著者
荒井 知野 宇賀田 翔 佐々木 瞳 篠澤 千明 西村 沙紀子 具志堅 敏
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.40 Suppl. No.2 (第48回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.48102149, 2013 (Released:2013-06-20)

【はじめに、目的】Berg Balance Scale(以下BBS)は動的バランスのみならず、静的バランスの評価も含まれていることから、包括的なバランス評価であると言われている。臨床においてBBSの評価項目である「継ぎ足」、いわゆる「タンデム肢位」は患側を前脚とするか後脚とするかによって、主観的な不安定さの違いを経験する。しかし評価実施にあたって、前後脚の違いや荷重のかけ方、得点の採用基準などについて詳細な規定がされていない。そこで我々は片脚立位能力がタンデム肢位に及ぼす影響について検討し、タンデム肢位の特徴について明らかにすることを目的とした。【方法】対象は若年健常成人18 名(平均年齢:21.6 ± 0.6 歳、男性:11 名、女性:7 名)とした。計測機器は重心バランスシステムJK−101 Ⅱ(ユニメック社製)を用い、サンプリング周期50ms、サンプリング時間は30 秒で計測した。計測肢位は片脚立位では、1 枚の重心動揺計上に、裸足で示指と踵が一直線となる様に足を接地させた。タンデム肢位では2 枚の重心動揺計を使用した。裸足で前脚となる足の示指と後脚となる足の踵が一直線となる様に接地させ、前脚と後脚がそれぞれの重心動揺計上に乗るように指示した。片脚立位とタンデム肢位を左右3 回ずつ施行し、施行間には5 分間の休息時間を設けた。1 施行目を練習とし2、3 施行目の総軌跡長最小値を対象者の重心動揺とした。タンデム肢位については左右の下肢荷重率も算出した。また片脚立位総軌跡長とタンデム肢位荷重率の関係を確認するため、片脚立位総軌跡長変化率(安定側の総軌跡長を不安定側の総軌跡長で除したもの)とタンデム肢位荷重変化率(安定側前脚荷重率と不安定側前脚荷重率の差)をそれぞれ算出し、関連性を検討した。統計学的分析にはWilcoxonの符号付順位検定とピアソンの相関係数を使用し、有意水準は5%未満とした。統計解析には統計ソフトSPSS 18J(SPSS Inc.)を用いた。【倫理的配慮、説明と同意】研究実施にあたり対象者に研究目的と実験方法について十分に説明を行い、参加の同意を得た。【結果】片脚立位の重心動揺について、総軌跡長が小さい側を安定側、大きい側を不安定側とし、2 群間で比較を行った。タンデム肢位総軌跡長は安定側前脚時で550.3 ± 113.0mm、不安定側前脚時で573.6 ± 105.7mmであり片脚立位総軌跡長とタンデム肢位総軌跡長との間に有意差は認められなかった。タンデム肢位の下肢荷重率について、後脚荷重率は安定側前脚時で64.9 ± 5.1%、不安定側前脚時で70.1 ± 8.4%となり、後脚荷重率が有意に減少していた(P<0.05)。また、片脚立位総軌跡長変化率とタンデム肢位の下肢荷重変化率との間には強い負の相関関係が認められた(r=-0.68、P<0.01)。【考察】結果より、すべての対象者においてタンデム肢位は後脚に優位に荷重がかかる肢位であることが分かった。このことから、重心位置が安定性限界内の後方に位置していると考えられる。望月らは、バランス能力を安定性限界と身体重心という観点から考えると、相対的に安定性限界が大きく、身体重心の動揺が小さく、安定性限界の中心から重心位置の偏倚が小さいほどバランス能力が高いと述べている。本研究の結果より片脚立位総軌跡長変化率とタンデム肢位下肢荷重変化率の関係に強い相関関係が認められたことから、片脚立位総軌跡長が小さい人ほど、タンデム肢位前脚荷重率が増加することが明らかとなった。つまり片脚立位安定側が前脚時には、後方にある身体重心位置が安定性限界内で中心に近づくことが示唆され、バランス能力の要因の一つが向上したと考えた。バランス能力のもう一つの要因である身体重心動揺について検討すると、有意差は認められなかったが、安定側が前脚時、タンデム肢位総軌跡長が小さくなる者が18 名中13名となり動揺が減少する傾向がみられた。しかし、総軌跡長が大きくなった者もおり、この要因については今後検討が必要であると考える。【理学療法学研究としての意義】臨床場面でBBSを行う際は、どちらか一方ができれば項目通過とするものや最高得点を採用するとしているものがある。しかし、本研究よりタンデム肢位は後脚荷重率が優位となることが明らかとなったことから、片麻痺患者や整形疾患患者などでは麻痺側や患側が後脚となるときに動揺が大きくなると推測され、検査実施においては十分にリスク管理する必要があることが明らかになった。また、包括的なバランス能力を示す指標であることを考えると、得点の高い側だけでなく、低い側について把握することで転倒予防につながることが考えられる。以上のことから、評価項目に応じて評価方法を規定することの必要性が示された。
著者
窪 徳忠
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.185-211, 1976

A number of festivals, manners and customs, and religious practices of Chinese origin are still prevailing in Okinawa. The author has been engaged since 1966 in research into some of those customs and practices which are apparently more or less related to Taoism. An attempt has been made to determine to what degree they are associated with those customs, etc., of China. A large part of the research done before 1974 has already been published, so the remainder, including the result of the research of 1975 is presented here. However, the research concerning religious practices of Chinese origin is not included here because space forbids. The areas covered are a part of each of the following islands of Okinawa : Iheya-shima, Izena-shima, Okinawa-honto, Miyako-jima, Ikema-jima, Irabu-jima, Kohama-jima. Kuro-shima. Taketomi-jima, Yonaguni-jima. Just behind the front gate of every house in Okinawa, there is something like a wall made of stones or block of some kind. This is called "himpun" in many parts of Okinawa-honto. This construction is still commonly found in those areas as in the areas previously researched by the author and even newly built houses usually have one. Though different names are given to this construction in different areas, Okinawa-honto, Miyako, and Yaeyama areas have a similar structure. Though it is commonly said to be built there so that the inside of the house is protected from the eyes of outsiders, some people and Yutas consider it to be a protection against devils. Since, in Fu-chien, China, too, a similar construction is built of wood and regarded as having a talismanic value, the assumption is that it is from China. As it is believed in Miyako and Yaeyama areas that it came from Okinawa-honto, it is suspected that this structure originated in Fu-chien and was introduced to Okinawa-honto first, then diffused to Miyako and Yaeyama. Another thing to be found in Okinawa is Shih-kan-tang, as it is locally called. This is a stone pillar of talismanic value built at the corner of an intersection or where a narrow passage meets a main street. Usually, the Chinese 石敢当 (pronounced Shin-kan-tang) are carved on its face and some have animal faces designed above the characters. In Amoi, I have heard, it is transformed into a stone lion figure. In Okinawa in all three areas, it is built exactly at the same location and with the same intention as in China. However, Miyako and Yaeyama areas (some parts of Miyako excluded) have fewer of them than Okinawa-honto. It is suspected that in these two areas it was combined and fused with the local belief in a god of stone. The first people to take up this custom in Okinawa seem to have been Sanjin-so's (who professionally told fortunes by the sun) , for they are in possession of Chinese books on the construction of Shih-kan-tang. Also, the people in Miyako and Yaeyama areas believe this custom was brought from Okinawa-honto. What is different from China is that Shih-kan-tang is quite rarely, if ever, worshipped here in Okinawa. The third custom found in Okinawa is the writing of the Chinese characters 天官賜福紫微鑾駕 (pronounced Tun-kuan-tzu-fu-tzu-wei-luen-chia) or 紫微鑾駕: (pronounced tzu-wei-luen-chia) on the ridge beam for the ceremony of setting up the framework of a house. These characters serve as a spell to guard against evils and to envite good fortune-ideas closely related to Taoism. In Formosa this custom was widely observed as late as the period of the Japanese Occupation. In Okinawa-honto this started early in the eighteenth century but was followed only by a small portion of the natives living in tile-roofed houses. It seems that Yuta and Sanjinso had something to do with this custom. It is understood that it came to Miyako and Yaeyama areas years later.
著者
富川 光
出版者
広島大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

中国地方には海峡や大地質構造線のような大きな地理的障壁がないにもかかわらず,多くの生物種で遺伝的・形態的な分化が集中して生じている.本研究では,移動分散能力が低く,生物地理学的研究材料として最適であるヨコエビ類,ヒル類,マイマイ類を材料として,分子系統解析・形態解析・飼育実験を行い,中国地方の生物地理学的重要性を検証した.
著者
鬼頭 昭雄
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 = THE JOURNAL OF THE GEOLOGICAL SOCIETY OF JAPAN (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.111, no.11, pp.654-667, 2005-11-15
参考文献数
22
被引用文献数
2 3

大規模山岳がアジアモンスーンなどの気候形成に果たす役割を調べるために,全球大気海洋結合大循環モデルを用いて,チベット高原を含む全地球の山岳の高度を0(M0)から140%(M14)まで段階的に変える実験を行った.500 hPa面の東西風は,山岳高度が40%以下では一年を通してチベット高原の緯度帯より北の40 &ordm;N付近に位置するが,山岳を60%より高くすると冬季にはチベット高原の南側25 &ordm;N付近にあり春季にチベット高原の北へシフトすることがわかった.山岳高度が60%をしきい値として東アジアの循環場には大きな変化がおき,梅雨降水帯は山岳高度が60%より高い時のみ発現した.地表風の変化については,アラビア海北部では山岳が低い場合には一年を通して北風に支配され,モンスーン南風域には入らない.乾燥気候に区分される面積は山岳上昇とともに減少することもわかった.<br>
著者
野平 明夫
出版者
一般社団法人 電気設備学会
雑誌
電気設備学会誌 (ISSN:09100350)
巻号頁・発行日
vol.26, no.10, pp.767-770, 2006-10-10 (Released:2015-04-25)
参考文献数
4
著者
杉藤 素子 岡田 洋右 鳥本 桂一 遠田 和彦 田中 良哉
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.61, no.12, pp.822-826, 2018-12-30 (Released:2018-12-30)
参考文献数
4

インスリン注射針などの医療廃棄物(以下,注射針等)の不適切廃棄は社会問題となっている.東海道新幹線においても車内清掃時に注射針等を発見するケースが散見され,清掃員の針刺し事故も発生している.今回,清掃会社A事業所に協力を依頼し実態調査を行った.注射針等の発見は,平成(Hと略す)25年度97件,H26年度153件,H27年度170件,針刺し事故はH25年度1件,H26年度0件,H27年度1件であった.H27年度は発見場所も調査したが,トイレ51 %,床面32 %,座席周辺8 %,洗面所7 %で,すべてむき出しであった.2日に1件の頻度で注射針等が発見されている一方,A事業所の針刺し事故の発生は他の報告より少ない頻度であった.教育や注射針回収の対策を講じた効果であると考える.しかし,不適切廃棄が続く限り,完全に清掃員の針刺し事故を防止することは難しい.本報告が療養指導に活用されれば幸いである.
著者
八木澤 史子 安里 基子 遠藤 みなみ 佐藤 和紀 堀田 龍也
出版者
一般社団法人 日本教育工学会
雑誌
日本教育工学会研究報告集 (ISSN:24363286)
巻号頁・発行日
vol.2021, no.3, pp.118-123, 2021-10-29 (Released:2021-10-29)

クラウドでの共同編集機能を用いて,若手教師が作成した学習指導案を,ベテラン教師の助言を受けながら修正するという実践を行った.修正は2つの方法で実施した.1つめは,クラウドサービスのアプリを利用した「共同編集機能のみ」,2つめはクラウドサービスのアプリに加えて,テレビ会議システムを利用した「共同編集機能およびオンラインによる対話」であった.結果,2つの方法ではやりとりされたコメントの数に違いがあることが示唆された.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1667, pp.108-111, 2012-11-19

社員旅行のゲームで、合図とともに役員たちが海岸の砂浜に立てられた旗に突進していく。 次の瞬間、全員が落とし穴に姿を消し、周囲は一瞬の間をおいて社員の爆笑の渦に包まれた。 「前日入りして、穴を掘ったかいがあった」。してやったりと、ほくそ笑む人物がその中にいた。 林高生、40歳。今年4月に上場を果たしたネットベンチャー、エイチームの社長だ。
著者
塩尻 和子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.565-589, 2004-09-30

今日、イスラームに関する宗教間対話は緊急の課題であるが、効果的な対話を実施することは難しい。しかし、過去の歴史に学ぶことも重要ではないかと思われる。九世紀から一二世紀のイスラーム神学思想の文献のなかには伝統的イスラーム世界の他宗教観がみられる。本稿は、ムウタズィラ学派のアブドゥル・ジャッバールの主著『神学大全』の研究を通してあきらかになる彼のキリスト教理解を、今日の宗教間対話に役立つ資料として検討する試みである。ムウタズィラ学派は神の属性について独自の理論を展開したが、これはキリスト教の三位一体説のペルソナ理論に近いものである。彼は、三位一体説に関するカルケドン決定と当時の東方教会の立場について的確に把握して批判しており、そこから神の属性論へつながる方法論をたくみに採用している。古典文献の研究にも今日の宗教間対話や平和的共存の構築に寄与できる材料が見つかるように思われる。