著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.21, pp.35-54, 2021-03-11

中央ユーラシアには、川や湖などに棲み、人間に悪事を働く超自然的存在がいる。「水の世界」は人間の世界とは異なる「異界」、もしくは「境界」を意味し、スー・アナスやジャルマウズ、アルバルストゥといった水辺の存在には、女性性や母性の特徴が強くみられる。母性に関連して、ジャルマウズやアルバストゥは、出産など人間の生にまつわる要素が強く、彼女らが本来は生命にまつわる母神的存在であったという仮説が浮かぶ。人間を苦しめ、命を奪う存在でありながら、反対に人間に善や利をもたらす存在でもあることは、彼女たちが生と死という対立的な両義性をもつことを示す。ジャルマウズとアルバストゥは形状や役割からみると、ロシアのバーバ・ヤガーと同類であり、また、シュルガンとロシアのシュリクンも水に関わるという点やその名称の類似性から深いつながりがあることが推定される。ユーラシア中央部には、言語や「民族」の枠組みを超えた文化的共生があったのである。
著者
児玉 望
出版者
熊本大学文学部言語学研究室
雑誌
ありあけ : 熊本大学言語学論集 (ISSN:21861439)
巻号頁・発行日
no.20, pp.87-110, 2021-03

アクセント以外が共通語化した鹿児島方言の複合終助詞ガヨとヨサについて、前者については終助詞ガのもつさまざまな用法のうち、直接経験を、それを自ら認識できないと話し手が判断した聞き手に伝達する用法に限定するもの、後者については、終助詞ヨの情報伝達用法のうち、特定の聞き手の関心事と話し手が判断した情報について話し手の判断を伝える用法として説明する。この論証のために、前者では終助詞ガ、後者では終助詞サの用法を概観し、さらに、これら二つの終助詞の用法を通時的に解釈することを試みる。終助詞ガが、終助詞ワと並んで、終助詞ヨ/ゾと対立する用法をもつ祖体系から継承されたと比較方言学的に推論できるのに対し、終助詞サは、方言談話録音資料の分析に基づいて,フィラーが接語化を経て終助詞として解釈されるようになった例として、20 世紀半ば以降の改新と説明できると主張する。
著者
木村 裕一
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学人文科学論集 (ISSN:09190791)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.19-35, 2010

本論で試みているのは、古典修辞学体系における濫喩の奇妙な位置づけを、アリストテレス、キケロ、クインティリアンにおける隠喩の定義の検証を通じて明らかにすることである。その奇妙さとは、濫喩は一方で非常に周縁的で例外的な修辞形象として隠喩から区別される一方で、反対に修辞体系において最も中心的かつ理想的な形象としての隠喩の定義の際に、避けがたくその特質がついてまわってきてしまうということである。濫喩の特質とはすなわち、言及対象を表現するための言葉が「本来的」には欠如している場合に、代わりの言葉でそれを補完的に表現しようとすることである。そして濫喩のこのような特質は「生きた」隠喩とは反対の価値、すなわち「死んだ」隠喩としてみなされてきた。 このような「生/死」という二項対立的イメージの起源は、アリストテレスによる隠喩の定義にまで遡る。アリストテレスによれば、隠喩とは「生き生きとした」イメージを「眼前に彷彿とさせる(Vor-Augen-Führen)」ことを可能にする修辞形象であり、それによっていかなるものも、たとえそれが不在のものやそもそもそれを表現するべき言葉が欠如してしまっていたとしても、表現することができるものであると定義づけている。すなわち、アリストテレスの修辞体系において、後に濫喩の特質であるとされる「語の欠如の補完」はいまだ隠喩の特質のひとつであり、細分化されてはいない。それに対して「濫喩」を「隠喩」から区別し、細分化し始めるのは、キケロ、ならびにそれに続くクインティリアンである。両者に共通しているのは、「生き生きとした」イメージを「眼前に彷彿とさせる」ことを可能にする隠喩というアリストテレスの定義を引き継ぎ、それを体系の中心的な位置に据えながら、他の修辞形象を差異化していることである。とりわけ、表現すべき言葉の欠如を前提としなければならない「濫喩」的特質は、周縁的で例外的な修辞形象とみなされていくことになる。 つまり古典修辞学の体系の歴史とは、「生き生きとした」イメージによって対象を「眼前に彷彿とさせる」ことができる「良き」隠喩が、体系における理想的かつ中心的な位置を占められるよう、それぞれの修辞形象の定義を細分化・区別していく歴史そのものである。濫喩とは「生き生きとした」イメージの表現を理想とする修辞体系において排除されたものであり、言及対象を表現するための言葉の欠如を覆い隠すことのできない、隠喩の「失敗例」として位置づけられているものである。つまり、濫喩とは「生き生きとした」隠喩の否定的な側面であり、その意味で「死んだ」非─ 隠喩として「良き」隠喩を修辞体系の中心へと位置づけるための「例外的な」修辞形象として必要不可欠なものなのである。
著者
RS Kahn D Brandt RC Whitaker 一條 智康
出版者
一般社団法人日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, 2005-03-01

母親のうつ病が子の健康にさまざまな影響を及ぼすことは知られている.母親がうつ病であると,その子には発達の遅れ,行動の問題,うつ病,喘息,外傷などが生じる可能性が高いと指摘されている.今までの研究は産後うつ病に焦点が当てられていたが,母親のうっ病が産褥期のあとにも持続すると子の健康に対する影響が大きくなることは明らかである.親の精神的健康状態がその子たちの精神的健康にどのような影響を及ぼすかについて行われた大部分の研究は,母親に焦点を当てており,父親の調査は除外されていた.著者らは,子に及ぼす両親の精神的健康状態の複合的影響をリサーチするために(具体的には,父親の精神的健康状態が子の行動および情緒の健康状態を修飾するか否かを検証するために),822人の子(3〜12歳,平均8.2歳)を含む605家族の調査データを検討した.子は全員,2人の養育者(母親と父親,または母親とそのボーイフレンド)と生活していた.親は妥当性が確認された質問表(K10)で親自身の精神的健康状態に関する症状(例えば,うつ気分,不安)を評価した.子の行動および情緒の健康状態についてはBehavior Problem Indexを用い,母親が主に評価した.その結果,精神的に不健康な2人の養育者をもつと,子の健康状態は精神的に健康な2人の養育者をもつよりも有意に不良であった.母親のみが精神的に不健康な家族では,父親の精神的健康状態のよい場合には子の情緒および行動の問題が有意に減少した.著者らは,母親の精神的健康状態がどのくらい子の健康に影響するかは父親の精神的健康状態により左右されること,すなわち,母親の精神的不健康が子の健康状態に与えるマイナスの影響は精神的健康状態のよい父親によって軽減されることを発見した.また,本研究では親の精神的健康状態に関する質問表によりうつ気分だけではなく不安も含めてチェックしたことは,先行研究にはほとんど見られなかった点であることも,著者らは記述している.結果として,臨床医,特に小児科医が患者(子)の母親のうつ気分や不安を指摘し,適切に対処する役割が特に注目される.また,子を診るときには両親との関係性の中で(両親の精神的健康状態を視野に入れて)子を評価することの重要性を改めて強調している.
著者
上野 輝弥 坂本 一男
出版者
国立科学博物館
雑誌
Bulletin of the National Science Museum Ser. C Geology & Paleontology (ISSN:0385244X)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.p109-117, 1994-09

A fossil slender mola from the Middle Miocene Hiranita Formation, Chi-chibumachi Group, Saitama Prefecture, Japan is described as a new species Ranzania ogaii in the family Molidae (Tetraodontiformes). This new species is characterized by having closely attached, long neural spines in the caudal vertebrae and unique scale plates that have a single prominent tubercle at the center of each regularly-shaped, polygonal scale plate in the middle of the body.
著者
村岡 潔
出版者
佛教大学
雑誌
社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.137-146, 2013-03-01

本稿は,筆者の造語である「隠謀学」についての最初のイントロダクションです。隠謀学は,この世の日常茶飯事に満ち溢れている数々の隠謀(プロット)を解読するための一種の論理学であり,行動科学であり,文化的解剖学(アナトミー)です。また,性善説で生きている人に対する性悪説の世界観からのツッコミであり,人生において駆け引き上手になるための手引きでもあります。例えば,「金儲けの話」「死ぬまで保障される保険」「骨董屋の店先の掘り出し物」「水子供養のための金の仏像」「健康食品」などのうまい話は,すべて隠謀の可能性を秘めているからです。むろん,隠謀学は,日常生活に隠された罠を見抜くためにこそあれ,逆に隠謀力を増進するためのものでもありません。本文では,事例を踏まえながら,隠謀主義の特徴である「錯覚化」「モデル化」「権威的錯覚化」「偶然化」などの作用について解説し,最後に簡単に脱隠謀化の処方箋を提示しました。
著者
森 正人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.254, 2009

本発表は、中世の武士である楠木正成が1930年代の日本においてどのように意味づけられ、彼に関する催事や事物が形作られていったのか、またそうした出来事をとおしてどのように人びとのアイデンティティが刺激されたのかを論じる。よく知られるように、楠木正成と息子正季は後醍醐天皇に対する忠誠を、命を賭して体現した人物として『太平記』に描かれているが、南北朝時代の南朝に与したため江戸時代にいたるまで朝敵と見なされていた。楠木正成の名誉回復がなされ、江戸時代末期に尊皇攘夷運動が高まると、「忠君」楠木正成は顕彰の対象となる。各地で執り行われた鎮魂祭は招魂社の設立運動にいたり、後に靖国神社と名を変える招魂社にまつられる英霊から区別された楠木正成はただ一人、湊川神社に祀られることになった。 国家を代表する偉人としてがぜん注目されるようになった楠木正成は、宮城前への銅像設置や、南北朝のどちらが正統であるかをめぐってなされた南北朝正閏論争をとおして完全なるナショナル・ヒーローの座へ登りつめていった(森2007)。したがって、楠木正成の近代に注目することで、日本のナショナリズムや国家的アイデンティティの問題の一端が明らかになると思われるのだが、この楠木正成が見せた国家的偉人への軌跡を正面からあつかった研究は実はそれほど多くない。 近代日本のナショナリズム研究は、1990年代に大きな興隆をみた。ベネディクト・アンダーソン(1997)の想像の共同体の議論を受けながら、近代史や法制史を中心に国家的諸制度の整備が確認された。地理学においては近代における均質的な国家空間創出のためのさまざまな物質的基盤が解明された。それらの研究が一段落した後に残されたのは、国家的な諸制度や観念の形成に貢献したローカルなるものの役割の検討であった。すなわち、アイデンティティであれ諸制度であれ、それらは決して国家によってのみ作動されたのではなく、地域や郷土などといったローカルな地理的範域での実践もまた国家的なものを下支えしていたことが確認されたのである(「郷土」研究会2003)。 ただし、国家的スケールに対して地域的スケールでの実践の重要性を強調するだけでは、国家と地域を二項の固定的なものと前提してしまう。国家も地域も、首尾一貫性を持つ地理的スケールではない。それらは、相互の関係性のなかで認識されるべき地理的スケールであるだけでもない。むしろ国家的スケールも地域的スケールも、後にそれと確認されるスケールでの諸実践をとおして認識される。したがって、一貫した地域も国家もなく、事後的に確認される地域的なるものと国家的なるものととらえ、地域と国家というスケールの二分法の不可能性と、それが生成されるプロセスに取り組むことが重要となろう。こうした空間への視座は、近年の英語圏人文地理学における空間の存在論の高まりと共鳴している(Massey 2003, 2005; アミン2008)。 国家/地域的なるものを、出来事をとおしてその都度に構成し直される関係的なものとすれば、国家や地域へのアイデンティティもまた、自律的な人間主体の内側からの発露とすることも、あるいは人間主体の外側に措定される権力主体からのイデオロギー的呼びかけととらえることも困難になる。すなわち、とある地理的範域に対するアイデンティティは、前提される地理的スケールの外部、人間主体の外部にある事物や自然や機械などの客体との折り重なりの中でつねに刺激され、形作られ続けているのである。アイデンティティを含む人間の感情や倫理は、つねに資本によっても多方向へ屈曲されている(スリフト2007)。 本発表はとくに1930年代に照準する。この時期、楠木正成は国家的偉人であると同時に、彼を輩出したり彼が最期を遂げたりした場では地元の英雄として取り上げられた。それは楠木正成の死後600年を祝う1935年に一つのピークを魅せた。楠木に関わるイベントは郷土を確認させる出来事であり、そのイベントは行政だけでなく新聞社やレコード会社やラジオ局などの資本によっても開催されたのである。
著者
加藤 昌彦
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
2005

博士論文
著者
赤木 妙子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.127-140, 1991

論文はじめに一 尾張国津嶋と織田信長 (1) 戦国時代の津嶋と織田氏 (2) 織田信長と津嶋牛頭天王二 織田信長の自己神格化と摠見寺 (1) 摠見寺への理解と神格化 (2) 摠見寺と提灯祭 (3) 摠見寺の開山 (4) 摠見寺への参拝方法 (5) 自己神格化の終焉結びにかえて
著者
大谷 修
出版者
学校法人 敬心学園 職業教育研究開発センター
雑誌
敬心・研究ジャーナル (ISSN:24326240)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.1-7, 2019

<p>消毒や漂白のために用いられる塩素系製剤はしばしば健康被害をもたらす。塩素系製剤である次亜塩素酸ナトリウム(ハイター)は水溶液中で加水分解して次亜塩素酸を生じる。この次亜塩素酸が殺菌効果を発揮する。 次亜塩素酸は排水管などの金属を腐食させる。次亜塩素酸ナトリウムはトイレ掃除に使う塩酸や酸性洗剤と反応して有毒な塩素ガスを生じる。塩素ガスを吸引すると、肺水腫などの重篤な呼吸器障害を生じる。レジオネラ感染を予防する目的で温泉水に次亜塩素酸ナトリウムを加えても窒素化合物と反応してクロラミンを生じるので殺菌効果が小さい。塩素処理したスイミングプールにおいても喘息等を発症するリスクが高まり、アレルギー疾患を増悪する。急性胃腸炎を起こすノロウイルス感染を防ぐには、牡蠣などの生食を避けること、感染者に調理や給仕をさせないこと、およびトイレ、ドアノブ、手すり、壁面スイッチなどを適切な濃度の次亜塩素酸ナトリウム水溶液を含んだペーパータオルで拭くことが重要である。吐物や便は、まず拭き取ってから、床面を次亜塩 素酸ナトリウム水溶液を含んだペーパータオルで拭く。次亜塩素酸ナトリウム水溶液をスプレー等で噴射するのは次亜塩素酸を含んだエアロゾルを吸引するので健康被害をもたらす恐れがあり危険である。感染防止で最も重要なのは手指衛生を保つことである。ノロウイルスはアルコール抵抗性を示すので、頻回に石鹸と流水で少なくとも20秒間手を洗うことが重要である。</p>
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-18, 2010-10-15

京都の洛西地区の地主・名望家グループの風間八左衛門,小林吉明らは町村長・議員等として地域の行政・政治に関わる一方,明治30 年代から40 年代にかけて地元の嵯峨・嵐山の地域振興,観光振興を目論み,名勝旧跡の保存・紹介,嵐山焼など名産品の開発を行う傍ら,1、温泉会社,2、遊園会社,3、水力電気,4、銀行等を共同で発起した。本稿ではこのうち嵐山温泉,嵯峨遊園両社を取り上げたが,彼らは外人観光客を対象とした名所案内,環境整備等にも努力し,外人誘致にも貢献した。1、嵐山温泉は無色透明の炭酸冷泉であったが,渡月橋畔から船で嵐峡の清流を遡る風景絶佳の地にある老舗旅館として内外の観光客に愛好された。また2、嵯峨遊園は葛野郡による嵐山公園設置の経費を使用料として調達する意味から,公園内に遊覧客向の建物を数軒新築し飲食・遊興業者に賃貸するという官設公園内の民営代行から出発した。設立に当って同社が「営利を専らとせず,成る可く公衆の利便に資する」旨を謳ったように,京都市内の投資家集団が買収した嵐山三軒家や,嵐山に広大な別荘を建築しようとした内外の資産家等の行動に比し,小林らの行動は地元の振興を第一義とするものであったと評価できよう。しかし3、清滝川水力電気が創立早々に川崎・松方系統の嵐山電車軌道への身売りを余儀なくされたように,巨額の資金を固定化させがちな風間・小林派の関係企業は概して苦難の道を歩み,昭和2 年の金融恐慌で彼らが共同出資した旗艦・4、嵯峨銀行が破綻すると,嵐山焼の廃絶に象徴されるように,上記の両社を除き多くの関係企業の衰退を招いた。その後も彼らの意志を継承する子孫等により,嵐山焼の再興が幾度も企画されたり,近年でも嵐山に本格的な温泉を掘削・導入するなど地元資本による観光振興策が試みられる一方,残念ながら長い歴史を有する老舗旅館・嵐峡館が休業を余儀なくされ,大手観光資本により買収・改名されるなどの変化が見られる。大幅改装後の同館が期待通り内外貴賓の接待所の機能を果すならば創設者の意にも沿う展開であろう。
著者
渋谷 勝己 Shibuya Katsumi シブヤ カツミ
出版者
大阪大学文学部日本語学講座
雑誌
阪大日本語研究 (ISSN:09162135)
巻号頁・発行日
no.12, pp.33-47, 2000-03

本稿は、従来の、文法を対象とした方言地理学の問題点を整理し、検討を加えることによって、以下のことを指摘するものである。(a)これまでの方言(地理学的な)研究には、文法を対象とするとしながらも、形式面にたいする配慮しかなされていない場合が多い。(b)またこれまでは、方言研究者、共通語文法研究者のいずれもが方言文法体系の記述を避けてきた。(c)したがって方言文法研究者に課された作業には、次のようなものがあることになる。(c-1)各々の方言の文法記述を個別的に進めること(c-2)方言間比較対照を行うための分析枠を設定すること(c-3)その枠を構成する意味項目ごとに各地方言の形式を地図上にプロットし、重ね合わせ法によって方言の動態を見出すこと このうち(c-1)が、もっとも急がれる課題である。
著者
松瀬 イネス倶子 武田 カチア美知枝 上村 清 吉田 政弘
出版者
日本衛生動物学会
雑誌
衛生動物 (ISSN:04247086)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.117-122, 1997
参考文献数
6
被引用文献数
5 8

セアカゴケグモは1995年9月に大阪府の高石市で発見され, 大阪湾沿岸地帯, 三重県四日市市などでも生息が確認された。また1996年3月上旬の現地調査ではセアカゴケグモの越冬が確認され, 春夏秋冬のいずれの調査において成成虫, 若虫, 卵嚢のいずれもが採集できた。採集したクモと卵嚢は研究室に持ち帰り, 25℃, 60% RH, 14時間照明で, 50ml容量のガラス瓶内で, ショウジョウバエを餌とし, 個別飼育を行った。その内, 卵嚢より脱出した若虫を用いて, セアカゴケグモが寒冷期に, 冬期と同様の低温条件下の飼育によって生存できるかどうかを検討した。その結果, 5℃においては最長47日間生存し, 10℃及び15℃ではそれぞれ175及び270日生存した。この間の発育零点は15℃前後であった。セアカゴケグモを含むゴケグモ類が日本に分布していなかった主因は気温によるものと推定されているが, 飼育実験の結果, セアカゴケグモは日本に定着し, さらにより広範囲に広がる可能性があることが示唆された。
著者
嶺井 正也
出版者
文教大学
雑誌
教育研究所紀要 (ISSN:09189122)
巻号頁・発行日
no.16, pp.33-40, 2007

2009年度から実施される教員免許更新制はあまりに問題に充ちている。そもそも導入を見送った2002年の中央教育審議会答申で指摘されていた問題点についてほとんど解決をしないまま、同じ中央教育審議会が2006年に導入を決定した答申が本制度導入の根拠となっている。さらに同答申で導入理由とされた「社会構造への急激な変化への対応」の必要性と10年ごとの更新という制度とは矛盾する。政治的導入以外の何物でもない。