現代日本社会における社会関係の変化と重ねることで、スポーツ社会学からの日本社会論へのアプローチの可能性について論じようと思う。